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第二章 瑠璃の侍女
01.悪夢の始まり
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雪明りを縒りかけて紡いだ雪色の絹糸。煌めく光を孕み風と踊る度に輝く白銀は、神の寵愛を受けた皇子が持つ玻璃の御髪。
手を伸ばさずにはいられない魅惑を纏うそれは、誰一人として触れることを許さない断絶の刃――。
いつからか、艶やかな銀の髪を梳くとき奇妙な音が混ざるようになった。
それはまるでガラスのハープを奏でるような、神秘的で清純だが、どこか人を寄せ付けない雰囲気のある旋律。
「っ……」
集中力が途切れた刹那、エリスの指先に鋭い痛みが走る。
見るまでもなくそこはパックリと裂けていて、皇子に仕えるただ一人の侍女は速やかに処置を施した。
「エリス?」
手の止まった侍女を不思議に思い、リヴヴェールは不安に揺れる声を発した。また傷つけてしまったのだろうかと。
人々は神の恩寵の証だと言うが、リヴヴェール自身がそう思ったことは一度もない。
切り落としてしまえるのなら、誰が止めようと捨てている忌まわしい銀の凶刃。
リヴヴェールはそっと背後を窺うように、僅かに首を動かした。
急に振り向かないのは揺れた髪が他者を傷つけないようにする為だ。
治療を終えたエリスは再び櫛を持ち、「申し訳ありません」と謝罪を口にしてからリヴヴェールの髪を梳き始めた。
自然とリヴヴェールの顔も前を向き、正面にある鏡越しにエメラルドの瞳がエリスを捉える。
侍女の金色の隻眼が視線を受け止め、すぐに伏せられた。
「少し考え事をしておりました。お許しください」
「構わない、誰だって考え事くらいする。でも気を付けてほしい。君が扱っているのは……刃物のようなものだから」
呪われた髪だから。そう吐き捨てなくなったのは、エリスがリヴヴェールの自殺を止めてからだ。
自身の全てを呪うように人生を諦めていたリヴヴェールだが、エリスの想いを受け取ってからは言葉を選び自分を卑下することが少なくなった。
否定的な感情は拭えないが、自分の力ではどうしようもない現状は受け入れる他ない。
それに己を蔑ろにすれば、エリスが悲しむ。
誠心誠意尽くしてくれる彼女に、涙を流させることはしたくなかった。
緑の視線が鏡台にある本に移るのと同時に、エリスはちらりと主人の顔を窺った。
澄み渡る音色、それに気づいている様子はない。
(リヴヴェール様には、聞こえていらっしゃらない……?)
櫛が髪を撫でる。
歯先が切り落とされないように注意を払いながら耳を澄ませる。
――♪、……♪。
途切れ途切れに聞こえるその音色が何を奏でているのか。
下層生まれで音楽を嗜む余裕もなかった侍女には分からなかった。
ただ、失い難い何かを残すようにその音はエリスの耳に刻まれた。
一欠片の悪夢に気づいたのは、やはりリヴヴェールの髪を毎日世話する侍女のエリスだった。
いつものように慎重に櫛を通していると、ある所でカツリと刃先が引っかかった。
また櫛が欠ける、そう思ったのだがいつまで経っても断たれた金属の落ちる音はしない。
違和感を覚えたエリス同様、初めて髪を引っ張られるような感触にリヴヴェールも思わず読んでいた本から視線を上げた。
「申し訳ございません、リヴヴェール様」
「いや、大丈夫だ……なんだろう」
非礼を詫びるエリスに大したことはないと伝え、リヴヴェールは己の髪に触れる。
誰の手も受け入れない寵愛の証は唯一、その髪の持ち主であるリヴヴェールの手を傷つけない。
大神が愛したのはリヴヴェール自身なのだから。
不思議そうに頭部に触れるリヴヴェールはやがて、「ん?」と首を捻り後頭部の辺りを探るように指を動かす。
髪の奥の方へ指を進め、何かを掴む仕草をすればそれを“パキリ”と手折った。
「痛っ」
「リヴヴェール様!」
突然の小さな悲鳴にエリスは蒼白になる。
しかしすぐにリヴヴェールは「心配しなくていい」と微笑み、手のひらに転がりこんだそれに視線を移した。
エリスも不安そうに瞳を揺らしながら、そっと覗き込む。
光を受けて煌めくそれは、リヴヴェールの髪によく似ている。
けれど明らかに違うのはそれが、小さな花の形をしていたこと。
髪の毛が絡まって出来たものではない。
異質な何か――。
エリスの背筋に冷たいものが駆け下りた。
明確には思い出せないが、“それ”がよくないものであるというのは記憶にあった。
「リヴヴェール様、お預かりしてもよろしいでしょうか?」
「ん……怪我をしないように」
特別な髪から出てきた不可思議なもの。
それが人を傷つけないものであるのか不安はあったが、リヴヴェールは素直にそれを差し出した。
エリスはそれを受け取ると、一つしかない無傷の目で観察する。
脳裏に過る、美しい華。
月明かりを受けて輝く、夜の華。
その正体は――。
「エリス?」
名前を呼ばれて我に返ったエリスは「失礼しました」と頭を下げると、再び髪を梳く。
リヴヴェールは少しの間だけ気にしていたようだが、すぐに文字を撫でる様に視線を動かす。
早鐘を打つ心臓を宥めて、エリスは努めて冷静に仕事を終えるとリヴヴェールの部屋を後にした。
そしてポケットにしまっていた水晶の華を取り出すと、それを抱えて走り出す。
向かう先は医務室。
城にいるのは国王陛下が召し上げた凄腕の医者だ。
数多の医学に精通し、あらゆる病を見定める。
(きっと、私の勘違い。でも、万が一の事があったら……!)
未だ見ぬあり得ない光景が勝手に描かれてしまう。
夜、目を覚ますリヴヴェール。
こちらに気づき、微笑む彼の片目に咲く結晶の華。
神に愛され、誰からも慕われる見目麗しき皇子が宿す、硝子の大輪。
それは命を糧に咲き誇る、結晶華病と呼ばれる不治の病。
手を伸ばさずにはいられない魅惑を纏うそれは、誰一人として触れることを許さない断絶の刃――。
いつからか、艶やかな銀の髪を梳くとき奇妙な音が混ざるようになった。
それはまるでガラスのハープを奏でるような、神秘的で清純だが、どこか人を寄せ付けない雰囲気のある旋律。
「っ……」
集中力が途切れた刹那、エリスの指先に鋭い痛みが走る。
見るまでもなくそこはパックリと裂けていて、皇子に仕えるただ一人の侍女は速やかに処置を施した。
「エリス?」
手の止まった侍女を不思議に思い、リヴヴェールは不安に揺れる声を発した。また傷つけてしまったのだろうかと。
人々は神の恩寵の証だと言うが、リヴヴェール自身がそう思ったことは一度もない。
切り落としてしまえるのなら、誰が止めようと捨てている忌まわしい銀の凶刃。
リヴヴェールはそっと背後を窺うように、僅かに首を動かした。
急に振り向かないのは揺れた髪が他者を傷つけないようにする為だ。
治療を終えたエリスは再び櫛を持ち、「申し訳ありません」と謝罪を口にしてからリヴヴェールの髪を梳き始めた。
自然とリヴヴェールの顔も前を向き、正面にある鏡越しにエメラルドの瞳がエリスを捉える。
侍女の金色の隻眼が視線を受け止め、すぐに伏せられた。
「少し考え事をしておりました。お許しください」
「構わない、誰だって考え事くらいする。でも気を付けてほしい。君が扱っているのは……刃物のようなものだから」
呪われた髪だから。そう吐き捨てなくなったのは、エリスがリヴヴェールの自殺を止めてからだ。
自身の全てを呪うように人生を諦めていたリヴヴェールだが、エリスの想いを受け取ってからは言葉を選び自分を卑下することが少なくなった。
否定的な感情は拭えないが、自分の力ではどうしようもない現状は受け入れる他ない。
それに己を蔑ろにすれば、エリスが悲しむ。
誠心誠意尽くしてくれる彼女に、涙を流させることはしたくなかった。
緑の視線が鏡台にある本に移るのと同時に、エリスはちらりと主人の顔を窺った。
澄み渡る音色、それに気づいている様子はない。
(リヴヴェール様には、聞こえていらっしゃらない……?)
櫛が髪を撫でる。
歯先が切り落とされないように注意を払いながら耳を澄ませる。
――♪、……♪。
途切れ途切れに聞こえるその音色が何を奏でているのか。
下層生まれで音楽を嗜む余裕もなかった侍女には分からなかった。
ただ、失い難い何かを残すようにその音はエリスの耳に刻まれた。
一欠片の悪夢に気づいたのは、やはりリヴヴェールの髪を毎日世話する侍女のエリスだった。
いつものように慎重に櫛を通していると、ある所でカツリと刃先が引っかかった。
また櫛が欠ける、そう思ったのだがいつまで経っても断たれた金属の落ちる音はしない。
違和感を覚えたエリス同様、初めて髪を引っ張られるような感触にリヴヴェールも思わず読んでいた本から視線を上げた。
「申し訳ございません、リヴヴェール様」
「いや、大丈夫だ……なんだろう」
非礼を詫びるエリスに大したことはないと伝え、リヴヴェールは己の髪に触れる。
誰の手も受け入れない寵愛の証は唯一、その髪の持ち主であるリヴヴェールの手を傷つけない。
大神が愛したのはリヴヴェール自身なのだから。
不思議そうに頭部に触れるリヴヴェールはやがて、「ん?」と首を捻り後頭部の辺りを探るように指を動かす。
髪の奥の方へ指を進め、何かを掴む仕草をすればそれを“パキリ”と手折った。
「痛っ」
「リヴヴェール様!」
突然の小さな悲鳴にエリスは蒼白になる。
しかしすぐにリヴヴェールは「心配しなくていい」と微笑み、手のひらに転がりこんだそれに視線を移した。
エリスも不安そうに瞳を揺らしながら、そっと覗き込む。
光を受けて煌めくそれは、リヴヴェールの髪によく似ている。
けれど明らかに違うのはそれが、小さな花の形をしていたこと。
髪の毛が絡まって出来たものではない。
異質な何か――。
エリスの背筋に冷たいものが駆け下りた。
明確には思い出せないが、“それ”がよくないものであるというのは記憶にあった。
「リヴヴェール様、お預かりしてもよろしいでしょうか?」
「ん……怪我をしないように」
特別な髪から出てきた不可思議なもの。
それが人を傷つけないものであるのか不安はあったが、リヴヴェールは素直にそれを差し出した。
エリスはそれを受け取ると、一つしかない無傷の目で観察する。
脳裏に過る、美しい華。
月明かりを受けて輝く、夜の華。
その正体は――。
「エリス?」
名前を呼ばれて我に返ったエリスは「失礼しました」と頭を下げると、再び髪を梳く。
リヴヴェールは少しの間だけ気にしていたようだが、すぐに文字を撫でる様に視線を動かす。
早鐘を打つ心臓を宥めて、エリスは努めて冷静に仕事を終えるとリヴヴェールの部屋を後にした。
そしてポケットにしまっていた水晶の華を取り出すと、それを抱えて走り出す。
向かう先は医務室。
城にいるのは国王陛下が召し上げた凄腕の医者だ。
数多の医学に精通し、あらゆる病を見定める。
(きっと、私の勘違い。でも、万が一の事があったら……!)
未だ見ぬあり得ない光景が勝手に描かれてしまう。
夜、目を覚ますリヴヴェール。
こちらに気づき、微笑む彼の片目に咲く結晶の華。
神に愛され、誰からも慕われる見目麗しき皇子が宿す、硝子の大輪。
それは命を糧に咲き誇る、結晶華病と呼ばれる不治の病。
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