いちばんになりたい

紗夏

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第3話 琢朗

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 「やめて、お父さん。その人、本当に違うから」

 

父親の誤解は、夕希の必死のとりなしで、なんとか解けた。もっとも、まだ納得してない様子だったが。

 

「じゃあ、お前の相手は何してるんだ」

と、夕希の父は、憮然としたまま、畳にどっかりと座り込む。
冷蔵庫から出してきた冷たいお茶を琢朗と父の前に並べると、夕希も居心地悪そうに、その父の隣に座った。

 
「…学校に来てないから、気になってしまって、突然押しかけてすみません」

好青年を気取って、深々と頭を下げると、夕希の父親もきまり悪そうに頭を掻いた。


「いやこちらこそ…。早とちりで申し訳ねえ」

まあ、無理も無いよな。学生の娘が妊娠したって言って、実家に戻って来てる間に、見知らぬ男が訪ねて来たら、普通の親なら、その相手だと思うだろう。

つまり、夕希はごく普通の家庭で、ごく普通の親に愛された娘、ってことだ。

 

「糸井さん。――学校はどうするの?」

琢朗がいちばん気になってることを尋ねると、夕希は俯く。そして、ちゃぶ台の下で、琢朗の指先を軽く引っ張られた。

 

「…外、出よ?」

夕希から誘われるままに、琢朗は立ち上がった。

 

 

外に出ると、燦燦と日光が琢朗と夕希に照りつけた。夕希の足は海岸の方に向かう。目的もなく、防波堤に沿った道を歩いた。眼前に海が広がって、富士山が聳える。まるで、銭湯の背景のような、構図だ。

 

「まさか、こんなとこまで上條くんが来ると思わなかった。淳さんの時といい、意外と行動派だよね」
「…気になることは放っておけないんだ」
「前の時も、そう言ってたもんね」

 

夕希の声も足取りも、軽やかだ。実家というテリトリーにいるからだろうか。ひょいっと防波堤に乗ろうとした時は、流石に止めてしまった。妊婦って自覚あるのか?

「さっきはごめんね。うちのお父さん、漁師で。気が短いの」
「うん。気にしてない。ちゃんと、お父さんとお母さんに言ったんだな」
「…うん。ひとりじゃ、何も出来ない、ってわかったから。お金のことも、これからのことも。お母さんに泣きついたの。とにかく一度、帰って来なさい、って言われたから、甘えちゃった」
「…そう」
「帰ったら帰ったで、大変だったけどね。当たり前だよね。『結婚出来ない』男の人の子どもなんて、娘がみごもってくるんだもん。――初めて、お父さんに殴られた」
「そりゃそうだよ」
「でね。とにかく相手の男、連れて来い、ってお父さんそればっかり。そんな時に上條くんが来ちゃったから…」
「…間が悪かったね」

まさに、飛んで火に入る…ってやつか。殴られなかっただけ、運が良かったかもしれない。

 

「峰さんとは何か話したの?」

 

淳弥の名を出すと、夕希は困ったように笑った。

 

「ううん。何回か着信あったけど…」
「話、しなよ」

「…淳さん出てきて、奥さんいる人だなんてわかったら…絶対、お父さんもお母さんも堕ろせ、って言う。きっと淳さんも。そしたら、この子、守れないから」

悲壮な決意を夕希が語った時、海から風が吹き込んだ。風を孕んで、夕希の着ているワンピースが大きく膨れ上がる。その中にいる生命が、己の存在を誇示してるように見えた。

 

もう、彼女の中では淳弥への慕情とは別の感情が、その生命に対して育ってるのかもしれない。

「糸井さん、主張曲げないね」

 

頑なな愚かしさが、眩しく見えてしまうのは、どうしてだろう。

 

「生む、って簡単に言ってるけどさ。学校とか試験とかどうするの?」
「卒業はするよ。絶対。せっかく、ここまでがんばったんだもん」

来週にはまたそっちに戻る。夕希は前を見据えて、はっきりと宣言する。それを聞いて、琢朗も安心した。来た甲斐があったと、思った。

「でね。卒業したら、こっちに戻ってくる。司法試験を受けられる資格が、5年あるでしょ? だから、その間にはなんとか、合格したいと思って」
「こっちに帰ってきちゃうの?」
「だって、私ひとりで子育ても仕事も勉強も…なんて、無理だもん」

 

海と富士に抱かれた静かな港町。歩いても歩いても、前方に聳える大きな山は一向に大きさも高さも変わらない。夕希に似合う街だと思うが、自分がここに来ることはもうきっとない。

「寂しくなるな」
「…やだ、またからかう」

夕希は琢朗をぶつ真似をする。空振って、宙に浮いた夕希の右の手首を琢朗は、掴んだ。


「からかってないって」

掴んだ手をそのまま自分の方に引き寄せ、夕希の薬指に唇で、そっと触れる。


「上條くん…」

夕希の顔が目に見えて赤くなった。そんな顔すんなよ、脈があるかも、って思っちゃうじゃん。


彼女を好きだと言うのなら、彼女の全部を受け止めて守れないとダメだ。だから――



 

「俺が、司法試験受かったらさ。糸井さん、俺の家族になってよ…」

 

 
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