可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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五章 奏歌くんとの五年目

3.美歌さんの運命

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 宙夢さんの夏風邪が長引いている。
 できるだけ海香が面倒を見ようとしているようだが、海香は私の姉である。私ほど生活力が酷くはないが、料理ではダークマターを作った人物だ。生後五か月のさくらの面倒を見るのに疲れ切っている様子だった。
 保育園は探しているようだが、昨今の事情で入りにくくなっている。入れてくれそうなところもあるのだが、夏休み明けからにして欲しいという空気を感じ取っていて、海香も無理には入れられないようだ。
 二回目のヘルプのときには美歌さんが仕事が休みで篠田家にいた。
 茉優ちゃんもさくらと触れ合いたいようだし、奏歌くんを育てている美歌さんがいてくれればさくらの面倒も安心して見られる。
 休日だった私はさくらを連れて篠田家にお邪魔した。
 篠田家にもリビングに折り畳み式のベビーベッドが用意されていてさくらを受け入れる気満々だった。

「いらっしゃい、海瑠さん、さくらちゃん」
「いらっしゃいませ……小さい」

 奏歌くんの後ろからそっと覗いてくる茉優ちゃんも茶色っぽい目を輝かせている。赤ちゃんというものは子どもにとって興味のある可愛い生き物のようだった。
 タクシーの中でも不機嫌だったさくらは篠田家に入ると泣き出してしまう。ミルクの時間は十時だから、朝食を食べてすぐに私は迎えに行ったのでまだお腹が空いているわけではないようだ。

「可愛いわ。奏歌が小さい頃のことを思い出す」

 両手を伸ばして美歌さんが抱きとってくれると、さくらは泣き止んで大きな黒い目でじっと美歌さんを見つめていた。すりすりと美歌さんに顔を擦り付けて、匂いを嗅いで、そのうちに眠ってしまう。
 顔を擦りつける動作、どこかで見たことがある。
 あれは私が奏歌くんに私の匂いをつけるために猫になって顔を擦り付けているのと同じではないだろうか。

「ミルクの甘い香りがするわね。懐かしい」

 そっとベビーベッドに美歌さんがさくらを寝かそうとすると泣き出してしまう。抱き上げてぎゅっと体に密着させていると、顔を擦り付けてまた眠ってしまう。

「さくら、美歌さんが大好きみたいですね」
「子育て経験者が分かるのかしら」

 ころころと笑っていた美歌さんだったが、さくらを抱っこしたままでソファに座ってぽつりぽつりと話し始めた。

「奏歌が妹か弟を欲しがってたのも分かっていたの。真里さんも私たちは相性がいいからもっと子どもが作れるかもしれないって言っていた。でも、私はどうしてもそれに応じられなかった」

 さくらが生まれたときに奏歌くんは妹か弟が欲しかったことを吐露していた。それを美歌さんも気付いていた。気付いていながら、美歌さんには奏歌くんの妹も弟も作れない理由があった。

「真里さんと関係を持ったとき、私は初恋のひとが運命のひとではないって分かって、荒れていたのよ……それで、愛してもいない真里さんに流されてしまった」
「母さんは、父さんを愛していなかったんだ」

 両親が愛し合ってできた子どもではないことは、奏歌くんにとってはショックかもしれない。ソファに座ったまま奏歌くんの手を握ると、きゅっと握り返される。

「奏歌が可愛いのは本当よ。生まれて来てくれて良かったと毎日のように思っている。こんなに良い子に育ってくれて嬉しいの」

 でも真里さんを愛していたわけではない。
 美歌さんははっきりと口にした。
 美歌さんの初恋の相手とは誰なのだろう。運命ではなかったからと諦められるような相手だったのだろうか。

「運命じゃなくても、好きなひとと母さんは結ばれていいんだよ!」

 奏歌くんの言葉に美歌さんがゆるゆると首を振った。

「憧れだったのかもしれない。本当に大好きだったのよ。でも、結ばれることはできないの」
「どうして?」
「海香さんだから」

 海香!?
 美歌さんは海香のことが好きだった。
 はっきりと聞いた答えに私も奏歌くんも驚いていた。

「母さんは、女のひとが好きだったの?」
「多分、そうなのよ。私は女性が好きなタイプなの」

 真里さんと関係を持って奏歌くんを産んだ美歌さんが、女性が好きというのは驚きだったが、海香を好きならば海香はもう結婚して子どもも産んでしまっているし、初恋が叶えられないのは仕方がないことだった。
 何を言えばいいのか迷っている私に、美歌さんが眠るさくらのお腹に顔を埋める。赤ちゃんのお腹は柔らかくて気持ちいいのでそうしたくなる気持ちは分かる。

「甘い……いい匂い」

 美歌さんの呟きに反応したのは奏歌くんだった。

「母さん、もしかして……それ、ミルクの匂いじゃないんじゃない?」
「え?」
「僕、海瑠さんと一緒にいると、ずっと甘くていい匂いがしてるよ」

 私は奏歌くんの運命のひとだから常に甘くていい匂いがしているらしい。吸血鬼として食欲を誘う匂いだろう。
 さくらから美歌さんが同じ匂いを感じ取っているとなると、これは重大な問題になって来る。

「ミルクの匂いじゃない……こんな甘い匂い初めて嗅ぐ……」
「母さん、女のひとの運命のひとが男のひとだってことは、決まってないんでしょう?」

 私には奏歌くんという異性の運命のひとがいて、やっちゃんには茉優ちゃんという異性の運命のひとがいるが、運命のひとが必ずしも異性であるということはないわけだ。特に美歌さんは男性ではなく女性を恋愛対象とするタイプのようだし。

「私の運命のひとが、さくらちゃん!?」

 驚きに声を上げた美歌さんの腕の中でさくらが目を覚ました。ふにゃふにゃと手で顔を擦って、美歌さんを見てにっこりと笑う。
 これは間違いないような気がする。
 さくらはあまりにも小さすぎるけれど、吸血鬼の寿命を考えれば美歌さんの運命のひとでも良い気がするのだ。

「海香さんの娘が、私の運命……私の初恋のひとの娘が……」

 驚いてすぐには受け入れられないでいる美歌さんだが、どことなく嬉しそうな気配も発している。

「さくらちゃんが母さんの運命のひとだったら、僕、さくらちゃんとずっと繋がりが持てるよ」

 妹ができたような様子で奏歌くんは無邪気に喜んでいた。
 生後五か月にして運命のひとと出会ってしまったさくら。このことを海香にどう伝えればいいのか美歌さんも私も迷ってしまう。

「先輩なら、大らかに『良いわよ』って言う気がするんだけど」
「私も海香なら『美歌さんなら大歓迎よ』って言いそうと思います」

 その点に関しては私と美歌さんの意見は一致していた。宙夢さんも驚くかもしれないが、穏やかなひとなので大丈夫だろう。
 問題は一つ。
 真里さんのことだ。
 真里さんと美歌さんは婚姻関係を結んではいない。

「私に運命のひとができたって言ったら、物凄く拗ねるでしょうね……」
「父さんには運命のひとがいないからね」

 運命のひととはそもそも簡単に出会えるものではないのだ。百年以上生きている真里さんがまだ出会えていないのだからそのことは分かる。
 奏歌くんややっちゃん、美歌さんのように出会えてしまう方が珍しい。

「美歌お母さんは優しいから、私、幸せになって欲しい」

 ずっと傍で様子を見ていた茉優ちゃんが声を上げる。

「真里さん……私、怖くて嫌な印象しかない。美歌お母さんには吊り合わないと思うの」

 はっきりと言う茉優ちゃんに美歌さんが沈痛な面持ちになる。

「あのひとは私以外の相手がたくさんいるからね」

 美歌さんという子どもを作った仲の相手がいながら、婚姻関係にならないのは、真里さんが老若男女問わず気に入った相手と好きに遊んでいるからなのだと美歌さんは声を潜めて教えてくれた。

「あのひとは私を愛していないのよ。あのひとが欲しいのは奏歌という優秀な吸血鬼同士の間に産まれた子どもだけ」

 そんな酷い相手でも奏歌くんの父親だから会わせてはいたという美歌さんに、奏歌くんと茉優ちゃんがはっきりと告げる。

「もう母さんは父さんと会わなくて良いと思う」
「優しい美歌母さんをそんな風に扱うひととは、会わなくていい」

 二人の子どもに背を押されて、美歌さんは心を決めたようだった。

「もうあのひとが日本に帰って来てもこの家には上げないようにするわ。さくらちゃんの件に関しては、さくらちゃんが大きくならないと分からないけど、愛されるように努力してみる」

 初恋のひとは運命のひとではなくて、傷心で真里さんに流されるように関係を持ってしまい、奏歌くんができた美歌さん。奏歌くんの存在に関しては少しも後悔していないが、真里さんとこれからも関係を続ける気はないと決めた。
 そもそも奏歌くんができる数回だけで、それ以外で真里さんと関係を持ったこともないことも、私にはこっそりと教えてくれた。
 小さな姪のさくらは美歌さんに抱っこされて安心して眠っている。
 猫の本能がさくらが既に美歌さんに匂いを付けて美歌さんをロックオンしているのを感じ取っていた。
 美歌さんにとっての運命は、さくらにとっても運命なのだ。

「安彦さんには遠回しに伝えないと倒れちゃうかも」

 茉優ちゃんの呟きに私はやっちゃんへの伝え方を考えるのだった。
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