9 / 28
8
しおりを挟む
「作戦会議よ!」
レベッカのその一言で、リリーは王都の大図書館に連れて来られていた。
高い天井には繊細な彫刻が施され、光を受けたステンドグラスが静かに床を染めている。
左右に果てしなく並ぶ書架。紙と革の匂いが混ざり合い、静けさがまるで神殿のようだった。
――懐かしい。
ここに来るのは、五年ぶり。
“完璧少女リリアンヌ・クラウド”と呼ばれていた頃、放課後のほとんどをこの場所で過ごしていた。
どんな試験も満点、教師たちからも一目置かれていた自分。
けれど今のリリーは、本を一冊開くだけで頭がいっぱいになる。
あの頃の自分とは、もうまるで別人だった。
レベッカは机に白い紙とペンを置くと、尋問官のような顔でリリーの前に座った。
「よし、リリアンヌ・クラウド。あなたの“変調”について、これより聴取を開始します!」
「ちょっと……なにその言い方」
「気分が大事なの。こういうのはテンションが命なのよ」
その真剣すぎる顔に、リリーは思わず吹き出した。
自分のことなのに、どこかおかしくて、笑えてしまう。
フランシス学院初等部では一度も話したことがなかった彼女が、今こうして一番の味方でいてくれる――その事実が何より嬉しかった。
「ありがとう、レベッカ」
「何言ってるのよ!」
レベッカは照れ隠しのように肩をすくめた。
「私は“完璧優等生リリアンヌ様”のファンだったのよ? こうして隣で事件の真相を暴くなんて、人生ってわからないもんね」
「……そんな時代もあったなぁ」
リリーは苦笑しつつも、ほんの少し胸が温かくなった。
***
「まずはセイラン王国の王家の遺跡関連から調べなきゃよね? 王家の森に祀られてる神様は……と」
レベッカは、もうすっかり“学者モード”に入っていた。
元々は騎士志望だが、シリウス騎士学校の頃から神学と考古学の分野は群を抜いて得意だった。
父親が高名な考古学者という家庭で育ったせいか、資料をしらみつぶしに読むのも苦ではない。
むしろ楽しそうにすら見える。
対して、今のリリーは資料を開くだけで頭がパンクしそうだ。
そんな彼女にとって、レベッカの存在はまさに救いだった。
「え~と、王家の森関連でいくと……あ、リリー。あんたも働きなさいよ。調べものは無理でも、本を探して持ってくるくらいはできるでしょ?」
言い方は辛辣だが、実際それくらいしかできない。
「なんかごめんね、レベッカ……」
謝ると、レベッカはにっこり笑って言った。
「謝るくらいなら、公爵家御用達のパティスリーのアップルパイとシフォンケーキ四つ。家族の分も忘れないでね」
その軽口に、リリーは小さく笑った。
久しぶりに心から笑えた気がした。
レベッカは棚番号をメモしてリリーに渡す。
「ほら、この棚の資料。私は古代信仰史の方を調べるから、お願いね」
「了解。……頑張る」
リリーは資料の並ぶ通路へと足を進めた。
静まり返った書架の間を歩くたびに、木の床がきしむ。
その音が妙に心地よくて――ほんの少し、かつての“勉強が好きだった自分”を思い出した。
***
数十分後、リリーが抱えて戻ってきた資料の山を、レベッカは片っ端からめくり始めた。
「王家の森関連で……石碑……となると――」
彼女の指先が、一枚のページでぴたりと止まる。
「わ、マイナー神様発見! ほら、これ見て!」
その指の先、小さく印字された文字。
重要語句でもないのか、ページの隅にわずかに記されていた。
石碑の挿絵と注釈が一言。
――――《逆転の女神ノルティアの石碑》
たった一行のその文字に、リリーの胸が強く脈打った。
挿絵に描かれた石碑――苔むした表面、崩れかけた形。
それを見た瞬間、彼女は確信した。
あの森の奥で見た石。
迷子になって、ウサギを追って、
そして道を見つけるために飛び乗って――壊してしまった、あの岩。
すべてが繋がった。
「レベッカ……これかも。私、この石に乗って、そして……」
リリーの声が震える。
「壊してしまったの……」
記憶が蘇る。
あの夜、剣がやけに重く感じたこと。
翌朝、試験で何も思い出せなかったこと。
あの時から、すべてが変わってしまったのだ。
「なるほどね。じゃあ手掛かりがわかった以上、調べるしかないわね!」
レベッカが勢いよく椅子から立ち上がる。
けれどその瞬間、重々しい鐘の音が館内に響き渡った。
閉館の合図だった。
「え、もう!? 早すぎるー!」
レベッカは不満げに頬をふくらませた。
「今からが本番だったのに!」
しかし、リリーは微笑んで首を振る。
手掛かりを得ただけで、胸の奥が熱くなっていた。
(もしかしたら――前の自分に戻れるかもしれない)
そんな淡い希望が、久しぶりに心の中に灯った。
閉館の鐘が静かに響く。
リリーはページの隅に刻まれたその名を、そっと指でなぞった。
――逆転の女神ノルティア。
それが、彼女の“失われた運命”を取り戻す鍵となることを、
この時のリリーはまだ知らなかった。
レベッカのその一言で、リリーは王都の大図書館に連れて来られていた。
高い天井には繊細な彫刻が施され、光を受けたステンドグラスが静かに床を染めている。
左右に果てしなく並ぶ書架。紙と革の匂いが混ざり合い、静けさがまるで神殿のようだった。
――懐かしい。
ここに来るのは、五年ぶり。
“完璧少女リリアンヌ・クラウド”と呼ばれていた頃、放課後のほとんどをこの場所で過ごしていた。
どんな試験も満点、教師たちからも一目置かれていた自分。
けれど今のリリーは、本を一冊開くだけで頭がいっぱいになる。
あの頃の自分とは、もうまるで別人だった。
レベッカは机に白い紙とペンを置くと、尋問官のような顔でリリーの前に座った。
「よし、リリアンヌ・クラウド。あなたの“変調”について、これより聴取を開始します!」
「ちょっと……なにその言い方」
「気分が大事なの。こういうのはテンションが命なのよ」
その真剣すぎる顔に、リリーは思わず吹き出した。
自分のことなのに、どこかおかしくて、笑えてしまう。
フランシス学院初等部では一度も話したことがなかった彼女が、今こうして一番の味方でいてくれる――その事実が何より嬉しかった。
「ありがとう、レベッカ」
「何言ってるのよ!」
レベッカは照れ隠しのように肩をすくめた。
「私は“完璧優等生リリアンヌ様”のファンだったのよ? こうして隣で事件の真相を暴くなんて、人生ってわからないもんね」
「……そんな時代もあったなぁ」
リリーは苦笑しつつも、ほんの少し胸が温かくなった。
***
「まずはセイラン王国の王家の遺跡関連から調べなきゃよね? 王家の森に祀られてる神様は……と」
レベッカは、もうすっかり“学者モード”に入っていた。
元々は騎士志望だが、シリウス騎士学校の頃から神学と考古学の分野は群を抜いて得意だった。
父親が高名な考古学者という家庭で育ったせいか、資料をしらみつぶしに読むのも苦ではない。
むしろ楽しそうにすら見える。
対して、今のリリーは資料を開くだけで頭がパンクしそうだ。
そんな彼女にとって、レベッカの存在はまさに救いだった。
「え~と、王家の森関連でいくと……あ、リリー。あんたも働きなさいよ。調べものは無理でも、本を探して持ってくるくらいはできるでしょ?」
言い方は辛辣だが、実際それくらいしかできない。
「なんかごめんね、レベッカ……」
謝ると、レベッカはにっこり笑って言った。
「謝るくらいなら、公爵家御用達のパティスリーのアップルパイとシフォンケーキ四つ。家族の分も忘れないでね」
その軽口に、リリーは小さく笑った。
久しぶりに心から笑えた気がした。
レベッカは棚番号をメモしてリリーに渡す。
「ほら、この棚の資料。私は古代信仰史の方を調べるから、お願いね」
「了解。……頑張る」
リリーは資料の並ぶ通路へと足を進めた。
静まり返った書架の間を歩くたびに、木の床がきしむ。
その音が妙に心地よくて――ほんの少し、かつての“勉強が好きだった自分”を思い出した。
***
数十分後、リリーが抱えて戻ってきた資料の山を、レベッカは片っ端からめくり始めた。
「王家の森関連で……石碑……となると――」
彼女の指先が、一枚のページでぴたりと止まる。
「わ、マイナー神様発見! ほら、これ見て!」
その指の先、小さく印字された文字。
重要語句でもないのか、ページの隅にわずかに記されていた。
石碑の挿絵と注釈が一言。
――――《逆転の女神ノルティアの石碑》
たった一行のその文字に、リリーの胸が強く脈打った。
挿絵に描かれた石碑――苔むした表面、崩れかけた形。
それを見た瞬間、彼女は確信した。
あの森の奥で見た石。
迷子になって、ウサギを追って、
そして道を見つけるために飛び乗って――壊してしまった、あの岩。
すべてが繋がった。
「レベッカ……これかも。私、この石に乗って、そして……」
リリーの声が震える。
「壊してしまったの……」
記憶が蘇る。
あの夜、剣がやけに重く感じたこと。
翌朝、試験で何も思い出せなかったこと。
あの時から、すべてが変わってしまったのだ。
「なるほどね。じゃあ手掛かりがわかった以上、調べるしかないわね!」
レベッカが勢いよく椅子から立ち上がる。
けれどその瞬間、重々しい鐘の音が館内に響き渡った。
閉館の合図だった。
「え、もう!? 早すぎるー!」
レベッカは不満げに頬をふくらませた。
「今からが本番だったのに!」
しかし、リリーは微笑んで首を振る。
手掛かりを得ただけで、胸の奥が熱くなっていた。
(もしかしたら――前の自分に戻れるかもしれない)
そんな淡い希望が、久しぶりに心の中に灯った。
閉館の鐘が静かに響く。
リリーはページの隅に刻まれたその名を、そっと指でなぞった。
――逆転の女神ノルティア。
それが、彼女の“失われた運命”を取り戻す鍵となることを、
この時のリリーはまだ知らなかった。
1
あなたにおすすめの小説
旦那様が素敵すぎて困ります
秋風からこ
恋愛
私には重大な秘密があります。実は…大学一のイケメンが旦那様なのです!
ドジで間抜けな奥様×クールでイケメン、だけどヤキモチ妬きな旦那様のいちゃラブストーリー。
【完結】 表情筋が死んでるあなたが私を溺愛する
紬あおい
恋愛
第一印象は、無口で無表情な石像。
そんなあなたが私に見せる姿は溺愛。
孤独な辺境伯と、一見何不自由なく暮らしてきた令嬢。
そんな二人の破茶滅茶な婚約から幸せになるまでのお話。
そして、孤独な辺境伯にそっと寄り添ってきたのは、小さな妖精だった。
シャロンはまたまた気づいていなかったジェリーが永遠の愛を誓っていたことに
はなまる
恋愛
ついにふたりは結婚式を挙げて幸せな日々を過ごすことに、だがジェリーのついたほんの小さな嘘からシャロンはとんでもない勘違いをしてしまう。そこからまたふたりの中はおかしなことになっていく。神様はふたりの愛が本物かどうかを試すように何度も試練を与える。はたしてふたりの愛は成就するのか?
シャロンシリーズ第3弾。いよいよ完結!他のサイトに投稿していた話です。外国現代。もちろん空想のお話です。
申し訳ありません。話の1と2が逆になっていますごめんなさい。
男嫌いな王女と、帰ってきた筆頭魔術師様の『執着的指導』 ~魔道具は大人の玩具じゃありません~
花虎
恋愛
魔術大国カリューノスの現国王の末っ子である第一王女エレノアは、その見た目から妖精姫と呼ばれ、可愛がられていた。
だが、10歳の頃男の家庭教師に誘拐されかけたことをきっかけに大人の男嫌いとなってしまう。そんなエレノアの遊び相手として送り込まれた美少女がいた。……けれどその正体は、兄王子の親友だった。
エレノアは彼を気に入り、嫌がるのもかまわずいたずらまがいにちょっかいをかけていた。けれど、いつの間にか彼はエレノアの前から去り、エレノアも誘拐の恐ろしい記憶を封印すると共に少年を忘れていく。
そんなエレノアの前に、可愛がっていた男の子が八年越しに大人になって再び現れた。
「やっと、あなたに復讐できる」
歪んだ復讐心と執着で魔道具を使ってエレノアに快楽責めを仕掛けてくる美形の宮廷魔術師リアン。
彼の真意は一体どこにあるのか……わからないままエレノアは彼に惹かれていく。
過去の出来事で男嫌いとなり引きこもりになってしまった王女(18)×王女に執着するヤンデレ天才宮廷魔術師(21)のラブコメです。
※ムーンライトノベルにも掲載しております。
【完結】 初恋を終わらせたら、何故か攫われて溺愛されました
紬あおい
恋愛
姉の恋人に片思いをして10年目。
突然の婚約発表で、自分だけが知らなかった事実を突き付けられたサラーシュ。
悲しむ間もなく攫われて、溺愛されるお話。
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
龍の腕に咲く華
沙夜
恋愛
どうして私ばかり、いつも変な人に絡まれるんだろう。
そんな毎日から抜け出したくて貼った、たった一枚のタトゥーシール。それが、本物の獣を呼び寄せてしまった。
彼の名前は、檜山湊。極道の若頭。
恐怖から始まったのは、200万円の借金のカタとして課せられた「添い寝」という奇妙な契約。
支配的なのに、時折見せる不器用な優しさ。恐怖と安らぎの間で揺れ動く心。これはただの気まぐれか、それとも――。
一度は逃げ出したはずの豪華な鳥籠へ、なぜ私は再び戻ろうとするのか。
偽りの強さを捨てた少女が、自らの意志で愛に生きる覚悟を決めるまでの、危険で甘いラブストーリー。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる