父が残したトイレットペーパー

齋藤 遊雨晴

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父が残したトイレットペーパー

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父が残した最後のトイレットペーパーで尻を拭く。
父が四年前に亡くなった時、何か形見になるようにものを探したのだが、適当なものが見
当たらなかった。
母が七年前に亡くなったのだが、母は茶道をしており茶道具等があり、迷わず形見の品を、
いくつか見つけることができたのだが、父にはこういったものが見当たらなかった。
父は、これといった趣味はなく、貯金通帳を僕に見せ、少し増えたと誇らしげに話し、貯
金通帳の金額が増えることで、ささやかな生きがいを感じるように僕には思えた。
息子としては、父の機嫌を損なわないことが、親孝行かもしれないと自分に言い聞かせ、
余計な相槌を打つのだ。
父の節約ぐせといえば、聞こえがいいのだが、いわゆるケチぶりは今に始まったことでは
なく、いくつもの思い出がある。
例えば、一つ例をあげると僕が小学三年生の頃、国語の教科書に鰻に関する記述があった。
先生は
「先生は鰻が好物だ、鰻を好きな人は手をあげて」と言った。
クラスのほとんどが手をあげていたのだが、僕は鰻について、商店街の割烹から放たれる
香りでしか存在を知らず、鰻という漢字の読み方すらおぼつかない子供であったのである。
今までに、鰻なるものは、食べたことがなく、どんな味なのかわかるはずもなく、恥ずか
しさを感じた。
家に帰り、母に
「クラスで鰻を食べたことがないのは僕だけかもしれない。どんなものなのか知りたい」
と打ち明けた。母は、少し困惑の表情を浮かべ、不安げな表情を浮かべると、目元が戦い
モードへと変化するように見えた。父が仕事から帰ると、母が僕に鰻を食べに連れて行っ
て欲しいと父に頼んだ。
「あんなまずいものを食ってどうするんだ、値段も高いし、あんなものを喜んで食べるや
つは、金の価値なんかわかっていないんだから、やめておこう」
これを聞いて母は激昂した。
「一通り世の中の食べ物とか教えるのは父親の責任です。つべこべ言わないで、慎太郎に
鰻を食べさせなさい」
父は渋々と、その週末に僕を近所の割烹に連れて行った。父は麒麟麦酒とお寿司を食べ、
僕は生まれて初めて鰻重を食べた。
鰻重の蓋を開けると甘く香ばしい香りがした。今まで食べていた鯵の干物とか、鮭の切り
身とは次元の違う食べ物のように感じた。鰻とご飯を箸で掴み、口に入れると鰻は柔らか
く、ご飯と相まってうまさが口中を満たしていた。
「鰻重って、美味しいね」と僕が言うと、父は・・・
「いや、そんなはずはない。こんなものを高い値段つけやがって、とんでもない店だ、こ
んなものを食うやつはバカものだ」
店の板前さんが、不機嫌そうな顔をして何かを呟きながら僕らを見ていたことを今でも覚
えている。
おそらく、父は僕に、鰻はもう食べに連れてこないからと言っているのだと思った。僕は
父の機嫌を損ないたくなかったので、今に至るまで鰻を食べたいと言ったことはない。
父が亡くなる数ヶ月前に認知症が疑われ、ホームヘルパーを検討していた。
その少し前から、現金を盗まれたとか、子供が家の中にいるとか言うようになっていたの
で少し心配をしていた。
週に二回ほどヘルパーに来てもらい、買い物や健康状態を見てもらうのが適当と考えたか
らだ。金額も父の年金で賄える範囲であったのだが、父から電話があり
「慎太郎、ヘルパーの金額は高くないか?なんか安くする方法とか、お前知らないか。こ
の前、契約書とか持ってきてハンコをつけとか言うのでなんか胡散臭いんだ」
僕はヘルパーの事務所を訪ね、息子としてはヘルパーに来てもらうのが適当と考えている
こと。父も同じ考えではあるものの金額を心配していることを告げた。
答えは役所で決めた金額なので金額交渉の余地はないとのことであった。父にその旨を告
げると・・・
「そんなバカな話があってたまるか、商売で、やってるんだから、最低でも10%は引い
てもらわなければ、俺はハンコはつけない・・・」
僕は、父が本気で行っているのか、やはり認知症が進んでいるのか判断ができなかった。
そんなことをしているうちに、おそらく、認知症の影響なのだろう、家の玄関の前で倒れ
たところを近所の人に見つけてもらい、救急車で入院することになった。
病院から連絡があり、僕は仕事を休み、病院に行った。救急治療室の診察台で父は貯金通
帳などの入った巾着袋を抱え込みながら・・・
「俺の金を取るな! お前たちは何ものだ!」などと叫んでいる。
医師からは、この状態が続いていて検査ができないのだと。但し、認知症は疑われるとの
ことであった。父に
「お父さん。慎太郎だよ、どうしたの、ここは病院だよ」
「なんだ、お前か、こいつら俺の通帳を持って行こうとするんだ」
「お医者さんが検査できないで困っているらしいんだ。僕が、その通帳を預かるよ」
「そうか、お前なら大丈夫だ、じゃ、しっかり頼むぞ」父は通帳の入った巾着袋を僕に渡
すと検査室へ連れて行かれた。
父を病院に預け、数日後、病院の担当医から仕事中に電話があった。
「まだ精密検査の結果は出ていませんが、レビー型認知症の可能性があります。進行の具
合にもよりますが、専門の病院に転院するのが望ましいと考えています・・・
それから、大変申し上げにくいのですが、お父さんから暴力を受けたと複数名の看護師か
ら聞いています。当方としては、こういった場合ご家族の方に二十四時間付き添いを願い
することが規則となっていて、できない場合は、お父様にお引き取りいただきことになり
ます」
「僕は昨年、離婚して、今は一人暮らしをしていて仕事がありますし、付き添いはできな
いのです。なんとか父を病院においてもらえないでしょうか」
「申し訳ありませんが、規則なので・・・それに管理する立場上、看護士達を守る責任が
あることをご理解ください」慎太郎は、途方に暮れていたが、流れに任せるしかないと思
った。
父を連れ、病院からタクシーで父の家に向かう。
「俺はなんで入院したんだ、なんか病気か?」
「数日前に家の前で倒れて救急車で運ばれたのさ。覚えてないの? お父さん認知症の疑
いがあるので検査をしていたのだけど看護師の人に暴力を振るったから追い出されたのさ、
暴力を振るったの?」
「そんなことはしていない」と同時に父親から、こめかみのあたりを殴られる。
歳をとったせいか、パンチはほとんど効かない。むしろ弱々しいパンチが少し悲しくなっ
た。あとは二人ともほとんど無言で父の家に着く。
翌日は会社を休み、ヘルパーの事務所を訪ね、昨日の状況を説明し、ホームヘルパーの派
遣を依頼した。認知症の疑いがあるので息子である僕が捺印することで契約は成立した。
翌日からホームヘルパーに見てもらうことができたので翌日は仕事に行く。その日の午後、
再び携帯電話に救急車から電話があった。
父がバスに乗ろうとしたところ、足を滑らせ転倒し、どうやら股関節を骨折したらしく、
歩行不能とのことである。
仕事を早退し、父が入院した救急病院に駆けつけた。医師からの説明では、股関節を骨折
しており、人工関節の手術が必要とのことである。
これまでの経緯、前の病院で看護師に暴力を振るい退院することになった事などを医師に
説明したところ、そういった患者さんは時折いるので対策を取り、この病院では受け入れ
は可能とのことである。
興奮しているようであれば鎮静剤の投与、それでもダメならバンドでベッドに固定してし
まうとのことであった。今は鎮静剤で落ちついているように見受けられるとのことだった。
父の病室に行くと
「お前、よく、ここがわかったな。探してくれたんだな、ありがとう・・・ありがとう」
と言い、涙ぐんでいる。
「お父さん、どうしてここにいるのか覚えているの?」
「いや、よくわからんのだ。俺は、どっか悪いのか?お前を電話で呼ぼうと思ったんだが、
お前の電話番号を忘れてしまって、年は取りたくないもんだな。ところで腹が減ったんだ
が、あんぱんを買ってきてくれんか」
近くのコンビニで、一個88円のあんぱんと紙パックに入った牛乳を買い、父に持って行
くと
「お前、俺が、あんぱんを食べたいことがよくわかったな。さすが俺の息子だ。そういえ
ば母さんはどうしている」と聞かれた。
ここまでくると、認知症は相当進んでいるものと判断することができたので
「母さんは、家でお茶のお稽古をしているよ」と答えた。
「あーそうか、今日は、お茶のお稽古の日だな」
思えば、父の行動に振り回され、その流れに沿ってきた結果が今ここにあった。
父の認知症は、それなりに進んでいるのだ。これからも、父が引き起こすトラブルも覚悟
せざるを得ないだろう。
ただ美味そうに、あんぱんを食べている姿を見ていると、僕はそんなに悪い気分ではなか
った。
仕事を理由に、あまり父の面倒を見ているとはいえない側面があったにもかかわらず、こ
うして喜んでくれるのは、ある意味ありがたく、何か不思議な心持ちがした。
この数週間後、父は人工関節の手術を受けることになるのだが、細菌感染のため手術後、
一週間ほどで、あっけなく亡くなってしまった。
話は元に戻るのだが、形見らしきものを探したが適当なものが見当たらない。
父の本は“鬼平犯科帳”とか“神風特攻隊”とか、およそ興味を惹くものはないのだ。物
置部屋として使っていた部屋が玄関近くにあり、母が生前、お茶の稽古の仕度をする部屋
として使っていたが、今では父の荷物置場になっていた。
ここにエリエールの十二ロール入りトイレットペーパーが山のように積まれていた、百個
近くはある。
おそらく自分が動けなくなったときのために、買い置きをしたものと想像するのだが、他
に買いたいものは思いつかなかったのか、少し不憫を感じた。
これらすべてを持ち帰ることはできそうになかったが、車で三十個ほどを形見として社宅
に持ち帰ることにした。
このトイレットペーパーで尻を拭くたび、毎日、父を思い出すことで少し寂しがり屋な父
の供養になるかもしれないと考えたからだ。
今日、最後のトイレットペーパーで尻を拭いたが、いつもと変わらない拭き心地である。
父との思い出の日々は、自分の中にきちんと居場所を確保していることに気がつき初めて
いた。
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