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30.お寺にお参り
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『妬ましい……』
声が聞こえる。
真っ暗な部屋の中で、僕の上に乗り上がって、ぐいぐいと冷たい手が首を絞めて来る。
僕は呼吸ができなくてもがいていた。
猫又が僕の胸に飛び乗って、『ふしゃー!』と僕の首を絞める黒い影を威嚇する。
いつものように飲み込んでしまわないのはどうしてなのだろう。
猫又は自分で飲み込めないような大きさの黒い影……思念や残滓は寛に任せるのだが、今回の黒い影がそれほど大きなものには僕は思えなかった。
普段ならば飲み込んでいるだろうに、どうしたのだろう。
猫又に威嚇されて黒い影は逃げ出したが、僕は気になって机の上にタロットクロスを敷いて、タロットカードを混ぜていた。
タロットカードを一枚引くと、ワンドのエースの逆位置が出た。
意味は生命力だ。
逆位置になると、足を引っ張るひとという意味もある。
『あなたの成功を妬んで足を引っ張るひとが出てきたみたいね。これは死んだひとの思念じゃなくて、生きているひと、つまり生霊だわ。私が飲み込んでしまうと、そのひとに害が及ぶかもしれない』と猫又は言っている。
「僕を殺そうとするくらい憎んでいるひとがいるってこと?」
問いかけてタロットカードを捲ると、ソードの五の正位置が出た。
意味は、混乱。
手段を選ばず強奪するという意味もある。
『あなたの地位が欲しいひとたちの集団の思念ね。小さな羨ましさや妬みが集合体になっているのよ』という猫又の声に、僕は考える。
「ゆーちゃんの不動明王様なら祓えるのかな?」
タロットカードを捲ってみると、ワンドの三の正位置が出た。
意味は、模索。
あともう一押しがあれば動き出せるという暗示だった。
「もう一押し足りない何かがあるってこと?」
『その通りね。不動明王様の力が弱まっている。一度、お参りに行った方がいいわ』と猫又も答える。
僕はこのことを寛にどう伝えようか迷っていた。
翌朝になってから、寛がキッチンで朝ご飯を作っている間、黙り込んでいる僕に、寛は不審に思ったようだ。
問いかけて来る。
「昨日の夜、起きてなかったか?」
「気付いてたの?」
「隣りの部屋で物音がすると思ってた。猫又がいるから平気だろうと放っておいたが、平気じゃなかったのか?」
僕は正直に寛に言うことにした。
僕と寛の間には隠し事はなしだ。
「不動明王様の力が弱まってるみたいなんだ。一度お参りに行った方がいいかもしれない」
「どこの不動明王にお参りに行けばいいんだ?」
問いかけられて僕は困ってしまった。
不動明王は色んな所にあって、どこに行けばいいのか分からない。
タロットカードに聞いてみるというのもありだが、一か所一か所調べていくのはものすごく時間がかかる。
それでもざっくりとした場所が分からないかとタロットクロスをテーブルに広げて、タロットカードを混ぜていると、ポーチにつけていたチャームが外れた。
これは何か意味があることなのだろうか。
ポーチにつけていたチャームは、僕が酉年で、酉年の守護神であるという不動明王のカンという梵字の書かれた小さなプレート状のチャームだった。
タロットカードを捲ってみると、ペンタクルの五だ。
意味は、困難なのだが、スタンダードなタロットカードでは教会に駆け込むひとの姿が書いてあって、寺院、教会という意味もあったはずだ。
「ちぃちゃんが、このチャームを買ったお寺?」
僕の呟きに、猫又が『そこだわ!』と声を上げた。
長年僕を守って寛と共にいた不動明王は弱っている。
猫又は生霊は追い払うことくらいしかできないし、根本的に祓ってもらうには不動明王の力が不可欠だった。
僕はすぐに叔母にチャームを買ったお寺を聞いた。
そこはこの部屋から電車で三十分くらいの場所だった。
叔母は僕と似ていてそんなに遠くに行かない。どちらかといえば引きこもっている方だ。
その叔母が行ける範囲なのだから、近場で本当によかった。
僕と寛は、寛の次の休みである明後日にそのお寺に行くことを決めた。
調べてみるとお寺はかなり有名な場所のようだった。
もしかすると、寛の母親が妊娠中に安産祈願に行ったのかもしれないが、それを確かめる方法はない。僕は寛の母親と連絡を取りたいと思っていないし、寛もそうだった。
お寺に行く日には、気温が下がって霧雨が降っていた。
傘を差して電車の駅まで歩いて、電車でお寺の最寄り駅まで行く。
お寺は拝観料が必要だった。
拝観料を払って境内に入ると、不動明王の置かれているお堂がある。
真っすぐそこに向かうと、不動明王の像が置いてあった。
あまり大きな像ではなくて、寛の連れている不動明王とほとんど変わらないサイズだ。
お参りをすると、不動明王の輝きが増してくる。
「かーくん、何か変わったか?」
「すごく眩しい。輝いてる」
これからは定期的にこのお寺に来て寛の不動明王に力を注がなければいけないのだろう。
お参りを終えて、僕と寛は部屋に帰った。
部屋に帰った僕は、寛に言う。
「部屋の端に黒くてデカいのがいる!」
「ここか?」
「もう少し、左!」
「こっちか?」
「そこ! そこを徹底的にやって!」
黒い影は『妬ましい……羨ましい』と呻きながら霧散していった。
タロットクロスを広げてタロットカードで見てみると、ワンドのエースが正位置になっていた。
逆位置だったのが、正位置に戻ったというのは、生命力が元に戻って行ったということだろう。
「生霊はみんな元に戻ったみたい」
僕が言えば、猫又が補足する。
『それだけじゃないわ。不動明王様の生命力も満ちているのよ』と。
「またあのお寺には行こうね」
「二十六年間も、力を足さずに守ってくれてたんだな。これからは頻繁に行こう」
幸い遠い場所ではなかったので、僕と寛はあのお寺にまた行くことを誓っていた。
編集の鈴木さんと、もう一社の編集さんからメッセージが届く。
『続刊の番外編集、好評ですよ。予約数がすごいです』
『妖ミステリ作品の初稿、読ませていただきました。全体としてよくまとまっていると思います。これで行きましょう』
上下巻同時発売した板前さんと妖の女の子の話の続刊の番外編集は、予約数だけで増版がかかりそうだと鈴木さんは言っている。
もう一社の編集者さんは、妖ミステリ作品の初稿は満足の行く出来だと言ってくれている。
「ゆーちゃん、続刊も増版するかも!」
「本当か。かーくん、お祝いしないと!」
嬉しい知らせはそれだけではなかった。
『メープルシュガー先生に、異世界ロマンス小説を書いていただきたくてご連絡しました。悪役令嬢ものなどいかがでしょう?』
別の出版社からもお声がかかった。
この出版社も、一冊だけ本を出していたが僕も作家になりたての頃で、売れ行きがいまいちでそれ以降お声がかからなかった出版社だ。
前回とは編集さんが違うようだが、上手くやって行けるだろうか。
『詳しいお話を聞かせてください』
メッセージを返してから、僕は寛を見た。
「僕、忙しくなりそう」
「俺の店で書けばいいだろ」
「そうしようかな」
寛の申し出に僕は笑って答えた。
寛のお店は妖が来るようになって経営も立て直って、潰れることはなくなった。
「この汁飯は何というのだ?」
「鶏飯です」
「とても旨いな」
今日の定食は鶏飯である。
炊き立てのご飯の上に、解した鶏の身と薄焼き卵と海苔とネギを乗せて、熱々の鶏ガラスープをかけるのだ。
季節はすっかり冬になっていて、温かいスープが身に沁み込むように美味しい。
「ちぃちゃんとばぁばとじぃじから、感想が来るんだよ。恥ずかしいけど、嬉しいね」
食べながらそばを通った寛に話しかけると、マスクの下で微笑んだようだった。
僕は祖母を「ばぁば」、祖父を「じぃじ」と呼んでいる。
母を「ママ」、父を「パパ」と呼ぶのを改める時期を逸してしまって、そのままにしているのと理由は同じだ。
僕が「ばぁば」と「じぃじ」と言っても、寛は笑ったりしない。
「そういえば、ばぁばからこれ、送られて来たんだけど」
今朝部屋を出るときにポストに入っていた手紙を開くと、三歳のときの僕と寛の写真が入っていた。
これは寛と出会った日の写真ではないだろうか。
僕は寛に借りたパンツをはいている。
「カボチャパンツ……」
寛が小さく呟く。
僕も寛も見事なお尻がぷっくりとしたカボチャパンツだったけれど、僕はそんなこと気にしていなかった。
「ゆーちゃんはこのころから格好よかったよね」
寛は僕のヒーローだ。
これまでも、これからも。
声が聞こえる。
真っ暗な部屋の中で、僕の上に乗り上がって、ぐいぐいと冷たい手が首を絞めて来る。
僕は呼吸ができなくてもがいていた。
猫又が僕の胸に飛び乗って、『ふしゃー!』と僕の首を絞める黒い影を威嚇する。
いつものように飲み込んでしまわないのはどうしてなのだろう。
猫又は自分で飲み込めないような大きさの黒い影……思念や残滓は寛に任せるのだが、今回の黒い影がそれほど大きなものには僕は思えなかった。
普段ならば飲み込んでいるだろうに、どうしたのだろう。
猫又に威嚇されて黒い影は逃げ出したが、僕は気になって机の上にタロットクロスを敷いて、タロットカードを混ぜていた。
タロットカードを一枚引くと、ワンドのエースの逆位置が出た。
意味は生命力だ。
逆位置になると、足を引っ張るひとという意味もある。
『あなたの成功を妬んで足を引っ張るひとが出てきたみたいね。これは死んだひとの思念じゃなくて、生きているひと、つまり生霊だわ。私が飲み込んでしまうと、そのひとに害が及ぶかもしれない』と猫又は言っている。
「僕を殺そうとするくらい憎んでいるひとがいるってこと?」
問いかけてタロットカードを捲ると、ソードの五の正位置が出た。
意味は、混乱。
手段を選ばず強奪するという意味もある。
『あなたの地位が欲しいひとたちの集団の思念ね。小さな羨ましさや妬みが集合体になっているのよ』という猫又の声に、僕は考える。
「ゆーちゃんの不動明王様なら祓えるのかな?」
タロットカードを捲ってみると、ワンドの三の正位置が出た。
意味は、模索。
あともう一押しがあれば動き出せるという暗示だった。
「もう一押し足りない何かがあるってこと?」
『その通りね。不動明王様の力が弱まっている。一度、お参りに行った方がいいわ』と猫又も答える。
僕はこのことを寛にどう伝えようか迷っていた。
翌朝になってから、寛がキッチンで朝ご飯を作っている間、黙り込んでいる僕に、寛は不審に思ったようだ。
問いかけて来る。
「昨日の夜、起きてなかったか?」
「気付いてたの?」
「隣りの部屋で物音がすると思ってた。猫又がいるから平気だろうと放っておいたが、平気じゃなかったのか?」
僕は正直に寛に言うことにした。
僕と寛の間には隠し事はなしだ。
「不動明王様の力が弱まってるみたいなんだ。一度お参りに行った方がいいかもしれない」
「どこの不動明王にお参りに行けばいいんだ?」
問いかけられて僕は困ってしまった。
不動明王は色んな所にあって、どこに行けばいいのか分からない。
タロットカードに聞いてみるというのもありだが、一か所一か所調べていくのはものすごく時間がかかる。
それでもざっくりとした場所が分からないかとタロットクロスをテーブルに広げて、タロットカードを混ぜていると、ポーチにつけていたチャームが外れた。
これは何か意味があることなのだろうか。
ポーチにつけていたチャームは、僕が酉年で、酉年の守護神であるという不動明王のカンという梵字の書かれた小さなプレート状のチャームだった。
タロットカードを捲ってみると、ペンタクルの五だ。
意味は、困難なのだが、スタンダードなタロットカードでは教会に駆け込むひとの姿が書いてあって、寺院、教会という意味もあったはずだ。
「ちぃちゃんが、このチャームを買ったお寺?」
僕の呟きに、猫又が『そこだわ!』と声を上げた。
長年僕を守って寛と共にいた不動明王は弱っている。
猫又は生霊は追い払うことくらいしかできないし、根本的に祓ってもらうには不動明王の力が不可欠だった。
僕はすぐに叔母にチャームを買ったお寺を聞いた。
そこはこの部屋から電車で三十分くらいの場所だった。
叔母は僕と似ていてそんなに遠くに行かない。どちらかといえば引きこもっている方だ。
その叔母が行ける範囲なのだから、近場で本当によかった。
僕と寛は、寛の次の休みである明後日にそのお寺に行くことを決めた。
調べてみるとお寺はかなり有名な場所のようだった。
もしかすると、寛の母親が妊娠中に安産祈願に行ったのかもしれないが、それを確かめる方法はない。僕は寛の母親と連絡を取りたいと思っていないし、寛もそうだった。
お寺に行く日には、気温が下がって霧雨が降っていた。
傘を差して電車の駅まで歩いて、電車でお寺の最寄り駅まで行く。
お寺は拝観料が必要だった。
拝観料を払って境内に入ると、不動明王の置かれているお堂がある。
真っすぐそこに向かうと、不動明王の像が置いてあった。
あまり大きな像ではなくて、寛の連れている不動明王とほとんど変わらないサイズだ。
お参りをすると、不動明王の輝きが増してくる。
「かーくん、何か変わったか?」
「すごく眩しい。輝いてる」
これからは定期的にこのお寺に来て寛の不動明王に力を注がなければいけないのだろう。
お参りを終えて、僕と寛は部屋に帰った。
部屋に帰った僕は、寛に言う。
「部屋の端に黒くてデカいのがいる!」
「ここか?」
「もう少し、左!」
「こっちか?」
「そこ! そこを徹底的にやって!」
黒い影は『妬ましい……羨ましい』と呻きながら霧散していった。
タロットクロスを広げてタロットカードで見てみると、ワンドのエースが正位置になっていた。
逆位置だったのが、正位置に戻ったというのは、生命力が元に戻って行ったということだろう。
「生霊はみんな元に戻ったみたい」
僕が言えば、猫又が補足する。
『それだけじゃないわ。不動明王様の生命力も満ちているのよ』と。
「またあのお寺には行こうね」
「二十六年間も、力を足さずに守ってくれてたんだな。これからは頻繁に行こう」
幸い遠い場所ではなかったので、僕と寛はあのお寺にまた行くことを誓っていた。
編集の鈴木さんと、もう一社の編集さんからメッセージが届く。
『続刊の番外編集、好評ですよ。予約数がすごいです』
『妖ミステリ作品の初稿、読ませていただきました。全体としてよくまとまっていると思います。これで行きましょう』
上下巻同時発売した板前さんと妖の女の子の話の続刊の番外編集は、予約数だけで増版がかかりそうだと鈴木さんは言っている。
もう一社の編集者さんは、妖ミステリ作品の初稿は満足の行く出来だと言ってくれている。
「ゆーちゃん、続刊も増版するかも!」
「本当か。かーくん、お祝いしないと!」
嬉しい知らせはそれだけではなかった。
『メープルシュガー先生に、異世界ロマンス小説を書いていただきたくてご連絡しました。悪役令嬢ものなどいかがでしょう?』
別の出版社からもお声がかかった。
この出版社も、一冊だけ本を出していたが僕も作家になりたての頃で、売れ行きがいまいちでそれ以降お声がかからなかった出版社だ。
前回とは編集さんが違うようだが、上手くやって行けるだろうか。
『詳しいお話を聞かせてください』
メッセージを返してから、僕は寛を見た。
「僕、忙しくなりそう」
「俺の店で書けばいいだろ」
「そうしようかな」
寛の申し出に僕は笑って答えた。
寛のお店は妖が来るようになって経営も立て直って、潰れることはなくなった。
「この汁飯は何というのだ?」
「鶏飯です」
「とても旨いな」
今日の定食は鶏飯である。
炊き立てのご飯の上に、解した鶏の身と薄焼き卵と海苔とネギを乗せて、熱々の鶏ガラスープをかけるのだ。
季節はすっかり冬になっていて、温かいスープが身に沁み込むように美味しい。
「ちぃちゃんとばぁばとじぃじから、感想が来るんだよ。恥ずかしいけど、嬉しいね」
食べながらそばを通った寛に話しかけると、マスクの下で微笑んだようだった。
僕は祖母を「ばぁば」、祖父を「じぃじ」と呼んでいる。
母を「ママ」、父を「パパ」と呼ぶのを改める時期を逸してしまって、そのままにしているのと理由は同じだ。
僕が「ばぁば」と「じぃじ」と言っても、寛は笑ったりしない。
「そういえば、ばぁばからこれ、送られて来たんだけど」
今朝部屋を出るときにポストに入っていた手紙を開くと、三歳のときの僕と寛の写真が入っていた。
これは寛と出会った日の写真ではないだろうか。
僕は寛に借りたパンツをはいている。
「カボチャパンツ……」
寛が小さく呟く。
僕も寛も見事なお尻がぷっくりとしたカボチャパンツだったけれど、僕はそんなこと気にしていなかった。
「ゆーちゃんはこのころから格好よかったよね」
寛は僕のヒーローだ。
これまでも、これからも。
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