あなたへの道

秋月真鳥

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最終章 勇者と妖精種と聖女の結婚

7.青慈の怪我

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 これまで居間で脚本の作業をしていた青慈が、自分の部屋に閉じこもってしまうようになった。早朝の畑仕事は一緒にしているし、朝ご飯も一緒なのだが、食器の片付けが終わると、白と雪と卯花の小屋の掃除をして餌を上げて、自分の部屋に閉じこもる。猟師たちとの見回りのある日には出て行くのだが、いつも通りに笑顔で「行ってきます」と出て行く。昼食後には片付けが終わるとまた部屋に閉じこもるか、山を歩き回っているかで、朱雀と過ごす時間が減っていた。その上、夜も同じ部屋で寝ないのだ。
 朱雀にとっては深刻な青慈不足になっていた。

「青慈が足りない……」
「朱雀さん、何を言っているの?」
「青慈が、可愛い青慈が、私の視界の中にいない」

 台所で調合をしていても、青慈が居間にいれば朱雀は青慈の姿を視界に入れることができた。逆に言えば、青慈がいないことの方が不自然で、朱雀は誰もいない居間に向かって何度も「青慈」と呼び掛けてしまっていた。
 その状況を聞いて藍が沈痛な面持ちで額に手をやっている。
 藍と紫音は麓の街と近隣の街を回り終えて、少しの休暇を取って家に帰って来ていた。居間には藍と朱雀だけで、紫音と青慈は山の見回りに行っている。

「朱雀さん、青慈は子どもじゃないのよ?」
「青慈はいつまで経っても、私にとっては可愛い子どもだ」
「そういう考え方も大事かもしれないけど、青慈は大人の男なのよ。朱雀さんに欲望を感じているの」

 それに関しては、青慈と深い口付けをしたので朱雀も理解しているつもりだった。深い口付けをして以来、青慈は朱雀と距離を置き始めたし、居間で作業もしなくなったので、朱雀は寂しくて堪らない。

「口付けたら、違ったって思ったんだろうか」

 年上の男性に憧れていただけで、実際に口付けてみたら違ったと思うこともあるだろう。朱雀との抱く、抱かないの攻防戦も、実は青慈が朱雀の身体を見てみたら違うと感じたからかもしれなかった。

「それは、青慈に言われたの?」
「言われてないよ」
「それなら、あり得ないわね」

 はっきりと物を言う藍に、朱雀はため息を零す。

「青慈のことは可愛いし天使のようだと思っているんだ。青慈が望むなら、抱かれても構わないと思っている。それなのに、青慈は理解してくれない」
「青慈はなんて言ってるの?」
「私が青慈のことを愛してるとはっきり分からないと体の関係は持たないと言っている」

 真剣に朱雀は話しているはずなのに、藍の表情が歪んでいる。笑いを堪えているのだと分かるまで、朱雀には少し時間がかかった。

「ぷっ……あはははは」
「藍さん、何がおかしいんだ?」

 声を上げて笑われて、朱雀は狼狽えてしまう。藍が笑っている理由が朱雀には全く見当もつかない。

「朱雀さんは青慈を愛しているのよ」
「私が青慈を愛している?」
「愛していなきゃ、抱かれていいなんて考えないわよ。男同士で抱かれるのって結構勇気のいることだと思うわよ? 女同士でも、私は結構紫音と体の菅家尾を持つのは勇気が必要だったし」
「藍さん、そんな露骨に言わないで」
「言っちゃダメなの? 私と紫音は結婚しているのよ? 結婚には当然、性愛も入ってくるはずだわ」

 性的なことを匂わせる藍に、朱雀は上手く受け止められない。紫音は赤ん坊のころから知っていて、オムツも替えた子どもだ。朱雀にとっては可愛い娘のようなもので、その紫音が藍と肉体関係があるというのをはっきりと言われてしまうと、恥ずかしいような、衝撃的なような複雑な感情を持ってしまう。

「朱雀さんは、思ったより子どもなのね」
「そうかもしれない。妖精種の中では若い方だし」
「それに青慈は気付いていないのよ。青慈にとってはずっと朱雀さんがお父さんだったからね。朱雀さんにも稚気があって、子どもっぽいところがあるんだって、青慈も気付ければいいのにね」

 ずっと青慈の父親のつもりでいた。青慈と紫音は朱雀の息子と娘で、いつか二人とも自立して好きな相手と結婚して朱雀の元を離れていくのだろうと覚悟していた。結果として青慈は朱雀と、紫音は藍と結婚することを選んだのだが、朱雀にとっては結婚自体がまだ実感のわかないものだったことに気付く。

「結婚の意味を私は知らなかったのかもしれない。ただ、青慈がかっこいい服を着て私の隣りに立ってくれる。私の元からどこにも行かないでくれると、それだけしか考えていなかった気がする」
「結婚には必ず性愛が伴うのよ。冷めた夫婦ならともかく、青慈は朱雀さんを抱きたいと思っていて、朱雀さんはそれを受け入れようと思っている。それが愛じゃなくてなんなの?」

 朱雀には自覚がないが、藍にしてみれば朱雀はとっくの昔に青慈を愛しているのだと言われている気がする。青慈がいなければ寂しいし、青慈がいないのに居間に話しかけてしまうような状態は、朱雀も明らかにおかしいとは思っていた。

「私は青慈を愛していたのか……?」
「私に聞かれても困るわ。その辺は青慈と二人で話し合ってよ」

 最終的には青慈と話し合いをするしかない。それは分かっていても、朱雀はどう切り出せばいいのかもまだ分かっていなかった。
 山の見回りから紫音が帰って来たときに、朱雀は青慈が紫音に抱きかかえられていることに驚きを感じていた。紫色の目に紫音は涙をいっぱい溜めている。

「青慈に怪我をさせちゃったの! お父さん、青慈を診てあげて!」
「それほど酷い怪我じゃないから、紫音ちゃん、気にしなくていいよ」
「ごめんなさい、私、うっかりしちゃって……」

 涙ながらに語る紫音の話を聞いていると青慈が怪我をした状況が分かってくる。

「猟師さんの罠にかかっていたのが、結構大きな猪だったから、止めを刺すときに私も手伝おうとしたの。ちゃんと止めがさせたと思ったんだけど、まだ生きてたから、脳天に一撃入れようとしたら、猪が避けちゃったのよ」
「そこに猟師さんの手があったんだよね」
「青慈が急いで猟師さんを移動させたんだけど、私、勢いが止められなくて、青慈の足に手刀を入れちゃったの……」

 話を聞いて藍と朱雀が思ったことは同じだった。

「猟師さんじゃなくてよかった」
「猟師さんだったら死んでたんじゃないかしら」
「青慈は深靴があったから骨は折れてないみたいだ」
「青慈、よく猟師さんを守ったわね」

 深靴を脱がせた青慈の足首は紫色に変色して腫れていたが骨は折れていない様子だった。ぼろぼろと涙を零す紫音を藍が抱き締める。

「紫音は力が強いんだから、気を付けなきゃダメよ?」
「はい。ごめんなさい、青慈」
「大丈夫だよ。すぐに治ると思うから」

 痛みを堪えて微笑んでいる青慈に、鞄から飛び出した大根が悲鳴を上げた。

「びょえー!? びぎょわー!?」

 紫色に変色して腫れている青慈の足首を見て、大根が必死に頭の葉っぱを引き抜く。

「大根さん!? そんなに抜かなくていいよ!?」
「びょげ! びょわ!」
「ありがとう、大根さん」

 心配して頭の葉っぱを引き抜いて渡して来た大根に、紫音の鞄から飛び出した人参も神妙な顔で頭の葉っぱを抜き出した。

「人参さん!?」
「びょげ! びゅがっげ」
「ありがとう、人参さん」

 まばらになった頭の葉っぱを気にすることなく、人参も青慈に葉っぱを差し出してくる。渡された葉っぱをどうするか悩んでいる青慈の手から受け取って、朱雀はそれで湿布を作った。青慈の腫れた足首に貼ると、青慈は少し楽そうにしている。

「しばらく公演はお休みにして、青慈の面倒をみるわ!」
「紫音ちゃん、そこまでしなくていいよ。家にはお父さんもいるし、杏さんと緑さんの手も借りるよ」
「でも、私のせいで……」
「俺は紫音ちゃんと藍さんが公演で子どもたちを喜ばせてくれるのが嬉しいんだ」

 お父さんがいるから大丈夫と言われれば朱雀も張り切るしかない。

「青慈の面倒は私がしっかり見るよ」

 涙目になっている紫音に言えば、こくりと頷く。紫音が出かける準備をしている間に藍がひそりと囁いた。

「青慈が怪我をしている間に、看病と称して距離を縮めるのよ」
「看病と称して!?」
「片足が不自由だと、夜中にお手洗いに行くのも大変でしょう? 分かるわね?」

 同じ部屋で寝る口実にするのだと言っている藍に、朱雀は妙に落ち着かない気持ちで頷いていた。
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