絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 62:蠱惑に

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《空港総責任長》デスタルトインフラターミナルにおて責任長の業務は、主に空港の経営の統括、業務員の監督、など一般的な会社の責任者と同じといってよい。ただ、それは表向きで、実際の空港運営総括は市庁舎の一部門が担っており、責任長という肩書は有名無実の地位と言われている。自治体によっては中央官僚の天下り先として用意されている、との噂も囁かれる責任長のポストは、空港の経営悪化の原因との指摘もある。














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「さあ、どうするんだ。責任長殿」

 顔も思い出せない従業員と部外者の体を張った心意気に責任長は苦慮する。そんな中、頭に過るのは勇士二人のことでもハイジャック機のことでも、ましてや町のことでもなかった。
 今より少し前、黒服整備士とカンファレンスし、生み出した作戦案をセマフォに説明していた。
 その時の会話が現在よりも鮮明に思い起こされ身につまされる。

――つまり、中央の特殊部隊と重力機関があれば可能なのだな? 

 口ぶりからして独り言に近いのだろう。市長の言葉は余計な虚飾が失われ、通話機ごしでも、抜身の刃のごとく体を貫いた。

 理性によって現実に立ち返った責任長に部下がいきなりセマフォを差し出し、タウンゼント市長からです、と告げる。
 セマフォを奪い取り応答する責任長は集団から足早に離脱する。

「はい、市長! どうなさいましたか」

『……作戦の首尾はどうですか?』

「ええ、もう何時でも実行に移せます」

『そうですか。別口からの話では、何やら手間取っていると伺ったのですが……。あなたを信じましょう』

 責任長は顔を上げると視線だけで周囲を見渡す。けれど先方の話は続いていた。

『私が個人的にお呼びした民間の方々の準備が無駄になる、と思って肝を冷やしたのは杞憂だったようですね』

「ええ、民間の方々の……」

『本来ならば保安兵に任せたかったのですが。街中も非常に大変な状況ですからね。保安兵と中央政権ユニットも手が足りないようですし。市庁舎の防衛機構は対外有事を想定して用意されていますから正直、今回のような特殊な事案には不向きだ。ですから、わざわざ私費を投じて民間の部隊と連携することになったのですよ?』

「そ、それは、ありがとうございます」

 責任長はその場で深くお辞儀する。
 市長はというと安楽椅子を回して、窓へ向くと、爪やすりの粉塵を吹き払う。それから肩と顎で挟んだスマホを爪を整えた左手で受け止め通話を続ける。

「地上からもハイジャック機を補足しています。作戦が実行されれば機体を目視で追跡し、着陸地点に私が組織する……私がお呼びした部隊が集結して機体を制圧捕縛……無略化することでしょう」

『はぁ……な、なるほど。素晴らしい計画に言葉もありません。感服いたしました』

 あくまでも、自分は武力を持たないクリーンな市長を演じるタウンゼントは緩く頷く。

「もし作戦が成功すれば、今後は民間の力を戦力として住民に受け入れてもらえる。そして、一地方の些事とはいえ中央のお歴々の興味を引けることと思います」

『と、言いますと……それは』

「お互いのより良い発展につながるかと……」

 市長は微笑みを消す。

「ですので、お互いできる限り、尽力いたしませんと。ねえ?」

 責任長は、かしこまりました、の一言も出せなかった。

「なに?」

 ベンジャミンは聞き違えかと思って、イヤホンを耳殻の奥へ押しやる。
 無線通信機のマイクの前に立ち、責任長は告げた。

「駄目だといったのだ。君たちの作戦は」

 ソーニャが、どうして、と問いただす。

「私には、この空港の責任を担う義務がある。それこそが私が責任長として勤めるべき責務。それをおいそれと他人にゆだねるわけにはいくまい!」

『責』の一字を並べ、もっともらしいことを宣う責任長の顔には、自信もなければ使命感もなく、声はだらしなく焦燥感に満ちていた。
 待ってくれ責任長、と声を上げたベンジャミンを遮る。

「いや、これ以上議論の余地はない」

 黒制服が耳打ちすると、責任長は神妙な面持ちで受け止めた。

「今、こちらの作戦の最終調整が終わった。心しておけ」

 ベンジャミンの同僚たちが、待ってください、と詰め寄る。

「機体が不安定だってわかってるんでしょ」

「墜落したらただじゃ済みませんよ」

「そうです、ここは彼らにいったん任せてみたら」

 責任長は怒鳴る。

「うるさい! こちらの作戦のほうが確実に成功する。重力牽引の影響下にあれば、たとえ機体が停止しても墜落は起こらず誘導も可能だ! もうこれ以上議論する必要はない!」

 マーカスが落ち着いて話し出す。

「待ってくれ、ソーニャたちの話をもっと詳しく聞いてからでも……」

「いいや誰が部外者の言葉など聞くものか! 時間の無駄だ」

 強気に出た責任長だったが。表情を一変させたマーカスの鬼気迫る目で見下ろされ、あからさまに気圧される。
 さらにエヴァンがギブスを外し、指を指で極端に曲げて間接を鳴らす。少年の形相はさほど変わらないが、煮えたぎった感情は、戦闘経験も男らしさも皆無な責任長ですら感じとれるほど明白だった。
 自然と一歩ずつ後ろへ退避する責任長を皆が追う。
 エロディは無線機に尋ねた。

「ソーニャ……あんた本当に人質助けられる?」

「……あのね」
 
 エロディは無線の言葉を静かに聞いていた。
 その間にも、ああでもないこうでもないと声を張り上げる責任長は、親子を筆頭に群がる集団が向ける眼光へ、畏怖と反発を繰り返す。

「いいか! この空港で起こった事態の収拾をこの空港の責任者であるこの私がして何が悪い!? 誰に止める権利がある!? 保安兵か? 何もできず、むざむざ犯人を逃がしたお前らにあるのか? それとも何か? 責任を取る人間を差し置いて、その下にいる人間が主導するのか? そして失敗すれば、お前たちの誰かが私の代わりに責任を負ってくれるのか? どうなんだ!?」

 一人一人を指さし、侮辱に満ちた目を送る男に、みな不快感を押し殺す。そして、自分の無力を呪った。

「というわけです……」

 一方、少女の言葉を聞き終えたベンジャミンは。

「ソーニャ、お前。やっぱり、バカだな」

 戦友の痛烈な評定に、ぬが! と変な声を上げるソーニャ。
 呆れを含んだ声でエロディは、いつものことだよ、と止めを差す。
 
「でも……」

 エロディは言葉の途中、踵を返し

「分かった」

 ただ一言で彼女は自分の意思を示した。

「責任長さん」

 乙女の声が呼ぶので、当人だけでなく皆が振り向く。
 注目を一手に引き受けたエロディは、小男の目をまっすぐ見て尋ねた。

「本当に本当にッ……ソーニャたちに全くチャンスを与えるつもりはないの?」

 当たり前だ、と責任長は怒鳴った。
 聞きたいセリフではなかったのだろう。エロディは深いため息をこぼし、一旦は閉ざした目を開ける。

「……こういうのは、よくないんだけどなぁ」

 そう呟いて彼女は責任長に歩み寄った。
 ラフな格好の若い女性がほのかな香水を漂わせて近づけば黒制服も責任長の部下も無自覚に鼻の下が伸び、彼女の胸元やほかの女性らしい部分に目が行く。化粧っ気が全くないことを忘れてしまうほど美麗な彼女には気品や生来の輝きが薄絹のベールのようにふわりと寄り添う。
 今まで讒言ざんげん並べに熱中し、焦燥に駆られていた責任長は、女性が傍らに寄るまでその美貌を意識しなかった。しかし彼女を目の前にした途端に背筋を正し、なんだね? と自らの態度を改める。

「お得意さんなのに今まで挨拶もしなかったのは、やっぱり従業員として失礼だったなぁ~と思ってね」

「なんと。君はどこの誰だね?」

「あれ~お客さんとは初対面じゃないんだけどなぁ。ああでも、すっぴんで会うのもメイドさんの衣装もマスクも鞭も持ってないから、わからなかったかなぁ?」

 責任長は細めた目で女性を下から上まで見回し、やがて頭の中で、しなやかに伸びる黒髪、煽情的なゴシック調のフリルが入ったメイド服を身にまとう女性の姿、ドミノマスクから覗く怜悧な視線、真っ赤な口紅を塗る唇が作る強気な笑みを思い出す。

「エロディ! まさか、あのエロディなのか? え、え!」

 上客に名前を呼ばれてエロディは笑顔を振りまいた。

「思い出してくれたんだぁ~!」

 責任長は驚きを隠しきれない。

「な、なんでここに」

「いや~実はハイジャックに果敢に乗り込んだのは私の知り合いでねぇ」

「ええっと、ベンジャミンといったか」

「いや、そっちじゃなくて」

「まさかッ……あの少女も店の……」

「違う違う、別の店で働いてる」

 白目をむいた責任長は周りに注意を払いつつ、声を落として尋ねた。

「……その店とは、どこにあるんだ?」

「いや、たぶん想像してる店じゃないよ。Sm関係の店だから」

「S、Mッ……だってッ!?」

 責任長の中でスイッチが入る。

「あれ、誤解を解こうとしたのに誤解が……まあいいや。それよりも責任長さ~ん。よくないと思うなぁ~」

 エロディは責任長の背後に回ると、なれなれしく肩を抱き、耳元で語った。

「もう少し優しくしないと。お店の女の子を相手にするように」

 目を白黒させる責任長をよそにエロディは。

「人を無下に扱ったら皆に嫌われちゃうよ? わたし、お客さんが嫌われちゃうの悲しいなぁ~」

「え、そ、それは……」

 甘ったるい声音を直接、耳に注がれ、まんざらでもなくなってきた責任長。
 エロディは閃いたように顔を明るくした。

「そうだぁ! お客さんがお店でどれだけ紳士的で、サービス精神にあふれて、ウィットに富んだ人なのか、皆に教えてあげようよ! そしたら、ほら、整備士さんたちの怖い顔もなくなるし、わだかまりもなくなるんじゃない?」

「え、ええ?」

 鼓膜に天国を感じ腑抜けた表情を浮かべていた責任長だったが、いきなり話が脱線し、思考が煉獄の一歩手前に飛んでいく。
 エロディは軽やかに責任長から離れ、ふわりと回って、祈るように手を組む。

「わたし、お客さんが辛い目に合うのも誰かに嫌われるのもイヤなの! だから、責任長が、わたしの働く店でいつも見せてくれる、あの本当の姿を、みんなに知ってほしい! そうすれば、みんな、あなたのことを、きっと好きになってくれるはずだから!」

 舞台の真ん中で感情を爆発させるように語るエロディ。
 責任長の顔に冷たい脂汗が噴き出す。

「ま、まって」

 エロディは腰をくねらせ振り返り、それでいて健気な表情で思い人を見つめる。

「だって、責任を果たそうとして孤独になってしまうなんて、そんなの悲しすぎるもん。だから、みんな聞いて。彼の本当の姿が、どれほど純粋無垢なのかを!」

 真摯な顔のエロディに対して皆は、にやけ顔になる。
 その周囲の表情に、彼女のおおよその素性を知っているであろうこと、そして、沸き起こった悪意が透けた。
 責任長は、震えた声になる。

「な、なにを言うつもりだ。エロディ」

「私が見て聞いて触れた。あなたのすべてを!」

 あなたはどうしてロミオなの、というセリフが似合いそうな身振りでエロディはお得様に手を伸ばす。
 
「ま、待ってくれ!」

 責任長の狼狽が滑稽で仕方がないマーカスは我が子の肩に手を置いた。

「おうおう教えてくれエロディ。その紳士が君の店でどんな振る舞いをするのか。きっと聞たら好きになっちゃうくらい紳士的なんだろうなぁ」

「うん!」

 力強くエロディは頷く。
 責任長は懸命に首を横に振り、口蓋垂を震わせた。

「待ってくれぇえ!」










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