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児童誘拐殺人事件 篇
エデン署にて②
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『ここは楽園だ』
それは、かつての歴史が物語っていた。
なぜ過去形なのかと問われれば、旧約聖書を紐解くところから始めなければならない。
あらゆる宗教において、重要な意味を持つ正典である創世記にその名が記された《エデンの園》。
その場所こそがこのアルメニアのエレバンであるというのが最も有力な説である。では、今は違うのかと問われれば、それはノーである。
人は神の禁を破り楽園を追放されたと創世記第三章【失楽園】に記されている。しかし、現状はどうだろう。
一度追放されたにも拘らず、再びこの地に根付いている。今この瞬間も営み、育み、奪い、奪われ、存在そのものを。あるいは、存在したであろう証明や痕跡を残している。
だからこそ、人は望むのだ。敬虔であればあるほど、信心深ければ深いほど。
即ち〝人間発祥の地〟と呼ぶべきこの地を統治するということは、宗教的に非常に大きな意味を持つ。もちろんそれは、アシュリー属するアスガルド聖教においても例外ではない。
だからこそ、今も昔もこの地では争いが絶えないのだ。
オスマン、ペルシャ、ロシア。名だたる帝国からの度重なる侵略や略奪。行き過ぎた信仰という名のトチ狂った思想に駆られた人々は、皆一様に武器を取り、この楽園の地を血で染め続けている。それは、今も昔も変わらない。荒らしている輩共が宗教屋か反社会勢力か、そんな些細なカテゴリーでしかない。
いずれにせよ、間違いなく言えるただ一つの結果として、今この地を統治しているのが神を愛するものたちなどではなく、金や欲望などの実利を愛するものたちだと言うことだ。剣と信念を持って殉教したものたちを思えば、何と残酷な顛末だろうか。人を追放した神が、まさか人に追放されるなど皮肉が効いているにも程がある。
しかし、神を見放し返したこの地にも正義は存在している。悪との比率は割合的には豆粒ほどで、尚且つ半分腐りかけてはいるが。
「もっとちゃんとしたティーセットがあれば良かったんだけど、紙コップですまないね」
署長室へアシュリーとダリアを招いたサマセットはそう言うと、二人の前に紙コップに入った紅茶を差し出す。
「それで早速だけど、君がここに派遣された経緯について聞いているかな?」
アシュリーは息を吹きかけていた紙コップを慌ててテーブルに戻して答えた。
「大凡の話は聖教で伺っていますが、詳細に関しては現場の人間から直接聞くようにとの事でしたので」
「飲みながらで構わないよ」と促すと、サマセットは咳払いを一つして話を続けた。
「この国出身の君なら今更説明するまでもない事ではあるが、この街の治安は非常に悪い。特にマフィア絡みの凶悪犯罪が起こらない日は一日たりと無いと言われるほどにね。その点に関しては、署長の私としても恥ずべきことではあるのだが、近頃マフィアとは違う手口の犯罪が多く見つかっていてね」
女性に見せるには少しショッキングな写真ではあるが、そう付け加えてサマセットはデスクの資料ファイルから写真数枚を取り出してアシュリーの前に並べた。
「……っ」
思わず顔を顰めるアシュリーと付き添いのダリア。無理もない。まともな神経をしていれば、大の男でさえ二人と同じような反応をするものが殆どなのだから。
「被害者はいずれも子供。全員この国の生まれではなく、しかも遺体からは内臓が抜き取られている。これらの手口を見るに、マフィアの仕業ではない。彼らであれば、まず証拠を残すという雑な仕事はしないだろう。二人とも、お茶のおかわりは?」
真っ青な顔を横に振ってアシュリーとダリアは答える。
「この街にもたまには現れはするんだ。猟奇的な異常殺人者というのはね。でもこうはいかない。大体が二回。多くて三回目の犯行でピタリと姿を消す。より大きな力を持つ犯罪者の手により片付けられるからだ。こう立て続けに犯行を続けられること自体が悪い意味で奇跡に近い。そして——」
サマセットは、胸ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルの上に置いた。
「これこそ、私が君たちアスガルド聖教に協力要請を出した……いや、出さざるを得なかった要因だ」
写真に写されたものは文字。
ブロック塀一面に、塗られた赤。
被害者の血のインクで、こう記されていた。
【Lævateinn】
それは、かつての歴史が物語っていた。
なぜ過去形なのかと問われれば、旧約聖書を紐解くところから始めなければならない。
あらゆる宗教において、重要な意味を持つ正典である創世記にその名が記された《エデンの園》。
その場所こそがこのアルメニアのエレバンであるというのが最も有力な説である。では、今は違うのかと問われれば、それはノーである。
人は神の禁を破り楽園を追放されたと創世記第三章【失楽園】に記されている。しかし、現状はどうだろう。
一度追放されたにも拘らず、再びこの地に根付いている。今この瞬間も営み、育み、奪い、奪われ、存在そのものを。あるいは、存在したであろう証明や痕跡を残している。
だからこそ、人は望むのだ。敬虔であればあるほど、信心深ければ深いほど。
即ち〝人間発祥の地〟と呼ぶべきこの地を統治するということは、宗教的に非常に大きな意味を持つ。もちろんそれは、アシュリー属するアスガルド聖教においても例外ではない。
だからこそ、今も昔もこの地では争いが絶えないのだ。
オスマン、ペルシャ、ロシア。名だたる帝国からの度重なる侵略や略奪。行き過ぎた信仰という名のトチ狂った思想に駆られた人々は、皆一様に武器を取り、この楽園の地を血で染め続けている。それは、今も昔も変わらない。荒らしている輩共が宗教屋か反社会勢力か、そんな些細なカテゴリーでしかない。
いずれにせよ、間違いなく言えるただ一つの結果として、今この地を統治しているのが神を愛するものたちなどではなく、金や欲望などの実利を愛するものたちだと言うことだ。剣と信念を持って殉教したものたちを思えば、何と残酷な顛末だろうか。人を追放した神が、まさか人に追放されるなど皮肉が効いているにも程がある。
しかし、神を見放し返したこの地にも正義は存在している。悪との比率は割合的には豆粒ほどで、尚且つ半分腐りかけてはいるが。
「もっとちゃんとしたティーセットがあれば良かったんだけど、紙コップですまないね」
署長室へアシュリーとダリアを招いたサマセットはそう言うと、二人の前に紙コップに入った紅茶を差し出す。
「それで早速だけど、君がここに派遣された経緯について聞いているかな?」
アシュリーは息を吹きかけていた紙コップを慌ててテーブルに戻して答えた。
「大凡の話は聖教で伺っていますが、詳細に関しては現場の人間から直接聞くようにとの事でしたので」
「飲みながらで構わないよ」と促すと、サマセットは咳払いを一つして話を続けた。
「この国出身の君なら今更説明するまでもない事ではあるが、この街の治安は非常に悪い。特にマフィア絡みの凶悪犯罪が起こらない日は一日たりと無いと言われるほどにね。その点に関しては、署長の私としても恥ずべきことではあるのだが、近頃マフィアとは違う手口の犯罪が多く見つかっていてね」
女性に見せるには少しショッキングな写真ではあるが、そう付け加えてサマセットはデスクの資料ファイルから写真数枚を取り出してアシュリーの前に並べた。
「……っ」
思わず顔を顰めるアシュリーと付き添いのダリア。無理もない。まともな神経をしていれば、大の男でさえ二人と同じような反応をするものが殆どなのだから。
「被害者はいずれも子供。全員この国の生まれではなく、しかも遺体からは内臓が抜き取られている。これらの手口を見るに、マフィアの仕業ではない。彼らであれば、まず証拠を残すという雑な仕事はしないだろう。二人とも、お茶のおかわりは?」
真っ青な顔を横に振ってアシュリーとダリアは答える。
「この街にもたまには現れはするんだ。猟奇的な異常殺人者というのはね。でもこうはいかない。大体が二回。多くて三回目の犯行でピタリと姿を消す。より大きな力を持つ犯罪者の手により片付けられるからだ。こう立て続けに犯行を続けられること自体が悪い意味で奇跡に近い。そして——」
サマセットは、胸ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルの上に置いた。
「これこそ、私が君たちアスガルド聖教に協力要請を出した……いや、出さざるを得なかった要因だ」
写真に写されたものは文字。
ブロック塀一面に、塗られた赤。
被害者の血のインクで、こう記されていた。
【Lævateinn】
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