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0試合目 金持ちの道楽

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 東京のとある繁華街。キャバクラ『スカイ』。
 「おうおうおう!もっと酒飲ませろよ!」
 「ちょっと、安達あだちさん。飲み過ぎです」
 客の男、安達が嬢に宥められていた。
 「うるせぇ!俺ぁあの格闘家安達一夫あだちかずおだぞ!」
 「それは分かっています!ですがもう飲み過ぎですよ!」
 どうやらその迷惑客は格闘技界では名を知らない者は居ない、有名な元格闘家であった。
 「けっ、引退してから暇なんだよ」
 そう言って安達は近くにあった酒瓶を手に取ろうとする。しかし、それはある男に止められた。
 「お客様。他のお客様に迷惑ですので、今日のところはお帰りください」
 「あぁん?」
 安達がその男を見る。その男はオールバックで自身と身長が同じくらいであった。しかし、安達が唯一違和感を感じたのは、その男が用心棒ではなく、ボーイだったことだ。
 「お客様はもう随分とお飲みになったでしょう。しかも、女の子も止めている」
 「それがなんだってんだ?」
 「もう、お酒を飲むのは止めた方がいいと、先程から仰っています」
 「けっ、ボーイ風情がよく言うぜ」
 安達がボーイの胸ぐらを掴む。
 「俺ぁあの安達一夫だ。テメエみたいなガキじゃ分からねぇだろうが、10年前はプロの格闘家として活躍してたんだぜ?」
 「そうですか。ですが、お客様は平等。例え貴方が偉大な人でも、私は貴方がお酒を飲むのを止めます」
 「くそがぁ!調子に乗りやがって!」
 安達が右手のストレートを男の顔に決めようとする。
 「きゃあっ!」
 嬢が顔を手で覆う。しかし。
 「なっ、このガキ……」
 「お客様。警察を呼んでもよろしいのですよ」
 男は、安達のパンチを手で受け止めていたのだ。
 「こ、このバケモンがぁぁ!」
 今まで防がれたことの無かった自分のパンチ。それが今初めて受け止められたという事実に、安達は怯えた。
 「く、くそぉぉぉぉ!」
 安達も酔いが覚めたのか、急いでそこを去った。
 「ありがとうございます。石川いしかわさん」
 「いえいえ、ボーイがすることをしたまでですよ」



 俺は石川昭男いしかわあきお。普通のキャバクラのボーイだ。
 キャバクラも営業が終わり、俺は帰ろうとしていた。
 「あ、石川くん」
 「オーナー。どうしました?」
 キャバクラのオーナー、仲村なかむらが俺に話しかける。
 「どうやら、君に会いたい人がいるそうだ」
 「は、はぁ…」
 「その人は店の裏口付近にいるよ」
 「分かりました」
 俺は店を出て、すぐ近くにいた黒服の男に話しかけられた。
 「貴方が…石川さんですね」
 「貴方は?」
 「私、こういうものです」
 男が差し出したのは名刺。
 『阿蛭あびるグループ 香川俊一かがわしゅんいち
 「阿蛭グループ…確か、日本で一番の大企業ですよね」
 「えぇ。そして、私たちは貴方を見つけたかった。石川さん。いや、千本木高道せんぼんぎたかみち
 「!?」
 男が口に出したのは、俺の本当の名前。
 「貴方の事情は分かっています。貴方は3年前、対戦相手の峯川茂みねかわしげる選手と戦った」
 「それはそうだが…」
 「しかし、試合の数日前。貴方は峯川選手の所属するジム、『シモタジム』のオーナー、下田渉しもたわたるから、八百長試合を持ちかけられた」
 「あぁ」
 「ですが、貴方はそれを断り、無事に峯川選手に勝った」
 「そうだ。しかし、俺はあの後…」
 「えぇ。貴方は自身の所属しているジム、『イズミジム』のオーナーから契約を断たれた。ですよね?」
 「そうさ。俺はどこのジムにも拾って貰えず、そのまま格闘技界から姿を消した」
 「えぇ。実は、貴方がその世界から消えざるをえなかった理由があります。知りたいですか?」
 俺は香川の言葉に驚いた。
 「な、なんだって!?」
 「知りたいですよねぇ…実は…」
 その瞬間、後ろから何かで叩かれたような感覚がした。
 「がぁっ!」
 「よし…車に運べ」
 「はい」
 俺の意識が消える瞬間、何かが聞こえた。
 「この男を地下格闘技に出せば、もっと盛り上がる」
 その言葉を聞いた瞬間、俺の意識は地に堕ちた。



 「……い、起きろ……起きろ!」
 「はっ!」
 俺が目覚めたのは医務室のような所。目の前には中年の男がいる。
 「ここは…」
 「ここは医務室や。ここには本来、怪我した選手しか運ばれん所やぞ」
 「選手?」
 「ん?聞いとらんか?お前さんは今、地下格闘技の選手になるんや」
 「はぁ!?何を言っている!」
 すると、医務室に何者かが入ってきた。
 「あんたは…」
 「先程はすいません。無理やりここに連れてくるような真似をして」
 香川だ。
 「おい、これはどういうことだ!」
 俺は香川に掴みかかる。
 「ここは地下です」
 「地下?」
 「故に警察も介入できない。金持ちにとって天国のような所です」
 「さっき、『地下格闘技の選手になる』とこの男が言っていた。それはどういうことだ!」
 「そのままの意味です。貴方には、ここで戦って貰いたい」
 「はぁ!?」
 「まぁ、百聞は一見に如かず。この映像。見てください」
 香川が指差したのは、一台のテレビ。そこには、見たことがある男と、坊主頭の男が映っていた。
 「この男、確か引退した…」
 「えぇ。確か名前は、安達一夫と言ったかな?」
 テレビの中では、ボロボロの安達と、坊主頭の男が戦っていた。
 「くそぉ…」
 「ケケケ、殺したらすまねぇなぁ!」
 もう立てるのもギリギリである安達。実況は、今の状況を話し出す。
 「青コーナー、安達一夫。もうそろそろKOと言ったところかぁ?」
 「やれぇ!」
 「負けるな安達ぃ!お前に100賭けてんだ!」
 「ぶっ殺せぇ!」
 周りの観客である金持ちや資産家は、二人の選手を囃し立てる。
 「赤コーナー、梶純之助かじじゅんのすけ!安達を追い詰め、殺さんと言わんばかりだぁ!」
 「さて、トドメさすか」
 梶が服に隠してあったナイフを出し、安達の胸を滅多刺しにした。
 「がぁぁぁぁぁ!」
 「おぉぉぉぉっと!ここで梶の滅多刺し!」
 「うぉぉぉ!」
 「くそがぁぁぁ!梶に賭けときゃよかったぁぁ!」
 安達が倒れる瞬間、沸く会場。
 「赤コーナー安達、胸を滅多刺しにされDEATH・KO!」
 俺はこの状況を見て、冷や汗をかいていた。
 「な、なんだよ…コレ」
 「これが、地下格闘技だ」
 香川が悦に入った表情で語りだす。
 「ルールは無し!武器OK、殺してもOK!観客は選手のどちらかに金を賭け、勝ったほうが儲ける仕組み!これは、我が社の会長、阿蛭正邦あびるまさくにが一番好きな娯楽さ」
 「くっ…(早い話、金持ちの道楽じゃないか)」
 「それで、貴方にはここで一番最強の男になってもらいます」
 「そんな話、受けられるわけがない」
 「なら、一生をここで過ごしたいですか?」
 「それは…」
 「なら、ここで戦ってください」
 「……こっちからも条件を出させて貰う」
 「何でしょう?」
 「俺が、『翼狩り』の千本木高道が格闘技界から姿消さざるをえなかった理由を教えるんだな」
 「分かりました。では、これからよろしくお願いしますね」
 この時、俺は思っていなかった。地獄という地獄を、この体で体感することになると。
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