オーバードライブ・ユア・ソング

津田ぴぴ子

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本編

第六話

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六限終了の後すぐ入ってきた渡利によって、帰りのHRが行われている。簡潔に明日の予定を述べた後、帰り道に気を付けてねと笑って、日直に帰りの挨拶をするよう促した。さようなら、と言う日直に続くように、疎らな挨拶が散らばる。一目散に教室を出て行く最上と前川を見送って、陽は入部届を持ったままリュックを背負って初の元へ駆け寄った。彼も同じように、入部届を持っている。通学鞄を肩にかけた初は近くの席の生徒に愛想良くまた明日、と言うと、陽の方に向き直った。
「行こっか」
教室を出て、一年の昇降口の近くの階段──西側階段へ向かう。陽は昼休みに見た部活一覧を眺めて、部長の名前に目を留めた。
「これ部長だろ?和泉いずみって言うんだ」
「怖い人じゃないと良いね」
「でもさあ、今まで学校でバンドっぽい音聞こえたことあったか?」
「吹奏楽とか合唱部とか、演劇部は賑やかだけどね……部活紹介にも出てなかったと思うし、本当に活動してるのかな?」
「活動してなかったらここに書いてないだろ」
「それもそうだね」
話しながら、三階へ到着する。左手には図書室、右手には長い廊下が走り、理科室、理科準備室などが並んでいる。いずれにも人の気配は無く、しんと静まり返っていた。窓は知濃山の緑で覆われている。もう春になってしばらく経つと言うのに、うっすら肌寒さすら覚えた。
遠くから、生徒たちのはしゃぐ声が聞こえる。

第二視聴覚室は、本当に三階の一番奥にあった。窓が数歩手前で途切れているせいでそこだけ薄暗く、レバーノブ式の扉が酷く重そうに見えた。視聴覚室、映像を見る部屋なのだから、ドアも分厚いのだろうか。
「ここ?」
「そう、ほら」
初が指差した先を見ると、ドアの真上の白いプレートに「第二視聴覚室」と掠れた文字が書かれていた。
ドアノブに触れると、ひやりと冷たい。陽は一度深呼吸をすると、思い切りドアノブを下げて、手前に引いた。鍵でも掛かっていたらと心配したが、すんなりと扉は開いた。陽と初は恐る恐る中を覗き込む。
「失礼しまーす……」
「失礼します……」
第二視聴覚室の中はがらんと広く、入り口から数歩は色褪せたフローリングだ。そこから段差を下りた床には小豆色を水で薄めたような色味のタイルカーペットが敷かれ、教室にあるような机とパイプ椅子が数個、雑に置かれている。壁は音楽室のような有孔ボードで覆われていて、両サイドの窓から外が見える。真っ黒なカーテンは開け放たれていた。奥にはホワイトボードが置かれ、その真横に物置のような部屋の入り口があった。
誰もいないのかと思いかけた、その時だった。
「誰?」
すぐ右側からいきなり声を掛けられて、陽は飛び上がるほど驚いた。見るとそこには初と同じくらいの背丈の男子生徒が腕を組んで、壁に寄りかかるようにして立っている。大雑把に纏めた髪をこれまた大雑把にお団子にしたものが、左側の襟足から覗いている。右横の髪は肩を少し過ぎたところまで垂らされていて、前髪は大きなヘアピンで流れるようにして留められていた。声の低さと制服のことがなければ、女と見間違っていたかもしれない。ネクタイはしておらず、着崩された水色のシャツからは黒いインナーが見えた。
「ここって軽音部の部室で合ってますか?」
「軽音?……あー、そうだけど」
初とその男子生徒が会話している間、陽はふと彼の足元を見た。自分たちと同じ色のサンダルを履いている。一年生と言うことだろうか?それにしては偉そうだな、と思いつつも、陽は口を開く。
「和泉先輩は」
「何?さとるの友達?一年が?」
お前も一年だろと思った陽が言い返す前に、男子生徒は奥の部屋に向かって呼びかけた。
「惺!制服もう乾いた?」
「うん、ありがとうオリ先輩、助かった……あれ?」
惺、と呼ばれた人物が奥から出てくる。今はジャケットを着ておらず、薄手のグレーのカーディガンだ。今朝陽が晴と見間違えて掴み掛かった、あの上級生だった。彼が軽音部の部長、和泉惺らしい。
右頬の絆創膏は、相変わらず痛々しかった。
彼は今朝よりも幾分明るく微笑んで、今朝の子達だよね、と言う。
「はい!すいませんでした、今朝は」
「ううん、最初は迷っちゃうよね」
兄ちゃんと呼びかけてしまったことについては、触れられなかった。聞こえていなかったのかもしれない。まじまじと見るとやはり似ていない。惺は入り口に立ったままの陽と初に、どうかしたの、と尋ねる。本来の目的を思い出した陽は、すぐ横で自分を見ている先輩と呼ばれた男子生徒の視線を振り切って言った。
「和泉先輩ですか?」
「うん、そうだよ」
「あの、俺たち、軽音部に入部しに来たんですけど」
それを聞いた惺は暫く考え込んだ後、「先輩」に向かって首を傾げて見せた。
「軽音部って廃部になったんじゃなかったんです?」
「勝手に殺すなよ」
聞けば、一昨年の三年生が卒業して以降二人になってしまった軽音部は、活動停止状態に陥っているらしい。文化祭にも出ておらず、顧問もいない。故に、生徒からも教師からも忘れ去られたような状態だと言う。それではどうして配られたプリントに軽音部の名前があったのかというと、一昨年部長を更新した時に使われた資料をそのまま流用しているのではないか、と言う話だった。意外と仕事が雑だなあと陽は思うが、口には出さない。
「それじゃあとりあえず、おやつにしようか」
「えっ」
聞こえてきたあまりにも気の抜けた言葉に、陽は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。入部届を渡したら、あとはすぐバンドの話になるものだと思っていた。だが、どうやらそんなことは無いらしい。尤も、陽も楽器を持ってきているわけでは無いから、すぐに演奏、と言うわけにはいかないのだが。
惺は陽と初を手招きしながら、散らばった机をくっつけ始めた。
「二人とも、お腹空いてない?昨日まとめ買いしたいちごシュークリームがあるんだけど、五個くらい」
「いただきます!」
「返事早!」
「うん、元気で良いね」
いちごシュークリーム、と言う言葉に反応した初に、惺は満足げに頷いた。机とパイプ椅子を二つずつ向かい合わせに整えると、彼は奥の部屋に引っ込んで行ってしまった。長髪の男子生徒はずっと壁に寄りかかったまま一連の会話を見ていたが、一つ息を吐いて段差を下りて、向かい合わせになった机の、向かって右奥に座る。
「突っ立ってないで、座ったら」
にこりともせず発せられたその言葉に背中を押されて、陽と初は手前側に並んで腰掛けた。陽が右側、初が左側だ。真向かいで机に肘をついているその男子生徒に、陽は先程からの疑問をぶつけることにする。
「あの、何年生なんですか?」
「三年だけど、何で?」
「サンダルの色が」
ああ、と納得したように自らの足元を見た男子生徒が口を開く前に、惺がシュークリームの乗った皿と数本のペットボトルを抱えて戻ってきた。ピンク色の、可愛らしいチョコレートでコーティングされたシュークリームが乗った皿を机の中央に、その横にペットボトルを置きながら話し出す。
「その人ね、方保田かとうだしきって言うんだけど、留年してるの。前の三年生なんだよ」
「ま、そんなとこ」
惺がオリ先輩と呼んでいたのは、シキを読み変えたたものだったのかと陽は納得する。織は並べられたペットボトルに手を伸ばすと、桃味のサイダーを取った。それを見た惺が小さい子供を咎めるような口調で言う。
「後輩に最初に選ばせてあげなさいよ、先輩でしょ」
「こういうのは早いもん勝ちなの」
初がシュークリームを手に取り、いただきます、と呟く。それにどうぞと返した惺に、陽は入部届を手渡した。それを見た初も思い出したようで、シュークリームをナプキンの上に置いて入部届を差し出した。二枚の入部届を受け取った惺の手元を、織が覗き込む。
「香西初くん?」
「あ、はい」
「甘い物好きなんだ?」
「はい!」
「ふふ、きみは何の楽器やるの?」
「あ、えっと、一応ドラムなんですけど」
「へえ、すごいね。レアじゃん」
「あ、いや、でも」
初は恐る恐る、ゲームから始めたこと、スタジオで本物を叩いた経験はあるが、回数を重ねたわけでは無いことを伝えた。それに細かく相槌を打っていた惺が全然問題ないよ、と言って笑うと、初は安心したように胸を撫で下ろす。初の入部届を捲って、陽のそれに目を通し始めた惺と織の動きが、一瞬止まった。御子柴、と呟いた織と一瞬顔を見合わせて、惺が机の上で手を組む。
「きみ、もしかして晴先輩の」
「あ!兄ちゃんのこと知ってるんですか?」
「知ってるも何も、晴くんは」
織は、晴のことを晴くん、と呼ぶ。
晴は軽音部に所属していたと言う。ギターの腕は部内で一番で、良く後輩の面倒を見ていたらしい。陽は部活のことについては聞いたことが無かったが、バンドを組んだと言う話は知っている。多分それが軽音部のことだったのだろう。
「あの、……兄ちゃんがどこ行ったとか、知らないですか?」
部活が一緒なら、何か知っているかもしれないと思った。学校の生徒には警察が話を聞いているとは思ったが、もしかして、と言う希望を持つことくらいは許して欲しかった。
惺は再び織と目を合わせたあと、ゆっくりと首を横に振った。
「ごめんね、おれもオリ先輩も何も知らない」
「いえ、こっちこそすいません、変なこと聞いて」
笑って取り繕いながら、シュークリームを取って口に入れる。口の中いっぱいに広がる甘味に、多少心が落ち着いた気がした。
「あ!いただきます!」
「別に良いのに、……御子柴くんは、何のパート?」
「ギターです!」
「ふうん、そうなんだ。じゃあバンド出来るね」
「え!」
その惺の言葉に、陽は自分の口角が一気に上がるのを感じた。それって、と言いかけると、惺が織を指して言う。
「オリ先輩はベースだし、おれは、まあ、一応キーボードで」
織は幼少の頃から音楽に親しんでいて、ずっとベースを弾いているらしい。惺も小さな頃にピアノを習っていたと言う。それを聞いた陽は欲しい玩具を買って貰った子供のようにはしゃぎ回った。それを見ていた織は、先程までの無愛想さとは打って変わってけらけらと笑う。
「陽くん、そんなにやりたかった?バンド」
「はい!すごく!」
それを微笑みながら見ていた惺が、ふと何かを思い出したように口を開く。
「それで、お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「何ですか?」
陽の制服の裾を引いて座らせながら、初が問う。惺は心底楽しそうに口角を上げて、あのねえ、と話し出した。
「二人とも、怖い話は好き?」
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