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児童誘拐殺人事件 篇
終戦の夜明け
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カース・マルツゥと呼ばれるチーズがある。
イタリアの特別自治区、サルディーニャで作られているチーズで最大の特徴は味の円熟を促すために意図的にハエの幼虫、つまり蛆虫を用いる。チーズを棲家にした蛆虫の体外消化により発酵分解を促す。その濃厚かつ独特な味わいは珍味そのもの。デュランはこの悪臭を垂れ流す蛆塗れの魔神の奥から微かに香る桃のような甘く芳醇な香りを鼻で感じ取っていた。
「昔東南アジアで食ったドリアンみてーな香りがプンプンしやがるなこのデカブツは。匂いはキツイが味は最高に美味かった。見てくれは悪いがこいつも中身はさぞ美味いだろうよ」
燃え盛るホットプレートを振り上げたまま高く跳躍したデュランはヘルに目掛けて武器を振り下ろす。
「そこまで。もう充分です」
デュランの大立ち回りを黙認していた神父風の男が口を開く。直後、デュランの目の前に黒く巨大な壁が出現。霧のせいで全貌はわからなかったが、端から端がまったく見えない。まるで万里の長城がいきなり目の前に現れたかのよう。ヘルに見舞おうとしていた一撃を已む無く壁に向かって振り下ろす。
「ちぃっ、誰だか知らねーが邪魔すんじゃねぇ!」
ホットプレートを力一杯叩き込んだが壁の破壊は叶わず。僅かな傷を残す程度に留まった。
「なんつー硬さだ。割と本気でブッ叩いたんだがな」
デュランは着地したと同時にある違和感に気づいた。先程壁に付けた傷の位置がズレているのだ。攻撃箇所を見誤ったか。いや違う。巨大過ぎるこの壁が僅かに動いている。それに気づいた時、幻のように壁は消えていった。
「ヘルを弱らせて頂き感謝致します。おかげで無事に回収することができました。気位が高い神ですから器に入れておくのも難しい。ギリギリまで弱らせてから捕獲するのが一番確実でしたので。本当に助かりました」
壁の消失後に対面にいたのは神父風の男ただ一人。ヘルもエドと呼ばれていた男も姿を消していた。
「こちとら慈善家じゃねーンだよ。それによ、うちの看板娘がテメェのとこの使いっ走りにキズモノにされたんだ。どう落とし前をつけてくれんだ? あぁ?」
「それは申し訳ない。そこで倒れているミケーネの身柄は差し上げます。煮るなり焼くなりご自由にどうぞ」
「おいおい寝ぼけてんのか? こんだけの騒ぎを起こしておいていくらなんでも割に合わねーだろ」
「では、何を望むと?」
「テメェの命で償えや」
ホットプレートを手放したデュランは初速で神父風の男の目の前にまで一気に間合いを詰める。右手の五指は男の喉首に迫り、触れた瞬間に握り潰す算段であった。しかし、それよりも数秒早くデュランの顎を下から上へ向けた鋭い蹴り上げが貫いた。
「がはっ!」
完全に死角からの一撃。宙へ舞い上げられたデュランは受け身を取れず、胸から地面へ叩きつけられた。よろめきながら立ち上がるデュランは僅かに困惑していた。不意を突かれたことにではない。受けた蹴りが側踢腿と呼ばれる中国拳法の技だったからだ。頭に血が上っていたとはいえ、全く反応出来なかった。これほど洗練された見事な蹴りは師以外では味わったことがなかった。
「テメェ。なにもんだ」
神父風の男を守るように立ちはだかっていたのはボロ布を頭から被った謎の人物。男か女かさえも分からぬが、不気味で悍ましい強烈な気を放っていた。
「失礼。彼は私の古い友人でね。私の身に危険が迫ると反射的に迎撃してしまうんですよ。重ね重ね申し訳なかったね。さて、我々の要は済んだ。これにて失礼させてもらうよ」
「待ちやがれ! まだケリは着いてねぇぞ!」
「焦ることはありません。いずれまた君とは相見えるでしょう。あぁ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はアルトレンツ。レーヴァテインの司教を務めております」
「そうかいクソ坊主。俺は——」
「いえ、結構。私は既にあなたを存じております」
左手を前に突き出し、デュランの言葉を制止したアルトレンツは続けてこう告げた。
「左腕の焼印はまだ痛みますか?」
「何故それを知ってやがる! 待ちやがれ!」
霧の中に消えていくアルトレンツとボロ布を纏った男を追うべく走り出した直後、デュランは思わず足を止めた。
「な……なんだこりゃあ」
先程壁が出現していた辺りの地面が半円状に深く抉れていたのだ。迂回しようにも抉れは果てしなく続いており横断さえ難しい。これ以上追うことは出来ず、エデンでの怪現象は日の出と同時に幕を閉じた。
イタリアの特別自治区、サルディーニャで作られているチーズで最大の特徴は味の円熟を促すために意図的にハエの幼虫、つまり蛆虫を用いる。チーズを棲家にした蛆虫の体外消化により発酵分解を促す。その濃厚かつ独特な味わいは珍味そのもの。デュランはこの悪臭を垂れ流す蛆塗れの魔神の奥から微かに香る桃のような甘く芳醇な香りを鼻で感じ取っていた。
「昔東南アジアで食ったドリアンみてーな香りがプンプンしやがるなこのデカブツは。匂いはキツイが味は最高に美味かった。見てくれは悪いがこいつも中身はさぞ美味いだろうよ」
燃え盛るホットプレートを振り上げたまま高く跳躍したデュランはヘルに目掛けて武器を振り下ろす。
「そこまで。もう充分です」
デュランの大立ち回りを黙認していた神父風の男が口を開く。直後、デュランの目の前に黒く巨大な壁が出現。霧のせいで全貌はわからなかったが、端から端がまったく見えない。まるで万里の長城がいきなり目の前に現れたかのよう。ヘルに見舞おうとしていた一撃を已む無く壁に向かって振り下ろす。
「ちぃっ、誰だか知らねーが邪魔すんじゃねぇ!」
ホットプレートを力一杯叩き込んだが壁の破壊は叶わず。僅かな傷を残す程度に留まった。
「なんつー硬さだ。割と本気でブッ叩いたんだがな」
デュランは着地したと同時にある違和感に気づいた。先程壁に付けた傷の位置がズレているのだ。攻撃箇所を見誤ったか。いや違う。巨大過ぎるこの壁が僅かに動いている。それに気づいた時、幻のように壁は消えていった。
「ヘルを弱らせて頂き感謝致します。おかげで無事に回収することができました。気位が高い神ですから器に入れておくのも難しい。ギリギリまで弱らせてから捕獲するのが一番確実でしたので。本当に助かりました」
壁の消失後に対面にいたのは神父風の男ただ一人。ヘルもエドと呼ばれていた男も姿を消していた。
「こちとら慈善家じゃねーンだよ。それによ、うちの看板娘がテメェのとこの使いっ走りにキズモノにされたんだ。どう落とし前をつけてくれんだ? あぁ?」
「それは申し訳ない。そこで倒れているミケーネの身柄は差し上げます。煮るなり焼くなりご自由にどうぞ」
「おいおい寝ぼけてんのか? こんだけの騒ぎを起こしておいていくらなんでも割に合わねーだろ」
「では、何を望むと?」
「テメェの命で償えや」
ホットプレートを手放したデュランは初速で神父風の男の目の前にまで一気に間合いを詰める。右手の五指は男の喉首に迫り、触れた瞬間に握り潰す算段であった。しかし、それよりも数秒早くデュランの顎を下から上へ向けた鋭い蹴り上げが貫いた。
「がはっ!」
完全に死角からの一撃。宙へ舞い上げられたデュランは受け身を取れず、胸から地面へ叩きつけられた。よろめきながら立ち上がるデュランは僅かに困惑していた。不意を突かれたことにではない。受けた蹴りが側踢腿と呼ばれる中国拳法の技だったからだ。頭に血が上っていたとはいえ、全く反応出来なかった。これほど洗練された見事な蹴りは師以外では味わったことがなかった。
「テメェ。なにもんだ」
神父風の男を守るように立ちはだかっていたのはボロ布を頭から被った謎の人物。男か女かさえも分からぬが、不気味で悍ましい強烈な気を放っていた。
「失礼。彼は私の古い友人でね。私の身に危険が迫ると反射的に迎撃してしまうんですよ。重ね重ね申し訳なかったね。さて、我々の要は済んだ。これにて失礼させてもらうよ」
「待ちやがれ! まだケリは着いてねぇぞ!」
「焦ることはありません。いずれまた君とは相見えるでしょう。あぁ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はアルトレンツ。レーヴァテインの司教を務めております」
「そうかいクソ坊主。俺は——」
「いえ、結構。私は既にあなたを存じております」
左手を前に突き出し、デュランの言葉を制止したアルトレンツは続けてこう告げた。
「左腕の焼印はまだ痛みますか?」
「何故それを知ってやがる! 待ちやがれ!」
霧の中に消えていくアルトレンツとボロ布を纏った男を追うべく走り出した直後、デュランは思わず足を止めた。
「な……なんだこりゃあ」
先程壁が出現していた辺りの地面が半円状に深く抉れていたのだ。迂回しようにも抉れは果てしなく続いており横断さえ難しい。これ以上追うことは出来ず、エデンでの怪現象は日の出と同時に幕を閉じた。
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