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朝日がその光を増す皐月の空の下、そよ吹く風に剣咲きの深紅の薔薇が揺れる。高い柵を覆うように咲く薔薇と濃紫のクレマチスの競演は、それはそれは見事なものだ。この時期にしか見られぬ幽玄な光景を大きな瞳に映し、薔太は安堵のため息を漏らした。
「天国のおじいちゃん。紫仙先生。今年もみんな、綺麗に咲いてくれたよ」
クレマチスは冬の間葉が落ち一見枯れているようにも見えるから、春になり再び芽吹いてくるまで気が気ではなかった。春の開花を想像しながら導引していく地道な作業ありきで艶やかな今がある。だからこそ、こうして競うように咲き乱れる花々を見ると、自然に唇が綻んでしまう。
都内唯一の渓谷近くにある和洋折衷の不思議な建物。ここは著名な画家にして小説家である葛城紫仙の秘密の隠れ家。アトリエ『金蘭亭』だ。
その建物と付随する小さな庭の管理は、長年最も信頼された友である薔太の祖父の手に託されてきた。
四季を彩る花々が配置よく植えられた庭は、つましくも麗しい。没後も紫仙を慕ってここを訪れる人々の目を楽しませている。
(仲良く咲いているね)
庭には他にも多くの薔薇が咲いてはいるが、最奥の一画に咲く薔薇とクレマチスは薔太にとって特別な存在だ。コントラストが強い赤と紫が並び、時には絡み合って咲く。凛然たる姿を見るたびに、胸の中に勇気の灯がともる。
その色合いから祖父の洋紅とその生涯の友たる紫仙に縁が深いと感じていた。ここに立つとまるで彼らがすぐ傍で薔太を見守っていてくれるような、そんな気持ちになる。
薔太は花々に向かいそっと手を合わせた。
(俺、今日も頑張るよ。久しぶりに資料館を開くんだ。お客さんに喜んでもらえるように、見守っていて)
風がさわさわと葉音を立てていく音すら、二人が嬉しそうに立てる笑い声を聞いた心地になる。すうっと深呼吸を一つすると、咲きたての薔薇の香りが柔らかく薔太の身を包んでくれる。
「んっ」
青空を見上げて、伸びをするとちらりと腕時計に目を走らせた。暑からず寒からず。今日は一年でも稀なる良い天気だ。
薔太は首に巻いたタオルで顔を拭うと、ポケットの多い園芸用のエプロンに手袋を突っ込んだ。そして花がらを入れた小ぶりのバケツを持ち上げる。
(そろそろ支度しないと……)
この場所は周囲が閑静な住宅地であり、都会の中にあっても喧騒は遠く、しんと静まりかえっている。渓谷に続く雑木林が背後にあり、小鳥が囀りながらそちらの方へ飛び去って行った。
こうして静謐とした庭に一人でいると、「薔太ちゃんおいで」と代わる代わるに薔太を呼ぶ、祖父たちの穏やかな声が蘇る。
祖父は愛情深く陽気な性格だったから、傍にいるといつでもぽかぽかと暖かく明るい気持ちにさせてくれた。
物静かで他人と交わることを嫌う繊細な気質であった紫仙も、学生時代からの知己で気を許せる祖父の存在は特別だったようだ。そして薔太のことも実の孫のように可愛がってくれた。
親との縁の薄い薔太は二人から庭の花に愛情を込めるように、丹精を込めて育てて貰ったのだ。だが数年前に先に紫仙が、その後を追うように洋紅が病に倒れ幾ばくもなく亡くなってしまうと、薔太は真に寄る辺ない身の上となった。
「静かだなあ。まるでこの世に俺しかいないみたいだね」
思わず大輪のクレマチスに問いかけたが、さわさわと頷くように風に花弁を揺れるだけで、返事が返るわけでもない。花はひと時の慰めをくれるが、今を生きる若い薔太はそれだけでは満たされない。
雲が日にかかり、庭は薔太の心の中を映すように陰り、昏くなる。
片腕を抱くように左拳でぎゅっと握ると、薔太は孤独に耐えるような顔つきで瞼を瞑った。
(さびしい……)
こうして一人でいると時折、胸の隅に飼っている寂しい寂しいと啼く子猫のような感情に支配されそうになる。
こんな時に思うのは、この場所を介してのみ繋がる、ある男の事ばかりだ。今の自分を支えてくれる、たった一人の大切な人。
「薔太」
不意に背後から柔らかく優しい声で呼びかけられ、とくんっと心臓が小さく高鳴る。ちょうど雲が風で押し流され、再び太陽が顔を覗かせた。視界が明るく開け、きらきらと輝きだす。
薔太は満面の笑みを浮かべると、仔犬のように無邪気な仕草で元気よく振り返った。
「しぃ、……紫央さん」
薔太は小さな頃にそうしていたように「しぃちゃん」と甘えたな口調で応じかけて慌てて言い直す。
「おはよう」
「おはようございます」
薔太は一週間ぶりの男との再会に喜び零れる笑顔を隠そうともしない。日頃は三日と置かずに顔を合わせているだけに、嬉しさひとしおといえた。
「天国のおじいちゃん。紫仙先生。今年もみんな、綺麗に咲いてくれたよ」
クレマチスは冬の間葉が落ち一見枯れているようにも見えるから、春になり再び芽吹いてくるまで気が気ではなかった。春の開花を想像しながら導引していく地道な作業ありきで艶やかな今がある。だからこそ、こうして競うように咲き乱れる花々を見ると、自然に唇が綻んでしまう。
都内唯一の渓谷近くにある和洋折衷の不思議な建物。ここは著名な画家にして小説家である葛城紫仙の秘密の隠れ家。アトリエ『金蘭亭』だ。
その建物と付随する小さな庭の管理は、長年最も信頼された友である薔太の祖父の手に託されてきた。
四季を彩る花々が配置よく植えられた庭は、つましくも麗しい。没後も紫仙を慕ってここを訪れる人々の目を楽しませている。
(仲良く咲いているね)
庭には他にも多くの薔薇が咲いてはいるが、最奥の一画に咲く薔薇とクレマチスは薔太にとって特別な存在だ。コントラストが強い赤と紫が並び、時には絡み合って咲く。凛然たる姿を見るたびに、胸の中に勇気の灯がともる。
その色合いから祖父の洋紅とその生涯の友たる紫仙に縁が深いと感じていた。ここに立つとまるで彼らがすぐ傍で薔太を見守っていてくれるような、そんな気持ちになる。
薔太は花々に向かいそっと手を合わせた。
(俺、今日も頑張るよ。久しぶりに資料館を開くんだ。お客さんに喜んでもらえるように、見守っていて)
風がさわさわと葉音を立てていく音すら、二人が嬉しそうに立てる笑い声を聞いた心地になる。すうっと深呼吸を一つすると、咲きたての薔薇の香りが柔らかく薔太の身を包んでくれる。
「んっ」
青空を見上げて、伸びをするとちらりと腕時計に目を走らせた。暑からず寒からず。今日は一年でも稀なる良い天気だ。
薔太は首に巻いたタオルで顔を拭うと、ポケットの多い園芸用のエプロンに手袋を突っ込んだ。そして花がらを入れた小ぶりのバケツを持ち上げる。
(そろそろ支度しないと……)
この場所は周囲が閑静な住宅地であり、都会の中にあっても喧騒は遠く、しんと静まりかえっている。渓谷に続く雑木林が背後にあり、小鳥が囀りながらそちらの方へ飛び去って行った。
こうして静謐とした庭に一人でいると、「薔太ちゃんおいで」と代わる代わるに薔太を呼ぶ、祖父たちの穏やかな声が蘇る。
祖父は愛情深く陽気な性格だったから、傍にいるといつでもぽかぽかと暖かく明るい気持ちにさせてくれた。
物静かで他人と交わることを嫌う繊細な気質であった紫仙も、学生時代からの知己で気を許せる祖父の存在は特別だったようだ。そして薔太のことも実の孫のように可愛がってくれた。
親との縁の薄い薔太は二人から庭の花に愛情を込めるように、丹精を込めて育てて貰ったのだ。だが数年前に先に紫仙が、その後を追うように洋紅が病に倒れ幾ばくもなく亡くなってしまうと、薔太は真に寄る辺ない身の上となった。
「静かだなあ。まるでこの世に俺しかいないみたいだね」
思わず大輪のクレマチスに問いかけたが、さわさわと頷くように風に花弁を揺れるだけで、返事が返るわけでもない。花はひと時の慰めをくれるが、今を生きる若い薔太はそれだけでは満たされない。
雲が日にかかり、庭は薔太の心の中を映すように陰り、昏くなる。
片腕を抱くように左拳でぎゅっと握ると、薔太は孤独に耐えるような顔つきで瞼を瞑った。
(さびしい……)
こうして一人でいると時折、胸の隅に飼っている寂しい寂しいと啼く子猫のような感情に支配されそうになる。
こんな時に思うのは、この場所を介してのみ繋がる、ある男の事ばかりだ。今の自分を支えてくれる、たった一人の大切な人。
「薔太」
不意に背後から柔らかく優しい声で呼びかけられ、とくんっと心臓が小さく高鳴る。ちょうど雲が風で押し流され、再び太陽が顔を覗かせた。視界が明るく開け、きらきらと輝きだす。
薔太は満面の笑みを浮かべると、仔犬のように無邪気な仕草で元気よく振り返った。
「しぃ、……紫央さん」
薔太は小さな頃にそうしていたように「しぃちゃん」と甘えたな口調で応じかけて慌てて言い直す。
「おはよう」
「おはようございます」
薔太は一週間ぶりの男との再会に喜び零れる笑顔を隠そうともしない。日頃は三日と置かずに顔を合わせているだけに、嬉しさひとしおといえた。
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