羊を数え続けて

カイエ・アイセ

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 僕と羊の関係を説明するのは、小学生にフィリップス曲線について説明するほど難しい。説明にあたって、失業とインフレーションについて理解してもらわないといけない。まず、ニートと失業者の違いを説明しないといけない。よく勘違いしている人がいるのだけれど、ニートは失業者ではない。ニートは経済学上では、労働意欲喪失者と呼ばれている。文字通りの意味で、働くことはできるのだけれど、働く気がなく、実際に働いていないのことだ。それと違い、失業者は、働くことはできるし、働く気もあり、けれど、働くことができていない、就業活動をしているのに、就業できない人のことだ。インフレーションとは、モノやサービスの値段が上昇することだ。フィリップス曲線は、この二つの変数の関係性の理論で、簡潔に言えば、失業者が減れば(働く人が増えれば)インフレーション率が低下し、失業が増えれば(働く人が減れば)インフレ率が上昇するというものだ。
 この理論の説明の何が難しいと言えば、直感的に考えれば、失業者が減り、インフレ率を低下(つまり、働く人が沢山いて、モノやサービスの値段が低下する)方が良いに決まっているのだが、それでは経済が上手く回らないということを、説明しなければいけないからだ。このことを説明しなければ、何も説明していないのと同じだ。経済が上手く回らないとは、経済が成長しないということだ(なぜ、こんな当たり前のことを書いているかと言えば、自称経済学を学んだ人が経済が回るとは、経済が成長する(GDPが増える)ということではない(名目GDPと実質GDPの違いという叙述トリック(?)があるわけもでない)、というわけのわからないことを広めているからだ)。経済は成長した方がいい。経済が成長すれば、人の生活が豊かになる。だから、ある程度のインフレと失業は受け入れる必要があるのだけれど、こういうことを言うと、経済が成長しても人を幸せにしていないとか、経済成長は環境を破壊するとか、物価上昇は家計を圧迫するから絶対に避けるべきで、そんなことをするのは主婦(夫)の敵だとか、経済成長は人間のエゴの塊でしかない不健全なものだとか、経済成長は格差を広げ、人々を苦しめる、というまったく関係がないわけではないから、建設的な議論、あるいは学びのために、それを説明しなければ話が進まないから、完全に無視できるわけではないのだけれど、フィリップス曲線だけに焦点を絞れば、的外れな突込みだ。美味しいステーキの焼き方を考えている時に、牛肉は環境に悪いから食べるできでない、と言っているようなものだ。いや、代用ミートでビーフシチューをつくろうと提案しているようなものというべきか。
 小学生がここまで突っ込んでくることほぼない。ただ、教養不足、あるいは読書に方よりがある、または知的謙遜が足りない大人はこういうことを言う。しかも、かなり元気よく言う。僕に言わせれば、何の意味もない教養マウント(しかも間違っている)をしてくる。
 僕は、別に小学生のことを馬鹿にしているわけではないのだけれど、大人が(しかも、大学を卒業した大人が)理解できないことを、小学生に理解するように説明するのは、かなり絶望的だと思ってしまう。頭の中にいる小学生ですら手ごわいのだから、現実の小学生はもっと手ごわいはずだ。別にこれは、フィリップス曲線に限った話ではない。
 もはや言うまでもないことだけれど、勘違いして欲しくないのは、これはフィリップス曲線を理解できない人が多いという意味でもないし、この世界のフィリップス曲線を理解していないことを嘆いているわけでもない。僕は、フィリップス曲線に特別な思い入れがあるわけではないし、経済学を熟知している人ならわかると思うけれど、僕が先ほど述べたフィリップス曲線の説明は、不親切だし、不適切だし、かなり単純化しているし、様々な前提条件を飛ばしているから、経済学をまったく知らない人に誤解を与えかねない。
 要するに、何が言いたいかと言えば、多くの人々関心と関係性があり無視できなような話題、失業やインフレーションの関係性など誰でも気になるような話題は、日常生活では決してお目にかかるできないほど頭のいい人たちが、日常生活にありふれている人のために、解明し、理論化し、時間をかければ理解できるようにしているのだけれど、それでも完璧に理解できる人はほとんどいないし、もしくは、どうでもいいとか、私の人生には関係ないとか、そんなこと知らなくても困らないという考えが、電車で大声で歌ってはいけない、という考えほど受入れられているこの世界で、そういう世界に住んでいる人に羊と僕の関係を説明するのは、フィリップス曲線などを研究している人たちに頭のよくない僕し、ましてや羊と僕の関係性を研究していない僕には、何かしらに理由をつけて対話や議論、理解を放棄することを、自分に関係あることでさえ放棄する人にそれがわかるように説明するのは僕にはできない、ということだ。得体の知れない男ともっと得体の知れない男より、自分に関係のある話題の方が人は好むし、好奇の眼差しと傾聴、それと理解を行うはずだ。
 世の中にあるほぼ全ての話題は、ありえないほど複雑で、それを理解するには、かなりと時間と積極的な解釈と、それら二つの不快さに耐える忍耐力が必要だ。けれど、現代人にはそれがない。映画や小説、ゲーム、プレゼンテーションなどの教本にあるように、早い内に楽しませ、難しい理論を理解する時のような不快感を決して与えてはいけない。
 そこで、こんな絶望的な状況を打開するために、どのような戦略が用いられるかと言えば、それは妥協だ。つまり、説明を簡略化する。質問に答えなかったり、この理論の問題点を言わなかったり、ある特定の条件下で上手くいかなかった事例を無視したり、そういう鋭い質問を無視したり、お世辞を言ったりして、はぐらかす。
「たしかにそういう意見もありますね」
「そこに疑問を持つなんてスゴいですね」
「もう少し大人になればわかるよ」
 これが問題なのは、明らかだ。なぜなら、大抵の大人が間違った考えを持っているのは、その人の知能が低いからではなく、その人に間違った考えを持たせる説明をする人がいたからだ。
 何が言いたいかと言えば、僕と羊の関係をちゃんと説明しようとするのはほとんど不可能で、無理やり説明することはできるけれど、あらぬ誤解を与える可能性があるということだ。だから、僕は羊と僕の関係性をここでは説明しない。
 ただ、それではまったく意味がわからないと思うから、フィリップス曲線で言うところの、フィリップス曲線は、失業とインフレーションに関する理論である、という最低限の説明はしようと思う。
 僕と羊は親友だ。そして、僕にとっては、現在いる、唯一の親友だ。
 勿論、僕も羊もお互いのことを親友なんて呼ばない。こっぱずかしいし、照れくさいし、気持ちが悪い。けれど、僕たちの関係を友達という言葉で表すと寂しい気持ちになる。それは、僕がどうでもいい人間のことも立場上、あるいは状況的に、もしくは語彙力の無いから、友達と呼んでいることが原因なのかもしれない。それを考慮すれば、客観的に見れば、僕と羊の関係性は友達なのかもしれないけれど、それでも、いやだからこそ、僕は羊のことを親友と呼ぶ。
 説明は以上だ。
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