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風から聞こえる僕の物語

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風から聞こえる僕の物語
                                             齋藤 遊雨晴

乾いた風が山裾をふわりと降り、そっと秋の香りを運んで来る。
今年も、あいつの命日に、墓前で手を合わせる。
少し、やりきれない思いを引きずりながら懐かしい思い出がオルゴールの響きのように蘇る。
「三田、お前、早すぎはしないか」
僕は、缶ビールと花を墓前に置き、呟いた。
「悪りぃ、勘弁な・・・お前は、もうしばらく、元気にしていろ」
あいつが、そう言ったように聞こえた。あいつの墓参りに来た日は、あいつの事を思い出しながら過ごす日となる。
どうして、あいつと仲良くなったのか、きっかけを思い出すことが今となってはできない、ただ・・・
“偶然”というより“必然”だったと、あいつが鬼籍に入ってしまった今は思えるのだ。
JRがまだ国鉄だった四十年以上前、都立高校の同級生として、僕らは巡り会った。
交流するようになったきっかけを思い出す事ができないのだが二人とも権力への反抗心が、強かったと記憶している。

というわけで、教師への態度はあまり感心したものではなかったかもしれない。僕の目には、同級生の多くが、自分達の進路について、就職先とか給料の高い業種が何であるのか等の話題が聞こえて来てはいた。しかし、僕ら二人は、そんな話には興味を持つことはなく、二人で、よく議論したことを思い出すと・・・
“物理学”と“生物学”のどちらが崇高かという問題とか、キリンビールとサッポロビールのどちらが美味いかについての結論など得られるはずもないお粗末な議論を繰り返すのだ。拙い議論なのだがお互い真剣で譲ることはなく、その時の僕たちには、かけがえのない美しい時間だったのだと思えるのだ。
そんな事を論じられるような知識を僕らは、持ち合わせている訳ではない。聞きかじりの拙い知識を拠り所に僕が住んでいた下北沢のおでん屋で生ビールの中ジョッキを飲みながら、とりとめもない話をしながら薄っぺらな高校生活を多少なりとも豊かな時間にしてくれていたのだ。その頃、二人は高校生であったのだが・・・
あいつは原子力とかアインシュタインの着想がなぜ、素晴らしいのかという事を僕に諭すように語るのだ。
「だからさ、原子力を安全に使うことが技術者、研究者の使命であるんだな。原子力と原爆を同一視するのは、俺は、なんか違うと思うんだ。物理学を学ぶことは、世のため人のためになるので、えらいと思うんだ・・・なんてね」僕は、すかさずに
「俺は、生物がどのようにして誕生したのか、DNAなる塩基配列暗号が、どのように生命現象を司るのかに興味がある。また、昨今の環境汚染にも、ひどいものがあると思うんだ。どうして罪も無い善良な人達が、水銀中毒で苦しまなければならいのか、俺には理解できない。政治など体制側の問題もありそうな気がするのだが原子力なんかに興味を持つ奴は体制側の発想だ」など、議論とは言えないような未熟そのままの議論らしい会話を続けていた。
その頃よく通った下北沢のおでんやのお父さんは、こんな僕ら二人を暖かく迎えてくれた。二人で店に入ると“いらっしゃい”とか言われた事はなく
「倅、ご苦労である
今は懐かしい昭和を生き抜くお父さんが、僕たち倅を暖かく迎えてくれる空間が、ここにはあった。
「巾着が食べ頃だぞ」とおでん鍋を見つめながらお父さんが呟く。
「お父さんに、おでんはお任せしますから、おでん二人前と胡瓜に青紫蘇がたっぷりとかかっている漬物を二人前、お願いします」
「いいか、この店では採れたばかりの胡瓜を俺が精魂込めて育てたぬか漬けで漬物にしているんだ。そしてな、胡瓜に嫁入りの化粧道具である青紫蘇をかけ嫁に出している。という訳で、青紫蘇がたっぷりかかっているのは、当たり前田のクラッカーだ。安心して食いな」
ねじり鉢巻きで頭にもう髪の毛が一本も残っていないが眼光鋭く、ぎょろりと僕たちを睨む、風貌は個性派俳優の大滝秀治さんにそっくりなのだ。七十歳はとうに超えているお父さんがカウンターで十席程の、この店を一人で切り盛りしている。この店のおでんの巾着が三田も僕も好きだった。揚げの中にシラタキ、ネギ、鳥のモモ肉に餅が入り、昆布の出汁がしっかりと沁みているのだ。
餅は硬くてもいけないがドロドロになっているのもいただけない。餅の頃合いが良い頃を見計らい、お父さんが巾着をくれる。昆布が醸す空気が店に漂い、優しい時間と空間を作ってくれる
「うまいものはさ、食べて欲しいタイミングっていうものがあるんだ。その時に食べられれば、おでんも本望である」とお父さんは得意げに話しているが商売上手との見方もあるかもしれない。カウンター席だけで十人ほどが入ることができる小さい店だが、八時をすぎるといつも満席になる。生ビールが、なぜかとても旨く、おでんにも品格があり当時の下北沢では人気店の一つに数えられていた。今では映画で見ることができる個性派俳優も下北沢の芝居小屋で一芝居を終え時々来ていのを覚えている。
僕らの隣で女の子を口説きながら生ビールをうまそうに飲んでいたのを覚えている。彼には奥さんがいたように記憶しているが・・・
芸能人って、そんなもんかな。僕ら高校生の二人組みは仕事のない身分なので、恐れ多いのだが早々と五時頃から延々とビールを飲み、“物理学”と“生物学”について語り合うのだ。この店に来る人たちも、心温かな人が多く僕らの議論に
「俺、湯川秀樹好きだよ。あいつはすごい、何しろ日本人で、初のノーべル賞だからな」とか
「生物学には夢がある」とか、話をエキサイトさせてくれたり、なだめてくれたりしてもらった。そんなことをしていると、不思議と知識と好奇心の量は格段に増え、高校で学ぶよりも学習効果の点で有意義であったのではと今から思うのだ。
高校生にとって出会いによるきっかけと何かしらの気づきって大切だと思うのだ。
何よりも興味とか好奇心が学ぶ事を崇高な物に形を変化させるのだと思う訳で、高校の学習カリキュラムとして居酒屋のカウンターとかで大人の話を聞くといったカリキュラムがあったりしても良いのではないだろうかと僕は、真剣に思うのである。

いつだったかコンドームの日本を代表するメーカーで働く中年のエンジニアと隣あわせになり切々とコンドーム製造の苦労を聞く事で、品質管理とか品質保証と言う言葉を初めて聞かせてもらい大変勉強になった訳である。
「コンドームってさ、品質が悪いと不味いことになるだろ・・・わかるよな・・・」
わかるよなと言われても、実感は伴わないのだが、その空気は伝わる・・・とても強く・・
一応、“わかります”と僕らは答えた。高校生が、品質管理なるものが実感に近い理解をする事ができる訳である。
日本広し、といえどもこんな風に実社会を学ぶ事ができるのは、この下北沢のおでんや、だけではないかと大いに盛り上がり、ミスターコンドームから生ビールをたくさんご馳走になった事もあった。ちなみに僕は、コンドームなるものは、話に聞いた事があっても、まだ見たことも使ったこともなかったのだが・・・
おそらく、あいつも同じと想像できるのである。
真面目な話、未熟な高校生と世の中に揉まれている大人の接点がもっとあっても良いのではないのだろうか。一方通行であくびの出る授業の非効率な事について文部科学省として、しっかりと検討してほしいものである。
“授業中、あくびばかりしたら、口がでっかくなっちゃった・・・居眠りばかり、してたら目が小さくなっちまった・・・”
とはRCサクセッションの名曲“トランジスタラジオ”の歌詞である。退屈な授業の空気が伝わり、今でもこの曲を聞くたびに高校生時代の退屈な授業を思い出し、高校時代に戻る事ができる。生きた知識が、学習意欲を高めることは容易に想像できるのだが、高校生の声は政治には伝わらないのが日本の政治の実態かもしれない。
“物理学”と“生物学”の議論が終わると、次の話題は教師の評価となる。あの先生は人間味があるとか。あの先生は授業の合間の休憩時間に紅茶にブランデーを入れて飲んでいるとか。あの先生は、太平洋戦争が終わるまで天皇陛下はオシッコをしないと信じていたとか。あの生物の先生は、昆虫の収集と称して海外旅行に出かけるのだが、実はエッチな映画をノーカット版で堪能しているとか・・・
高校生にとって、大人との接触は先生以外にほとんどない訳で、ある種の人事評価であるとも言える。あいつと僕の教師の人事評価は概ね同じで、特に評価が最低だったのは地学の吉田という教師である。歳は四十代、背は低く鼈甲のめがねをかけ、肌の色は淀んでおり、神経質そうな表情をしている。授業が始まり十五分ほどすると、口の両端から泡を吹きながら話すので、僕らは陰でクランボンと呼んでいた。クランボンの話し方は、トゲがあり、おしゃべりをしている奴がいると
「はい、そこの君」とか言って、厳しい質問し、答えられないと、軽蔑の眼差しで睨みつけるので、居眠りをしている生徒はいても、おしゃべりをする生徒は、ほとんどいなかった。
「おい西島、お前、クランボンの結婚の話を聞いたことあるか」
「いや、知らない」
「あいつ、地学の教師だろ、その関係で地質とかなんとか山によく行っていたらしいんだ。
そこで、たまたま山の中で怪我をして遭難しかかっていた若くて綺麗な女性にめぐりあったらしいんだ」
「それで、どうしたんだ」
「相手が困っていることを十分確認した上でさ、俺と結婚するなら助けてやると交渉したらしいんだ」
「本当か、誰から聞いたんだ」
「ほら、6ホームの田口っているだろ、あいつのお父さん都立高校の教師でさ、前の学校でクランボンと同じ学校だったらしいんだ」
「本当かな、にわかには信じられないけど、ありそうな話でもあるな」
「今度、試してみようぜ」
などと、良からぬ相談は終電近くまで続くのだ。
数日後、地学の授業があった。あいつは、吉田の授業が始まる前に、黒板に以下のメッセージを書いた。
“先生は昔、山の中で困っている女性を見つけ助けてやる代わりに結婚を迫ったと聞きましたが本当ですか、後学のため、是非お聞かせください”
吉田は教室に入り黒板を見ると、一瞬血の気が引いたように見えた。その後唇が震え、顔から血の気が引き両方の口の端じから、いつもより大量の泡を吹き、あごまで滴っていた。何も言わず、あいつが書いたメッセージを黒板吹きで消した。少し声は震えていたが、抑揚のない退屈な授業が始まり、いつも通りの一方通行の空虚な時間が、重苦しい蚊帳に包まれていた。昼休みに高校の近くにある喫茶モナにあいつと行った。
「吉田のやつ、唇が震えていたよな。きっと図星だったんだ」とあいつが言う。
「そうだな、顔から血の気が引いていた。泡の吹き方も尋常ではなかった」
僕らの企みは成功を収めたようで、二人とも大いに盛り上がっていた。午後の授業が終わると担任の鈴木先生が教室に入ってきた。鈴木先生は僕らの担任で、一説にはアル中との噂がある。しかし生徒ひとりひとりの個性を尊重してくれており、同級生の出来の悪い生徒達には、割と人気があった。あいつと僕も、鈴木先生は信頼できる大人かもしれないと話していた。教室の黒板の前で鈴木先生は
「おい三田、ちょっと来てくれ」
「はい、なんでしょう」と三田が鈴木先生の前に立つと、いきなり往復ビンタを三発食らわせた。
“ビシッ(最初の一発)、パスッ(帰りの一発)、パチーン(最後の強烈な一打)”
最後の一発は、特に大きな鈍い音がした。帰ろうとしていた同級生も固唾を飲み、この状況を見物していた。
「教師を、なめるんじゃないぞ」
三田は口の中を切ってしまったのだろう、口から血を流していた。
「すいませんでした」と三田は答えた。
鈴木先生は、あいつにビンタを食らわせると颯爽と教室を後にした。
「おい、三田、大丈夫か。口の中が切れてないか」
「おお、大した事はない。どうだ、ちょっと付き合え」
僕らは、帰りに下北沢のおでんやで、ビールを飲み始めていた。
僕は、あいつが何か話すのだろうと思い、自分から質問することはせず、あいつの言葉を待った。三杯目の生ビールに口をつけようとした時に
「鈴木先生にビンタを食らってさ、俺少し嬉しかったんだ」
「ふーん、どうして」
「なんて言うんだろうな、高校生風情に、正面から接してくれているような・・・小賢しくないんだな。俺は、小賢しい奴が嫌いだ。先生は、俺のした事は良い事ではないと気がつかせてくれた」
「教師は、暴力を振るうのは、ダメだよな」
「でも、ある教師がいてさ、生徒に真剣に接していたら、手が出ることも許されるんじゃないかな。もし、俺が教師なら、そうする事があるかもしれない。学校の規則とか法律とかで規制しても、あまり意味がないのかもしれんな」
「うーん、俺は、ビンタ食らってないけど、わかるような気がするな。鈴木先生がお前にビンタしている時、真剣な目をしていた。けして、お前のことを憎んでいたようには見えなかった」
「俺も同感だ。先生は俺にビンタしながら、少し泣いていたような気がするんだ。暴力を振るわれていると言うよりも、抱きしめられているような気持ちだった」
するとお父さんが・・・
「倅、先生に殴られたのか。そいつは、いい経験したな。人が人を殴る時には、二通りあるんだ。一つは自分の事しか考えてなくて憎くて殴る時。もう一つは、自分のことを省みないでな、相手になんとか何かを気がつかせてやりたくて、やむなく殴る時。時間が立つと、どっちだったか、きっとわかる時が来るんだ。そうやって思い出って奴はな、時間をかけて、倅の一部になって行くんだ」
あいつは、四杯目の生ビールを飲み干し
「ありがとうございます。なんか気分、良くなりました」
僕は、あいつが少し大人びて行くような気がして、羨ましさを感じた。その日は、“物理学”と“生物学”の議論は封印され、早めに家に帰った。翌日の授業が終わると、鈴木先生と仲の良い地理の森田先生が、あいつを呼び止め何かを話していた。あいつは、少し神妙な面持ちで話を聞き終わると軽く会釈し、僕のところにきた。
「森田先生が、昨日の事後談を聞かせてくれた。吉田の奴、俺を停学にしろと校長先生のところに駆け込んだそうだ。鈴木先生が校長先生に呼び出され、意見を求められたそうだ。鈴木先生は、停学にするほどの事ではないと主張したが、吉田の奴は引き下がらなかったようだ。そこで、鈴木先生は校長先生に、実は私、三田のやつを三発ほど殴りましたと開き直ったらしい。事を荒立てると、よくないことになりかねないと校長に詰め寄ったところ、お咎めなしと決まったそうだ。鈴木先生は最後、吉田に、それとも三田は嘘でもついているんですかなと、切り返したそうだ」
「やるもんだな」
「鈴木先生に頭が上がらないな」
「借りが、できたってところか」
僕は、鈴木先生のした事を、誰かに話したい衝動にかられたのだが、あいつは他言無用とした。あいつは、僕より少し大人になって行くようで、何か引け目のような何かを感じ始めていた。

五月の終わり頃、担任である鈴木先生との面談があった。僕らは高校三年生になっており、進路のことで面談が行われるのだ。あいつは、数学と物理の成績はトップクラスなのだが、国語、英語、社会などの文化系の科目は苦手としていたが、進学は難関校のT大を希望していた。
僕は、生物と化学は、まあまあの成績ではあるが、やはり文化系の科目は苦手としており、まだ志望先は未定であった。その当時、米国で遺伝子組換え技術という技術が発明され、注目されているのを新聞で読んだことがあった。興味の対象ではあったのだが、日本の大学で、どこで、学ぶ事が、出来るのか情報が不足していた。鈴木先生が
「西島、お前、志望の大学はあるのか」
「はい、生物に興味がありますが、具体的に志望する大学とか学部は今の所、ありません」
「お前は、成績は理科系の中では今の所、中の下といった所だが、お前は本気になって頑張れば難関校も可能性があると思うのだ。なんかお前は、受験ということを少し甘く考えてはいないか」
僕は、受験を甘く考えているつもりはなかったのだが、自分にとってリアリティを感じることはできていなかった。まあ、同じか・・・
「その通りかもしれません」
「いいか、世の中に出たら、稼がなくては食っていけないんだぞ。そりゃ、厳しいものがあるんだ。大学に行けばそれで丸く収まる事はない。ただな、なんとか自分の足で立とうとしようという意思がなければ、けして幸せなことにはならないんだ。俺は教師をやってきて、いろんな生徒を見てきたが、お前は、きっかけがあれば、すごく伸びる資質があると感じるんだ。多分、お前は強制されることを、どこか拒んでいるように思うのだが、それを捨てろといっているわけじゃないんだ。ただな、自分の可能性を、もっと信じてみろよ」
僕は、鈴木先生の言っている事を、その時は三割ほどしか理解できなかったのだ。自分の可能性とはどういうことなのか。ただ励ましてくれていると感じる事ができ、少し嬉しかった。面談後あいつと下北沢のおでん屋に行った。
「三田、お前、今日の面談どうだった」
「ああ、気分、悪かったな。頭ごなしにさ、こんな成績じゃT大は無理だと言われた。また、ピンタ食らっても面白くないから、頑張りますと答えたけどな。お前は・・・」
「俺は、なんか、励ましてもらった感じで、少し嬉しかった」
「そうか、俺の方が、鈴木先生に疎まれているのかもしれんな」
「まあ、そういうな、お前の方が、成績が良いから期待が大きいのかもしれん」
そんな会話をしながら生ビールを三杯も飲むと、二人とも、ご機嫌な様子となり、三田が
「ところでさ、喫茶モナの絵美さん、お前どう思う。俺結構、マビーと思うんだ」
「そうか俺も、好みかもしれない」
「勘定払う時、いつも俺の目を見て、ありがとうございましたっていうんだな」
「そうか、でも、それって、お前にだけじゃなくて、お客にならそうするんじゃないの」
絵美さんは、喫茶店のアルバイトのウェイトレスで都内の女子大に通っているらしい。髪は短く、色白で、清潔感が漂っており、笑うと小さな手を丸めて口を押さえ、優しい笑顔をするのが可愛いのだ。
「そうかもしれないが、俺は、その時の彼女の目つき。なんとゆうのかな、上目つかいで、相手の心を読み取ろうとするような感じにグッと来るんだな」
「俺、T大に受かったら交際を申し込んで見ようと思っていてさ。それを励みに、勉強するつもりだ。お前は好きな人とか、いないのか」
実は、僕も絵美さんは、可愛いと思ったりしていたが、三田に先に言われてしまったので、とりあえず気の無い素ぶりを見せるのが友人の嗜みと考えた。
「俺は、今のところ、恋愛とか、面倒で考えられないな」
その後、三田は絵美さんの着ている服で、あれが似合うとか、あれは、いまいちだとか、もうすでに、彼女にしているような錯覚をしてしまうほど上機嫌になっていくのだ。

六月の梅雨空のある日の昼に、たまたま一人で喫茶モナに行き、ナポリタンを食べていたところ絵美さんが、僕のところに来た。
「今日は、一人で珍しいわね」
「はい、三田が体調悪いらしく、お腹が痛いとかで早退して、帰って行ったんです」
「私、西島君に相談があるのだけど、少し話してもいいかしら」
「はい、どうぞ」
絵美さんは、少しうつむき加減に目線を下に向けながら話始めた。
「来月ね、同じ女子大の友人から軽井沢の別荘に二泊三日で誘われているの。彼女は、彼氏を連れて来るので、私も彼を連れてきたらと言っているのよ。でも私、女子大だからね、彼氏とかいなくてね。それで、都合よければ、西島君に一緒に来てもらえないかなと思ったりしているの。ほら友人が、彼氏と一緒で私は一人だと、友人に気を使わせてしまうじゃない・・・」
僕は、一瞬、舞い上がってしまい、何をどうすれば良いのか我を忘れていた。
「泊まり、なんっすか・・・と言うことは、パジャマは持っていくんでしょうか」と、トチ狂ったことを尋ねていた。絵美さんは、その小さく綺麗な手を丸め、口をおさえながら微笑んでいた。
「別荘だから、多分いらないと思うけど聞いてみるわ」
「でも、どうして、僕なんでしょうか。絵美さんなら他にも、適当な人がいそうな気がしますけれど」
絵美さんは、少し考えてから・・・
「あなたなら、問題になるようなこと、つまり、私たちを困らせるような事をしないように思ったの、気を悪くしないでね」
つまり、僕は無害ということらしく満足な答えではないのだが、自分の何かを認めてくれているようで悪い気持ちではなかったが・・・一方で複雑な気持ちでもあった。
「来年、大学受験でしょう。受験勉強とかの都合もあると思うの、少し考えて返事してくれたらいいわ」
僕は、考えてみますと絵美さんに言った。さて高校生とは、物事を整理して考えるような余裕には、ほど遠い生き物である。
自分が感じるまま、風の吹くまま生きているところがある。その日の帰り道、絵美さんと軽井沢に行くことについて妄想が膨らんでいた。絵美さんが、僕を誘ってくれたのは嬉しいのだが、どうしたら良いのか考えあぐねていた。だいたい、女の子とデートすらした事がなく、さらに考えるのは三田にはどう話したら良いのだろうか。
「三田、悪い。絵美さんから軽井沢に誘われてさ、断る理由もないしさ・・・」
あいつは、僕のことをどう思うのだろうか。
「絵美さんが、お前を選んだんだから、いいじゃないか、頑張れよ」と言うかもしれないし、或いは
「俺が、最初に、絵美さんをマビーとお前に伝えたんだから、筋が通ってないんでない」とか
「そんなバカな事があってたまるか、お前を選んだのは何かの間違いだから、俺は絵美さんに直談判するぞ」
少し、どうすべきか考える必要がありそうである。その晩、ワクワクと迷える子羊が錯綜しなかなか寝付く事が出来なかった。翌日、高校の帰りに区の図書館に立ち寄り、軽井沢のガイドブックに目を通した。老舗のジョンレノンが泊まったホテルとか芸能人が来るようなレストランの紹介があり、結構お金がかかりそうで高校生には敷居が高そうな気がした。親に話せば、それなりの小遣いはくれるかもしれないのだが、うまい説明ができるのだろうか。まず、大学受験を前にした夏休みに軽井沢に行く必要があるのかと聞かれるに違いないのだ。僕の母は、なぜか僕の主張を飲んでくれる事が多いのだが、父は金のかかることは全く拒絶する傾向がある。二、三日、戦略を立てた上で、切り込むことにしよう。そんな日々が過ぎたある日のお昼に、喫茶モナに三田と行った。
「西島、夏休みに山登りに行かないか、高校生活の最後に少しだけ冒険をしてみようぜ」
「計画のあてはあるのか。俺は山など行った事ないから、よくわからない。ただ山が、どんなところだか興味はある」
「親父が若い頃、山登りに、よく行っていたようで、家に山の地図とかあるんだ。この前、地図を見ていたら、奥多摩の雲取山を知ってるか。手頃かもしれない、何しろ東京都の最高峰の山で標高が2017mだ。都立高校の三年生が東京都の最高峰を目指すなんて、少しロマンがあるよな」
「うん、悪くないな」
授業が終わると、いつものおでんやで生ビールを飲みながら、雲取山行きの具体的な計画について話をしていた。三田は小さい頃から父親に連れられ、山に行っていたようで、富士山とか八ヶ岳とかに登った事があるという。なので,山の準備に何が必要なのか、おおよその事は、理解しているようだった。僕は山登りはした事がなかったので、三田の話に耳を傾けていた。
「一日目は、奥多摩駅から石尾根を登り雲取山の山頂を踏み、雲取小屋に泊まろう。登りだけで九時間かかるが、休みながら歩けば夕食までには着けるはずだ」
「九時間も歩くのか、山の経験のない、俺にも歩けるかな」
「少しはトレーニングした方が良いかもしれないが、なんとかなると思う。靴はハイキングシューズがベターだがスニーカーでも何とかなる。ザックとか親父が使っていたものがあるから使ってくれ。ただ後学のため、新宿にある石井スポーツに一度行ってみないか」
三田は、古い“山と渓谷”という雑誌を持参しており、石尾根から雲取山の写真を見せてくれた。石尾根の新緑や雲取山の稜線から眺める奥秩父の山並み、雲取山頂のご来光など、美しい写真に魅了され、行って見たい衝動にかられ始めていた。
次の日、授業が終わると三田と新宿にある石井スポーツに行った。ザックとか雨具とかコッヘル、テントなど初めて見る山道具は、魅力的なものばかりであった。山道具を見ているだけで、その先にある山というものを限りなく想像する事ができた。
なんというのだろう、無駄なものを排除したシンプルな美しさが山道具にはあった。
店員も皆、引き締まった肉体と浅黒く日焼けし優しさの中に厳しさを経験している純粋な目つきをしていた。石井スポーツに来た事で、妄想ではなく雲取山が具体的な夢に変化を遂げていた。その日は、石井スポーツ近くの、新宿西口にあるもつ焼きやで生ビールを飲んだ。
「お前は、結構、山に行っているのか」
「ああ、子供の頃から、親父が山好きでさ、富士山とか八ヶ岳の赤岳とか連れて行ってもらった。俺は、山の空気とか都会にはない新鮮な風に吹かれ、うつろう空を見るのが好きだ。山の姿も綺麗だけど、空が刻々と変化する様子がたまらなく好きだ。
そして、山小屋に泊まれば夜に無限の星を見ることもできる。都会では見ることもできない流れ星も夏山では、見ることができる。俺は、父親に連れて行ってもらった富士山で見た星、そして流れ星を今も、しっかりと記憶している。山では、都会では感じることのない大きなものに出会う事ができる。だから、俺は高校生活の最後にお前と山に登る事に意味があると思っているのさ」
「そうかお前の話を聞いて、山というものに興味が出てきた。雲取山に行ってみようぜ」
「よし、乾杯だ」
そう言って、中ジョッキをコツンと合わせ、五杯目の中ジョッキを飲み干していた。
その日は、三田が持って来た“山と渓谷”を借り、奥多摩の石尾根から雲取山の記事や、テント泊で北アルプス縦走の記事とか。大雪山の沢登りの記事などを読んだ。
初めて見る山の姿を垣間見た事で興奮し、なかなか寝付く事が出来なかった。
ただ、明日から、毎朝2kmほど、トレーニングとして走ろうと心に決めた。
翌朝、いつもより三十分ほど早く起き、トレーニングウェアに着替え近くの公園まで走る。あたりは梅雨空ではあるものの、雨は降っていなかった。近くのゴミ収集場には、カラスがゴミ袋の中を漁っている。片道十分ほどで公園に着くと、それなりに汗を書いており息が切れている。こんなんで九時間も歩く事ができるのだろうか不安になった。
この公園は、古くからの樹木が残っており落ち着いた雰囲気が残っている。
年を重ねたご夫婦や、お一人の歳を重ねた散歩に、また若いサラリーマンの方もトレーニングに勤しんでいた。帰り道は、ペースが上がらず、家にたどり着いた。家に帰ると、母が、すでに起きており
「どうしたのよ、いつもより早く起きて」
「少し、これから、トレーニングをしようと思うんだ」
「まあ、いい事だと思うけど、何か理由があるのかしら」
「実は、夏休みに三田から奥多摩の山に行こうと誘われているんだ。あいつは、割と山慣れしているらしいのだが、僕は、少し体力に自信がなくて、トレーニングが必要らしい」
「そう、それは、良い事ね。高校生活の思い出に三田君と山登りするのはいいじゃやない・・・ただ、ちょっと、気になるのは、三田君のお母さんと話す機会があってね、というより、電話がかかってきたんだけど。三田君のお母さん、結構キツイわよ。三田君をなんとかT大に入れたくてしょうがないみたいだった。暗にあなたと三田君が、よく遊びに行くのを遠回しに牽制しているようでもあったわ。もしかすると、あなたと三田君の仲良いことに嫉妬しているのかもしれない。三田くんのお母さんは、その山に行く事について、了解しているのかしら」
「どうだろう、あいつの事だから、僕の意思を確認してから、親には相談すると思うな。今日学校で会ったら、聞いて見る」
午前の授業が終わり、昼休みに喫茶モナに行くと。三田が不機嫌を満面にしながら話始めた。
「雲取山の件母親に相談したら、やめろというんだ。大学受験を控えて、そんな暇があったら勉強しろというんだな、これが。今日帰ったら、再度交渉をしなければならない。お前の方は、どうだ」
「特に今の所、反対はされていない。高校生活の最後の夏休みだから、まあ、許される雰囲気ではあった」
「そうか、お前のところの親は、理解があって羨ましいな」
「お前の父親は、山に行っていたから、理解があるんでないの」
「いや、やはり大学受験があるので、良い顔はしていない。それに、俺の教育方針について父親は母親の言うことに従うんだ。だから母親の言うことに逆らったりはしない、お前のところは」
「うちの場合、父親は金かかることは嫌がるから、雲取山に行くとなると、おそらく反対するだろうな。ただ母親は、父親に相談しないから問題ないと思う」
「そうか、お前の母親は、お前の言う事を尊重してくれるんだな」
三田は、不機嫌な様子だったが、絵美さんが水を注ぎにきてくれると機嫌が良くなり
「夏休みに、西島と雲取山に行こうかと相談しているんです。絵美さんも、よかったらどうですか」と少し、オヤジのような誘い方をしていた。
絵美さんは、いつもの、小さな手を丸め、口に当て、少し微笑みながら
「ごめんね、山に行けるほどの体力はないかも」
絵美さんは、僕の方をちらりと見た。勘定をする時、絵美さんが僕に
「あのこと、考えてくれたかしら」
「はい、行きたいと思っているんですが、まだ親に、相談していなくて、今晩にでも相談して見ます」
先に店を出ていた三田は、僕に
「なんだよ、絵美さんと何を話していた、親密な感じでないかい」
「いや、なんでもない、今日のナポリタン、味が濃くなかったとか、聞いていた」
僕は、三田に嘘をついてしまったことで何かしら重苦しい荷物を背負ったような気分になった。
翌日、三田は学校に来なかった。小遣いも少なくなっており、一人だったので高校の前にあるパン屋でコッペパンを買い、昼飯とした。
この店のコッペパンは、焼きたてのコッペパンに、あんことバターが入っている、あんバタが80円。ポテトサラダと卵サラダが入っているサラタマが100円。ハムと卵サラダが入っているハムタマが120円。今日は、あんバタとサラたまを買い、教室で食べた。コッペパンを食べ終わると、担任の鈴木先生のところへ行き、三田が欠席している理由を尋ねた。
「お前は三田と仲良いから知っているかと思ったがな」と、空を見つめながら
「実は三田のやつ、今朝、家出したらしい。お母さんから、先ほど電話あってな。詳しいことは聞いていないのだが、警察にも捜索を依頼しているようだ。お前、行き先の心当たりとか知らないか」
晴天の霹靂とは、こういう時に使う言葉なのだろうと思った。おそらく雲取山の事でもめたのかもしれない。ただし、家出先の心当たりは皆目、検討がつかなかった。三田と、僕とは違う中学校だったので中学時代の友人についての情報も持ち合わせてはいなかった。鈴木先生に、三田の行き先については、心当たりのない事を話した。授業が終わり、家に帰ると三田の母親から電話があったらしく、三田の家に電話をするよう母に言われた。
「もしもし、三田さんですか。西島ですが、お母さんをお願いします」
「はい、私です。お電話ありがとうございます。実は、息子が家出をしました。行き先がわからなくて、西島くんと夏休みに山に行くとか言っていて、そのことで少し揉めました。なので、西島君が何か知らないかと思いまして・・・」
「いや、わかりません。学校で鈴木先生から三田が家出をした事は聞いたのですが、行き先のあては、ありません。中学校の友人とか、心当たりはありませんか」
「わかりました。中学時代の友人に少し当たって見ます」
「僕も、少し考えて、心当たりを探して見ます」
「忙しいところ、すいません。よろしくお願いします・・・それから・・・」と言いかけ、三田の母親は話すのをやめ、少し長い沈黙が訪れた。電話口の向こうで、三田のお母さんは、泣いているような気配を僕は感じていた。
高校生が泊まる事ができるとしたら、中学校時代の友人くらいしか、思いつかなかった。親しくしていた友人がいたような話を聞いた事があったが、名前を思い出す事ができなかった。下北沢のおでん屋に、顔を出している可能性はあると考え、念のため店に立ち寄った。
「こんばんは、三田の奴、来ていませんか」
「三田くんは、来てないよ。どうかしたか」
「いや、すいませんでした」
おでんやのお父さんに、心配をかけてもいけないので事情は説明をしなかった。次の日も、あいつは学校を休んでいた。どこで、何をしているのか皆目、検討がつかず、生きているかさえ頼りなくなっていた。まさか自殺する事はないにせよ、どこかの公園で寝ているところを襲われ、おやじ狩りならぬ、高校生狩りに会う可能性はゼロとは言えない。今日も、昼ごはんはコッペパンですませ、昼休みに鈴木先生のところへ行き、三田の消息について聞きに行った。鈴木先生のところへ行くと・・・
「西島、お前を呼びにやろうと思っていたところだ、三田の奴の居場所がわかった。今、お母さんから連絡があってな」
「どこにいたのでしょうか」
「上野の近くに根津ってあるだろう、地下鉄の千代田線。そこの新聞配達屋にいるらしい」
生きていて安心したが、大胆と言うか向こう見ずというか僕には、とてもできそうにない決断であると思うのだ。こいつは大物か、とてつもないアホのどちらかであろう。
「新聞配達屋ですか、高校は続けるんでしょうか」
「まだ、そこまで、確認をしたわけではないが、多分、高校はやめないはずだ。いや、俺が、なんとかしてやめさせたりはしない。あいつは、なかなか味のある人間だ」
鈴木先生は、しばらく宙を見つめ、何かを考えているようだった。自分のデスクに、ゆっくりと戻り、飲みかけのブランデーの匂いのする紅茶をゴクリと飲み干した。
「さっきまで、俺が三田に会って、話をしようと思っていたのだが・・・
西島、お前、三田のところに行くつもりだよな。俺が行くとガミガミと喋り出し、場合によっては、また殴ってしまうかもしれん。こういう時は、まず、しっかりと話を聞いてやる事が大切だ。俺は、頭ではわかっていてもな手が出てしまう性分だ。お前が行って、あいつの言い分をよく聞いて見てはと思うのだがどうだろう」
僕は、もちろん三田のところへ行くつもりだった。
「わかりました、まず三田のところへ行って見ます」
午後の授業が終わると僕は千代田線の根津に行き、鈴木先生に教えてもらった住所の新聞店を尋ねた。
「こんにちは、少々、お伺いしたいのですが・・・」
中から五十代と思われる、体格の良い男性が現れた。
「僕は、三田君と同じ高校に通っている西島と言います。三田君が、こちらでお世話になっていると聞きましたが、今、いるでしょうか」
「三田君は、今はいないよ、今日の夜には戻るはずだけど、どうする?」
「わかりました、また来ます」
新聞配達店で待つのも気が引けたので、根津の駅であいつを待つ事にした。根津駅の改札から新聞配達店側の地上手口を出ると不忍通りである。
不忍通りの歩道に沿ったガードレールに腰をかけると、あいつの居場所を突き止めた安心感と、雨の中その羽根を濡らしている雀のような落ち着きのない気持ちが訪れていた。
あいつを待つ間に、何度も優しく湿った風が通り過ぎ、あいつが、どんな顔をして、現れるのかを想像していた。何度も、梅雨の合間の薄い青色の空を眺めた。
そして、待つ事が生み出す希望のような何かを感じ初めていた。あいつに会ったら僕は、何を話したら良いのだろう。新聞配達を、やめて家に帰るように説得するのだろうか。あいつのためになることを言ってやりたいとは思うのだが、何が、あいつのためになるのか、はっきりとはわからなかった。二時間程、待っていると地下鉄の階段から三田が歩いて来た。
「三田」
「おお、なんで、お前がこんなところにいるんだ。そうか、俺を探してくれていたのか。ワリィな」
「家出をしたと聞いたぞ、少し、心配した。話す時間はあるか」
「ああ、大丈夫だ。ただ、あまり金がないから、そこの吉野家でビールでも飲もう」
吉野家で、牛皿と御新香をとり、ビールの中瓶を二人で三本、注文した。
「この二日間、どこにいたんだ」
「中学校の時の同級生で高校に行かず、働いているのがいてさ、そこに泊めてもらった。そいつは、中学を卒業すると寿司屋で働き始めたんだ、高校生とは違って自立心が旺盛でな。考え方として、参考になる事が多くある」
「前にも、そいつのこと、聞かせてもらった記憶があるな」
「人が、自立をして生きる事の大切さを、そいつは語るんだけどな・・・
中学時代、そいつはお母さんと二人暮らしでさ、父親は離婚をしていないそうだ。母親は、働いて、そいつを中学まで育てた。母親は、そいつを大学まで行かせようと思っていたらしいのだが、そいつは大学進学にはリアリティを持つことができなかったようだ。自分が自立し、母親に心配をかけない状態に早くなりたいと考えたらしい。中学を出て、寿司屋で働けば、まず経済的に自立ができる。自分の腕を磨き、お金を貯めれば自分の店を持つ事も具体的な夢となって行く、そこには、何かしらのリアリティがあると、そいつは言うんだ」
「なるほど、確かに、高校の授業って、やつは退屈で、リアリティのないことは、よくわかる」
「まあ、そいつの影響を受けたわけでもないのだが、俺らと同じ年でさ、自立しているのがいるのだから、俺が自立しても、おかしくはないよな。家出をしたのは、衝動に駆られたわけではなく、自分なりの理由というものがあるんだ。親や先生からは未熟だと、言われてしまうかもしれない。ただ、拙いかもしれないが、俺にとっては、自分なりの真実があって、俺が生きて行くための手がかりなんだ」
「雲取山の一件で揉めたと、お前のお母さんから聞いたけど」
「それは、きっかけだったかもしれんな。毎日、飯を食わせてもらい、高校にも行かせてもらい、小遣いまでくれているのに生意気かもしれんが、自分のことは自分で決めるのが、自立の第一歩と、俺は思うんだ」
やはり、あいつは、僕よりも数段、大人でいることがハッキリと理解することができた。自分が、段々と惨めな人間に思えてくる。
「明日は、新聞配達のレクチュアを受ける。高校生で授業があるだろうから朝刊の配達だけで良いと店長に言われている。三度の食事と、小遣い程度の給料を毎月もらうことができる。それに加え新聞配達の奨学金制度というのがあってな、年度末に少しまとまった金がもらえるらしい。大学受験はもちろんするつもりだ。今日は実家に戻り、勉強道具を送ってもらう段取りをつけて来た」
「両親は、納得しているのか」
「父親は、仕方ないと思っているが、母親は、どうだろうな。心配させて申し訳ないとは思うのだが、さっき説明したようなことを母親が、すぐに理解できるとは思えないな。結果を出すしか、ないのだと思う」
僕は、三田の話を聞きながら、自分が自立ということを真剣に考えた事がないことに思い当たった。自分の事は、自分で決めるのだ。言われてみれば、その通りなのだ。高校生だからといって退屈な授業を批判し、甘んじるのではなく、自分の何かを自分で決めて行動しなければならないのだ。
「西島、どうした。なんかぼんやりして。何か、俺に言いたいことがあれば言ってくれよ」
「いや、お前の考えが、その通りだなと思い、少し自分を恥じていた。俺はとりあえず、お前に会ったら家出を引き止めるべきなのか少し悩んでいた。要するに、引き止めることがお前のためになるのかという事だ。ただ、今のお前の話を聞いて、止めるべきではないように感じている。結果は、どうなるのかわからないが」
「目先の結果で判断しようとするから不安になったり、わかりにくい事をするようになるのかもしれないな。自分の考えた事を自分が、良しとしたら、それが一番の答えだと俺は思う。あの時、ああしていたらと考えるような生き方は、したくないんだ。自分で決めたのだから、まあ仕方ないかと思えるような人物になりたいと思う」
「三田、よくわかったよ。新聞配達しながらの受験は大変だと思うが、頑張ってくれ。俺も刺激を受けたな、負けていられないな」
「朝刊の配達をするのは毎朝、四時に起きなければならない。高校に行き、その後新聞配達店にある自分の部屋で勉強をする。だから、しばらくはお前とゆっくり話すことも少なくなるが、許してくれ。それと、結果として雲取山に行くことはできないことになる。俺から誘っておいて申し訳ないと思うが、お前はきっと理解してくれると思う」
「まあ、気にするな、大学に受かったら、是非、二人で雲取山に行ってみよう」
三田の話を聞き、自立という言葉が引っかかっていた。三田が行かなくなったから、俺も雲取山に行かなくなるのは、俺こそ、自立してないからではないだろうか。これ以上、三田との差を広げたくない。差を縮めるには、一人で雲取山に行く事が、答えのように感じ始めていた。あいつが、ビールを二本、追加した。
「三田、雲取山なんだけどな、俺一人では、無理かな」
「特に山の経験がなくても、夏山なら行けない事はないと思う。ただ、状況の判断ができるかだな。例えば、天気が悪くなって雷がなり始めたら、山の上は危険になる。その時、経験がないと判断ができないかもしれんな。そいう意味では、あまり勧められんな。ただ、さっきの話ではないが、それはお前が決めろ。明後日、学校に行ったら雲取山の地図とか必要なものをお前に渡しておくよ」
その日は、根津の吉野家で小一時ほど話し帰った。帰り際に三田は僕に
「心配かけてすまんな、ありがとう。会えて嬉しかった」と言った。その晩は気持ちが、すっきりとしたと同時に、自分にも何らかの可能性のようなものを感じることができ、よく眠ることができた。翌日の朝、少し長く走ることにした。走りながら、雲取山に一人で行くことを考え始めていた。地図があって雲取山荘の予約をすれば、あとは何とかなるのではないだろうかと。その日、少し早めに学校に行き、鈴木先生に三田とあって話をしたことを報告した。
「何・・・新聞配達しながら受験するのか。うーむ。まあ、あいつらしいといえば、そうかもしれんな。ただ、お母さんは心配だろうな」
僕は、鈴木先生に、三田は、お母さんを心配していて結果を出して答えたいと行っていた事を告げた。
「よし、わかった。お前は三田のサポートをしっかりとしてくれ、何か困ったことになったら、必ず俺に相談しろ」
その日、三田のいない教室で退屈な授業を、寺にある鐘の音の余韻のように、ぼんやりと聞いてはいたが、ほとんど耳に入らなかった。雲取山に一人で行くことについて、考え始めていた。仮に行かなかった場合、自分の精神状態が今より卑屈になっている事が、容易に想像できたからだ。行かなかった時の自分が、もう一人の自分に言い訳し、自分が分裂して行く姿を容易に想像することができ、何か漠然とではあるのだが恐怖を感じていた。
思考は、少しずつ失敗したとしても行くべきではないだろうかに傾きつつあった。卑屈な自分と決別するために・・・
帰りに、一人で喫茶モナに立ち寄る。席に座ると、足早に絵美さんが注文を取りに来た。
「アイスコーヒーをお願いします・・・あと、少し話しても良いですか」
「ええ大丈夫だけど、オーダーを入れに行くから、少し待ってくれるかな」
絵美さんは、マスターにオーダーを入れると、僕のいる赤いシートの前に立っていた。
「実は、三田の奴が家出をしたんです。この前、絵美さんも誘っていた雲取山の事が、きっかけらしく、新聞配達屋に住み込みで働き、大学受験をするようです」
「まあ、それは、びっくりだわ。三田君らしいとも思うけど。ご両親は、心配でしょうね」
「そうなんです色々と大変で・・・
ただ、なんと言うか、あいつは自分のしている事に、ある種の自信があるようで、少し羨ましいと思っています。自立と言う言葉を使っていました。つまり、なんと言うか自分は自立できているのか、自立しようとしているのか、それすら怪しくて、なんか腹立たしく思ったりするんです」絵美さんは、僕の目を見ながら、黙って僕の話を聞いてくれていた。
「うまく説明できないのですが、一人で雲取山に行く事が必要かもしれないと考えるようになりました。三田なしでは自分は、何もできない存在になりたくはないんです。初めて、そんなふうに気がつきました。僕は山など行った経験がなく不安もありますが、もっと、閉ざされた自分でなく、開かれた自分になるべきかもしれないと思うのです」
「わかった、きちんと説明してくれて、ありがとう。つまり、軽井沢には行けないと言う事ね」
「はい、そうなんです。とても、残念な気持ちも多分にあるのですが、今の僕は体力もつけなければならないし、山の事を勉強しなければならない。だから心に余裕がなくて」
「でも、西島君、昨日までの、あなたと少し違う印象で、少し素敵な感じがするわ。うまく説明できないけどね」
絵美さんは、僕の言ったことを理解しているようで、可愛いタレ目の目尻が少し下がり、暖かな表情を与えてくれた。まるで幼稚園の先生が、子供をあやすように
「それでは、私は軽井沢に一人で行く事にするわ。友人には、見せつけられるでしょうけどね。悔しいから友人の彼を誘惑してみようかしら」
「他の人に声をかけることはしないのですか」
「西島君、私って、そんな尻軽な女だと思っていたのかしら。だったら少し悲しいかな」
マスターが、アイスコーヒーを二つ持ってきてくれた。
「ごめんなさいマスター、バイト代から引いておいてください」と言って、僕の正面の赤いシートに座り、アイスコーヒーを一口すすった。いつも優しい表情をしているマスターは、カウンターでにっこりと微笑み下を向いた。
「男同士の友人って羨ましいわ。あなたの考えている事とても素敵よ。三田君も素敵だわ。大学に合格して心の余裕ができて私を覚えていたらでいいの、連絡してくれるかしら。私、その時の西島君が、どんなふうになっているのか見てみたいの」
僕は、気持ちが高ぶり、絵美さんが放つ虹のような神々しさに包まれ、今までに感じた事のない高揚感が自分の中に生まれていた。絵美さんは、僕の目をしっかりと見つめている事を感じていたのだが、どうしてだろう・・・僕は目を合わせることができなかった。
多分、絵美さんの心を受け止められない未熟な自分に気がついていたのかもしれない。
自立して、絵美さんの心をしっかりと受け止められる男になりたいと思った。そして、ある種のリアリティというのだろうか、何か今まで感じたことのない真っ直ぐな感情を自分の中に感じていた。
一人で、雲取山に登ろう・・・

翌日、三田が学校にいた。朝の新聞配達を済ませ授業を受け、昼休みに喫茶モナに誘ったのだが・・・
「悪りぃ、眠くてな。少し眠りたいので、一人で行ってくれないか。それと、雲取山の地図と30Lのザックを持って来た。一応、預けておく・・・で。どうするつもりだ」
「少し、俺なりに、考えてな。一人で雲取山に登ろうと考えている」
「そうか、気をつけて行ってくれ。良い山行になる事を願っている。それじゃ、少し眠らせてくれな」
「おう、わかった」
僕は、高校の前にあるパン屋で、あんバタとサラたまを二個ずつ買い、その内の一個ずつを三田の寝ている机に置いておいた。三田は、小さな寝息を立て、気持ち良さそうに眠っていた。午後の授業が終わると三田は
「西島、新聞屋の生活は不慣れだし何かと慌ただしくてな。あまり時間がないが、駅まで一緒に帰りながら少し話そう。昼にパンを買ってくれたのはお前か。気を使わせて済まない」
僕たちは、高校の正門を出て、駅に向かって歩き始めた。
「朝四時に起き、前日に用意した新聞を配達に行く。俺の担当はT大のキャンパスにある研究室のいくつかと、T大近くのマンションなどになる。俺は当面、自転車での配達なので三十件ほどを二時間ほどかけて配達し、そのあと朝食をとり、学校に来た。
今日は、この後、新聞配達店に戻り自分の時間を取れるので勉強するつもりだ。夕食後に朝刊が届いたら翌朝の配達の準備をしてから眠る」
「そうか、大変そうだな。配達店の人は、どんなだ」
「まだ、よくわからないが、店長は気さくで良い人だと思う。昔、柔道を志していたようで、なんとかというオリンピックメダリストと戦って敗れたことがあるらしく、自慢話をしていた。家出をした経緯を話したところ、妙に気に入られたようで、応援するから、受験を頑張るように言われている」
「そうか、それは、良かったな」
「新聞配達店に住み込んでいるのは、地方から来ている大学生の他に少し変わった人物がいる。国家公務員上級職の官僚をやめて来た四十台のおじさんだ。公務員の職場上司と合わなかったらしく、新聞配達が天職だと言っている。ところで、雲取山はどうするんだっけ」
「お昼に話した通り一人で行ってみようと思う。なんというのだろう、お前が、そうやって新聞配達をしながら受験をする。お前は、どんどんと自分の道を切り開いてゆく力があるよ、なのに俺は何も一人で、出来ないのは嫌なんだ」
三田は黙って話を聞いていた。
「お前は、俺よりも先を歩いているような気がする、俺よりも心が閉ざされていない。外に向かって心を開いていると思う。俺も、そうなりたいと思っている」
「お前、何を言ってるんだ、大した事ではないよ。ただ、お前より少しアホなだけだよ・・・ただ、よくわかった。山の準備で、わからないことがあったら相談してくれ。良い山行になることを祈っている。ただし無理はするな。仮に山頂にたどり着けなくても山は、必ず何かをお前に与えてくれるはずだ」
高校近くの駅で三田と別れた。家に帰り三田から預かった雲取山の地図を広げて見た。地図を広げ雲取山に行く事を具体的に考え始めていた。奥多摩駅から石尾根を登り、鷹ノ巣山までおおよそ六時間。さらに七ツ石山、小雲取山を経て雲取山の山頂までは三時間ほどの行程である。地図の裏側に“登山装備表”があり、夏の雲取山に必要なものをリストアップした。また、雲取山荘の電話番号もあったので予約はできそうであった。自分なりに計画書を作成し、三田に確認をしてもらおうと考えた。こうして、僕らは別々の道を歩み始めていた。
あいつは新聞配達と受験勉強の二刀流に自分でなんとかペースをつかむべく?き。
僕は山を通じ、初めての自分で決めたチャレンジに向かっていた。以前と比べ、あいつとの会話は格段に減ってしまったのだが、日々逞しくなるあいつの表情が僕には刺激になっていた。夏休み前の、ある日に鈴木先生から授業が終わったら教員室に来るように言われた。
「西島、お前、大学受験の希望は、どうなった」
「はい、前回の面談で、お話しした内容と変わっていません。生物関係が希望ですが遺伝子組換え技術に興味があります」
「そうか、俺は政治経済の教師でな生物は不案内だ。この学校の理科系の先生に遺伝子組換え技術を学ぶ事ができそうな大学を聞いて見たのだが、よくわからなかった。ただ、化学の根本先生いるだろ、彼は勉強熱心で何か調べてくれると言っていた。明日にでも、根本先生の都合を聞いて尋ねてみては、どうかな」
最近、山の事ばかりを考えていたので、受験については、あまり考えていなかったので、鈴木先生の言われる通り、翌日に根本先生の教員室を訪ねた。
根本先生は化学の教師で四十代後半、すでに髪はハリネズミのような白髪をしている。一見すると神経質そうに見えるが話し方は、丁寧で言葉を選びながら授業を進めていた事に僕は親しみを覚えていた。僕らは、陰で“ネモル先生”と読んでいた。
教科書に書かれた内容以外に、先生が自分で読んだ科学に関する本の内容を話す事もあり根本先生自身が化学の教師としてだけでなく、科学というものに、ある種の興味を持っていることが想像できた。
生命の起源はコアセルベートという油的のような物質であり、そこに存在するアミノ酸プールから生命現象が始まったとするオパーリンの説とか、DNAは地球上にあったのではなく隕石と共に地球外から持ち込まれた可能性があるなど、興味深い話を聞かせてくれ、刺激になっていた。
根本先生の教官室を尋ねると。先生は自分のデスクで緑茶をすすっていた。鈴木先生とは違いブランデーの匂いはしなかった。
「根本先生、1ホームの西島です。鈴木先生から、こちらに来るように言われましたので来ました。今、よろしいですか」
「ええ、鈴木先生から、聞いています」
根本先生は、自分のデスク近くにある丸椅子を引き寄せ、僕に勧めた。
「まあ、座りなさい。大学進学で遺伝子関係の講座を希望していると聞きましたが・・・」
「はい、そうなんです。僕は、生物の現象に、興味があります。どうして、人間は食べなければならないのだろうかに始まり、なぜ、美味しいものを食べたくなるとか。野鳥が綺麗な鳴き声を放つ必要があるのかとか、どうしてシャケは生まれた河川に戻るのだろうかとか数えれば霧がありません。そして、なんとなくそれを眺めているというより、どうして、そうゆう事が起きるのか、つまり現象について理解することに夢があるように感じます。数年前、新聞で米国の研究者が遺伝子組換えに成功したと書かれていたのを覚えています。具体的に何がすごいのか、よくわかりませんでしたが、何となく未知のものを感じ、とてもワクワクしたことを覚えています」
「うーむ、それはおそらく、スタンフォード大学のボール・バーグ博士のことだろう。それまで、他の生物のDNAを他の生物内で、その機能を発揮することはできなかったのです。しかし、1972年に彼はウイルスのDNAを用いて、それを実現しました。画期的な成果で、数年後にはまず間違いなく、ノーベル賞を受賞することになると言われています。ただ、生命現象をヒトがコントロールする技術として発展する可能性があるのだが、その安全性や危険性も、多く指摘されています。例えば、生物兵器の製造とかクローン人間の製造に繋がる技術とされていてね。アインシュタインの相対性理論が原爆の開発に貢献してしまうような可能性だな」
「先生が、今、説明された事は、日本の大学では、どこで学ぶことができるのでしょうか」
「そうですね、僕も、正確なところは、わかりませんが、遺伝子組換は技術なので、具体的には、そのベースであるDNAそのものを学ぶ必要があります。分子生物学という学問領域が、君が興味を持っている領域に近いと思います。ただ、日本の研究はこの分野では遅れています。今、若い優秀な研究者を欧米にある実績のある大学や研究機関に派遣し、技術を導入している最中にあると聞きました」
僕は、分子生物学、ポール・バーグという文字をノートに書き込んだ。根本先生の話は、僕を興奮させるものがあった。米国は戦争だけでなく、科学の分野でも日本を凌駕しているのだということが理解できた。学校の帰りに本屋に立ち寄り、受験生に大学の概要を紹介する赤本なるものを立ち読みし、分子生物学を勉強することができそうな大学を探した。
いくつかの大学に分子生物学の授業が受けられそうな大学があったのだが、どこの大学も難関校ばかりであった。その中でも、比較的偏差値が僕の現状に近かったのは、北海道にあるH大学だった。近いと言っても、実際には相当な乖離があるはずなのだが。ただ北海道という響きに心が踊った。とりあえず赤本のH大学を手に取り、カウンターに歩いた。カウンターの近くに、山と渓谷の今月号が並んでおり、表紙には“北海道の屋根、大雪山を歩く”の見出しに惹かれ、こちらも一緒に買ってしまった。何か運命の糸が動き始めたのかもしれない。
夏休みまで、あと数日となった梅雨空のある日、学校で三田に話しかけられた。
「西島、明日の夜は空いているか。明後日、朝刊の休刊日なんだ、久しぶりにおでんやに付き合え」
「俺は、大丈夫だ。そうか新聞の休刊日というのがあるのか、明後日から夏休みだし丁度良いな」
三田は、少しずつ新聞配達の生活に慣れてきたのだろう。昼休みに一緒にコッペパンを買いに行き、教室で食べ三十分ほど机で寝ているのが普通で、僕はその時間が暇なので本を読んだり、勉強をするようになっていた。遺伝子組換技術を開発したポール・バーグの書いたものや山と渓谷などを読んでいた。ポール・バーグの本には、ウイルスとかDNAとか制限酵素などの言葉が出てきた。DNAくらいは、生物の教科書にもあったのだ、制限酵素とかウイルスとはなんなのか言葉がよくわからなかったのだが、未知なもの・・・可能性らしい何か・・・不思議な高揚感がそこにはあったのだ。明日は三田と、おでん屋に行くので夏休み前に絵美さんに挨拶をしておこうと考え喫茶モナに立ち寄った。席に座ると絵美さんは見当たらなかった。マスターが
「今日は、絵美ちゃんは、休みだよ」
「そうですか、明後日から夏休みで、しばらくお店にくることができません。絵美さんによろしく伝えてください」
「うん、わかったよ、夏休みはどうするの。三田くん新聞配達しているんだろう」
「はい、受験勉強もあるし、何しろ志望校を決めないと。それから、一人で奥多摩の山に行くつもりです」
「山か、それはいいね」
「帰ったら、写真でも見せてよ」
絵美さんの様子を聞きたかったが、やめておくことにした。その当時の都立高校の夏休みは七月中旬に始まるのだが、まだ、その頃は梅雨空が偉そうに居座っている季節になる。
三田のアドバイスもあり、7月下旬の平日に雲取山に行く事にした。この頃は梅雨明け十日というらしく山でも晴天が続くとされているようだ。雲取山荘に予約を入れ、もう後戻りはできない気持ちになっていた。毎朝のトレーニングは多少効果があったようで毎朝、雨の日も休むことなく走った。どのくらい体力がついたのかは定かではないのだが毎日、自分が決めた事を繰り返す事で今までと異なる内面の変化に気が付き始めていた。自分が決めたことを行動する事で不安な気持ちが萎んでいくような感覚があった。
夏休み前の一日が始まった。まだ、梅雨明けはしていなかったのだが、その日の朝は久しぶりの青空の中をいつもの公園まで走った。都会にいるカラスは相変わらず、狡猾で意地汚く騒々しいのだが、青空のためか気にはならない。早朝、公園に来る歳を重ねた方々は、相変らず、楽しそうに時間を過ごしているように見えた。歳を重ねる事に少し興味を持った。授業が終わると鈴木先生が教室に入ってきた。
「おい、みんな、少し聞いてくれ。明日から夏休みだ、あまり羽目を外さんでくれな。お前たちが、補導でもされると、俺は始末書を書かないとならなくなるんだ」
クラスの多くが笑っている。
「だがな、受験勉強もあるだろうが、高校生最後の夏休みだ。良い休みになることを祈っている。
俺からの宿題は休み明けに面談をやるから、その時点の志望校を聞かせてくれ。それでは、これで解散だ」
鈴木先生は、少し赤ら顔で上機嫌だった。おそらく、また紅茶にブランデーを入れて飲んでいるのだろう。僕たち二人は、鈴木先生の言葉を聞くと直ちに下北沢のおでんやへ向かった。
店に入ると・・・
「倅、ご苦労である。あれ久しぶりだな、暫く顔を見なかったから心配したぞ」
「すいません、色々と込み入った事情がありまして」と三田が、新聞配達をしながら高校に行っていることを説明した。
「それで何を血迷ったか、西島は一人で奥多摩の雲取山に登ろうとしているんです。山に行った事がないのに、なんか粋がっているんですよ。お父さん、なんか言ってやってください」
「そうか、でもな、いい話でもあるな。若い時って、そうやって粋がるものだな。俺は、この年で粋がっているけどな。さすがは、俺の倅だけの事はある。気に入った二人に、生ビールを一杯ずつ、ご馳走してやる。ありがたく飲みやがれ」
「ありがとうございます」と二人で中ジョッキに手を合わせた・
「ところで西島、お前、大学の志望校は決まったのか」
「まだ、確定していないのだが、H大学が候補になっている。この前、鈴木先生に言われて化学の根本先生のところに相談に行ったら、分子生物学というのが俺の、興味に近い分野との事だった。探したらH大学では、その授業を受けることができるようだ。それに加え、北海道の山にも少し興味が出てきている」
「北海道の山は、いいぜ。俺もまだ行った事はないが、親父は若い頃北海道の山に行った事があるらしい。大雪山、日高山脈、知床連山などの話を聞いたことがある。大学に受かったら一緒に行ってみようぜ。ただな、北海道の山には、ヒグマというでっかいクマが生息していてな。たまに遭遇して食われてしまう事故があるようだ」
「そうか、お前の方はどうなんだ、新聞配達には慣れたのか。学校では、いつも眠たそうにしているが」
「そうだな、少しずつではあるが慣れてきた。まずは新聞を配達しなければならない、仕事である以上、責任という事があるからな。いい加減な仕事はしたくないんだ。俺が間違って配達すると俺が高校に行っている間に店長が謝りに行くことになる。実は二回程、店長に迷惑をかけた。だから、それなりに神経を使うんだ」
「なるほど、大変だな」
「ただ、仕事の段取りがわかってきたし、体も慣れてきている。ただ、今の所、勉強は店では一時間程度しか取れていないな。まあ、明日から夏休みだから、なんとかするさ。それから、雲取山の準備はどうだ」
「お前に教えてもらった通り、一通り準備はした。少し不安なのが体力かな」
「まあ頑張ってくれ。帰ったら連絡してくれ、軽く祝杯をあげようぜ」
食べ頃の巾着にかぶりつくと、白滝と餅から昆布の出し汁が染み出し、口の中が、おいしさで溢れる。三杯目の生ビールを飲み干すと三田が
「この前も少し話したけど、新聞店に国家公務員を辞めた、おっさんが、いるって話したよな。小原さんというんだけど、なかなか面白い人物だ。彼は、T大法学部を卒業後、大手自動車メーカーの主要部品メーカーに就職したらしい。二年後ヒマラヤのなんとかいう山の海外遠征に参加し、半年休職を申請したそうだ。上司の理解がなかったらしく、自己都合退職ということに落ち着いたそうだ。登山は成功を収め、日本の登山の歴史を変える成功なので、新聞などでも報道されていたらしい。遠征後帰国し、国家公務員上級職の試験に合格し通産省に入省した。
彼は、省庁の縦割り行政の非効率的な部分に悩まされ何より税金の使われ方が納得できなかったようだ。出所は国民の税金であることは明らかだよな。ただ大蔵省が、その税金を分配するのだけど、各省庁が予算を取るための折衝というプロセスを経ると国民の税金という概念は相当に薄まる。各省庁の各担当の俺の金になってしまうと彼は感じたらしい。
予算を余らせるのは官僚にとって悪らしく、とんでもないところにお金をばらまかなければならない。これをハイエナのようなゾンビ企業が漁りに来るのが小原さんは、たまらなく嫌だったと言うんだ。民間企業の場合は、予算が余ると召し上げられ何とかして年度末に利益を計上するために必死になるらしい。だけど官僚の世界では、そうではない理論が歴然とあるらしい。大蔵省から勝ち取った予算を残すことは悪でしかないようだ。小原さんは、官僚のやり方に嫌気がさし退職し、今の新聞配達店で働くようになった」
「そうか、お前は、いろんなことを知るようになっているな。国家公務員の上級職といえば相当なものだよな」
「そうだよな、彼は給料は少なくても今の生活つまり新聞配達でもらう僅かな給料で飲むビールが今まで飲んだビールの中で最もうまいというんだ。肉体的にも精神的にも健全だというんだな」
「なるほど、でも四十歳を超えて、将来の不安みたいなものはないのだろうか」
「小原さんは、今を大切に毎日を生きていれば、きっと良くなるようになると思うと言っているな。ずっと、新聞配達をしているかはわからないが」
「そうか、一つの考え方かもしれないな。確かに自分の力の及ばないところについて、あれこれと悩むのは、馬鹿げたことかもしれない。自分が出来るところを、しっかりやることが大切な気がする。なかなか面白そうな人物だな、機会があれば話を聞いて見たいな」
「そうだな、機会を探ってみるよ」
明日は、朝刊の配達がないので、久しぶりに三田と夜遅くまでビールを飲んだ。
僕も、明日からは夏休みなので、勉強の計画を立て、雲取山の準備をしなければならない。

それから数日後、雲取山に、一人で出発した。早朝、下北沢駅から井の頭線で吉祥寺まで行き、中央線に乗り換える。夏休みとはいえ平日なので下りの電車は比較的すいている。立川で青梅線に乗り換えると一段と客は減り、十分に座れるほどになる。青梅を過ぎ暫くすると列車の左側に渓谷が見えてくる。深い緑が夏の日差しを弾き、昇華している。
清流が岩を縫うように流れ、白い泡が続く様を車内から見た。これが、きっと多摩川の上流なのだろう、普段見ている小田急線の鉄橋から見る多摩川とは別の川のようだ。
奥多摩駅の少し手前にある鳩ノ巣駅は、緑に覆われており静かな佇まいをしていた。
東京に、こんな駅があるのか不思議な思いがした。山登りなどしないで、のんびりと渓谷を歩くのも楽しそうに思えた。窓を開けると都内とは異次元の爽やかな風が吹いていた。
まもなく、僕の乗っている電車は奥多摩駅に到着した。奥多摩駅では、平日にも関わらず、多くのバスを待つ登山者で賑わっていた。大学生らしい数名のパーティ、年を重ねた夫婦、少しとんがった雰囲気の単独者、中高年のグループなど様々な人種が奥多摩駅には集まっていた。多くの人達が、奥多摩駅前にあるバスターミナルで日原行きとか鴨沢行きと掲示されたバスに乗り込んでいく。ここは、多くの登山ルートに足を運ぶことが出来るようである。
僕は駅のトイレで小便を済ませ、近くにあるベンチで持ち物を確認した。防寒具のセーター、雨具、ヘッドランプ、エバーニューのポリタンク(水筒)、ポケットティッシュ三個、母が作ってくれたお弁当、行動食のせんべいとチョコレート、日焼け止め、タオル、虫除けスプレー、カメラ、着替えの下着など。飲み物をもう少し買い足しておこうかとも思ったのだが、荷物を軽くする方が得策と考えた。
僕の装いは、上から、麦藁帽子、速乾性オーロンのTシャツの上にカッターシャツ、下ジャージ、靴はNew Balanceに夏山用の少しウールが入った靴下を履いた。地図で石尾根の登り口を探しながら歩いた。奥多摩駅から青梅街道まで百メートルほど下り、信号機を右に曲がり氷川大橋を渡り、日原への道と分かれ少し歩き、郵便局の手前を右に曲がると石尾根の登り口とへと導かれて行く、しばらくすると羽黒三田神社に着く。
この神社は平安時代の武将であった平将門の子供とされる平良門が起こし、羽黒大権現としたとされる。
さらに、室町時代に平将門十六世にあたる三田弾正が社殿を再興したとある。三田氏は奥多摩一帯を収めていたらしい。三田のやつは、この家系なのかもしれないと、不思議な巡り合わせを感じた。三田のご先祖様が、祀られているかもしれないので二礼二拍手一礼をした。
“なんとか、無事に雲取山まで行けますように”
あまり金の持ち合わせがなかったが、財布にあった小銭をかき集め七円ほどを奉納した。賽銭を投じたことで気分が少し良くなったように感じたのは、思い上がりであるかもしれなかった。
平将門は、高校の歴史の教科書にあったような気がするが悪いことをして討たれたのではなかっただろうか、よく覚えていない。三田羽黒山神社を過ぎると、山道らしくなってくる。真夏の空は、どこまでも青く日差しは容赦なく強烈である。ただ、森の木々は涼しげな風を生み、僕を守ってくれているようにも感じることができた。
三十分ほど歩くと、もう汗が顎から滴り落ちている。脹脛に張りを感じ、すでに体が水分を要求し始めている。先はまだまだ長い道のりであるのだが木陰の優しさを感じる事ができる朽ちた木の根に、腰を下ろし水を飲んだ。毎朝、公園まで走っていた時とは、噴出している汗の量が格段に異なっている。公園へのトレーニングの時には、脹脛の張りなど感じたことはなかった。陽射しは、益々勢いづき、僕を懲らしめるようでもある。だが、僕も、そう簡単には、負けるわけにはいかないのだ。あいつにも負けるわけにはいかないし何よりも自分のために歩くのだ。何か、自分に中に潜む、もう一人の自分が、歩いた方が良いと、後押しをしていた。噴き出す汗の量は、今までに見た事もなく少し驚いた。人は、こんなにも、汗をかくことができるのだという発見である。唯一の救いは、小一時間も歩くと歩くペースを掴みつつある事である。心臓が嫌がらない程度の歩幅で歩くと休みなく歩けそうな気がした。景色を眺める余裕はないものの、たまに森を吹き抜ける風が気持ちよかった。ザックは肩に食い込むのだが、慣れてくるとそれほどの苦痛ではなく、左右のバランスが取れていないと修正するようにした。
歩き始め三時間程で将門馬場という平坦な草原に着く。それほど密でない林の中で風が渡っている。平将門が馬に乗っていたのだろうか、平坦な草原を息を整えながら歩くと気持ちの良い空間がそこにはあった。見晴らしはそれほど良くはないのだが腹が減っており、少し早いのだが母が作ってくれ弁当を食べることにした。おにぎりが四つ入っており、海苔が巻かれているのが二つと、トロロ昆布が巻かれているのが二つ・・・
僕は、母の作るおにぎりのトロロ昆布を巻いたものが好きだった。それぞれシャケと梅干しが入っている。おかずとして鳥の唐揚げ、とうもろこしの四分の一を茹でたものが一切れ入っていた。雲取山荘まではまだ遠く、トロロ昆布のおにぎり二つと唐揚げなどのおかずを食べた。まだ海苔のおにぎりは二つ残っている。母は今朝、僕を送り出す時に
「あなたのことだから心配してないけど、気をつけて行くのよ」と言って、深々と頭を下げながら見送ってくれた。少なからず心配をしてくれているような気がした。少し後ろめたさを感じながら、必ず家に帰らなければならないのだと自分に言い聞かせた。
おにぎりを食べると不思議と力が湧いてきた。単にカロリーのためか、母の気持ちであるのかはわからない。ただ、雲取山まで何としても歩かなければならない。
将門馬場を過ぎしばらして、大学生らしい男性三名のグループに抜かれその後も、いくつものグループに抜かれた。脹脛も腿も、パンパンに張っている。大した荷物を背負っている訳ではないのだがザックの重さを感じ始めていた。太陽と青空は、憎らしいほどに輝いていた。とにかく歩き続ける事で七ツ石山に到着する事ができた、ここまで約6時間。
ザックを下ろすと、体がふわりと宙に浮いたように軽く感じる。ポリタンクに入れた水を飲み、残っていたおにぎり二つを食べると少し気持ちが落ち着き始めた。
七ツ石山からは、いくつか重なる山稜が目に入って来た。
あの山稜は、どこまで続いているのだろう・・・七ツ石山の山頂直下手前に七ツ石神社なる神社があり、やはり平将門と狼に関係があるらしいことをうかがわせていた。七ツ石山を過ぎると雲取山まで二時間程となる。
広々した稜線を歩くのは気持ちが良く、奥秩父の重なる山稜と富士山の雄大な姿が目に入ってくる。谷底から吹き上げる風はこれまでに味わったことのない爽快感を感じた。カッコーの鳴き声が紺碧の大空に響き渡り、入道雲がソフトクリームのように成長しているのを、ぼんやりと見つめた。稜線歩きはこれまでの急登に比べ、格段に体力の消耗は少なく呼吸の乱れを感じる事がなく、尾根歩きというものを楽しみ始めていた。更に、この稜線をかつて狼が闊歩したのだと想像した。
確か日本においては、すでに狼は絶滅しているはずである。狼は野生動物の中では最強クラスの動物であると、どこかで聞いたことがある。かつて日本における野生動物の頂点を極めた狼と将門は、どんなやりとりをしていたのだろうか。
山の姿は将門の時代とそれほど変わっていないのかもしれないが、人は山に比べれば短命である。短命であったにせよ関東一円を収めた将門に思いを巡らせ時の流れの儚さを感じていた。七ツ石山で、遭遇したかもしれない、将門の亡霊と狼は、どんな会話をしたのだろう。
「お前も色々と大変だったな、俺についてこい、助けてやろう」と狼が言う
「かたじけない、狼殿がどのような方か存じ上げないのであるが、貴殿の立ち振る舞いに偽りを感じることがない。どうかお助け下さい」
狼に導かれ、平将門の亡霊がこの稜線を彷徨したのかもしれないと思うと、切なさと悠久の浪漫を自ずと感ずる事となる。
千年以上前に亡くなった将門と百年以上前に絶滅した狼に思いを残す浪漫の稜線。将門が目指した雲取山の先には何があり将門は彷徨したのだろうか。それとも理由もなく、ただ逃げる心のみで彷徨したのか。平将門という人物に興味を持つことになった。
小雲取山の登りにさしかかると風向きが変わり始めていた。ヒヤリとした風が稜線を渡り、僕の頬をようこそと怪しげに撫でる。紺碧の青空は幕をおろし、ソフトクリームのような積乱雲は、暗黒のカーテンに装いを変えサタンが支配し始めていた。
遠くの空で、“ゴロゴロ・・・ゴルル・・・”と低く不気味な音が聞こえ始めた。
しばらくするとポツリが一粒、時を待たずポツリが二粒と雨粒が落ち、僕の頭を濡らし始めた。雨具をつけると時を待たずに本降りとなった。先程まで見渡すことができた富士山や奥秩父の稜線は暗黒のカーテンに覆われ、姿を消していた。遠くに閃光を放ち雷が近くで鳴り始めていた。知らないという事は恐ろしい事で、その時は恐怖を全く感じてはいなかった。ただ雨足が強くなり、体が冷えて行くのにさほど時間がかからない事に驚いていた。腹も減って来たので残った行動食を食べたかったが、雨の中で食べるのは少し面倒だったので歩き続ける事にした。小雲取山の山頂を過ぎ、しばらくすると雨足は一層強くなった、雨具を付けても叩き付けるような大粒の雨がバシッバシッと音を立てていた。
その時、一瞬あたり一面が真っ白に光った。爆発のような“ドスン”という音が、ほぼ同時に聞えた。雷が近くに落ちたのだと本能的に理解をした。恐怖からなのか雷のエネルギーのためか、わからないのだが心臓の鼓動がバクバクと鳴っている。しばらくすると雨足は、多少弱くなり閃光は奥秩父の稜線に移ったようでもあるが、再びこちらに落ちないとも限らない。どうしたら良いのだろう。
三田は、もし雷に遭遇したら高いところを避けて避難するように言っていた。登山道から百メートルほど下ったところにある唐松林で一息ついた。唐松の葉で雨を避けることができたので、板チョコを三分の一ほど食べると少し元気を取り戻した。
五分ほど木の陰にいると体が冷えてくるのを感じた。雨足に変化はないが、ここにいると危険を感じ、歩かなければならないと思った。そこから三十分ほど歩き、何か建物が見えた。まだ雲取山の山頂を踏んでいないので、雲取小屋ではないようだ。近づくと“雲取山避難小屋”と書いてあった。中に入ると土間があり、土間から上がったところに畳十畳ほどの板の間がある。人は誰もいなかった。
随分と体力を消耗している事に気が付き一休みすることにした。とりあえず雨具を脱ぎザックから乾いたタオルを取り出し体を拭いた。オーロンのシャツの中にタオルを入れ体を拭いた。麦藁帽子を外し、頭をタオルでかき回すように拭くとさっぱりした。腹が減っていることに気づき、せんべいを二枚食べたのだが二枚とも割れていた。しかし、割れているか否かは、もはやどうでもよかった。せんべいの旨味と弾けるような食感に、食べる事の意味を見出すことができた。体を拭き、板の間に腰掛け、土間に足を投げ出し、後ろに手を回し支え、どうすべきか考え始めた。
ここにいれば、とりあえず、雷に当たる事はないだろう。ただし、食べ物はもう残っていない、水もほとんど残っていない。寝袋も持っていないので、ここで、夜を過ごすのは自身がなかった。地図を広げると、雲取山避難小屋と雲取小屋は、それほど離れてはいない。雷がなければ、なんとか歩けそうなのだが、先ほど近くに落ちた雷が頭から離れず、恐怖心が、僕の心を支配していた。そんな事を考えていると、せんべいを食べたせいもあるのだろう、眠気が僕を包み、うつらうつらし始めていた。しばらくして、避難小屋の外から動物の鳴き声が聞こえてきた。

“ヒョーン”を二回ほど。
今まで聞いたことのない鳴き声が聞こえた、明らかに犬とは異なる鳴き声だ。すると避難小屋の入り口を“トントン”叩く音がする。小さな動物が、ぶつかるような音で、扉の下の方から聞こえている。人のノックとは明らかに違う、熊にしては小さい音と思った。避難小屋にあったスコップを持ち、恐る恐る避難小屋の扉を開けてみた。
そこには今まで見た事のない動物がいた。四つ足を大地に張り、凛とした姿をしていた。犬のようでもあるのだが眼光は鋭く、犬より体が一回り大きかった。人に媚びるような表情はしていない。ただ、何かを訴えるような目をしており惹きつけられる何かを感じた。僕は、その小動物の目に、偽りのない何かを感じた。その小動物は避難小屋を出た所を右に数歩、小走りに歩き、振り返り首を少し回すように上を向いた。まるで、こっちに来いと言わんばかりに。そして足早に、森の中に走りいなくなった。
そこで、眠りから覚めた。
小一時間ほど眠ってしまったのだろう。夢を見ていた事に気がついた。避難小屋の扉を開けると、あたりは暗くなり始めていた。雷の音はもう聞こえず、奥秩父の稜線が再び見え始め、雲取山の稜線と奥秩父の稜線にある谷間は雲海で満たされ、新たな山の美しさに触れた。時計をみると午後六時を回っていた。夢の中で、不思議な動物に出会った事で、なぜか歩く勇気を取り戻すことができた。僕はつぶやいた・
「あれは、狼だったのかもしれない」
僕は再び雨具をつけ、もう暗くなりかけていたのでヘッドランプを頭につけた。忘れ物がないか、避難小屋の内部を見渡した。少し休んだせいだろうか、気持ちは妙に落ち着き始めていた。避難小屋から少し歩くと、雲取山の山頂にたどり着いた。太陽は沈みかけており、すでに奥秩父連峰の陰になっていたがオレンジの色彩が山稜から溢れ、雲をオレンジ色に染めていた。あまりに綺麗だったので、ザックからカメラを取り出し、何枚も写真を撮った。雷は、どこに行ってしまったのだろうか。狼が、雷を退治してくれたのかもしれないと思った。狼と雷のやりとりを想像して見た。狼が言う
「おい、雷、そろそろ勘弁してやれよ、お間にも言い分は、あるんだろうけどさ」
雷は言う
「いや、少し、あの、せがれに、厳しさってものを叩き込んだほうがいいかなと思いましてね。そろそろ、あっしは引き上げますぜ」
そんな会話を想像できる空になっていた。僕は、今まで見たことのない神々しさに包まれていた。雲取山の山頂でしばらく、景色を眺めていると生きる証しである空腹に気がついた。雲取山荘まで、後わずかの距離であるはずなので山小屋への道を、ヘッドランプを頼りに雲取山荘に着いた。
「こんにちは、予約をしている西島です、遅くなりました」
小屋の玄関にある受付で
「いらっしゃい、雷大変だったろう」
「そうなんです、雲取山の登りで雷が近くに落ちたようでした、あたりが真っ白になって、なので避難小屋で、雨宿りをして遅くなりました」
「そうか、それは危なかったな。受付をするから、ここに記帳してくれるかな。料金は一泊二食で八千円だよ。夕食とおかずは、冷めてしまっているけど、食べて」
宿泊料金を支払うと大部屋に通され直ちに荷物をおき、雨具を干した。タオルで頭をふき、腹が減っていたので、食堂に行く。食堂前にある自動販売機で、ビールのロング缶を買い、食堂に持ち込む。小屋のおじさんが
「通常、夕食は五時からなんだ。おかずは冷めてしまったけど、ご飯と味噌汁は温かいよ。腹減っただろう、たっぷり食べてくれな」
おかずは、鳥の唐揚げ、ミートボールに高野豆腐が付いている。味噌汁には玉ねぎとわかめが入っている。腹も減っていたが、水分も相当に足りておらず、まずは缶ビールのプルトップを引き、吸い付くようにしてビールを飲んだ。少し、下品な飲み方で・・・
今まで、飲んだビールとは違う飲み物のように感じた。気圧のせいなのか、疲労のせいなのか、ゴクリゴクリゴクリと三口ほど飲むと、体が落ち着き始め、心に余裕が出てきた。
食堂を見渡すと、僕と、もう一人初老の男性が僕の斜め前で食事をしていた。
「雷、大変だったろう」
僕は、近くに雷が落ち、避難小屋で待機をした事を話した。
「避難小屋で、夢を見ました。夢の中で、狼が避難小屋の扉を叩き、僕を歩くように誘いました。なんか歩いても良いかなと思いました」
「ほー、それは面白い。この山稜は狼がいたのだよ、その昔ヤマトタケルが、東征でこの地を訪れた時に、道に迷い狼が道案内をしたという伝説があるんだ。俺は三峰神社の近くで生まれ育ったのでな、子供の頃からそんな話を聞かされていた。
明治時代頃までかな、この山にも狼はいたらしいな。機会があったら三峰神社に行ってごらん、神社の境内にいるのは狛犬ではなく狼なんだよ」
「ヤマトタケルは聞いた事あります。確か大和朝廷の発展に貢献した英雄だったかな。狼と日本の国の成り立ちが関係あるなんてロマンがありますね」
「あんたが、雷を避けて、ここに辿り着けたのも狼様のお陰かもしれんな。あっはっはっ。まんざら、そうかもしれんぞ。山では、何かと不思議なことが起こるんじゃよ。ただ、それを、たまたまの偶然と捉える人もおるが、わしゃ、そうは思えないことがたくさんある。山の神様が取り計らってくれるんではないのかな。わしゃ、そうやってな山の神様に命を預けて山に登っとるんじゃ。そうするとな山は怖いところでなく、優しさに包まれていることがわかるんだ」
「なんか、少し、わかるような気がします。何か運命を預けることってあるような気がします」
「まあ、そういう事だ。もちろん自分で歩こうとするのが基本だががな。お前さん若いのに、よくわかっているな。そういう奴は悪いことしたりせんのじゃ。悪い行いをしたら、必ず自分に返ってくると本能的に理解しているのかもしれん」
そんな会話をしながら夕食を食べ終えると、大部屋に戻り自分で布団を敷き眠った。始めての山小屋で気がついたのだが山小屋には風呂はないのだそうだ。上半身、裸になりタオルで体をよく拭き、着替えの乾いたシャツに着替えて布団に入った。風呂に入らなくても、乾いたシャツというものが心地よく、布団に入り、すぐに眠りについた。
翌朝、大部屋にいる人が支度をする物音で目を覚ました。日の出前ではあるが、窓の外は明るくなり始めていた。僕も、ゆっくりと布団を抜け出しタオルを持って洗面所で顔を洗う。玄関から外に出ると東京の街が眼下に広がっている。名前はわからないのだが、いくつもの野鳥の囀りが重なることで今までに聞いたことのないモーツアルトの交響曲が、そこにあった。空を見上げると雲ひとつなく、今までに見たこともない深く透明な湖の底のような青色がそこにはあった。昨日は、いろんな経験をし、自分の中に何か自信の兆しのような何かが芽生え始めており、よくやったなと自分を褒めてやりたかった。夕食で話した初老の男が言っていた言葉を思い出していた。
自分の力で、なんともならないものは、狼に任せれば良いのである。ただ、自分で歩こうとすることは必要であるのだと。雲取山に来て、自分の内面に何か小さな変化が訪れている事に気がつき始めていた。
小屋に戻り朝食を食べる。炊きたてのご飯に高野豆腐とわかめの味噌汁、玉子焼きと納豆、白菜の漬物を食べた。朝食をいただくことで天照大御神の弟である須佐之男命になったような力の漲りを得る。部屋に戻り支度を済ませ、山小屋を出る。今日は来た道である石尾根を下り奥多摩駅まで戻る予定である。
食料は、すでに残っていないので、昼飯用におにぎりを小屋で作ってもらう。
小屋から雲取山山頂に登り返す途中、鹿の親子に遭遇した。人を警戒する様子がなく不思議そうに、こちらを見ていたのだが、カメラを向けると水面をかける鴨のように森の中に足早に消えて行った。
夢で見た狼の目つきとは異なり、赤ん坊のように邪気のない可愛い目つきをしていた。
雲取山頂は、まるで朝陽をシャワーでかけたような山々の姿があった。昨日の夕方とは、まるで違う空間で、空気はあまりに鮮烈で、寺にある鐘の発する余韻が細すぎる髪一本になったような澄み切った音でありながら音ではないような揺らぎを感じた。それは身体に染み付いた煩わしさを昇華させるような力があり、山奥深くにある清冽な滝から生まれる水の精があたりに咆哮していた。奥秩父の山並みを照らし、木々の緑に息吹を与えているのがわかるのだ。この空気をたっぷりと吸い魂を清め、雲取山の山頂を後にした。
しばらく歩くと、昨日雨宿りをした避難小屋についた。特段用はないのだが、玄関を開け中を覗いた。
誰もおらず、夏休みの高校のようにひっそりとしていた。昨日と同じ避難小屋の内部ではあるはずだが、昨日の印象とは全く違った風景に見えた。おそらく自分の内部にある何かが関係をしているのだろう。今はこの避難小屋を懐かしく感じ始めていた。一日前の出来事を懐かしく感じる感覚とは・・・
ここで、狼の夢を見た事は初めての山登りの思い出になって行くはずである。そんな思い出を重ねながら、自分という存在ができていくのかもしれないと思うのだった。そんな事を、考えながら七ツ石山を過ぎ、石尾根を下る。標高が下がるにつれ、真夏の暑さを感じた、将門馬場を過ぎ、やがて三田羽黒山神社に到着した。ここまでくれば、奥多摩駅は、もう近い。山行の無事を感謝し、参拝する。
今回は賽銭に百円玉を入れた。奥多摩駅に着くと、近くにある酒屋で缶ビールを買って飲み、公衆電話で母に電話をした。
「もしもし、慎太郎だよ、今下山した」
「まあ、早かったのね、あなたのことだから、大丈夫だとは思ったけど、やはり少し心配したわ」
やはり、母は、心配をしていたのだろう、いつになく嬉しそうな声をしていた。
「帰ったら話すけど、すごく楽しかった」
「そう、それは良かったわね」
母への電話を切り、三田のいる新聞配達店にも電話をかけた。
「忙しいところ、すいません。三田君をお願いできますか。友人の西島と言います」
「ああ、西島君ね、一度こっちに来たよね」と新聞配達店の店長は、気さくな人で、気持ちよく電話を取り次いでくれた。
「おう西島か、どうした」
「今、雲取山を下山して奥多摩駅にいるんだ。お前に、一応、連絡しておこうと思ってな」
「そうか、どうだった雲取山は」
「大変な事もあったが、楽しかった。また、山に行きたいと思っている」
「それは良かった。そしたら今日、下北沢で軽く飲まないか。初登頂した、お前の顔を見たい。ただし明日も新聞配達があるから、五時から二時間程度なら付き合えるがどうだ」
「よし、わかった。これから下北沢に行けば丁度、五時頃だと思う」
母に、もう一度電話をし、三田と軽く飲むから。帰りが少し遅くなるので心配しないように伝えた。汗が結晶となった塩が顔のあちらこちらに吹き出しており、触るとざらついていた。奥多摩駅の便所脇の水道で顔を洗った。ついでにタオルで体も拭くと、さっぱりして気持ちがよかった。いろんなことが動き始めているように感じた。奥多摩駅で青梅線に乗り、ぼんやりと車窓を眺めていると、満足感に満たされビールの酔いも手伝い軽い眠りに落ちた。夢で絵美さんが出てくる夢を見た。
「おかえりなさい」
少し冷たい表情の絵美さんが夢の中にいた。
立川で目を覚まし中央線に乗り換え、さらに吉祥寺で井の頭戦に乗り換えて下北沢に着く。下北沢のおでんやでは、すでに三田がカウンターに座っていた。
「よー疲れさん。まあ、ここに座れ・・・お父さん、生中二つとおでん、お願いします」
「倅、ご苦労である。山に一人で行ってきたのか」
「ええ、まあ、なんとか」
「西島は、身なりは汚れているが、顔つきが良くなったと思う、安心した・・・で、山はどうだった」
僕は、雷のため、避難小屋で雨宿りをした事や、山小屋で初老のおじさんと出会い、狼伝説の話やら、雲取山の稜線からの景色やら山の空気の素晴らしかった事などを話した。
三田は、雲取山には行った事がないようで僕の話に耳を傾けていた。
「俺は、一人で山に行った事ないんだ。今までは親父に連れて行ってもらっただけだからな。その点、お前は一人で行ったのだから、山登りについては、俺より少し先を行っている。俺も、早く自分の力で山に登りたいと思う」
「そうか、お前といつか山に登る事を楽しみにしているが、一人で山に行く事も意味があるように感じた。自分が歩かなければ、何も始まらないのだが自分でコントロールできない出来事が山には多くあるだろ。自分の運命を何かに預けなければならないよな。さっき話したように雷が近くに落ちた。その時は、ほんと怖かった。一歩間違っていたら、今頃お陀仏だったのかもしれない。その一歩の違いって自分で決めることできないよな」
「そうだな、人生も同じかもしれんな。俺とお前がこうして、ビールを飲んでいるのも偶然といえば、その通りだが必然であるとも言えなくはないよな」
そんな、話をし、僕も疲れが出てきたのか少し眠くなり、あいつも明日の新聞配達があるので、七時過ぎにはおでんやから引き揚げた。別れ際にあいつが言った
「八月の新聞休刊日の前日にゆっくり飲もうぜ。この前話した新聞店にいる国家公務員をやめてきたおっさんも一緒に。予定が決まったら連絡をする」
僕は家に帰ると風呂に入り、母の作ってくれた夕食を食べた。ピーマンの肉詰めとイカの刺身と茄子の天ぷらだ、珍しく缶ビールを一本、買ってくれていた。山小屋の食事よりも母の手料理を懐かしく美味しく感じた。一気に食事を食べ終えると、睡魔が襲ってきたので布団に入り、そのまま朝まで眠り続けた。その晩は、夢を見なかったようで覚えていない。

翌日から受験勉強を中心とした生活を過ごすことになった。朝のトレーニングは、定着し始めており、最近では走らないと何か気分がすぐれないように感じた。ただ勉強は、あまりはかどらなかった。何を学ぶべきなのか、学習方法も自己流なので、暗中模索と言ったところであった。その当時、僕の家にはエアコンはなく、夏の午後には、汗だくで勉強が手につかなくなっていた。そこで、ある日の午後、近くの区立図書館に出かけ自習室で勉強をする事にした。図書館には、僕と同じような受験生や歳を重ねた方、小さな子供を連れた夫婦など様々な人が集まっており、僕ら受験生らしき輩の多くは、自習室で勉強し、歳を重ねた方は新聞や雑誌を閲覧していた。小さな子供達は、その真冬のダイヤモンドダストのようなキラキラした目で絵本や写真集に見入っている。
その眼差しは真剣そのもので、森に潜むカワセミの瞳のごとく純粋な輝きに包まれていた。
僕のような受験生とは同じ図書館にいながら、異なる空間にいるように感じた。区立図書館は冷房が効いており、家で勉強をするより勉強は捗るように感じられるのだが、勉強の仕方というかコツというか、よく分からないままなのは変わらず仕舞いで、モチベーションはそれほど高くはならないのだ。時折、自習室の机を離れ、図書館の本を物色する。自然科学のコーナーでオパーリンの「生命の起源」を手にし、自習室の机に戻り。流し読みをする。
“コアセルベートという液滴が生じ、これが自然進化し原始的栄養生物が発生した”とある。なんのことだが、全く理解不能であるが、何かしら興味を惹くものがあった。
高校の教科書や参考書を読むのとは違う、未知なるものを感じた。おそらく、内容は、半分も理解をしていなかったのだと思う。オパーリンの「生命の起源」をひとしきり読み終え、趣味のコーナーの一角に“登山のコーナーがあった。そこには、“山と渓谷”の新刊とバックナンバーがおかれていた。
“山と渓谷“の新刊は、北海道の日高山脈の沢登りの記事が掲載されていた。
そこには、水晶のような滝を持つ沢と、広大な七つ沼カールの記事が写真とともに描かれており、カールの中を流れる小さな川とその周りに育つ、お花畑が天上の楽園のように見えた。
「いつか、こんなところに行って見たいな」と僕は呟くのだった。
雲取山とは、違う世界がそこにはあった。
ただ、雲取山に行き、山を実際に経験した事で、日高の写真からそこにある空気を僅かではあるが想像する事ができた。印象に過ぎないのだが日高の花は雲取山の花とは異質なものに感じた。日高の花は清楚で可憐であり、何よりも生命力強さを迸らせている。その理由は何だろう。山に行った事がなければ受け止め方は少し違ってくるのかもしれない。そんな風に図書館の初日は終わった。
受験勉強は捗らなかったが、図書館もそんなに悪いところではないように感じ始めていた。図書館を出ると、暑さも和らぎ夕食が待ち遠しくなっていた。こんなんで、大丈夫かなと思いつつも、自分の中に少しばかりの変化を感じることで、気持ちが落ち着いていた。何かしら、楽しいとか面白いと感じるものに出会う方が、出会わないよりはマシだと思得るのだ。きっと、それは、何か素敵な事への入口かもしれない。心がワクワクする事と、勉強との接点を探す事が、本来受験の前にあっても良いのではないだろうかと思えるのである。こんな風にして、僕の高校生活最後の夏休みは過ぎて行った。

八月のお盆を過ぎた数日後のある日が新聞の休刊日だった。三田と例の、小原さんなる人物と下北沢のおでんやで、飲む機会を得た。下北沢の小田急線改札出口で待ち合わせ、三田と小原さんが現れた。
「よー、久しぶりだな。西島、勉強は捗っているか、心配で見にきてやったぞ」
「お前も、元気そうで何よりだ。毎日図書館に行っているんだけどさ、勉強以外の本に気を取られて、あまり進まない」
「そうか紹介するよ、こちらが偉大なる小原さん」
「西島です、三田からとてもすごい人物だと聞いています。よろしくお願いします」
「ウン、俺をとんでもない奴だといっているのだろう」と言いながら、小原さんは少し微笑んだ。四十歳を過ぎているのに、どこか少年のような目をしている。浮ついてはいないのだが、どこか爽やかでもある。
「西島は、先月一人で初めての山登りで雲取山に行ったんですよ。すっかり山に魅せられたみたいで、危なっかしい奴なんです
「それは、将来、有望だな」と爽やかに笑い、僕の目を見た。そんな風に僕たちはすぐにうちとけ、下北沢の南口をおでんやに向かって歩いていた。
その頃の下北沢は、すでに若者の集まる街で活力に溢れていた事を覚えている。小劇場やライブハウスがいくつかあり、今では全国区で人気になったバンドも火がつき始める前に、下北沢で幾多の苦労をしていたと聞いたことがある。下北沢の気質は、どこか一風変わっているものを好むようだ。生まれて、今まで下北沢で過ごした僕には、この雰囲気が普通なのだが・・・
おでんやに入ると
「倅、ご苦労である」
相変わらず、おでん屋のお父さんは元気だ。
「あれ、珍しいな今日は三人か。今、三人は空いてないぞ、ちょっと待ってくれ」
お父さんは、カウンターを見渡し、二つ空いている席と一つ空いている席の間に座っているお兄さんにお願いした。
「男前の兄さん、寛いでいるところ申し訳ないんだが。この、倅達はこの店の宝物でな、三人で座らせてやりたいんで、一つ隣に席を変わってもらえないだろうか」
「ようガス、ガッテンだ」
気持ちよく、僕たちに席を譲ってくれたので、僕たち三人もお礼の言葉を述べた。譲り合うことは、気持ちの良い事だと、お父さんは教えてくれるのだ。僕たちは、いつものように、おでんをつまみに生ビールを飲み始めると、小原さんが
「この生ビール、美味しいね。お父さん、何か秘訣でもあるのかな」
「秘訣なんてものに俺は縁がないな。ただ、一杯ずつ心を込めて注げばビールってやつは不思議なもので旨くなるんだ。旨いビールを出すにはさ、まずジョッキを丁寧に洗うことに始まる。変な洗剤を使っても良くねーな。ジョッキを洗うスポンジだってさ、俺は毎日取り替えているんだぞ。ビールは油と合性が悪いんだ。そりゃ嫁と姑レベルだな。たださ、こうやって俺のビールを旨いと言ってもらうのが俺は嬉しくてな。毎日ビールのジョッキを一生懸命洗うんだ。だから、不思議な事にヤクザなおいらが、この仕事を続けていられるのかもしれないな」
小原さんは、少年のような笑みを浮かべた。
「そうね、一つずつ、丁寧にか。かっこいいな・・・
お父さん、俺は、もう四十を超えて新聞配達を住み込みでしているんですよ、新聞もね、一つずつ丁寧に配達するのが誇りでもある。雨の日は濡れないように、ビニル袋に包んだり、ポストに入れる時には、シワにならないように気を使ったりね。気持ちよく新聞を読んでほしいと思える事が、今の俺の誇りです」
三田が話に割り込んだ
「この小原さんは、T大法学部出身で国家公務員であったこともあるんですよ」
「ほー、T大法学部出身って言ったらイリートだな。今は、新聞配達の住み込って事は。なんかしくじったな。女か・・・女でしくじったやつは、俺はたくさん見ているぞ」
「俺は、女で苦労するほど、モテたりしませんって。なんていうのかな、国家公務員とかやってるとね、仕事ってなんだかわからなくなって精神的にしんどかったな。三田君には話したことあるけど、公務員が扱うお金は国民から集めた税金です。ただ、大蔵省からそれが各省庁にばら撒かれると担当者の俺の金になってしまうと、俺には見えたのかな。そいつらが、大蔵省から獲得をしたのかもしれないけど、そいつらが稼いだ金ではない。俺は、民間企業にもいたからなのかも知れないけど、民間企業って自分たちでお金を稼ぐわけです。そりゃ、汚い手を使う事もあるけど、法に触れないギリギリのところでね。だからというか、民間企業はお金の使い方も厳しい。その企業の営業利益が少なくなれば、自分たちの給料にも影響が出ることになる。だからお金を稼ぐという事と使うという事にある種の合理性が感じられるんです。つまり自分にとっては、今の新聞配達の仕事は、給料の高いか低いかは置いておいて、稼ぐという事と使うという事の合理性が自分の中では取れているということです。だから、自分が稼いだ金で、こうして、日本一旨いビールを飲めて、ありがたいなって思うんです」
「よし気に入った。一杯ずつ俺がビールをご馳走してやるから飲め。俺も同じ心意気だ、まず金で動く奴っていうのは、ろくなのはいないよ。何か仕事らしい何かが必要だよな」
僕と三田は、ご相伴に預かりビールをご馳走になり、二人でコツンと乾杯した。僕は、小原さんの言っている事の半分くらいしか理解ができなかったのだが、なぜか、その言葉にはリアリティを感じたのだ。仕事とは、どういう事なのか、お金とはどういうものなのか、漠然とではあるが、自分の中にある疑問と繋ってくるようで小原さんに尋ねた。
「仕事をする目的って、お金を稼ぐことではないという事ですか」
「これは、俺の個人的な考えただけど、お金を稼ぐということは仕事をする目的の一つに過ぎないかもしれない。これまでの職場で、仕事に疲弊し体を壊してしまう人たちを何人も見てきたけど、やはり何か違うと思ったな。お金は手段であり、目的ではないはずだと思うんだ。なら、目的はなんなのかを自分なりに考えると、やはり、幸せになることじゃないかな、人それぞれの価値観は違うかもしれないけど、少なくとも幸せに向かっている確からしさ。自分なりの幸せ像みたいなものが、本来あるべきじゃないかな」
「小原さんの幸せ像って、どんなのですか」
「とても、難しい質問だけど、なんつーか、やっぱり、仕事をしてさ、他の人に喜んでもらえている実感があって、結果としてまあ食っていけるだけの金があることかな。具体的には、うまく説明できないけど、今の新聞配達の仕事をできて、素直に幸せだと実感できるからね。ファイナルではないかもしれんが、やっとたどり着いた感はある」
「小原さんは、結婚は、しないんですか」
「それも、結果として結婚があるんじゃないかな。結婚ありきで、考えることは少なくとも俺は想像できない。何しろ今の収入じゃ、誰も俺と結婚なんかしないだろうな。ただ、収入の少ない俺でも結婚したいという女が仮に現れたとする。そうなれば、どうなるかはわからない。だってさ、そこには俺の知らない愛ってものがあるかもしれないよな。つまり結局のところ今を積み重ねて生きてゆくのが真っ当じゃないかな」
「高校生の僕らにとっての真っ当な事とはどういう事になりますかね。きちんと高校に通い、しっかり勉強して親に心配をかけない事になるのでしょうか」
「うーん、なんか、それでも、いいのかもしれないけど、なんかしっくりとこないよね。
それで、自分が納得できていれば、それでも良いのかもしれないけど、西島君は、それで、自分の人生に納得できるのかな」
三田が話に割り込む
「俺は、人のために仕事をするって事かと思うけど、小原さんどう思いますか」
「自己犠牲というのは、素晴らしいことに間違いないと思う。ただ世の中って、胡散臭い奴らが沢山いるからさ、自己犠牲のハートを持って自分に本来あるはずの決定権を胡散臭い奴らに明け渡さないほうが良いと俺は思うんだ。うまく利用されているだけなら逃げる事があっても許されるんじゃないか」
三田が小原さんに尋ねた。
「その胡散臭い人って、見分け方ってありますか」
「そうだな、俺の経験からすると言っている事と行動が一致してないのは、まずダメだな。俺の人物評価としては、その人の行動を見ている。嘘をつくとか、お金の使い方も含めてね。ただね、胡散臭い人とある程度、距離を置いて付き合うことは出来るかもしれないけどさ・・・世の中、胡散臭い連中で充満しているから、なかなか難しいんだよ。それより、俺が大切にしているのは、自分がコントロールできることは、しっかりやる。だけど、自分で決められないことは、何かに預けてしまうことにしている」
僕は尋ねた・
「自分で決められない事って、例えば小原さんの経験ではどんなですか」
「お天気もそうだし、結婚するかもそうだな。例えば、君たちの場合、自分で勉強し、志望校を決める事は自分で決められるけどさ、希望の大学に受かるかは決められないじゃない。どこか、運のようなものが必ずある。それは、預けてしまった方が良いと俺は思う」
小原さんの言う事は、なぜか、僕の内に潜む何かに響いていた。この人は、いろんな人生経験を自分の糧にしているのだと感じた。
「そうですね。自分で決められない事って神頼みになることありますね」
「そうなんだ。でも自分で出来る事はしっかりやった方が良いかと思う。西島君と三田君は、ウマが合うようだね。それは大切にした方が良い。友人はお金で買うことができないからね、当たり前の事だけど気が付いている人は必ずしも多くないんじゃないかな。スコット・フィッツジラルドというアメリカの小説家を知っているかい」
二人とも、知らないと答えた。
「彼の短編小説に“メイデー”というのがあるんだ。ディーンとゴードンという大学時代の友人を中心にストーリは展開するんだけど、ゴードンはある事情でディーンに金を借りに来るところから物語は展開する。ディーンはしばらく考えるのだが、結局のところゴードンに金は貸せないことを告げる。二人の周りで、いくつかの事件が起き、展開するのだけど、最後にゴードンは自殺してしまうんだ。俺は、この物語を読みながら、ディーンは、ゴードンに金を貸すべきではないと思って読んだ。どうしてだかはうまく説明できないけど、金を無心した時、ゴードンはディーンを友人と見ていたのか、疑問があるのかもしれない・・・実は、若い頃、金に困っていた事があって、友人に金を借りに行ったことがあるんだ」三田が
「T大法学部卒でも、そんな事あるんすか。俺、T大志望やめよっかな」
小原さんが、少し微笑み、話しを続けた・
「まあ、そんなもんだ、人生、色々あるからな。ただ俺は友人に金を無心に行ったのだが、できなかった。俺は、彼を友人だと自分に言い聞かせ金を借りに行ったのだが、友人であるはずの彼の顔を見たらさ、言い出せなかったな。今でも、そいつとは友人として付き合っている」
「なるほど、金を貸さないディーンが友人関係を絶った訳ではなく、実のところゴードンはディーンを友人ではなく、お金に見えていた」
と三田が行った
「そうかもしれない、想像してごらん。自分が金に困っていたとして。三田君は西島君にお金を貸してくれと言えそうかい」
三田は答えた。
「実際、その時になってみないと保証はできませんが、そんな事はしたくない」
「そうだよね、その気持ちを大切にしてほしいんだ。ただ、想定としてお金に困ることは、あるかもしれない。何らかの形で仕事をする事によって、嫌な奴らに札束で頬を叩かれないようにしておいた方がいいんだと思う。俺は、長い間組織の中で仕事をしたから、金の持っている力というものを実感できる。少なくとも、君たちよりは、実感がある」
小原さんは、それまでの柔らかい表情を、少し固くして、ビールジョッキを少し強く濁っていた。
「金ってさ、場合によっては、怖いものなんだよ。人の心を狂わしてしまう事があるんだ・・・だから、金の奴隷にならないよう頑張ってほしいな、君たちのような素敵な高校生には」
僕は、小原さんに尋ねた。
「小原さんは、これから、どうして行くつもりですか。少し先のことかもしれないですけど」
「まあ、しばらくは、今の新聞配達に仕事を続けるだろうな。さっきも話したように、結構、満足している。少なくとも今いる新聞配達店にいれば、嫌なやつに札束で叩かれる事も叩く必要もないからね。ただ一方で、このままって訳にも行かないだろうなと言う予感はある。実は、少し小説を書き始めているんだ。スコット・フィッツジラルドのような流麗な文章をいつかは書きたいなどと考えているんだけど。今は、ただ自分の中にある物語を書いているのが楽しいんだな。今まで自分の中に溜め込んでいた思いのようなものが、物語に形を変えてゆくのが楽しくて仕方ない。新聞配達店で三田君の隣で机の向かっている訳です」
「そう言う事でしたか、机に向かって何をしているのか、少し気になっていました」
「まあ、あまり、いじらないでくれよ。まだ、どうなるかわからないからさ、出版して印税で生活できたら一杯ご馳走するからさ」
小原さんは、遥か遠くの水平線を眺めるような目つきで軽く深呼吸し、微笑んだ。その後、三人で終電近くまで大いに盛り上がり下北沢駅で二人を見送り家に帰った。小原さんの話を聞いた事で大人の世界の厳しさを垣間みた気がしていた。鈴木先生は大人になれば食っていかなくてはならないと。小原さんは、金は人の心を狂わせることがあるのだと。少しずつでは、あるのだが、将来に向かっての自覚のようなものが芽生え始めていた。もう少し、しっかりしなければならないのかもしれないと何かが、そっと教えてくれたようだった。

八月も終わりに近くなったある日に、1人で喫茶モナに行った。絵美さんに雲取山に行った事を話しておいた方が良いと思ったからだ。店に入ると、絵美さんは、いなかった。マスターと絵美さんではない、やはり大学生らしいウエイトレスがいた。
「マスター、絵美さんはお休みですか」
マスターは、ちらりと僕をみて
「絵美ちゃんは、この店を辞めたんだ。少し、事情があってね。君に伝言を頼まれている。大学受験が終わったら、一度連絡してほしいと言っていた。これが絵美ちゃんの家の電話番号だ。ただし、大学に入る前には連絡は不要との事だ」
僕は、どんな事情があるのか気になっていたのだが、マスターの雰囲気から聞かないほうが良いような気配を感じた。絵美さんは、僕にしっかり勉強しなさいと言うメッセージなのかもしれないと、その時は思った。雲取山の帰りに電車の中で見た夢の中で見た絵美さんの少し冷たい表情が思い出された。
僕の高校生活最後の夏休みは、こうして幕を閉じていった。これまで過ごした夏休みの中では最も充実した夏休みであったと実感できた。ただ、絵美さんの事が少し心に引っかかってはいたけれど。引っかかると言うよりも、どうしたら良いのかよくわからなかったと言う方が正しいのかもしれない。そう思う時は、自分の頼りなさ力のなさに直面することになってしまうのだ。もっと開かれた心でありたい、自分に自信のようなものが欲しくなってきた。

九月を迎え、再び高校の授業が始まった。授業が始まると一週間ほどで実力テストがあった。それは、外部の機関が作成するテストで、夏休みに図書館で勉強したせいか、僕の成績は少しだけ向上したようだ。実力テストの後、鈴木先生との面談があった
「西島は、少し勉強が進んだようだな、夏休み前は理系クラスでは中の下といったところだったが、今回の実力テストの結果は上の下くらいになっている、この調子で頑張ってみろ・・・所で、志望校は決まったのか」
「はい、H大学を受けようと思います」
「そうか、まあ、頑張ってくれ。ひょっとすると受かるかもしれんぞ、お前の今くらいの成績でH大に合格したやつがいた」
鈴木先生は、なぜか、上機嫌で紅茶に入っているブランデーの量は格段に増えているようで、紅茶にブランデー入れているのかブランデーに紅茶を入れているのか判別が困難となっていた。面談後、三田と駅まで歩きながら話した。
「西島、面談どうだった。俺の実力テストの成績は、少し下がったようでさ、鈴木先生からT大は相当難しいと言われた」
「俺は少し成績が良くなったようで、鈴木先生は嬉しそうなにしていたな。ブランデーいっぱい入った紅茶を飲んでいてさ、酒臭くてたまらなかった」
「高校教師が、学校でブランデー飲んで大丈夫なんかな・・・まあ、俺たちも高校生でビールをガンガン飲んでいるから同じようなものか」
「所でさ、喫茶モナの絵美さん、モナを辞めたのは知ってるか」
「えっ、知らんかった、どうしてだ。俺がしばらく、行かなかったからかな」
「いや、詳しいことは知らないのだが、マスターが少し事情があると言っていた」
僕は、絵美さんの家の電話番号を三田に教えておくべきか少し考えてみた。事情を説明すると面倒な気がしたので三田には教えない方が良さそうな気がしていた。
それからの数ヶ月間、受験勉強に集中した生活が続いた。毎月の新聞配達休刊日の前日には、三田と下北沢のおでんやで飲んだ。時々、小原さんも足を運んでくれ、仕事やお金にまつわる話とか、山の話を聞かせてくれた。僕は、それなりに頑張って勉強をしたつもりではあったのだが、その年の受験は失敗し予備校に通うことになった。予備校では、それなりに受験のツボのようなことを繰り返し学習するので、自分が理解できていない箇所が明確になり、それなりに成績も上がり、一年の浪人生活を経て北海道にあるH大学に入学することができた。三田も同様、現役の時T大は不合格だったのだが、一年後には、見事にT大学に進学した。

僕が北海道に発つ日、三田は上野駅まで見送りに来てくれた。上野駅の売店で缶ビールを買い、駅構内のベンチで乾杯をした。三田が口を開く。
「出征記念の乾杯だ。高校生活プラス一年、色々とあったけど楽しかった、ありがとう。北海道でヒグマに食い殺されないことを祈っている」
「こちらこそ、お前には感謝している。前も話したと思うが、お前は心が閉ざされていないと俺には見えるんだ」
「前も言ったけど、俺の方が少しアホなだけだよ」
あいつと僕は一緒に笑った。
何かを共有しているような感覚が、そこにはあった・・・三田が少し神妙な面持ちで正面を見据えていた。
「実はな、大学に受かったので絵美さんに会ったんだ。喫茶モナのマスターに頼んで、連絡先を教えてもらって。そしたらな、お前に言うべきか少し悩んだんだが・・・・・絵美さんは若年性パーキンソン病という難病にかかっているらしい。お前知っているか、手が震えたりして、いずれは意識がなくなってしまうらしいんだ」
「治るのか」
「いや、わからんのだが、難病とされているので、そう簡単ではないらしい」
驚いた。母親から“あなたは私が産んだ子供でなく、実は養子なの”と宣言されたような心持であった。僕は大学に受かったら絵美さんに連絡を入れるはずだったのに、何となく放っておいてしまっていたのだ。僕は思わず呟いた。
「そうか」
「そうなんだ」
三田は、大学に合格したら絵美さんに交際を申し込むと言っていたが、どうするつもりなのだろうと考えていた。しばらく沈黙があり三田が
「俺さ、絵美さんに交際を申し込んだんだ、けどさ断られたんだ・・・残念」
少し沈黙が訪れ僕は、言った。
「そうか、でもな、お前が絵美さんに交際を申し込んでさ、絵美さんは嬉しかったんじゃないかな。俺には、わかるな」
僕は、心の中で絵美さんの事は、諦めた方が良いように感じ始めていた。三田のために、身を引くというような陳腐な思いではなく、それが正しい考えと思えたのだ。
きっと、今の僕には絵美さんを、しっかり守れるだけの自信がないのかもしれない。でも三田にはそれがある。悔しいが、その差は歴然としている。
「俺は、交際を断られたけど諦めないつもりだ。それで、いいかな」
三十秒ほど沈黙が訪れ、僕達は駅構内を急ぎ足で歩いていると、小さな女の子の無垢な笑顔が目に入って来た。朝陽を浴びたツクモグサが花開くように、何かしら自分の心が開かれていくのを感じた。
「もちろん、いいとも。お前が絵美さんを諦めたら連絡してくれ。俺がお前の代わりにアタックするから」
「その連絡は、あてにするな」
二人で、缶ビールを飲み干した。
「じゃ、そろそろ列車の時間だから行くぞ」
「ああ、元気にしていろ、お前が帰省したときには一杯やろうぜ」
「それじゃ、またな」と言い、青森行きの列車に乗り込んだ。
東京を後に、北の大地に向かう僕には、何か可能性が芽生え始めていた。青函連絡船に乗り、函館から特急北斗に乗り換えると美しい湖と、雄大な山が車窓から目に入ってくる。
何か本州とは雰囲気が全く異なっており、異国にきたような気分になっていた。大学の授業が始まるまでに、生活の準備をした。大学で斡旋してくれたアパートは地下鉄南北線の麻生駅という駅の近くにある。大学生活が始まった。

僕は、北海道の山にも興味があったので、ワンダーフォーゲル部というサークルに入部した。授業は英語など必須授業と選択科目があり、選択科目にある分子生物学を受講することにした。この大学を選んだ理由としては、この分子生物学という分野に興味があったことがきっかけである。五月早々、初めての分子生物学の講義があった。先生は、大野助教授といい、髭を生やしスイスのバーゼルにある、世界的にも有名な研究所に留学をしていたらしい。先生は、まず研究についての話しをした。
「私は、分子生物学を学ぶ発展途上の研究者であります。分子生物学の授業をする前に、研究とはどういうものか、自分なりの考えを話します。研究の仕事は、まず英語で論文を書く事になります。論文を書くには、過去の他の研究者が書いた研究論文を、しっかりと読み、正しい理解することが出発点となります。すなわち、思いつきではないという事です。その上で、オリジナルなファクトや、その理論やシステムを創造する。私が、まず君たちに伝えたいのは、研究が世界に繋がっているという事です。その上で私の分子生物学の授業を聞いてもらえたら大変嬉しく思います」
英語のオリジナルの論文を書くことで、世界中の研究者とコミュニケーションし、世界と繋がることが出来ると話していた。研究者という個人が、広く世界と繋がることが、大野助教授の研究のモチベーションの一つであるらしい。日本の大学で研究をした事を英語で論文にすれば、それまで会った事もない海外の人達と繋がることができるというのは、僕の心を、ワクワクさせる何かを感じた。大野先生は、四十代前半、柔和な表情の中にも、鋭い目つきを持ち合わせていた。分子生物学は人気の講座らしく、教室に人が溢れていた。分子生物学の授業は、興味深く、DNAからm-RNAを発現し、さらにタンパク質となり機能する事は高校の生物でも習った記憶がある。しかし生命の起源としてはRNAがまず、最初に存在し、その後、進化の過程でDNAとなった仮説について大野先生は、英語で書かれた論文の紹介をしてくれた。日本語とおそらく専門用語なのだろうと思われる英語が入り混じり、半分ほどしか理解ができなかった。後日、講義の内容について大野先生の教官室を訪ねた。
「大野先生、分子生物学の講座を受講している西島と言います。先日の講義で、少し教えてください」
大野先生の教官室は、奥に、先生のデスクがあり、教官室の半分は書籍が置かれた本棚になっており、先生のデスクと入り口の間には、打ち合わせ用の大きなテーブルと椅子が十個ほどあった。先生のデスクの脇には、海外の製薬会社の名前が入ったヌードカレンダーが張られていた。綺麗な金髪女性の乳房があらわになっており、僕は鼻血が出そうだった。
「ふーん、君は、いつも最前列で熱心に講義を聞いているので見覚えがあるな。専門用語が多くあるし、そのほとんどが英語だから、わかりにくいよな。そしたら、この岩波から出ている生物学事典を進呈する。僕が執筆している所があるので、数冊、出版社が置いてった」
このように、僕と大野先生の交流は始まった。先生は、毎週金曜日の夕方に、この教官室で大学院生を対象にしたゼミをやっているので、参加するよう僕に勧めた。
「ゼミでは、大学院生が順番に読んだ英語で書かれた文献を紹介するから、勉強のきっかけになる事は間違いない。ただ、今の君の知識からすると、ほとんど理解できないかもしれんが、よかったら参加してみなさい。一年生は大歓迎だ」
僕は、先生から進呈された生物学事典を抱え、先生の教官室を後にした。その週の金曜日に僕は早速、大野先生のゼミに参加した。大学院生が二人、読んだ論文の紹介をした。一人目の大学院生は大野先生にコテンパンにやられていた。
「お前、何やってんだ。分子生物学の前に英語が読めていないよな。これじゃ修士課程修了は難しいぞ」
その大学院生は、頭をかきながら先生に詫びを入れていた。
「来週もう一回やらせてください、だから修士課程修了は、なんとかお願いします」
「よし来週、もう一回やらせてやる。ところで例の実験は進んでいるのか」
など、指導をしていた。
二人目の大学院生は女性で、その論文に書かれているポイントをきちんと説明し自分が疑問に思う点などを述べていた。日本語で説明をしてくれるので、僕でも六割くらいは理解をする事ができた。
「君は、よく勉強しているな。これくらいやってくれると俺も、やりがいを感じるな」
などと、先ほどの大学院生を見ながら、微笑んでいた。
大野先生のゼミに、二週に一回ほどの頻度で、参加するようになり、この分野に興味をもつようになっていた。
夏休み前に、大野先生のゼミで飲み会があったので参加した。教官室のテーブルには、ビール、日本酒、ワインなどが置かれ、生協食堂で作ってもらったオードブルが置かれていた。一年生で参加しているのは僕だけだったので末席に座った。隣に例の、出来の良い大学院生の女性がいた。彼女は、青木さんと言い特に美人というわけではないのだが、話し方が知的で、相手に悪い気持ちを抱かせない心遣いが感じられ会話はスムースに進んだ。
「西島君は、一年生なのに大野ゼミに参加しているけど、この分野に興味があるのかしら」
「そうですね、昔、新聞でスタンフォード大学が発明した遺伝子組換え技術の記事を読んで何かワクワクとしたことがありました。高校の先生に相談したら、分子生物学というのが、その事に近い領域だということを聞きこの大学を受験しました」
「そうなんだ、大野先生のご専門の植物でも遺伝子組換えのシステムは開発されているのよ、アグロバクテリウムというグラム陰性細菌の核外遺伝子を利用するの。私は、ゼミでこのシステムに関する論文を中心に発表をしているの」
「その言葉は、このゼミでよく聞きますが、あまり理解ができていないと思います」
「まあ、少しずつ、勉強するといいわね。この分野は、将来いろんな産業に繋がる可能性があるので注目されているけど、課題もたくさんあるの。世間が期待しているからといって、できることとできないことがあるじゃない。客観的に理解しておく事って大切だと思うの。大野先生ってスイスに留学をされていて、この分野の知識は豊富だと学内でも言われているのよ。ただね、女性として少し困るのは、あのヌードカレンダー。どう思う」
僕も、確かに大学の教官室のヌードカレンダーがあるのは多少なりとも、差し障りがあるように思った。三十分ほど経つと、大野先生をはじめ、陽気な雰囲気となってきた。大野先生が、ビールを注義ながら、実験はどうなったかとか、就職はどうするつもりかなどを聞いており、僕のところにもやってきた。
「西島君は、一年生でただ一人、このゼミに参加しているからな、大いに期待をしているぞ」
「ありがとうございます。今のところ、ほとんど、ついていけていませんが。興味深い、話が随所にあります」
「まあ、少しずつでいいから理解したら良いさ」
先ほどの青木さんの言葉を思い出した。
「先生、一つ聞いてもいいですか」
「うん、なんだ」
「先生のデスク脇に張ってあるヌードカレンダーですが、あれって何か意味が、あるんですか」
「うーん、いいところに気がついてくれた。あれはな、俺にとってのお守りみたいなものだ。観音様とか弁天様を祀っているということではないんだ。つまり、なんというのかな、自分に対する戒めの気持ちを持たせるためと言ったら良いかな。つまり、俺はこの研究という仕事に全身全霊で取り組んでいるし、それは俺の喜びでもあるし、誇りでもあるんだ。もし、俺の気持ちに綻びが生まれると、きっと、失敗する事になるだろうな。ほれ、見た事かと、俺の事をあまり快く思っていない輩が、ヌードカレンダーなんか貼っているから、失敗をすると言われかねないだろ。その代わり、結果を出し続けていればヌードカレンダーくらいは黙認してもらえると言うか、そいつらは口出しはできないはずだ。世の中そんなもんだ。つまりな、わかりやすく言うと、自分で自分を追い込んで、結果を出さなければならないと自分に戒めている証しなのさ。ここだけの話にして欲しいのだが、俺は教授の真島先生に疎んじられているようだ。彼は、どこかで俺を支配しようとしている節があると感じている。まあ、平たく言えば、上司風を吹かせているといったところかもしれん。ただな、俺は自分の研究に対して口を挟まれるのが嫌でしょうがない」
真島先生の講義は、一年生では受けることができないので、どんな先生であるかは定かでないのだが、歳は五十代前半、鼻の穴が大きく、白衣はいつも真っ白なのだが、偉そうにして廊下を歩いているのを見かけた事がある。僕は、大野先生はナイーブな感性と、少しとぼけたところがあり、実直な話し方に親しみを持ち始めていた。
「そういう事ですか、大学の先生も色々と、大変ですね」
大野先生は、紙コップに注がれたビールを飲み干すと。
「そういう部分も少なからずあるな、でもな、自分の人生だろ、自分で進む道を自分が決めるっていうのが、真っ当な考え方じゃないかな。うん、俺は、そう思う。そうでなければ、天使は、俺の味方をしたりはしないはずだ。だって、自分の事を自分が見放しているやつを、どうして天使が助けなければならないんだ。お前、答えられるか」
大野先生は、どうだ、この野郎といった笑みを浮かべながら話した。
「いや、答えることができません。先生の言う通りだと思います」
「よし、お互い、頑張ろう。乾杯だ」
大野先生と僕は、紙コップを、重ねて乾杯をした。ビールを乾杯して飲むのは、東京を離れる時に、上野駅で三田と乾杯をして以来の事で、三田の事が頭を過った。

夏休みに入り、僕は、ワンダーフォーゲル部の合宿で北海道の山を登った。大雪山の最高峰旭岳からトムラウシ山を経て、沼ノ原から石狩岳まで縦走し、始めて北海道の高山植物を見た。それは、まるでお花畑の絨毯のように幾重にも白、赤、黄色、紫、青などの輝きが重なる様は、あまりに神々しく北海道の山々は、僕に鮮烈な印象を残した。
トムラウシ山の近くにヒサゴ沼という、静かな佇まいの山上湖があり、ここにテントを設営した時の出来事である。北海道のテント場には、ほとんどトイレは存在しない。いわゆる野糞を草むらでする事になる。ある朝、例によってテント場近くで野糞をしていると、目の前に植物を大量に摂取したと想像できる緑色の糞に遭遇した。人から排泄されたものとは到底考えられず、直感的にヒグマの糞と判断した。僕は尻を拭くのも、そこそこにテントに戻ると先輩たちにヒグマが近くにいるかもしれませんと興奮気味に話した。先ほどのヒグマと思われ糞を先輩たちに見せたところ、リーダーである四年生の先輩が、その糞に近づき周囲を観察した。
「おい、この糞の傍にトイレットペーパーがあるんだけど、これ人の糞でないの」
山行を共にしていたメンバーは皆、腹を抱えて笑い始めた。僕は、あまりの展開に赤面をしていた。とりあえずヒグマへの最接近をした訳ではなさそうであったのだが、大雪山の池塘などの沼地では、ヒグマの足跡をいくつも見かける事でヒグマがいることを実感し、北海道という異国のような美しい大地にいる高揚感に満たされた。
随分と遠くまで来てしまったなと思い、さらに遠くの世界に思いを馳せた。どこなのかはわからないのだが、きっとどこかに帰るはずなのだとも思った。そのが何であるのかを知ることが、僕がしなければならない事なのかもしれない。それが、僕の可能性という事なのかもしれないと頭を過ぎった。ヒグマの足跡を見ながら、そんな事をぼんやりと考えていた。池塘に咲くチングルマという白い高山植物を見ながら・・・
チングルマは、気持ちよさそうに風に吹かれている。風邪の中のから聞こえる物語に自らの生を預けているようにも見えた。
三田、鈴木先生、絵美さんらと過ごした混沌の高校生活からの変化を感じ始めていた。北海道の山々は、どこまでも広く、美しかった。かつてアイヌの人々は、ヌタプカウシュペ、川がめぐる上の山と神々の住む庭と呼んでいたそうだ。
大雪山にある山の名前は、トムラウシ山とか二ペソツ山とか日本語ではなく、アイヌの人が名付けた名前が多く残っている。これは、先住民が残した美しい足跡と思えるのだ。そこには生命が織りなす美しさと哀しさを感じた。時の流れの中で残る物、残らずに忘れ去られてしまうものがある。この遥かな北の大地である大雪山の山の名前にアイヌの人たちが名付けた名前が残っているのはどうしてだろう。新しい支配者が現れ、その支配者の力で変更を試みても、その支配力の及ばない何かがあるのかもしれない。その何かとは、何なのだろう・・・人は納得しない事に対して反抗心を持つことが、あたり前田のクラッカーかもしれない。人の心に息づく、とても深いところで絶える事のない灯のようなものがあるのかもしれない。そんなものの存在を信じて見たいように感じることができるのだ。本当の事は曲げられやしないのだ。暴力や権力が及ぶ事のできない無垢な世界が大雪山にはあると感じるのだった。北海道での新たな生活は、僕の心を生気のある世界へと変化をさせていた。高校時代に感じていた息くるしい世界を抜け、自分の好奇心を満たすものに囲まれていくのだが、何か見えない世界が逆回転に動き始めている事を、その時はまだ知らなかった。

九月になり、大学は再び、授業が始まった。前期試験が間近に迫ったある日、大野先生のゼミに参加した。大野先生は、いつになく表情に生気がなく、重苦しそうに言葉を発していた。ゼミが終わりに近づいた頃に大野先生が、重苦しくも明るい表情で、僕らに語り始めた。
「少し、聞いて欲しいのだが。しばらくの間、申し訳ないのだがゼミは休止とさせてくれ。実は体調が思わしくなくてな。ここだけの話にして欲しいのだが、実は癌ができているらしく手術を受けることになっている」
このゼミに参加している大学院生は、大野先生の分子生物学に関する豊富な知識と経験を学ぶためだけではなく、大野先生の人柄に惹かれている学生も多かったのだ。そこにいた学生達は、そこで何が起きている事をすぐには理解できず戸惑いの表情を隠す事はできなかった。うつむくものいれば先生の顔を正面から見据え、茫然とした目つきで先生に視線を投げかけているものもいる。
僕も癌という病気は恐ろしい病で、場合によっては命を取り上げられてしまう病気であることは、おぼろげには理解をしていたのだが、その時の先生の少し動揺しながらも、なんとか立ち続けなければならないといった複雑な表情を今でも忘れる事ができない。なんというのだろう、告白という事が内包する清潔さがそこにはあった。本当の事を話すには勇気と覚悟が必要だという事に気がつかざるを得なかった。先生は
「大丈夫だ心配するな。俺は必ず、このゼミに戻ってくるからな。俺は、お前たちを見捨てたりはしないから」
先生は少し涙を浮かべ、遠くにある何かを見つめているような目をしていた。どこか遥か遠くな世界に思いを巡らせていたのだろうか今の厳しい現実から目をそらそうとしているようにも思えた。僕は心の中で、先生の回復を大雪山の神々に祈った。その日ゼミが終わると大野先生は家に帰り、大学院生の誰かが酒でも飲もうと言い始めた。僕は唯一の一年生なので先輩の集めた金で酒を買いに行った。酒を買い、教官室に戻ると五人の大学院生が重苦しい空気の中そこにいた。酒を飲み始めると誰からともなく大野先生の話題となって行く。
「死んじまうのかな先生。俺、大野先生好きなんだよな。厳しいけど他の先生にはない新しさがあってさ、うまく言えないけど真っ当な感じがしていた」
「俺も、そうなんだ。今時さ助教授で教官室にヌードカレンダーを貼るなんて、やりやがるなと思うんだ」別の大学院生が
「大野先生って、なんか大学の先生っぽくないのがいいんだよ。なんつーか、ちょっとツッパているとこが、かっこいいんだよ。他の先生ってさ、なんか上の先生の顔色を窺ったり大学の意向だけを気にしていてさ、話が面白くないんだよな」
その日は、遅くまで教官室で酒を飲みアパートに帰り、身近な人が死を前にしている現実から僕は今までに感じた事のない恐怖に包まれていた。
なぜか夢の中で、綺麗いな流れ星を見た。

翌日、大学での授業が終わると、僕は大野先生の教官室に足を運んだ。
「西島ですが、少し、お話しても、よろしいでしょうか」
「おうよく来たな、どうした」
「いや、先生の具合は、どうかと思いまして」
「いや、まあ座れ」
先生は、この前大学院生と酒を飲んだテーブルの椅子に座るよう勧めた。
「心配をしてくれ、ありがとう。まあ、正直なところ戸惑っていることは確かだ。ただ、運命に任せるしかない。今までも、そんな風に生きてきたからな。俺は自分でコントロール出来ない事は、天に任せることにしている。自分がコントロールすることができる事にだけ集中したほうが人生楽しいんだ。自分でコントロールできない事を、ああだこうだ、とりとめもない話をする奴が俺は嫌いでしょうがない。例えば過去の失敗をグチグチと語る奴っているだろう」
「はい、わかるような気がします」
僕は、大野先生の元気な話ぶりに少し安心した。
「君は、まだ一年生だが俺のゼミにまで参加してくれているわけで、君にある意味で期待をしている。まだ先のことはわからないと思うのだが四年生になり研究室を仮に俺のところを選んだ場合、ぜひ君に担当してもらおうと思っているテーマがあってな。少し専門的な話だが植物の遺伝子の機能を調べる研究の場合、植物だけ使っていては困難な部分があるんだ。海外の研究者は遺伝子の機能を調べるのに微生物、特に酵母という真核生物を使う例が近年増えている。俺は、この酵母による植物遺伝子の機能解析を取り込むべきだと考えている。醗酵工学科の北島先生と共同でプロジェクトを立ち上げようと検討しはじめている」
「”こうぼ“ですか」
「そうだ、“酵母”だ。遺伝子の機能を調べるには、遺伝子型と表現型がどうなったかを調べることになるのだが植物の系だけを使っていてはすぐに壁にぶち当たってしまうんだ。しかしな、ある種の酵母では遺伝子型と表現型を調べやすいシステムが出来ていてだな、海外の研究者は、これを積極的に利用しようとしている」
僕は酵母とは何なのか理解していなかった。“こうぼ”、とは何でしょうかと聞きたかったのだが、勉強不足が露呈するので言葉を飲み込んだ。
「新しいテーマを立ち上げるには、やる気のない奴に任せるとろくなことにならないのが常だ。多少、学力は未熟でも、やる気のある事が大切だと俺は思っている・・・
ただ・・・俺は、君が四年生になる時には、もう生きていないかもしれない。でな、俺の言う事に興味があったら、いずれにせよ醗酵工学科の北島助教授を尋ねてみてくれ。この大学で分子生物学の分野で海外留学をして、それなりに知見があるのは、北島さんと俺くらいのものなんだ」
「先生は、そんなに具合が悪いのですか」
「実のところ、手術をしても助かる確率は50%未満と医者から言われている。何しろ脊髄に腫瘍が出来ていて、結構厄介らしい。俺は、この分子生物学という分野に心惹かれるものがあって、若い頃から危険なんか省みないで研究という仕事をして来たつもりだ。君はまだ実験をしていないから分からんだろうが、生体内のDNAの解析には放射性同位元素を使う事になる。すなわち使い方を間違えば被曝すると言う事だ。バーゼルの研究所では、実験室に放射能センサーが用意されていて、放射能洩れがあると危険を警報音で警告してくれるんだ。ところが、この大学では放射生同位元素を使ったDNAの実験に明るい人間がいなくてな、放射能センサーがなかったんだよ。そんな危険な状態で学生に実験をさせる訳にもいかないので放射性物質を使うところは、もっぱら俺がしていたのさ。経験的に、こうすると放射能漏れを起こすとか、ある程度は理解していたからな。
放射能センサーを購入できるようになるまでに業者から見積もりをとったり、学内の予算執行の承認をとったりで、なんだかんだ半年近くかかったな。放射能センサーがきて、測定して見ると。思わぬところから放射能漏れを起こしていることがわかってな・・・因果関係を特定することはまず無理だと思うけど、おそらく、被曝していたことが影響しているはずだ」
「教授の真島先生からの指導は、なかったんですか」
「まあ、あの先生は俺の健康を心配したりするような人物ではないな。放射能センサーを購入する時も、そんなものが必要なのかとか値段が高いとか結構、難癖をつけられた。購入するタイミングが遅くなったのは、真島先生が関係している部分が少なからずある」
大野先生の目が、数秒だけ眉をひそめ、何かを飲み込んだような気配を感じた。
「まあ、人生色々だからな。いい事もあれば悪い事もある、そんなもんだ。人を恨んじゃダメだぞ」
僕は、真島先生に怒りを覚えていた。そして真島先生と高校時代に三田を停学にしようとした吉田先生を思い出してしまった。もしかすると顔は、それほど似ている訳ではないのだが、二人が醸す何かが二人の共通性かもしれない。ただ、真島先生の事はともかく、大野先生が、僕の事を気にかけてくれている事が感じられ、心の芯が暖かくなり、その日は、やすらかに眠る事ができた。

札幌は晩秋を迎え、ひんやりとした空気に街が包まれ始めた。
そんな、ある日に、三田から電話が、あった。
「もしもし西島か、来週な学科の実習が北海道であってな。日高の林道工事の視察なんだが、帰りに札幌に行く予定がある。一杯飲まないか、少し相談したいこともあるし」
「夜なら、お前の都合に合わせられるはずだから飲もうぜ」
その週末の土曜日に、札幌駅の待合室で待ち合わせをした。
僕は、待ち合わせの時刻の十分ほど前に札幌駅の待合室に着き、三田を待った。
しばらして三田が、待合室に入ってきた。
「よー、久しぶり、元気にしていたか」
「大学生活は、割と充実している、高校より水があっている。女っ気は全くないのだが」
そんな高校時代と変わらない、やりとりをしながら地下鉄で大通公園にある生ジンギスカンの店に入り生ビールで乾杯をした。まだ店内に客は数名しかいない、土曜日なら七時をすぎると満席になる事が多い、札幌の人気店の一つである。僕は、三田に大学の様子を聞いたところ、授業は退屈だが山のクラブに入ったらしく、奥秩父の沢登りによく行っているらしい。
「ただな少し事情があって、山のクラブは、おそらくやめることになる」
三田は、飲みかけた生ビールのジョッキをテーブルに置いた。
「実は、俺さ絵美と結婚したんだ」
僕は驚き、ビールを飲んでいる喉も小さく痙攣を起こしていた。だって絵美さんは若年性パーキンソン病を患い、何より二人とも学生であるはずだと少しだけ、卑屈なりに心の中でネガティブな感情が芽生えた。
「少し、順を追って説明してくれないか」
「その通りだ、どこから説明をしたら良いのか俺も戸惑っているところだ」
三田は、生ビールを注文した。炭火で焼いてるジンギスカンが食べ頃になっている。
「俺が、絵美さんに交際を申し込んでいる事は、話したと思う」
「そうだな、彼女は、病気を抱え、お前の申し出を受け入れていなかったと」
「そうなんだ、当初、彼女は難病を抱え、俺と付き合うのは自分が惨めになると言っていた。おそらく、病気になっている事を知ったばかりで、気持ちが不安定だったのかもしれない」
「そうか、その気持ちは、わかるような気がする」
「ところが、夏休みに入る少し前かな、彼女から電話があって俺に会いたいと言うんだ。もちろん、俺は会ったよ。俺たちが高校の時に通った、喫茶モナで」
三田は、少し嬉しそうな顔をしてビールを飲んだ。僕も、ビールを注文した。

「絵美は、病院に通うようになったある日、同じ病気を抱えた小学6年生の女の子と話をするようになった。その子は、絵美よりも病気が進行していて視力が相当程度衰えていてさ、いつも母親と一緒に病院に来ていたそうだ。絵美は、その女の子と母親がとても幸せそうにしている事に気が付いたんだな。
“今日は帰りにマックでチキンタツタを食べたい”とか、“今度ディズニーランドに行くのはいつ頃になりそうなの”とか、たわいのない会話なのだが、二人の言葉のやりとりに何か惹き付けられていく自分を感じたそうだ。
絵美は、その親子に何かしらの暖かさを感じたらしい。絵美は、その温もりがどうして生まれたのか知りたくなり、声をかけた。
「いつも、楽しそうにしているのね、何かいい事でもあったのかしら」その女の子は
「私、もう、あまり見えないの。そうするとね、世の中の煩わしいものも見えないのね、例えば学校の宿題なんか見えないし、私に意地悪するクラスの人も見えない。だけどね、目が見えない分、何か本当のことはわかるようになったの。お母さんが、私の事とても大切に思っている事が目が悪くなってからの方が、はっきりとわかるようになったの、これって変かしら」そのお母さんは
「私は、毎日この子と一緒にいることができて幸せだと思うの・・・娘がパーキンソン病だと知った時は、正直怖いと思ったけど怖がってはいけないのだと思うようになったの。
怖がらない自分になればいいのよ、自分が強くなければこの子を守れないとそう何かと繋がったの。そうでなければ、この子を守ってあげられないでしょ。強くなるって怖がらない事だと思うの。だって先の事って、誰にもわからないんだから。今は、この子から勇気をもらっているとわかるわ」

三田は、言葉を続けた。
「絵美の一つの結論として、生きる事の意味に気が付いたと言っている。自分の運命を預ける清潔さという言葉を絵美は使っていた」
「深い話だな」
「うーん、俺もそう思う」
僕は、三田の表情が以前と比べ、眼差しが平坦になっているように感じていた。
「と言う訳で、彼女の内面は少しずつ変化を遂げ俺に結婚してほしいと言って来たんだ」
「付き合いますではなく、いきなり結婚か」
「そうなんだ、俺はな彼女の言っている事に今まで経験した事のないリアリティを感じた。自分の中に混じり気のない感情を発見したとでも言うのだろうか・・・運命みたいなものかもしれない。俺が絵美を守ってやると言うような陳腐な感情ではないと思う」
「そうか、何かとても良い話を聞かせてもらったような気がする」
「それでな先月婚姻届を出したが、結婚式はしていない。幸い彼女の両親は理解があって、彼女の家で俺たちは同居している。俺は、アルバイトをし、わずかではあるが彼女の家に金を入れ、飯を食わせてもらっている。そんな訳で、山のクラブはやめることになると思う」
「そうか、色々、苦労もありそうだけど、山の中を、さまよっているよりも、確からしいことかもしれないな」
「よくわからないが、苦労を感じたことはない・・・あれジンギスカン、黒焦げだぞ」
「しまった、気がつかなかった」
二人で大笑いをして、炭火で黒焦げになったジンギスカンをまだ食えるとか意外とうまいとか励まし合いながら食い終えた。その日三田と別れ一人でアパートに帰った。
ほのぼのとした感情が心の中に芽生えた。
その夜、絵美さんの夢を見た。
夢の中の絵美さんは純白のシルクのワンピースに身を包み小走りに僕に近づいた。少しエロチックに唇を開きながら僕に近づくと胸の谷間から銀色の指輪を取り出し、僕の左手の薬指にはめてくれた。僕の目を真っ直ぐに見つめ少し微笑み何も喋らず去って行った。

僕は幸せだった。

札幌は師走を迎え、周辺の山々は雪化粧を始めていた。始めての札幌での暮らしは東京とは違う冬支度が必要らしい。灯油ストーブ、ウールの下着、ダウンジャケットを購入し。初めての北国の冬を待つワクワク感に包まれてもいた。東京とは違うピリッと張り詰めた空気に引き締まる思いがした。街から秋の気配が去り雪が降り始めた十二月のある日、僕は大野先生を見舞いに大学の付属病院を尋ねた。大野先生の秘書から先生の病室を内緒で教えてもらう事ができたからだ。先生から学生の見舞いは、不要と秘書は言われているらしい。
「先生の容態を確認するから、明日もう一度、ここに来てくれるかしら」
僕は、翌日、秘書を尋ねると
「先生は、学生の見舞いは不要とおっしゃっていたけど、西島君が見舞いに来たいと伝えたら、先生あなたに是非、会いたいと言っていたわ」
僕は、秘書の方にお礼を述べ、先生のいる病室へと向かった・
「西島です。具合はどうですか」
「おう西島君か、具合は、とてもよろしい、手術も大成功だ。まあ俺は、日頃の行いがよろしいから神様も見放したりはしないはずだ」先生の表情は明るかったが、どこか取り繕っているようにも見えた。以前と比べ顔色は青白くなったようだ。
「そうですか、ゼミには、いつ頃戻ることができそうですか」
「そうだな、来週は無理かもしれんが、その次の週には戻ることができそうな見通しだ。どうだ、分子生物学の勉強は捗っているか。年明けに、ゼミで論文紹介のプレゼンをしてくれないか」
僕は、一年生の間はゼミに出て、聞いているだけで許してもらえると思っていたのだが、世の中、それほど甘くはないらしい。
「冬休みまでに、適当な論文を探し、休み中にやっつけて見ます」
「そうか、そしたらな俺が選んだ論文のコピーを三報、ここに用意してあるから持ってゆけ。一つは総説で、この分野の基礎的な内容を要約したものだ。俺の研究室に入る奴らには、まずこれを読ませる。後の二つは、最近出されて話題になっている研究成果をまとめたものだ。まずは、総説を読んでから残りの二つを読んで俺にレクチュアしてくれ」
僕は、英語は得意でなく、相当なプレッシャーを感じていたが病の床にいる先生を前にして、できませんと答える選択肢はなかった。
「やらせてください」
「よし、お前のレクチュアで、俺は納得したら飲みに連れて行ってやるから、頑張ってみろ」
NatureとかEMBO jounalとか雑誌名が書かれていた。よくわからないのだが、自分にとって未知な領域を感じた。僕は、研究者というような身分ではないのだが、海外の研究者も、この論文に何らかの可能性を感じながら読んでいると考えると僕と海外の研究者も同じ立ち位置にいる事になる訳で、その事が僕に高揚感を与えていた。
「それからな年明けでいいから、この前話した醗酵工学科の北島先生のところに、一度、顔を出して見てくれ」
先生は、僕に三報の論文のコピーを渡し、静かに頷いた。
「少し、眠たくなった」
「はい、それでは帰ります。年明けの僕のレクチュアを期待してください」
先生は僕に背を向け、眠りについたようで何も言わなかった。僕は先生の病室を後にした。

年末は、東京にいる両親のところに帰省した。三田から誘いがあれば飲みに行くつもりだったが連絡はなかった。おそらく、彼も絵美さんの看病とかもあるのだろうと想像をした。東京の正月は札幌よりは暖かく、晴天が続いた。母の雑煮を食べ、おせち料理を食べながら、大野先生に与えられた論文と格闘をした。最初に読むべき総説論文を読むのに時間がかかり帰省中に三報全て読むことはできなかった。
正月三ヶ日が過ぎ北海道に戻る日に母が弁当を作ってくれた。かつて雲取山に一人で行ったときの母の弁当と同じである。海苔のおにぎり、トロロ昆布のおにぎりが入っている。出かけるときに母は
「あなたのことだから大丈夫だと思うけど・・・気をつけるのよ」と言って、僕を送り出してくれた。一人で上野駅から急行電車に乗る、前回は三田が見送ってくれたのだが、今回は一人である。僕らは、違う道を歩み始めているのだと気がついた。北海道に戻ると、間も無く大学の授業が始まった。

冬休み明けの初日の授業が終わり、大野先生の教官室に立ち寄ると、教官室には青ざめた表情の秘書がいた。秘書は、僕を見ると
「大野先生が、亡くなりました」
僕は、何が起きているのか理解する事が出来なかった。
心の中で“大野先生が亡くなりました”とは、どういう事なのだろうと反芻する如く考えていた。つまり、亡くなったとは死んだという事かもしれないし、どこかに行ってしまったのかもしれない。どうやら、もう存在していないという事なのだろう。とすれば存在とは何なのだろう。“ある”が存在なら“ない”が存在しない事・・・・・・・・・・・
僕は大野先生のことを考えていて、僕の中には存在しているけどな・・・

僕はその時に、それ以上深く考えないほうが良いのかもしれないと思った。不都合な現実を受け入れるには、時間がかかる事もあるのかもしれない。僕は、雪の積もった大学キャンパスをあてもなく歩いた。冷たく乾いた風に包まれ体も心も尖ったドライアイスのようだった。
ひとしきり学内を歩き終え、大通り公園方面に歩き小さなバーを見つけた。
“Bar Haru”
シングルモルトBOWMOREをストレートで注文した。
その深い味わいが与えるストレートな物語は僕の硬直した心を溶かし、何かしらの優しさと繋るように感じ始めていた。カウンターに六席の椅子があるだけの小さな空間が僕には宇宙のような広がりを感じた。
まだ時間も早かったので客は僕だけである。バーの薄暗い空間が、自分の内面と対峙するには手っ取り早いようだ。今の僕の内面、すなわち心の姿は大野先生の死を受け入れてはいない。ただ先生の死をどう理解し現実を受け入れるのかの選択が僕の中にはあり、深い沈思の時を迎えた。
バーテンダーは年は三十代後半だろう、白のボタンダウンシャツに細めの赤いストライプのネクタイをしグレーのチョッキを着ている。僕と目を合わせる事なく、寡黙を保ちただ仕事をこなしていた。バーテンダーが僕に尋ねた。
「何か聴きますか」
「はい、ただ音楽は詳しくなくて、お任せします」
「JAZZでいいですか」
「はい、お願いします」
レコードを一枚取り出し、ターンテーブルに乗せた。軽妙なリズムでサックスの音色が心地よい。軽妙だが、けして軽い音ではなく心の深いところをノックするようだ。
「JAZZは全くわからなくて、何というアルバムですか」
「Stan Getz のJAZZ AT STORYVILLE、このアルバムを聞くと、僕は心が解放されてしまう」
「確かに、閉ざされていた心を解放してしまうようなサウンドですね」
「いい音楽は、飽きが来ないんです。このアルバムは1951年の収録で今だに多くのファンを魅了しています」
「すごい、僕が生まれる前の録音なんですね」
「そう、録音は古いのですけれど、何度聞いても僕には、新しいスピリッツを与えてくれます」
「なるほど、分かるような気がします」
「人間って自分の心をどう制御するかって大切な問題ですよね。憂さ晴らしにアルコールに頼る人もいるけど、飲み過ぎは体も心も壊してしまう。運動もストレスを解消するにはいいのでしょうけど、心の内面にまではなかなかたどり着く事は出来ないのかもしれません。音楽は多様な形で自分の心をノックしてくれます。コンコンとね、それで何か大切な事に気がついたりする事、僕にはあるんです」
「大切な事って、例えばどんなことですか」
「そうですね、例えば考えても仕方のない事について、あれこれ悩んでいる事とかかな」
僕はこのバーテンダーが、僕の心を読み取り話しているような気がしていた。
「すいません、もう一杯ウヰスキーをもらえますか、お奨めとかありますか」
「そうですね、国産シングルモルトのニッカの余市なんかどうですか、北海道産です。よかったら僕が作った羊羹少し食べませんか。結構、ウヰスキーに合う筈です」
バーテンダーの作る羊羹は、小豆の風味がしウィスキーによく合った。
「ウヰスキーに羊羹って、よく合いますね」
「そうですね、市販の羊羹だと甘くてウイスキーには合いませんが手作りだと、甘みを抑えて作れるのでウイスキーとの相性はよくなります。小豆の風味ってウイスキーに合うはずだと僕は思っています。しかも北海道産の小豆ですから」
「原料って、大切なんですね」
「折角北海道にいるのだから、北海道産の農産物をなるべく勉強しようと心がけています」
ニッカの余市はBOEMOREのような味わいではないが個性的で、深く優しい味わいがあった。心の中で固まってしまった部分を内部から、そっと解くような感覚があった。
「同じシングルモルトでも、随分と味わいが違うのですね」
「そうなんですシングルモルトウヰスキーは、ものすごく多様なので、ある意味奥が深いのだと僕は思います」
僕はバーテンダーの仕事とは、酒を客に提供するだけでなく、客の心に寄り添う人としての力量が求められるのかもしれないと思った。
僕は、このバーでシングルモルトを飲む事で、現実を受け入れる事ができそうな気がしていた。自分がコントロールできない事をクヨクヨしても仕方がないのだ。その日、アパートに帰り、布団に入ると大野先生の夢を見た。大野先生は白衣姿で、少し厳しい表情でをしながら僕に近づき
「お前、何やってんだ」
と言い、ニヤッと笑い去った。

大野先生の葬儀は、家族及び近親者で執り行われ僕は参列する事は出来なかった。今となっては、形見になってしまった岩波の生物学事典と三報の英語の論文が手元に残った。論文のレクチュアを大野先生にする事は出来なかったが、最後まで、読まなければならないと思った。もしかすると、最後に見舞いに行った時に、もう先生は死を覚悟していたような気がしていた。先生は僕に勉強するよう、それとなく働きかけていたのだろう。今となっては、強くそう感じていた。全て理解できているのかは、怪しいところもあるのだが、一応論文を読み終えた頃、発酵工学の北島先生を尋ねた。

「一年生の西島と言います、亡くなった大野先生から北島先生を尋ねるように言われていましたが、今、お時間ありますか」
「ああ、君が西島君ですか。大野先生から聞いています、そこにかけてください」
北島先生の教官室は、大野先生の教官室とほぼ同じ構成となっていた。奥に北島先生のデスクがあり、その前に打ち合わせ用のテーブルと椅子。打ち合わせ用テーブルを挟むように両側は書庫となっていた。大野先生の教官室と違うのはヌードカレンダーがない事である。その代わりに宮沢賢治の“雨ニモマケズ”の全文が壁に貼られていた。
北島先生は背が高く、年齢は四十台前半、髪はやや薄くなっているがバーバリーのメガネをかけ、血色がよくダンディーな雰囲気を醸していた。
「大野先生が亡くなり、残念な気持ちです。今後の活躍が期待される研究者でしたから。
西島君は大野先生のゼミに参加されていたのですね。分子生物学に興味を持っていて、大変熱心だと伺いました」
「いや、そんな風に褒められると困ります。ゼミには参加していましたが、あまり理解はできていないと思います」
「大野先生と、植物遺伝子の機能解析プロジェクトを共同で立ち上げる予定でした。亡くなる少し前に、大野先生を見舞いに行った際に、西島君が僕の研究室に来てくれたなら、是非、担当させてほしいとの申し出がありました。研究室に入るのは四年生からなので、少し間がありますが、差し支えなければ僕のゼミに参加してはどうですか。興味があれば、ご縁ができるでしょうし強制はしませんので」
僕は、北島先生の話し方に心惹かれていた。丁寧な話し方に加え、説明がわかりやすく信頼に値する先生であると思った。北島先生のゼミも金曜日の夕方に設定されており、翌週のゼミから参加することにした。北島先生から英語の文献を五報渡され、一月後にゼミで読んだものから一報を発表するよう指示をされた。

北島先生のゼミに出るようになり、大学院生の発表する内容を聞いていると大野先生のゼミで基礎的なことを理解していたので、多くの部分で理解ができるようになっていた。
今では、“こうぼ”ではなく“酵母”であると認識をできるようになっており、植物よりも実験材料として優れている部分が多くあると感じていた。
一月は、瞬く間に過ぎ、僕のゼミでの発表の日となった。僕は、Natureという雑誌に掲載された酵母の染色体に外来の遺伝子組換えが起きるメカニズムについての論文を取り上げた。北島先生から、いくつかの指摘を受けたが、概ね理解ができているようだとのコメントをもらう事ができた。僕は日増しに、酵母を使ったシステムについて興味を持つようになっていた。やがて、僕は大学二年生となった五月のある日に三田から手紙をもらった。

拝啓
そちらの大学生活は、順調だろうか。前回、札幌で会った時には元気そうにしていたので、まあ安心をしている。実は、君に報告しておきたい事があり筆をとった。絵美が出産した。
若年性パーキンソン病で出産する場合、投薬が出来なくなるなど、母子共にリスクがある。
俺は、結婚した時は、子供は諦めていたのだが、絵美は、どうしても産みたいと話していた。
絵美は自分の運命を確かめたいのだと、そして、きっと生む事ができそうな気がすると話していた。俺には、彼女には何かしら確信のようなものがあるように思えた。俺は、覚悟を決めるしかないと考えるようになった。母子共に死んでしまう可能性も考えなければならない。担当の医者は母子ともに助かる可能性は50%未満だと言った。と言うことは0%なのかもしれない訳だ。ところが、絵美は、可能性があるならば、それに賭けて見たいと、すぐさま、医者に切り返した。
そんな訳で、看病というほどでもないのだが、少しでもそばにいる必要が少なからずあり、お前にこれまで連絡をする事ができなかった。お陰様で、先週男の子を産んでくれた。絵美も元気にしている。名前は太郎にした。お前の名前の“慎太郎”から“慎”の文字をとった形になる。きっと、お前より、慎み深くない、男になるだろうな。
まあ、機会があれば、一度、我が子を見に来てくれ。          敬具

僕は、正直驚いた。あいつは、もうすでに父親なのかと思うと少し寂しさを感じない訳には行かなかった。高校を卒業し数年で、あいつは父親になった訳で、そんな事が実際に起きる不思議な感覚があった。あいつからの手紙を読み終えると湯を沸かしコーヒーを淹れた。湯を沸かしている間にコーヒーカップの上にドリッパーを重ねペーパーフィルターを乗せた。セイコマートで買ったコーヒーの粉をスプーンで一杯、ペーパーフィルタに乗せるとコーヒーの香りが、鼻腔を擽ぐる。沸騰した湯を数秒間置きコーヒーに注ぐと香ばしい香りが漂い心の均衡が取れ始めてゆく。
少しずつ喜びが訪れて来た。友人の幸せを喜ばずにはいられず大野先生が亡くなった時に立ち寄った大通公園のバーに出かけた。その日はすでに夜の八時を回っており二人の先客がいた。僕はカウンターの一番端にある席に座ると例のバーテンダーが僕に尋ねた。
「今日は、何にしますか」
「そうですね、今日はビールを下さい、少しいい事があったのでお祝いです」
「ビールはエビスの中瓶になりますが、いいですか」
「それで、お願いします」
マスターが冷えたグラスをコースターに置き、エビスビールを数回に分けて注ぐ。綺麗な白い泡はこの世に生まれてきた赤ん坊のような無垢がある。さざ波のような音とともにホップの香りに包まれ、乾杯と呟きエビスビールを飲んだ。ほんのりとした苦味が旨さに溶けてゆく。
「今日は、これ作ってきました。よかったら召し上がって下さい」
キュウリと人参がたっぷり入ったポテトサラダである。酸味があって美味しい、キューリがシャキシャキとしている。
「この前の、羊羹も美味しかったけど、このポテトサラダも抜群に美味しいです」
「それは、よかった」
バーテンダーは、少しだけ嬉しそうな顔をし、相変わらず寡黙に仕事の手を休めていない。
「実は、嬉しい事がありました」
「どんな事ですか」
「高校時代の友人に子供が生まれたんです。奥さんは難病があり、危険な状態だったらしいのですが無事出産を終えたんです。今日その友人から手紙をもらい、少し嬉しくて、ここでビールを飲みたくなりました」
「よかった、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「友人からの手紙っていいものですよね。足を運んで実際に会うのも楽しいけど、仕事を持ったりすると疎遠になりがちですよね。そんな時に、もらう手紙って最高の贈り物になります。内容が、いい話であればさらにいいです」
「そいつとは高校時代に、よくビールを飲みました。それで今日はビールなんです」
「なんか表情が、この前来られた時とは別人のように明るいです。店に入ってきたときは、別人かと思いました。まあ人生って、良いことばかりではないし、悪いことばかりでもありませんからね」
そうか、大野先生の死からまだ数ヶ月しか経っていないのに、僕は先生の死がもたらした悲しみを、どこかで乗り越えつつあるようだった。それは、僕を取り巻く人たちとの関わりがあるからだとも思えた。僕は、翌日大学の生協で便箋と封筒と切手を買い、その夜に三田に返事としての手紙を書いた。めでたく、嬉しく思っていることを言葉にし、僅かではあるが一万円を同封し、翌日現金書留にて郵送した。僕は、親からの仕送りに加えアルバイトで収入を得ていた。当時の僕には一万円の出費は厳しい出費ではあったが、祝意を伝えるには千円という訳にもいかないように思えた。

大学三年生になる頃には、僕は北島先生のゼミには毎週出るようになった。論文の内容も、興味深いものがあり、積極的に活動をするようになった。まだ研究室には入っていなかったが、大学院の先輩から染色体DNAの精製方法の手ほどきをレクチュアしてもらうなど、四年生になったら北島研に入ると心に決めていた。
一方で、ゼミの活動に時間を取られるようになり、ワンダーフォーゲル部は退部してしまった。一人で山を歩くのは好きなのだけれど、どうも、集団で行動をするのは少しばかり苦手かもしれない。自分が心に響く場所があったとして、僕はもうしばらくここにいて、この空気を感じていたいとしてもリーダーが先を急ぐ判断をすれば、先に歩を進めなくてはならない場合がある。リーダーは、メンバーの安全を考慮しその中で良い山行をするために努力している訳で、ありがたいなと思う事が多くあったのだが、やはり自分の考える山の楽しみ方とは違うと感じていた。
ある意味で山歩きの楽しみは、本当の自分を感じることかもしれない、煩わしいことを考えないでいる状態こそが、恐れのない本来の自分。

四年生になり、僕は北島研に入った。研究室には定員があり、その年は定員の十人に対し十二人の希望者があった。北島先生は、デスクを皆でシェアして使ってくれるなら、という条件で十二名全員を受け入れてくれた。お陰で僕は、二人で一つのデスクを使う事になってしまった。ただ、幸いなことに、僕は朝方人間で、もう一人の彼は、夜型人間だったので比較的スムースに研究室での生活に入る事ができた。研究室に入ると、大学院生から危険物の取り扱い等、実験を行う上での安全性確保についてのルールを学ぶことから始まる。研究テーマも割り当てられ、研究室で実験をする毎日が始まった。
僕は、大学院までこの研究室で過ごした。研究室の生活は、充実した時間を過ごす事が出来ていたと思う。自分なりに、何か自信を持つ事ができる、ようやく自分の可能性とはどう言う事なのかについて、理解をし始めていた。おそらく、その可能性とはある意味で無限なのだ。自分が心を閉ざしていなければ。

僕は、大学院を修了すると関西の大手酒類メーカーに就職し、研究所に配属され発酵微生物の研究開発に従事した。東京育ちで北海道から関西に行ったので、三田とは疎遠となり、年賀状のやり取りで近況をお互いに伝える程度の交流になっていた。三田は大学院には行かず大手建設会社に就職をした。幸いな事に絵美さんの病気の進行は遅いらしく太郎くんを含む三人で仲睦まじく旅行に行った時の写真が年賀状に印刷されていた事があったりした。
僕は勤めた会社で社内恋愛で結婚をしたのだが子供を作る事なく離婚をした。結婚後、価値観の違いが顕著になり生き苦しい毎日が続いた。結婚したらあまり我儘を言ってもいけないだろうと自分の中の何かを押し殺しながら自分なりに努力をしたつもりではあったのだが、元妻は突然実家に帰り、慰謝料の請求と離婚調停の申し立てを起こした。慰謝料の請求など全く身に覚えがなく不当な扱いを受けているのだと気がついた。だって慰謝料って相手を傷つけた事によるのではないのか、僕には全く身に覚えがなかった。きちんとする必要が少なからずあるのだと気が付いた。
裁判所の判断で慰謝料の請求は却下されたものの財産分与はする必要があり、想像していた以上の金額に驚いた。半年に及ぶ離婚調停を通じ、結婚は法律上は契約なんだということを痛いほど知らされる事になる。契約そのものに罪はなく、社会のルールとされるので、良い面と悪しき側面があるのだろう。ただ契約から生ずる権利を金科玉条とされるのは受け入れ易いことばかりではないと思えるのだ。なんというのだろう、何か不条理なものを受け入らざるを得ない状況におかれる事で何かしらの心の形を求められるているように僕は感じていた。
僕の拙い理解において受け入れる事と与えることは、おそらく根っこで繋がっている事象のように思えるのだ。何であれ受け入れられない人は与えることもできないだろう。何かを与える事は幸せに繋がっている可能性というか、きっかけのようなものが、そこにあるように思えるのだ。
結婚という契約のもとで、自発性の発露はあまり感心されることではないのかもしれない、全ての結婚が必ずしもそうでないにせよ、少なくとも僕にはそう思えてしまったのだ。僕は、どこか他の人とうまくやれない存在であると感じるようになり、ある種の孤独感を味わう事になった。
孤独の始まりは点、しばらくすると線となり、やがて面となり僕の心を支配した。僕は、何かしらの繋がりを求めるようになった。人でも、モノでも、音楽でも、絵でも何でもよかったのかもしれない。東京育ちで関西では友人もいなかったのだがある日、神戸で開催されていたゴッホの展覧会に足を運んだ
僕はゴッホの絵から孤独と優しさを感じ取った。ゴッホが描く絵には孤独と慈愛が調和し、僕の心の琴線をそっと震わせ孤独が昇華して行った。
その年の年末に休暇を取り、オランダにあるゴッホ美術館、クレラーミュラー美術館に行きゴッホの絵を見に行った。特に僕が心を惹かれたのは初期のハーグ時代のデッサンである。シーンという女性を描いた“ストーブのそばで葉巻を吸うシーン”という絵がある。シーンは娼婦で妊娠をしていたのだがゴッホはシーンを家に住まわせ約1年の同棲生活をしたとされている。シーンが抱える孤独をゴッホの慈愛の眼差しが暖かく捉えている。うまく言葉で説明するのが難しいのだが、少なくともゴッホという画家は孤独を引き受け慈愛へと昇華する事ができるのだ、それがゴッホを愛する人々の源泉となっているのだと確信した。
僕の孤独も形を変えたものへ昇華する可能性があると思えるようになり、自分を肯定的に見る事ができるきっかけになって行った。だからと言って自分の状況が変わる訳でもないのだが、少なくとも孤独は誰もが抱えているのかもしれないとの気づきがあったのは、一歩前進であったと思えるのだ。そして孤独と向き合う事でなぜかゴッホと繋がっているような心持ちになり僕の心を温めてくれた。おそらくゴッホの絵は、現代に生きる多くの孤独を引き受けているのかもしれないと思えるのだ。

離婚、そしてゴッホとの出会いを契機に自分の中で達観するような境地へと内面の変化が訪れていた。特段必要がなければ仕事は定時に退勤し、休日の午前中はヨー・ヨー・マのバッハの無伴奏チェロ組曲を聴きながら掃除と洗濯などをしていると穏やかな気持ちになった。少し長い休みを取れると、北アルプスの白馬岳周辺の山々を歩いた。かつて歩いた大雪山で見たような高山植物を見ながら山小屋でシングルモルトウヰスキーを飲んでいると、時の経つのを忘れてしまいそうになった。高山植物が花を咲かすのは、一年のうち、僅かである。花の色の艶やかさ、その形状の可憐さに加え、その、なんとかして生き延びようとする生命の力強さに、幾度も励まされたのだと思うのだ。そこには自我のない、ただ生きているだけの力強さから生まれる純粋な美しさがあった。
ただ生きることは美しいことなのだと。
なんとなく肩の力が抜けたような僕は、少しずつ自分のペースを作りかけていた。
そんな頃、東京の事業所に転勤することになった。大学を出てから初めての東京勤務である。両親は二人とも、まだ健在だったが僕は会社の寮に住むことにした。考えてみれば、東京で一人暮らしをした事がなかった。初めて一人で暮らす東京は、それなりに楽しい生活でもあった。昼休みは会社近くのランチを職場の仲間と食べに行き、上野にある国立西洋美術館や靖国神社、神田明神、護国寺など東京見物に出かけるのは、それなりに楽しい生活となり始めた頃、高校のクラス会のお知らせメールを受け取った。これまで関西にいたので、高校のクラス会には一度も出席をした事がなかった。三田は来るのだろうか。

クラス会は渋谷の居酒屋で取り行われ、卒業後三十年近くが経っており、名前と顔がなかなか一致しない人もいた。総じて女性は、昔の面影を残している人が多いのだが、男性は、風貌が随分と変わっている人もいた。見渡すと三田はいなかった。クラス会が始まり、初めて参加した僕は、簡単に挨拶をした。挨拶が終わる頃に三田が入ってきた。目が合い、軽く会釈をした。僕は、挨拶が終わると、三田のところに行き声をかけた。
「よう、久しぶりだな」
「その通りだ、確か、お前の結婚式に呼んでもらった時以来でないかな。離婚したと年賀状に書いてあったが、元気そうで何よりだ」
「うん、まあ人生色々だからな。なんか、肩に力が入らなくなった感じで、最近、楽しくやっている。お前の方は、どうなんだ」
「俺はさ、三年前に東日本大震災って、あったろう。俺の会社は建設会社だから、その復興関係の仕事で、被災地に出向していたんだ。まあ、聞いていると思うけど、本当悲惨な世界でな、毎日ひっきりなしに津波でさらわれたた旦那を探してくれだの、仕事がなくなったので金がないとか、家族が病気になったけど病院が被災でなくったのでどうしたらいいかとか、まるで戦場のようだった」
「なるほど、それは大変だったな」
「うん、そんなんで最初の一年は、一年で休日は三日だけという生活をした。朝七時から夜は、十時過ぎまで仕事をしてな、まさにブラックそのものだ。ただ、一刻一秒を争うような出来事が次から次へと持ち上がり、正直なところ、俺たちの手では、どうすることもできないって事なんだろうなと思った。そんな生活をしていたら身体が持つはずもないよな。実は俺、心筋梗塞で倒れてな、カテーテルを使った手術を急遽せざるを得なかった。まあ、なんとか一命をとりとめたと言う訳だ。医者の話では、激しい運動は命取りになるからやめろと言われている。酒は多少いいそうだ。そんな事があって会社は、俺を被災地の現場から、東京の事業所に戻してくれたので、このクラス会に来れ、お前と再開が出来た」
三田は以前と比べ、少しやつれた印象もあるが、総じて元気そうには見えたのだが、何か、話し方とか視線が少し上ずっているようにも見えた。まあ、お互い五十歳を過ぎ年齢を重ねていることは間違いがなく、それが普通であるのかもしれない。
「そうか、でも、こうして会えて良かったと思う。ところで、絵美さんと太郎君はどんな様子だ」
「おかげさまで、絵美は、病気の進行が遅くてな、手が震えたりはするし、時々意識がなくなるから、通常の仕事は難しいが、普通に生活をしている。最近は、英語の翻訳の仕事をアルバイト程度にしている。やはり、何か仕事をすることで、生活にメリハリができるようだ。太郎は、年賀状にも書いたが、大学を出て、都庁に勤め五年ほどになる、来年、結婚することになった」
アルコールが入りクラス会が終わると、二人で飲みに行った。懐かしい話に花が咲き、三田が話す。
「そういえばさ、俺が新聞配達していた時の小原さんって覚えているか」
「ああ、T大出て官僚だった人物、なかなか味のある人柄だったと記憶している」
「小原さんは、今、八ヶ岳の麓でカフェをやりながら小説を書いている。カフェでは山の話などしながら結構女性にモテるらしい。まあ年賀状だけの付き合いなので、確からしい情報ではないのだが」
そんな風にして、かつての話を思い出しながら楽しい時間を過ごした。別れ際にあいつが言った。
「でもさ、生きてるって不思議だな」
「ああ、俺も同感だ。年末に、また一杯やりたいな」
「そうだな、下北沢のおでんやは、もうなくなったぞ。でも下北のどっかあたりは、どうだ」
「了解だ」
僕は、あいつが言っていた
“生きてるって、不思議だな”という言葉が心の何処かに残った。
それから一週間ほど経ったある日、僕の携帯電話に三田のアドレスで、一通のメールの着信があった。
“西島様
昨日、三田が就寝中に、心筋梗塞で亡くなりました。
葬儀の予定は、追って、決まり次第、連絡します

                         三田 絵美“
僕は、何の事だか、理解ができずに放心していた。仕事中だったので、トイレに入りそのメールを三回繰り返し読み直した。逃げ道は、どこにもない袋小路のようだ。やはり一度足を運ばなければならないと本能的に感じ、三田の家に電話をかけた。
「西島です、三田が、亡くなったとメールをいただきましたので電話をしました」
「西島君、ほんと、久しぶりだわ」
「何というか、三田を見る事、出来ますか」
「明日には、葬儀屋さんに渡さなければならないから、今日なら家に来れば見る事できます」
「そうですか、これからお伺いしてもよろしいですか」
「はい、こちらは構いません。気をつけて来てください」
僕は会社を早退し、三田の家を尋ねた。三田の家の前で、多少身なりを整え玄関のベルを鳴らすと玄関が開き、絵美さんが迎えてくれた。
「お久しぶりです、この度はご愁傷様です」
「こんなに早く、足を運んでくれてありがとう。わたし、少し元気が出てきたわ」
絵美さんは、昔と変わらぬ清楚を保ちつつ、透明感の増した美しい姿に変化を遂げていた。
昔、夢の中で見た少しエロチックな、絵美さんではなく安心した。
当たり前か・・・
絵美さんは、三田が眠る部屋に通してくれた、棺桶の中にいた三田の顔をみると、やはり苦しそうな顔をしており心が痛んだ。絵美さんは、泣いていた。
「ごめんなさい、まだ気持ちが動転しているようなの」
「いや、僕も驚いています」
「この前、クラス会で会って、二人で飲んだって聞いたわ。三田、とても喜んでいました。亡くなる前に、西島君と二人で飲めて、良かったんじゃないかしら。これも、きっと何かの運命なのよ。きっと、もう寿命は尽きかけていたのかもしれない。その前に、一度だけ、西島君とお酒を飲ませてくれたんじゃないかしら。私が、神様ならそうするわ」
「私の病気のことはご存知よね、私、病気だからと言って不幸だなんて考えないようにしているの、というより考えなくなった。運命ってね、すでに神様が決めていて、私たちの力のおよばないものだから、不幸なんて考えてはいけないの。でも、今は少しだけ不幸って、どんなものか分かります」
僕は、思わず涙が溢れた。三田の頬に触れると、ドライアイスのせいもあるのだろうが、とても冷たく感じた。これが、死と言う事なのかとまざまざと感じたのだ。絵美さんは、すでに涙を拭き、僕の後ろに立っていた。
「足を運んで、良かった。三田の顔を見る事ができたし、何より、久しぶりに絵美さんにも会えたし、思ったより元気そうで病気と聞いていたから少し心配していました」
絵美さんは、少し微笑みを取り戻し
「本当かしら、怪しいものだわ」
絵美さんは、妙に、明るい表情で
「あなた達が高校生の時、西島君。一人で雲取山に行ったわよね。私は、振られてしまったけど、その後大学に受かったらでいいから、連絡してほしと言った事を覚えているかしら」
僕は、今、この瞬間まで、その事を忘れていたのだが、今はっきりと思い出すことができた。
「いいのよ、西島君をせめるつもりではないの、ただ、あなたに感謝しているのよ。いつか、あなたが私の前に現れてくれるかもしれないと言う思いが、もしかしたら、自分の生きると言う力になったのかもしれないの」
僕は、なんと言うか、100%,いやそれ以上だろう・・・言葉を失っていた。
「今日、西島君に会えて良かったと思うし、あなた、とても素敵になったわ。あの頃、私が思っていた通りだわ」
僕は一瞬、絵美さんがショックのあまり気が狂っているのではないかとも思った。僕は会社帰りの服装で髭は朝、剃っているものの、夕方には相当程度見苦しくなっているはずだ。ただ絵美さんの話し方には、ある種のリアリティを感じたのだ。多分、三田との思い出の中に僕がいるのではないだろう。その時の絵美さんを綺麗だと思ったし、不埒な考えは微塵もなかった。そんな懐かしい時間を絵美さんと過ごした後に、絵美さんが、もう一度、三田の顔を覗き込むと・・・
「顔が変わってる。何か楽しそうな顔に、見て」
僕は、三田の顔を見てみると、確かに最初に見た苦しそうな顔ではなかった。大仏様のような、穏やかな表情に変化を遂げていた。こいつ実は、生きているのかと思ったほどである。絵美さんと僕の話を三田が盗み聞きしていた夜は、時間を数十年前まで思い巡らせ、運命の輩は、僕ら三人を、しっかりと、優しく包み込んでくれるのだった。
ありがとう。

僕は、風の中から聞こえてくる物語に耳を傾けながら生きてきたようだ。それは余りにも微かな声で聞こえない人には聞こえないのかもしれない。それは、いつも、気づきという形で僕を導いてきたようだ、その正体はなんなのだろう。
それは、きっと風なのだ。
高校生の頃、僕は自分が感じるまま、風の吹くまま生きていたのだと思う。幾多の出会いと別れを経て、今は、風と繋がっている自分に気がつくのだ。
そして、それは、そんなに悪いものでもないと思えるのだ。
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みんなの感想(1件)

花雨
2021.07.30 花雨

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