喫茶店のマスター黒羽の企業秘密3

天音たかし

文字の大きさ
5 / 38

第5話 第1章 驚くべき出会い④

しおりを挟む
「黒羽殿、彩希殿」
 ざわめきを切り裂くような声の主は、キースだ。
 黒のスラックスに、白のワイシャツ(ズボンの中には入れていない)、腰には真っ赤な布を巻いている。
 普段の重苦しい鎧を脱ぎ捨て、マッシ・ラ――この国の正装――を着ているせいか、印象が随分と違って見えた。
「これはこれは、お二人とよくお似合いですよ」
「ありがとうございます。マッシ・ラーは、僕の国の正装にそっくりですよ」
「そうですか、それまた不思議なものですな」
「ね、ねねキース。料理ってもう食べて良いのよね」
 お前らの話などどうでも良い、といわんばかりに彩希は目を輝かせて料理を見渡した。
「ハハハ、遠慮なくどうぞ。我が国の料理長は、世界のどの料理人にも負けぬ腕前の持ち主。きっと虜になりますよ」
「何ですって」
 キリ、と黒羽の目つきが鋭くなる。
 円形のテーブルに所せましと並ぶ料理は、温かな湯気をくゆらせて、黒羽達を待ち構えていた。

 ――どうして気付かなかったのだろう?

 開け放たれた窓から流れる風に乗って、香りが鼻に入り込んでゆく。
「あ!」
 声が口をついて出る。先ほどまでの自分はきっと死んでいたのだ。黒羽は、胃が猛烈な勢いで音をかき鳴らし、唾液がじゅわりと染み出るのを自覚する。
 理性が蒸発するような食欲の香り。
 通りがかったウェイターが差し出す皿を、彼にしては無造作に受け取ると、フォークを構える。……狙いは、こんがりと焼かれた肉だ。
「――丁寧な処理が施されていて、驚くほど柔らかい。これじゃ、ナイフはいらないな。一体どんな味がするんだろう」
 いただきます。言葉を言い終えた瞬間、刺した肉を口に放り込んだ。そして、驚愕した。
 調味料の味と、素材の味が見事なワルツを奏でている。調味料が素材を殺すこともなく、その逆もない。完全に互いを高め合い、舌を柔らかく包む。
「信じられない」
 噛むと、表面の皮がパリッと軽やかな音を立て、奥から肉汁が溢れ出す。その肉汁が味蕾を撫でるたびに、調和の味が脳を刺激した。
「凄まじい美味しさだわ」
 黒羽の隣で、彩希が嬉々として食べている。彼女の感じていることが、感覚として理解できる。いや、理解できてしまうというべきだろう。
「完敗だ」
 この料理人は、自身の何倍も上にいる。ここまで圧倒的だと、悔しい感情さえ湧いてこなかった。
「……キースさん、料理長にお会いしたいのですが、構いませんか?」
「ハハハ、やはり気になりますか。でも、今は調理中でしょうから、食事会後に紹介いたしましょう」
「ええ、ぜひそうしてくださいな」
 ソフィアがため息交じりに話しかけてきた。
「お疲れのようですね」
「いえ、そうではないのです黒羽殿、聞いてくださいな。我が城自慢の料理長は、とても働き者なのです。それはもう自分の体が、ボロボロになろうが構わずにですわ」
 共感を求めるようなソフィアの瞳を、黒羽は見つめ返すことができなかった。
「その人だって、たいして変わらないわ。朝から晩まで働き詰め。閉店後は食材の仕入れ、朝は早くから掃除と仕込み。たまったもんじゃないわ」
「まあ!」
 彩希とソフィアは互いの苦労を察し、固く握手を交わす。
 黒羽はキースが笑う横をすり抜け、気まずげに料理を一口頬張った。
「貴君が黒羽秋仁か」
 冷静な重みのある声。振り返ってみると、見上げるように背が高く、巌のようにいかつい顔が黒羽を見下ろしていた。
「私はエイトール・ルマという。この国で宰相をしている者だ」
(宰相……なるほど、ナンバー2か)
 エイトールの目を……見つめ、黒羽は気を引き締めた。
 深みのある瞳の奥に、強い感情の炎が猛っている。
 黒羽が経営者として心がけていることの一つに、”目を見る”ことが挙げられる。

 ――人はウソをつく。ウソは仮面のように心を隠す。……だが、目だけは、嘘をつけない。だからな、秋仁。人を見る時は顔じゃない、目を見るんだよ。

(爺ちゃん、この男の前で気を緩めないほうが良いかもしれない。呑まれて、しまいそうだ)
「……ほう、良い目をしている」
 黒羽が瞳から意図を読み取ろうとしたように、エイトールもまた目に宿る意思を見透かそうとしていた。
「宰相。ごきげんよう」
 ソフィアのやや棘のある言葉に、視線の糸は途切れた。ほう、と息を吐く黒羽を庇うようにソフィアは前に出ると、優雅に笑みを張り付かせる。
「これはこれは女王陛下。ご親切にどうも」
「フフフ、そういえば、あなたが食事会の食糧を確保してくださったとか。感謝いたしますわ」
「礼などとんでもない。普段、女王陛下が優秀過ぎるゆえ、暇を持て余しておるのですから、たまには働きませんと」
 和やかな会話に反して、手にした刃でしのぎを削っているようで、見ているほうが緊張してしまう。
「ほうほう、これはこれは皆様方。わしも会話に混ぜてもらってもよろしいか」
 エイトールとは対照的な高い声が、割り込んできた。声の主は太った体を緩慢に動かしながら、エイトールの横に並ぶ。
「女王陛下ごきげんうるわしゅう。おやー、そちらの女性が彩希様ですかな。いや、女王陛下に劣らずお美しい」
 彩希の体を舐めまわすように、ペドロは視線を無遠慮に上下させる。
(この男……嫌いだわ)
 整った顔に怒りが染み渡っていく。このままでは、大ごとになる、と黒羽は焦りから言葉を発した。
「あのー、あなたは?」
 ……返事がない。騒がしい場所とはいえ、この距離で聞こえなかったはあるまい。
「ペドロ・ホドリゲス。我が国の第一騎士団隊長ですわ」
(騎士団の隊長だって! キースさんと同じ地位の人か……)
 ずっしりとした体と対照的に、目は絶え間なく彩希とソフィアを行き来する。
 誰がどう見ても好色そうな人物だ。
「フーム、どうじゃ彩希様。今宵ワシの部屋で過ごさんか?」
 彩希に視線を止めたペドロは、よだれを垂らしそうなほどだらけた顔で誘いをかける。
「お断りよ。不愉快だわ」
「まあ、そういわずに。ワシのテクは凄いんじゃ」
 無遠慮に伸ばされる手、
「ほ? なんじゃ」
 をエイトールの手が阻む。
「止さぬか」
「ほーん? あ、もしや宰相もこの娘を狙っておったか」
「……恥ずかしい男よ。貴君は人を守る騎士であろう。愛すべき妻以外の女を見境もなく抱こうなど、まこと考えられぬ」
「かあー、頭が固すぎじゃ。騎士として命をかけて人を守っておるのだから、ちょっとくらい見返りがあっても良いじゃろうよ。なあ!」
 エイトールはペドロの手を乱暴に放した。
「失せよ」
「ちぃ」
 ペドロは忌々しいと語る瞳でエイトールを睨むと、名残惜しそうに離れて行った。
「あ、あのありがとうございました」
「……いや、礼には及ばんよ。大事な者なのだろう? 次は気を付けることだ」
 エイトールはそれだけを言い残すと、去っていった。
「お二人とも、大変申し訳ございませんでしたわ」
「ソフィアちゃん、あなたが謝ることはないわ。ただ、変態に絡まれただけよ」
「フフフ、いやですわ。彩希様ったら」
 綻ぶソフィアに、彩希はニッコリと笑みを返すと何食わぬ顔で食事を再開した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~

ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。 休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。 啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。 異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。 これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。

【完結】剣の世界に憧れて上京した村人だけど兵士にも冒険者にもなれませんでした。

もる
ファンタジー
 剣を扱う職に就こうと田舎から出て来た14歳の少年ユカタは兵役に志願するも断られ、冒険者になろうとするも、15歳の成人になるまでとお預けを食らってしまう。路頭に迷うユカタは生きる為に知恵を絞る。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

転生先はご近所さん?

フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが… そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。 でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

異世界転生、防御特化能力で彼女たちを英雄にしようと思ったが、そんな彼女たちには俺が英雄のようだ。

Mです。
ファンタジー
異世界学園バトル。 現世で惨めなサラリーマンをしていた…… そんな会社からの帰り道、「転生屋」という見慣れない怪しげな店を見つける。 その転生屋で新たな世界で生きる為の能力を受け取る。 それを自由イメージして良いと言われた為、せめて、新しい世界では苦しまないようにと防御に突出した能力をイメージする。 目を覚ますと見知らぬ世界に居て……学生くらいの年齢に若返っていて…… 現実か夢かわからなくて……そんな世界で出会うヒロイン達に…… 特殊な能力が当然のように存在するその世界で…… 自分の存在も、手に入れた能力も……異世界に来たって俺の人生はそんなもん。 俺は俺の出来ること…… 彼女たちを守り……そして俺はその能力を駆使して彼女たちを英雄にする。 だけど、そんな彼女たちにとっては俺が英雄のようだ……。 ※※多少意識はしていますが、主人公最強で無双はなく、普通に苦戦します……流行ではないのは承知ですが、登場人物の個性を持たせるためそのキャラの物語(エピソード)や回想のような場面が多いです……後一応理由はありますが、主人公の年上に対する態度がなってません……、後、私(さくしゃ)の変な癖で「……」が凄く多いです。その変ご了承の上で楽しんで頂けると……Mです。の本望です(どうでもいいですよね…)※※ ※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

処理中です...