EDEN's Order(エデンズオーダー)

後出 書

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児童誘拐殺人事件 篇

牙戦

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 ただの食事。どこにでもある、極々一般的な習慣。複数名で食卓を囲む時、そこには往々にして会話が生まれ、大抵の場合は笑顔が伴うというのが万国共通の習わしである。その習わしは、例え最果ての楽園と名高いエデンの中でも最下層に属するここジェイルタウンであっても例外ではない。そのはずだったのだが、どういうわけか今日に限っては違っていた。

(空気が重い……)

 そう思っていたのは、ウィリアムとアシュリーの二名のみ。停戦に入ったとは言え、未だにデュランと氷室はテーブルを挟んで睨み合っていた。唯一の子供であるアイラはと言えば、目の前の皿に盛られたトマトと卵の炒め物を黙々と口にも運んでいた。

 重苦しい沈黙と食器の音だけが響いている。普段あれほどバカ騒ぎをするバング一味でさえも息を殺すように身を縮こめ、黙って食事に徹している。ジェイルタウンの住人たちは皆、それほどまでに突然訪れたこの男を。冷血非道の悪徳刑事、アイスエイジこと氷室映司を恐れているのだ。

 以前、ディアブロ・カルテルの幹部であったロス・サンタナがカルテルの残党を率いてエデンの銀行を襲撃した事件があった。武装した二十名のメンバーが銀行員を人質に立て篭もり、投獄されているボスのアントニオと他の幹部の解放。それに加え、現金輸送兼逃走用の大型装甲車両を要求したのだ。軍や特殊部隊の要請よりも先に動いたのは、エデン署に着任したばかりの東洋人。たった一人で。しかも、刀一本で強盗グループを制圧したのが、アイスエイジこと氷室映司のアルメニアでの初陣だった。

 彼の功績により、失墜しかけていた警察の権威や抑止力として機能は保たれたと言っても過言ではない。極東の島国、日本から来たジャパニーズソードを持った凄腕のサムライ刑事の噂はジェイルタウンにも瞬く間に轟いた。そんな氷室を邪魔に思ったジェイルタウンに住んでいた暗殺者たちが挙って氷室を襲撃したのだが、その全員が悉く返り討ちされたのだ。

 警官である氷室と対峙した相手が命を落とすことは滅多にない。しかし、決して無事では済まないのもまた事実。挑んだ相手の殆どが手足のいずれか、あるいはその両方を斬り落とされている。数年ブタ箱に入れられ、いずれ刑期を全うして釈放されたとしても、四肢のいずれかが欠損していれば以前のような暗殺者には戻れない。力を失った者は弱者となり、弱者は強者の糧となる。凶悪犯罪が横行するエデンでの再犯率が低いのは、弱肉強食による淘汰が日常茶飯で行なわれているからだ。

 虎皇会のメイファンと並んでエデンで恐れられている人物の一人、それがアイスエイジという男なのである。彼に刃向かえる者は、今のジェイルタウンには存在しない。ただ一人、正面から睨み合っている香龍飯店の店主であるデュラン・フローズヴィトニルを除いては。

 最初に沈黙を破ったのは、デュランの方だった。

「おい、刑事さんよ。いったいどういう了見だコラ。メシ屋に来といて、てめーだけ他所で買ってきたもんを堂々と食いやがってよ」

 肉が食べれないアシュリーはココと同じ肉無しの八宝菜を食べていたが、氷室だけはカラフルなロゴが入った可愛い紙袋に入ったカラフルな色をしたドーナッツを食べていた。テオドールを出た際、アシュリーの静止を聞かずにビビッド・パッション・ドーナッツに戻ってテイクアウトしてきたものだ。

「もっと言ってあげてよデュラン! 氷室さんってドーナッツしか食べないんだって。私がここでランチをご馳走するって言ったのに俺はドーナッツが良いってゴネたんだよ? ひどいと思わない?」

「うるさい奴らだな。俺が何を食おうが俺の勝手だろうが」

「ああ? てめぇ。俺の料理よりそんな体に悪そうな色した揚げ菓子の方がマシだって言いてぇのかコラ」

「気にするな。お前の料理がどうこうという話じゃない。このドーナッツという食べ物が他の有象無象と比較にならんほど優れているというだけだ」

「よしわかった。今すぐ死ね」

「だぁー! もう落ち着きなってデュラン! 拳を下げて拳を!」

 いきり立ち拳を振り上げたデュランを宥めたウィリアムは、咄嗟にアシュリーへ話題を振った。

「そう言えば、アシュリーちゃんは何で氷室刑事と一緒にいるわけ?」

「そうだ。まずそこを説明しろ。お前アスガルド聖騎士団にいるクセになんでサツなんかとツルんでやがるんだよ」

 アシュリーは事の経緯を話した。エデンで起こっているレーヴァテイン絡みと思しき連続児童殺害事件のこと。捜査が難航していたエデン署からアスガルド聖教に協力要請があったこと。アルメニアが地元であり、尚且つ部隊の新米であり、末端隊員である自分が派遣されたこと。粗方説明した後にアシュリーはハッとした。勝手にベラベラと喋ってしまったが、これらの捜査情報は公職の機密事項に抵触してしまったかも知れない。恐る恐る氷室へと視線を向けたアシュリーだったが、氷室は別段気にした様子もなくドーナッツを貪っている。胸を撫で下ろすアシュリーに対し、ウィリアムがずっと気になっていた質問を投げかける。

「そう言えばさ、アシュリーちゃんってデュラン以外の男って苦手じゃなかったっけ? 氷室刑事のことは平気なの?」

「苦手ですよ。三歩以上近づくのは色んな意味で無理です。でも、確かに他の男性に比べたらマシかも。全然気にしてなかった。なんでだろ? あ、もしかしたらデュランと少し雰囲気が似てるからかも」

「アシュリー、お前目玉イカれてんじゃねぇのか?」

「まったくだ。こんな悪党と比べられるとは心外だな」

「そうかなぁ。きっと気が合う良いお友達になりそうだと思うんだけどなぁ」

 珍しくデュランと氷室の意見が一致した。いや、そもそも二人が今こうして食事を共にしている事自体が非常に稀有な出来事である。

 デュランと氷室は、過去に二度ほど殺し合い一歩手前の戦闘を繰り広げたことがある。一度目はたまたまエデンの市場に来ていた二人が初めて出会った時。二度目は別件捜査で氷室がこのジェイルタウンへやって来た時。いずれも些細な口論がエスカレートして発展したものであり、勝敗の結果は今尚二人ともしっかりと息をしている様子から伺える通りである。

 ウィリアムは二人の因縁を知っているため、いつどのタイミングで二人の中にある怒りの不発弾が起爆するか内心穏やかではなかったが、そんな経緯を全く知らぬアシュリーは警戒心を抱く様子もなくデュランと氷室を相手にお喋りを続けている。

「そうだ。アイラちゃんの顔を見て思い出したんだけど、この子確かマフィアに追われてたって言ってなかったっけ? もしかして、例のミケーネって人と関係あるかも」

 いくら鈍感なアシュリーであっても、今の発言が何か良からぬスイッチを押してしまったという事を察した。それまで割と穏やかであったデュランと氷室の雰囲気が一変したのだ。

「あ、あれ? 私何かマズイこと言っちゃった?」

「いいや、でかした。重要参考人に行き着いたんだ。初仕事にしてはなかなかの手柄だ」

 氷室の黒い瞳は狩人のように、そしてデュランの金色の日は獣のように鋭くなっていた。

「おい待てよ。テメーらの仕事にうちの看板娘を巻き込むんじゃねぇよ。殺すぞポリ公」

「言葉には気をつけろよチンピラ。アメリカ合衆国はお前の首を欲しがっている。礼状無しで斬り殺しても構わんことになっているんだ。公務執行妨害によるブタ箱行きで済むとは思わんことだな」

 二人は立ち上がり、互いに睨み合う。最初のいざこざとは明らかに違うのは、互いが放つ殺気の度合い。空気がピリつき、肌に刺激が走っていると誰もが錯覚するほど。危機感を覚えたウィリアムとアシュリーが必死に宥めるも、デュランと氷室には二人の声は全く耳に入っていない様子。そして、その空気に触発された者は他にも大勢いた。

「オオカミが来るぞ!」

「逃げろ逃げろ!」

 気づけば、香龍飯店の周りは再び悪党に包囲されていた。皆一様に同じ言葉を叫びながら鉄パイプや長物で壁や建物の手すり、窓の格子を叩き、足をリズム良く踏み鳴らす。それはさながら、闘技者を鼓舞する戦いのリズム。開戦を告げる打楽器のアンサンブル。勇者の冥福を祈るファンファーレ。

 ジェイルタウンにおいてデュランに挑むということは、それ即ちこの街の頂点に挑むタイトルマッチ。勝者には王座を。敗者には死を。

 互いのプライドと歯牙で栄光を勝ち取る獣同士の殺し合い。

 ジェイルタウン名物〝牙戦きばせん〟の開始を告げる合図である。
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