魔法使いと勇者ちゃん

ちくでん

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記憶の井戸

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 結局あれからゴーレムを何機倒したか。
 侵入者撃退用のゴーレムを排除しながら、私たちは先に進んだ。
 
 やがてたどり着いたのは、広い自然窟の中にある大きな縦穴だった。穴の直径は三十メートルはあろうか、大きく深く、底が見えない。穴の内側側壁には、木と縄で作られた下り階段が螺旋状に続いている。


「ここは沈んだ記憶をエネルギーとして利用する為の古い魔法施設。ここから先は記憶の欠片に注意するのだ。自分をしっかり持たないと取り込まれてしまうかもしれない」


 レイモンド司祭は指輪を外すと、一人一人に精神強化の魔法を掛け始めた。敵対的魔力の影響を受けにくくする魔法だ。私もレイモンド司祭にならい、近くにいる者から順に精神強化を掛けていく。

 私たちは大穴に近づいた。
 ストレングが穴の淵から手ごろそうな小石を投げ込んだ。しかし小石は、音もなく闇の底に吸い込まれていくだけだった。


「こりゃあ深いな」

「底が見えないでやんすねぇ」


 ストレングと子分が大穴を覗き込みながら腕を組んでいる。


「どーするルナリア、皆の身体をロープででも結んでおくか?」


 と、バックパックからロープを取り出すエリン。


「いやそれだと何かに襲われたときに却って危険だ。私と勇者ちゃんの身体だけ結んでおいてくれないか?」

「あいよ」


 ストレングたちを先頭に、私たちは一列になって縦穴を下り始めた。
 縄で固定された板の階段に足を置くと、ギシリと音が鳴る。


「木がボロボロですわね……」


 フィーネ君が不安そうに言った。


「だが縄は頑丈そうだ。この材質、普通の縄じゃないな」


 光沢のある不思議な縄だった。ギシギシと音こそ不安になるが、見た目よりは丈夫な足場なのかもしれない。

 巨大な縦穴を、螺旋状の階段に沿ってくるくる下りていく。
 壁に左手を添えながらゆっくり下りていく。
 ふと気づいたが、壁にはギッシリとルーンが刻まれていた。なるほどレイモンド司祭の言う通り、この大穴は魔法施設なのだ。

 どれくらい下りたであろうか。
 やがて白い霧のようなものが出てきた。視界が薄っすら白くなる。白い世界の中に、ときおり雲のような濃い霞が浮かんでいた。


「きゃっ!」


 とフィーネ君が小さく飛び上がった。


「どうしたね? フィーネ君」

「い、いま横に誰か居たような……」

「なにを馬鹿なことを」


 そう言った私の視界の端に、一瞬人の影がよぎったような気がした。


「誰だてめえっ!」


 前の方でストレングが声を上げた。


「どうしたストレング!」

「ルナリアか!? 誰か居やがるぞここ!」

「落ち着きたまえ、人ではない」


 レイモンド司祭が落ち着いた調子で言った。


「君たちが見ているのは記憶の影だ」


 私の目の前に、人の影がよぎった。横に人の影がよぎった。気がつくと、頭上にも人の影がある。遠くにも、近くにも、そこかしこに人の影があった。
 万華鏡と呼ばれる玩具がある。
 筒の内部で鏡を組み合わせ幻想的な絵面を作り出す筒なのだが、丁度あんな感じに、人の影が現れては消えて、現れては消えてを繰り返していた。白い霧の中で、人と人の影が重なり合わさるように動いている。
 面白いことにそれらの影は、目を瞑っても瞼の裏で動いているのだ。
 集中してみるとアイソンの朝市のような雑踏にいるような音が、耳の奥から聞こえてくる。
 ざわざわと、忙しそうな、楽しそうな。
 私は雑踏を眺めながら、ひとりぼっちでリュックを背負っていた。
 学校へ行こう。
 お金が残っているうちに、入学の手続きを。住む場所を探すのはそれからだ。
 昨晩の雨が道端に水溜りを作っている。
 今朝は晴れていた。
 ロクでもない昨晩だったけど、気持ちを切り替えていこう。

 
「おいルナリア!」


 はっ、と。
 誰かに意識を呼び戻された。
 

「危ないぞ、ぼんやりしてるな!」


 エリンの声だった。


「あ、ああ。すまんすまん」


 気がつくと、勇者ちゃんが私の手を握っていた。


「ごめんな勇者ちゃん、心配かけてしまって。もう大丈夫だよ」

「勇者君、そのままルナリア君の手を握っていてくれたまえ、彼女はどうやらこの場に弱いようだ」


 後ろからレイモンド司祭が声を掛けてくる。
「別にそんなことは……」と反論しようとしたが、勇者ちゃんがキュッと手を握りなおしてきたので、途中でやめた。
 白い霧の中を眺める。
 相変わらず、人の姿が見えたり消えたり。ここは不思議な場所だ、胸の奥がざわつく。落ち着かない。
 先頭で階段を下りているストレングが、大きく腕を振り回した。


「ええい、影だかなんだか知らんが、煩わしいったらありゃしねえ!」


 ストレングがひとしきり騒いだあと、私たちは再び、黙々と螺旋の階段を下り始めた。
 ギシ、ギシ、と。
 足で木を踏みしめたときに鳴るロープの音だけが白い霧の中に溶けていく。
 どれだけ縦穴を下りてきたのだろうか、やがて私たちは穴の底についた。


「ひゃー、やっと底か。足元のふわふわした感触が抜けやしない」


 エリンが大きく伸びをする。
 ずいぶん長時間足元が不安定だったので、しっかり踏みしめられる足元が嬉しい。私も軽くトントンとジャンプした。


「霧も随分濃くなったな」


 勇者ちゃんと身体を結んだロープをいったん外しながら、周囲を眺めてみる。瞼にうつる人の影はだいぶ減っていた。ただ、霧自体がなにか粘質を持った素材のように、身体に纏わりついてくる。
 中央に台座があった。
 人が一人、寝られるくらいの大きさの台座だ。ルーンが彫られている。


「ここは沈んでいくエネルギーを活用するため、様々な実験が行われてきた実験場だ。記憶の操作や意識の探索といった精神的なものだけに限らず、肉体的、魔法的なエネルギー活用なども研究されていたらしい」

「けっ、小難しい話をしやがる」


 レイモンド司祭の話にストレングが唾を吐いた。
 レイモンド司祭は台座の上に自分の杖を置き、なにやら呪文を唱える。


「つまりこういうことだよ」


 と、杖を拾い上げるや否や、ストレングに向かって杖を振りかざした。ストレングが咄嗟に杖を斧で受ける。――が。


「うおおっ!?」


 ストレングの隆々とした筋肉に支えられた下半身が、カクンと砕けそうになった。大斧でレイモンド司祭の杖を受けたものの、力負けしているのだ。


「これは単純な、力としての活用。まだこの白い霧の中でしか効果がない程度のものだがね」


 研究が進めば面白い力になるだろうね、とレイモンド司祭は杖を持ちあげた。納得いかないという顔をしたストレングが、「もう一回だ!」と騒ぐ。レイモンド司祭が杖を下げた。「ぐおおっ!」とストレングがまたうめく。完全に力負けしていた。


「とまあ、時間も持たぬ程度の技だ。今のところ実用性は皆無だな」


 ストレングがレイモンド司祭の杖を弾き飛ばした。


「ここが遺跡の一番奥なのでしょうか?」


 飛ばされたレイモンド司祭の杖を拾いながら、フィーネ君が問い掛けた。
 レイモンド司祭はフィーネ君から杖を受け取ると、ゆっくり頷く。


「そうだ。ここが最奥、そして私たちの戦場だ」

「戦場ですか?」

「記憶食いの住処、と言えばわかりやすいかね?」


 白い霧が上空で渦巻いていた。
 霧が吸い込まれるように一点に集中し、濃い濃い乳白色の塊になっていく。
 乳白色の塊から稲光が走った。ピシャン! と音が弾ける。


「くるぞ。ルナリア君、フィーネ君、皆に武器強化の魔法を」

「は、はいっ!」


 固まっていく霧の中から放射状に、樹木の根のようなものが噴き出してきた。干からびたその根はグネグネと絡まり合い、無数の触手のように動き出す。
 空中に浮かんだそれは、樹木で出来た巨大なウニのような姿をしていた。
 

☆☆☆


 エリンとストレングが走り出した。
 魔法を帯びた剣と斧が、白い霧の中でぼんやり青白く光っている。
 根で出来た触手が二人に伸びる、エリンはかわした。ストレングは掴まった。
 かわしたエリンが記憶食いの本体へ向かい、ストレングはその場に残る。ストレングの子分たちが、ストレイグに絡まった触手へと斬りつける。
 遅れて、先遣隊の隊長たちも前へ出た。こちらは隊列を組みながら記憶食いの後方へと大きく回っていく。


「爆発!」


 私は後方から魔法を一発。
 樹木が燃えるが、燃えた分だけ新しく枝や根が伸びてくる。再生力が高いとでもいうのか、ダメージを受けているのかいないのか、見た目では判断できなかった。


「大丈夫だ、ダメージにはなっている」


 レイモンド司祭が小さな声で私に告げた。本体がダメージを受けると、自分の腕がチリチリ痛むのだと言う。


「ここより私は戦力にならない。君たちに全て任せる」


 そう言うレイモンド司祭の眉間には、深い皺が寄っていた。
 額に脂汗が浮いている。


「記憶食いの本体に呼ばれるのだ。だから私は、抵抗せねばならぬ」


 叫び声が響いた。
 後ろの回り込もうとしていた隊長部隊に、無数の枝触手が伸びていったのだ。避けきれぬ者が、一名。枝に巻き取られ、宙へと持ち上げられた。
 私は勇者ちゃんの手を握った。


「勇者ちゃん、あそこだ!」


 と、持ち上げられた彼を支える枝を指差して、杖を構える。勇者ちゃんも剣を構えながら集中する。
 パン! と勇者ちゃんの発火が炸裂した。ドン! と私の火爆も後を追う。
 千切れとんだ枝状の触手が、空中でウネウネと暴れる。
 持ち上げられていた彼は、そのまま床に落ちた。
 肩を打ったようだが、まだ平気そうだ。「助かる!」と立ち上がり、自身に巻き付いた枝を斬り払う。


「こんにゃろーっ!」


 エリンの剣が青白い軌跡を描いている。
 接近戦だ。本体の球状根塊に密着して、彼女は剣を振っていた。
 エリンに絡みつこうとする枝触手が、何本も何本も追いすがってくる。それら全てを避け、斬り、踏みつけ、時に足場にして、エリンは舞っていた。

 エリンが斬りつけた場所に向かって、勇者ちゃんと一緒に魔法を細かく連発する。
 炎が枝を焼いた。木の燃える匂いが充満する。
 記憶食いの背後から近づいていた隊長たちも、本体に斬りつけた。

 それぞれがそれぞれに頑張っている。フィーネ君は最高の大回復をタイミングよく展開するべく、ウロチョロ位置取りをしている。サボっているわけでは決してない。たぶん。


「大・回・復ー!」


 回復魔法が掛かると肉体が活性化され、動いていても呼吸が楽になる。エリンもストレングも隊長たちも、動き続ける為にフィーネ君の回復魔法は大事なのだ。

 余裕さえあるように思えた。
 少なくとも体制は整っている、このまま戦えばいずれ勝てるのではないかと。
 だからフィーネ君が突然床に転がったときは、また手を抜いているものだと思ってつい声を上げてしまった。「サボってるんじゃない、フィーネ君!」と。
 しかしフィーネ君はさぼっているわけではなかった。
 寝ていたのである。

 
☆☆☆


 隊長の部下が突然床に転がった。
 ストレングの子分が一人、やっぱり床に転がった。
「おいどうした!」とストレングが子分を支える。「寝てるでやんす!」
「起きろー!」他の子分たちが騒ぐ。


「どうなってやがんだルナリア!」


 ストレングがこちらを向いて叫ぶが、私にもわからない。


「雲だっ!」


 エリンが記憶食いからいったん距離を取って剣を構えなおした。


「霧に隠れてわかりにくいけど、なんか雲が飛んでる! それに触れたら眠っちまうぽいぞ!」

「う」


 と呟いて、先遣隊の隊長が転がる。
 確かに雲だ。白い霧の中にうっすらと、雲の塊のようなものが浮いていた。じっくり見ればわかる、といったものだ。身体を動かしている最中では、見えないに等しい。厄介だ。


「寝た者を端に移動させよう! エリン、援護頼む!」


 こちらの頭数が一気に減った。
 そのせいで襲ってくる枝触手の本数が増えたようだ、エリンが苦戦している。防戦一方になった。
 記憶食いの恐ろしさは物理的な攻撃ではなかったのだ。この睡眠攻撃は、かなり性質が悪い。何人いても気がつけば戦力は半減してしまうことだろう。
 私はリタイヤ要員を速やかに端へと移動させて、戦線に復帰しようとした。そのとき、ふと気がつく。
 いつの間にか、床に根が張っている。見れば、記憶食いの触手が床に伸びていた。知らぬ間に根を広げていたようだ。
 イヤな予感がして、背後に跳び下がろうとした。瞬間。


「あぐっ!」


 肉をえぐられた灼熱感で、視界が瞬く。
 床から鋭い根の束が針状に伸びあがり、肩をえぐっていった。


「大丈夫かルナリ、――うわっ!」


 エリンの叫び声。
 床からまた、鋭い根の束が伸びあがった。上から触手、下から鋭い根。私は咄嗟に転がった。転がりながら、火爆で根を吹き飛ばす。視界の端で、勇者ちゃんが光の剣で根を刈っていた。
 私は立ち上がった。
 勇者ちゃんに倣い、根を刈ろうと杖を構える。

 突然。
 ドン、と背中を押された。
 私は前のめりに、つんのめった。振り向くと、そこには勇者ちゃんがいた。勇者ちゃんが私を押したのだ。


「勇者ちゃ……?」


 白い雲が、勇者ちゃんに絡みつく。
 勇者ちゃんの膝が砕けた。手から剣が落ちる。まるで糸の切れた人形のように、勇者ちゃんの身体が床に向かって崩れ落ちていった。


「――!」


 頭が痛い。急な割れるような痛みに、思わず頭を手で抱え込んだ。
 なんだ? なにかが聞こえる。内からずくずくと、傷が広がるような痛みと共に何かが聞こえてくる。『――認識』と。
『護衛対象、認識』と。


「あ……っ、がっ! あああああっ!」


『敵性個体、発見』、と。
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