忘れられない君の香

秋月真鳥

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ヴォルフラム(攻め)視点

1.ヴォルフラム・ハインケスという男

 ヴォルフラム・ハインケスはハインケス子爵家の三男として生まれた。
 ハインケス子爵家は祖父の代に資金難に陥っていた王家に資金援助をしたとして、当時の国王が高い爵位を授けようとしたのだが、それを固辞したために、子爵になったという。
 領地は持っていないが商家として栄えていて、バルテル侯爵領の中に工場や果樹園をいくつも持っている。

 男ばかりの兄弟で、三人目のヴォルフラムを産んだ後に、これ以上子どもは望まない方がいいと言われた母は、美しい容姿のヴォルフラムに女物のドレスを着せて可愛がった。母によく似た美しいストレートの金髪を伸ばすのも、きれいなドレスを着るのも、嫌ではなかったが、十歳になるころにはヴォルフラムは何か違うのではないかと思い始めていた。
 ドレスを着せたからといって母はヴォルフラムに女性のマナーを学べとは言わなかったし、乗馬も剣術も体術も習わせてもらっていた。
 そのときには動きやすい男性の服を着せられるので、ヴォルフラムがそちらを着て過ごしたいと母に言えば、母は「あなたはそんなに可愛いのだから、似合うものを着ればいいじゃない」と取り合ってくれなかった。

 いい加減ドレスに嫌気がさし始めたころに、ヴォルフラムは運命と出会う。
 褐色の肌に短く切った灰色がかった白い髪、アメジストのような煌めく紫の目のその男性は、桃のような瑞々しい香りがしてとても好ましかった。
 十歳のヴォルフラムは自分より長身で年上の彼に運命を感じ、夢中になった。

「ここで出会ったことは内緒にしてください」
「わたしは、アレクシス・バルテル。君は?」
「ヴィーと呼ばれています」

 出会ったのは父の別荘があったバルテル侯爵領内の湖の畔で、別荘を抜け出してきたヴォルフラムはこのひとを誰にも見られたくないと、つい内緒にしてくださいなどと口にしていた。

 アレクシス・バルテル。

 名前からすればバルテル侯爵家の嫡男だろう。
 自分の名前も、ドレスを着ているのに男の名前だと言われるのが嫌で、「ヴィー」と誤魔化した。

 護衛がついていたが、一定距離離れてもらって、ヴォルフラムはアレクシスと林の中を散策した。木々が夏の日差しを遮って、湖の上を通る風が涼しい。
 お互いに少し汗ばんでいたが、それもアレクシスの香りを強くするようで心地よかった。
 散策が終わりそうになると、アレクシスはヴォルフラムに聞いてきた。

「ヴィー、また来年もここに来る?」
「それは分からない。来年のお父様の休暇はどこで過ごすか分からないの」
「そうか……。わたしも来年は学園に入学するからここに来られるか分からないな」

 来年のことは分からないし、この出会いが終わったらヴォルフラムは真剣に自分の格好を男性のものに戻してもらおうと考えていた。次にアレクシスに会うときには、本当の自分で会いたい。
 そう思うのに、アレクシスは今生の別れのようにヴォルフラムを見つめる。

 足場の悪い場所で差し出されたアレクシスの大きな温かい手。
 十歳のヴォルフラムは自分の第二の性を知らなかったけれど、アレクシスはこんなにいい香りをさせているのでオメガではないかと思ってしまう。父はアルファだし、母はオメガなので、ヴォルフラムもオメガかアルファである可能性が高い。
 こんなにもフェロモンの香りを感じ取って、それが心地よく思われるのだ。自分たちは運命の番に違いないとヴォルフラムは思っていた。

 アルファとオメガの間には、出会えば惹かれ合って番になるしかないという運命の番というものがある。
 まだ精通も来ていないヴォルフラムだが、もし来ていたらアレクシスをその場で抱いてうなじに噛み付いていたかもしれない。
 それくらいアレクシスの香りは抗いがたいものだった。

「わたしたち、運命なんじゃないかな?」
「運命?」
「アレクシス様とわたしは、運命の番なの。アレクシス様からはいい香りがしてくるし、わたし、アレクシス様と一緒にいると幸せな気分になる」

 幸せというよりも、もっと凶暴な気持ちになることは口に出せないが、一生懸命自分とアレクシスとの間を取り結ぼうとするヴォルフラムに、アレクシスが力なく笑う。
 こんなにも魅力的なのに、アレクシスはどこか冷めた目をしていた。

「運命の番でも、わたしはヴィーと結婚することはできない」
「そんなことない! わたし、アレクシス様を探す! アレクシス様に結婚してもらえるように頑張る!」

 十一歳のアレクシスは来年には学園に入学するというので、ヴォルフラムはアレクシスと再会する方法は考えていた。
 伯爵家以上の貴族の子息令嬢は十二歳から六年間王都の学園に通わなくてはいけない。
 ヴォルフラムも身分は低いが子爵家令息なので、両親に頼みこめば学園に入学させてもらうことは不可能ではないだろう。
 そのためには勉強も頑張るし、マナーの授業も嫌がらず受ける。剣術と体術の稽古もこれまで以上に頑張るつもりだった。

 絶対にアレクシスと再会してみせる。
 その思いを胸に、ヴォルフラムは持っていた四つ葉のクローバーの刺繍がされた白いハンカチをアレクシスに手渡した。

「ヴィー、わたしのことは忘れて」
「忘れない。アレクシス様もわたしを覚えていて」

 悲しいことを言うアレクシスは人生の全てを諦めているようだった。この目を生き生きと輝かせたい。アレクシスのことを幸せにしたい。
 ヴォルフラムは別荘に帰った後で両親と交渉した。

「もう女の格好はしない。おれには好きな相手ができた。そのひとと結ばれるために、おれを学園に行かせてくれ」

 勉強もするし、行儀作法も完璧にする。伯爵家以上が入学する学園で子爵家は家格的に低いかもしれないが、それに関しても何を言われても我慢するし、成績は常に首席を争えるように努力する。

 ヴォルフラムの本気の目を見て両親は反対しなかった。

 それ以後ヴォルフラムは女性の服を着ることはなくなって、勉強もマナーも剣術も体術も真面目に頑張り、学園の入学試験で成績優秀者となって入学することができた。
 ヴォルフラムと同じ学年にはこの国の第三王子であるフィリップもいて、成績優秀者のヴォルフラムはフィリップと学友になることが決まっていた。

 王都にタウンハウスのある貴族はそこから、ない貴族は寮に入って学園に通うのだが、子爵家ながら金だけは溢れるほどあるハインケス子爵家は王都にタウンハウスを持っていた。
 そこから通うヴォルフラムは、一学年上のアレクシスの情報を学園内で集めていた。

 アレクシスは成績は首席、剣術も体術も他の追随を許さぬ域に入っていて、とにかく目立っていた。
 それなのに、いつも一人で他社を寄せ付けようとしない。
 アレクシスに近付きたいのに、ヴォルフラムは近寄りがたい雰囲気にのまれてしまって近寄ることができないまま、学園生活を送っていた。

 学園に入学するころにはヴォルフラムの第二の性は検査で分かっていた。
 予想した通りにアルファだった。
 不安なのは噂で聞こえてくるアレクシスの第二の性がアルファではないかということだった。
 アルファ同士だと結婚はできるが子どもはできない。
 子どもができない結婚でも構わないのだが、アレクシスはバルテル侯爵家の後継者として後継ぎを求められる立場に違いない。
 湖の畔で出会ったときに、結婚してほしいと言ったヴォルフラムに決して頷かなかったのも、政略結婚をしなければいけないと思い詰めてのことだろう。

 できることならばアレクシスの意に添う結婚をさせてやりたい。

 ヴォルフラムがアレクシスに近寄れなかったのはそういう理由もあった。
 アレクシスの近くにいれば、絶対にアレクシスを放すことができずに自分のものにしてしまう。アレクシスが自分に依存するように仕向けて、ヴォルフラムを選ばなかったときには苦しめてしまう。

 そばにいたいのに近寄れない。
 ヴォルフラムの苦悩は、アレクシスが十六歳で遅めのヒートが来て第二の性が分かるまで続いた。
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