掌編詰め合わせ

Q13

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遺書

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―この文章を、私以外の誰かが見ていると言うことは、もう私はこの世にいないのでしょう。
 私は、この後自殺します。
 お父さん、お母さん。私は、黙って旅立ちます。
 せめて、迷惑はかけぬよう、黙って逝きます。
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 充電器に差しっぱなしだった電話が音を立てた。
 その音で意識が引き戻され、急いで電話に出る。

 電話の内容は、親友だった者の死を知らせる内容だった。

『娘の鈴子リンコが、自殺しました。睡眠薬を大量に飲んで、私が寝ている間に逝きました。藤原さんには生前、本当に仲良くしてもらってて…。ご連絡しなくてはと思ったんです』
 
 電話口で、母親らしい人は泣いていなかった。
 それに、驚いた。



 鈴子が死んだ。  

 同い年の19歳で、大学一年生だった。
 ついこの間、卒業証書を持って、校門の前で写真を撮った。
 あれが最後だった。

「お悔やみ、申し上げます」
 この歳では言い慣れてない言葉が、するっと喉から出てきた。
 
『近いうち、会いに来てやってください。もう、葬儀は済ませましたけど、仏壇に写真が飾ってありますから』
「えぇ、伺います。…なるべく、近いうちに」
『ありがとう』
「…遺書は、ありませんでしたか?」
『…ありました。だから、早いうちに自殺だと認められました』

 電話の彼女は、ずっと冷淡だった。

『……娘が、私より先に逝くなんて、思いませんでした』
「私もです。鈴子と最後に写真を撮ったのが、つい昨日のように感じます」

 当たり障りのない、無難な台詞を言うと、電話の向こうはため息を吐いた。

「お疲れですね。…心中お察ししますが、あまり悲しみすぎないでください。鈴子も成仏できません』

 すると、もう一度、大きなため息が聞こえた。

『藤原さん、あなただけに言いますが…。私はなにも、悲しみで疲れているわけではありません』
「………えぇと、と言うと?」
『あなたは体験したことないでしょうから、同意は求めませんがね。自殺者の遺族は、てんてこ舞いなんですよ。警察の聞き取り、ご近所の噂話…。もう散々なんです!』
 
 最後は声を荒げて、それに私が息をのむと、彼女は深呼吸した。
 そうして、低い声でつぶやいた。

『自殺なんて、絶対いけません。本当に馬鹿なことです』

 一瞬、私は言葉に詰まって、

「…自殺とは、馬鹿なことでしょうか」
『そうです。親はたまったものじゃありません。せっかくここまで育てて、たくさんのお金をつぎ込んで。うちは母子家庭だったのに、大学へも出したんです!それなのに自殺!遺書まで書くほどなら、私に相談してくれればよかったものを。あの子は、本当に、親不孝者です』

 また、向こうは声を荒げた。
 
 私は、質問を続けた。

「鈴子さんは、親不孝者ですか」
『ええ。あの子の死は、多大な迷惑を残しただけです』
「迷惑以外は、残りませんでしたか」
『ええ、ええ。残りませんでしたとも』

 言い切った彼女の声が、頭に嫌に響く。



『藤原さんは、そんなこと考えるような人では無いと思いますけど。鈴子は馬鹿で、浅はかでした』

 


「そうですね。自殺とは、馬鹿なことです」








 ずっと握っていた万年筆が、私の右手から、滑り落ちる。
 書き途中の紙に、インクが垂れる。
 携帯を右手で持ち直して、左手で、その紙を握りつぶした。

 ベッドの横。
 蛍光灯にしっかり結ばれた紐。
 垂れ下がったそれの、一番先にある歪な輪。

 そこを、虚ろに私は見つめる。


「鈴子さんと違って、私は、馬鹿なことはしませんよ」
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