愛の言葉に傾く天秤

秋月真鳥

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後編

12.溢れるほどの『愛してる』をあなたに

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「ギルベルトは、兄さんに『父に会ってほしい』『結婚したい』って言ったのかな?」

 穏やかとも言える問いかけに、ギルベルトはキリンのぬいぐるみを抱いたまま小さく頷く。ユストゥスが身を乗り出してくる。

「その前の『愛してる』は言ったの?」
「え?」

 愛してる。
 常に心の中でエリーアスに語り掛けていた。エリーアスの愛を感じ、自分もエリーアスに愛情を持っていると心の中では思っていた。

「言った、はず……多分、きっと……」
「僕は言ったよね。兄さんには何も通じてないみたいだよって」

 エリーアスの誕生日の日にユストゥスに言われた言葉をギルベルトは思い出す。エリーアスは鈍いから通じてないと言われた気がする。自分は愛しているし、それが伝わっているとばかり思っていたから、ギルベルトはその言葉をそれほど重要なものとは思っていなかった。

「愛してる……俺は、エリーアスに、愛してると言っていない!?」

 衝撃の事実にソファから立ち上がったギルベルトの膝の上からキリンのぬいぐるみが転がり落ちた。あれだけ大事に思っていたキリンのぬいぐるみがどうでもよくなるくらい、ギルベルトは衝撃を受けていた。

「言ったとしても兄さんは鈍いから聞いていなかったかもしれないし、心に届かなかったかもしれない。ギルベルトは何度でも、粘り強く兄さんに『愛してる』って繰り返さなければいけなかったんだよ。兄さんは本当に鈍いんだから」

 気持ちが通じていなかっただけで、順序を踏まずにいきなり父親に会えと言われて、その後にプロポーズされて、エリーアスがどれだけ戸惑っただろうと考えるだけでギルベルトは死にたい気持ちになってきた。
 自分は一番大事な言葉をエリーアスにまだ伝えていなかった。伝えたかもしれないが、エリーアスには届いていなかった。

「ユストゥス、ありがとう。何度でも言う。俺はエリーアスに『愛してる』と言う」
「どういたしまして。出勤のついでに送って行くから、車に乗って」
「いいのか?」
「兄さんもギルベルトを追い出して落ち込んでるはずだから、早く行って抱き締めてあげてよ」

 自分のことばかりでエリーアスまで気遣うことができなかったギルベルトは、自分が恥ずかしかった。電気自動車に乗せて行ってもらってキリンのキーホルダーに付いた鍵で玄関を開けると、ソファにエリーアスが横たわっていた。昨夜のままの格好で、バスローブを着て、義手と義足もつけていない姿に、ギルベルトはぞっとしてエリーアスに駆け寄る。
 目を閉じていると色の白さから顔色が悪く感じられて、キリンのぬいぐるみを投げ捨ててエリーアスの頬に触れたギルベルトに、黒い睫毛を持ち上げてエリーアスが目を開けた。

「あなた……戻って来たんですか?」
「エリさん、昨日のままじゃないか。風邪を引いてないか? 大丈夫か?」
「私は平気です……。あぁ、荷物を取りに来たんですね」

 立ち上がろうとして義足をつけていないエリーアスがよろめくのをギルベルトは支えた。義手と義足を持って来て、接続部を合わせて丁寧に取り付けると、エリーアスからお礼を言われる。

「ありがとうございます」
「エリさん、聞いてくれ。俺は大きな間違いを犯してた」
「間違い?」

 着替えに行こうとするエリーアスをギルベルトは後ろから抱き締めた。肩口に顔を埋めると、エリーアスの身体からボディソープの香りがする。

「愛してるんだ」
「……え?」
「俺はエリさんを……エリーアスを愛してる」

 愛の告白にエリーアスが身を捩って振り返る。乱れたバスローブもそこから覗く白銀の義手と義足も、ギルベルトにとっては美しく感じられた。エリーアスの身体を抱き締めながら、ギルベルトは懇願するように囁く。

「許してくれ。俺はすっかり言った気になってたんだ。俺はエリーアスを愛してる。生涯の伴侶はエリーアスしかいないと思っている」
「私を、あなたが愛してる?」
「そうだ。初めて出会ったときからエリーアスは俺に命を大事にするように言ってくれた。体を差し出してメンタルケアもしてくれた。俺にとっては性欲処理じゃなくて、愛の営みだったんだ」
「あ、あの……それ……」
「本当にすまない。俺の言葉が足りなかったばかりに、エリーアスは戸惑っただろうし、傷付きもしただろう。許されないなら、俺に一生をかけて償わせてくれ」

 そっとギルベルトの腕を振りほどいて、正面からギルベルトを見詰めたエリーアスの表情は戸惑いに満ちていた。何度でも言えとユストゥスに言われたがまだ足りないのかもしれない。
 もう一度愛してると言おうと口を開いたギルベルトの唇を、エリーアスが右手で塞ぐ。

「待って。そんな急に言われても、混乱してしまいます」

 耳まで真っ赤になったエリーアスはギルベルトに言われた台詞を反芻しているのだろう。口を開こうとしては閉じ、何も言えないでいる。

「愛してる。結婚して欲しい」

 優しくエリーアスの手を外して正面からプロポーズしたギルベルトに、エリーアスは真っ赤になったままでギルベルトの手を振りほどいてソファに座った。難しい表情で腕組みしているが、耳まで真っ赤なので妙にそれが可愛く見える。
 一世一代の告白を終えたギルベルトは、エリーアスの返事を待っていた。

「いつ頃から、ですか?」

 ぽそりと小さな声で漏れた問いかけに、ギルベルトはエリーアスの隣りに腰かけた。

「基地にいた頃から、気にはなっていた。このひとはどうして俺に生きていて欲しいって言うんだろうって不思議に思っていた。確信に変わったのは、エリーアスが俺を庇って左腕と左脚を失ったときだ」
「あれはあなたのせいではないと、何度も言ったじゃないですか」
「俺のせいじゃない。それは分かってる。俺のためだったんだと俺はずっと思ってた。俺の命を守るためだった。それだけ俺はエリーアスに愛されてるんだと信じてた」

 ギルベルトのせいではなく、ギルベルトの命を守るためにエリーアスは手榴弾の爆発の中でギルベルトを庇ってくれた。

「口先だけでは何とでも言えるけれど、俺の命を本当に守りたいとエリーアスは思ってくれていたんだと実感した瞬間、俺は愛されてるんだと浮かれた。浮かれてしまった結果、エリーアスに何も伝わってないままで、俺だけがもう生涯の伴侶になった気でいた」

 馬鹿な自分の話をするのは恥ずかしかったが、ユストゥスに指摘されてギルベルトは自分がどれだけ言葉足らずだったかを自覚させられていた。エリーアスが鈍いのも気付いていたはずなのに、全部通じているつもりで、自分だけで話を進めようとしていた。
 それは完全にギルベルトの落ち度だった。

「もう一度やり直させてくれ。エリーアス、愛しているんだ。一生俺の傍にいて欲しい。俺の伴侶になって欲しい」

 ソファの上で肩を抱き寄せて囁くと、エリーアスは右の手で真っ赤な頬を押さえていたが、顔を上げてギルベルトの顔に唇を寄せた。唇が軽く重なって、急いでエリーアスが身を離す。

「考えていませんでした。あなたが私を愛している可能性なんて」
「俺が言っていなかったからだ」
「一緒に暮らしてくれるのも、私の世話を細やかにあなたが焼いてくれるのも、抱き方が優しくなったのも、全部分かっていたはずなのに、私はそれから目を背けようとしていた」

 バスローブ姿のエリーアスの肩を抱くとバスローブの袷から胸がチラ見したりして、気が散りそうになるのをギルベルトは必死に堪えていた。エリーアスは今とても大事なことを口にしている。

「料理を作ってくれたり、運転を申し出てくれたり、シャワーを手伝ってくれたりするあなたの手に、もしかするとと思いながらも、そんなはずはないと私は自分で否定してしまっていました。本当は、あなたに愛されたかったのに」

 愛されたかった。
 エリーアスの言葉にギルベルトは強くエリーアスを抱き締める。もうひと時も離れていたくない気分だった。

「私も、あなたを愛しています、ギルベルト」
「エリーアス! 愛してる!」
「あなたのお父さんに会わせてください。認められるとは思いませんが、あなたが会って欲しいと言うのならば、私は会います」

 アードラー家の次男の伴侶として認められるかどうか分からない。罵られて地位も軍の傷病手当も取り上げられるかもしれない。例えそうであろうともエリーアスはギルベルトの父親と会ってくれると約束をした。
 安心するとギルベルトのお腹が鳴って、エリーアスもお腹を押さえる。

「追い出したのは私なのに、ギルベルトがいなくなってしまった喪失感で、昨日はソファから一歩も動けませんでした。ほとんど眠れもしなかった。朝ご飯も食べていません」
「俺も眠ってない。エリーアスに拒まれたショックで、脱水症状にもなった」
「え!? 脱水症状に!?」

 泣いて一晩眠らずに、水分も摂らなかったら脱水症状になってユストゥスに助けられたことをギルベルトが話すと、エリーアスは妙に納得していた。

「ギルベルトに助言をしたのはユストゥスなのですね」
「おかげで俺は紛争地帯に出陣するのを踏みとどまったよ」
「はぁ!? あなた、紛争地帯に行こうとしたんですか?」

 説教の気配を感じて、ギルベルトはエリーアスをエメラルドのような瞳で見つめる。

「せっかく助かった命をなんだと思っているんですか。あなたには幸せになって欲しかったのに、私の気持ちが全然通じてない」
「俺が死んだらエリーアスは泣くだろう?」
「泣きますよ。私が泣かないほど薄情と思ったんですか?」
「泣くと思ったら、俺は踏みとどまることができた。エリーアスに捨てられて、命も捨てていいと思ったのに、俺は結局エリーアスに生かされてる」

 怒られるのすらギルベルトには嬉しくて堪らなかった。それだけエリーアスがギルベルトを心配してくれている証なのだ。にやけているギルベルトに、エリーアスはため息を吐いていた。
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