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191.真の望み
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王族たちの骨肉の争い。
そう聞いて、ノアが真っ先に心配したのは、カールトン国で生きる民の存在だった。国を率いる立場の者たちが争っていれば、弱い立場の民に最も大きな影響が生じるだろう。
そして、その影響はこの国も無視できないはずである。
「……カールトン国内が荒れているのではありませんか? 難民対策はどうしているのでしょう?」
ノアが憂いの表情で尋ねる。正面からその表情を眺めることになったルーカスは、なんとも複雑な色を目に浮かべ、口元を歪めた。
「民への影響は最小限だ。難民は今のところ発生していないし、念のため国境沿いの領地には、ある程度難民を受け入れられるよう準備を求める通知を出している」
「それは……凄いですね……?」
思いがけない返答に、ノアは目を瞬かせて驚いた。でも、同時に納得する気持ちもある。ルーカスが言うように、国全体の混乱に発展していないからこそ、ノアもカールトン国王族の争いに気づかなかったのだ、と。
「そうだな。本当に凄い。……どんな魔法を使ったんだ、サミュエル」
ルーカスがちらりとサミュエルを見やる。ノアはルーカスが出した名前に驚くことはなかった。散々ルーカスが示唆していたし、サミュエルならばそれくらいできるのだろうと、そろそろ理解していたからだ。
ノアもサミュエルを横目で窺うと、ばっちりと目が合う。サミュエルは微笑み、指の背でノアの頬を撫でた。
「憂い顔も美しくて魅力的だけど、ノアには穏やかな微笑みが似合うよ」
「俺の質問を無視するなよ」
唐突に口説き文句のような言葉を甘い声音で囁かれ、ノアは一気に頬を火照らせて固まった。
サミュエルについての理解度は高まったけれど、このような振る舞いに慣れられる気がしない。むしろ慣れてしまったら、何かを失う気がする。
存在ごと質問を無視された形になったルーカスが、拗ねた様子でそっぽを向くのが、視界の端に映った。それはとても申し訳なく思うし、ノアもルーカスの質問の答えを知りたいのだけれど、どうするべきか。
微笑み掛けてくるサミュエルの手に手を重ね、ノアは困りきった笑みを口元に浮かべる。ノアがちらりと見上げると、サミュエルは仕方なさそうに肩をすくめた。
「――私は別に大したことはしていないよ。野心のある王族や貴族を動かしたけど、民への影響が出ないよう、国政や治安に実際に関わる者には事態を静観し、務めに集中してもっただけだ」
「なるほど? 実務を担う人間に接触していたか……」
ノアに語り掛ける言葉に対し、ルーカスが反応する。ノアも納得していたけれど、ひとつ確かめたいことがあった。
「……いつから、ですか?」
小さく首を傾げて見せると、サミュエルは面白そうに目を細めた。ルーカスが不思議そうな表情をしているのは分かっていたけれど、質問の意図がサミュエルに伝わっているなら、言葉を補足する必要はないだろう。
「最初の接触は、私が子どもの頃に、あの国に行ったとき」
「やはりその時ですか……」
「うん。ノアが私のことを深く理解してくれていて嬉しいよ」
嬉しそうに微笑むサミュエルに、ノアは苦笑した。
ハミルトンの養子先選定のこともそうだけれど、サミュエルは予想を超えるところから物事を操っていると、ノアは既に理解していた。事態を思い通りに動かすために、サミュエルは笑顔の陰でいくらでも綿密に計画を練り、実行する。
それを踏まえて今回の問題を考えると、サミュエルがカールトン国に何かしらの対処を考えた時期が最近だとは思えなかったのだ。
サミュエルが最も怒りを向ける相手は、マーティンではない。もちろん、マーティンも目障りではあったのだろう。でも、それ以上に報復しようと考えていた相手は、間違いなくノアのトラウマの元になった王女である。
ノアは自分がサミュエルに愛されているのだと、既に自覚している。その愛が、一般的に考えると少々重いものであるのも、周囲の者たちの言葉から悟っている。サミュエルがノアへと愛を傾けたのは、幼少の出会いの頃からだとも知っていた。
だからこそ、サミュエルがあの王女への罰に満足していたはずがないと自信を持って言えた。幽閉なんて罰とも言えないと、サミュエルは心の中で思っていたはずである。
ずっと穏やかな表情で、自分の務めを果たしながら、陰で計画を練っていただろう。自分にとって望ましい罰を与えるために。
「……満足のいく結果を得られましたか?」
ノアは王女の顛末について説明を求めなかった。
行方不明ということは知っている。それが王女自身の意思によって為されたかは分からない。現在の混乱に満ちたカールトン国内では、王女の行方を捜索する余裕のある者はいないだろう。
「ああ、とても素晴らしい結果だったよ。ノアを悲しませたくないから、詳細は言わないでおくけどね」
サミュエルがにこりと微笑んで答えた。一片の曇りもない笑顔である。何も知らない者が見たら、相当に喜ばしいことがあったのだろうと、つられて喜びそうなほど輝かしい。
それを見て、ノアは苦笑を零す。でも、それだけだった。サミュエルが満足しているならそれでいいと、受け流すことにした。知ることを望まれていないなら、ノアは自身の目を覆い隠すことに躊躇いはない。
「分かりました。……民への影響はないのですね?」
「ないよ。私はノアが悲しむ原因を作るつもりはない。ノアのどんな感情も、私以外に向けてほしくないからね」
「……みなさんが言うように、やはり少々重い気がしますね」
「嫌かい?」
「いいえ。それがサミュエル様の愛なのですから」
穏やかに微笑み即答するノアに、サミュエルの表情に笑みが溢れる。愛しげな眼差しに、ノアも同じ思いを込めて見つめ返した。
「……おぉーい、俺をのけ者にしないで、説明してくれー……」
ルーカスの声が空しく響いた。
そう聞いて、ノアが真っ先に心配したのは、カールトン国で生きる民の存在だった。国を率いる立場の者たちが争っていれば、弱い立場の民に最も大きな影響が生じるだろう。
そして、その影響はこの国も無視できないはずである。
「……カールトン国内が荒れているのではありませんか? 難民対策はどうしているのでしょう?」
ノアが憂いの表情で尋ねる。正面からその表情を眺めることになったルーカスは、なんとも複雑な色を目に浮かべ、口元を歪めた。
「民への影響は最小限だ。難民は今のところ発生していないし、念のため国境沿いの領地には、ある程度難民を受け入れられるよう準備を求める通知を出している」
「それは……凄いですね……?」
思いがけない返答に、ノアは目を瞬かせて驚いた。でも、同時に納得する気持ちもある。ルーカスが言うように、国全体の混乱に発展していないからこそ、ノアもカールトン国王族の争いに気づかなかったのだ、と。
「そうだな。本当に凄い。……どんな魔法を使ったんだ、サミュエル」
ルーカスがちらりとサミュエルを見やる。ノアはルーカスが出した名前に驚くことはなかった。散々ルーカスが示唆していたし、サミュエルならばそれくらいできるのだろうと、そろそろ理解していたからだ。
ノアもサミュエルを横目で窺うと、ばっちりと目が合う。サミュエルは微笑み、指の背でノアの頬を撫でた。
「憂い顔も美しくて魅力的だけど、ノアには穏やかな微笑みが似合うよ」
「俺の質問を無視するなよ」
唐突に口説き文句のような言葉を甘い声音で囁かれ、ノアは一気に頬を火照らせて固まった。
サミュエルについての理解度は高まったけれど、このような振る舞いに慣れられる気がしない。むしろ慣れてしまったら、何かを失う気がする。
存在ごと質問を無視された形になったルーカスが、拗ねた様子でそっぽを向くのが、視界の端に映った。それはとても申し訳なく思うし、ノアもルーカスの質問の答えを知りたいのだけれど、どうするべきか。
微笑み掛けてくるサミュエルの手に手を重ね、ノアは困りきった笑みを口元に浮かべる。ノアがちらりと見上げると、サミュエルは仕方なさそうに肩をすくめた。
「――私は別に大したことはしていないよ。野心のある王族や貴族を動かしたけど、民への影響が出ないよう、国政や治安に実際に関わる者には事態を静観し、務めに集中してもっただけだ」
「なるほど? 実務を担う人間に接触していたか……」
ノアに語り掛ける言葉に対し、ルーカスが反応する。ノアも納得していたけれど、ひとつ確かめたいことがあった。
「……いつから、ですか?」
小さく首を傾げて見せると、サミュエルは面白そうに目を細めた。ルーカスが不思議そうな表情をしているのは分かっていたけれど、質問の意図がサミュエルに伝わっているなら、言葉を補足する必要はないだろう。
「最初の接触は、私が子どもの頃に、あの国に行ったとき」
「やはりその時ですか……」
「うん。ノアが私のことを深く理解してくれていて嬉しいよ」
嬉しそうに微笑むサミュエルに、ノアは苦笑した。
ハミルトンの養子先選定のこともそうだけれど、サミュエルは予想を超えるところから物事を操っていると、ノアは既に理解していた。事態を思い通りに動かすために、サミュエルは笑顔の陰でいくらでも綿密に計画を練り、実行する。
それを踏まえて今回の問題を考えると、サミュエルがカールトン国に何かしらの対処を考えた時期が最近だとは思えなかったのだ。
サミュエルが最も怒りを向ける相手は、マーティンではない。もちろん、マーティンも目障りではあったのだろう。でも、それ以上に報復しようと考えていた相手は、間違いなくノアのトラウマの元になった王女である。
ノアは自分がサミュエルに愛されているのだと、既に自覚している。その愛が、一般的に考えると少々重いものであるのも、周囲の者たちの言葉から悟っている。サミュエルがノアへと愛を傾けたのは、幼少の出会いの頃からだとも知っていた。
だからこそ、サミュエルがあの王女への罰に満足していたはずがないと自信を持って言えた。幽閉なんて罰とも言えないと、サミュエルは心の中で思っていたはずである。
ずっと穏やかな表情で、自分の務めを果たしながら、陰で計画を練っていただろう。自分にとって望ましい罰を与えるために。
「……満足のいく結果を得られましたか?」
ノアは王女の顛末について説明を求めなかった。
行方不明ということは知っている。それが王女自身の意思によって為されたかは分からない。現在の混乱に満ちたカールトン国内では、王女の行方を捜索する余裕のある者はいないだろう。
「ああ、とても素晴らしい結果だったよ。ノアを悲しませたくないから、詳細は言わないでおくけどね」
サミュエルがにこりと微笑んで答えた。一片の曇りもない笑顔である。何も知らない者が見たら、相当に喜ばしいことがあったのだろうと、つられて喜びそうなほど輝かしい。
それを見て、ノアは苦笑を零す。でも、それだけだった。サミュエルが満足しているならそれでいいと、受け流すことにした。知ることを望まれていないなら、ノアは自身の目を覆い隠すことに躊躇いはない。
「分かりました。……民への影響はないのですね?」
「ないよ。私はノアが悲しむ原因を作るつもりはない。ノアのどんな感情も、私以外に向けてほしくないからね」
「……みなさんが言うように、やはり少々重い気がしますね」
「嫌かい?」
「いいえ。それがサミュエル様の愛なのですから」
穏やかに微笑み即答するノアに、サミュエルの表情に笑みが溢れる。愛しげな眼差しに、ノアも同じ思いを込めて見つめ返した。
「……おぉーい、俺をのけ者にしないで、説明してくれー……」
ルーカスの声が空しく響いた。
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