普通って何?

101の水輪

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普通って何?

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「松波さん、悩みはないのか?何かあるだろう?」
 今日は担任との相談面接だ。松波心桜15歳の中学3年生。勉強はそこそこ、部活はバドミントン部に入部したけど、それほど運動が得意ではない。趣味なし、特技なし、どこにでもいる普通の女の子だ。
 そんな心桜は、みんなからはよくこう言われていることがある。
「いいなあ、心桜って悩みがなくて」
 誰もが心桜をこう決めつけている。本当は悩みいっぱい女子なのに。
「分かった、じゃあこれで終わるぞ。本当に悩みないんだよな?」
 相談面接は、いつもここまでで終わる。その間わずか3分足らず。

 授業では目立つ場面はほとんどやってこない。
「これ昨年の入試問題だけど、解けるやついるか?」
 心桜には無縁だ。
「おい、授業中寝てて大丈夫か?」
 これにも関係がない。
「学級の役員選挙を行います。委員長に立候補する人いませんか?」     
  やはり無関係。
「誰だ、トイレの戸に落書きしたのは?」
 当然心桜のはずがない。
「クラス対抗のリレーがあります。誰か選手で出てくれますか?」
 心桜のコの字も出てこない。
「合唱コンクールの指揮者を決めます」
 もちろん名前は上がらない。良くて目立つ方も、悪くて叱られる方にも、まずもって心桜が出てくることはない。まさにどこにでもいる普通の中学3年生だ。加えて、心桜自身は人と群れるのが苦手のため、教室で1人で本を読んでる時間がほとんどとなる。すぐそばでワイワイ騒いでいるクラスメイトたちとは、かなり距離を置いている。
「心桜、昨日のドラマ見た?」
「見てない」
「主役がイケメンの佐藤輝彦なんだけど。カッコいいのってなんの」
「ふ~ん、そうなんだ」
 いつもこんな調子なので、級友も話しかけるタイミングを計りかねてしまう。
「松波は友達はいるか?普通はいるよなあ。いないなら作れよ。何せ1人はつまらんぞ」
 相談面接での担任からのこの投げかけは、まるで犯罪者扱いそのものだ。集団に苦痛を感じている心桜にとって、最も傷つく一言。
 どうして学校って『みんな』を強調してくるのか。〝みんな仲良く、みんなで協力、みんなでやるぞ〟。何でみんなでなきゃダメのか、心桜にははなはだ疑問だ。
「1人がいい。そんなにみんなといなきゃダメなの?友達を作れ、仲間はいいぞって言われるたびに苦しくなってくる。私って異常なのかなあ?」
  窓際の座席で1人で座り外を見つめている男子生徒。黙々と小説を読んでいる女子生徒。よく見ると、休憩時に1人でいるのは彼女だけではない。このような生徒に対して、大人はかわいそうだとでも思っているのだろうか?その証にほとんど次のような声をかけてくる。
「1人でさみしくない?みんなと普通に遊んでみたら?」
 言われた心桜はいつもこう思う。
『大きなお世話です』

  そんなどこにでもいる普通の心桜だが、帰宅するといきなり普通じゃなくなってしまう。
「津田さん、宅急便です」
「は~い、今行きま~す」
 出てきたのは心桜の母の静香だ。彼女はリモートワークのため、週に3日は自宅で勤務している。
「松波さんに荷物が届いてますが、こちら津田さんですけど良かったですよね」
「はい、松波に渡します」
 いったいどうなってるのか?
「心桜、通販で何かきてるよ」
「やった。一押しのシェリー最終公演のブルーレイがきた。待ってたのよね」
  あれ? 確か心桜の名字は松波のはずだ。ところが今、静香は津田と呼ばれていた。
 そうだ、心桜と母との名字が違ってる。でも日本では法律上、選択的夫婦別姓はまだ認められていないので、心桜の両親は事実婚をとっている。心桜の名字は、父と同じの松波姓、弟の賀来人は、静香と名字が同じの津田姓で、中学1年生の津田賀来人という。すなわち姉弟で名字が違っている。両親が結婚するときに制度上別姓が認められていなかったので、それぞれの氏を名乗り2人の子どもにどちらかをつけることにしていた。そこにはルールがあって、最初に生まれた子には松波姓を、次に生まれた子には津田姓を付けることにしていた。
 これまで生活してきて、心桜も賀来人も、別に違和感なく違う姓を名乗ってきていた。昨今、選択的夫婦別姓を認める法律が話題に上るようになってきているが、心桜の家ではまさに先取りしていた。

 夕方、心桜、静香、賀来人の3人が食事をしていると、テレビには偶然にも選択的夫婦別姓を巡っての討論会が映し出されていた。
「いや日本では古来から夫婦は同じ姓を名乗ってきた歴史があるのです」
「ちょっと待ってください。江戸時代は別姓でしたよ」
「そんなこと言ったら、家族の絆が緩んでしまうじゃないか」
「えっ私も別姓で、家族みんな仲いいんですけど」
「兄弟同士で名字が違ったら、子どもがかわいそうでしょ」
「それって、本人たちに聞いたんですか?」
「そもそも、何で男の名字を優先するのですか?」
「いや現行法でもどちらかの姓を名乗るとあるので、女性の姓でもいいんですよ」
「伝統的な家制度が残る日本では、世論調査からも男性の姓が90%以上ですよね」
「いや女性の名字は、別に禁止してるわけではないので」
「そんなの当たり前です。でもやはり女性がキャリアをもつようになってきた今の世では、結婚で名前が変わると、その後の仕事に不利になってしまうことだってあるんです」
「だから、女性の姓を夫に名乗らせることもできるって言ってるでしょ」
「だいたい日本くらいじゃないですか、別姓を認めてないのは。国連の機関も男女差別だと特定していますよ」
「ではMCの田丸さん、もし結婚したらどちらを名乗ります?」
「う~ん。はやっぱり夫の姓かな?だってそれが普通っていうか、女子の憧れでしょ」
「結局そうなんですね」
 この問題にはなかんか出口が見えないだけに、互いに譲ろうとしません。
 
 番組を見ていた心桜たちも考え込んでしまいました。
「うちではどうなんだろう?」
 心桜と母、弟が改めて別の氏を名乗ることの難しさを感じていた最中に、1本の電話がかかってきて、心桜が電話を取った。
「松波心桜さんのお宅ですか?私はGNNニュースのプロヂューサーで風間といいます」
「はい。私が松波心桜ですが、何か?」
「実は、今度うちの番組で、選択的夫婦別姓をテーマに討論会をやろうと思ってるんです。それも若者限定の討論会を。そこに実際に別姓の松波さんに出てもらえないかと思い、お電話しました。いかかがでしょうか、出ていただけないでしょうか?」
「えっ?まあ。急なことですので家族と相談してみますので、後ほどまた連絡します」
「分かりました、ぜひ出席をお願いします」
 そこまで聞くと、ひとまず電話を切った。
『私がテレビに、それもお堅い討論番組だなんて』
 
「ママ、あのね・・・・・」
  家族会議が始まった。
「俺、姉ちゃんと名前が違ってても、別に気にならなかったんだけど」
 そう賀来人が答えると、心桜も同意した。
「私だって不便だと思ったことはないよ。でも世間から見ると、うちって普通じゃないと思われてるのかなあ。じゃあ普通っていったい何なのだろう?」
 いったい松波、津田家は、別姓で良かったのか?問題はあるのか、ないのか?
 これまでは考えることもなかった問題を、この機会に真剣に語り合ってみた。

 過去、現在、未来。その時々に合わせて変化が必要なことがあれば、逆に変化させてはいけないこともある。でも忘れてはならないのは、どうであれその時代に生きる人々が選択し決めることが大事だ。
 さてあなたの周りにある普通っていったい何だろう?そしてそれって果たして時代に合ってるのだろうか?
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