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第02章――帰着脳幹編

Phase 134:狩猟の獲物 やる気と勝気のある性格

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《ゾンビロッド》正式名称はメスメル野分離保管容器及び制御磁界操作補助具。マグネティストが操作する特殊磁界の制御の補助と、それに伴い消費する磁界伝達基質(※通称ピクシーパウダー)の分配を直感的にするため使われる器具。内部には必ずメスメル野の一部または調整グレーボックスを内蔵し、それを生存させるための生命維持装置も組み込まれている。










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 ニエモンが暴れる現場から逃げたマイラは、自身が前方に放った星雲の塊に突撃する。
 濃淡鮮やかな玉虫色をしていた星雲は、創造主を受け入れると、地面に叩きつけられたガラス玉を思わせるほど盛大に空中に砕け散って、星屑をちりばめた薄雲を噴出する。そこから広がる微細な稲光と粒子、そして雷撃の網目は、マイラの体表に火花を伴って流れ、巻き付き、明滅する薄膜をほんの一瞬構築して、光の加減ともいえる程度まで色を失い、星雲も霧散していく。
 一連の変化と反応はマイラが跳躍から着地するまでの一瞬で完了した。
 足が地面を捉えたマイラが走り出すと、動きに伴って輪郭りんかくを縁取るように火花が散る。
 これで後2回……、そう心の内で明言するマイラは森の奥と呼べる領域に至って後ろを振り返った。
 まだ銃声が響くほどには近い現場。
 立ち止まって短い逡巡しゅんじゅんを経て、マイラは引き返す。
 彼女が目指す場所では、ニエモンがため息をこぼした。
 
「ああ、あぁ……。お前たちのせいで本命に逃げられちまったじゃねぇか……。マグネティストが本気で逃亡すると、追跡が面倒なんだよなぁ」

 距離を離そうとする自警軍の隊員に少しずつ近づくニエモンは、落ちている石を相手に蹴り飛ばし、牽制けんせいした。
 子供だましの攻撃は十分な威力を誇り、かすめただけの樹皮から木屑きくずを作る。被害をこうむった哀れな木に隠れる隊員は、意を決して身をひるがえすと、遮蔽物しゃへいぶつから半身を出して銃撃する。
 だがニエモンは突き出した腕で弾丸を防いでしまう。人ならざる肌色、ともすると明るい色の木を組んで作ったような手は、自由に曲がる盾となり、また握り締めれば鈍器となる。剛腕を無造作に振るえば、遮蔽物の木を粉砕してえぐってしまう。
 おい助けてくれ! と横合いから喚いたライダーズはしばられて、捕虜ほりょ仲間とつながれてなお、身を引きずって近づく。
 ニエモンは一番近づいた哀れな虜囚の胸を蹴って、手首の結束帯で連結する集団をまるごと押し返した。
 はたから見ていた捕虜たちは突然の蛮行ばんこうに息を飲む。
 ニエモンはにらみ一つで意識のあるものたちを委縮させる。

「お前らは少し黙ってろ。余計なことして俺の不興を買う前にな……」

 釘を刺したニエモンは進む途中で樹木を蹴りつけ、深く抉って見せる。
 あからさまな力を誇示する振る舞いに、捕虜たちは悲鳴を上げると、自分たちを拘束する結束帯の切断もいったん置いて、捕虜仲間と連携して尻を引きずり逃げていった。
 岩陰に隠れていた自警軍の隊員は、こみ上げる怒りに任せて男の背中を銃撃するが、弾丸は雷撃の薄膜によって受け止められ、ニエモンの肌に触れるころには威力を失い、あらぬ方へ跳ね返る。
 あまりのことに唖然あぜんとした隊員は、振り返る男が見せる笑みに戦慄せんりつした。
 余裕に表情筋の主導権を握らせるニエモンは、逃げる相手に向きを戻す。
 見過ごされた隊員はもう一度、無防備な男の背後に狙いを定める。ところが横から、ちょっと、とささやきかけられ急ぎ振り返った。
 銃口が至近距離で向き合うのはマイラだった。彼女は味方が突き付ける凶器に生唾を飲み込む。
 銃口をひっこめた隊員は、どうして戻ってきた? と半ばまで言うが続きはマイラの発言にさえぎられる。

「あのニエモンってやつ。多分ピクシーパウダーを散布して、それが構築する磁力による牽引けんいんをバリアにしてるんだと思う」
 
 マイラは脳裏で説明することを整理した。
 ニエモンの体の周りには微細な磁石の役割を持つ粒子が漂い、それらは絶えず互いを引っ張り合い、押し合っている。その渦中に突っ込んだ弾丸は全方位から磁力で引っ張られ、また弾丸自体も粒子に触れることで磁化させられて、威力を相殺されるのだ。弾丸ではなくても異物が素早く近づけば、その分漂う微粒子も素早く遺物に押しのけられて、粒子間で電磁誘導の原理が働き、電位差や電流の発生で磁界を作用させて、より精度の高い防御の一助にしている。これらの考察をわずかな秒数で総括したマイラは、今は説明している余裕はないと判断し、胸の内にとどめた。
 それじゃあどうすれば……、と口走って青ざめる隊員。
 実弾攻撃より有効な手立てがある、とマイラは本題を語り出し耳打ちした。
 短い説明で、おおよそ何をすればいいか理解した隊員はうなずく。
 マイラは相手の肩を叩き、それじゃあよろしく、と言って森へと走り出した。
 頼まれた隊員は意を決して対岸の森へと向かう。
 一方、追い詰められていた隊員は射撃で応戦し、敵の挑発を浴びていた。

「おいおい! どうしたんだ? お前らの自治体じゃ兵卒すら満足に銃を扱えないのか?」

 そうあざけるニエモンは身軽に跳梁ちょうりょうして弾丸を掻い潜り、やがてその手が銃身を下から握り、捕まえた、と笑顔で相手に迫った。
 敵の笑みから仰け反った自警軍隊員は敵の手中の小銃が握り潰される感触を銃床から感受し、急いでトリガーを手放すと新たに拳銃を取り出す。
 しかし、そちらもニエモンの蹴り一つで上へと飛ばされた。そして顔面を握られてしまう。
 あははは、と悦に浸した笑いを発するニエモンは藻掻く相手を左右に揺さ振った。

「おいおい早く逃げないと窒息しちまうぞ! それかナイフを使え、飾りか?」

 口と鼻をわし掴みにされた隊員は、言葉通り左腕の鞘からナイフを引き抜くと、ニエモンの腕に突き立てる。色味の違う木材を一つ一つ筋肉の形状に加工して組み合わせたと形容できる腕は、部品も繋ぎ目も固く、それでいて柔軟に伸縮する。手応えを得られなかった隊員は当てずっぽうで稲光の薄膜を突くナイフを相手の顔面に差し向けるが、ニエモンは隊員を支える腕を伸ばし、自身の首を捻って刃をかわす。

しいなぁ……あともう少しなんだが」

 と人の努力を嘆くと同時に軽んじたニエモンは、銃声に鼓膜を震わせ身近でほとばしる火花に視界の端を塗りつぶされる。
 暴れるナイフをもう一方の手で捕まえたニエモンは、木の葉の間に転がる弾丸を一瞥いちべつした。北側の森の奥へ目を光らせ、クソ、と男が聞こえよがしに不満を零すのを聞く。そして自分が今、道路脇にいると改めて認知する。しかし、見据える横転車にも、フロントガラスから覗く運転席にも敵対する者は発見できず、仕事仲間はしばられて、うめくかいずることしかできていない。
 だが、疑念が前頭葉を中心として大脳にし掛かり、自然と目を細める。
 あともう一人いたはずだが、とニエモンは呟き拘束する隊員に空しい眼差しを向ける。

「おい、どうやら、お前の仲間逃げちまったみたいだぞ?」

 するともう一度銃声が響き、送り込まれた弾丸は標的を目前に、空中に生まれた稲光の薄膜に阻まれる。
 ひとつ前の射撃はニエモンから見て左の北方向から来た。そして今度は右の南側から。
 北からの弾丸は声からして背中を狙いたがっている隊員。しかし、もう一発は誰からだ。
 そんな風に考えを巡らせている間に、北側から飛び出した隊員が野戦砲の裏に回り込んで射撃してくる。
 ニエモンは配置を少し変えて、相手も遮蔽物としているトラックのフロントの陰に入る。

「今のは、背中を狙ってきたやつだよな? 待てよ。運転席の二人と荷台の2人を片付けて、もう一人は今手の中、残りはさっきのやつ……」

 頭の計算だけで間に合わす今脱力し始めた手中の隊員を目にして、合点がいく。

「ていうことは、右、つまり南の方角から襲ってきたのは、あの姉ちゃんか!? いや、援軍? まあどっちでもいい!」

 ニエモンは喜色満面となって走り出す。トラックの陰から出ると、同じく身を潜めていた隊員を見つけたが、持っていたお仲間を突き出し、盾にしながら森に入る。そして、木々の間に入って隊員を手放し、全力で走り出した。
 左の方角、つまり東側から銃声が響いて、近くの木に弾丸が激突した。それを頼りに方角を変えると、落葉広葉樹の間に動くものが見える。地面を覆う落ち葉を舞い上げて突き進み、やがて人の輪郭がはっきりとした。あの豊かな髪は間違えようもない。これ以上森の奥に密生する木々の間に入られて見失う前に、大きく回り込み、開けた道路へ引き返させる。

「そして、走って走って体力を搾り出してから、優しくエスコートさせてもらおう」

 スロウスに匹敵する脚力が実現させた計画の通りに、獲物を道路に追い出した。
 一足飛びで森を抜けだしたニエモンは、そのまま反対の森へ逃げる女性に集中する。再び隊員に背中を向けることになっても気にしない。
 マイラは立ち向かう姿勢を見せる。携える小銃で健気に照準を定める。
 同じく立ち止まったニエモンは笑った。

「待て待て、もういいだろ? おとなしく捕まってくれたら悪いようにはしない。何なら酒の一杯でもおごるぜ? デザートも付けるから!」

 そう言って担いでいた物にぶら下げた冷蔵庫に手を伸ばすが、銃撃が顔の近くで火花を作る。それが致命傷になることはないが、思わずニエモンは片目を閉ざし嘆息。レバーアクションを果たしたマイラに睨みを利かせる。

「そっちがその気なら……」

 その瞬間、背後で物音がした。何か重く地面を擦るような音。振り返る最中、マイラによる射撃が響き、背中で火花が被弾する。
 ニエモンが道路を目にすると、今まで無視し続けていた隊員が、牽引車両の横転に連座することなく自立する野戦砲のハンドルを回して砲身の角度を変えていた。
 まったく気にも留めていなかった武装に対し、ニエモンは指を突きつけ。

「今すぐ離れろさもないと……」 

 命令通り隊員は砲身から撤退する。
 それに安堵したニエモンだったが。
 要求を呑んだ隊員の後ろでずっとうずくまっていた人物が顔を上げる。それは、先ほど森に入るときに盾にして遺棄した隊員だった。
 彼は今まさに握り締めた紐を引っ張る。それが野戦砲の引き金だとニエモンには分かりきっていたが、足が地面を離れるよりも先に砲弾が襲う。
 足元をまともに固定されなかった野戦砲は反動がすさまじく、土台が砲撃の反対の方向へ押されて、土台から横倒しになる。
 放たれた砲弾に対し、ニエモンは思わず片手で防ぐが、分厚い袋が指で裂けてジェルが拡散する。
 まさかこいつは、とニエモンは内心叫ぶ。
 しかし彼を守る防壁は高速で飛散する飛沫も火花で焼き飛ばし、そして、空間そのものがジェルとそれが含んでいた粒子を繋ぎにして、帯電する領域を構築した。
 目に痛いほど鮮烈な雷撃に包囲されるニエモンは、今までに見せてこなかった壮絶な形相となる。電子レンジに金属でも放り込んだみたいな放電現象は急速に終わって、あとに残されたニエモンは体表から煙を立ち昇らせながら片膝をついた。
 マイラは銃の紐を腕に通し、薄い星雲を纏う杖を掲揚する。しかし、振り返るニエモンが発した怒りに煮えたぎる視線に動きが止められる。
 やってくれるじゃねぇかぁ、と口走るニエモンは地面を重々しく踏みしめた。立ち上がる様子からは全く負傷をうかがわせず、痛みを想起させるほど激しく首を鳴らす。
 隊員二人は恐慌した顔だが、逃げて! と一人がマイラへ叫んだ。
 忠告を発した隊員に向かって踵を返したニエモンは、尋常ならざる跳躍で十数メートルの距離を帳消しにし、左右に身を屈めて射撃を回避し、銃口の位置と銃身の向きから計算した射線に突き出すてのひらで弾丸を跳ね返し、そのまま強引に前進して、隊員を二人まとめてラリアットの餌食にする。
 隊員二人は太い腕を軸に首を使って不完全な逆上がりを強要され、うなじから地面に着地した。
 そんじゃメインだな、とニエモンが振り返って走る構えを見せる。
 マイラは、杖の周りで環状に旋回する星雲を地面へ向ける。
 ニエモンが足裏で地面を抉って推進力を得て、飛躍した。しかし、それでも人の動体視力の外に出るわけではない。
 男の残像だけでも視認できたマイラは反撃の狼煙を上げる。

「〈アブセス・オン=サークレット〉ッ」

 突き出される杖を中心に旋回していた星雲は、円環の形を大きくしながら射出される。雌雄の間に広がる地面へ食い込んだ光の造形物は、盛大に稲光と火の粉を放って木の葉と土を巻き上げる。
 それに面食らったニエモンは前に突き出した足を杭に急停止した。立ち上る土埃を手で払い退けるが視界不良は増していく。
 一方マイラは早々に土煙を脱して森へと駆け出す。
 残り一回。頭の中にもたげるその言葉を焦燥の燃料とするマイラは足を速める。彼女の残影を縁取る微細な火花は、薄い光の輪郭となって、短い間、姿を空間にとどめて消える。行く手の地面が平坦であると信じて、振り返るマイラ。
 土煙が舞う現場は乱立する木々に隠れて見えなくなっていたが、聞こえてくる銃声が兵士たちの意地を知らせる。









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