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児童誘拐殺人事件 篇
トラウマと二日酔いとOLみたいな朝
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アシュリー・キスミスは幼い頃、交通事故により両親を亡くしている。
父の弟。つまり彼女の叔父にあたる人物に引き取られたのだが、彼女はそこで日常的に虐待を受けて育った。
彼女の叔父は、ろくに定職にも就かず恐喝や博打で日銭を稼ぐという生活をしていた為、育ち盛りのアシュリーに充分な食事も与えず何日も家に帰らないことがザラにあった。
帰ってきたとしても、適当な菓子パンやデリバリーのピザを一切れ与えるだけ。それだけならまだしも、食事すら与えず賭博で負けた腹いせに暴力を振るうこともあった。
虐待が発覚したのは、叔父が強盗傷害で逮捕された時。極度の栄養失調と加虐による怪我で衰弱していたアシュリーは、家宅捜索でやってきた警察らによって保護された。
発見時のアシュリーの体重は同年代女児の平均体重の約半分ほどしかなく、当時アシュリーを緊急搬送した救護隊の一人は、あと少しでも発見が遅れていたら間違いなく命を落としていただろうと語っている。この事件こそ、アシュリーが極度の男性恐怖症となった要因でもある。
事態を知った裁判所は、直ちに叔父から親権を剥奪。児童保護団体はアシュリーをセントライミ教会の孤児院へ預ける司法手続きを取った。アシュリーがセントライミ教会の家族となったのは、五歳の頃だった。
アシュリーは今でもたまに当時の夢を見る事がある。
叔父の下賤な笑い声、暴力、飢えと痛み。幼い日のトラウマは、大人になった今も時々夢に現れるのだ。
それはいつも決まって具合の悪い日や、嫌なことがあってメンタルが落ち込んでいる日。特に生活環境が変わる前後の不安感や心理的なストレスが引き金となって悪夢を見ることが多い。セントライミ教会に来ても、しばらくは悪夢にうなされて寝付けなかった幼いアシュリーに対して毎晩優しく頭を撫でて子守唄を歌ってくれたのが、セントライミ教会の慈母と称されたシスター・ミレーヌだった。
「母さん、会いたいよ……」
けたたましく鳴る目覚まし時計の音が、アシュリーの意識を夢から現実へと引き上げた。重いまぶたを開いて、薄目で時刻を確認する。朝の六時。
「うぅ……ん、もう起きなきゃ……」
アシュリーは三日前に北欧にあるアスガルド聖教本部より、ここアルメニアへ任務の為に派遣された。アスガルド聖騎士団の中でも精鋭中の精鋭である獅子十字隊に所属しているとはいえ、こういった派遣要請は隊の中では末席の新兵であるアシュリーに白羽の矢が立つのは至極当然であり、何よりも聖教の管轄であるセントライミ教会で育ち、アルメニアが地元でもあるアシュリーが適任であるという事は自他共に認めるところであった。
この単身者向けの賃貸物件もアスガルド聖教が用意したもの。家賃光熱費や現地での生活費、必要経費の全てを負担してくれている。
ベッドから起き上がったアシュリーが部屋を見渡すと、まず目に入ったのは開けっぱなしの冷蔵庫の扉。脱ぎ捨てられたブーツやガントレット。テーブルの下には、割れたグラスの破片が散乱していた。
その光景をぼんやりと眺めつつ、未だ覚めきらぬ寝ぼけ状態のアシュリーの思考は、徐々に昨晩へと遡っていく。
昨晩、セントライミ教会でデュランたちと夕食の席でワインを飲んでいたこと。そこまではハッキリと記憶している。そして、凄まじい速度でボトルを空にしていく彼らのペースに乗せられてグラス八杯目まではカウントしていたが、そこから先の記憶が非常に曖昧だった。
アルコールには決して弱くない自信があったアシュリーだったが、あの三人は桁が違っていた。中でもウィンディの呑みっぷりは凄まじく、デュランとウィリアム。大の男二人と呑み比べをしても顔色を一切変えずに圧勝していた。テーブルに突っ伏したまま動かなくなったデュランとトイレから帰って来なかったウィリアム。そして、上機嫌で新しいボトルのコルクを開けるウィンディ。それがアシュリーの意識が途絶える前に見た最後の映像。
ようやく状況の把握に思考が追いついてきたアシュリーを襲う重度の倦怠感と鈍い頭痛。疑う余地もないほど見事な二日酔い。そして、眼前に広がる荒れた部屋。一つ言える確かな事は、昨夜はどうやって帰ってきたのかさえ定かではないほど酷く泥酔していたのだと言うことだ。
この部屋の中で起こった出来事に限って推測するならば、自分は部屋に帰ってきて水を飲もうと冷蔵庫を開け、買い置きのミネラルウォーターを切らしていたことに一人で勝手に機嫌を損ね、ブーツやガントレットを投げる様に脱ぎ捨てた。そして、その脱ぎ捨てたガントレットが運悪くテーブルに当たり、上に乗っていたグラスが床へダイブした。大方そんなところだろう。
「はぁ、何やってんだろ私……」
溜息を一つ吐き、割れたグラスの片付けをしたアシュリーはシャワーへと向う。一つだけ昨日の自分に褒めるべき点があるとすれば、目覚ましをいつもより二時間早くセットしていたことだ。
今日は故郷アルメニアでの初勤務の日。派遣先で初日から遅刻では格好がつかない。身支度を整え、キッチンに立ち朝食の準備をする。
アシュリーはどんなに忙しい日でも毎日朝食は必ず取るようにしている。それはセントライミ教会で身についた習慣の一つであり、一日を元気に過ごす為に重要な事だというミレーヌの教えでもあった。
大抵の場合は、オートミールとサラダかフルーツ。あるいは、ヨーグルトに少量の蜂蜜をかけたもので済ませる場合もある。時間に余裕があれば、アールグレイの紅茶を淹れてゆっくり飲むことも多い。
しかし今朝は昨夜の深酒の影響もあってか食欲があまりなかったので、ほうれん草、キウイフルーツ、バナナ、豆乳をミキサーにかけて作った特製グリーンスムージーのみ。聖騎士団見習いの訓練兵だった頃、寮で同室だった同期から教わったものだ。なるべく効率よく食物繊維を摂取しやすいように、少し粗めにミキサーにかけるのがポイントだそうだ。
軽めの食事とメイクを済ませたアシュリーは期待と不安を胸に玄関の扉を開けて新天地への一歩を踏み出した。
しかしその三分後に冷蔵庫の扉を閉めていない事を思い出し、再び家に戻ったのだった。
父の弟。つまり彼女の叔父にあたる人物に引き取られたのだが、彼女はそこで日常的に虐待を受けて育った。
彼女の叔父は、ろくに定職にも就かず恐喝や博打で日銭を稼ぐという生活をしていた為、育ち盛りのアシュリーに充分な食事も与えず何日も家に帰らないことがザラにあった。
帰ってきたとしても、適当な菓子パンやデリバリーのピザを一切れ与えるだけ。それだけならまだしも、食事すら与えず賭博で負けた腹いせに暴力を振るうこともあった。
虐待が発覚したのは、叔父が強盗傷害で逮捕された時。極度の栄養失調と加虐による怪我で衰弱していたアシュリーは、家宅捜索でやってきた警察らによって保護された。
発見時のアシュリーの体重は同年代女児の平均体重の約半分ほどしかなく、当時アシュリーを緊急搬送した救護隊の一人は、あと少しでも発見が遅れていたら間違いなく命を落としていただろうと語っている。この事件こそ、アシュリーが極度の男性恐怖症となった要因でもある。
事態を知った裁判所は、直ちに叔父から親権を剥奪。児童保護団体はアシュリーをセントライミ教会の孤児院へ預ける司法手続きを取った。アシュリーがセントライミ教会の家族となったのは、五歳の頃だった。
アシュリーは今でもたまに当時の夢を見る事がある。
叔父の下賤な笑い声、暴力、飢えと痛み。幼い日のトラウマは、大人になった今も時々夢に現れるのだ。
それはいつも決まって具合の悪い日や、嫌なことがあってメンタルが落ち込んでいる日。特に生活環境が変わる前後の不安感や心理的なストレスが引き金となって悪夢を見ることが多い。セントライミ教会に来ても、しばらくは悪夢にうなされて寝付けなかった幼いアシュリーに対して毎晩優しく頭を撫でて子守唄を歌ってくれたのが、セントライミ教会の慈母と称されたシスター・ミレーヌだった。
「母さん、会いたいよ……」
けたたましく鳴る目覚まし時計の音が、アシュリーの意識を夢から現実へと引き上げた。重いまぶたを開いて、薄目で時刻を確認する。朝の六時。
「うぅ……ん、もう起きなきゃ……」
アシュリーは三日前に北欧にあるアスガルド聖教本部より、ここアルメニアへ任務の為に派遣された。アスガルド聖騎士団の中でも精鋭中の精鋭である獅子十字隊に所属しているとはいえ、こういった派遣要請は隊の中では末席の新兵であるアシュリーに白羽の矢が立つのは至極当然であり、何よりも聖教の管轄であるセントライミ教会で育ち、アルメニアが地元でもあるアシュリーが適任であるという事は自他共に認めるところであった。
この単身者向けの賃貸物件もアスガルド聖教が用意したもの。家賃光熱費や現地での生活費、必要経費の全てを負担してくれている。
ベッドから起き上がったアシュリーが部屋を見渡すと、まず目に入ったのは開けっぱなしの冷蔵庫の扉。脱ぎ捨てられたブーツやガントレット。テーブルの下には、割れたグラスの破片が散乱していた。
その光景をぼんやりと眺めつつ、未だ覚めきらぬ寝ぼけ状態のアシュリーの思考は、徐々に昨晩へと遡っていく。
昨晩、セントライミ教会でデュランたちと夕食の席でワインを飲んでいたこと。そこまではハッキリと記憶している。そして、凄まじい速度でボトルを空にしていく彼らのペースに乗せられてグラス八杯目まではカウントしていたが、そこから先の記憶が非常に曖昧だった。
アルコールには決して弱くない自信があったアシュリーだったが、あの三人は桁が違っていた。中でもウィンディの呑みっぷりは凄まじく、デュランとウィリアム。大の男二人と呑み比べをしても顔色を一切変えずに圧勝していた。テーブルに突っ伏したまま動かなくなったデュランとトイレから帰って来なかったウィリアム。そして、上機嫌で新しいボトルのコルクを開けるウィンディ。それがアシュリーの意識が途絶える前に見た最後の映像。
ようやく状況の把握に思考が追いついてきたアシュリーを襲う重度の倦怠感と鈍い頭痛。疑う余地もないほど見事な二日酔い。そして、眼前に広がる荒れた部屋。一つ言える確かな事は、昨夜はどうやって帰ってきたのかさえ定かではないほど酷く泥酔していたのだと言うことだ。
この部屋の中で起こった出来事に限って推測するならば、自分は部屋に帰ってきて水を飲もうと冷蔵庫を開け、買い置きのミネラルウォーターを切らしていたことに一人で勝手に機嫌を損ね、ブーツやガントレットを投げる様に脱ぎ捨てた。そして、その脱ぎ捨てたガントレットが運悪くテーブルに当たり、上に乗っていたグラスが床へダイブした。大方そんなところだろう。
「はぁ、何やってんだろ私……」
溜息を一つ吐き、割れたグラスの片付けをしたアシュリーはシャワーへと向う。一つだけ昨日の自分に褒めるべき点があるとすれば、目覚ましをいつもより二時間早くセットしていたことだ。
今日は故郷アルメニアでの初勤務の日。派遣先で初日から遅刻では格好がつかない。身支度を整え、キッチンに立ち朝食の準備をする。
アシュリーはどんなに忙しい日でも毎日朝食は必ず取るようにしている。それはセントライミ教会で身についた習慣の一つであり、一日を元気に過ごす為に重要な事だというミレーヌの教えでもあった。
大抵の場合は、オートミールとサラダかフルーツ。あるいは、ヨーグルトに少量の蜂蜜をかけたもので済ませる場合もある。時間に余裕があれば、アールグレイの紅茶を淹れてゆっくり飲むことも多い。
しかし今朝は昨夜の深酒の影響もあってか食欲があまりなかったので、ほうれん草、キウイフルーツ、バナナ、豆乳をミキサーにかけて作った特製グリーンスムージーのみ。聖騎士団見習いの訓練兵だった頃、寮で同室だった同期から教わったものだ。なるべく効率よく食物繊維を摂取しやすいように、少し粗めにミキサーにかけるのがポイントだそうだ。
軽めの食事とメイクを済ませたアシュリーは期待と不安を胸に玄関の扉を開けて新天地への一歩を踏み出した。
しかしその三分後に冷蔵庫の扉を閉めていない事を思い出し、再び家に戻ったのだった。
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