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さあっと風が吹き抜けて、薔薇とクレマチスが首を縦に頷くように一斉に揺れた。
それを祖父たちも祝福してくれていると薔太は嬉しく思ったのだった。
「しぃちゃん、大好き」
袂に重たい鋏を入れて飛びついたから、袖に勢いがついて紫央に当たってしまった。紫央が不意を突かれて今度こそ「痛っ」と呟いたからお互い顔を見合わせて笑ってしまった。
笑って気持ちがほぐれたついでのように、朝日に照らされ紫央が穏やかな顔で告げてきた。
「薔太一つ誤解を解きに行くとしようか」
※※※
薔太の部屋の灯りをつけると、薔太は足早にカーテンを開けてまわった。薔太の窓の前には明るい黄色の薔薇が沢山伝ってある。モッコウバラは棘がなく伸び伸びとしていて薔太に似つかわしいと紫央が言ってくれたから、薔太のお気に入りの薔薇だ。
「しぃちゃん。こっち、すごく咲いてるでしょ」
しかし振り返った紫央は、紫仙が描いたあの『薔薇炎』の額を壁から外しているところだった。
祖父は造園に使う道具にはこだわりがあり、いつでも錆びぬよう鋏に油をひいたりと手入れを怠らなかったが、亡くなった後に荷物を整理しても捨てるものすらほとんどないほど、持ち物は驚くほど少なかった。
その祖父が大切にしていた絵は、薔太にとっても宝物だ。
「なにしているの?」
「この絵も表向きには『薔薇炎』のスケッチの一つといえるから、この作品も本来ならば紫仙の美術館に所蔵されるべきものなんだが……、一つ秘密があってね。返せとうるさい母もそれを見て断念したんだ」
「断念?」
紫央はこの部屋にも置いてある手袋とドライバーを使ってライナーを取りはずしていった。
「見てごらん」
「これは……」
射干玉の闇の中、血が滲んでいるような赤い薔薇の絵が描かれた絵に張り付けられている紙。いわゆる裏打ち紙のそれ自体に絵が描かれている。
学生服らしきシャツにズボン姿の青年が椅子に腰かけ、窓枠に腕を置いて微睡んでいる。その姿には見覚えがあった。
「おじいちゃん?」
「そうだよ。若い頃の洋紅さんだ。普通に考えたら、洋紅さんが作出した薔薇の裏打ち紙に彼を描いたのはただの洒落っ気で終わるのだろうけど、母さんはそうは思わなかった。どうしてだと思う?」
一流の画家が描いた絵だ。見るものが見たらすぐに気が付いてしまうだろう。
「紫仙先生が好きだったのは……。おじいちゃん?」
「そうだよ」
「じゃあ、俺としぃちゃんは……」
「血は繋がっていない」
「よかった……」
良かった、と思うと同時に寂しくもあった。その複雑な心を見抜いたのか、紫央はすぐに薔太を腕の中に抱き寄せた。
「大場教授が言っていた事は大体外れだが、当たっている部分もある。祖父は学生時代に洋紅さんと親しくなり、片思いをしていたらしい。洋紅さんはその後戦争に取られて、祖父はパトロンの娘と結婚した。表向きは祖父の娘ということになっているが、本当は違う。祖母は出征前に恋人の子を身ごもっていてね。彼はその後戦死してしまった。体裁が悪いと曽祖父に頼まれて紫仙は祖母と結婚したんだ、だから俺は、紫仙とは血が繋がっていない」
「そんな……」
考えてもみなかった秘密が明かされて、薔太は紫央の背に腕を回してその衝撃に耐えることしかできなかった。
「紫仙は生涯、洋紅さんを愛し続けたんだ。でも洋紅さんには千朱さんという愛する人がいて、彼女との間に生まれた娘を愛していた。きっと、精神的には洋紅さんも、友情というには強い気持ちで、紫仙に心を向けてはくれていたのだろう。だが多分。恋人のようには愛してくれなかったんだろう」
(あの絵の薔薇は、狂おしい片思いな気がするもの)
紫央と薔太は目だけで頷きあった。
「これは憶測の域を出ないが……。だから『甘い束縛』はフィクションでありつつも、一部はきっと紫仙の私小説なのではないかと俺は思っている。紫仙の願望を現したという意味では」
「……」
「俺の母は成人するまで紫仙が自分の父親だと信じて疑わなかったのだそうだ。家を省みぬ父を恨んで……。真実を知ってからも中々心を変えることは出来ない。もしかしたら薔太のお母さまも二人の関係を疑って……。これも憶測の域を出ないが」
「俺の父さんのことって、しぃちゃんは知ってるの?」
「薔太のお父さんはご存命だ。二十歳になったから、薔太が望むならば知らせてもいいことになっている。……妻子ある人で、会うことはかなわないかもしれないが」
「そっか……。なんだか複雑。じゃあ……。しぃちゃんのお母さんが俺の事も良く思わないのは当然だよね。父親の心を奪っていた男の、孫だもの。それに……、大切な息子を誑かしてる」
「誑かす」
そうなぞってから紫仙はくすりと微笑んだ。
「こんなに可愛い人からなら、幾らでも誑かされたいものだ」
それを祖父たちも祝福してくれていると薔太は嬉しく思ったのだった。
「しぃちゃん、大好き」
袂に重たい鋏を入れて飛びついたから、袖に勢いがついて紫央に当たってしまった。紫央が不意を突かれて今度こそ「痛っ」と呟いたからお互い顔を見合わせて笑ってしまった。
笑って気持ちがほぐれたついでのように、朝日に照らされ紫央が穏やかな顔で告げてきた。
「薔太一つ誤解を解きに行くとしようか」
※※※
薔太の部屋の灯りをつけると、薔太は足早にカーテンを開けてまわった。薔太の窓の前には明るい黄色の薔薇が沢山伝ってある。モッコウバラは棘がなく伸び伸びとしていて薔太に似つかわしいと紫央が言ってくれたから、薔太のお気に入りの薔薇だ。
「しぃちゃん。こっち、すごく咲いてるでしょ」
しかし振り返った紫央は、紫仙が描いたあの『薔薇炎』の額を壁から外しているところだった。
祖父は造園に使う道具にはこだわりがあり、いつでも錆びぬよう鋏に油をひいたりと手入れを怠らなかったが、亡くなった後に荷物を整理しても捨てるものすらほとんどないほど、持ち物は驚くほど少なかった。
その祖父が大切にしていた絵は、薔太にとっても宝物だ。
「なにしているの?」
「この絵も表向きには『薔薇炎』のスケッチの一つといえるから、この作品も本来ならば紫仙の美術館に所蔵されるべきものなんだが……、一つ秘密があってね。返せとうるさい母もそれを見て断念したんだ」
「断念?」
紫央はこの部屋にも置いてある手袋とドライバーを使ってライナーを取りはずしていった。
「見てごらん」
「これは……」
射干玉の闇の中、血が滲んでいるような赤い薔薇の絵が描かれた絵に張り付けられている紙。いわゆる裏打ち紙のそれ自体に絵が描かれている。
学生服らしきシャツにズボン姿の青年が椅子に腰かけ、窓枠に腕を置いて微睡んでいる。その姿には見覚えがあった。
「おじいちゃん?」
「そうだよ。若い頃の洋紅さんだ。普通に考えたら、洋紅さんが作出した薔薇の裏打ち紙に彼を描いたのはただの洒落っ気で終わるのだろうけど、母さんはそうは思わなかった。どうしてだと思う?」
一流の画家が描いた絵だ。見るものが見たらすぐに気が付いてしまうだろう。
「紫仙先生が好きだったのは……。おじいちゃん?」
「そうだよ」
「じゃあ、俺としぃちゃんは……」
「血は繋がっていない」
「よかった……」
良かった、と思うと同時に寂しくもあった。その複雑な心を見抜いたのか、紫央はすぐに薔太を腕の中に抱き寄せた。
「大場教授が言っていた事は大体外れだが、当たっている部分もある。祖父は学生時代に洋紅さんと親しくなり、片思いをしていたらしい。洋紅さんはその後戦争に取られて、祖父はパトロンの娘と結婚した。表向きは祖父の娘ということになっているが、本当は違う。祖母は出征前に恋人の子を身ごもっていてね。彼はその後戦死してしまった。体裁が悪いと曽祖父に頼まれて紫仙は祖母と結婚したんだ、だから俺は、紫仙とは血が繋がっていない」
「そんな……」
考えてもみなかった秘密が明かされて、薔太は紫央の背に腕を回してその衝撃に耐えることしかできなかった。
「紫仙は生涯、洋紅さんを愛し続けたんだ。でも洋紅さんには千朱さんという愛する人がいて、彼女との間に生まれた娘を愛していた。きっと、精神的には洋紅さんも、友情というには強い気持ちで、紫仙に心を向けてはくれていたのだろう。だが多分。恋人のようには愛してくれなかったんだろう」
(あの絵の薔薇は、狂おしい片思いな気がするもの)
紫央と薔太は目だけで頷きあった。
「これは憶測の域を出ないが……。だから『甘い束縛』はフィクションでありつつも、一部はきっと紫仙の私小説なのではないかと俺は思っている。紫仙の願望を現したという意味では」
「……」
「俺の母は成人するまで紫仙が自分の父親だと信じて疑わなかったのだそうだ。家を省みぬ父を恨んで……。真実を知ってからも中々心を変えることは出来ない。もしかしたら薔太のお母さまも二人の関係を疑って……。これも憶測の域を出ないが」
「俺の父さんのことって、しぃちゃんは知ってるの?」
「薔太のお父さんはご存命だ。二十歳になったから、薔太が望むならば知らせてもいいことになっている。……妻子ある人で、会うことはかなわないかもしれないが」
「そっか……。なんだか複雑。じゃあ……。しぃちゃんのお母さんが俺の事も良く思わないのは当然だよね。父親の心を奪っていた男の、孫だもの。それに……、大切な息子を誑かしてる」
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