可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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十章 奏歌くんとの十年目

3.やっちゃんと茉優ちゃんの帰国

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 イギリスに行っていたやっちゃんと茉優ちゃんが帰って来た。帰国の日は美歌さんが車を出して迎えに行ったようだが、私は舞台稽古で忙しくて、奏歌くんも受験勉強に忙しかった。
 その日は奏歌くんは私のマンションに来ていなくて、やっちゃんと茉優ちゃんの帰国を迎えるために篠田家にいた。私も舞台稽古が終わると百合に篠田家まで送ってもらった。
 やっちゃんと二人きりの旅行を終えた茉優ちゃんはどこか輝くように美しくなっていた。旅行中は同じ部屋だったのかとか下世話なことは聞けないが、やっちゃんとの間に進展があったのは一目で分かった。

「お帰りなさい、やっちゃん、茉優ちゃん」
「ただいま」
「お土産があるんです、海瑠さん」

 ソファの前のローテーブルの上にはたくさんの紙袋が置かれていた。その中で茉優ちゃんが私にくれたのは、いい香りのする大きな箱だった。開けてみると、石鹸が三つ入っている。

「英国王室ご用達の香水メーカーの石鹸なんだって。ジャスミンや薔薇の香りがブレンドされてるって言ってたよ」
「英国王室ご用達! すごいね。茉優ちゃん、やっちゃんありがとう」

 奏歌くんに説明してもらってから匂うと確かにジャスミンティーの匂いや薔薇の匂いがするような気がする。ジャスミンをジャスミンティーでしか知らないので、私がそう認識しても仕方がない。

「僕はこれをもらったんだ」

 手に取って奏歌くんが見せてくれたのは、エコバッグのようだった。可愛い鳥の絵が描かれている。

「麻製のエコバッグなんだって。それと、これとこれも」

 エコバッグの中から奏歌くんが取り出すのは、ロンドンの二階建てバスの描かれた缶のお菓子と、紅茶の缶だった。

「これは海瑠さんと二人で一緒にどうぞって」
「やっちゃん、茉優ちゃん、本当にありがとう」

 重ねてお礼を言うと茉優ちゃんもやっちゃんも照れているようだった。
 やっちゃんが晩ご飯の準備のためにキッチンに行っている間、茉優ちゃんに話を聞く。

「田舎の方なんですけど、すごく綺麗な場所があって、そこに安彦さんと住もうかって話をしたんです」
「どういうところ?」
「ピーターラビットに出て来るような街でした」

 二人が気に入った街があったことに私は安心する。現地に行ってみないと分からないものだが、二人はちゃんと自分たちの暮らす場所を探してきていた。日本から離れるどころか、実家から出たが近い場所のマンションに暮らしている私にとっては、海外で暮らすことなどまだ想像がつかない。
 奏歌くんが高校を卒業して私が劇団を退団したら、どこか外国に行こうとは決めているのだが、やっちゃんと茉優ちゃんのように具体的な計画は私と奏歌くんとの間にはなかった。

「この旅行中に、安彦さん、私の首から血を吸ってくれたんです」

 キッチンにいるやっちゃんに聞こえないように小さな声で呟いた茉優ちゃんの頬は赤かった。嬉しそうな茉優ちゃんの様子に私も嬉しい気持ちになる。
 やっちゃんと茉優ちゃんのイギリス視察旅行の一年目は大成功だったようだ。来年も夏休みに二人はイギリスに行って、最終的な移住の手続きを始めることになる。

「私もいつかは海外に行くのか……」

 呟いた私の隣りに、紅茶を淹れてくれた奏歌くんが座る。

「海香さんもさくらちゃんもかえでくんも宙夢さんも、海外に行くんじゃないかな?」

 周囲が人間ではないひとたちばかりなので自分がワーキャットだということを忘れがちだが、私は人間ではなくて、老いる速度が人間とは全く違う。奏歌くんも吸血鬼で、美歌さんも吸血鬼で、やっちゃんも吸血鬼で、茉優ちゃんも吸血鬼の伴侶として血を分けられるから同じように人間と老いる速度が変わって来る。
 それは海香にも言えることで、老け顔のメイクをしているが、海香が二十代半ばで老いが止まっているのは私も奏歌くんも知っていた。実年齢と外見年齢が乖離してくると、周囲は私たちのことを訝しく思うだろう。
 人外だと分かられる前に誰も知らない場所に行かなければいけないのは、海香一家も同じだった。

「海香さんが行くなら、母さんも行きそうだし、海瑠さんの退団の後は、家族全員で大移動になるんじゃないかな」

 海香の娘のさくらは美歌さんの運命のひとで、さくらもものすごく美歌さんに懐いているから、美歌さんは海香の行く国についていくことになるだろう。そこに行けば私は海香の一家と美歌さんに会えることになる。

「最初はやっちゃんと茉優ちゃんのところに行って、次に海香さん一家と母さんのところに行って、行ったり来たりするのも楽しいと思うよ」

 海外に行くことについても、奏歌くんはどこまでも前向きだった。前向きな奏歌くんの姿を見ていると、私も大丈夫かもしれないと思わされる。

「色んな国で舞台に立てるかな?」
「そうできるように、僕が頑張ってマネージャーさんしないと!」

 気合を入れる奏歌くんに私は心強さを感じていた。
 夏休みも終わりに近付いて、奏歌くんは模試の日もあったりして、忙しそうだった。それでも晩ご飯の時間には私の家に来てくれているから、ドアを開けるたびに喜びに包まれる。

「ただいま、奏歌くん」
「お帰りなさい、海瑠さん」

 稽古は相変わらず高音を歌うのが大変で、劇団の男役のトップスターとしてみんなを引っ張っていかなければいけないのに、ついていくだけで精いっぱいだった。百合の方が劇団女役トップスターとしてしっかりとみんなを引っ張っていってくれている。

「今日もお弁当美味しかったよ。ありがとう」
「自分の分もお弁当作ってるんだけど、お昼に食べるときに、毎日海瑠さんのことを思い出してるよ」
「お揃いなのね!」

 奏歌くんの言葉に私は鼻歌を歌いながらお弁当箱を洗って水切りネットに置く。お弁当箱をきちんと洗って奏歌くんに返すのも私の日課になっていた。
 家事を全くできなかった私が、お弁当箱を洗えるようになっただけでも、ものすごい進歩だと思うが、始めがマイナスからだったので、百合は「当然じゃない?」で済ませてしまう。

「最近、百合は自分でお弁当作って来てるし、生活を見直したみたいだし、私はとても真似できないなぁって思ってるの」
「海瑠さんはちゃんとお弁当箱を洗って返してくれるし、晩ご飯の後の食器も食洗器に入れて洗ってくれる。海瑠さんはそのままでいいんだよ」

 ありのままの私を受け入れてくれる奏歌くんには感謝しかない。大好きな奏歌くんに褒められると、私も誇らしい気持ちになってくる。

「百合さんって、お弁当作ってるって言うけど、もしかして、兄さんが作ってたりしないかな?」
「え? 真尋さんが百合のお弁当を?」

 なんで奏歌くんがそんな発想になったのか分からずに私は目を丸くした。真尋さんと百合に何かそんな繋がりがあっただろうか。

「百合に限ってそんなことないわよ」

 笑う私に、奏歌くんは「そうかなぁ」と首を傾げていた。
 女役のトップスターとして長く務めている百合に限って、そんな劇団の規則に抵触しそうなことをするわけがないと私は確信を持っていた。百合は劇団の規則に従って、女役トップスターの座が揺らぐようなことはしない。

「そうか。僕の気のせいかな」
「そうだよ。奏歌くんもそういうことが気になるお年頃になったのかな」

 揶揄うように言うと、奏歌くんが真面目な表情になる。

「僕は海瑠さんのことを気にしてるし、ずっと海瑠さんのことが気になっているよ」

 真剣なハニーブラウンの目に私はどきりとしてしまう。

「海瑠さんだって、僕にプロポーズしてくれたでしょう?」

 高級レストランに奏歌くんを招いて、お誕生日お祝いに私は奏歌くんに小さな紫のサファイアがついたアンティーク調の涙の小瓶を渡した。金属のカプセルの中に入っている涙の小瓶を、奏歌くんは今も胸に下げているはずだ。
 奏歌くんが高校に入学して三年間経てば、卒業する。そのときには私は奏歌くんに結婚指輪を渡してプロポーズするのだろうか。
 その日が待ち遠しくて堪らない私だった。
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