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七章 奏歌くんとの七年目
26.31歳の誕生日
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劇団の中でも31歳になると年上の部類になってくる。歌劇の専門学校自体、中学を卒業してから入学したひと、高校を卒業してから入学したひと、高校を中退して移って来たひとなど、様々な年齢で入学するのだから、同期でも年齢の違うひとたちはいた。前の男役トップスターだった喜咲さんも高校を卒業してから入学して来たので、同期だったが私よりも年上だった。
ワーキャットなので31歳になる実感が全くわかないのだが、女性にとっては30歳を超えてからの時間というのはすごくデリケートなもののようだった。男役トップスターになってまだ一年なのに、いつ辞めるのかという話題が出るようになっているのは、劇団が恋愛を禁止しているからだと分かる。
それが正しいと思う気持ちはないが、結婚適齢期なるものがあって、劇団に所属している限り、OG科にでも移行しないかぎりは恋愛も結婚もできない私たちは、心配されているようだった。そんなのは余計なお世話なのだが、真月さんも夢を追うのは諦めて故郷に帰るように言われていたというのが私には少し気になっていた。
「海瑠さん、晩ご飯、何だと思う?」
恋愛は禁止されているはずなのに、私は密やかに奏歌くんと真面目なお付き合いをしている。6歳のときからで、本当に恋愛関係になるのは奏歌くんが高校を卒業する18歳になってからと決めているが、出会ったときから奏歌くんは男前で私はドキドキしっぱなしだった。
「晩ご飯、なんだろう……暖かくなってきたから、さっぱりしたものかな?」
五月になって朝夕は涼しいが、昼間は気温が上がるようになって、季節は初夏になっていた。
「涼しくてさっぱりしたものが食べたかった?」
「うーん、どうだろう。お腹は結構空いてるから、ガッツリ食べたい気分かも」
予想から外れていたのか奏歌くんが困った顔になるのに、私は自分のお腹に手を当てる。たっぷり踊って汗もかいていたので、お腹はかなり空いていた。おやつも今日は食べ損ねてしまった。
「海瑠さん、先にシャワー浴びて来ていいよ。僕、晩ご飯を仕上げておく」
「分かった。ありがとう。汗かいちゃって、気持ち悪かったんだ」
ドラァグクィーンの厚化粧も大急ぎで落として簡単な化粧にしたから、まだ残っているようで気持ち悪い。しっかりと洗い流したかった私は奏歌くんの言葉に甘えてバスルームに入った。
化粧を落として、髪を洗って、身体も洗って、温度が低めのシャワーを浴びているとダンスで火照った体が落ち着いてくるようで安心する。髪を乾かしてリビングに出てくると、嗅いだことのある香ばしいいい香りがしていた。
なんだろう。
「牛乳? バター? トマト……?」
呟いていると奏歌くんがオーブンレンジからガラスの器を取り出す。中に入っているのはチーズがかかった食べ物だった。
「海瑠さん、当たりだよ。今日はラザニアなんだよ!」
「ラザニア!?」
やっちゃんが作ったのを食べたことはあるが、パスタ生地にトマト味のソースとホワイトソースが交互に挟まっていてとても難しそうな料理だった。それを奏歌くんは作ってくれたようだった。
「パスタ生地からやっちゃんと作ったんだ。今年は凝りたくて。ミートソースとホワイトソースも作って、挟んで海瑠さんの部屋の冷蔵庫に入れてから劇場に行ったんだよ」
「わざわざ、そんなことしてくれたんだ。ねぇ、ミートソースってトマト味のソースのことよね?」
私が確認すると奏歌くんは説明してくれる。
「ミートソースは牛ひき肉と玉ねぎと人参を、コンソメやローリエやナツメグや塩コショウで味を調えて、トマト缶で煮たものだよ」
「ホワイトソースは、牛乳?」
「そう。牛乳とバターと小麦粉をコンソメと塩コショウで味付けしたんだ」
ミートソースを作って、ホワイトソースも作って、パスタ生地も作って、このラザニアという料理には奏歌くんの手間がものすごくかかっている。サーモンと玉ねぎのマリネと、温野菜のサラダも出て来て、豪華な晩ご飯に私は胸を躍らせる。
「海瑠さん、お誕生日おめでとう!」
「ありがとう、奏歌くん」
私はワーキャットなので二十代半ばから老けることはないけれど、奏歌くんは日に日に育って大人に近付いてきている。私の誕生日だが、ラザニアを作れるようになった奏歌くんの成長を祝う日のようで私は嬉しくなっていた。
晩ご飯を食べ終わると、奏歌くんが小さなガラスの器を持って来てくれる。中には白いものが入っていて、その上にブルーベリーの青いジャムがかけられていた。
「そこに砕いたクラッカーを敷いたレアチーズケーキだよ」
「チーズケーキ! 大好き」
「紅茶を淹れるから待っててね」
シャワーを浴びて食卓の椅子に座るだけで全ての食事が準備されて、デザートと紅茶まで出てくる。
「贅沢だわ……」
「大袈裟だよ、海瑠さん」
「ううん、私、すごく甘やかされてるなぁって幸せを噛み締めてたの」
まだ中学一年生なのに奏歌くんは私のお誕生日を完璧に演出してくれる。どんな高級レストランや回らない高いお寿司屋さん、日本料理店に連れて行かれるよりも、奏歌くんが手間をかけて作ってくれたラザニアとサーモンと玉ねぎのマリネと温野菜のサラダを食べて、奏歌くん手作りのレアチーズケーキを食べて奏歌くんの淹れてくれた紅茶を飲むことが私にとっては最高の贅沢だった。
「奏歌くん、中学校最初のお誕生日の特別ディナーはどうしようか」
「いつも通り海瑠さんの家でコンサートをして、ディナーはなんでもいいよ」
海瑠さんのできることでいい。
私のことを全肯定してくれる奏歌くんのために私はなにか記念に残る特別な誕生日を演出したかった。
「奏歌くんって、フランス料理を食べに行ったことある?」
「え? フォークとナイフがずらーっと並んでるやつ?」
「うん、それ」
「ないよ。そんなの」
奏歌くんはお店できちんとしたフランス料理を食べたことがないようだった。
私は食べたことはあるはずなのだが、そのお店も料理も全く覚えていない。ナイフやフォークの使い方は舞台で食事をするシーンのために覚えていた気がするが、それ以外はどんな料理が出たかなど想像もつかない。料理を前にしても、興味のなかった私はそれが何でできているかも、どんな調理方法をしているかも、全く考えたことがなかったのだ。
「奏歌くんのお誕生日、それにしようか」
「フランス料理!? 高くない? 何着て行けばいいか分からないよ」
フランス料理を食べに行くのはドレスコードがあるのだろうか。奏歌くんのいつも着ているシャツとハーフパンツではいけないのかもしれない。
「ちょっとお洒落した方がいいかもね」
「お洒落か……」
「大丈夫だと思うけどな」
デザートのレアチーズケーキの最後のひとかけらを口に入れて、私はミルクティーを飲む。温かなミルクティーが体を芯から温めてくれるような気がする。
ふわっと欠伸をした私に奏歌くんがくすりと笑った。
「疲れたから眠くなったんじゃない?」
確かに三日間連続のお誕生日のショーは楽ではなかった。最終日にこんなご褒美が待っていると期待していなければ乗り切れなかったかもしれない。
「トップスターって結構大変。百合はよくあんなに長く続けられてるわよね」
「百合さんは劇団史に残る女役トップスターになりそうだよね」
奏歌くんの言葉に私は同意する。
百合がこれまでで一番長く女役トップスターを務めているのは確かだし、その記録を自分で毎年塗り替えているのも確かだ。
「私も伝説のトップスターになれるかな」
「なれるよ! 海瑠さんの演技は素晴らしいもの!」
奏歌くんはそう言ってくれるが、私は別の意味で伝説になるのではないかと少し不安になっていた。
男役トップスターなのに女役をやったり、ドラァグクィーンを演じたりする、異色の存在。そういうものとして名を残したいわけではないが、そうなってしまいそうな予感がひしひしとする。
そうならないためには、劇団の根本から変わってもらわなければいけない。
「いい伝説になれるように、訴えて行かなきゃいけないわね」
私は拳を握り締めて気合を入れた。
「今日は送って来なくていいよ。海瑠さん、ゆっくり休んで」
玄関先まで送って行った奏歌くんが、靴を履こうとする私を止めた。当然篠田家まで送って行くつもりだったが、奏歌くんはやっちゃんに電話をかけて迎えに来てもらうということだった。
外は夏の明るさでまだ日が落ち切っていない。
「そうだった、お誕生日お祝い」
忘れてたと奏歌くんが私にくれた箱を開けると、ラベンダー色の皮のICカード入れが入っていた。
「ありがとう……今日はいっぱいありがとう」
お礼を言って送り出す奏歌くんの背中は、まだ華奢だったが頼もしく男らしかった。
ワーキャットなので31歳になる実感が全くわかないのだが、女性にとっては30歳を超えてからの時間というのはすごくデリケートなもののようだった。男役トップスターになってまだ一年なのに、いつ辞めるのかという話題が出るようになっているのは、劇団が恋愛を禁止しているからだと分かる。
それが正しいと思う気持ちはないが、結婚適齢期なるものがあって、劇団に所属している限り、OG科にでも移行しないかぎりは恋愛も結婚もできない私たちは、心配されているようだった。そんなのは余計なお世話なのだが、真月さんも夢を追うのは諦めて故郷に帰るように言われていたというのが私には少し気になっていた。
「海瑠さん、晩ご飯、何だと思う?」
恋愛は禁止されているはずなのに、私は密やかに奏歌くんと真面目なお付き合いをしている。6歳のときからで、本当に恋愛関係になるのは奏歌くんが高校を卒業する18歳になってからと決めているが、出会ったときから奏歌くんは男前で私はドキドキしっぱなしだった。
「晩ご飯、なんだろう……暖かくなってきたから、さっぱりしたものかな?」
五月になって朝夕は涼しいが、昼間は気温が上がるようになって、季節は初夏になっていた。
「涼しくてさっぱりしたものが食べたかった?」
「うーん、どうだろう。お腹は結構空いてるから、ガッツリ食べたい気分かも」
予想から外れていたのか奏歌くんが困った顔になるのに、私は自分のお腹に手を当てる。たっぷり踊って汗もかいていたので、お腹はかなり空いていた。おやつも今日は食べ損ねてしまった。
「海瑠さん、先にシャワー浴びて来ていいよ。僕、晩ご飯を仕上げておく」
「分かった。ありがとう。汗かいちゃって、気持ち悪かったんだ」
ドラァグクィーンの厚化粧も大急ぎで落として簡単な化粧にしたから、まだ残っているようで気持ち悪い。しっかりと洗い流したかった私は奏歌くんの言葉に甘えてバスルームに入った。
化粧を落として、髪を洗って、身体も洗って、温度が低めのシャワーを浴びているとダンスで火照った体が落ち着いてくるようで安心する。髪を乾かしてリビングに出てくると、嗅いだことのある香ばしいいい香りがしていた。
なんだろう。
「牛乳? バター? トマト……?」
呟いていると奏歌くんがオーブンレンジからガラスの器を取り出す。中に入っているのはチーズがかかった食べ物だった。
「海瑠さん、当たりだよ。今日はラザニアなんだよ!」
「ラザニア!?」
やっちゃんが作ったのを食べたことはあるが、パスタ生地にトマト味のソースとホワイトソースが交互に挟まっていてとても難しそうな料理だった。それを奏歌くんは作ってくれたようだった。
「パスタ生地からやっちゃんと作ったんだ。今年は凝りたくて。ミートソースとホワイトソースも作って、挟んで海瑠さんの部屋の冷蔵庫に入れてから劇場に行ったんだよ」
「わざわざ、そんなことしてくれたんだ。ねぇ、ミートソースってトマト味のソースのことよね?」
私が確認すると奏歌くんは説明してくれる。
「ミートソースは牛ひき肉と玉ねぎと人参を、コンソメやローリエやナツメグや塩コショウで味を調えて、トマト缶で煮たものだよ」
「ホワイトソースは、牛乳?」
「そう。牛乳とバターと小麦粉をコンソメと塩コショウで味付けしたんだ」
ミートソースを作って、ホワイトソースも作って、パスタ生地も作って、このラザニアという料理には奏歌くんの手間がものすごくかかっている。サーモンと玉ねぎのマリネと、温野菜のサラダも出て来て、豪華な晩ご飯に私は胸を躍らせる。
「海瑠さん、お誕生日おめでとう!」
「ありがとう、奏歌くん」
私はワーキャットなので二十代半ばから老けることはないけれど、奏歌くんは日に日に育って大人に近付いてきている。私の誕生日だが、ラザニアを作れるようになった奏歌くんの成長を祝う日のようで私は嬉しくなっていた。
晩ご飯を食べ終わると、奏歌くんが小さなガラスの器を持って来てくれる。中には白いものが入っていて、その上にブルーベリーの青いジャムがかけられていた。
「そこに砕いたクラッカーを敷いたレアチーズケーキだよ」
「チーズケーキ! 大好き」
「紅茶を淹れるから待っててね」
シャワーを浴びて食卓の椅子に座るだけで全ての食事が準備されて、デザートと紅茶まで出てくる。
「贅沢だわ……」
「大袈裟だよ、海瑠さん」
「ううん、私、すごく甘やかされてるなぁって幸せを噛み締めてたの」
まだ中学一年生なのに奏歌くんは私のお誕生日を完璧に演出してくれる。どんな高級レストランや回らない高いお寿司屋さん、日本料理店に連れて行かれるよりも、奏歌くんが手間をかけて作ってくれたラザニアとサーモンと玉ねぎのマリネと温野菜のサラダを食べて、奏歌くん手作りのレアチーズケーキを食べて奏歌くんの淹れてくれた紅茶を飲むことが私にとっては最高の贅沢だった。
「奏歌くん、中学校最初のお誕生日の特別ディナーはどうしようか」
「いつも通り海瑠さんの家でコンサートをして、ディナーはなんでもいいよ」
海瑠さんのできることでいい。
私のことを全肯定してくれる奏歌くんのために私はなにか記念に残る特別な誕生日を演出したかった。
「奏歌くんって、フランス料理を食べに行ったことある?」
「え? フォークとナイフがずらーっと並んでるやつ?」
「うん、それ」
「ないよ。そんなの」
奏歌くんはお店できちんとしたフランス料理を食べたことがないようだった。
私は食べたことはあるはずなのだが、そのお店も料理も全く覚えていない。ナイフやフォークの使い方は舞台で食事をするシーンのために覚えていた気がするが、それ以外はどんな料理が出たかなど想像もつかない。料理を前にしても、興味のなかった私はそれが何でできているかも、どんな調理方法をしているかも、全く考えたことがなかったのだ。
「奏歌くんのお誕生日、それにしようか」
「フランス料理!? 高くない? 何着て行けばいいか分からないよ」
フランス料理を食べに行くのはドレスコードがあるのだろうか。奏歌くんのいつも着ているシャツとハーフパンツではいけないのかもしれない。
「ちょっとお洒落した方がいいかもね」
「お洒落か……」
「大丈夫だと思うけどな」
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確かに三日間連続のお誕生日のショーは楽ではなかった。最終日にこんなご褒美が待っていると期待していなければ乗り切れなかったかもしれない。
「トップスターって結構大変。百合はよくあんなに長く続けられてるわよね」
「百合さんは劇団史に残る女役トップスターになりそうだよね」
奏歌くんの言葉に私は同意する。
百合がこれまでで一番長く女役トップスターを務めているのは確かだし、その記録を自分で毎年塗り替えているのも確かだ。
「私も伝説のトップスターになれるかな」
「なれるよ! 海瑠さんの演技は素晴らしいもの!」
奏歌くんはそう言ってくれるが、私は別の意味で伝説になるのではないかと少し不安になっていた。
男役トップスターなのに女役をやったり、ドラァグクィーンを演じたりする、異色の存在。そういうものとして名を残したいわけではないが、そうなってしまいそうな予感がひしひしとする。
そうならないためには、劇団の根本から変わってもらわなければいけない。
「いい伝説になれるように、訴えて行かなきゃいけないわね」
私は拳を握り締めて気合を入れた。
「今日は送って来なくていいよ。海瑠さん、ゆっくり休んで」
玄関先まで送って行った奏歌くんが、靴を履こうとする私を止めた。当然篠田家まで送って行くつもりだったが、奏歌くんはやっちゃんに電話をかけて迎えに来てもらうということだった。
外は夏の明るさでまだ日が落ち切っていない。
「そうだった、お誕生日お祝い」
忘れてたと奏歌くんが私にくれた箱を開けると、ラベンダー色の皮のICカード入れが入っていた。
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