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第01章――飛翔延髄編

Phase 94:思慮のある光景

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《マシンガンシリンジ》大型Smに対して作られたガンスプレーの派生器具。大容量の投薬を可能とし、導管の内圧に抵抗する威力を発揮する。また、導管中の液体を一部吸引してそれと薬剤を混合し、再度注射することで、新しい流れを構築して、負荷のない投薬をを可能とする多機能投薬装置。もともとは企業間戦争の最中、表皮が分厚く堅牢な敵Smに対して使われることを念頭に誕生した。戦後は害意ある使用が横行し、禁止する法令案が中央政権評議会で上がるも、これを免許制とすることで一般の利用がなされた。












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 ガラスが喪失した窓から機内に吹き荒れる暴風に抗う乗組員。
 ソーニャはマスクをずらすと、首に下げていた自前のトランシーバーに声を吹き込む。

「スロウス! 窓枠の縁をキレイにして」

 スロウスは窓枠を手で拭い、ガラスの破片を削っていく。そうすると、ナスが外から顔を機内へ入れた。
 ベンジャミンは市販の鋸による再生組織の切削作業に取り組んでいたが、前後左右からの圧迫感に苛まれる。ソーニャが事前に壁面に針を刺していた注射器のシリンジを押して薬剤を注入する。

「畜生が。こうなるんなら投薬を渋るんじゃなかったッ」
 
 その通りと言わんばかりに、膨れる組織は着実に整備士が必要とする空間を狭めていった。
 コクピットでは、スロウスが無造作に差し出す腕をロッシュが掴む。少年はコクピットの制御装置がないコンソールの縁を足場に窓へ踏み出す。アレサンドロとソーニャも少年の体を支えた。
 窓枠からいよいよ頭を出して外を覗き込むロッシュ。彼を出迎えるのはミニッツグラウスの鼻先に張り付く二機のナスだ。腰に発達した筋肉で高速で翅を動かし飛んでいる。
 ロッシュは父に振り替えると、マスクの奥に宿す目が不安を如実に表した。
 ソーニャはマスクに隠す顔を近づけて告げた。

「大丈夫! ナスの馬力なら余裕で運んでくれるから」

 少女の知識こそ信用するが、恐怖は消せない。
 現在、ミニッツグラウスは着実に高度を下げていたが、まだ地平線が見え、町並みは遠い。いざ身を外に曝すと本能的に足がすくむ。
 我が子が向けるあどけない眼差しから、抱く感情を理解するアレサンドロは、小さな背中を支える手から意志を送った。

「大丈夫だロッシュ! 皆を信じて先に行け!」

 ロッシュは父に押されソーニャに尻を支えられ身を乗り出す。ナスの操縦士たちは。

『よしよし、行くぞ。まず腕を掴むからね』

 と発した音声で仲間同士調子を揃え、言葉でもって相手を安心させる。
 左右のナスはそれぞれ、少年の腕の下から背中を抱え、太腿を支える。
 地上を目にしてしまったロッシュは、心的悪寒と物理的な冷風に襲われ、脇にナスの腕を挟んで体温と身の安定を確保する。
 機内に残ったアレサンドロは並ぶ窓を巡回し、見えなくなるまで息子を追いかけた。
 一方、スロウスに抱き上げられたソーニャは、別のナスが差し出す器具を受け取る。それはグルーガンのような器具をホースで大きな容器につないだ装備だった。
 床に降ろされたソーニャは持っていた器具を下し。風の中、鞄から取り出したトランシーバーで、スロウス受け取って、と命令を下す。
 ナス2体がかりで運び込まれた金属タンクは骨を張り合わせた手に無事渡された。
 続けて別のナスがヘッドフォンをアレサンドロに差し出し、頭部のスピーカーで発言する。

『これからはこのミニヘッドフォンで通信してくれ! これなら、マスクの中でもマイクを使える』

 ナスが耳にイヤホンを挿すジェスチャーをするので、マスクをずらし防護服の頭巾を外したソーニャは、アレサンドロから受け取った器具を耳に装着し、頬に沿って口元に触れるマイクの位置を正す。
 もしもし聞こえます?と語尾のイントネーションを上げたソーニャは、マスクと頭巾を被った。

『こちらグライア、ミニヘッドフォンは機能してるな。ソーニャ。マシンガンシリンジはベンジャミンに任せるんだぞ』

「わかってる! ベンジャミーン! んん?」

 振り返るソーニャが目を丸くする。それよりお先にアレサンドロはベンジャミンにミニヘッドフォンを届けに来ていたが、技術者二人が力を合わせて穿った穴は、今や軟組織で塞がっていた。遅れて駆け付けたソーニャは。

「ベンジャミーンッ!!」
 
 叫んだ少女に倣ってアレサンドロも膝をつき、穴を占領する軟組織を千切り始める。
 怪我をしているアレサンドロは、片手しか満足に使えないが、痛みをこらえて力を発揮した。
 ソーニャはそれに気を回す余裕もなく小さな両手を使うが、埒が明かず、風が襲う中トランシーバーに声を荒げる。

「スロウス! カモン!」

 呼ばれてやってきたスロウスはナスから受け取ったフレームを抱えて、主の隣に飛んでいった。
 ヒッパレ、と告げる主が引っ張っているモノを掴み上げた。それがベンジャミンの作業着の肩であると、はっきり わかったのは、ベンジャミン本人が胸まで出てから。
 安心する暇もなく、ソーニャはベンジャミンの体から蔦のように絡まる組織を引き剥がす。
 本人とSmと少女と負傷者も合わせた合計7本の手で取り除かれた組織の分量は、ベンジャミンの上半身ほどにもなった。

 死ぬかと思った、とマスクと頭巾を取り外したベンジャミンはソーニャから水筒を頂き、アレサンドロからミニヘッドフォンをもらう。
 喉の渇きを癒したところでソーニャの質問。

「刺しっぱなしにした注射器のヘルジーボは使わなかったの?」

「使ったが抑えきれなかった。使った場所の周辺では組織冬眠が確認できたが、そうじゃない部位が元気に俺を襲ってきたんだ。組織の成長というか、圧力だな。挟まれて動けなくなった」

「なら、フレームが必要だね」

 ソーニャが親指で示したのは、床に置いてあるマウストロッカーであり、ベンジャミンを機内に入れる一助となった器具だ。
 じゃあ選手交代だな、と返すベンジャミンは巨躯を見上げる。

「うん! スロウスここを掘って」

 主に命じられたスロウスは、穴を埋め尽くす軟組織を犬のように手で掻き出し、千切っては連続開閉する己の歯列に差し込む。
 蠕動する腸、神経、工業血液導管はソーニャの手がかばう。スロウスの伸ばす手は高速だったが、決して少女に触れることはなく、紙一重で止まって別の組織を掴む。
 コクピットでは、ベンジャミンが、ナスからフレームのパーツを確保し、組み立てる。
 上半身半袖のアレサンドロは操縦席に座り、計器を観察した。顔に当たる風は、気合で耐える。

「畜生! 寒い!」

 その後ろ、席の背後に縛られたままのピートが喚く。

「俺たちもここから運び出してくれよ! 居たって意味ないんだからさ!」

 しかし、誰も聞いちゃいない。

『アレサンドロ機長聞こえるか?』

「聞こえるぞコマンダーメイ。息子は?」

『ご子息のロッシュ君は無事保護した。今、こちらの支援輸送機でケガの有無を診ている。本格的な診断は地上に下ろして……。いま治療にあたっている者から報告があった。指の傷は後遺症もなく完治可能だそうだ。ほかのケガも大したことはない』

 アレサンドロはまぶたを強く閉じ涙を堪え、ありがとうございます、と深く頭を下げた。

『指の傷に関しては、実にきれいな縫合だったと衛生兵が感心していた。貴殿か? それともベンジャミンの処置か?』

「いや、縫合なんて俺にそんな技術はないし……。ベンジャミンだって……」

 そういえば、一切触れてこなかったが、いつのころからかロッシュは、傷を痛がる気配も、傷自体を懸念する素振りもなく、指を包帯で巻いていた。
 コクピットで沈黙の帳が下りる一方、ソーニャとスロウスは双方、尋常ならざる速度で機体の組織を掴んで千切り、切除していく。

「マウストロッカー持ってきたぞ……」

 ベンジャミンは死に物狂いとなった少女の血走った眼をマスクの奥に見出し慄然とした。親の敵にだってここまで妄執的な振舞いはするまい。そんな考えがよぎる。
 対するソーニャは我に返り。

「ありがとうベンジャミン! 早速とりかかろう」

「お、おう」

 戸惑いが残るベンジャミンは片膝をつくと、あらかじめ開いていたフレームを穴の壁面に添わせる。フレーム同士はボルトとナットで固定し、内側の四隅は、金具で固定された金属の梁が、フレームに穿たれた窪みに頭をさすことで角度を調整できた。あるいはベンジャミンが機内進入時に使ったクランクで拡張するフレームもある。どちらも使い道は同じ、空間の確保だ。ソーニャは拡張した穴の壁面にフレームを張り付け、四方を支えた。スロウスの腕力にものを言わせ、壁とフレームの間に鉄のパイプを通し、それらに組織が押しとどめられている間に、再びメスを用いた手作業で血管を発掘するが、再生したての組織の癒着は脆く、ある程度乱暴に引っ張り、引き剥がせた。

「もしこれで寄生虫も出てきたら作業がもっと大変だったね」

「はは、その可能性は忘れてたな」

 少女の軽い口調の懸念にベテラン整備士は気安く答えるが、二人の手は一切止まらない。
 床ではマシンガンシリンジのタンクにベンジャミンが別のタンクからノズルによって薬剤を注ぐ。

「そんじゃ俺が使わせてもらうぞ。これの使用には免許が必要だからな。なんせ、武器にも使えるって触れ込みだからよ」

「別にいいよ、ソーニャにはガンスプレーっていう武装があるから」

「いずれそれも、免許が必要になりそうだな」

 タンクの頂点に突き刺さるピストンを上下させるベンジャミンは、今での努力と根性で広げた穴の中を伺い、フレームの隙間から脱出しようと膨らむ組織に唾を飲む。

「ヘルジーボの薬物投与が意味をなさなくなってきてるな」

「でも、量を投与するのは危険だよ」

「ああわかってる。しかしこうなると、これからこのカクテルを注入しても効くかどうか。考えちまう」

 ソーニャは、神経や損傷してほしくない管が、フレームと増殖する組織に押されたり挟まれたりしないと確認を終えてから、穴から這い出た。

「それでもやるしかないよ。少なくとも外からの投与よりずっと効果があるはず」

「それを願おう」

 少女と入れ替わりベンジャミンが穴に降り、そしてタンクのバルブと注射器のバルブを回して引き金に指をかけた。
 注射器の針先から空気が噴出し甲高い音を立てる。引き金を離し、今度はタンクにあるもう一つのバルブを開く。すると、わずかに光に透けるチューブの中で影が躍る。引き金を引き、空気が少し出た後、液体が噴射されすぐ引き金から指を外す。
ベンジャミンは足元の血管に注射器の先端を押し付けた。器具の先端部にはめ込まれたダイヤルをひねる。
 器具のシリンジ内で薬剤が押し出される。
 ソーニャはアレサンドロに、投薬を始めたよ! と手を振って知らせた。ヘッドフォンのマイクにも、聞こえてる? と尋ねる。
 了解した、と応答したグライアは言葉を続けた。

『総員注意を怠らず。外部から見える機体の変化を見逃すな。僅かなことでも報告しろ。この報告はもちろん、機内の人間にも要求する』

 了解、と三人が応じた。













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