可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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九章 奏歌くんとの九年目

29.大人になるための約束

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 強引にされたキスは頬へのもので、私は全く嫌ではなかった。奏歌くんの迫力には驚いたが、奏歌くんがこんな顔もできるのだとときめいただけで、怖くもなかった。私にとっては奏歌くんは以前と変わらず、可愛い愛しい相手だった。
 あの日から奏歌くんの態度が変わるかと思えば、それほど変わらなかった。私が奏歌くんの前ではお風呂に入らないとか、だらしない格好をしないとか気を付けるようになったのもあるが、奏歌くんの方も私に無理に接触してくるようなことはない。以前通りかといえば少し違うが、私たちの中は平穏だと言えた。
 昔のように同じダブルのハンモックに一緒に寝ることも、同じベッドで眠ることも、お風呂に一緒に入ることもなくなったけれど、奏歌くんが大人になりかけているだけで、それ以外のことは変わっていない。
 私はそう信じていた。
 やっちゃんと茉優ちゃんの見送りには、美歌さんと莉緒さんも来ていた。大きなキャリーケースを持った二人を美歌さんが空港まで送って、莉緒さんが私と奏歌くんを空港まで連れて行ってくれる。
 荷物を預けているやっちゃんと茉優ちゃんに、莉緒さんは目を潤ませていた。

「お祖母ちゃん、下見だからすぐに帰って来るよ」
「そうよね。茉優ちゃん気を付けてね。安彦さん、茉優ちゃんのことよろしくお願いします」
「しっかり守ります」

 莉緒さんに告げるやっちゃんは普段のダウナーぶりをどこに置いてきたのかという引き締まった表情だった。美歌さんは茉優ちゃんを抱き締めている。茉優ちゃんはいつの間にか美歌さんよりも少し小さいくらいに背が伸びていた。

「茉優ちゃん、何かあったら安彦に頼るのよ。どんなことでも安彦に言っていいからね」
「はい、美歌お母さん」
「安彦、あんた、しっかり茉優ちゃんを支えるのよ? 英語は大丈夫なの?」
「ある程度は話せるようになったよ。茉優ちゃんのことは俺がちゃんとする」
「安彦さんのことは、私に任せてください」

 守られているだけではなくて、茉優ちゃんはやっちゃんを守ると口に出した。

「飛行機が怖いのも、私といれば平気だし……蝙蝠にもならないように気を付けます」

 莉緒さんに聞こえないように小声で囁く茉優ちゃんに、そういえばやっちゃんは飛行機が怖かったのだと思い出す。フランス公演でも飛行機に乗るときにものすごく大変だった。帰りの飛行機の中では、蝙蝠になってしまうというハプニングも起きた。
 それを全部支えてきたのが茉優ちゃんだ。やっちゃんは茉優ちゃんを守る気でいるけれど、意外と守られる方なのではないかと私は思ってしまう。

「やっちゃん、茉優ちゃん、気を付けてね。無事に帰って来てね」
「ありがとう、奏歌くん。きっといい場所を見つけて来るわ」
「茉優ちゃんと行ってくるよ。かなくんもいい夏休みを過ごして」

 まだ茉優ちゃんは高校二年生で、本格的にイギリスに移住するのは高校を卒業してからだが、それを感じさせる下見への出発に莉緒さんも美歌さんも私も奏歌くんも、何となく感慨深くなっていたのは確かだろう。
 マンションに送り届けてもらってから、私は落ち着かない気持ちになっていた。アイスティーを淹れてもらって飲むが、何となくそわそわしてしまう。
 奏歌くんが私の隣りに座っていて、勉強に集中している。あの骨ばった手が私の肩を掴んで、あの唇が私の頬にキスをした。
 無理やり唇を奪われたわけでもないし、嫌なことをされたわけでもない。服を脱がそうとして来たり、胸やお尻に触ってきたわけでもない。
 奏歌くんと話をしたいと思って、私は奏歌くんにお願いした。

「猫の姿になった私を撫でてくれない?」
「いいよ」

 勉強を切りのいいところまで終わらせて、奏歌くんがソファに座る。私は猫の姿になって奏歌くんの膝の上に頭を乗せた。

「奏歌くんは、私に触りたいとか、キスをしたいとか、思ってくれてるの?」

 問いかけに撫でる奏歌くんの手が止まる。見上げれば奏歌くんは耳まで真っ赤になっていた。

「それを聞くの、海瑠さん?」
「聞いちゃダメ?」
「答えにくいよ」

 私の問いかけにはいつも明瞭に答えてくれる奏歌くんが、珍しく言葉を濁している。その様子に驚きながら私は奏歌くんの膝に頭を摺り寄せた。

「これまで、私のことを触って来た男のひとたちはいた」
「海瑠さん、それは海瑠さんの同意なしにでしょう?」
「そう。胸に触ろうとしたり、お尻を触って来たり、肩を抱いたりされて、私はとても嫌だった。全部逃げて来たし、されたら振り払っていた」

 6歳の奏歌くんと出会うまで私の男運は最悪だった。
 女性と仲良くすると「自分と仕事のどっちが大事か」とか「他の子と遊ばないで」とか難しいことを言われるので、男性ならば友達になれるのではないかと考えた私が愚かだったのだ。男性は下心を持って私に接して来た。それは私の体に関することだったり、私の稼ぐお金に関することだったりして、6歳の奏歌くんと出会う前には私は心身ともにボロボロになっていた。

「海瑠さんのせいじゃないよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私に隙があったのは確かなのよ」

 答えてから私は奏歌くんのハニーブラウンの目を見上げる。膝の上に頭を乗せて、お腹を見せながらソファに寝っ転がって奏歌くんを見上げる無防備な体勢も、奏歌くんだからこそ晒せるのだ。

「奏歌くんなら私は平気。奏歌くんがそんな風に触れてくれるのは嬉しい」

 だから、と私は言葉を続ける。

「奏歌くんは私に触れたいとき、キスをしたいときは、教えて。言葉で教えてもらわないと、鈍い私は気付けないから」

 お願いすれば奏歌くんは耳まで真っ赤になっていた。

「僕、無理やり海瑠さんにキスをして、嫌われたんじゃないかと思ってたんだ」

 頬へのキスだったが、奏歌くんにとってはとても罪悪感を覚えさせるものだったようだ。私は奏歌くんにキスをされて、ちょっと強引だったけれど嬉しかったのだが、奏歌くんの方は私が嫌がっていたのではないかと心配していた。

「嫌ったりしない。奏歌くんとは将来結婚するんだよ。これくらいで嫌いにならないよ」

 恋人かと聞いたら奏歌くんは誠実に婚約者だと答えてくれた。劇団の規則で恋愛は禁じられているし、奏歌くんと私との仲は他のひとたちには知られてはいけないものだ。吸血鬼と運命のひとという関係なのだと説明するわけにもいかない。
 これからはもっと気を付けなければいけないという奏歌くんの言葉の意味も、私はようやくしっかりと理解できていた。

「海瑠さんのことが好きすぎて、暴走しそうで怖いんだ」
「奏歌くんはそんな子じゃない。私は知ってるよ」

 出会う前の六年間よりもずっと長い時間を私と奏歌くんは共有している。奏歌くんがどれ程紳士的で、どれだけ優しいかを私は実体験で知っていた。反抗期のような状態に入っても、奏歌くんの私に対する態度だけは変わらないことを、ものすごく自慢に思っていたりもしたのだ。

「嫌なことは嫌って言ってね」
「奏歌くんも、私が気を付けたらいいことは、はっきり教えて」

 二人で約束をし合うと、奏歌くんは私を撫でる手を再開しながら話してくれる。

「僕の前でお風呂に入ったり、シャワーを浴びたりするのはもうやめて。海瑠さんの色っぽい姿を見ちゃうと、僕、どうしても落ち着かなくなっちゃうから」
「い、色っぽい!?」
「海瑠さんは美人なんだよ! 自覚をもって!」

 色っぽいと言われて驚いてしまったが、奏歌くんがそう言うのならばその通りにするつもりだった。湯上りの私は色っぽいらしいので、奏歌くんにはできるだけそれを見せないようにしなければいけない。
 これまでのように気軽にお風呂に入れなくなるというわけだが、奏歌くんが帰るまで我慢すればいいだけだから、それはあまり問題がなかった。

「椅子に座るときも、肩をぴったりくっ付けられてると……二人きりのときは特にダメだけど、外でも誰が見てるか分からないからね」
「私、肩をぴったりくっ付けてる!?」
「海瑠さん、僕とくっ付きたがるよ」

 知らなかった。
 私は無意識に奏歌くんとくっ付きたがっていたようだ。
 今度からは隣りの席ではなく正面に座ることでそれは解決することにした。

「奏歌くん、部屋にもう来ないなんて言わないでね」
「それは言わない。海瑠さんはもうちょっと危機感を持ってね」

 危機感を持ってと言われても、奏歌くんのことが私は好きで好きでたまらない。これ以上どうしろというのかと、私は悩んでしまうのだった。
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