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第三十二話 裁定ではなく、切り捨てられたもの
昼。
太陽は、確かに空にある。だがこの地区には、光が落ちてこない。
王都南区。石畳は欠け、建物は低く、屋根は修繕の跡だらけだ。洗濯物が干されているが、色は褪せ、風に揺れるというより重たく垂れ下がっている。
ここは、奇跡が「配られなくなった」地区だった。聖女の奇跡は、平等ではない。
もともと――そういうものだ。
王都中心部。貴族街。大聖堂を囲む白い石の区域。そこから順に、奇跡は“降りてくる”。祈祷の列ができ、鐘が鳴り、光が見え、治癒が起こる。
そして――その終点が、ここだ。
否。正確には。ここは、最初から対象外だった。私は外套を深く被り、通行人として歩く。仮面はない。裁定者でもない。
ただの、記録係として。路地の奥に入ると、空気が変わった。祈りの声はない。
聖句も、嘆願もない。
代わりにあるのは――呻き声。苛立ち。
そして、諦めきった沈黙。
人が集まっている。だが、誰も天を見ていない。
「……また、選ばれなかった」
男が吐き捨てるように言った。顔は日に焼け、手には仕事の痕が残っている。
「三回目だぞ」
「申請、全部出したのに」
「名簿にすら載らねぇ」
名簿。それは、聖女派が管理する
“奇跡対象者一覧”。
信仰心。寄進額。家系。紹介者。
そして最後に――「価値」。価値がない者には、奇跡は来ない。人垣の中に、女がいた。腕の中に、子どもを抱いている。
まだ小さい。呼吸は浅く、身体は熱を持ちすぎている。
それでも――泣いていない。泣く力すら、残っていない。
「……聖堂に行ったの」
女は、誰に向けるでもなく言った。声は、ひどく落ち着いていた。それが、余計に痛い。
「でも、門前で止められた」
「“今日は対象が多い”って」
今日は。
――毎日だ。
「ねぇ」
別の女が言う。
「奇跡って、神様のものでしょう?」
一瞬、沈黙。そして、誰かが乾いた笑いを漏らした。
「違うな」
「今は“配給”だ」
私は、足を止めた。魔力を使えば、この子は助かる。裁定ではない。ただの治癒。簡単だ。
――だが。
それは、できない。なぜなら。この子を助ければ、記録が歪む。聖女派は、「救われなかった人数」を隠している。
奇跡が万能であるために。
聖女が“完全”であるために。
救われなかった者は、最初から存在しなかったことにされる。
「……昨日も、人が死んだ」
老人が言った。怒りも、悲しみもない。
ただ、事実を述べる声。
「でも、報告は上がらない」
「“奇跡が足りなかった”で終わりだ」
足りなかったのは、奇跡じゃない。価値だ。私は理解した。ここにいる者たちは、
裁定の対象ですらない。
罪を犯したからではない。悪だからでもない。
――利用価値がないからだ。
胸の奥で、冷たいものが落ちる。怒りではない。憎しみでもない。確信だ。
――これは、潰していい。
「……聖女様は、悪くないんだろ?」
男が言う。
「上が、勝手にやってるんだろ?」
違う。悪い。全員、悪い。聖女も。神官も。王子も。見て、知って、利用している。私は踵を返す。
助けない。
癒さない。
声もかけない。
それが、今やるべきことじゃない。
助けるより先に――根を断つ。
空間魔法の家
扉を抜けると、空気が静まる。ノワが、入口で待っていた。青と金の瞳。私は膝をつき、視線を合わせる。
「……これが、奇跡の正体」
ノワは、低く唸った。否定。明確な、拒絶。
「大丈夫」
私は、はっきり言う。
「もう、救わなくていい」
ノワの尾が、強く、鋭く揺れる。
「潰す」
それだけ。情けも、迷いも、もう要らない。
「聖女派は、人を選別した」
「だから――」
仮面を手に取る。
「裁定される」
ノワの瞳が、淡く青く光った。拒絶ではない。同意だ。私は立ち上がる。これは、
救済の物語じゃない。奪ったものを、奪い返す話だ。次に壊れるのは、奇跡じゃない。
信仰そのものだ。
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