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愛と共に憎しみを
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いつからだろうか。こんな風に思ってしまうようになったのは……
『あなたの周りには、きっとたくさんの愛があるわ!』
誰でも彼でも、周りは絶望と嫌悪と嫉妬まみれだ。
『あなたも人を愛してあげて!』
愛したから何だ。そんな事をして何になる。
『そうすればきっと、世界もあなたを愛してくれる!』
…………オエッ
いつからだろう。……いや、最初から決まっていたのかも知れない。貧相な街で顔が良くて拾われた。偶然美声を持っていたので、歌を歌うように躾けられた。
私の歌は、夢と希望と愛で満ち溢れていた。世界は憎悪と絶望と虚無が埋め尽くしているというのに。
キラキラの笑顔で、キラキラな歌詞を紡ぐ度に吐き気がする。世界は辛く苦しいことばかりなのに、それを覆い隠すように私の歌は「夢と希望と愛」を垂れ流し続ける。
……いつからだろうか。
私は歌うたびに、吐瀉物を撒き散らしている気分になっていた。
ぼんやりと、暗い場所で意識は泳ぎ出した。何故だろうか、体が酷く重く、動かすのが難しい。まどろみにも似た感覚に浸っている。徐々に明るくなっていく視界は、白濁色に変わり始めて、そのうちそこに映る輪郭も捉え始めた。
そしてぼんやりと、意識は水面から顔を出した。
「……う……ん?」
寝起きのような声に反応して、白衣の男の視線が刺さる。特に驚くこともなく、若い顔は淡々と言葉を落とした。
「あぁ、起きたのか」
たったそれだけ呟くと、特に気にするでも無く白衣の男は持っていたカルテに視線を戻した。
「………?」
未だ寝起きのような感覚に浸され、上体を起こしても状況が理解しきれなかった。
ひと段落したのか、白衣の男はカルテを机に置き、回る椅子でもってこちらにくるりと向き直る。
「さて、意識は?自分は誰だかわかるか?」
声は若い。ただ髪の毛が真っ白で、年齢を指し図るのが難しい顔をしていた。
「えぇと……ひとまず、ここはどこでしょう?」
寝起き特有の少し掠れた声で問いかける男に、白衣の男は淡々と告げる。
「とある組織の医務室、とだけ言っておこうか。で、さっきの質問に答えて貰おうか。自分が誰だかわかるか?」
医者とは思えない威圧感に押されながらも、しどろもどろで言葉を紡ぐ。
「えぇ、と………うん?……誰なんでしょうか?」
「聞いているのはこっちなんだがな」
白衣の男は机にあったメモ用紙のようなものを千切ると、ペンで何かを記入し始めた。
「あの、自分のことが本当に……」
「言わなくて良い、『記憶喪失』だろうな」
「き、記憶喪失……」
「皆まで言うつもりは無いが、お前は外で倒れていてな。一応連れてきたが、意識が戻った事を喜ぶべきだな」
淡々とした声だからか、その言葉からはこちらを案じるような雰囲気は一切感じられなかった。
「あの、それでここは一体……」
男の問いに医者らしき男は答える。
「『ロスト・シティ』、この名前に聞き覚えは?」
「……確か、『世界最悪のスラム街』と呼ばれている街だったかと……」
「その通りだ。……なるほど、記憶といっても一般常識や世間の知識はそのままらしいな。失ったのは自分自身に関する記憶、といったところか。随分と都合の良い記憶喪失だな」
白衣の男はペンでカルテに書き込んだ後、それを放り投げるように机に置き、再びこちらに向き直る。
「さて、察しているとは思うがココは少々訳アリの場所だ。詮索せずに出ていくことをお勧めする。外を歩けば思い出すこともあるだろうしな」
「は、はぁ……」
自分が何者かも分からないのに、外に出ても大丈夫だろうか?そんな不安を抱えつつも、他に選択肢がありそうも無かった。この医者の言う通り、出ていくのが最適解な気がする。
「わ、わかりました。しかしどうやって出れば良いのでしょうか?」
「外に出れば通路になっている、歩いて適当な梯子を登れ。ここは地下だからな、マンホールから出れるようになっている」
「は、はぁ…」
ベットから降りて立ち上がると、長いこと横になっていた為か少しふらついた。
診察室のような部屋から出ていく寸前、医者に呼び止められる。
「待て、忘れ物だ」
医者は引き出しから何かを取り出すと、それを放り投げる。受け取ったそれは、リボルバー式の拳銃だった。
「お前が倒れている時に、大切そうに掴んでいたものだ。持っておけ」
「……?わかりました」
一瞬、何か大切な記憶がよぎった気がする。ただ、もう思い出せそうもない。
今はとりあえず、自分が誰なのかを知る必要がありそうだ。
男が医務室のような部屋から出ると同時に、入れ違いで1人の青年が入ってくる。
「……?新しいメンバーか?知らない顔だが」
「いいや。道端で倒れていたが、ギリギリ蘇生出来そうだったからした。それだけだ」
「……話したのか?」
白衣の男は、責めるような瞳の青年に対し、特に気にせず切り返す。
「頭を撃たれて記憶喪失だ。話してもいなければ、素性も知らん。自分が誰かもわかってないようだったしな」
「……そうか」
青年は視線を外し椅子に座る。
「で、そっちの方はどうなんだ?」
聞かれた青年は、絶望と憎悪を宿したような瞳を動かし答える。
「……最近は、あまり悪夢を見なくなった」
「そうか、良い傾向じゃないか。薬は今回少なめにしておこう」
「……わかった」
立ち上がる青年の背中に、医者は言葉を投げる。
「ここまで診てやってるんだ。簡単に死ぬなよ」
「………」
青年は無言で少し立ち止まったが、特に答えずに部屋を出ていった。
「……年頃ではあるのだろうが」
あの目を見れば分かる。年不相応な経験をしてきたのだと。
「……一緒か」
医者はカルテを放ると、立ち上がって別の書類を手にする。処理しても処理しても、カルテの山はその標高を落とさない。
「全く、ここは怪我人が多くて困るな」
自嘲気味に呟くと、別の患者を見に部屋を出ていった。
言われた通り一番近いハシゴを登っていくと、マンホールから地上へ出た。どうやら本当に地下に居たらしい。
あの医者の人がわざと曖昧に言っていたのは、関わり合いを持たない方が互いに都合が良いからだろう。気を効かしてくれたのだ、居座ってわざわざ無下にする必要もない。
「……しかし」
名に覚えのない男は、ぐるりと見回す。白昼堂々の銃乱射、見た事のない武器やどんな技術を使っているのかも不明な兵器が見える。……紛争地域かここは!?
この小さなリボルバー一丁では、どうする事も出来ないだろう。むしろ介入したらすぐに死ぬだろう。
「と、止めようにもこれでは……」
今の自分に出来ることは無い。
聞きしに勝る異常さだ。……まぁ聞きしと言っても、自分に過去の記憶が無いから頭に残っている知識で、だが……
そんなことを考えていると、すぐ横に流れ弾が飛んできた。
「と、とにかく今は安全の確保が優先かっ!」
身を屈めながら、側にあったレンガ調の路地へと逃げ込む。入り組んでいるためか、奥にいくに連れて段々と暗くなっていく。その分銃声も遠ざかっていったので、とりあえずの安全は確保されたのだろう。
「ふぅ、結構奥まで来てしまったのだろうか……?」
必死になって随分走っていたのだが、不思議と息は上がっていなかった。……走り込みでもしていたのだろうか?
「さて、逃げ込んだは良いけど土地勘が無いからなぁ……困ったぞ……」
コツコツと慣れない道を歩く。すると、なにやら数人の人影が見えてきた。
「おい嬢ちゃんよぉ!ここは俺らの縄張りなんだよ!」
「………」
「聞こえてんのかこの野郎!!」
「………」
「なんとか言えや!この女ッッ!!」
荒くれの1人がドンッとフードの人物を突くと、女性らしき人物が力無くどさりと地面に倒れる。その拍子に女性の纏っていたボロ衣のフードがぱさりと捲れた。
「……な」
「おいおいおい……」
女性の顔を見るなり、荒くれ達は言葉を失う。
「でぃっ、ディバーナ・セイレスッ!?なんだってこんな場所にいんだ!?」
「………」
ディバーナと呼ばれた女性は、荒くれ達には目も向けず、立ち上がろうともせず、ただただ死んだような目で虚空を見つめていた。
「ま、まぁいい!これならどこぞの国相手に身代金を要求できるだろ!!」
「お、おい良いのか……?こんな有名人を人質にして……連合政府とかからエグい報復受けたりしないか……??」
「ならこいつを捕まえて逃げちまえば良い!おらッ!立てッ!」
荒くれの1人が乱暴に腕を掴み立たせる。目の前で人質にするような発言をしていたのに、ディバーナという女性は尚も無抵抗だった。
(あぁ、やっぱり世界は……)
力無く立ち上がるが、男達がその後彼女の腕を引っ張ることはなかった。
(……?)
視線を上げると、見知らぬ男が1人、荒くれの腕を掴んでいた。
「あのー……」
「あぁん!?誰だテメェ!殺すぞ!!」
おずおずと出てきた男が、荒くれの腕を掴んでいた。
「いやその、目の前で誘拐示唆のお話をされちゃあちょっと放っておく訳にも……」
腕を掴まれていた女性は、ここに来て初めて興味を持ったような顔で視線を動かした。
「正義のヒーロー気取りかクソガキ!!」
「い、いやそういう訳じゃ……」
落ち着かせようと否定するが、荒くれは相当頭にきているらしい。自分から掴んでいた手を離すと雷のような勢いで怒号を飛ばす。
「ここはなぁ!!そういう奴から死んでいく街なんだよ!お前ら!!」
怒号を飛ばす荒くれの指示を受けて、側にいた2人は銃火器を持ち出して標準を向けた。
「「死ねぇぇッッ!!」」
「………ッッ!!」
銃が乱射される寸前、自分の名前も覚えてない男は、脳にぞくりと何かが伝っていくような感覚を覚えた。
弾かれるように体勢を低くすると、両手でボロ衣を着た女性を抱え、曲がり角に滑り込む。そっと女性を地面に置くと、壁に背をつけて腰からリボルバー式の拳銃を引き抜く。
「…………」
女性は不思議そうに、壁の向こう側を伺う男の顔を見る。
「あなた……なんで?」
ボロ衣の女性の声は、天使のような響きだった。振り返らずに応える。
「……分からない。でも、銃口を向けられて、体が勝手に動いていた」
嘘では無い。事実、銃口を向けられるまで自分でもこんな動きが出来るとは思っていなかった。
慣れた手つきで、弾丸の装填数を確認すると、そのままリボルバーをセットする。
「………手慣れてるのね」
「……?」
言われて気が付く。こんな事を今までやってきたのだろうか?それとも記憶ではなく体に染み付いているのだろうか。
……いや、今大事なのはそこじゃあ無い。
この盤面、荒くれ者3人、銃火器を乱射。公的機関の助力は望み薄。対してこちらはリボルバー一丁の武装。装填弾数……6。
こちらが不利なのは目に見えている。
(……このままでは…)
幸い、数と火力を過信して油断している。
(………やれるか……?)
心臓が妙に高鳴っている。しかし、唐突に脳内でシュミレーションが始まった。まるで自身を俯瞰するような画像が、鮮明に脳内に流れる。妙な高鳴りは徐々に鎮まり、むしろ心が静まり返ったような、冷酷とも言える冷静さが感情を支配した。
(……いや、やるんだ)
ズキンとした痛みが脳を刺す。けど、今は構っていられない。
角から飛び出すと、まず最初に地べたに落ちているガラクタを前方に投擲。荒くれ達はこちらの攻撃と認識し、ガラクタに集中砲火。飛び散った破片を煙幕の代わりにし接近。左の男の足に一発。すぐさまリロードをしつつ、右の男の頬を肘で攻撃、リロード終了と同時に足に発砲。次いでリーダー格の男の顎をグリップで殴打。脳震とうを誘発しつつ、もう一度グリップで顔を殴るフェイント。腕を上げて防御姿勢に入った相手に対し、脇下を殴打。呼吸が乱れた隙に鳩尾を殴打、これでフィニッシュ。
「あ、足がァっ!」
「……がはっ………」
「ゲホッゲホッ…」
「出来た……」
荒くれ達は何が何だか分からないだろう。ただ、この男一人に負けたという事実だけは確かだった。
「………」
全てがスローモーションで動いているような感覚だった。記憶が無い、その筈だ。現に自分の名前すら覚えていない。
……なのに、身体はまるでシュミレーションゲームのように脳内で描いた動きを的確に、冷静に、トレースした。
(……何者なんだ、自分は……)
「……な、ナニモンだ……おまえ……」
「……?」
考え惚けていたら、倒れ込んでいる荒くれのリーダー格から問われる。
(何者だ、と言われても…)
名も無き男は、周囲を見渡す。何かないかと。あるのは辺り一面のレンガの壁だ。
……レンガか……
「あー……く、クレイだ。クレイ……」
キョロキョロしつつ、自分の手元にあるリボルバー式の拳銃に目を落とすと、思いついたように名乗る。
「く、クレイ・リボル。自分はクレイ・リボルだ」
自分に言い聞かせるように繰り返す。それを聞いて怪訝な顔をする荒くれは、言葉を投げつけるように発した。
「粘土だぁ!?舐めてんのかおまっ……」
そこまでいうと、突然歌声が響く。とても心地よく、ゆりかごの中にいるような心持ちになった。
気が付けば、荒くれ達は穏やかな顔で眠りこけていた。
唐突な出来事に驚いていると、後ろから足音が聞こえてくる。振り返ると、そこにはボロ布の女性が立っていた。
「君が?」
「……えぇ」
女性は相変わらず虚ろな目をしている。
「……貴方、私の事知らない?」
「それは……」
……それはどういう意味で聞いているのだろう。有名人なんだけど本当に知らないのか?という意味だろうか?地べたで眠りこけている荒くれ達の先程の会話から察するに、どうやら著名な人物ではあるみたいだが……
「……済まない、君の事は記憶にないよ」
「……別に、謝らなくても良いわ」
ボロ衣の女性は、死んだような目で見つめてきた。その瞳こそ空虚なものを映し出しているが、その顔はガラス細工のように繊細で美しいと思った。
「あ……あの……」
ついさっき出会ったばかりの女性だが、こんな端正な顔に見つめられたら誰だって戸惑う。
「……貴方、不思議な人ね」
紡ぐ声色は、美しい音色のよう。
「き、君はこれからどうするんだ?」
その美しい視線から逃げるように顔を逸らし、誤魔化すように言葉を返した。
「……ちょっと迷ってる事があるの……考える時間が欲しくて……今は歩いてる」
家出少女ならぬ家出淑女……という訳でもなさそうだが、なんだか訳ありのようだ。
この時、なんであんな言葉が出たのか分からない。記憶喪失になって、初めて出会った女性だからか、それともその美しい顔と声色に惹かれたからなのか。ただ……一つだけ絶対に言えることがある。
自分は、この女性に……儚げで、朧げで、不意に消えてしまいそうなこの女性に………
………魅了されていた。
「あの、良かったら自分が護衛しましょうか?」
「………?」
ボロ衣の女性は訳が分からないといった表情で、首を傾げる。
「……どうして?貴方にはなんのメリットもないわ…」
「実は自分も、やるべき事がないのです。自分には……その……記憶が無くて」
「……記憶喪失なの?」
「はい、どうやらそのようです。ですから、ある意味自由というか……その、こんな街なので、貴女の考え事がひと段落するまで一緒にいた方が……いえ!一緒にいようと思いまして」
何を言っているんだろう。自分でもわかる。出会ったばかりの、それも少々訳ありの女性だ。自分はなんて提案をしているんだろうか。
それでも、ボロ布の女性は薄く笑ってもう一度目を合わせてくれた。……目は笑って無かったけど。
「貴方……本当に不思議な人ね」
グイッと鼻が当たりそうなぐらいに近寄った後、背中を向けて離れる。少し歩いた後、こちらに振り返って彼女は言葉を紡ぐ。
「ディバーナ、『ディバーナ・セイレス』。こう見えて有名人だから、人前ではあんまり名前を呼ばないで」
「わ、分かった。あ、自分は……」
「『粘土と弾倉』、でしょう?安直な名前でわかりやすいわ」
先ほどなんとか絞り出して名乗った名前を聞かれていたらしい。もうちょっと捻った名前にすれば良かっただろうか……
少し決まり悪く視線を泳がす。その様子を見たディバーナは、クレイの正面に立つと、虚空を映し出しているような瞳を向けてくる。その視線に捕まって、溺れた。
「……よろしくね、私の兵隊さん」
「……えぇ、こちらこそ」
純粋に、彼女に頼られる事が嬉しかった。たとえ、この出会いが呪いになるのだとしても、きっと自分は同じ選択をするのだろう。
『ロスト・シティ』は世界最悪のスラム街だが、そんな中でもビルやマンションといった建築物が無いわけでは無い。むしろ外の技術よりも数歩先を行っているだけあって、文明レベルはかなり高い。
その一角、高すぎる訳でも無いが街を一望出来るタワーの最上階。
部屋はかなりの装飾品、ブランド物だと思しき品々が、まるで子供のおもちゃ箱のように乱雑に置かれている。
そんな部屋のデカいソファ、その上にシルクの毛布一枚で寝ている女性がいた。見るからに全裸。髪の毛は長く薄い金髪。そしてどうにもメロンを2つ抱えているようにも見えるが、その原産地は彼女のようだった。
「……うぅん…」
モゾ……と寝返りをうち、くるまるようにシルクの毛布をぐいっと引っ張る。そこにテーブルを触りつつ、コツンコツンと近寄る足音が響いた。
それは男であり、コートをマントのように肩にかけ、高価である事が一目で伺えるようなスーツを着ていた。スーツと言ってもビジネスマンのようなカッチリしたものでは無く、どちらかといえば高級ホストのような印象を受けるものだった。髪色は少し暗めのベージュで、瞳はエメラルドのような美しい緑色。髪の毛は短く後ろで結んでおり、長いながらも整えられている印象を受ける。誰が見ても第一印象は「超絶美形」で固定されることだろう。
「だらしが無いよ『リリス』。寝るならしっかりベッドで寝た方が良い」
「うぅん……?あぁ、おはようニル様」
見慣れているのか、リリスと呼ばれた女性の格好を特に気にするでも無く、『ニル』と呼ばれた男は高そうな椅子に腰掛け、脚を組んだ。
「そろそろ時間だと思うんだけど、どうだろう」
「ん……ニル様に分からない事、ワタシがわかる訳無いじゃあないですかぁ~」
シュル…シュル…とシルクの布ズレの音と共に、魅力的に盛り上がる肢体を動かすリリス。
「そういう事はぁ……ふぁ~……『オトギリ』の領域じゃあ無いんですかぁ~?」
寝ぼけ眼で上体を起こし、目を擦るリリス。その背後にゆらりと揺れる影のように、黒い看守服と帽子を被った男が現れた。
「………お呼びで?」
死んだような目で低い声を響かせる男は、手を後ろに回し、軍隊の休めのような姿勢で立っていた。
「いやぁん、気配を殺して背後に立たないで~…えっちぃ~」
シルクをわざと手放し、両手で局部を隠すリリス。言葉とは裏腹に、目は「好きなだけ見ろ、喰うぞ」と言っている。そんなリリスを興味が無さそうな目で見下した後、特に何も反応せずに続けた。
「……それで、お呼びですかニル様」
「そんなに畏まらなくても良いのに」
穏やかに微笑みつつ、スっと近くにあった林檎を手で掴む。
「いいえ、そういう訳には。それでお呼びでしたか?」
「あぁそうだったね。オトギリ、今どうなってる?」
主語が無い言葉にも関わらず、オトギリと呼ばれた青年は懐から一枚の札を出して答える。
「反応はありません。ですが、どうやら期限までには決まりそうです」
「うん、そうかぁ。じゃあ焦らないでも良いかな」
そう言いながら、ニルが林檎を口に持っていこうとした瞬間。風切り音と共に手にしていた林檎が上から輪切りにされてパタパタと滑り落ち、床と机が悲惨な事になる。ニルは手にしていた僅かな残骸も机に放り投げた。
「あっれー。何だよー、1口サイズに切ってあげたのにさぁ~」
ちゃくちゃくぷ~とフーセンガムを膨らましながら、ズカズカと部屋に入るメイド服を着た女性。
「……普通、ひと口といったらこう……縦に切るでしょう?アマネ」
「え?そーう?食えれば良くねー?」
色付きサングラスの奥で愉快そうに笑うアマネ。その隣にはヘッドギア黒スーツが呆れた様子で立っていた。
「……済まないニル。新しいのを買ってくるか?」
「あぁ良いよネメシス。わざわざそんな事しなくても」
「……悪いな。なんせ、アマネには何を言っても無駄でな……」
代わりに謝っているネメシスには目もくれず、アマネは自分が輪切りにした林檎を拾い上げて口に放り込む。
……皮ごと。
「ん~、んまい。食える食える。ほらあーん」
床に落ちた輪切り林檎をニルの口元に持っていこうとするが、穏やかに断る。すると、思い出したようにニルはオトギリへと問いかける。
「あぁそういえば、オトギリ。例の情報はどうなってる?」
唐突な質問にも関わらず、オトギリは軍帽をキュッと下げると的確に回答する。
「はい、各報道機関に圧力をかけました。情報統制も徐々に始まるでしょう。末端の国で『生物兵器』を作り上げているという話を偽造済みですので、世間の目はそちらに向くかと」
「そうか、なら大丈夫そうだね」
ニルは近くのソファに座ると、淑やかに言葉を紡ぐ。
「期間まで少しある。それまでは皆自由にしていて良いよ」
穏やかに言葉を紡ぐと、リリスは再びシルクの布を纏って寝に入り、オトギリは「失礼します」と一言いうとどこかへと去っていった。
ネメシスとアマネは別々に部屋を出るが、示し合わせたように同じ部屋に再び集まった。少し後にニルも合流する。そこは決して広いとは言えないが、防音性は十二分にある部屋のようだった。
先ほどの部屋とは違う、三者三様の暗い雰囲気を彼らは放っていた。そんな中、アマネが口火を切る。
「……で?結局『ナイト』の代わりは見つかったん?」
ちゃくちゃくとフーセンガムを噛みつつ、ニルに問いかける。
「あぁ、『バミュード・トロワ連邦国家』まで勧誘に行ったんだけどね……」
「……『連邦の盾』……か?」
ネメシスは続けるように言う。
「あぁ、そうなんだ。連邦の盾と言われる彼、『イージス』に加入を打診したんだけど……」
「その口ぶりから察するに、断られたか」
「あぁ……人の身で到達できる限界に近い強さを持っているっていうのに……残念だよ」
肩を落として、残念そうにするニルにアマネが続ける。
「殺せばよかったのに。今からでもアタシがいこーか?」
ちゃくちゃくぷーとフーセンガムを膨らませつつ、笑うように話す。
「……やめた方が良いよ、アマネ。僕や君達は確かに強いかもしれないが、敵に回すと面倒だと思う人達はいる」
指を立てて続ける。
「連邦国家のイージスや皇国の『サムライ』という種族、あとはアルフレット家とかね。あの一家を敵に回すのは厄介だよ」
ニルの言葉に、ネメシスが反応する。
「……アルフレット家、か……長男の噂なら聞いたことがある。投資などが好きで見返りなどを求めない……一言で言えば酔狂な人間だと聞いている。放蕩気質らしく、所在は掴めないそうだが」
対して、アマネは珍しく不機嫌な顔で続けた。
「………『サムライ』か、寝ても覚めても殺し合う事しか頭にねぇ連中だよ」
各々が感情を出す最中、ヘッドギアの向こう側でネメシスが重々しく言葉を落とす。
「……しかし、中枢に最も近かった男が裏切ったせいで、中枢の『ナイト』を失う事になるとはな……」
「仕方ないじゃーん?『破壊をもって破戒を制す』とか言ってたけど、結局エニグマスと離反したし、なんなら……」
光を反射するサングラスの奥で、獰猛な瞳が揺れる。
「トドメを刺したのはこっちじゃん」
「……あぁ、その点で言えばあれは正しい判断の筈だ」
「僕はその場に居なかったからね。だから、君たちのやり方に文句は言わないし、そんなものも無いよ」
ニルはかくも穏やかに続ける。
「さて、近い内に迎えに行く用意もある。準備はしておいてね」
「ん、分かってるって~」
「……了解した」
ネメシスとアマネが部屋から出ていくと、壁に寄りかかり、思考を回す。
エニグマスは、情報戦力としてかなり優秀だった。正直あと少し裏切りが遅ければ中枢にも昇格したはずだ。しかし、その前に彼はこちらの思惑に勘づいてしまった。そして、離反した。
しかし、あくまで彼が情報戦力の担当である事を忘れてはいけない。ニルがその場に居なかったとはいえ、他のメンバーの追随があったはずだ。彼自身の戦闘能力が差程高くないのだから、すぐに消せる筈だった。
……エニグマスの逃亡を、組織の中枢であった『ナイト』が手伝わなければ。
ナイトは、拠点防衛や護衛を主に担っていた戦力で、鈍色の全身鎧にマント、頭部全体を覆うフルフェイスの兜と、それこそ時代劇の重装騎士のような出で立ちだった。その外見から察せられるように戦闘能力もかなり高く、アマネやネメシスと同じ特殊な出自でもあった。
『破壊をもって破戒を制す』が彼の信念であり、口癖のようだった。つまり自らが抑止力と成る事で、無駄な争いを産み出さない為の戒めになろうとしていたのだ。
そして、この街を整えようとしたエニグマスの意思に共鳴し、中枢に居ながら彼の逃亡を手助けした。Lostsの追撃からエニグマスが逃げ切れたのは、彼の背中をナイトが護ったからだ。
その尽力の果てに、ナイトは力尽きた。
(……エニグマスの離反で中枢のメンバーを1人失った……それに、資金の集まりも以前に比べて悪化している……死んで尚、足を引っ張られている気持ちだよ……)
エニグマスが設立したマフィアは、汚くとも金を集めていた。もちろんマフィアの資金作りの為でもあったのだろうが、『Losts』を資金の側面から削る目的もあったのだろう。流通ルートを抑えられて、しばらくは金の流れが悪かった。今はそれなりに立て直してはいるが、それでも以前と比べると、やはり資金面で力が低下した感覚は拭えない。
「……ま、お金の方はいくらでもやりようがあるかな」
楽観的な訳では無いが、何とかなる。いざとなったら連合政府の上位議員やらでも脅迫すれば良い。
……その気になれば、僕一人で国一つ潰せるのだから。
ニルは襟を整えて、外へと向かう。
愛しき、愛しき、無秩序と混沌の街へ。
暗い暗い地下通路。誰が作ったのか分からず、かといって何かに使用された形跡も見当たらない。一説では『連合政府』のお偉いさんが、かの混沌の街へ逃げ込む為に造ったのだとか。ただ、その「お偉いさん」本人がもうこの世にいないのだから真偽は不明だ。
そんな通路の傍ら、廃材が積み重なって壁を作りその上にブルーシートでも被せたような場所……子供が秘密基地と言って作りそうな感じの風貌をした場所があった。床には布が引かれていて、寝転がっても痛くはない。ランタンと電池式のライト、そして手回しで発電できるタイプのラジオの明かりが、廃材で囲まれた「秘密基地」の内部を照らしている。意外にもアンティークな雰囲気を醸し出しており、外見が稚拙ながらも、中は落ち着けるような明るさが保たれていた。
『……~……ており……世界的…姫を……ザザッ……た、方は…』
『………危機を……ザザーッ……投資……ザッ…現在……株価は……暴落……』
『……ザザッ……と、名乗る……ザーッ……が金額にして……を寄付し…ザーッ!』
ラジオからノイズ混じりにナレーターの声が聞こえる。
「……あ~、だーめだ。無理、電波悪すぎ~、パスっ」
必死にラジオの電波とチャンネルを合わせようとしていた少女が、遂に匙を投げてラジオを上に放り投げる。投げられたラジオはそのまま、上の方でぶら下がっているハンモックの中にホールインワンした。
「……ゔぉえッッ!!?」
「あ、『ダリ姉』ごめーん」
ハンモックの中から少女を見下ろすように人影が揺れる。最悪な寝起きだったのだろう。瞼は開き切っておらず、髪の毛はボサリとしていた。片手にラジオを持っているのを見るに、きっと彼女にクリティカルヒットしたのだろう。
「………『ディーツ』…おまえ…まじで……」
「だからごめんってー『ダリス』姉ー」
『ダリス』と呼ばれた女性は、目つきが悪く、疲れた社会人のような顔つきだった。寝不足なのか目の下にクマっぽいのも浮かんでいる。
「おまえ、前もこうやってスパナとドライバーこっちに投げたよな?……アタシを殺す気か」
「ん~、まぁちょっと?」
「……そうか、待ってろ。目が覚めたら盛大に姉妹喧嘩といこうじゃないか」
「んー、冗談だって~……ダリ姉大好き~」
「んな棒読みで許すかボケっ……あ?『ドゥルモ』はどこいった?」
ハンモックにぶら下りつつ、ダリスは探すようにあたりを見回す。
「あ~……なんか『アタイの拳が真っ赤に燃えるぅー!!』……って、どっか行った」
ディーツの言葉を聞いて、目頭を抑えるダリス。
「……今度帰ってきたらあいつに首輪つけるしかねぇーな」
「えー…?前にそうやって両手縛ってたのに千切ってどっか行っちゃったじゃん。無意味確定演出乙」
そんな中、「秘密基地」を覆っていたブルーシートがビリィッ!と破られつつ、何も考えてなさそうな声が響く。
「邪魔だーい!!っておよ。おはよー!ダリ姉!よく寝れた!?」
「………ああ、貴様のおかげで全く良い目覚めだよ」
「やったね!お小遣いちょーだい!」
「ぶっ殺すぞ」
「へ?」
割と本気でわかっていなさそうな顔を見て、再びため息をつくダリス。
「あ、そうだそうだー!これ見てこれー!」
アホの子ドゥルモが見せびらかしていたのは、ある書類のようだった。
「え~っとぉ?うに……うに…おに?」
「貸せードゥルモー、おまえ頭悪いから読めん」
「んー!ディー姉に貸してあげるー!」
素直なのか阿呆なのか、すんなり書類をディーツに手渡すドゥルモ。
「何なに~……『ユニオン・ユーティリティより依頼。世界的歌姫「ディバーナ・セイレス」の捜索及び護送』……?え、依頼主『ユニオン・ユーティリティ』ってマジ?」
『ユニオン・ユーティリティ』とは、連合政府圏の国々にまたがって活動する超々巨大企業で、主に連合政府に所属する国家のインフラ整備などを担っており、世間には『U.U』という通称で呼ばれている。また、『ユニオン・ユーティリティ』は独自の戦力を保有しており、連合政府圏の国が反乱を起こしても鎮圧できるほどの勢力を有している。
また『ユニオン・ユーティリティ』は、連合政府に敵対する個人や集団に懸賞金をかけており、実際に賞金が支払われた実績もある。その為、何でも屋や傭兵などは一攫千金を狙って賞金首を探したりもする。
「……ディーツ、続き」
「あーはいはいー、なになに~『成功報酬は金額にして2TB』ッ!?!?」
読み上げたディーツは気怠げな雰囲気から一変、膨大な金額に絶句する。
「て、TB級の賞金なんて『アントヘルズ』とか『エミィ・ララエム』以外に見た事ないわ~………」
「てらばいと?なにそれ、アルバイトの親戚?」
絶句しているディーツとは反対に、なんの話かよくわかっていないドゥルモ。
哀れみの表情を浮かべたダリスがハンモックから降りて未開封の缶ジュースを手に取る。
「……いいかドゥルモ。いくら馬鹿でも貨幣の単位は覚えておけ……ようはお金の話だ」
「お金!」
「……そうだ、この缶ジュース1本は大体100Bで買える」
「ふむ?」
「連合政府圏……あー、ここら辺のお金は全部キャッシュレスって言ってな、お金が統一されてデータになってるんだ。その表し方が『B』って言うんだ」
「なるほど!」
ドゥルモはポンッと手を打つ。おそらくキャッシュレスの意味はわかっていない。
「……もうこの際、世間常識なのは置いておくぞ……」
呆れ呆れ、ダリスは講義を続ける。
「……んで、TBってのは、お金の単位の1番上だ」
「他のBもあるの?」
「そうだ。Bの次は『KB』、その次が『MB』、次が『GB』……んで、最後に…」
「てらばいとっ!」
「……そうだ、賢い子だお前は」
ダリスの言葉に喜びつつ、ドゥルモは続ける。
「それでー、てらばいと?ってなんばいと?」
「あーー……ディーツ」
U.Uの書類を見ていたディーツは、視線を送りもせず適当に答えた。
「1個上の単位は前の単位の1000倍。だから1TBはだいたい1兆Bかなー」
「……って訳だ」
「すごーい!それで1兆Bってどれくらい?」
「あー……1Bのものを1兆個買える」
「すごーーっ!!!」
ものすごく雑な説明で満足したらしく、ドゥルモは1人で盛り上がっている。
つまり、ユニオン・ユーティリティがディバーナ捜索にかけた金額は1兆×2だ。
ディーツが絶句する金額なのも納得だろう。
諸々ひと段落した所で、ディーツが書類を見つつ続きを読む。
「……それとダリ姉、動くなら早い方が良いかも。先着って可能性もある。こんなとこまでこんなのが落ちてるって事は、目ざとい奴らはもう動いてる」
ディーツの言葉にダリスの眼光は鋭くなる。
「そうだな……そろそろこんな生活ともおサラバしたいしな」
「夢はお城で住むー!」
「……そうだな。それが出来る位の金額だ」
「んじゃ『シスターズ』稼動って訳で?」
「……愛銃の点検をしておけ」
「やったね~」
膨大な金額だ。それこそ、一生遊んでいられるような。
ダリスはチラリとディーツとドゥルモを見る。
(……もう冷たい孤児院の床なんぞ……)
過去の話。寒い寒い過去の話。2人は覚えてないかも知れないが、それでも紛れもない自分たちの過去。
(………チッ)
寝起きでナイーブになってるのだろうか。ガラにも無く、沈んだ気持ちになる。
「よーし、ダリ姉準備できたぞ~。愛銃も愛車もやる気満タンだぜ~?」
「ドゥルモ元気でーす!」
全くコイツらは……人が悩んでるってのによ。
「……ん」
乗り込み、窓を開ける。
「……で、宛はあるのか?」
ハンドルを握るディーツは、棒付きキャンディーを舐めつつ答える。
「ん~、こういう時は同業に聞くのが1番っしょー」
気のない返事の後、車は加速する。豪勢な生活を夢見て。
銃の声が鳴り止まない街で、安全に夜を越えられる場所など存在するのだろうか?答えはNO。なら探すしかない。
「……ねぇ、ここで大丈夫なの?」
「どうでしょう……自分を信じてもらうしか……」
クレイとディバーナは、とあるホテルの屋上に無断で侵入し、ネオン輝く看板の裏で身を低くしていた。
「……一夜明かすのには心許ないですが、自分が寝ずの番をしますのでご心配なく」
クレイはリボルバーを回転させて銃の調子を確かめると、何事もないようにいう。
「……そう」
ディバーナはそれ以上なにも言わず、虚な景色を映すその瞳を素直に閉じた。
「………」
しばらくしてスヤスヤと寝息が聞こえてきた。そのタイミングで、クレイは周囲の警戒を始める。
(……そこらにあった廃材を敷いただけ……寝心地はよくないだろうが、無いよりは良いか)
壁に背中をつけ、唯一この屋上に立ち入ることが出来るハシゴの方を見張る。このホテルは近くに似たような高さの建物が多い。………繁華街なのだろうか?
(……それにしても、社会情勢は今どうなっているのだろう)
記憶喪失とは言っても、常識的な知識なら脳内にまだ残っている。問題は今の情報だ。こればかりは、脳内に残った知識ではどうにもならない。何か最新の情報を手に入れられる機器があれば。
(……無線ラジオ……いや、この際ネットワーク機能のついた携帯電話でも良い。何かないか……)
周囲を見渡すが、都合良くそんなものが繁華街のホテルの屋上に落ちている訳もなく。
(まぁ、日が登ってからそちらは始めるとしよう)
ひゅうひゅうと、ビルの間を風が駆け抜けた。
「……ん」
「あぁ、目が覚めましたか」
瞳を開けると、無邪気な顔がこちらを向いていた。
「……貴方、本当に寝てないの?」
「……?えぇ、寝ずの見張りを初めてやった気がしませんね。私は従軍経験者だったんでしょうか?」
冗談か本気かわかり辛い言葉を返される。
「とりあえず動きましょう。個人的には新しい情報が欲しいので掲示板などがあればそこで……」
クレイがそこまで言いかけた時、彼の左肩に風穴が空き鮮血が飛び散った。
「………ッッ!!」
あまりに一瞬の出来事。
呆気に取られていたディバーナとは反対に、クレイは直ちにディバーナの頭部を守りながら体勢を低く保つ。そのまま床に敷いていたボロボロの布切れをちぎって肩に巻きつけて止血した。
(迂闊だったッッ!!自分は馬鹿か!?)
彼女は言っていた、私は有名人だと。そんな彼女がこんな場所にいること自体がそもそもおかしいのだ。なら、元々いた場所がどんな対応をするかなど、火を見るより明らかではないか!!
何もかも異質な街で忘れていた!最初に出会った時もそうだった!!
有名人は、それだけで金になる。
同じような高さの建物?狙撃手からすれば格好のポジションじゃないか!!
その時、再びズキンっと頭が痛む。肩の痛みと、頭の痛みで顔が歪む。
(……いや、冷静になれ。状況を整理するんだ……)
クレイの目つきは、スッと冷淡なものになる。
(……スナイパーは少なくとも1名以上。分かっている事は、最初に自分を狙ってきたという事。つまり、撃ってきた奴は彼女が狙い。殺される可能があるのは、自分だけである可能性が高い……)
とりあえず分かっている事は、狙われている事。細かい事は後回し、情報は逃げながら得る。ただし、無闇な逃走戦はただただ不利だ。逃げる方は、どこまで逃げれば勝ちなのかを明確にしてなければ終わらぬ地獄と大差ない。なにしろ撤退戦と消耗戦を同時にやるのだ。不利以外の何でもない。
再びズキンっと頭が痛む。
……構ってられるか。とにかく逃げるんだ。
「すぐに逃げましょう」
「……そうね」
今までのクレイの表情を見ていた彼女は、何か決心がついたように言葉を紡ぐ。
「ねぇ……ここまで連れて行ってくれる?」
ディバーナの差し出したそれは………
………タッチパネル式の立派な携帯電話だった。
「……端末、持ってたんですね」
オープンカーで風をきる。助手席でダリスはすぐ画面ボケするPC相手に何かのサイトを開いていた。四苦八苦しているダリスの様子を察したのか、気怠げに運転しているディーツが茶化すように話しかける。
「ダリ姉~、そんなオンボロ持ってきたの~?一番まともなラジオすらあのザマなのに~?」
「……うるさい。アタシらの同業が書き込むサイトなんてそんなに無いし、オンボロでも情報掴まないとダメだろ……ってあーもー動けや!!」
痺れを切らしたダリスがPCの側面を殴りつけると、ジジ…っという音のあと、画面が鮮明に映る。
「あ、直った」
「ダリ姉すごいじゃ~ん」
「まぁ最初から動いて欲しいもんだが……ん?」
「どうしたダリ姉~、怪訝な顔して~」
「お前は前見て運転しろ」
ディーツはへいへいと気怠げに返事をしたあと、タバコを咥えるような感覚で棒付きキャンディーを再び咥える。
「……繁華街のホテルでディバーナを見たんだと……不味いな、かなりの数が動いてやがる……」
「それさ~どこ情報~?」
「書き込みサイトだ、傭兵とか何でも屋専用のな。……しかし、ここまでの規模の依頼だとヤツも動いてるか……?」
「ダリ姉、ヤツって『レッド・チャリオット』の事~?ないない、無いっしょ」
「なんでそこまで言い切れる?」
ダリスが怪訝な顔をする横で、タハハと笑いつつディーツが応える。
「『レッド・チャリオット』ってなんか受ける依頼に拘りがあるっぽいんだよね。金銭的なものに関心が無いみたいな。それに、あのレベルが出張ってきたら、サイトの書き込みが止まらなくなってサーバーパンクするぐらいにはなってるだろうし~?」
「……そう言われたらそうかもな……ん?」
ダリスはPCに浮かび上がった新たな書き込みに目を凝らす。
「……あん?『ホテルの看板下でディバーナ・セイレス発見!何やら護衛っぽい男と二人だった』だとさ。書き込み者は……あ?『スコープより愛を込めて』……?」
「込めてあんのは殺意だろ~」
ディーツは至極真っ当なツッコミを入れつつ、続ける。
「まぁ、書き込んでるってことは失敗したんだろうな~狙撃」
もし成功してるならば、護衛など気にせずディバーナ・セイレスを連れ去るだけで良いのだ。まぁ、この手の輩は誰かしらが依頼を成功させた時に『あの時情報を~』とか言い出してハイエナをするような連中だろう。
「あ、画面消えた」
ダリスがボソッと呟く。
「ま~ダリ姉が叩いたから寿命迎えたんだろ~ね。死ぬ寸前にはっきり映ったのは、死戦期呼吸的な~?ハハ~」
愉快そうに笑うディーツは、アクセルを踏んで加速する。
とりあえず一騒ぎあったらしいホテルについた。車から降りるとホテルにズカズカと踏み込んでいく。
フロントに入ると、ダリスが何の躊躇いもなく問いかける。
「なぁ、ここでディバーナ・セイレス見てない?」
「……またそれか、流行ってるのか?」
「聞いてるのはこっちだよ~?おじさ~ん?」
ディーツが冷やかすように続けるが、スキンヘッドにサングラスのフロアマスターらしき男は、うんざりした様子で答える。
「……帰んな。同じ事をもう何回も聞かれて飽き飽きしてんだ」
「………」
なるほど、伊達にこの街でホテルのフロアマスターしてないって訳だ。肝が座っている。こういう人間を下手に殺すと、ここをたまり場にしてる連中に目をつけられる可能性もある。それに叩いても響かなそうな奴を相手にするのは面倒だ。
まぁ、実際本当に知らない可能性もあるし。
「あぁー、ほんとに知らねぇって顔だ」
「冷やかしなら帰ってくれ。泊まっていくなら、モーニングにコーヒーか紅茶か選ばせてやる」
「悪ぃが朝にカフェインは控えてんでね」
「……フン」
フロアマスターは目線を下に映すと、宿泊客の名簿を確認し始めた。棒付きのキャンディーを口から出し入れしつつ、ディーツは続ける。
「えーどうするダリ姉~?」
「そうだな……」
ダリスはチラリと横目で、先ほどからこちらを伺ってきていた一人の男の方を見る。そのままそちらに向かうと、壁ドンの要領で男を詰めた。
「それじゃー同業者に聞くしか無ねぇなぁ」
「な、なんだおまっ……」
言った途端に、右手の指が変な方向に曲がった。
「ぎゃっ!?!?」
彼の指をへし折ったものはヒュルンヒュルンと、ダリスの手に握られていた。それは蛇のようにしなる鞭だった。
「あ~、早いとこ喋んなよ~?ダリ姉は時間かかると怒るから~」
「な……お前ら同業にこんなこと……」
言葉を遮るように、ディーツが続ける。
「アンタどうせハイエナ野郎でしょ?『同業だ~』って理由で手を出されないとか思ってる訳~?」
「こ、こんな事しやがって……お前らいつか……」
言い終わる前にゴチャッッ!!っと顔面が歪む。どうやらダリスのブーツが男の顔面にキスをしたようだ。
「はやく言えよ。どうせ情報屋気取って金でも取ろうとしてたんだろ?……ハイエナ野郎が」
「あ~あ~……ほら~、速く言わないからダリ姉怒り始めたよ~?」
「………お、ゴフッ……ガハッ…」
「……まだ口割らねぇのは褒めてやるよ。おいドゥルモ」
そばでポケ~っと座っていたドゥルモが、トテトテと近寄る。
「こいつ、殴っていいぞ。顔意外な」
「え!ほんと!?」
「……お……おい……やめ……」
ヌッと正面に立ったドゥルモは、眩しいほどの満面の笑みで腕を振り上げる。
………メリケンサックを装備した腕を。
「と……とまる……」
絞り出すように男が呟く。羽虫のようにか細い声だった。
「……?」
その言葉に何の意味があったのか。いいや、特に意味も価値も無い。
………それが、このホテル以外の場所ならば。
「アレェ?」
振りかぶったドゥルモの拳は、男の顔面スレスレで止まっていた。
「……あら」
「……は?」
なんと先ほどのフロアマスターが、男の目の前に立ちはだかり拳を受け止めていた。
「……おい、どういうつもりだおっさん」
ダリスのイラついた言葉に、スキンヘッドのフロアマスターは事務的な言葉を彼女に配達した。
「そこの男は『泊まる』と言った。ならば客だ、『他のお客様のご迷惑になる行為はお控えください』。理解したか?」
ドゥルモの拳を弾くと、フロアマスターはスッと応戦の構えを取る。
「……ダリ姉、撃つ?」
ディーツが銃口を向けるが、フロアマスターは動じない。
「無駄だ。命の危機などトランプの数より乗り越えてきた」
「凄むなよ。3対1なのは変わってねーんだよフロアマスター?」
「だから何だ。俺にとっては『一名様ご案内』の方が重要だ」
空気がひりついた。
「へぇ……仕事熱心なもんだな!!」
ダリスが蛇のようにしなる鞭を振るうが、スキンヘッドのフロアマスターはそれを掴んだ。
「チッ!」
ダリスの鞭が掴まれたのを見て、ディーツが拳銃を構えるが、フロアマスターは落ち着き払って指をさした。
「無駄だ。脅すならセーフティを外してからやるべきだレディ」
「はぁ?そんな訳……」
ディーツが一瞬目を離すと、銃口にボールペンが刺さった。
「はぁ!?」
「うおー!ドゥルモパーンチ!」
フロアマスターにドゥルモが殴りかかるが、ヒラリとかわされる。ドゥルモの拳が命中した床はヒビが入り穴が空いた。
「抜けない~!!」
床下とお遊戯しているドゥルモにフロアマスターの拳が迫る……
「地下道だッッ!!」
ビタリと、フロアマスターの拳が止まった。見ると、先ほどダリスが痛めつけた男が叫んだようだった。
「……みんな、地下道に向かった……もういいだろ……もう、たくさんだ……」
ダリスはしばらく男の方を睨んでいたが、ため息をついて踵を返す。
「……はぁ……ディーツ、車のエンジンかけろ。行くぞ」
「え、いいのダリ姉?」
「これ以上時間食われる訳にもいかねぇだろ。いくぞ」
「ん、わかったよ」
「はーい!」
嵐のような三姉妹が去ると、フロアマスターは男を立ち上がらせる。
「あ、ありがとう……」
「気にするな。お客様の安全を守るのが俺の仕事だ」
スキンヘッドのフロアマスターは、フロントに戻ると部屋の鍵を男に渡す。
「あぁそうだ」
「……な、何だ」
身構えた男に、フロアマスターは事務的な言葉を届ける。
「モーニングはコーヒーと紅茶、どっちが良い?」
彼女が提示した場所は、ここから結構離れた場所だった。なんでも「決心がついた」との事で。
「……地下道、ですか」
「えぇ、こっちから行けるわ」
「………」
なんでそんな事知ってるのだろうか……
さて、ここからは記憶を頼りに向かっていくしかない。ディバーナが持っていた携帯電話はGPSが付いていると場所を逆探知で特定されかねないので、あのホテルに分解して置いてきた。
一瞬だけSNSを開き、新鮮な情報を確認した。「ディバーナ・セイレス失踪!」というワードがトレンドに上がっていたが、それよりも話題になっていたのが、とある国の『生物兵器』製作疑惑だった。
世間の話題はそちらに攫われているのだろうが、撃たれた事を鑑みるに彼女を狙う連中はまだ動いているだろう。
ディバーナの提示した場所を座標で覚えたクレイは、地下道を先行しつつ人影を警戒しながら先を急ぐ。あの彼女が、そこまで連れて行って欲しいと言ったのだ。おそらく逃げ切る算段か、保護される策があるのだろう。
水滴が落ちる音にも反応してしまうほど、神経は張り詰めている。
「あの……その場所というのは、どなたか知り合いが……?」
「……えぇ、そうね。強い人たちがいるの」
「そ、そうですか」
会話で少し緊張がほぐれたが、気を抜いてはいけない。
……そう、気を抜いたつもりはなかったのだ。
妙な風切り音が聞こえるまでは。
「……ッ!!」
首を全速で横に振って、弾丸がギリギリ頬を掠った。
「……っ…逃げましょう!」
ディバーナの手を引いて、頭の中でルートを作る。
地下道だが、複雑な迷路のようになっているのが助かった。……この街地下道多くないか?目が覚めた時も地下の一室っぽかったし。
そんな間抜けな考えを巡らせていたら、今度は目の前に黒衣を装備した暗殺者のような男が現れた。
「見つけたァ!!」
男は宝くじが当たったかのように叫んだ。こっちからすれば貧乏くじだ!
(……落ち着け、右手に黒塗りのナイフ、左手にはおそらく投擲用のナイフ…ぬめりのある光……塗料は恐らく即効性の毒!!)
クレイは思考回路を駆け巡らせながら、ディバーナを後手に下げてリボルバーを構える。
(……焦るな、興奮状態の相手、警戒すべきは利き手の大振り!!)
黒衣の男は右手にある黒塗りのナイフで刺突してくる。クレイはその腕をリボルバーを構えた方の腕でいなし、手の平を撃ち抜いた。
「グアァァッッッ!?」
カランッと乾いた金属音から察するに、右手を押さえてうずくまったのだろう。左手に持っていた投げナイフもこれで警戒しなくて済む。うずくまった黒衣の頭に蹴りを入れ失神させ、先を急ぐ。
「もう少しです!」
「……えぇ」
クレイとディバーナの足音が地下道に響く。何度か接敵したが、何とか近接戦闘で対処できる範囲の相手ばかりだったのが救いだ。あと少し、あと少しでこの先の通路を通って地上に出れる!地上に出れば何かとやりようがあるはず……
………そして
「ほ~らねダリ姉~、待っといてよかったでしょ~?」
「……待たされんのは嫌いなんだ。知ってるだろディーツ」
「ドゥルモ元気でーす!」
……そして、三姉妹が、金蔓を掴みにきた。
ディバーナを庇いつつ、クレイは前に出る。
「……っ……誰かは知りませんが、通してください」
すると棒付きキャンディーを咥えつつ、ディーツが答える。
「ん~、こっちも稼業でさ~『はいそうですか』って通せないんだよね~」
「……用があるのはそっちのお嬢さんだけだ。今退けば見逃してあげれるぞ?ボーイ」
ダリスは気だるげに答える。
「時間はないぞ~ボディーガード君、君たちを追って後ろからも同業者が来てるし~」
「……くっ」
クレイがリボルバーを構えるが、それをディーツのライフルが捉える。
「痛ッッ!?」
弾かれたリボルバーは、カランと無慈悲な音を立てながら地面に落ちる。
「あ~、あんまり時間かけない方が良いよ~?ウチのダリ姉は時間かかると怒るから~」
「……次はねぇぞボーイ、もう一度だけ言ってやる。そこをどきな」
「……ッッ」
……時間はない。いつ追っ手が追いつくかも分からない。
脳が焼き切れんばかりに思考回路を回すクレイに痺れを切らしたのか、ダリスが暇そうにしていたドゥルモに指示を飛ばす。
「……チッ、おいドゥルモ。アイツ殴っていいぞ」
「あ、ホントに!?」
ハツラツとした声とは裏腹に、手にはメリケンサックを装備していた。表情と状況にこれほどギャップがあるとこんなにも恐ろしいものなのか。
(………な、何かないのか……何かッ!!)
何か、何か………何か……ッッ!!!
そして、ドゥルモの大きく振りかぶったメリケンサックがクレイの顔面を………
……捉えなかった。
《助太刀致す》
「……!?」
「ん!?だれえ!?」
クレイの目の前に現れ、ドゥルモの拳を止めたのは………
全身を古風な武装で固めた、剣士のような人物だった。
《……多勢に無勢と察し申した。外道を行けど、我が士道。誇り未だ失わず》
兜で籠った声が響く。声からして男性だ。
車で待機していた二人も、不足の事態に取り乱す。
「なんだァ?あの鬼の形相は?おい!ディーツ?」
「いや~、知らんし。護衛一人じゃねぇ~のかよっ…」
「いや、誰だって良い!体力脳筋バカのドゥルモが力負けする訳ねぇんだ。ドゥルモ!やっちまえ!」
興奮気味のダリスとは反対に、ディーツはどこか冷静な目で突然現れた古風な武装の男を観察する。
(……あの変わった外装……あの仮面……どっかで……)
目の前の古風な武装の男……いや、あの特殊な形状の剣は見覚えがある……確かあれは……
クレイ・リボルは脳内に残った記憶を探り当てる。そして、結果に行き着いた時自然と口に出ていた。
「『日本刀』………じゃ、じゃあまさか……」
目の前にいるのは……目の前にいるあのデーモンフェイスは……
『陽ノ本皇国』の戦闘民族『サムライ』!?
ドゥルモがメリケンサックを振りかぶるが、その隙を付いて古風な武装の男はみぞおちを殴打し、ついで首筋に一撃入れ、失神させる。
《無益な殺生はせぬ故、手刀にて御免》
「あッッ!?思い出した!!!」
いつもダウナーなディーツが突然叫ぶ。
「突然叫ぶなディーツ……耳が……」
「ダリ姉!すぐあのアホを回収して!早く!!」
「あー?なんでだ、目の前に賞金が……」
「そんな事言ってる場合じゃないって……あ、アイツ……」
ディーツは震える指で古風な武装の男を指す。
「あ、『アントヘルズ』の『トカゲ』だッッ!死ぬ!死ぬて!!」
「な!?そ、そういうことは早く言え!!」
「今言った!!」
ダリスは鞭でドゥルモを引き寄せると、車に押し入れてすぐさま方向転換して逃げ始める。その様子を見ていたサムライは、日本刀を納刀し、こちらに向き直った。
《……大事無いか?》
機械音声のように聞こえるが、鎧兜と鬼の形相の仮面で声が籠っているようだった。
「……あ、えっと……」
言葉に詰まってしまったが、先ほどの三姉妹の言葉を唐突に思い出す。
「あ!そ、そういえばう、後ろから他の傭兵たちが!?」
振り返るが、誰一人として後を追って来ていない。
「……あれ…」
先ほどの姉妹たちの言い方から察するに、追っ手はかなり来ている筈なのだが……後ろの地下道は不気味なほど静まり返っている。すると、その暗闇からカツン……カツン……と足音が響いてくる。やけに心地良い音だ。
そんな事を考えていると、暗闇から一つしなやかな影が伸びる。
怪しげで独特な色の瞳、ディバーナとはまた違う、怪しげな眼をした淑女だった。彼女の顔を見ていると、その艶やかな唇がゆっくりと開く。
「あら……見惚れちゃダメよ?」
目の前に居たはずなのに、気がつけば耳元に吐息が当たっていた。驚いて振り返るが、そこに女性の姿は無く、周囲を見渡してもどこにもいなかった。
慌てるクレイに、見兼ねた鬼の形相は言葉を落とす。
《お戯れはその辺に。ミラージュ殿》
その言葉が聞こえた途端、クレイは後ろから両目を塞がれる。
「ッッ!?」
「ゴメンナサイね、可愛かったから」
バッと振り返ると、今度こそあの女性を目視することができた。その女性はタロットカードや水晶玉を持っているようで、手元で手品のように遊ばせていた。驚いたのは『ミラージュ』と呼ばれた女性の格好だ。先ほどは気が付かなかったが、黒いランジェリーに同じ柄のタイツと肘まで丈のある手套、そしてシックなネイビーブルーのヴェールを纏っただけの格好だったのだ。
……もう全裸の方が逆に健全かも知れない。露出狂もびっくりだろう。
「と、とりあえず助けて頂いてありがとうございます……それで、貴方たちは?」
さりげなくリボルバーを拾い上げ、ディバーナを庇いつつ銃口を向けようとするが、その手を『サムライ』であろう男に掴まれてしまった。
《敵対行動は控えられよ。貴殿の為でも有る。もし此方達と相対するのであれば、斬るしか無くなる。控えられよ》
「……わかりました」
素直にリボルバーをしまう。
「それで、貴方たちは一体何者なのです?後ろから来ていた追っ手は?なぜ助けてくれたのですか?」
吹き出した疑問を矢継ぎ早に投げつけるクレイの唇に、そっと人差し指が添えられる。
「慌てないの。答えてあげるから……でも、その前に」
ミラージュはふわりとヴェールをなびかせ、こちらに向く。
……その挙動を目で追っていた。その筈だ。視線は動かさなかった。
「念の為、場所だけ変えましょうか」
気が付けば背後に回られていた。クレイはミラージュの柔らかな体に抱き寄せられ、フワッと口元にその手套を当てられる。瞬間、意識と脳が思考を止め、全身が脱力し、心は強烈な睡魔に支配された。夢と現実の境があやふやになっていく。
クレイは甘い香りの中必死に抗っていたが、ミラージュが耳元で何かを囁いた途端、抵抗虚しく彼の意識は深く深く落ちていった。
「……んグゥ?」
「……起きたかドゥルモ」
揺れる車体で、ドゥルモが目を覚ます。
「はれぇ……?あのヘンなカッコしたやつはー?」
「あ~、強すぎて相手にできないから逃げた」
ディーツは飴を口に入れながらモニョモニョと答える。
「じゃあおうち帰る?」
「そ」
「んじゃあもうちょっとドゥルモ寝てるー」
「あぁ、ゆっくり寝てろ」
ダリスの膝で、再びドゥルモが瞼を閉じる。すると、数秒もしないうちに寝息が聞こえてきた。
「……久々に出てきてボロい儲けかと思ったら『アントヘルズ』とか……ついてねぇな」
「しょーがないじゃんダリ姉。しかも相手は『アントヘルズ』の中でも力で言えばNo.2の猛者っていうか、一種の化け物だし」
しかし、ドゥルモが殺されなかった事を考えると、無闇やたらに人を襲うような連中では無いらしい。組織がそうなのか、「トカゲ」本人がそうなのかは分からないが。
「……あ~、今日の夕飯どうするダリ姉~。結局収穫なしだぜ~?」
ディーツの言葉に、少し悩むそぶりを見せたダリスは、苦渋の決断をする時の顔をしていた。
「……おい、小銭はいくらある?」
「あー……ちょっとだけならまだあるぜー?いっても300Bしかないんじゃあ、インスタント2つぐらいしか買えんけど」
「……いや、電話ボックスを見かけたら止まってくれ」
「……?わかったー」
ダリスは懐から一枚の便箋を取り出す。そこには達筆でとある電話番号が書かれており、右端にはキスマークがついていた。
電話ボックスに着くと、ダリスは受話器を持ち上げ番号を打ち込む。通話時間は限られている。出来るだけ効率よく伝えなければ。
2、3コール後に、艶やかな声が響く。
『はぁい?どなたかしら?』
この声を聞くたびにイラッとするが、今はそれどころでは無い。
「……あ、アタシだ……ダリスだ……」
名乗った途端、受話器越しの声はとても愉快そうにトーンが上がる。
『あらぁ~?『シスターズ』のご長女様じゃないのー?どうしたの~?ついこの間までは「覚えておけよ~」な~んて言ってたのにぃ』
ケラケラと小馬鹿にしたような声が鼓膜を揺らす。額に青筋が浮かびそうだ。
「……仕事を……回してくれないか……」
『え~、でもお姉さんが手渡した便箋「いらね~破いてやるぅ~」な~んて言ってなかったかしら~?』
「んぐっ……お前ぇ…アタシが下手に出てりゃあ……」
ググ……と受話器を握る手に力が入る。
『あらいいの~?お姉さんこのまま通話ボタン押しちゃってもいいのよ~?』
「ぐっ…わ、わかった。お願いだ……この通り……」
ひとしきり揶揄ったので気が済んだのか、相手は軽快に答える。
『そこまでお願いされちゃあ断れないわねぇ~、あぁ~お姉さん人望あって困っちゃうわぁ~♡』
殺意が湧いてくるが、ここでアイツが通話ボタンを押したら全て終わりだ……堪えなければ。
『じゃあ、お姉さんと貴方たちが出会ったあの建物で会いましょう。仕方がないから紹介してあげるわ。あ、お姉さん達より遅かったら帰っちゃうから~急いでね~』
ガチャリと受話器を下ろした後に、電話ボックスの扉を蹴り飛ばして出る。
「おー、ダリ姉お帰り~、次は~?」
「……この街を出る、行き先はその後教える」
「おー、わかったー」
シスターズの車は、混沌と無秩序蔓延る街に踵を向けた。
電話越しにガチャンッ!っと乱暴に受話器を降ろす音が聞こえたので、相当頭に来てるのだろう。
最新式の携帯をテーブルに置き、バスルームから出る。まだ少し濡れている髪のせいか、肌から立ち昇る湯気のせいか、その女性の色気はいつもより増しているように見える。
「あ、ローズ……お風呂の中でなにかお話してた?」
「あら、聞こえちゃってた?」
「うん、なんか楽しそうだったね」
「そーなのよ~、可愛い三姉妹ちゃんが電話をかけてきてね~」
「えーっと……ごめん、覚えてないや」
「いいのよクローバー。それよりごめんなさい、この後仕事ができちゃったから、出かける用意をしてくれるかしら?」
「うん、わかった」
クローバーはのっそり立ち上がると、収納バックを腰裏に装備する。
向こうからすれば気に入らない相手に連絡をとってきたのだ。余程切羽詰まっているか、仕事で失敗したとかなのだろう。仕事の斡旋は正直言って紹介する側にもされる側にも得が無い。こういう事を同業者同士でやってしまえば、それは自分たちの名前を下げるような行為にも等しい。
紹介した側が上であり、紹介された側は下であると格付けがされてしまう。
逆に仕事を回した方は純粋に自分たちの稼ぎが少なくなるのだ。故に、余程のことじゃないと他者に泣きつくような行為はできないし、仕事を回してやるなどもっての外だ。
「まぁでも、可愛いからつい構っちゃうのよね」
サイドカーにクローバーを乗せ、ローズはいつものように相棒に跨り加速する。
次会った時はどうやって揶揄おうか、ローズは悪いお姉さんの顔になっていた。
目が覚めると、何故かランジェリー姿のお姉さんに膝枕されていた。
「あら?気がついたのね」
急いで上体を起こそうとすると、抱き抱えられるように寝転がされ、頭を撫でられる。
「焦らないでいいのよ。貴方が連れてたコは無事だから」
寝ている状態から目だけを動かすと、『サムライ』であろう男のそばにディバーナが立っていた。
「ね?大丈夫、大丈夫よ」
「……えぇと、それは分かりましたから、とにかく離して頂けますか?」
クレイがそういうと、「あら、ザンネン」と何故か寂しそうに解放してくれた。
「それで……色々と聞きたいのですが……」
姿勢を正し、辺りを見回す。どうやらとある建物の一室のようだった。
「えぇ、いいわよ。じゃあ~何から聞きたいのかしら?」
ランジェリー姿の女性は、どこからか水晶とタロットカードを取り出し手元で遊ばせ始める。
「貴女と……そこの『サムライ』のような武装の方……貴方達は何者なのですか?」
《ほう……此方の正体を一目で見破った者は久しいな》
サムライの言葉に続くように女性が答える。
「そうねぇ……『アントヘルズ』って言葉は知ってるかしら?」
「……いいえ。先ほど三姉妹から聞くまでは心当たりが」
「あら、意外と知らない人もいるのね」
女性はちょっとだけ驚きの表情を浮かべる。
「そうね、私は『ミラージュ』、そこにいる剣士は『トカゲ』ちゃんよ」
《その呼び方は控えられよ。ミラージュ殿》
ゴメンナサイね、とウィンクで伝えつつミラージュは話を続ける。
「私たちは、『アントヘルズ』っていう組織に属しているの。その任務で近くにいたら、君が襲われているのが見えて、トカゲちゃんが飛び出して行ったのよね」
手套をつけた腕を口元に当ててウフフと笑うミラージュ。
「……では2つ目の質問です。あの時、自分たちの後には追手が迫ってきていた筈です。ですが、来たのは彼等では無く貴女だった。追手はどうしたのですか?」
「あぁ~、あの人たちは今頃み~んな迷子になってるわぁ~」
「……はい?」
「ちょっと難しいんだけど……そうね、錯覚のようなもの……と言っておくわ」
「錯覚?」
「えぇ」
ミラージュは微笑むと、目の前に一つのタロットを取り出して見せてきた。
「これは今貴方の目の前にあるでしょう?」
「……?はい」
すると次の瞬間、ミラージュの手にあったカードはフッと消える。
「……ッ!?」
「でも、実は貴方の後ろにあったり」
バッと振り返ると、本当にあのカードが自分の後ろに置いてあった。
「人は見たいものしか見えない。見えてなければ無いのと同じ」
ミラージュは上品に笑うと、クレイにそのミステリアスな瞳を向ける。
「まぁ~こんな感じね。これは私の得意技なの~、騙し絵とかそんなものだと思ってくれると分かりやすいかもしれないわ~」
「………」
つまり、錯覚や死角などを巧みに用いる技術を有しているのだろう。そんな力を使われては、ただでさえわかり辛い地下の通路など、迷宮と何ら変わらないものになってしまう。追手が来なかったのも、ミラージュがこの力を振るった為だろう。
……しかし、目で追っていても見失う程の力。視線の誘導など色々あるのだろうが……
敵に回すと厄介極まりない力ではある。今の所、敵意は感じないが。
「じゃあ今度は私が聞くわね~。君はどうして追われているのかしら?」
ミラージュの怪しげな瞳に捕捉され、息を呑む。本能的に感じた。彼女に嘘は通用しない。
「……実は、そこの女性を約束の場所まで連れて行く……という約束をしていて」
「ふぅん?もう一つ聞かせて?貴方達はどんな関係なの?」
ヴェールの内側から、誘うような声色が耳を撫でる。
「ぐ、偶然知り合った仲です」
クレイの言葉に一瞬怪訝な顔をするが、すぐにあの穏やかな顔つきに戻った。
「へぇ?どうやら嘘じゃあ無いみたいね~?それにしても偶然会った子のお守り……フフっ……あぁゴメンナサイ?馬鹿にしてるんじゃ無いのよ?純粋というかお人好しというか」
何故かミラージュは嬉しそうに微笑む。
「いいわねぇ~ボーイミーツガール。ねぇトカゲちゃん、この子達送り届けてみない?」
ディバーナを見張るように立っていたトカゲは、ガチャリと風変わりな甲冑を鳴らしてこちらに向き直る。
《此方は構わぬ。だが良いのか?縁は縁だが、素性が分からぬ者に変わりはない》
「そこは大丈夫よぉ~。彼、彼女に危害が及ぶような行動は取らないと思うわ~」
《……ならば構わぬ》
そう呟くと、トカゲはクレイの目の前に立ち、腰に装着していた巨大な日本刀を鞘ごとガシャンッ!と突き立てた。
《暫し、貴殿の為に刀を振るおう。先祖代々の名にかけて貴殿を守る》
「あ、ありがとう……ございます?」
「あぁ~、ゴメンナサイね。彼、ちょっと義理堅いというか礼儀作法を物凄く大事にしてるのよ~」
困惑気味のクレイの肩に手を置き、耳元で囁くミラージュ。フワッと甘い香りに撫でられ、一瞬力が抜ける。
「それじゃあ行きましょうか」
ディバーナとの出会いは偶然で、成り行きに任せてここまできた。図らずとも心強い援軍も得られた。もうここまで来たのだ。
クレイはディバーナの手を握り、力強く言葉を紡ぐ。
「絶対、送り届けますから」
その言葉に、ディバーナはほんの少しだけ表情を緩ませた。
「飽きた」
「我慢しろ」
「てかさー、何で毎回こういう役目回される訳~?」
「ニル様直々の命です。名誉ある事でしょう」
「じゃあオトギリとネメシスでいいじゃん」
つまらなそうにフーセンガムを膨らますアマネは、メイド服をパタパタさせながら座り込んでいる。
「もういいや、そこら辺行ってくる~。もし戻る前に合流したんなら連絡くれー。頼んだぞネメシス~」
持ち場を離れようとするアマネに対し、オトギリが咎めるような口調で制止する。
「アマネさん、貴女ほどの方と言えど勝手な行動は許されませんよ。これはニル様から直々の……」
言いかけた途端に、アマネが持っている日本刀の鞘が、オトギリの喉元に当たる。
「それ以上言ってみな。それが最後になるぜ?」
「………ッッ……」
オトギリはごくりと喉を鳴らすことしかできない。
「………そのくらいにしておけ」
ネメシスが鞘を掴んでオトギリの喉から離す。同時に硬直していた空気も少し和らいだ。
「好きにしろ」
「んー、ネメシスは話がわかる奴だなー」
そのまま手を振ってどこかへと行ってしまうアマネ。影が見えなくなった頃にオトギリがネメシスに話しかける。
「行かせてしまって良いのですか?不足の事態に備えて、貴方やアマネさんのような強力な人材を配備したのでは?」
ネメシスはキュッとグローブを付け直すと、低く声を響す。
「……察してやれオトギリ。お前の祖国とアマネは小さくない因縁がある。Lostsのメンバーは過去資料を廃棄される……だが、何となく察しはつく。お前と一緒にいて思うところがあるのだろう」
「………」
オトギリも理解したのか、無言で俯いた。
「それにだ」
ググッとグローブを付け直し、キュッとネクタイを締め直すと、ネメシスは堂々言い放つ。
「『不足の事態』など起こらん。ここには俺がいる」
目的地に近付いたのだろう。何となく彼女の歩む足が緩やかになっている。
「……そろそろ着きますかね」
「……」
彼女は特に答えない。それでも良い、何となく表情で分かる。
……この儚げな彼女の横顔も、これで見納めだと思うとちょっとだけ寂しいが。
「……あの…」
クレイが言葉を発そうとした途端、ガチャリガチャリと鳴っていたトカゲの足音が突然止まる。
《………》
風変わりな武装の男の前に、色付きのサングラスを付け、フーセンガムを膨らましたメイド服の女性が立っていた。
「……あ?」
女性がクイッとサングラスを持ち上げて、トカゲを睨みつける。
……その表情は、殺意と憎悪に満ち溢れていた。
瞬間、トカゲは腰から日本刀を引き抜き、クレイ達を庇うように前に出る。
《……ミラージュ殿、先に行かれよ》
「……トカゲちゃん、彼女は?」
《……知らぬ、だが感じる。此方と同郷の者だ。急がれよ》
トカゲが言い終わると、メイド服は目にも止まらぬ速さでトカゲに斬りかかった。それを大太刀で受け止めると、わざと力を込めてクレイ達と反対方向に弾き飛ばす。
《行かれよ!!》
「で、でもっ!」
「トカゲちゃんなら大丈夫、急ぎましょう」
ミラージュに手を引かれながら、その場を離脱するクレイとディバーナ。それを横目で見ていたメイド服は、サングラスの位置を直すと、噛んでいたガムをプッと吐き出した。
「………テメェ何者だァ?」
いつもと違い、殺気をギラつかせながら睨むアマネ。
《……貴殿こそ何者だ。姿形は違えど、此方と同じ空気を感じる》
「………」
アマネは納刀すると、ふーっと息を吐いて続ける。
「 繝?Γ繧ァ縲√%縺ョ險?闡峨′蛻?°繧九°?」
アマネの発したそれは、あまりにも音が流暢で複雑なものだった。これが言語であると知っていなければ、暗号と大差ない難易度だろう。
だが、トカゲにはその言葉がハッキリとわかったらしい。確信めいた声で続けた。
《成程、今しがた確信した。『皇国言語』を操るとすれば、貴殿「混ざり者」だな?》
その言葉を聞いた途端、アマネの額にビキリと血管が浮かぶ。
「テメェ、この野郎。イカれた戦闘民族が……」
《ならば、此方も出自を明かすのが礼儀か》
トカゲは納刀すると手甲についた模様を見せる。
「……お、まえ……『多楼門』の一族かッッ!!」
《その名はとうに捨てている。今は『トカゲ』……道を外した一人の剣士だ》
ひゅうと風が鳴き、お互いは抜刀する。
《………》
「………」
日本刀を持つ二人の剣士は、静かに……だが痺れるほどの殺気と剣気を纏い……
殺し合いを始めた。
「……ったく、出口どこだよ……」
「ここ、こんなに入り組んでたっけかぁ……?」
クレイ達が脱出した地下道、その中には後を追っていた賞金目的の連中が、絶賛迷子中だった。
「なんかあれだよな……下着姿の女が見えたと思って二度見したら、知らん通路に出てたんだよな……」
「あぁ、それな……な~んかどっかで見た事あるような気がするんだよな~あの女……」
「いい体してたよなぁ……ヒヒっ…」
「………おい、なんか聞こえないか?」
「あん?」
耳を澄ますと、確かに何か金属質な音が連続で聞こえる。
次の瞬間には無数の瓦礫と共に、古風な甲冑の男とメイド服の女が鍔迫り合いをしながら飛んできた。
「はぁっ!?」
「ブベッ!?」
飛んできた瓦礫に潰されるものや、殺し合っている二人の斬撃に巻き込まれる者が続出。地下道は一瞬でただの迷宮から地獄の迷宮へと変わり果ててしまった。
人の流れなど全く関係無しに、2人の剣士は閃光を撒き散らす。
そんな中、アマネは逃げ遅れていた太り気味の男を蹴り飛ばす。
「邪魔だ肉団子!!」
「おごっ!?」
《その程度の肉壁で、此方の太刀筋は止まらぬッッ!》
「ぎゃあぁぁぁっっっ!!」
太り気味の男を足蹴にしたアマネだったが、トカゲはその男ごと両断した。
「な、なんだこいつら!やべぇ!逃げるぞ!!」
「じゃあ出口どこだよっ!!さっさと、ぎゃっ」
喋っていた男の顔が、上から半分なくなった。
(………チッ、流石大太刀と全身甲冑で武装したサムライってことかよ。メンドクセェ)
世界最古の国家『陽ノ本皇国』。その国の戦闘民族たる『サムライ』は、古来より身を守る「盾」を持たない。何故なら、その身に纏っている甲冑で敵の攻撃を全て受け切る為である。
(それにあの『トカゲ』とかいう奴が装備してんのは「大鎧」だ……あー、あー、格式たけぇ御家だこと。クソ喰らえ)
そんな事を考えながら、逃げ惑う賞金稼ぎ達を鬱陶しく見ていると、その体が4つ5つ程さっぱり真横に両断される。
「……化け物が……」
血飛沫の中から、鬼の形相が大太刀引っ提げてやってきた。
《邪魔だ。無益な殺生はせぬが、しがらみと成るのであれば片端より撫で斬りぞ》
「う、うわぁぁぁぁぁッッ!」
人の流れが激流と化す。
「……ハァ~……」
アマネはガシガシと頭をかくと、メイド服の裾を持ち上げる。その中から、ボトリボトリと手榴弾が産まれてきた。アマネはそれを一斉に蹴り飛ばすと、人の流れの中へ投じる。
「爆死あそばせ~」
……閃き、爆散した。
「冥土へ団体様ごあんなーい……ってか?メイドだけに」
人の流れは止まり、そのほとんどが地べたに付着した肉片か、呻く肉塊となった。
《……ふむ、火薬か》
「ったく、これだから戦闘民族はよぉ……」
プク~っと膨らませたフーセンガムを、口の中でパチンと割る。あの爆発でも、どうやらサムライは無傷らしい。
「……あの国の連中見ると条件反射で殺したくなるんだよ、髪の色見りゃ分かるだろ?」
色付きサングラスの位置を直しながら言葉を紡ぐアマネ。
《……その武器、そしてその髪の色。全てとは行かなくとも、事情は大方理解出来る》
トカゲは返り血のついた大太刀を、懐から出した紙で拭う。
「……はぁ、テメェとは決着を付けたかったが……」
アマネは懐から携帯を取り出した。何かメッセージが来ていたのか、それを確認すると続ける。
「……時間だ」
言うや否や、アマネは横薙ぎに地下道の支柱を数本切断する。支柱はまとめて砕け、余波で飛んだ瓦礫が別の支柱へぶつかり、そして次の支柱もへし折られるという始末。だるま落としとドミノを建造物レベルでやっているような大惨事だ。
この様子なら地上の床は崩落し、あと数分もすれば野次馬たちの観光名所になっているだろう。
「仕切り直しだ。テメェとはいつか決着をつける。生きてたらな」
背中を向け、アマネは落ちてくる瓦礫を踏み付け、飛び移りながら地上へと出ていった。
《……ふむ、退くか。ならば此方も彼らの後を追わねばな》
崩落が始まる中、トカゲは悠長に崩壊する地下道を歩いて行く。
「え………」
絶句した。有り体に言えば。
「……ありがとう、私の兵隊さん」
ディバーナは、クレイの尽力もあり目的の場所に辿り着いた。
「そしてごめんなさい。ずっと黙っていて」
だが彼女の側にいるのはクレイでは無く、ヘッドギアに黒スーツの男と、看守服を着た陰気な男だった。
「貴方と一緒に居た時間は、とても楽しかったわ。でも、やっぱりダメだったの……」
物憂げな視線がぶつかる。
「貴方は私を助けてくれた。だから少しこの世界に希望を持っていたの……でも、そんな貴方は撃たれてしまった」
ディバーナはクルリと踵を返すと、顔だけ振り返って言葉を紡ぐ。
「やっぱり世界は醜いわ。優しい貴方を撃った世界が、私は嫌い。だからごめんなさい。彼らと行く事にしたの」
「ま、待って!意味が分からない!」
必死に引き止める。このまま行かしてはダメだと、本能が全力で訴えて来る。
「私は歌を歌っていた。醜い世界を隠すような歌を吐き続けていた。ステージの上では仮面みたいに笑えても、私は心の底から笑えた事が無かった。だから私は、世界の醜さをもう隠さない」
彼女なりの価値観なのだろう。何を言っているのかまるで理解が出来ないが、声に迷いが見えない。本気みたいだ。
……なら、今ここで彼女を撃ってでもッッ!
装填したリボルバーを構えようとしたが、それをミラージュに止められる。触られた腕から力が抜けて、遂には手放してしまった。
(やめた方がイイわ……側にいるあの2人は、とても強い。特にあのロボットみたいな顔の人……得体が知れないわ。私でも多分逃げ切れない)
そういうミラージュの視線は、ヘッドギアをつけた男の方ではなく、看守服を着た陰気な男に向いていた。
「……ったく、あのサムライめ……」
瞬間、後ろから聞き覚えのある女性の声が響く。
「……あ?なーんだ、コイツらお守役だったのかよー」
ちゃくちゃくプーとフーセンガムを膨らましつつ、色付きサングラスをクイッとあげると、真横を通り過ぎてディバーナの側へと行く。
「……随分埃まみれだな、アマネ。何があった」
「ツイてねーよホント。クッソタレの鬼の形相がいやがった。帰ったらシャワー浴びて寝るかな」
「返り血を敢えて浴びるような貴女がそこまでやられるとは……誰です?そのデーモンフェイスとやらは」
アマネと言われたメイド服の女性は、ガシガシと髪の毛をかいたあと、言い辛そうに続ける。
「……テメーんとこの同郷、もう良いだろ。帰るぞ」
その言葉で全て察したのか、看守服の男は黙った。
「……あ、そーだ。お守役のごほーびに教えてやるよ。あのサムライは多分死んでねぇよ。アイツに伝えとけ……」
膨らませたガムをバチンッ!と噛んで割る。口の周りについたガムを舌で舐めながら続けた。
「『簡単に殺されるんじゃねーぞ』ってな。アバよ」
ディバーナを連れた3人は、踵を返す。
「……あの!」
離れていく背中に向けてクレイが言葉を押し出すと、ディバーナが振り返った。
「……い、いつか!君が、心の底から笑っていられる世界を作るから!だからえっと…その時は!自分が迎えに行く!だから……その……」
勢いで言った手前、二の句を考えていなかった。アタフタ何とか言葉を探していると、彼女の声が美しい旋律を奏でた。
「……待ってるわ」
その言葉と声で、自分から出た言葉は、取り繕いから覚悟に変わった。
「……ちょっと良いかしら?」
クレイに引き止められた彼女達に、今度はミラージュが言葉をかける。
「そこの暗い顔のヒト、お名前は何て言うのかしら?」
おそらく名指しされたであろう看守服の男が、こちらを振り返る。しかし、興味なさそうに吐き捨てた。
「名乗る義理はありませんね。では」
「……」
今度こそ、彼らはディバーナを連れて行ってしまった。
それから、しばらくしてトカゲさんが合流した。アマネという女性が「多分生きている」と言っていたので心配はしていなかったが、何故か古風な鎧の所々に小さめの瓦礫がくっついていた。
「無事だとは思っていましたが……また会えて良かったですよ、トカゲさん」
ガチャガチャと古風な鎧に着いた瓦礫を払い落としながら、トカゲは答える。
《うむ、貴殿も無事で何よりだ。遅れてしまったのは面目ない。なにぶん、あの者が地下道の支柱を切って一部を瓦解させてな、落下してくる瓦礫を全て斬り捨ててきた故、こうして合流が遅くなった。ご容赦願いたい》
「容赦も何も、その状態から良く生き延びましたね……」
ひと段落すると、ミラージュがクレイに問いかける。
「……それで?これから貴方はどうするのかしら?」
「……そう、ですね」
誓った言葉は覚悟へ変わる。記憶がなくとも、もう決意は揺るがない。
「今すぐ彼女を迎えに行きたい事ですが、記憶をなくした自分一人で出来る事はとても限られているでしょう。なので、まずは力ある組織に入ろうかと」
クレイの言葉に、ミラージュは微笑を浮かべて続ける。
「……ねぇ、一つ提案があるのだけど?」
「奇遇ですね。自分からも提案があるんですよ」
彼女が心の底から笑える世界を創る為に。
「『アントヘルズ』に、空席はありますか?」
彼の物語は、加速していく。
「歓迎するよ、歌姫」
何処とも知れぬ場所、ニルとその仲間たちが一同揃っていた。
「……えぇ」
「決心とやらがついたみたいだね?」
「……えぇ」
目の前に、新たに加入する組織のリーダーがいるというのに、ディバーナの目は虚ろだった。
「なーんか心ここにあらずだなー。つまんね」
「面白さを求めるなアマネ」
「あらぁ、可愛い女の子じゃない~、味見したいわぁ~……じゅるる」
「……見境が無さすぎですよ、リリス」
「見境も何も、私はバイよ?」
「聞いてません」
各々自由に話すメンバーを前に、ニルがそばの机をトントンと叩く。その音でメンバー全員がピシリと沈黙した。
「まぁ賑やかな場所だけど、すぐ馴染めると思うよ」
にこやかに紡ぐと、思い出したように続ける。
「あぁそうだ。仲間に加わるのだから、その名前は目立ちすぎるね。どうしようか……」
ニルが唇に指を当てて思考のポーズを取る。しかし、ニルの考案を待たずにディバーナの方から口を開いた。
「……『オルゴール』」
「……ん?オルゴール?」
「……この名前がいいわ。響きが好きなの」
ディバーナの言葉に、ニルは嬉しそうに答える。
「オルゴール、オルゴールか。お洒落で素敵な名前じゃないか」
ニルはトコトコとディバーナの前まで歩き出すと、片手を出しながら続ける。
「では、改めて………」
「『Losts』へようこそ、『オルゴール』」
彼女の音色は世界から消え去り、混沌と無秩序の街に新たな祝福が降り注ぐ。
「……おい」
「ん?なぁにい?」
「仕事をくれとは言ったけどよ……」
三角巾とエプロンを着けたダリスは、プルプルと震える。
「何でオマエの雑用をやらされてんだ!!しかもアタシだけ!!」
藁にもすがる思いで連絡してみれば、なぜだか雑用をやらされていた。
「仕方がないじゃな~い。ディーツちゃんはクローバーと遊んでいるし~?ドゥルモちゃんはアホの子だもんねー?」
ローズはソファに転がり、ドゥルモを抱き枕のようにわしゃわしゃと撫で回す。
「ほへへ~……ドゥルモ、おねーさんの家の子になるぅ~」
わしゃわしゃされるのが心地よいのか、ドゥルモの顔は一層アホっぽくなっていた。
「ウチが17連敗……だと……」
「でも、君も強いとおもうよ」
ディーツとクローバーは、テーブルで向かい合ってカードゲームをしていた。特に奇抜でもない、古き良きカードゲームだ。
「ムゥ……なんかズルしてるとか?」
「いや、お仕事ないときに、やることがこれぐらいしかないから……」
「え……このカードゲームだけ?」
「うん、一人で二役やってた」
ディーツはポカンとしたあと、真剣な表情で続ける。
「……ねぇ、買い物行こう。もっと面白いゲームいっぱいあるから」
「お買い……もの?」
「そーだよー、え……もしかして買い物も行ったことない?」
「いや、ローズと一緒にしかいかなかったから……その、トモダチと行くのは初めてで……」
「………」
「……おい、ディーツ?何ハートを撃ち抜かれたような顔してんだ?おい?」
ダリスが声をかけても、ディーツはギュッと口を結んで、胸の辺りを抑えているだけだった。
「あら~、クローバーに新しいお友達なんて……今日は縁日ねぇ~」
見守るお姉さんの顔をして微笑むローズとは反対に、ダリスの表情は苦虫を潰したそれになっていた。
「アタシは厄日なんだが……」
こうして溢れんばかりの狂気漂う、混沌と無秩序の街の平日が、今日も過ぎていく。
『あなたの周りには、きっとたくさんの愛があるわ!』
誰でも彼でも、周りは絶望と嫌悪と嫉妬まみれだ。
『あなたも人を愛してあげて!』
愛したから何だ。そんな事をして何になる。
『そうすればきっと、世界もあなたを愛してくれる!』
…………オエッ
いつからだろう。……いや、最初から決まっていたのかも知れない。貧相な街で顔が良くて拾われた。偶然美声を持っていたので、歌を歌うように躾けられた。
私の歌は、夢と希望と愛で満ち溢れていた。世界は憎悪と絶望と虚無が埋め尽くしているというのに。
キラキラの笑顔で、キラキラな歌詞を紡ぐ度に吐き気がする。世界は辛く苦しいことばかりなのに、それを覆い隠すように私の歌は「夢と希望と愛」を垂れ流し続ける。
……いつからだろうか。
私は歌うたびに、吐瀉物を撒き散らしている気分になっていた。
ぼんやりと、暗い場所で意識は泳ぎ出した。何故だろうか、体が酷く重く、動かすのが難しい。まどろみにも似た感覚に浸っている。徐々に明るくなっていく視界は、白濁色に変わり始めて、そのうちそこに映る輪郭も捉え始めた。
そしてぼんやりと、意識は水面から顔を出した。
「……う……ん?」
寝起きのような声に反応して、白衣の男の視線が刺さる。特に驚くこともなく、若い顔は淡々と言葉を落とした。
「あぁ、起きたのか」
たったそれだけ呟くと、特に気にするでも無く白衣の男は持っていたカルテに視線を戻した。
「………?」
未だ寝起きのような感覚に浸され、上体を起こしても状況が理解しきれなかった。
ひと段落したのか、白衣の男はカルテを机に置き、回る椅子でもってこちらにくるりと向き直る。
「さて、意識は?自分は誰だかわかるか?」
声は若い。ただ髪の毛が真っ白で、年齢を指し図るのが難しい顔をしていた。
「えぇと……ひとまず、ここはどこでしょう?」
寝起き特有の少し掠れた声で問いかける男に、白衣の男は淡々と告げる。
「とある組織の医務室、とだけ言っておこうか。で、さっきの質問に答えて貰おうか。自分が誰だかわかるか?」
医者とは思えない威圧感に押されながらも、しどろもどろで言葉を紡ぐ。
「えぇ、と………うん?……誰なんでしょうか?」
「聞いているのはこっちなんだがな」
白衣の男は机にあったメモ用紙のようなものを千切ると、ペンで何かを記入し始めた。
「あの、自分のことが本当に……」
「言わなくて良い、『記憶喪失』だろうな」
「き、記憶喪失……」
「皆まで言うつもりは無いが、お前は外で倒れていてな。一応連れてきたが、意識が戻った事を喜ぶべきだな」
淡々とした声だからか、その言葉からはこちらを案じるような雰囲気は一切感じられなかった。
「あの、それでここは一体……」
男の問いに医者らしき男は答える。
「『ロスト・シティ』、この名前に聞き覚えは?」
「……確か、『世界最悪のスラム街』と呼ばれている街だったかと……」
「その通りだ。……なるほど、記憶といっても一般常識や世間の知識はそのままらしいな。失ったのは自分自身に関する記憶、といったところか。随分と都合の良い記憶喪失だな」
白衣の男はペンでカルテに書き込んだ後、それを放り投げるように机に置き、再びこちらに向き直る。
「さて、察しているとは思うがココは少々訳アリの場所だ。詮索せずに出ていくことをお勧めする。外を歩けば思い出すこともあるだろうしな」
「は、はぁ……」
自分が何者かも分からないのに、外に出ても大丈夫だろうか?そんな不安を抱えつつも、他に選択肢がありそうも無かった。この医者の言う通り、出ていくのが最適解な気がする。
「わ、わかりました。しかしどうやって出れば良いのでしょうか?」
「外に出れば通路になっている、歩いて適当な梯子を登れ。ここは地下だからな、マンホールから出れるようになっている」
「は、はぁ…」
ベットから降りて立ち上がると、長いこと横になっていた為か少しふらついた。
診察室のような部屋から出ていく寸前、医者に呼び止められる。
「待て、忘れ物だ」
医者は引き出しから何かを取り出すと、それを放り投げる。受け取ったそれは、リボルバー式の拳銃だった。
「お前が倒れている時に、大切そうに掴んでいたものだ。持っておけ」
「……?わかりました」
一瞬、何か大切な記憶がよぎった気がする。ただ、もう思い出せそうもない。
今はとりあえず、自分が誰なのかを知る必要がありそうだ。
男が医務室のような部屋から出ると同時に、入れ違いで1人の青年が入ってくる。
「……?新しいメンバーか?知らない顔だが」
「いいや。道端で倒れていたが、ギリギリ蘇生出来そうだったからした。それだけだ」
「……話したのか?」
白衣の男は、責めるような瞳の青年に対し、特に気にせず切り返す。
「頭を撃たれて記憶喪失だ。話してもいなければ、素性も知らん。自分が誰かもわかってないようだったしな」
「……そうか」
青年は視線を外し椅子に座る。
「で、そっちの方はどうなんだ?」
聞かれた青年は、絶望と憎悪を宿したような瞳を動かし答える。
「……最近は、あまり悪夢を見なくなった」
「そうか、良い傾向じゃないか。薬は今回少なめにしておこう」
「……わかった」
立ち上がる青年の背中に、医者は言葉を投げる。
「ここまで診てやってるんだ。簡単に死ぬなよ」
「………」
青年は無言で少し立ち止まったが、特に答えずに部屋を出ていった。
「……年頃ではあるのだろうが」
あの目を見れば分かる。年不相応な経験をしてきたのだと。
「……一緒か」
医者はカルテを放ると、立ち上がって別の書類を手にする。処理しても処理しても、カルテの山はその標高を落とさない。
「全く、ここは怪我人が多くて困るな」
自嘲気味に呟くと、別の患者を見に部屋を出ていった。
言われた通り一番近いハシゴを登っていくと、マンホールから地上へ出た。どうやら本当に地下に居たらしい。
あの医者の人がわざと曖昧に言っていたのは、関わり合いを持たない方が互いに都合が良いからだろう。気を効かしてくれたのだ、居座ってわざわざ無下にする必要もない。
「……しかし」
名に覚えのない男は、ぐるりと見回す。白昼堂々の銃乱射、見た事のない武器やどんな技術を使っているのかも不明な兵器が見える。……紛争地域かここは!?
この小さなリボルバー一丁では、どうする事も出来ないだろう。むしろ介入したらすぐに死ぬだろう。
「と、止めようにもこれでは……」
今の自分に出来ることは無い。
聞きしに勝る異常さだ。……まぁ聞きしと言っても、自分に過去の記憶が無いから頭に残っている知識で、だが……
そんなことを考えていると、すぐ横に流れ弾が飛んできた。
「と、とにかく今は安全の確保が優先かっ!」
身を屈めながら、側にあったレンガ調の路地へと逃げ込む。入り組んでいるためか、奥にいくに連れて段々と暗くなっていく。その分銃声も遠ざかっていったので、とりあえずの安全は確保されたのだろう。
「ふぅ、結構奥まで来てしまったのだろうか……?」
必死になって随分走っていたのだが、不思議と息は上がっていなかった。……走り込みでもしていたのだろうか?
「さて、逃げ込んだは良いけど土地勘が無いからなぁ……困ったぞ……」
コツコツと慣れない道を歩く。すると、なにやら数人の人影が見えてきた。
「おい嬢ちゃんよぉ!ここは俺らの縄張りなんだよ!」
「………」
「聞こえてんのかこの野郎!!」
「………」
「なんとか言えや!この女ッッ!!」
荒くれの1人がドンッとフードの人物を突くと、女性らしき人物が力無くどさりと地面に倒れる。その拍子に女性の纏っていたボロ衣のフードがぱさりと捲れた。
「……な」
「おいおいおい……」
女性の顔を見るなり、荒くれ達は言葉を失う。
「でぃっ、ディバーナ・セイレスッ!?なんだってこんな場所にいんだ!?」
「………」
ディバーナと呼ばれた女性は、荒くれ達には目も向けず、立ち上がろうともせず、ただただ死んだような目で虚空を見つめていた。
「ま、まぁいい!これならどこぞの国相手に身代金を要求できるだろ!!」
「お、おい良いのか……?こんな有名人を人質にして……連合政府とかからエグい報復受けたりしないか……??」
「ならこいつを捕まえて逃げちまえば良い!おらッ!立てッ!」
荒くれの1人が乱暴に腕を掴み立たせる。目の前で人質にするような発言をしていたのに、ディバーナという女性は尚も無抵抗だった。
(あぁ、やっぱり世界は……)
力無く立ち上がるが、男達がその後彼女の腕を引っ張ることはなかった。
(……?)
視線を上げると、見知らぬ男が1人、荒くれの腕を掴んでいた。
「あのー……」
「あぁん!?誰だテメェ!殺すぞ!!」
おずおずと出てきた男が、荒くれの腕を掴んでいた。
「いやその、目の前で誘拐示唆のお話をされちゃあちょっと放っておく訳にも……」
腕を掴まれていた女性は、ここに来て初めて興味を持ったような顔で視線を動かした。
「正義のヒーロー気取りかクソガキ!!」
「い、いやそういう訳じゃ……」
落ち着かせようと否定するが、荒くれは相当頭にきているらしい。自分から掴んでいた手を離すと雷のような勢いで怒号を飛ばす。
「ここはなぁ!!そういう奴から死んでいく街なんだよ!お前ら!!」
怒号を飛ばす荒くれの指示を受けて、側にいた2人は銃火器を持ち出して標準を向けた。
「「死ねぇぇッッ!!」」
「………ッッ!!」
銃が乱射される寸前、自分の名前も覚えてない男は、脳にぞくりと何かが伝っていくような感覚を覚えた。
弾かれるように体勢を低くすると、両手でボロ衣を着た女性を抱え、曲がり角に滑り込む。そっと女性を地面に置くと、壁に背をつけて腰からリボルバー式の拳銃を引き抜く。
「…………」
女性は不思議そうに、壁の向こう側を伺う男の顔を見る。
「あなた……なんで?」
ボロ衣の女性の声は、天使のような響きだった。振り返らずに応える。
「……分からない。でも、銃口を向けられて、体が勝手に動いていた」
嘘では無い。事実、銃口を向けられるまで自分でもこんな動きが出来るとは思っていなかった。
慣れた手つきで、弾丸の装填数を確認すると、そのままリボルバーをセットする。
「………手慣れてるのね」
「……?」
言われて気が付く。こんな事を今までやってきたのだろうか?それとも記憶ではなく体に染み付いているのだろうか。
……いや、今大事なのはそこじゃあ無い。
この盤面、荒くれ者3人、銃火器を乱射。公的機関の助力は望み薄。対してこちらはリボルバー一丁の武装。装填弾数……6。
こちらが不利なのは目に見えている。
(……このままでは…)
幸い、数と火力を過信して油断している。
(………やれるか……?)
心臓が妙に高鳴っている。しかし、唐突に脳内でシュミレーションが始まった。まるで自身を俯瞰するような画像が、鮮明に脳内に流れる。妙な高鳴りは徐々に鎮まり、むしろ心が静まり返ったような、冷酷とも言える冷静さが感情を支配した。
(……いや、やるんだ)
ズキンとした痛みが脳を刺す。けど、今は構っていられない。
角から飛び出すと、まず最初に地べたに落ちているガラクタを前方に投擲。荒くれ達はこちらの攻撃と認識し、ガラクタに集中砲火。飛び散った破片を煙幕の代わりにし接近。左の男の足に一発。すぐさまリロードをしつつ、右の男の頬を肘で攻撃、リロード終了と同時に足に発砲。次いでリーダー格の男の顎をグリップで殴打。脳震とうを誘発しつつ、もう一度グリップで顔を殴るフェイント。腕を上げて防御姿勢に入った相手に対し、脇下を殴打。呼吸が乱れた隙に鳩尾を殴打、これでフィニッシュ。
「あ、足がァっ!」
「……がはっ………」
「ゲホッゲホッ…」
「出来た……」
荒くれ達は何が何だか分からないだろう。ただ、この男一人に負けたという事実だけは確かだった。
「………」
全てがスローモーションで動いているような感覚だった。記憶が無い、その筈だ。現に自分の名前すら覚えていない。
……なのに、身体はまるでシュミレーションゲームのように脳内で描いた動きを的確に、冷静に、トレースした。
(……何者なんだ、自分は……)
「……な、ナニモンだ……おまえ……」
「……?」
考え惚けていたら、倒れ込んでいる荒くれのリーダー格から問われる。
(何者だ、と言われても…)
名も無き男は、周囲を見渡す。何かないかと。あるのは辺り一面のレンガの壁だ。
……レンガか……
「あー……く、クレイだ。クレイ……」
キョロキョロしつつ、自分の手元にあるリボルバー式の拳銃に目を落とすと、思いついたように名乗る。
「く、クレイ・リボル。自分はクレイ・リボルだ」
自分に言い聞かせるように繰り返す。それを聞いて怪訝な顔をする荒くれは、言葉を投げつけるように発した。
「粘土だぁ!?舐めてんのかおまっ……」
そこまでいうと、突然歌声が響く。とても心地よく、ゆりかごの中にいるような心持ちになった。
気が付けば、荒くれ達は穏やかな顔で眠りこけていた。
唐突な出来事に驚いていると、後ろから足音が聞こえてくる。振り返ると、そこにはボロ布の女性が立っていた。
「君が?」
「……えぇ」
女性は相変わらず虚ろな目をしている。
「……貴方、私の事知らない?」
「それは……」
……それはどういう意味で聞いているのだろう。有名人なんだけど本当に知らないのか?という意味だろうか?地べたで眠りこけている荒くれ達の先程の会話から察するに、どうやら著名な人物ではあるみたいだが……
「……済まない、君の事は記憶にないよ」
「……別に、謝らなくても良いわ」
ボロ衣の女性は、死んだような目で見つめてきた。その瞳こそ空虚なものを映し出しているが、その顔はガラス細工のように繊細で美しいと思った。
「あ……あの……」
ついさっき出会ったばかりの女性だが、こんな端正な顔に見つめられたら誰だって戸惑う。
「……貴方、不思議な人ね」
紡ぐ声色は、美しい音色のよう。
「き、君はこれからどうするんだ?」
その美しい視線から逃げるように顔を逸らし、誤魔化すように言葉を返した。
「……ちょっと迷ってる事があるの……考える時間が欲しくて……今は歩いてる」
家出少女ならぬ家出淑女……という訳でもなさそうだが、なんだか訳ありのようだ。
この時、なんであんな言葉が出たのか分からない。記憶喪失になって、初めて出会った女性だからか、それともその美しい顔と声色に惹かれたからなのか。ただ……一つだけ絶対に言えることがある。
自分は、この女性に……儚げで、朧げで、不意に消えてしまいそうなこの女性に………
………魅了されていた。
「あの、良かったら自分が護衛しましょうか?」
「………?」
ボロ衣の女性は訳が分からないといった表情で、首を傾げる。
「……どうして?貴方にはなんのメリットもないわ…」
「実は自分も、やるべき事がないのです。自分には……その……記憶が無くて」
「……記憶喪失なの?」
「はい、どうやらそのようです。ですから、ある意味自由というか……その、こんな街なので、貴女の考え事がひと段落するまで一緒にいた方が……いえ!一緒にいようと思いまして」
何を言っているんだろう。自分でもわかる。出会ったばかりの、それも少々訳ありの女性だ。自分はなんて提案をしているんだろうか。
それでも、ボロ布の女性は薄く笑ってもう一度目を合わせてくれた。……目は笑って無かったけど。
「貴方……本当に不思議な人ね」
グイッと鼻が当たりそうなぐらいに近寄った後、背中を向けて離れる。少し歩いた後、こちらに振り返って彼女は言葉を紡ぐ。
「ディバーナ、『ディバーナ・セイレス』。こう見えて有名人だから、人前ではあんまり名前を呼ばないで」
「わ、分かった。あ、自分は……」
「『粘土と弾倉』、でしょう?安直な名前でわかりやすいわ」
先ほどなんとか絞り出して名乗った名前を聞かれていたらしい。もうちょっと捻った名前にすれば良かっただろうか……
少し決まり悪く視線を泳がす。その様子を見たディバーナは、クレイの正面に立つと、虚空を映し出しているような瞳を向けてくる。その視線に捕まって、溺れた。
「……よろしくね、私の兵隊さん」
「……えぇ、こちらこそ」
純粋に、彼女に頼られる事が嬉しかった。たとえ、この出会いが呪いになるのだとしても、きっと自分は同じ選択をするのだろう。
『ロスト・シティ』は世界最悪のスラム街だが、そんな中でもビルやマンションといった建築物が無いわけでは無い。むしろ外の技術よりも数歩先を行っているだけあって、文明レベルはかなり高い。
その一角、高すぎる訳でも無いが街を一望出来るタワーの最上階。
部屋はかなりの装飾品、ブランド物だと思しき品々が、まるで子供のおもちゃ箱のように乱雑に置かれている。
そんな部屋のデカいソファ、その上にシルクの毛布一枚で寝ている女性がいた。見るからに全裸。髪の毛は長く薄い金髪。そしてどうにもメロンを2つ抱えているようにも見えるが、その原産地は彼女のようだった。
「……うぅん…」
モゾ……と寝返りをうち、くるまるようにシルクの毛布をぐいっと引っ張る。そこにテーブルを触りつつ、コツンコツンと近寄る足音が響いた。
それは男であり、コートをマントのように肩にかけ、高価である事が一目で伺えるようなスーツを着ていた。スーツと言ってもビジネスマンのようなカッチリしたものでは無く、どちらかといえば高級ホストのような印象を受けるものだった。髪色は少し暗めのベージュで、瞳はエメラルドのような美しい緑色。髪の毛は短く後ろで結んでおり、長いながらも整えられている印象を受ける。誰が見ても第一印象は「超絶美形」で固定されることだろう。
「だらしが無いよ『リリス』。寝るならしっかりベッドで寝た方が良い」
「うぅん……?あぁ、おはようニル様」
見慣れているのか、リリスと呼ばれた女性の格好を特に気にするでも無く、『ニル』と呼ばれた男は高そうな椅子に腰掛け、脚を組んだ。
「そろそろ時間だと思うんだけど、どうだろう」
「ん……ニル様に分からない事、ワタシがわかる訳無いじゃあないですかぁ~」
シュル…シュル…とシルクの布ズレの音と共に、魅力的に盛り上がる肢体を動かすリリス。
「そういう事はぁ……ふぁ~……『オトギリ』の領域じゃあ無いんですかぁ~?」
寝ぼけ眼で上体を起こし、目を擦るリリス。その背後にゆらりと揺れる影のように、黒い看守服と帽子を被った男が現れた。
「………お呼びで?」
死んだような目で低い声を響かせる男は、手を後ろに回し、軍隊の休めのような姿勢で立っていた。
「いやぁん、気配を殺して背後に立たないで~…えっちぃ~」
シルクをわざと手放し、両手で局部を隠すリリス。言葉とは裏腹に、目は「好きなだけ見ろ、喰うぞ」と言っている。そんなリリスを興味が無さそうな目で見下した後、特に何も反応せずに続けた。
「……それで、お呼びですかニル様」
「そんなに畏まらなくても良いのに」
穏やかに微笑みつつ、スっと近くにあった林檎を手で掴む。
「いいえ、そういう訳には。それでお呼びでしたか?」
「あぁそうだったね。オトギリ、今どうなってる?」
主語が無い言葉にも関わらず、オトギリと呼ばれた青年は懐から一枚の札を出して答える。
「反応はありません。ですが、どうやら期限までには決まりそうです」
「うん、そうかぁ。じゃあ焦らないでも良いかな」
そう言いながら、ニルが林檎を口に持っていこうとした瞬間。風切り音と共に手にしていた林檎が上から輪切りにされてパタパタと滑り落ち、床と机が悲惨な事になる。ニルは手にしていた僅かな残骸も机に放り投げた。
「あっれー。何だよー、1口サイズに切ってあげたのにさぁ~」
ちゃくちゃくぷ~とフーセンガムを膨らましながら、ズカズカと部屋に入るメイド服を着た女性。
「……普通、ひと口といったらこう……縦に切るでしょう?アマネ」
「え?そーう?食えれば良くねー?」
色付きサングラスの奥で愉快そうに笑うアマネ。その隣にはヘッドギア黒スーツが呆れた様子で立っていた。
「……済まないニル。新しいのを買ってくるか?」
「あぁ良いよネメシス。わざわざそんな事しなくても」
「……悪いな。なんせ、アマネには何を言っても無駄でな……」
代わりに謝っているネメシスには目もくれず、アマネは自分が輪切りにした林檎を拾い上げて口に放り込む。
……皮ごと。
「ん~、んまい。食える食える。ほらあーん」
床に落ちた輪切り林檎をニルの口元に持っていこうとするが、穏やかに断る。すると、思い出したようにニルはオトギリへと問いかける。
「あぁそういえば、オトギリ。例の情報はどうなってる?」
唐突な質問にも関わらず、オトギリは軍帽をキュッと下げると的確に回答する。
「はい、各報道機関に圧力をかけました。情報統制も徐々に始まるでしょう。末端の国で『生物兵器』を作り上げているという話を偽造済みですので、世間の目はそちらに向くかと」
「そうか、なら大丈夫そうだね」
ニルは近くのソファに座ると、淑やかに言葉を紡ぐ。
「期間まで少しある。それまでは皆自由にしていて良いよ」
穏やかに言葉を紡ぐと、リリスは再びシルクの布を纏って寝に入り、オトギリは「失礼します」と一言いうとどこかへと去っていった。
ネメシスとアマネは別々に部屋を出るが、示し合わせたように同じ部屋に再び集まった。少し後にニルも合流する。そこは決して広いとは言えないが、防音性は十二分にある部屋のようだった。
先ほどの部屋とは違う、三者三様の暗い雰囲気を彼らは放っていた。そんな中、アマネが口火を切る。
「……で?結局『ナイト』の代わりは見つかったん?」
ちゃくちゃくとフーセンガムを噛みつつ、ニルに問いかける。
「あぁ、『バミュード・トロワ連邦国家』まで勧誘に行ったんだけどね……」
「……『連邦の盾』……か?」
ネメシスは続けるように言う。
「あぁ、そうなんだ。連邦の盾と言われる彼、『イージス』に加入を打診したんだけど……」
「その口ぶりから察するに、断られたか」
「あぁ……人の身で到達できる限界に近い強さを持っているっていうのに……残念だよ」
肩を落として、残念そうにするニルにアマネが続ける。
「殺せばよかったのに。今からでもアタシがいこーか?」
ちゃくちゃくぷーとフーセンガムを膨らませつつ、笑うように話す。
「……やめた方が良いよ、アマネ。僕や君達は確かに強いかもしれないが、敵に回すと面倒だと思う人達はいる」
指を立てて続ける。
「連邦国家のイージスや皇国の『サムライ』という種族、あとはアルフレット家とかね。あの一家を敵に回すのは厄介だよ」
ニルの言葉に、ネメシスが反応する。
「……アルフレット家、か……長男の噂なら聞いたことがある。投資などが好きで見返りなどを求めない……一言で言えば酔狂な人間だと聞いている。放蕩気質らしく、所在は掴めないそうだが」
対して、アマネは珍しく不機嫌な顔で続けた。
「………『サムライ』か、寝ても覚めても殺し合う事しか頭にねぇ連中だよ」
各々が感情を出す最中、ヘッドギアの向こう側でネメシスが重々しく言葉を落とす。
「……しかし、中枢に最も近かった男が裏切ったせいで、中枢の『ナイト』を失う事になるとはな……」
「仕方ないじゃーん?『破壊をもって破戒を制す』とか言ってたけど、結局エニグマスと離反したし、なんなら……」
光を反射するサングラスの奥で、獰猛な瞳が揺れる。
「トドメを刺したのはこっちじゃん」
「……あぁ、その点で言えばあれは正しい判断の筈だ」
「僕はその場に居なかったからね。だから、君たちのやり方に文句は言わないし、そんなものも無いよ」
ニルはかくも穏やかに続ける。
「さて、近い内に迎えに行く用意もある。準備はしておいてね」
「ん、分かってるって~」
「……了解した」
ネメシスとアマネが部屋から出ていくと、壁に寄りかかり、思考を回す。
エニグマスは、情報戦力としてかなり優秀だった。正直あと少し裏切りが遅ければ中枢にも昇格したはずだ。しかし、その前に彼はこちらの思惑に勘づいてしまった。そして、離反した。
しかし、あくまで彼が情報戦力の担当である事を忘れてはいけない。ニルがその場に居なかったとはいえ、他のメンバーの追随があったはずだ。彼自身の戦闘能力が差程高くないのだから、すぐに消せる筈だった。
……エニグマスの逃亡を、組織の中枢であった『ナイト』が手伝わなければ。
ナイトは、拠点防衛や護衛を主に担っていた戦力で、鈍色の全身鎧にマント、頭部全体を覆うフルフェイスの兜と、それこそ時代劇の重装騎士のような出で立ちだった。その外見から察せられるように戦闘能力もかなり高く、アマネやネメシスと同じ特殊な出自でもあった。
『破壊をもって破戒を制す』が彼の信念であり、口癖のようだった。つまり自らが抑止力と成る事で、無駄な争いを産み出さない為の戒めになろうとしていたのだ。
そして、この街を整えようとしたエニグマスの意思に共鳴し、中枢に居ながら彼の逃亡を手助けした。Lostsの追撃からエニグマスが逃げ切れたのは、彼の背中をナイトが護ったからだ。
その尽力の果てに、ナイトは力尽きた。
(……エニグマスの離反で中枢のメンバーを1人失った……それに、資金の集まりも以前に比べて悪化している……死んで尚、足を引っ張られている気持ちだよ……)
エニグマスが設立したマフィアは、汚くとも金を集めていた。もちろんマフィアの資金作りの為でもあったのだろうが、『Losts』を資金の側面から削る目的もあったのだろう。流通ルートを抑えられて、しばらくは金の流れが悪かった。今はそれなりに立て直してはいるが、それでも以前と比べると、やはり資金面で力が低下した感覚は拭えない。
「……ま、お金の方はいくらでもやりようがあるかな」
楽観的な訳では無いが、何とかなる。いざとなったら連合政府の上位議員やらでも脅迫すれば良い。
……その気になれば、僕一人で国一つ潰せるのだから。
ニルは襟を整えて、外へと向かう。
愛しき、愛しき、無秩序と混沌の街へ。
暗い暗い地下通路。誰が作ったのか分からず、かといって何かに使用された形跡も見当たらない。一説では『連合政府』のお偉いさんが、かの混沌の街へ逃げ込む為に造ったのだとか。ただ、その「お偉いさん」本人がもうこの世にいないのだから真偽は不明だ。
そんな通路の傍ら、廃材が積み重なって壁を作りその上にブルーシートでも被せたような場所……子供が秘密基地と言って作りそうな感じの風貌をした場所があった。床には布が引かれていて、寝転がっても痛くはない。ランタンと電池式のライト、そして手回しで発電できるタイプのラジオの明かりが、廃材で囲まれた「秘密基地」の内部を照らしている。意外にもアンティークな雰囲気を醸し出しており、外見が稚拙ながらも、中は落ち着けるような明るさが保たれていた。
『……~……ており……世界的…姫を……ザザッ……た、方は…』
『………危機を……ザザーッ……投資……ザッ…現在……株価は……暴落……』
『……ザザッ……と、名乗る……ザーッ……が金額にして……を寄付し…ザーッ!』
ラジオからノイズ混じりにナレーターの声が聞こえる。
「……あ~、だーめだ。無理、電波悪すぎ~、パスっ」
必死にラジオの電波とチャンネルを合わせようとしていた少女が、遂に匙を投げてラジオを上に放り投げる。投げられたラジオはそのまま、上の方でぶら下がっているハンモックの中にホールインワンした。
「……ゔぉえッッ!!?」
「あ、『ダリ姉』ごめーん」
ハンモックの中から少女を見下ろすように人影が揺れる。最悪な寝起きだったのだろう。瞼は開き切っておらず、髪の毛はボサリとしていた。片手にラジオを持っているのを見るに、きっと彼女にクリティカルヒットしたのだろう。
「………『ディーツ』…おまえ…まじで……」
「だからごめんってー『ダリス』姉ー」
『ダリス』と呼ばれた女性は、目つきが悪く、疲れた社会人のような顔つきだった。寝不足なのか目の下にクマっぽいのも浮かんでいる。
「おまえ、前もこうやってスパナとドライバーこっちに投げたよな?……アタシを殺す気か」
「ん~、まぁちょっと?」
「……そうか、待ってろ。目が覚めたら盛大に姉妹喧嘩といこうじゃないか」
「んー、冗談だって~……ダリ姉大好き~」
「んな棒読みで許すかボケっ……あ?『ドゥルモ』はどこいった?」
ハンモックにぶら下りつつ、ダリスは探すようにあたりを見回す。
「あ~……なんか『アタイの拳が真っ赤に燃えるぅー!!』……って、どっか行った」
ディーツの言葉を聞いて、目頭を抑えるダリス。
「……今度帰ってきたらあいつに首輪つけるしかねぇーな」
「えー…?前にそうやって両手縛ってたのに千切ってどっか行っちゃったじゃん。無意味確定演出乙」
そんな中、「秘密基地」を覆っていたブルーシートがビリィッ!と破られつつ、何も考えてなさそうな声が響く。
「邪魔だーい!!っておよ。おはよー!ダリ姉!よく寝れた!?」
「………ああ、貴様のおかげで全く良い目覚めだよ」
「やったね!お小遣いちょーだい!」
「ぶっ殺すぞ」
「へ?」
割と本気でわかっていなさそうな顔を見て、再びため息をつくダリス。
「あ、そうだそうだー!これ見てこれー!」
アホの子ドゥルモが見せびらかしていたのは、ある書類のようだった。
「え~っとぉ?うに……うに…おに?」
「貸せードゥルモー、おまえ頭悪いから読めん」
「んー!ディー姉に貸してあげるー!」
素直なのか阿呆なのか、すんなり書類をディーツに手渡すドゥルモ。
「何なに~……『ユニオン・ユーティリティより依頼。世界的歌姫「ディバーナ・セイレス」の捜索及び護送』……?え、依頼主『ユニオン・ユーティリティ』ってマジ?」
『ユニオン・ユーティリティ』とは、連合政府圏の国々にまたがって活動する超々巨大企業で、主に連合政府に所属する国家のインフラ整備などを担っており、世間には『U.U』という通称で呼ばれている。また、『ユニオン・ユーティリティ』は独自の戦力を保有しており、連合政府圏の国が反乱を起こしても鎮圧できるほどの勢力を有している。
また『ユニオン・ユーティリティ』は、連合政府に敵対する個人や集団に懸賞金をかけており、実際に賞金が支払われた実績もある。その為、何でも屋や傭兵などは一攫千金を狙って賞金首を探したりもする。
「……ディーツ、続き」
「あーはいはいー、なになに~『成功報酬は金額にして2TB』ッ!?!?」
読み上げたディーツは気怠げな雰囲気から一変、膨大な金額に絶句する。
「て、TB級の賞金なんて『アントヘルズ』とか『エミィ・ララエム』以外に見た事ないわ~………」
「てらばいと?なにそれ、アルバイトの親戚?」
絶句しているディーツとは反対に、なんの話かよくわかっていないドゥルモ。
哀れみの表情を浮かべたダリスがハンモックから降りて未開封の缶ジュースを手に取る。
「……いいかドゥルモ。いくら馬鹿でも貨幣の単位は覚えておけ……ようはお金の話だ」
「お金!」
「……そうだ、この缶ジュース1本は大体100Bで買える」
「ふむ?」
「連合政府圏……あー、ここら辺のお金は全部キャッシュレスって言ってな、お金が統一されてデータになってるんだ。その表し方が『B』って言うんだ」
「なるほど!」
ドゥルモはポンッと手を打つ。おそらくキャッシュレスの意味はわかっていない。
「……もうこの際、世間常識なのは置いておくぞ……」
呆れ呆れ、ダリスは講義を続ける。
「……んで、TBってのは、お金の単位の1番上だ」
「他のBもあるの?」
「そうだ。Bの次は『KB』、その次が『MB』、次が『GB』……んで、最後に…」
「てらばいとっ!」
「……そうだ、賢い子だお前は」
ダリスの言葉に喜びつつ、ドゥルモは続ける。
「それでー、てらばいと?ってなんばいと?」
「あーー……ディーツ」
U.Uの書類を見ていたディーツは、視線を送りもせず適当に答えた。
「1個上の単位は前の単位の1000倍。だから1TBはだいたい1兆Bかなー」
「……って訳だ」
「すごーい!それで1兆Bってどれくらい?」
「あー……1Bのものを1兆個買える」
「すごーーっ!!!」
ものすごく雑な説明で満足したらしく、ドゥルモは1人で盛り上がっている。
つまり、ユニオン・ユーティリティがディバーナ捜索にかけた金額は1兆×2だ。
ディーツが絶句する金額なのも納得だろう。
諸々ひと段落した所で、ディーツが書類を見つつ続きを読む。
「……それとダリ姉、動くなら早い方が良いかも。先着って可能性もある。こんなとこまでこんなのが落ちてるって事は、目ざとい奴らはもう動いてる」
ディーツの言葉にダリスの眼光は鋭くなる。
「そうだな……そろそろこんな生活ともおサラバしたいしな」
「夢はお城で住むー!」
「……そうだな。それが出来る位の金額だ」
「んじゃ『シスターズ』稼動って訳で?」
「……愛銃の点検をしておけ」
「やったね~」
膨大な金額だ。それこそ、一生遊んでいられるような。
ダリスはチラリとディーツとドゥルモを見る。
(……もう冷たい孤児院の床なんぞ……)
過去の話。寒い寒い過去の話。2人は覚えてないかも知れないが、それでも紛れもない自分たちの過去。
(………チッ)
寝起きでナイーブになってるのだろうか。ガラにも無く、沈んだ気持ちになる。
「よーし、ダリ姉準備できたぞ~。愛銃も愛車もやる気満タンだぜ~?」
「ドゥルモ元気でーす!」
全くコイツらは……人が悩んでるってのによ。
「……ん」
乗り込み、窓を開ける。
「……で、宛はあるのか?」
ハンドルを握るディーツは、棒付きキャンディーを舐めつつ答える。
「ん~、こういう時は同業に聞くのが1番っしょー」
気のない返事の後、車は加速する。豪勢な生活を夢見て。
銃の声が鳴り止まない街で、安全に夜を越えられる場所など存在するのだろうか?答えはNO。なら探すしかない。
「……ねぇ、ここで大丈夫なの?」
「どうでしょう……自分を信じてもらうしか……」
クレイとディバーナは、とあるホテルの屋上に無断で侵入し、ネオン輝く看板の裏で身を低くしていた。
「……一夜明かすのには心許ないですが、自分が寝ずの番をしますのでご心配なく」
クレイはリボルバーを回転させて銃の調子を確かめると、何事もないようにいう。
「……そう」
ディバーナはそれ以上なにも言わず、虚な景色を映すその瞳を素直に閉じた。
「………」
しばらくしてスヤスヤと寝息が聞こえてきた。そのタイミングで、クレイは周囲の警戒を始める。
(……そこらにあった廃材を敷いただけ……寝心地はよくないだろうが、無いよりは良いか)
壁に背中をつけ、唯一この屋上に立ち入ることが出来るハシゴの方を見張る。このホテルは近くに似たような高さの建物が多い。………繁華街なのだろうか?
(……それにしても、社会情勢は今どうなっているのだろう)
記憶喪失とは言っても、常識的な知識なら脳内にまだ残っている。問題は今の情報だ。こればかりは、脳内に残った知識ではどうにもならない。何か最新の情報を手に入れられる機器があれば。
(……無線ラジオ……いや、この際ネットワーク機能のついた携帯電話でも良い。何かないか……)
周囲を見渡すが、都合良くそんなものが繁華街のホテルの屋上に落ちている訳もなく。
(まぁ、日が登ってからそちらは始めるとしよう)
ひゅうひゅうと、ビルの間を風が駆け抜けた。
「……ん」
「あぁ、目が覚めましたか」
瞳を開けると、無邪気な顔がこちらを向いていた。
「……貴方、本当に寝てないの?」
「……?えぇ、寝ずの見張りを初めてやった気がしませんね。私は従軍経験者だったんでしょうか?」
冗談か本気かわかり辛い言葉を返される。
「とりあえず動きましょう。個人的には新しい情報が欲しいので掲示板などがあればそこで……」
クレイがそこまで言いかけた時、彼の左肩に風穴が空き鮮血が飛び散った。
「………ッッ!!」
あまりに一瞬の出来事。
呆気に取られていたディバーナとは反対に、クレイは直ちにディバーナの頭部を守りながら体勢を低く保つ。そのまま床に敷いていたボロボロの布切れをちぎって肩に巻きつけて止血した。
(迂闊だったッッ!!自分は馬鹿か!?)
彼女は言っていた、私は有名人だと。そんな彼女がこんな場所にいること自体がそもそもおかしいのだ。なら、元々いた場所がどんな対応をするかなど、火を見るより明らかではないか!!
何もかも異質な街で忘れていた!最初に出会った時もそうだった!!
有名人は、それだけで金になる。
同じような高さの建物?狙撃手からすれば格好のポジションじゃないか!!
その時、再びズキンっと頭が痛む。肩の痛みと、頭の痛みで顔が歪む。
(……いや、冷静になれ。状況を整理するんだ……)
クレイの目つきは、スッと冷淡なものになる。
(……スナイパーは少なくとも1名以上。分かっている事は、最初に自分を狙ってきたという事。つまり、撃ってきた奴は彼女が狙い。殺される可能があるのは、自分だけである可能性が高い……)
とりあえず分かっている事は、狙われている事。細かい事は後回し、情報は逃げながら得る。ただし、無闇な逃走戦はただただ不利だ。逃げる方は、どこまで逃げれば勝ちなのかを明確にしてなければ終わらぬ地獄と大差ない。なにしろ撤退戦と消耗戦を同時にやるのだ。不利以外の何でもない。
再びズキンっと頭が痛む。
……構ってられるか。とにかく逃げるんだ。
「すぐに逃げましょう」
「……そうね」
今までのクレイの表情を見ていた彼女は、何か決心がついたように言葉を紡ぐ。
「ねぇ……ここまで連れて行ってくれる?」
ディバーナの差し出したそれは………
………タッチパネル式の立派な携帯電話だった。
「……端末、持ってたんですね」
オープンカーで風をきる。助手席でダリスはすぐ画面ボケするPC相手に何かのサイトを開いていた。四苦八苦しているダリスの様子を察したのか、気怠げに運転しているディーツが茶化すように話しかける。
「ダリ姉~、そんなオンボロ持ってきたの~?一番まともなラジオすらあのザマなのに~?」
「……うるさい。アタシらの同業が書き込むサイトなんてそんなに無いし、オンボロでも情報掴まないとダメだろ……ってあーもー動けや!!」
痺れを切らしたダリスがPCの側面を殴りつけると、ジジ…っという音のあと、画面が鮮明に映る。
「あ、直った」
「ダリ姉すごいじゃ~ん」
「まぁ最初から動いて欲しいもんだが……ん?」
「どうしたダリ姉~、怪訝な顔して~」
「お前は前見て運転しろ」
ディーツはへいへいと気怠げに返事をしたあと、タバコを咥えるような感覚で棒付きキャンディーを再び咥える。
「……繁華街のホテルでディバーナを見たんだと……不味いな、かなりの数が動いてやがる……」
「それさ~どこ情報~?」
「書き込みサイトだ、傭兵とか何でも屋専用のな。……しかし、ここまでの規模の依頼だとヤツも動いてるか……?」
「ダリ姉、ヤツって『レッド・チャリオット』の事~?ないない、無いっしょ」
「なんでそこまで言い切れる?」
ダリスが怪訝な顔をする横で、タハハと笑いつつディーツが応える。
「『レッド・チャリオット』ってなんか受ける依頼に拘りがあるっぽいんだよね。金銭的なものに関心が無いみたいな。それに、あのレベルが出張ってきたら、サイトの書き込みが止まらなくなってサーバーパンクするぐらいにはなってるだろうし~?」
「……そう言われたらそうかもな……ん?」
ダリスはPCに浮かび上がった新たな書き込みに目を凝らす。
「……あん?『ホテルの看板下でディバーナ・セイレス発見!何やら護衛っぽい男と二人だった』だとさ。書き込み者は……あ?『スコープより愛を込めて』……?」
「込めてあんのは殺意だろ~」
ディーツは至極真っ当なツッコミを入れつつ、続ける。
「まぁ、書き込んでるってことは失敗したんだろうな~狙撃」
もし成功してるならば、護衛など気にせずディバーナ・セイレスを連れ去るだけで良いのだ。まぁ、この手の輩は誰かしらが依頼を成功させた時に『あの時情報を~』とか言い出してハイエナをするような連中だろう。
「あ、画面消えた」
ダリスがボソッと呟く。
「ま~ダリ姉が叩いたから寿命迎えたんだろ~ね。死ぬ寸前にはっきり映ったのは、死戦期呼吸的な~?ハハ~」
愉快そうに笑うディーツは、アクセルを踏んで加速する。
とりあえず一騒ぎあったらしいホテルについた。車から降りるとホテルにズカズカと踏み込んでいく。
フロントに入ると、ダリスが何の躊躇いもなく問いかける。
「なぁ、ここでディバーナ・セイレス見てない?」
「……またそれか、流行ってるのか?」
「聞いてるのはこっちだよ~?おじさ~ん?」
ディーツが冷やかすように続けるが、スキンヘッドにサングラスのフロアマスターらしき男は、うんざりした様子で答える。
「……帰んな。同じ事をもう何回も聞かれて飽き飽きしてんだ」
「………」
なるほど、伊達にこの街でホテルのフロアマスターしてないって訳だ。肝が座っている。こういう人間を下手に殺すと、ここをたまり場にしてる連中に目をつけられる可能性もある。それに叩いても響かなそうな奴を相手にするのは面倒だ。
まぁ、実際本当に知らない可能性もあるし。
「あぁー、ほんとに知らねぇって顔だ」
「冷やかしなら帰ってくれ。泊まっていくなら、モーニングにコーヒーか紅茶か選ばせてやる」
「悪ぃが朝にカフェインは控えてんでね」
「……フン」
フロアマスターは目線を下に映すと、宿泊客の名簿を確認し始めた。棒付きのキャンディーを口から出し入れしつつ、ディーツは続ける。
「えーどうするダリ姉~?」
「そうだな……」
ダリスはチラリと横目で、先ほどからこちらを伺ってきていた一人の男の方を見る。そのままそちらに向かうと、壁ドンの要領で男を詰めた。
「それじゃー同業者に聞くしか無ねぇなぁ」
「な、なんだおまっ……」
言った途端に、右手の指が変な方向に曲がった。
「ぎゃっ!?!?」
彼の指をへし折ったものはヒュルンヒュルンと、ダリスの手に握られていた。それは蛇のようにしなる鞭だった。
「あ~、早いとこ喋んなよ~?ダリ姉は時間かかると怒るから~」
「な……お前ら同業にこんなこと……」
言葉を遮るように、ディーツが続ける。
「アンタどうせハイエナ野郎でしょ?『同業だ~』って理由で手を出されないとか思ってる訳~?」
「こ、こんな事しやがって……お前らいつか……」
言い終わる前にゴチャッッ!!っと顔面が歪む。どうやらダリスのブーツが男の顔面にキスをしたようだ。
「はやく言えよ。どうせ情報屋気取って金でも取ろうとしてたんだろ?……ハイエナ野郎が」
「あ~あ~……ほら~、速く言わないからダリ姉怒り始めたよ~?」
「………お、ゴフッ……ガハッ…」
「……まだ口割らねぇのは褒めてやるよ。おいドゥルモ」
そばでポケ~っと座っていたドゥルモが、トテトテと近寄る。
「こいつ、殴っていいぞ。顔意外な」
「え!ほんと!?」
「……お……おい……やめ……」
ヌッと正面に立ったドゥルモは、眩しいほどの満面の笑みで腕を振り上げる。
………メリケンサックを装備した腕を。
「と……とまる……」
絞り出すように男が呟く。羽虫のようにか細い声だった。
「……?」
その言葉に何の意味があったのか。いいや、特に意味も価値も無い。
………それが、このホテル以外の場所ならば。
「アレェ?」
振りかぶったドゥルモの拳は、男の顔面スレスレで止まっていた。
「……あら」
「……は?」
なんと先ほどのフロアマスターが、男の目の前に立ちはだかり拳を受け止めていた。
「……おい、どういうつもりだおっさん」
ダリスのイラついた言葉に、スキンヘッドのフロアマスターは事務的な言葉を彼女に配達した。
「そこの男は『泊まる』と言った。ならば客だ、『他のお客様のご迷惑になる行為はお控えください』。理解したか?」
ドゥルモの拳を弾くと、フロアマスターはスッと応戦の構えを取る。
「……ダリ姉、撃つ?」
ディーツが銃口を向けるが、フロアマスターは動じない。
「無駄だ。命の危機などトランプの数より乗り越えてきた」
「凄むなよ。3対1なのは変わってねーんだよフロアマスター?」
「だから何だ。俺にとっては『一名様ご案内』の方が重要だ」
空気がひりついた。
「へぇ……仕事熱心なもんだな!!」
ダリスが蛇のようにしなる鞭を振るうが、スキンヘッドのフロアマスターはそれを掴んだ。
「チッ!」
ダリスの鞭が掴まれたのを見て、ディーツが拳銃を構えるが、フロアマスターは落ち着き払って指をさした。
「無駄だ。脅すならセーフティを外してからやるべきだレディ」
「はぁ?そんな訳……」
ディーツが一瞬目を離すと、銃口にボールペンが刺さった。
「はぁ!?」
「うおー!ドゥルモパーンチ!」
フロアマスターにドゥルモが殴りかかるが、ヒラリとかわされる。ドゥルモの拳が命中した床はヒビが入り穴が空いた。
「抜けない~!!」
床下とお遊戯しているドゥルモにフロアマスターの拳が迫る……
「地下道だッッ!!」
ビタリと、フロアマスターの拳が止まった。見ると、先ほどダリスが痛めつけた男が叫んだようだった。
「……みんな、地下道に向かった……もういいだろ……もう、たくさんだ……」
ダリスはしばらく男の方を睨んでいたが、ため息をついて踵を返す。
「……はぁ……ディーツ、車のエンジンかけろ。行くぞ」
「え、いいのダリ姉?」
「これ以上時間食われる訳にもいかねぇだろ。いくぞ」
「ん、わかったよ」
「はーい!」
嵐のような三姉妹が去ると、フロアマスターは男を立ち上がらせる。
「あ、ありがとう……」
「気にするな。お客様の安全を守るのが俺の仕事だ」
スキンヘッドのフロアマスターは、フロントに戻ると部屋の鍵を男に渡す。
「あぁそうだ」
「……な、何だ」
身構えた男に、フロアマスターは事務的な言葉を届ける。
「モーニングはコーヒーと紅茶、どっちが良い?」
彼女が提示した場所は、ここから結構離れた場所だった。なんでも「決心がついた」との事で。
「……地下道、ですか」
「えぇ、こっちから行けるわ」
「………」
なんでそんな事知ってるのだろうか……
さて、ここからは記憶を頼りに向かっていくしかない。ディバーナが持っていた携帯電話はGPSが付いていると場所を逆探知で特定されかねないので、あのホテルに分解して置いてきた。
一瞬だけSNSを開き、新鮮な情報を確認した。「ディバーナ・セイレス失踪!」というワードがトレンドに上がっていたが、それよりも話題になっていたのが、とある国の『生物兵器』製作疑惑だった。
世間の話題はそちらに攫われているのだろうが、撃たれた事を鑑みるに彼女を狙う連中はまだ動いているだろう。
ディバーナの提示した場所を座標で覚えたクレイは、地下道を先行しつつ人影を警戒しながら先を急ぐ。あの彼女が、そこまで連れて行って欲しいと言ったのだ。おそらく逃げ切る算段か、保護される策があるのだろう。
水滴が落ちる音にも反応してしまうほど、神経は張り詰めている。
「あの……その場所というのは、どなたか知り合いが……?」
「……えぇ、そうね。強い人たちがいるの」
「そ、そうですか」
会話で少し緊張がほぐれたが、気を抜いてはいけない。
……そう、気を抜いたつもりはなかったのだ。
妙な風切り音が聞こえるまでは。
「……ッ!!」
首を全速で横に振って、弾丸がギリギリ頬を掠った。
「……っ…逃げましょう!」
ディバーナの手を引いて、頭の中でルートを作る。
地下道だが、複雑な迷路のようになっているのが助かった。……この街地下道多くないか?目が覚めた時も地下の一室っぽかったし。
そんな間抜けな考えを巡らせていたら、今度は目の前に黒衣を装備した暗殺者のような男が現れた。
「見つけたァ!!」
男は宝くじが当たったかのように叫んだ。こっちからすれば貧乏くじだ!
(……落ち着け、右手に黒塗りのナイフ、左手にはおそらく投擲用のナイフ…ぬめりのある光……塗料は恐らく即効性の毒!!)
クレイは思考回路を駆け巡らせながら、ディバーナを後手に下げてリボルバーを構える。
(……焦るな、興奮状態の相手、警戒すべきは利き手の大振り!!)
黒衣の男は右手にある黒塗りのナイフで刺突してくる。クレイはその腕をリボルバーを構えた方の腕でいなし、手の平を撃ち抜いた。
「グアァァッッッ!?」
カランッと乾いた金属音から察するに、右手を押さえてうずくまったのだろう。左手に持っていた投げナイフもこれで警戒しなくて済む。うずくまった黒衣の頭に蹴りを入れ失神させ、先を急ぐ。
「もう少しです!」
「……えぇ」
クレイとディバーナの足音が地下道に響く。何度か接敵したが、何とか近接戦闘で対処できる範囲の相手ばかりだったのが救いだ。あと少し、あと少しでこの先の通路を通って地上に出れる!地上に出れば何かとやりようがあるはず……
………そして
「ほ~らねダリ姉~、待っといてよかったでしょ~?」
「……待たされんのは嫌いなんだ。知ってるだろディーツ」
「ドゥルモ元気でーす!」
……そして、三姉妹が、金蔓を掴みにきた。
ディバーナを庇いつつ、クレイは前に出る。
「……っ……誰かは知りませんが、通してください」
すると棒付きキャンディーを咥えつつ、ディーツが答える。
「ん~、こっちも稼業でさ~『はいそうですか』って通せないんだよね~」
「……用があるのはそっちのお嬢さんだけだ。今退けば見逃してあげれるぞ?ボーイ」
ダリスは気だるげに答える。
「時間はないぞ~ボディーガード君、君たちを追って後ろからも同業者が来てるし~」
「……くっ」
クレイがリボルバーを構えるが、それをディーツのライフルが捉える。
「痛ッッ!?」
弾かれたリボルバーは、カランと無慈悲な音を立てながら地面に落ちる。
「あ~、あんまり時間かけない方が良いよ~?ウチのダリ姉は時間かかると怒るから~」
「……次はねぇぞボーイ、もう一度だけ言ってやる。そこをどきな」
「……ッッ」
……時間はない。いつ追っ手が追いつくかも分からない。
脳が焼き切れんばかりに思考回路を回すクレイに痺れを切らしたのか、ダリスが暇そうにしていたドゥルモに指示を飛ばす。
「……チッ、おいドゥルモ。アイツ殴っていいぞ」
「あ、ホントに!?」
ハツラツとした声とは裏腹に、手にはメリケンサックを装備していた。表情と状況にこれほどギャップがあるとこんなにも恐ろしいものなのか。
(………な、何かないのか……何かッ!!)
何か、何か………何か……ッッ!!!
そして、ドゥルモの大きく振りかぶったメリケンサックがクレイの顔面を………
……捉えなかった。
《助太刀致す》
「……!?」
「ん!?だれえ!?」
クレイの目の前に現れ、ドゥルモの拳を止めたのは………
全身を古風な武装で固めた、剣士のような人物だった。
《……多勢に無勢と察し申した。外道を行けど、我が士道。誇り未だ失わず》
兜で籠った声が響く。声からして男性だ。
車で待機していた二人も、不足の事態に取り乱す。
「なんだァ?あの鬼の形相は?おい!ディーツ?」
「いや~、知らんし。護衛一人じゃねぇ~のかよっ…」
「いや、誰だって良い!体力脳筋バカのドゥルモが力負けする訳ねぇんだ。ドゥルモ!やっちまえ!」
興奮気味のダリスとは反対に、ディーツはどこか冷静な目で突然現れた古風な武装の男を観察する。
(……あの変わった外装……あの仮面……どっかで……)
目の前の古風な武装の男……いや、あの特殊な形状の剣は見覚えがある……確かあれは……
クレイ・リボルは脳内に残った記憶を探り当てる。そして、結果に行き着いた時自然と口に出ていた。
「『日本刀』………じゃ、じゃあまさか……」
目の前にいるのは……目の前にいるあのデーモンフェイスは……
『陽ノ本皇国』の戦闘民族『サムライ』!?
ドゥルモがメリケンサックを振りかぶるが、その隙を付いて古風な武装の男はみぞおちを殴打し、ついで首筋に一撃入れ、失神させる。
《無益な殺生はせぬ故、手刀にて御免》
「あッッ!?思い出した!!!」
いつもダウナーなディーツが突然叫ぶ。
「突然叫ぶなディーツ……耳が……」
「ダリ姉!すぐあのアホを回収して!早く!!」
「あー?なんでだ、目の前に賞金が……」
「そんな事言ってる場合じゃないって……あ、アイツ……」
ディーツは震える指で古風な武装の男を指す。
「あ、『アントヘルズ』の『トカゲ』だッッ!死ぬ!死ぬて!!」
「な!?そ、そういうことは早く言え!!」
「今言った!!」
ダリスは鞭でドゥルモを引き寄せると、車に押し入れてすぐさま方向転換して逃げ始める。その様子を見ていたサムライは、日本刀を納刀し、こちらに向き直った。
《……大事無いか?》
機械音声のように聞こえるが、鎧兜と鬼の形相の仮面で声が籠っているようだった。
「……あ、えっと……」
言葉に詰まってしまったが、先ほどの三姉妹の言葉を唐突に思い出す。
「あ!そ、そういえばう、後ろから他の傭兵たちが!?」
振り返るが、誰一人として後を追って来ていない。
「……あれ…」
先ほどの姉妹たちの言い方から察するに、追っ手はかなり来ている筈なのだが……後ろの地下道は不気味なほど静まり返っている。すると、その暗闇からカツン……カツン……と足音が響いてくる。やけに心地良い音だ。
そんな事を考えていると、暗闇から一つしなやかな影が伸びる。
怪しげで独特な色の瞳、ディバーナとはまた違う、怪しげな眼をした淑女だった。彼女の顔を見ていると、その艶やかな唇がゆっくりと開く。
「あら……見惚れちゃダメよ?」
目の前に居たはずなのに、気がつけば耳元に吐息が当たっていた。驚いて振り返るが、そこに女性の姿は無く、周囲を見渡してもどこにもいなかった。
慌てるクレイに、見兼ねた鬼の形相は言葉を落とす。
《お戯れはその辺に。ミラージュ殿》
その言葉が聞こえた途端、クレイは後ろから両目を塞がれる。
「ッッ!?」
「ゴメンナサイね、可愛かったから」
バッと振り返ると、今度こそあの女性を目視することができた。その女性はタロットカードや水晶玉を持っているようで、手元で手品のように遊ばせていた。驚いたのは『ミラージュ』と呼ばれた女性の格好だ。先ほどは気が付かなかったが、黒いランジェリーに同じ柄のタイツと肘まで丈のある手套、そしてシックなネイビーブルーのヴェールを纏っただけの格好だったのだ。
……もう全裸の方が逆に健全かも知れない。露出狂もびっくりだろう。
「と、とりあえず助けて頂いてありがとうございます……それで、貴方たちは?」
さりげなくリボルバーを拾い上げ、ディバーナを庇いつつ銃口を向けようとするが、その手を『サムライ』であろう男に掴まれてしまった。
《敵対行動は控えられよ。貴殿の為でも有る。もし此方達と相対するのであれば、斬るしか無くなる。控えられよ》
「……わかりました」
素直にリボルバーをしまう。
「それで、貴方たちは一体何者なのです?後ろから来ていた追っ手は?なぜ助けてくれたのですか?」
吹き出した疑問を矢継ぎ早に投げつけるクレイの唇に、そっと人差し指が添えられる。
「慌てないの。答えてあげるから……でも、その前に」
ミラージュはふわりとヴェールをなびかせ、こちらに向く。
……その挙動を目で追っていた。その筈だ。視線は動かさなかった。
「念の為、場所だけ変えましょうか」
気が付けば背後に回られていた。クレイはミラージュの柔らかな体に抱き寄せられ、フワッと口元にその手套を当てられる。瞬間、意識と脳が思考を止め、全身が脱力し、心は強烈な睡魔に支配された。夢と現実の境があやふやになっていく。
クレイは甘い香りの中必死に抗っていたが、ミラージュが耳元で何かを囁いた途端、抵抗虚しく彼の意識は深く深く落ちていった。
「……んグゥ?」
「……起きたかドゥルモ」
揺れる車体で、ドゥルモが目を覚ます。
「はれぇ……?あのヘンなカッコしたやつはー?」
「あ~、強すぎて相手にできないから逃げた」
ディーツは飴を口に入れながらモニョモニョと答える。
「じゃあおうち帰る?」
「そ」
「んじゃあもうちょっとドゥルモ寝てるー」
「あぁ、ゆっくり寝てろ」
ダリスの膝で、再びドゥルモが瞼を閉じる。すると、数秒もしないうちに寝息が聞こえてきた。
「……久々に出てきてボロい儲けかと思ったら『アントヘルズ』とか……ついてねぇな」
「しょーがないじゃんダリ姉。しかも相手は『アントヘルズ』の中でも力で言えばNo.2の猛者っていうか、一種の化け物だし」
しかし、ドゥルモが殺されなかった事を考えると、無闇やたらに人を襲うような連中では無いらしい。組織がそうなのか、「トカゲ」本人がそうなのかは分からないが。
「……あ~、今日の夕飯どうするダリ姉~。結局収穫なしだぜ~?」
ディーツの言葉に、少し悩むそぶりを見せたダリスは、苦渋の決断をする時の顔をしていた。
「……おい、小銭はいくらある?」
「あー……ちょっとだけならまだあるぜー?いっても300Bしかないんじゃあ、インスタント2つぐらいしか買えんけど」
「……いや、電話ボックスを見かけたら止まってくれ」
「……?わかったー」
ダリスは懐から一枚の便箋を取り出す。そこには達筆でとある電話番号が書かれており、右端にはキスマークがついていた。
電話ボックスに着くと、ダリスは受話器を持ち上げ番号を打ち込む。通話時間は限られている。出来るだけ効率よく伝えなければ。
2、3コール後に、艶やかな声が響く。
『はぁい?どなたかしら?』
この声を聞くたびにイラッとするが、今はそれどころでは無い。
「……あ、アタシだ……ダリスだ……」
名乗った途端、受話器越しの声はとても愉快そうにトーンが上がる。
『あらぁ~?『シスターズ』のご長女様じゃないのー?どうしたの~?ついこの間までは「覚えておけよ~」な~んて言ってたのにぃ』
ケラケラと小馬鹿にしたような声が鼓膜を揺らす。額に青筋が浮かびそうだ。
「……仕事を……回してくれないか……」
『え~、でもお姉さんが手渡した便箋「いらね~破いてやるぅ~」な~んて言ってなかったかしら~?』
「んぐっ……お前ぇ…アタシが下手に出てりゃあ……」
ググ……と受話器を握る手に力が入る。
『あらいいの~?お姉さんこのまま通話ボタン押しちゃってもいいのよ~?』
「ぐっ…わ、わかった。お願いだ……この通り……」
ひとしきり揶揄ったので気が済んだのか、相手は軽快に答える。
『そこまでお願いされちゃあ断れないわねぇ~、あぁ~お姉さん人望あって困っちゃうわぁ~♡』
殺意が湧いてくるが、ここでアイツが通話ボタンを押したら全て終わりだ……堪えなければ。
『じゃあ、お姉さんと貴方たちが出会ったあの建物で会いましょう。仕方がないから紹介してあげるわ。あ、お姉さん達より遅かったら帰っちゃうから~急いでね~』
ガチャリと受話器を下ろした後に、電話ボックスの扉を蹴り飛ばして出る。
「おー、ダリ姉お帰り~、次は~?」
「……この街を出る、行き先はその後教える」
「おー、わかったー」
シスターズの車は、混沌と無秩序蔓延る街に踵を向けた。
電話越しにガチャンッ!っと乱暴に受話器を降ろす音が聞こえたので、相当頭に来てるのだろう。
最新式の携帯をテーブルに置き、バスルームから出る。まだ少し濡れている髪のせいか、肌から立ち昇る湯気のせいか、その女性の色気はいつもより増しているように見える。
「あ、ローズ……お風呂の中でなにかお話してた?」
「あら、聞こえちゃってた?」
「うん、なんか楽しそうだったね」
「そーなのよ~、可愛い三姉妹ちゃんが電話をかけてきてね~」
「えーっと……ごめん、覚えてないや」
「いいのよクローバー。それよりごめんなさい、この後仕事ができちゃったから、出かける用意をしてくれるかしら?」
「うん、わかった」
クローバーはのっそり立ち上がると、収納バックを腰裏に装備する。
向こうからすれば気に入らない相手に連絡をとってきたのだ。余程切羽詰まっているか、仕事で失敗したとかなのだろう。仕事の斡旋は正直言って紹介する側にもされる側にも得が無い。こういう事を同業者同士でやってしまえば、それは自分たちの名前を下げるような行為にも等しい。
紹介した側が上であり、紹介された側は下であると格付けがされてしまう。
逆に仕事を回した方は純粋に自分たちの稼ぎが少なくなるのだ。故に、余程のことじゃないと他者に泣きつくような行為はできないし、仕事を回してやるなどもっての外だ。
「まぁでも、可愛いからつい構っちゃうのよね」
サイドカーにクローバーを乗せ、ローズはいつものように相棒に跨り加速する。
次会った時はどうやって揶揄おうか、ローズは悪いお姉さんの顔になっていた。
目が覚めると、何故かランジェリー姿のお姉さんに膝枕されていた。
「あら?気がついたのね」
急いで上体を起こそうとすると、抱き抱えられるように寝転がされ、頭を撫でられる。
「焦らないでいいのよ。貴方が連れてたコは無事だから」
寝ている状態から目だけを動かすと、『サムライ』であろう男のそばにディバーナが立っていた。
「ね?大丈夫、大丈夫よ」
「……えぇと、それは分かりましたから、とにかく離して頂けますか?」
クレイがそういうと、「あら、ザンネン」と何故か寂しそうに解放してくれた。
「それで……色々と聞きたいのですが……」
姿勢を正し、辺りを見回す。どうやらとある建物の一室のようだった。
「えぇ、いいわよ。じゃあ~何から聞きたいのかしら?」
ランジェリー姿の女性は、どこからか水晶とタロットカードを取り出し手元で遊ばせ始める。
「貴女と……そこの『サムライ』のような武装の方……貴方達は何者なのですか?」
《ほう……此方の正体を一目で見破った者は久しいな》
サムライの言葉に続くように女性が答える。
「そうねぇ……『アントヘルズ』って言葉は知ってるかしら?」
「……いいえ。先ほど三姉妹から聞くまでは心当たりが」
「あら、意外と知らない人もいるのね」
女性はちょっとだけ驚きの表情を浮かべる。
「そうね、私は『ミラージュ』、そこにいる剣士は『トカゲ』ちゃんよ」
《その呼び方は控えられよ。ミラージュ殿》
ゴメンナサイね、とウィンクで伝えつつミラージュは話を続ける。
「私たちは、『アントヘルズ』っていう組織に属しているの。その任務で近くにいたら、君が襲われているのが見えて、トカゲちゃんが飛び出して行ったのよね」
手套をつけた腕を口元に当ててウフフと笑うミラージュ。
「……では2つ目の質問です。あの時、自分たちの後には追手が迫ってきていた筈です。ですが、来たのは彼等では無く貴女だった。追手はどうしたのですか?」
「あぁ~、あの人たちは今頃み~んな迷子になってるわぁ~」
「……はい?」
「ちょっと難しいんだけど……そうね、錯覚のようなもの……と言っておくわ」
「錯覚?」
「えぇ」
ミラージュは微笑むと、目の前に一つのタロットを取り出して見せてきた。
「これは今貴方の目の前にあるでしょう?」
「……?はい」
すると次の瞬間、ミラージュの手にあったカードはフッと消える。
「……ッ!?」
「でも、実は貴方の後ろにあったり」
バッと振り返ると、本当にあのカードが自分の後ろに置いてあった。
「人は見たいものしか見えない。見えてなければ無いのと同じ」
ミラージュは上品に笑うと、クレイにそのミステリアスな瞳を向ける。
「まぁ~こんな感じね。これは私の得意技なの~、騙し絵とかそんなものだと思ってくれると分かりやすいかもしれないわ~」
「………」
つまり、錯覚や死角などを巧みに用いる技術を有しているのだろう。そんな力を使われては、ただでさえわかり辛い地下の通路など、迷宮と何ら変わらないものになってしまう。追手が来なかったのも、ミラージュがこの力を振るった為だろう。
……しかし、目で追っていても見失う程の力。視線の誘導など色々あるのだろうが……
敵に回すと厄介極まりない力ではある。今の所、敵意は感じないが。
「じゃあ今度は私が聞くわね~。君はどうして追われているのかしら?」
ミラージュの怪しげな瞳に捕捉され、息を呑む。本能的に感じた。彼女に嘘は通用しない。
「……実は、そこの女性を約束の場所まで連れて行く……という約束をしていて」
「ふぅん?もう一つ聞かせて?貴方達はどんな関係なの?」
ヴェールの内側から、誘うような声色が耳を撫でる。
「ぐ、偶然知り合った仲です」
クレイの言葉に一瞬怪訝な顔をするが、すぐにあの穏やかな顔つきに戻った。
「へぇ?どうやら嘘じゃあ無いみたいね~?それにしても偶然会った子のお守り……フフっ……あぁゴメンナサイ?馬鹿にしてるんじゃ無いのよ?純粋というかお人好しというか」
何故かミラージュは嬉しそうに微笑む。
「いいわねぇ~ボーイミーツガール。ねぇトカゲちゃん、この子達送り届けてみない?」
ディバーナを見張るように立っていたトカゲは、ガチャリと風変わりな甲冑を鳴らしてこちらに向き直る。
《此方は構わぬ。だが良いのか?縁は縁だが、素性が分からぬ者に変わりはない》
「そこは大丈夫よぉ~。彼、彼女に危害が及ぶような行動は取らないと思うわ~」
《……ならば構わぬ》
そう呟くと、トカゲはクレイの目の前に立ち、腰に装着していた巨大な日本刀を鞘ごとガシャンッ!と突き立てた。
《暫し、貴殿の為に刀を振るおう。先祖代々の名にかけて貴殿を守る》
「あ、ありがとう……ございます?」
「あぁ~、ゴメンナサイね。彼、ちょっと義理堅いというか礼儀作法を物凄く大事にしてるのよ~」
困惑気味のクレイの肩に手を置き、耳元で囁くミラージュ。フワッと甘い香りに撫でられ、一瞬力が抜ける。
「それじゃあ行きましょうか」
ディバーナとの出会いは偶然で、成り行きに任せてここまできた。図らずとも心強い援軍も得られた。もうここまで来たのだ。
クレイはディバーナの手を握り、力強く言葉を紡ぐ。
「絶対、送り届けますから」
その言葉に、ディバーナはほんの少しだけ表情を緩ませた。
「飽きた」
「我慢しろ」
「てかさー、何で毎回こういう役目回される訳~?」
「ニル様直々の命です。名誉ある事でしょう」
「じゃあオトギリとネメシスでいいじゃん」
つまらなそうにフーセンガムを膨らますアマネは、メイド服をパタパタさせながら座り込んでいる。
「もういいや、そこら辺行ってくる~。もし戻る前に合流したんなら連絡くれー。頼んだぞネメシス~」
持ち場を離れようとするアマネに対し、オトギリが咎めるような口調で制止する。
「アマネさん、貴女ほどの方と言えど勝手な行動は許されませんよ。これはニル様から直々の……」
言いかけた途端に、アマネが持っている日本刀の鞘が、オトギリの喉元に当たる。
「それ以上言ってみな。それが最後になるぜ?」
「………ッッ……」
オトギリはごくりと喉を鳴らすことしかできない。
「………そのくらいにしておけ」
ネメシスが鞘を掴んでオトギリの喉から離す。同時に硬直していた空気も少し和らいだ。
「好きにしろ」
「んー、ネメシスは話がわかる奴だなー」
そのまま手を振ってどこかへと行ってしまうアマネ。影が見えなくなった頃にオトギリがネメシスに話しかける。
「行かせてしまって良いのですか?不足の事態に備えて、貴方やアマネさんのような強力な人材を配備したのでは?」
ネメシスはキュッとグローブを付け直すと、低く声を響す。
「……察してやれオトギリ。お前の祖国とアマネは小さくない因縁がある。Lostsのメンバーは過去資料を廃棄される……だが、何となく察しはつく。お前と一緒にいて思うところがあるのだろう」
「………」
オトギリも理解したのか、無言で俯いた。
「それにだ」
ググッとグローブを付け直し、キュッとネクタイを締め直すと、ネメシスは堂々言い放つ。
「『不足の事態』など起こらん。ここには俺がいる」
目的地に近付いたのだろう。何となく彼女の歩む足が緩やかになっている。
「……そろそろ着きますかね」
「……」
彼女は特に答えない。それでも良い、何となく表情で分かる。
……この儚げな彼女の横顔も、これで見納めだと思うとちょっとだけ寂しいが。
「……あの…」
クレイが言葉を発そうとした途端、ガチャリガチャリと鳴っていたトカゲの足音が突然止まる。
《………》
風変わりな武装の男の前に、色付きのサングラスを付け、フーセンガムを膨らましたメイド服の女性が立っていた。
「……あ?」
女性がクイッとサングラスを持ち上げて、トカゲを睨みつける。
……その表情は、殺意と憎悪に満ち溢れていた。
瞬間、トカゲは腰から日本刀を引き抜き、クレイ達を庇うように前に出る。
《……ミラージュ殿、先に行かれよ》
「……トカゲちゃん、彼女は?」
《……知らぬ、だが感じる。此方と同郷の者だ。急がれよ》
トカゲが言い終わると、メイド服は目にも止まらぬ速さでトカゲに斬りかかった。それを大太刀で受け止めると、わざと力を込めてクレイ達と反対方向に弾き飛ばす。
《行かれよ!!》
「で、でもっ!」
「トカゲちゃんなら大丈夫、急ぎましょう」
ミラージュに手を引かれながら、その場を離脱するクレイとディバーナ。それを横目で見ていたメイド服は、サングラスの位置を直すと、噛んでいたガムをプッと吐き出した。
「………テメェ何者だァ?」
いつもと違い、殺気をギラつかせながら睨むアマネ。
《……貴殿こそ何者だ。姿形は違えど、此方と同じ空気を感じる》
「………」
アマネは納刀すると、ふーっと息を吐いて続ける。
「 繝?Γ繧ァ縲√%縺ョ險?闡峨′蛻?°繧九°?」
アマネの発したそれは、あまりにも音が流暢で複雑なものだった。これが言語であると知っていなければ、暗号と大差ない難易度だろう。
だが、トカゲにはその言葉がハッキリとわかったらしい。確信めいた声で続けた。
《成程、今しがた確信した。『皇国言語』を操るとすれば、貴殿「混ざり者」だな?》
その言葉を聞いた途端、アマネの額にビキリと血管が浮かぶ。
「テメェ、この野郎。イカれた戦闘民族が……」
《ならば、此方も出自を明かすのが礼儀か》
トカゲは納刀すると手甲についた模様を見せる。
「……お、まえ……『多楼門』の一族かッッ!!」
《その名はとうに捨てている。今は『トカゲ』……道を外した一人の剣士だ》
ひゅうと風が鳴き、お互いは抜刀する。
《………》
「………」
日本刀を持つ二人の剣士は、静かに……だが痺れるほどの殺気と剣気を纏い……
殺し合いを始めた。
「……ったく、出口どこだよ……」
「ここ、こんなに入り組んでたっけかぁ……?」
クレイ達が脱出した地下道、その中には後を追っていた賞金目的の連中が、絶賛迷子中だった。
「なんかあれだよな……下着姿の女が見えたと思って二度見したら、知らん通路に出てたんだよな……」
「あぁ、それな……な~んかどっかで見た事あるような気がするんだよな~あの女……」
「いい体してたよなぁ……ヒヒっ…」
「………おい、なんか聞こえないか?」
「あん?」
耳を澄ますと、確かに何か金属質な音が連続で聞こえる。
次の瞬間には無数の瓦礫と共に、古風な甲冑の男とメイド服の女が鍔迫り合いをしながら飛んできた。
「はぁっ!?」
「ブベッ!?」
飛んできた瓦礫に潰されるものや、殺し合っている二人の斬撃に巻き込まれる者が続出。地下道は一瞬でただの迷宮から地獄の迷宮へと変わり果ててしまった。
人の流れなど全く関係無しに、2人の剣士は閃光を撒き散らす。
そんな中、アマネは逃げ遅れていた太り気味の男を蹴り飛ばす。
「邪魔だ肉団子!!」
「おごっ!?」
《その程度の肉壁で、此方の太刀筋は止まらぬッッ!》
「ぎゃあぁぁぁっっっ!!」
太り気味の男を足蹴にしたアマネだったが、トカゲはその男ごと両断した。
「な、なんだこいつら!やべぇ!逃げるぞ!!」
「じゃあ出口どこだよっ!!さっさと、ぎゃっ」
喋っていた男の顔が、上から半分なくなった。
(………チッ、流石大太刀と全身甲冑で武装したサムライってことかよ。メンドクセェ)
世界最古の国家『陽ノ本皇国』。その国の戦闘民族たる『サムライ』は、古来より身を守る「盾」を持たない。何故なら、その身に纏っている甲冑で敵の攻撃を全て受け切る為である。
(それにあの『トカゲ』とかいう奴が装備してんのは「大鎧」だ……あー、あー、格式たけぇ御家だこと。クソ喰らえ)
そんな事を考えながら、逃げ惑う賞金稼ぎ達を鬱陶しく見ていると、その体が4つ5つ程さっぱり真横に両断される。
「……化け物が……」
血飛沫の中から、鬼の形相が大太刀引っ提げてやってきた。
《邪魔だ。無益な殺生はせぬが、しがらみと成るのであれば片端より撫で斬りぞ》
「う、うわぁぁぁぁぁッッ!」
人の流れが激流と化す。
「……ハァ~……」
アマネはガシガシと頭をかくと、メイド服の裾を持ち上げる。その中から、ボトリボトリと手榴弾が産まれてきた。アマネはそれを一斉に蹴り飛ばすと、人の流れの中へ投じる。
「爆死あそばせ~」
……閃き、爆散した。
「冥土へ団体様ごあんなーい……ってか?メイドだけに」
人の流れは止まり、そのほとんどが地べたに付着した肉片か、呻く肉塊となった。
《……ふむ、火薬か》
「ったく、これだから戦闘民族はよぉ……」
プク~っと膨らませたフーセンガムを、口の中でパチンと割る。あの爆発でも、どうやらサムライは無傷らしい。
「……あの国の連中見ると条件反射で殺したくなるんだよ、髪の色見りゃ分かるだろ?」
色付きサングラスの位置を直しながら言葉を紡ぐアマネ。
《……その武器、そしてその髪の色。全てとは行かなくとも、事情は大方理解出来る》
トカゲは返り血のついた大太刀を、懐から出した紙で拭う。
「……はぁ、テメェとは決着を付けたかったが……」
アマネは懐から携帯を取り出した。何かメッセージが来ていたのか、それを確認すると続ける。
「……時間だ」
言うや否や、アマネは横薙ぎに地下道の支柱を数本切断する。支柱はまとめて砕け、余波で飛んだ瓦礫が別の支柱へぶつかり、そして次の支柱もへし折られるという始末。だるま落としとドミノを建造物レベルでやっているような大惨事だ。
この様子なら地上の床は崩落し、あと数分もすれば野次馬たちの観光名所になっているだろう。
「仕切り直しだ。テメェとはいつか決着をつける。生きてたらな」
背中を向け、アマネは落ちてくる瓦礫を踏み付け、飛び移りながら地上へと出ていった。
《……ふむ、退くか。ならば此方も彼らの後を追わねばな》
崩落が始まる中、トカゲは悠長に崩壊する地下道を歩いて行く。
「え………」
絶句した。有り体に言えば。
「……ありがとう、私の兵隊さん」
ディバーナは、クレイの尽力もあり目的の場所に辿り着いた。
「そしてごめんなさい。ずっと黙っていて」
だが彼女の側にいるのはクレイでは無く、ヘッドギアに黒スーツの男と、看守服を着た陰気な男だった。
「貴方と一緒に居た時間は、とても楽しかったわ。でも、やっぱりダメだったの……」
物憂げな視線がぶつかる。
「貴方は私を助けてくれた。だから少しこの世界に希望を持っていたの……でも、そんな貴方は撃たれてしまった」
ディバーナはクルリと踵を返すと、顔だけ振り返って言葉を紡ぐ。
「やっぱり世界は醜いわ。優しい貴方を撃った世界が、私は嫌い。だからごめんなさい。彼らと行く事にしたの」
「ま、待って!意味が分からない!」
必死に引き止める。このまま行かしてはダメだと、本能が全力で訴えて来る。
「私は歌を歌っていた。醜い世界を隠すような歌を吐き続けていた。ステージの上では仮面みたいに笑えても、私は心の底から笑えた事が無かった。だから私は、世界の醜さをもう隠さない」
彼女なりの価値観なのだろう。何を言っているのかまるで理解が出来ないが、声に迷いが見えない。本気みたいだ。
……なら、今ここで彼女を撃ってでもッッ!
装填したリボルバーを構えようとしたが、それをミラージュに止められる。触られた腕から力が抜けて、遂には手放してしまった。
(やめた方がイイわ……側にいるあの2人は、とても強い。特にあのロボットみたいな顔の人……得体が知れないわ。私でも多分逃げ切れない)
そういうミラージュの視線は、ヘッドギアをつけた男の方ではなく、看守服を着た陰気な男に向いていた。
「……ったく、あのサムライめ……」
瞬間、後ろから聞き覚えのある女性の声が響く。
「……あ?なーんだ、コイツらお守役だったのかよー」
ちゃくちゃくプーとフーセンガムを膨らましつつ、色付きサングラスをクイッとあげると、真横を通り過ぎてディバーナの側へと行く。
「……随分埃まみれだな、アマネ。何があった」
「ツイてねーよホント。クッソタレの鬼の形相がいやがった。帰ったらシャワー浴びて寝るかな」
「返り血を敢えて浴びるような貴女がそこまでやられるとは……誰です?そのデーモンフェイスとやらは」
アマネと言われたメイド服の女性は、ガシガシと髪の毛をかいたあと、言い辛そうに続ける。
「……テメーんとこの同郷、もう良いだろ。帰るぞ」
その言葉で全て察したのか、看守服の男は黙った。
「……あ、そーだ。お守役のごほーびに教えてやるよ。あのサムライは多分死んでねぇよ。アイツに伝えとけ……」
膨らませたガムをバチンッ!と噛んで割る。口の周りについたガムを舌で舐めながら続けた。
「『簡単に殺されるんじゃねーぞ』ってな。アバよ」
ディバーナを連れた3人は、踵を返す。
「……あの!」
離れていく背中に向けてクレイが言葉を押し出すと、ディバーナが振り返った。
「……い、いつか!君が、心の底から笑っていられる世界を作るから!だからえっと…その時は!自分が迎えに行く!だから……その……」
勢いで言った手前、二の句を考えていなかった。アタフタ何とか言葉を探していると、彼女の声が美しい旋律を奏でた。
「……待ってるわ」
その言葉と声で、自分から出た言葉は、取り繕いから覚悟に変わった。
「……ちょっと良いかしら?」
クレイに引き止められた彼女達に、今度はミラージュが言葉をかける。
「そこの暗い顔のヒト、お名前は何て言うのかしら?」
おそらく名指しされたであろう看守服の男が、こちらを振り返る。しかし、興味なさそうに吐き捨てた。
「名乗る義理はありませんね。では」
「……」
今度こそ、彼らはディバーナを連れて行ってしまった。
それから、しばらくしてトカゲさんが合流した。アマネという女性が「多分生きている」と言っていたので心配はしていなかったが、何故か古風な鎧の所々に小さめの瓦礫がくっついていた。
「無事だとは思っていましたが……また会えて良かったですよ、トカゲさん」
ガチャガチャと古風な鎧に着いた瓦礫を払い落としながら、トカゲは答える。
《うむ、貴殿も無事で何よりだ。遅れてしまったのは面目ない。なにぶん、あの者が地下道の支柱を切って一部を瓦解させてな、落下してくる瓦礫を全て斬り捨ててきた故、こうして合流が遅くなった。ご容赦願いたい》
「容赦も何も、その状態から良く生き延びましたね……」
ひと段落すると、ミラージュがクレイに問いかける。
「……それで?これから貴方はどうするのかしら?」
「……そう、ですね」
誓った言葉は覚悟へ変わる。記憶がなくとも、もう決意は揺るがない。
「今すぐ彼女を迎えに行きたい事ですが、記憶をなくした自分一人で出来る事はとても限られているでしょう。なので、まずは力ある組織に入ろうかと」
クレイの言葉に、ミラージュは微笑を浮かべて続ける。
「……ねぇ、一つ提案があるのだけど?」
「奇遇ですね。自分からも提案があるんですよ」
彼女が心の底から笑える世界を創る為に。
「『アントヘルズ』に、空席はありますか?」
彼の物語は、加速していく。
「歓迎するよ、歌姫」
何処とも知れぬ場所、ニルとその仲間たちが一同揃っていた。
「……えぇ」
「決心とやらがついたみたいだね?」
「……えぇ」
目の前に、新たに加入する組織のリーダーがいるというのに、ディバーナの目は虚ろだった。
「なーんか心ここにあらずだなー。つまんね」
「面白さを求めるなアマネ」
「あらぁ、可愛い女の子じゃない~、味見したいわぁ~……じゅるる」
「……見境が無さすぎですよ、リリス」
「見境も何も、私はバイよ?」
「聞いてません」
各々自由に話すメンバーを前に、ニルがそばの机をトントンと叩く。その音でメンバー全員がピシリと沈黙した。
「まぁ賑やかな場所だけど、すぐ馴染めると思うよ」
にこやかに紡ぐと、思い出したように続ける。
「あぁそうだ。仲間に加わるのだから、その名前は目立ちすぎるね。どうしようか……」
ニルが唇に指を当てて思考のポーズを取る。しかし、ニルの考案を待たずにディバーナの方から口を開いた。
「……『オルゴール』」
「……ん?オルゴール?」
「……この名前がいいわ。響きが好きなの」
ディバーナの言葉に、ニルは嬉しそうに答える。
「オルゴール、オルゴールか。お洒落で素敵な名前じゃないか」
ニルはトコトコとディバーナの前まで歩き出すと、片手を出しながら続ける。
「では、改めて………」
「『Losts』へようこそ、『オルゴール』」
彼女の音色は世界から消え去り、混沌と無秩序の街に新たな祝福が降り注ぐ。
「……おい」
「ん?なぁにい?」
「仕事をくれとは言ったけどよ……」
三角巾とエプロンを着けたダリスは、プルプルと震える。
「何でオマエの雑用をやらされてんだ!!しかもアタシだけ!!」
藁にもすがる思いで連絡してみれば、なぜだか雑用をやらされていた。
「仕方がないじゃな~い。ディーツちゃんはクローバーと遊んでいるし~?ドゥルモちゃんはアホの子だもんねー?」
ローズはソファに転がり、ドゥルモを抱き枕のようにわしゃわしゃと撫で回す。
「ほへへ~……ドゥルモ、おねーさんの家の子になるぅ~」
わしゃわしゃされるのが心地よいのか、ドゥルモの顔は一層アホっぽくなっていた。
「ウチが17連敗……だと……」
「でも、君も強いとおもうよ」
ディーツとクローバーは、テーブルで向かい合ってカードゲームをしていた。特に奇抜でもない、古き良きカードゲームだ。
「ムゥ……なんかズルしてるとか?」
「いや、お仕事ないときに、やることがこれぐらいしかないから……」
「え……このカードゲームだけ?」
「うん、一人で二役やってた」
ディーツはポカンとしたあと、真剣な表情で続ける。
「……ねぇ、買い物行こう。もっと面白いゲームいっぱいあるから」
「お買い……もの?」
「そーだよー、え……もしかして買い物も行ったことない?」
「いや、ローズと一緒にしかいかなかったから……その、トモダチと行くのは初めてで……」
「………」
「……おい、ディーツ?何ハートを撃ち抜かれたような顔してんだ?おい?」
ダリスが声をかけても、ディーツはギュッと口を結んで、胸の辺りを抑えているだけだった。
「あら~、クローバーに新しいお友達なんて……今日は縁日ねぇ~」
見守るお姉さんの顔をして微笑むローズとは反対に、ダリスの表情は苦虫を潰したそれになっていた。
「アタシは厄日なんだが……」
こうして溢れんばかりの狂気漂う、混沌と無秩序の街の平日が、今日も過ぎていく。
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