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本編
5.容疑者は犯人になる
容疑者の持ち物である農場に行く前に、ルーカスは被害者の血の付いた布を科学捜査班から借りていた。エルネストの嗅覚は先ほどの幼児行方不明事件で実証されていたし、隠れた場所に被害者を閉じ込めていても、エルネストの嗅覚があれば探し出せると思ったのだ。
農場に着くと犬の鳴き声がしていた。
被害者のものではない。
侵入者に警戒して吠える複数の犬の声だ。
「犬を飼っていたのか……」
「犬には罪はないから射殺するのは躊躇われるよね」
「犯罪の容疑者が犬に狂犬病のワクチンを打っているとは限らない。嚙まれたら致命傷になるかもしれないぞ」
「それでも、罪のない飼い犬を殺したくはないよ」
甘いことを言うエルネストに、スーツの下の左脇、ホルスターから銃を抜こうとしたルーカスは少しだけ躊躇った。
「時間がないんだ! 俺は絶対に被害者を助け出したい!」
「気持ちは分かるよ。でもここで逸っても仕方がないからね」
被害者の命を助けたい。逸るルーカスにエルネストがそれを止める。
犬を殺さずに鎮静化させる方法があるのではないか。
残念ながら今回は麻酔銃の使い手は出動してきていないし、麻酔銃も複数の犬に一度に使うことはできない。
「閃光弾を投げ込んでみるか」
「パニックになって逆に危険かもしれない」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
被害者は農場を囲う檻を抜けたらすぐにでも見つかるかもしれないのに、突入することができない状況にルーカスは焦れていた。いつもならば話も聞かずに飛び出すのだが、エルネストの言葉は低く静かで、聞き入ってしまうような響きがある。
「君を信じてもいい?」
「どういうことだ?」
「君の足なら、犬に追い付かれることがないと信頼してもいいか聞いているんだ」
「もちろん、俺の足なら犬になんて遅れは取らない」
当然だとばかりに胸を張ってルーカスが答えれば、エルネストが提案してくる。
「君が最初に入って、囮になって飼い犬を誘導する。その間に、僕が農場内を探索して、被害者を探し出す。これでどうかな?」
「本当なら俺の手で助けたいが、悪い策じゃないだろう。分かった! その代わり絶対に助けるんだぞ!」
飼い犬も殺さずに、被害者を助け出すにはこの方法しかない。何よりも、自分の足を認められたのはルーカスにとっては誇らしかった。
誰よりも速く駆けることができる。持続力はないのだが、犬の全速力をかわすくらいならばなんとかなるだろう。
最悪の場合は人間の姿に戻って飼い犬を射殺すればいい。
決まると先にルーカスが檻を上って中に入る。
集まってきた飼い犬を振り払うように、金色の毛並みのチーターとなったルーカスは、軽々と農場を走っていった。
遅れてエルネストが柵をよじ登って中に入る。
白銀の狼の姿になって農場の中を嗅ぎ回って、納屋にたどり着いた。
人間の姿に戻って納屋の鍵に銃弾を撃ち込むと、鍵は壊れて納屋は開いた。
薄暗い納屋の中でも、狼の目を持つエルネストは不自由なく周囲を見渡すことができた。排泄物と腐肉の臭いのする納屋に入っていくと、何匹もの犬が死んでいるのが分かる。
銃を構えながらエルネストは声をあげる。
「誰か、生きているものはいないか? 警察の人外課だ。助けに来た!」
エルネストの声に答えるように小さな呻き声がした。
「たすけて……」
「すぐに行く!」
納屋の端に血塗れの犬の人外が転がっている。首輪をつけられて、動けないようにされている。
駆け寄ったエルネストは首輪を外し、犬の人外を抱き上げた。
「ルーカス、保護した!」
「分かった!」
納屋の外で飼い犬を翻弄しているルーカスに声をかけて、柵を超えて犬の人外を車に乗せると、ルーカスも少し遅れて人間の姿で車に戻ってくる。
「どうだった?」
「科学捜査班に連絡してほしい。納屋の中は酷い有り様だった。あの容疑者、犬の人外を狙って、攫って拷問して何人も殺している可能性がある」
告げるエルネストの顔色が悪い気がして、ルーカスが顔を覗き込むと、ルーカスの頬をエルネストが両手で挟んだ。じっくりと顔を見られる。
「君は怪我はない? 頬に血がついてるようだけど」
「これは飼い犬の血だ。接近されたので噛んでやった」
「君が無事ならいいけど、嚙んだなら、口腔内の消毒をお勧めするよ」
「言われなくても分かってるよ」
話しながらも科学捜査班には連絡を入れて、ルーカスは車を運転して病院まで犬の人外を送り届けた。車に轢かれて骨を折っているようだが、犬の人外の命の危険はないとのことだった。
これで容疑者が事件の犯人になった。
しかも、連続殺人犯の疑いすら出ている。
取調室に向かったルーカスとエルネストは、犯人が取り調べされているのをマジックミラー越しに見せてもらった。
「お前の所有している農場の納屋から、人外の死体が何体も出ている。車で轢いた人外も、保護された」
「どうせ、犬だろう?」
「なんだと?」
「犬っころを躾けただけの話だ。飼ってる犬の方がお利口だったよ」
動揺することなく告げる犯人に、ルーカスは吐き気を覚えていた。
人外の中でも犬や猫は比較的数が多いので、他の希少な獣に比べると軽んじられがちだ。人外の中にも差別というものが存在するのだ。
犯人が何の人外かは分からないが、ルーカスは犯人が厳罰の処されるようにと思わずにいられなかった。
連続殺人犯だったかもしれないということで、納屋の中の死体の検分は科学捜査班に引き渡されたが、エルネストとルーカスは昼間の幼児行方不明事件と共に、今回の犬の人外を車で轢いて監禁した事件に関しても書類を作らねばならなかった。
残業は慣れているが、残業をすることに人外課の警察官はいい顔をしない。ジャンルカにまで嫌がられるので、ルーカスとしては何とかエルネストだけでも帰して、ジャンルカの顔色を伺いたいところだった。
「デュマは帰れ。残りは俺がやる」
「君、書類仕事得意じゃないでしょう?」
「何を言う。俺は何でもできる優秀な男だ!」
「それにしては、書類仕事の出来上がりが遅い気がするんだけど」
「うるさい! さっさと帰れ!」
追い立てるようにしているのに、エルネストは全然椅子から立ち上がろうとしない。パソコンの電源も落とさず、パソコン画面に向き直って書類を仕上げようとしている。
「初日くらい相棒を帰らせてあげたら?」
「そんなんだから、相棒が長続きしないんだよ」
アーリンもパーシーも呆れ顔だが、それに対してエルネストはアーリンとパーシーの顔を見てはっきりと告げた。
「僕が残ると言ったんだ。相棒を置いて帰るわけにはいかないだろう?」
「エルネストはお人よしね」
「これ、デリバリーの電話番号。ネットからも注文できるから、遅くなりそうなら何か食べたほうがいいよ」
「ありがとう、パーシー。使わせてもらうよ」
端末に送られてきた情報にエルネストがパーシーに礼を言う。
パーシーとアーリンは自分に振り分けられた仕事を終えると、定時で退勤していった。
夜勤の警察官が出勤してきて、人外課はまたにぎやかになっているが、エルネストとルーカスは黙々と書類を書いていた。
書類が書き終わったのは、退勤時間よりも二時間ほど過ぎたあたりだった。
「デリバリーもいいけど、店で作りたてを食べたいよね」
「好きにしろ。俺は帰る」
「せっかく相棒になったんだから、歓迎会くらいしてよ」
「図々しい男だな」
「君の話も聞きたいし」
基本的にルーカスは他人と食事をしない。警察署の飲み会があったら仕方なく参加するが、それ以外で同僚と食事に行くなど考えられないことだった。
断ろうと口を開いたところで、エルネストのお腹が鳴る。
「ほら、お昼に君にサンドイッチを分けたから、お腹が減ってるんだ」
「あれはお前が勝手にやったんだろう」
「そうだよ。お昼も一緒に食べたんだから、夜も一緒でもいいよね?」
サンドイッチの礼に食事を奢れと言われたら、ルーカスは絶対に断っていただろう。
それをしなかったから、ルーカスの気持ちが動いたのかもしれない。
「仕方ないな。飲まないからな?」
「そりゃ、飲めないよ。僕も君も車なんだから」
答えるエルネストにその通りだったとルーカスは内心舌打ちをしていた。
農場に着くと犬の鳴き声がしていた。
被害者のものではない。
侵入者に警戒して吠える複数の犬の声だ。
「犬を飼っていたのか……」
「犬には罪はないから射殺するのは躊躇われるよね」
「犯罪の容疑者が犬に狂犬病のワクチンを打っているとは限らない。嚙まれたら致命傷になるかもしれないぞ」
「それでも、罪のない飼い犬を殺したくはないよ」
甘いことを言うエルネストに、スーツの下の左脇、ホルスターから銃を抜こうとしたルーカスは少しだけ躊躇った。
「時間がないんだ! 俺は絶対に被害者を助け出したい!」
「気持ちは分かるよ。でもここで逸っても仕方がないからね」
被害者の命を助けたい。逸るルーカスにエルネストがそれを止める。
犬を殺さずに鎮静化させる方法があるのではないか。
残念ながら今回は麻酔銃の使い手は出動してきていないし、麻酔銃も複数の犬に一度に使うことはできない。
「閃光弾を投げ込んでみるか」
「パニックになって逆に危険かもしれない」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
被害者は農場を囲う檻を抜けたらすぐにでも見つかるかもしれないのに、突入することができない状況にルーカスは焦れていた。いつもならば話も聞かずに飛び出すのだが、エルネストの言葉は低く静かで、聞き入ってしまうような響きがある。
「君を信じてもいい?」
「どういうことだ?」
「君の足なら、犬に追い付かれることがないと信頼してもいいか聞いているんだ」
「もちろん、俺の足なら犬になんて遅れは取らない」
当然だとばかりに胸を張ってルーカスが答えれば、エルネストが提案してくる。
「君が最初に入って、囮になって飼い犬を誘導する。その間に、僕が農場内を探索して、被害者を探し出す。これでどうかな?」
「本当なら俺の手で助けたいが、悪い策じゃないだろう。分かった! その代わり絶対に助けるんだぞ!」
飼い犬も殺さずに、被害者を助け出すにはこの方法しかない。何よりも、自分の足を認められたのはルーカスにとっては誇らしかった。
誰よりも速く駆けることができる。持続力はないのだが、犬の全速力をかわすくらいならばなんとかなるだろう。
最悪の場合は人間の姿に戻って飼い犬を射殺すればいい。
決まると先にルーカスが檻を上って中に入る。
集まってきた飼い犬を振り払うように、金色の毛並みのチーターとなったルーカスは、軽々と農場を走っていった。
遅れてエルネストが柵をよじ登って中に入る。
白銀の狼の姿になって農場の中を嗅ぎ回って、納屋にたどり着いた。
人間の姿に戻って納屋の鍵に銃弾を撃ち込むと、鍵は壊れて納屋は開いた。
薄暗い納屋の中でも、狼の目を持つエルネストは不自由なく周囲を見渡すことができた。排泄物と腐肉の臭いのする納屋に入っていくと、何匹もの犬が死んでいるのが分かる。
銃を構えながらエルネストは声をあげる。
「誰か、生きているものはいないか? 警察の人外課だ。助けに来た!」
エルネストの声に答えるように小さな呻き声がした。
「たすけて……」
「すぐに行く!」
納屋の端に血塗れの犬の人外が転がっている。首輪をつけられて、動けないようにされている。
駆け寄ったエルネストは首輪を外し、犬の人外を抱き上げた。
「ルーカス、保護した!」
「分かった!」
納屋の外で飼い犬を翻弄しているルーカスに声をかけて、柵を超えて犬の人外を車に乗せると、ルーカスも少し遅れて人間の姿で車に戻ってくる。
「どうだった?」
「科学捜査班に連絡してほしい。納屋の中は酷い有り様だった。あの容疑者、犬の人外を狙って、攫って拷問して何人も殺している可能性がある」
告げるエルネストの顔色が悪い気がして、ルーカスが顔を覗き込むと、ルーカスの頬をエルネストが両手で挟んだ。じっくりと顔を見られる。
「君は怪我はない? 頬に血がついてるようだけど」
「これは飼い犬の血だ。接近されたので噛んでやった」
「君が無事ならいいけど、嚙んだなら、口腔内の消毒をお勧めするよ」
「言われなくても分かってるよ」
話しながらも科学捜査班には連絡を入れて、ルーカスは車を運転して病院まで犬の人外を送り届けた。車に轢かれて骨を折っているようだが、犬の人外の命の危険はないとのことだった。
これで容疑者が事件の犯人になった。
しかも、連続殺人犯の疑いすら出ている。
取調室に向かったルーカスとエルネストは、犯人が取り調べされているのをマジックミラー越しに見せてもらった。
「お前の所有している農場の納屋から、人外の死体が何体も出ている。車で轢いた人外も、保護された」
「どうせ、犬だろう?」
「なんだと?」
「犬っころを躾けただけの話だ。飼ってる犬の方がお利口だったよ」
動揺することなく告げる犯人に、ルーカスは吐き気を覚えていた。
人外の中でも犬や猫は比較的数が多いので、他の希少な獣に比べると軽んじられがちだ。人外の中にも差別というものが存在するのだ。
犯人が何の人外かは分からないが、ルーカスは犯人が厳罰の処されるようにと思わずにいられなかった。
連続殺人犯だったかもしれないということで、納屋の中の死体の検分は科学捜査班に引き渡されたが、エルネストとルーカスは昼間の幼児行方不明事件と共に、今回の犬の人外を車で轢いて監禁した事件に関しても書類を作らねばならなかった。
残業は慣れているが、残業をすることに人外課の警察官はいい顔をしない。ジャンルカにまで嫌がられるので、ルーカスとしては何とかエルネストだけでも帰して、ジャンルカの顔色を伺いたいところだった。
「デュマは帰れ。残りは俺がやる」
「君、書類仕事得意じゃないでしょう?」
「何を言う。俺は何でもできる優秀な男だ!」
「それにしては、書類仕事の出来上がりが遅い気がするんだけど」
「うるさい! さっさと帰れ!」
追い立てるようにしているのに、エルネストは全然椅子から立ち上がろうとしない。パソコンの電源も落とさず、パソコン画面に向き直って書類を仕上げようとしている。
「初日くらい相棒を帰らせてあげたら?」
「そんなんだから、相棒が長続きしないんだよ」
アーリンもパーシーも呆れ顔だが、それに対してエルネストはアーリンとパーシーの顔を見てはっきりと告げた。
「僕が残ると言ったんだ。相棒を置いて帰るわけにはいかないだろう?」
「エルネストはお人よしね」
「これ、デリバリーの電話番号。ネットからも注文できるから、遅くなりそうなら何か食べたほうがいいよ」
「ありがとう、パーシー。使わせてもらうよ」
端末に送られてきた情報にエルネストがパーシーに礼を言う。
パーシーとアーリンは自分に振り分けられた仕事を終えると、定時で退勤していった。
夜勤の警察官が出勤してきて、人外課はまたにぎやかになっているが、エルネストとルーカスは黙々と書類を書いていた。
書類が書き終わったのは、退勤時間よりも二時間ほど過ぎたあたりだった。
「デリバリーもいいけど、店で作りたてを食べたいよね」
「好きにしろ。俺は帰る」
「せっかく相棒になったんだから、歓迎会くらいしてよ」
「図々しい男だな」
「君の話も聞きたいし」
基本的にルーカスは他人と食事をしない。警察署の飲み会があったら仕方なく参加するが、それ以外で同僚と食事に行くなど考えられないことだった。
断ろうと口を開いたところで、エルネストのお腹が鳴る。
「ほら、お昼に君にサンドイッチを分けたから、お腹が減ってるんだ」
「あれはお前が勝手にやったんだろう」
「そうだよ。お昼も一緒に食べたんだから、夜も一緒でもいいよね?」
サンドイッチの礼に食事を奢れと言われたら、ルーカスは絶対に断っていただろう。
それをしなかったから、ルーカスの気持ちが動いたのかもしれない。
「仕方ないな。飲まないからな?」
「そりゃ、飲めないよ。僕も君も車なんだから」
答えるエルネストにその通りだったとルーカスは内心舌打ちをしていた。
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