羊を数え続けて

カイエ・アイセ

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 僕と彼女があったは、今からだいたい一年前(もしくは二年前)のことだ。僕と彼女を巡り合わせたのは、羊だった。巡り合わせた、なんてじゃっかんカッコよく聞こえる言い方をしてしまったけれど、単に羊が僕と彼女が羊の共通の友人であっただけだ。
 僕と彼女が始めて会ったのは場所は駅であり、その日、僕らはその駅でデートの待ち合わせを待ち合わせをしていた。日本語の文法的には何もおかしくないのだけれど、とても違和感がある文章だけれど、事実そのままの文章だ。パパ活とか出会い系アプリを経由した出会い方みたいだけれどそんなこともない。彼女は羊と同じく作家であり、羊とよく会っていたらしい(もしかしたら、肉体的な関係もあったのかもしれない)。どういう流れでそういう話になったのか僕は知らないけれど、羊は彼女に僕の話をして、その話から僕に興味を持った彼女は、一度僕と直接会って話したいと思った。それで、羊は僕と彼女をつなぎ、僕と彼女との間で数回のメールでのやり取りがあり、映画を観るためにその日、駅で待ち合わせた。
 一般的な感覚からすれば、羊も彼女も僕もちょっとおかしい。特に、彼女がおかしい。現代的な価値観(というよりは理想とされる道徳心とでも言った方がいいのかもしれない)からすれば、ひょいひょいわけのわからない得体のしれない男といきなりあって、いきなりデートに行くのはなるべく避けるべきだ。ありていに言えば、わけのわからない病気をもらう可能性があるし、トラウマレベルの体験をするかもしれない。
 けれど、彼女の辞書の中にはそんな言葉はなかった。
「あなたと一緒に映画を観に行きたいです。土曜日か日曜日空いていませんか?」と彼女(メールで)。
 丁度その時、僕は、人肌が恋しい時期だったし、当然のように休みだったし、お金もそれなりにあったから女性からの誘いを断る理由がなかった。ありていに言えば、セックスをしたかった。
 ただ、彼女とそういうことをするのは、羊の女性を(なんだから不適切な表現な気がするけれど、他の表現を思いつかないから許して欲しい)奪うみたいで気が引けた。羊と穴兄弟になるのは、いいけれど羊に恨まれるのは嫌だった。せっかく再会したのに、また離れるのが嫌だった。それに、僕はエロ漫画や抜きゲーを除いて男の人を簡単にデートに誘う女性が苦手だ(ガードが堅すぎる女性も苦手だ)。
「何の脈絡もないですし、当然こんなことを聞くのは失礼だとわかっています。ましてや、質問の答えにもなっていないのですが、もしかしてあなたは小説家ですか?」と僕(メールで)。
「はいそうです」
 僕は、彼女と映画に行くことにした。
 僕は、羊のおかげで小説家が自分の理解を遥かに超えた存在であることを理解していた。 忘れもしない、大学二年生の時の、三月十八日。羊は、僕にメイド服を土下座で献上しながら言った。
「頼む。この服を着て、一緒にデートをしてくれ」
 念のため言っておくと、僕も羊も同性愛者ではないし、男だ。付け加えておくと、僕は筋トレが趣味なためかなりムキムキである。ちなみに羊はかなりデブだ。
 理由を尋ねると、どうやらゲームのシナリオのためらしい。
 ゲームのシナリオに女装した筋骨隆々の男は登場しないし、そんなシナリオは絶対に阻止する。僕は献上されたメイド服を羊の頭に投げ叩きつけた。
「夏はずいぶん前におわったんだぜ」
「よく言うだろう?実物を見て描けって。写真を見て描いた絵はダメな絵だって。それにいつも言うじゃないか、スクール水着を着た金髪少女がいればもっと上手く描けるのにって。つまりはそういうことだよ」
 要するに、彼はゲームのシナリオを書くために僕にメイド服を着てくれてと、そして一緒にその姿で出歩いてくれと懇願したわけだ。
 このように、小説家は突然とんでもない要求をする生き物なのだ。このようなやり取りが、ゲーム制作中に何度もあった。だから、僕は小説家の突拍子の無さというか、創作執念みたいいなものに慣れていた。そして、僕は、羊ほどではないにしろ、資料不足のツラさみたいなものがわかっていた。だから、僕は、お金ではどうすることもできない経験をクリエイターから要求されたら、それが直接創作活動に関係があるか無くても受けるようにしていた。
 僕が彼女からのデートの誘いを受けたのは、彼女が作家だと知ったために性欲から(まったくないわけではない)好奇心へと変わっためでもある。僕はこれまで女性の小説家に会ったことがなかった。メイド服を着てくるのではないかとも思った。長編は書けないかもしれないが、そこそこ面白い小説が書けそうだ。流石にそれはないかもしれないが、デート中に僕が提案、要求しないことをしてくるのではないかと思った。非日常的な経験を僕は彼女に期待し、それを実現する人間と話したかった。
 そんな僕の期待を彼女は裏切った。裏切った、なんて言い方は被害妄想がすぎるけれど、とにかく彼女は普通だった。いや、普通ではなかった。平均的ではなかった。彼女は、身長がとても低かったし、肌も今まで一度も日光を浴びたことがなかったかのように白かったし、髪が腰まで伸びていた。僕の語彙では、ファッションに関して、スカートかズボンか、Tシャツかワイシャツかそれ以外の何かか、模様はどんなだったとか、服の色みたいなことしか表現できないから、その日、彼女が着てきた服をどのように形容すればいいのかわからない。トニカク女性らしいカワイイ服を着ていた。要するに、ともて外面がよかった。
 外面がいい人は内面が悪いという都市伝説があるけれど、彼女は内面もよかった。男は女を楽しませて当たり前、みたいな傲慢さはなかったし、私はそんな低俗な女とは、男も女もあらゆる面で同じようにしなければならないし、そような扱いをしないのも差別だし、そのような扱いに不快感を抱く方が間違っている、みたいな危うさもなかった。
 彼女は僕にいろいろな話をしてくれた。道端にある雑草の話とか、コンクリートの話とか、その日の空模様とか、サボテンの話とか、ヒトが自殺をする理由とか、小説の話とか、彼女の人となりを表す、これまで興味を抱いた話題を話した。退屈な話は一つもなかった。
 僕の話は、退屈だった。上手く話せなかった。僕は、博士号を持っているから、自分が知的な人間だと勘違いしていたけれど、決してそんなことはなかった。自分の専門知識について話しても、自己啓発本にみたいな安っぽい言葉しか言えなかった。三島由紀夫とかガルシア=マルケスの話もしたけれど、逆に安っぽくなった。僕が話す『百年の孤独』より、彼女が話すサボテンの話の方が奥深かった。僕はこれまで、一度たりとも真面目にヒトが自殺をするを考えたことがなかった。
「どうやって調べているんですか?月にどれくらい本を読んでいるんですか?」と僕。
「特別なことは何もしてませんよ。ただ、面白そうなことが書かれていような本を適当に読んでいるだけです。あなたは、今まで食べたパンの枚数を覚えていますか?」
 サボテンやコンクリートについて、人を楽しませるような話ができることを、普通の人を呼ぶのは、苺は野菜であるような違和感がある感じがするけれど、メイド服で一緒にデートしてくれとか、自分と話す時は語尾を「にゃん」にして欲しいみたいな特殊なことは言わなかった。彼女の話はどれも面白かったし、僕の好奇心を刺激したけれど、期待した好奇心を満たしてはくれなかった。
 ただ、一つだけ、それに近い話題があった。僕は、その話題は、環境問題について考える時に、地球が平面である可能性を排除する、ことのように当たり前のこととしてそんな話をするだろうと思い至らなかった。それに、僕と彼女の間には、お互い哺乳類であることや、重力の影響を逃れられないといったことを除けば、共通の話題と言えるようなものがなかったからだ。
「私も、彼の小説好きなんですよ」と彼女は言った。彼女の声は、お酒のおかげで色っぽくなっていた。未亡人が夫のことを話しているようなエロスを僕は感じだ。僕もだいぶ飲んでいた。けれど、その言葉を訊いた後すぐに、バックアップとして取ってあった脳みそに切り替えたかのように、僕の思考から酒がなくなり、思考がクリアになった。
 羊の小説が面白いだと?そんなことを言う人類が僕の目の前にいるだと?
 お世辞にも、羊の小説は面白いと言える代物ではない。僕らのゲームがカルト的な人気で終わったのは、その責任を全て羊のものだとは言わないけれど、羊の物語がその一端を担っているのは間違いない。
 羊の小説(物語)は、面白くはないが、つまらないわけではない。かといって、記憶に残る物語ではないけれど、記憶から抹消できるようなものでもない。独自の哲学とか、世界観みたいなものがあるわけではないのだけれど、彼の物語は、彼が書いたとしか言えない物語だ。
 義務教育を終了しなくとも、この言葉が矛盾しているのは明白だし、矛盾している言葉を使って賢こぶり、深い意味があるような語り方をするのは、難しい言葉を使い、その言葉を理解できない、知らない方が愚かな人間で、そんな人が僕の言葉を理解できないのは、仕方がない、僕には自分と同等の知的水準を持った人がいない孤高の天才なんだ、というオーラをにじみ出す自称なんとか(文学少年とか)、みたいな気持ち悪さがあるから、こういった表現はしたくないのだけれど、このような表現以外に僕は、羊の小説(物語)を説明できない。
 勿論これは、羊の物語が特別である、という意味ではない(羊には申し訳ないが)。単純に僕の語彙力、表現力がないのが原因だ。羊の物語が特別であるなら、何らかの賞を受賞したり、もしくは専門家や評論家から評価されてもいいはずなのだけれど(まぁ、専門家とか評論家から評価されることが作品の価値の指標ではないのだが)そんなこともない。
 こういった理由から、僕は驚いた。いや、これが彼女が彼女でなかったら、僕は『フィネガンズ・ウェイク』を史上最高の文学だと言い張る程度の低い人間に向ける眼差しを送るのだけれど(いろんな方向に失礼な表現だ)、彼女は棒にそのような目を向けさせる変わりに、サンタクロースの正体を訊くような子供のような目を向けさせた。
 なぜなら、彼女は超売れっ子作家だからだ。羊が生涯をかけて稼ぐであろう収入を、彼女は一カ月で稼ぐような作家だ(これはやや彼女の実力を過小評価している)。そんな彼女が僕と同じように、羊の小説を好きであると言うのは、逆張りでなければ説明できない。
「どんなところが好きなんですか?」と僕は訊いたけれど、彼女は僕と同じようなことを言った。つまり、矛盾した感想、評価を述べた。褒めているのか、馬鹿にしているのかよく分からない、感想を述べた。
 僕はこれまで、彼女のことを同じ時空で過ごしながら、別の世界を生きているような人だと感じていたのだけれど、これを訊いて、僕と同じ世界を生きている人間なんだと思った。そして、彼女のことを完全に、エロい目で見るための女性としてではなく、一人の主体として見るようになった。言うのが馬鹿らしいが、これは、彼女が女性としての魅力がないとか、そういうわけではない。
 彼女も、僕と同じだったらしい。羊の小説を好きだと思う人とこれまで一度も会ったことがなかった。そのことに、彼女は僕以上に寂しを感じていたようだった。彼女は、誰よりもプロの作家だったから、その寂しがあるのを僕よりも当然で、仕方がないことで、どうしようもないことだと思ってきたようだった。
 僕たちは、これまで蓄積させていた、羊の小説の感想を述べあった。僕も羊の小説が好きだ。人には決して進めないし、今まで読んだ中で最も面白い小説というわけではないし、羊の物語が世間が過少に評価しているとも思わない。ただ、好きな小説であるとしか言えない。それ以外に羊の小説には、何なら特別性がない。むしろ、羊の小説を難しい言葉を使って、凄い小説かのように評価するのは気持ちが悪い。それにそういう評価は、僕や彼女ような本当に羊の小説が好きな人が決して面白いと思わないところを、凄いとか、面白いとか、新しいとか、時代が変わったとか、評価する。僕と彼女から言わせれば、それは羊が書いたとしか言えない物語の嘘つきを炙りだす巧妙な罠だ。
 僕たちは、同じシーンが好きだったけれど、感想は異なっていた。それがよかった。他の小説であれば、それはあまり心地よくないことなのだけれど、羊の小説に関してそんなことはなかった。難しい言葉を使わないで、子供が今週みた特撮番組を話す時のように、僕たちは、羊の小説について話した。
 そして、その日から、ベッドの上で、彼女は僕のガールフレンドに、僕は彼女のボーイフレンドになっていた。
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