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最終話
高等審問廷は、
夜にもかかわらず灯りで満たされていた。
だがその光は、
祝福でも、希望でもない。
罪を照らすためだけの光だった。
半円状に並ぶ傍聴席には、
貴族、神官、官僚、騎士、
そして――名もない民が混じっている。
誰も祈らない。
誰も奇跡を期待していない。
この場に集まった全員が、
「終わりを見るため」に来ていた。
中央。
二脚の椅子が、わずかに距離を置いて置かれている。
右。
ジークフリート・ヴァルフェルド。
王子としての正装は剥がされ、濃紺の上着には階級章も王家の紋章もない。背筋は伸びている。だが、それは誇りではなく――癖だ。
左。クラリッサ。白は、もう纏っていない。聖女衣装は剥奪され、着せられているのは簡素な灰色の衣。
それでも、彼女の指先は細く、背中はまっすぐだった。かつて「選ばれた者」だった名残。二人の間には、触れられない溝がある。
それは敵意ではない。利用し合った者同士が、互いを“不要”と認識した距離だった。
「……あなたが、切ったのよ」
最初に声を上げたのは、クラリッサだった。その声は大きくない。だが、審問廷の隅々まで届いた。
「私を」
「民の前で、切り捨てた」
ジークフリートは、視線を向けない。まるで、もう彼女が「権力」ではないと確信しているかのように。
「“民のため”ですって?」
「奇跡が不完全になった責任を、全部私に押し付けて?」
笑い声が、ひび割れたように漏れる。
「……ああ、そう」
「あなたにとって私は――身体じゃなく、“装置”だったのね」
そこで、初めて。ジークフリートが、わずかに眉を動かした。
「役割を終えた」
淡々とした声。
「国家の安定には、不要だった」
「それだけだ」
その瞬間。クラリッサの中で、すべてが終わった。愛も、信頼も、裏切りですらない。
「……必要なくなっただけ」
彼女は、静かに立ち上がった。
「なら、私も“役割”を果たすわ」
そして――暴露を始めた。
生贄の数。
名簿の改竄。
王命の文言。
奇跡の配給量。
すべて、王子の承認印があったことを。
審問廷がざわめく。民衆の息が、重くなる。ジークフリートは、初めて歯噛みした。
「……黙れ」
「黙らないわ」
クラリッサは、まっすぐに言った。
「だってもう、私は“聖女”じゃない」
「あなたが、そうしたんでしょう?」
その言葉が――
裁判の流れを、完全に決定づけた。
その時だった。音もなく、空気が「拒否」した。祈祷でも、魔法でもない。世界そのものが、否定の姿勢を取った。
高等審問廷の天井。
梁の上に、一匹の黒猫が現れていた。誰にも連れられず、誰にも気づかれず。
青と金のオッドアイ。
ノワ。
猫は鳴かない。
だが――淡い青い光が、一瞬だけ空間を満たした。
広がらない。
癒やさない。
奇跡を起こさない。
ただ一つの意味だけを持つ光。
――もう、戻らない。
聖女は、理解した。王子も、理解した。
民衆も、理解した。奇跡は、終わった。
選別も。
配給も。
神の名を借りた支配も。
クラリッサは、その場で膝をついた。
泣かなかった。泣く価値すら、
もう残っていなかったからだ。
判決は、感情なく下された。
ジークフリート・ヴァルフェルド。
王位継承権、永久剥奪。
国家秩序破壊。
終身拘束。
クラリッサ。
聖職剥奪。
詐称と共犯。
追放。
二人は、同時に立たされた。
だが、もう二度と同じ道を歩くことはない。
夜。
裁判が終わったあと。王都外縁の石畳を、
二人が歩いている。リリアーナと、エドワード。街灯はまばらで、月明かりだけが影を落とす。
奇跡はない。
裁定もない。
ただ、風と足音だけがある。
「……冷酷な私は、嫌いか?」
エドワードが、歩きながら言った。声は低く、答えを強要しない。リリアーナは、少し考えてから言う。
「嫌いじゃない」
立ち止まる。二人とも、同時に。
視線が合う。
「……好きだ」
それだけ。抱き合った。強く。だが、乱暴ではない。失われたものを、互いの体温で確かめるように。少し震えながら。
「……終わったわね」
「始まったんだ」
奇跡のない世界。
誰も選ばれない世界。
自分の足で、
立つしかない世界。
少し離れた場所で、
ノワが座っている。
裁かない。
導かない。
ただ、見ている。
夜は静かだった。
だがもう――
誰も、奇跡を待ってはいなかった。
終わった世界は、生きる世界だから。
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