絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第02章――帰着脳幹編

Phase 156:直前の検診

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《フリーダム・ミルズ国定暫定保護森林》オールドマムダムの東から南にかけて広がる森林地帯。針葉樹と落葉広葉樹が生育し、今となっては珍しい野生のリスやキツネ、近年問題になっている野生のSm、はてはUMAの目撃情報まである。











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 ソーニャは、煮て熱したスロウスコートの裂け目を圧迫して、暗褐色の断面から薄黄緑の蛍光色を呈する細い物質を染み出させる。それらはイトミミズを思わせ、ミンチ機から出る肉のような登場を果たすが、圧力をなくすと迅速に元居た内部に引っ込む。ソーニャは再び圧迫した切り口同士を端からくっつけ始めた。

「よし、これで直ってくれるはず……」

 蛍光色の物質をつなぎ合わせ、指の圧力を解くと、物質が引っ込み断面同士が密着する。それを繰り返した。
 そばから覗き込むイサクは、それで治るのか? と疑問をつぶやく。
 ソーニャ曰く。

「子供のころ、本当に治るのかリックと何度か試したことがあってね。しまいにはド派手に切り取って……修復に長い時間を要して……それ以来リックがしまい込んでいたけど。その時の感覚をまだ手が覚えているのさ」

 最後は、あえて低くした声色で得意気に述べる。
 子供の頃って、とイサクは指摘を飲み込んで忠告した。

「火傷しないように気をつけろよ」

「大丈夫、途中で手を振って気化冷却を駆使すれば安全に迅速に作業できる。けど、傷を塞いだとしてもコートが全快になるまで修復が完了するには、一時間ぐらいかかると思う」

 イサクは一瞬白目を大きくするが、すぐに平素に戻る。

「そうなのか。それは早いな」

「まあ、結合だけなら、もっと早いよ。ほら」

 そう言ってソーニャは繋ぎ合わせた切れ目を摘み上げるが、切断面が離れることはなかった。
 その後もソーニャは、オタマで寸胴からすくったお湯を少し断面にかけてから接合作業を再開する。

「形をつくろうのは簡単だけど、元の強度に戻るまで着用はお預けだね」

「そうか。まあ、その間スロウスも休ませる、と思えば。気にする必要もないだろう」

「と言ってまた襲撃されたりしてね!」

 あははは、とツボに入ったような笑いを発したソーニャ。
 イサクは真面目な面持ちで。

「そうならないといいがな。ボスマートにくみする連中は数多く存在する。波状攻撃まがいの捨て身に出る奴らもいるって話だ」

「あの人たちは、自分たちが誰のどんな行為に加担してるのか分かってるのかなぁ?」

 憤懣ふんまんやるかたないソーニャに、イサクは陰る面持ちで答えた。

「分かってるやつもいるだろう。けど、誰しも生き方を選べるほど器用でもなければ選択肢に恵まれてるとも限らない。まあ、それを理由にこっちだって容赦ようしゃしてやるつもりはないが」

 ソーニャは表情を消す。家族の顔や、今まで戦ってきた相手を思い出す。敵と味方は明確に区別できるのに。善悪の境界線はどこにも引けない。やられる前にやる、あるいは、やられた分やり返す。それは仕方がない面がある一方、胸を引っ掻いた。






 森の中、木のこずえに触れる程度に大きな品が、巨大ダンゴ虫ダンプボールに引っ張られて進んでいた。太い材木をはりにして木製の板を適当につなぎ合わせて作った台にタイヤを装備した雑な造りの荷車。その上でブルーシートや帆布はんぷなどを強引に縫い合わせた覆いは、鎖でもって縛られていた。
 先導していたシェルズが、行く先から駆け戻ってきた同胞の話を聞き、荷車の幅と行く先の狭さを見比べ声を上げた。

「もうこれ以上は先に進めない。こいつを起動しない限りな」

 ダンプボールに騎乗していた同胞が、どうする連絡を入れるか? とたずねたところで道の向こうから伝令役の甲殻虫が飛んできた。それに意識が奪われるシェルズは、行く先から続々と現れる同胞を迎え入れる。
 合流した一団に混じっていた提督テイトクは、いち早く覆いに駆け寄った。
 運搬に従事していたシェルズは。

「この先は木を倒さない限り、こいつを運ぶことはできません。ダンプボールのあごで木を噛み切ってもらうにしても時間がかかるでしょうし。敵に見つかる恐れもあります。そして、引き返せば、こちらの動きを感づいて追ってきた敵と遭遇する可能性もある。ここ以外に見つからずに進める道はないと言っていいですし。どうします?」

 聞かれた提督は行く先を振り返った。

「目的地まで距離もあるが、直進するだけなら簡易操作で乗り越えられるはずだ……」

 覆いを押さえつけるために巻き付けられた鎖を梯子はしご代わりにして、見上げるほどの荷物からシェルズが一人降りてきた。
 兜だけは同じだが、服装は繋ぎに面積の少ない甲殻が張り付いており、作業に向いた軽装だ。
 繋ぎの同胞は提督に言う。

「整備士によって覚醒準備は整っています。あとは搭乗していただければ、その後、本格的な覚醒措置を実施し、出撃です。本当に提督が乗られるんですね?」

 振り返る提督は追従してきた同胞たちを見る。みな負傷し、疲弊ひへいし、肩を借り、あるいは背負われ、重傷者は担架たんかで運ばれる。

「指揮官としての責任を果たさねばなるまい。たとえ本分でなくとも……出来る者が動くべきなのだ」

 その言葉の後、提督は鎖を手掛かりに、荷台に足をかけ荷物の頂に立つと、覆いに縫い付けられたテントの入り口のチャックを開いた。暴かれた甲殻の隙間に手を突っ込み、まるで歯が固いものを噛む音を鳴らす。
 次の瞬間、甲殻が持ち上がり、開いた口に提督が侵入する。
 突入した狭い空間の真ん中にある座席を足場にしてから、ゆっくりと降りて座面に腰を落ち着かせ、頭へ手を伸ばし、ぶら下がる白熱灯をつける。
 浮かび上がる空間は、有機組織の壁に脈が走っており、提督が座る椅子は、倒される前の歯科医の治療椅子じみていた。
 追従していた整備士が、すぐ隣に着地し、座席のかたわらに投げ出されていたコードの先端を包むキャップを外し、あらわになった端子を差し込み口に挿入し、機内のモニターに電源が入る。片方には心電図。もう片方には脈拍、体温、酸素飽和濃度、pHなどを示し、中央の画面には文字の羅列が流れる。
 提督はヘルメットを脱ぎ、50代の疲れた素顔を晒す。
 続いてやって来たもう一人は、直前まで提督と話をしていた繋ぎの同胞で、背負っていた工具箱を開き、中から、医療用器具を吟味して、薬瓶の内容物を注射器に充填する。その間に提督は手渡された書類に目を通し、ペンを握り締める。
 注射針を見せつけて同胞は言った。

「医療技師として最後に伺います。高次機能障害、オーバーラップスパイラルおよび各種後遺症のリスクは十分理解していますね?」

 提督は、はい、と応じて自身のサインを書き入れた書類を技師に返却する。
 外では鎖が数本解かれ、緩んだ覆いの下に隠された甲殻に垂れる梯子を整備士が昇り、告げた。

「まだ覆いを外すな! 光刺激で神経節が活動する恐れがある」

 別の作業員が覆いの中から管を取り出し、拮抗きっこう剤注入用意できました! と呼びかける。その手には巨大な注射器が握られていた。
 コクピットでは提督の腕の静脈に投薬が施され、二の腕を絞めていたゴムバンドのクリップが外される。それから提督の首に小さなウミウシ電極が貼り付けられ、頭部から飛び出す光るプラグと、座席の後ろから登場したヘッドギアのプラグが、双方のソケットに接続した。
 接続を手伝った整備士は、コクピットのモニターのボタンを操作し、表示された数値を見る。
 ヘッドギアを装着した提督は、最初、目を閉ざしていたが、いきなりまぶたき、充血しきった目をヘッドギアの内部に見せつける。
 医療技師は提督の顔を覗き、モニターと見比べつつ、大丈夫ですか聞こえてますか? と尋ねる。
 提督はぎこちなくもうなずき、やがてっていた背筋も座面に預けて、ゆっくりと息を吐く。
 医療技師はモニターの表示する数値と波形に注目する。

「バイタルは安定した。ニューロジャンクとの接続、および脳波異常もない。オーバーラップスパイラルの兆候も、その他の障害の気配もない」

 整備士もモニターを切り替え、波形を目にした。

「ニューロジャンクのエラーも見当たらない。起動セッションに移行しよう」

 頷いた医療技師は提督に語り掛ける。

「あらかじめ言っておきますが。あまり、機体の機能を開放しないようにお願いします。その分、脳の負荷は甚大となり、前頭前野に抑制傾向が表れる。それと、フェニアの腕は……」

 分かってる、と提督は苦し気に言葉を発した。

「あれがないと人間性伝達補正が消える、というのだろ」

「それと高かったので……。あと。ヘクターガンも、なるべく保全してください」

 コクピットに垂れ下がる梯子を上って外に出た整備士は、下に向かって、拮抗剤を注入しろ! と告げた。
 準備をしていたシェルズは、注入開始! と告げて事前に引っ張り出していた管の先端を引きしぼると、つぼみめいた構造の中心にある十字の口から、圧力によって、目に痛いほど赤く柔らかい袋状の器官が膨れ上がって露出した。その器官の真ん中に、持っていた注射器を突き刺し投薬する。
 役目を終えた整備士は注射器を回収し、器官を手で元の場所に押し込むと、管そのものを甲殻に作った穴に格納し、正方形に切り取った甲殻の蓋で収納を塞ぎ、ボルトで四隅を固定する。
 表面の作業が終わると各員急ぎ撤退する。その慌てっぷりに見ていた同胞も動揺するが、しばらくっても危険はなかった。
 と思いきや、いきなり揺れ動く覆いに全員息を飲んだ。
 コクピットの内部では整備士と技師が見守る中、提督の座る座席が根元から機械的に揺れ動く。
 衆目の前で、覆いは高さを増し、まるで巨人が起き上がることを予感させた。
 しかし、すぐさま目立つ動きは消えていき、やがて静まり返る。だが、空気が細い管を通るような、蒸気機関を思わせる音と、地面を揺らし荷台を軋ませる微動は続き、呼吸をするように覆いは拡縮を繰り返す。
 コクピットにいた技師と整備士は、モニターを操作した。 
 ゆっくりとヘッドギアに手をえた提督は口を開く。

「何が起こってるんだ? 内部モニターには特段変化が見られないが、故障か?」

 モニターの変化を注意深く見ていた医療技師曰く。

「機体を覚醒かくせいさせただけです。こちらのモニターでは、正常な機動が確認されました。覚醒セッション成功です。あとは、ラリーを繋げます。コンソールの制御頼みます」

 了解した、そう言って提督は左手でカブトムシの角のようなグリップを握り締め、右手はイグアナの口のような穴に突っ込む。補助モニター接続します、と告げてから技師と整備士は、それぞれコクピットのモニターの裏から引っ張り出したコードを、持っていたタブレットに接続する。
 提督は首肯しゅこうし、言葉を介した。

「では、ラリーの開始と最終同調を執り行う。お前たちは認識齟齬そごのチェックを」

 項目はすでに用意しました、と医療技師は答えた。
 なら始めよう、そう言って提督は座面に体重をすべて捧げる。
 中央のモニターが切り替わり、黒い背景に色が違う線の列が螺旋運動を繰り広げ、それに呼応して提督が被るヘッドギアの隙間から漏れる光も色を変えた。
 整備士はコードで機体と接続していたタブレットを見て言った。

「各種脳波、γガンマ波への収斂しゅうれん確認。相互バイタル連動良好。機体の活動も酸素飽和度も正常。血流量も許容範囲に収まっています」

 医療技師も電極と機体のコードを通じて手中のタブレットに送られる情報を参照する。
 提督は、認識チェックを始めてくれ、と告げる。
 では始めます、と告げる医療技師のタブレット画面が次々に色を変え、そのたびに提督が色名を答える。さらには、樹木、家、牛、猫、タクシー、羊、魚、など、色に重なって写真やイラストが表示され、それにも即答を続けた。
 医療技師は言う。

「合格です。認識齟齬はありません。いつでも発進してください」

 荷物を手に医療技師はコクピットから撤収し、整備士は告げた。

「最初は低依存操縦でお願いします。強深度依存操縦を始めれば制御は難しくなりますので、できれば」

「大丈夫だ了解している。これでも12の頃から今まで何十年もSm機体を扱ってきたんだ。目的地までは無茶はしないつもりだ。それより早く行け」

 ご武運を、と言い残した整備士は照明を消すと、甲殻のドアにひっかけていた梯子を上って外に出て、持ち上がっていた甲殻を下しコクピットを閉ざす。
 そして、残った鎖を頼りに降りて覆いから退避した。
 外光を失ったコクピットは暗くなり、機内の端々からあふれる蛍光の光とモニターの色がパイロットを怪しく照らし出す。









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