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20.紅蓮
しおりを挟む「嘘だろ……」
男の髪の毛を毟り終えたみのりは呟いた。
男の首元を掴み、脈をはかる。
止まっている。
「死んでんじゃねぇよ!!」
原型を留めていない男の顔を殴る。
男の反応はない。だらりと下がった腕が男が息絶えた事実を示している。
「こんなもんじゃねぇだろ……」
「お前のせいであの子は傷ついた。お前のせいであの子は苦しんだ。あの子の受けた痛みはこんなもんじゃすまねぇんだよ!!」
頭から地面に叩きつける。
しかし反応はない。
みのりは男の首を掴み、持ち上げる。
力なく下がる手足、すわっていない首、その姿はまるで首吊り死体だ。
「まだ死ぬなよ。足りねぇんだよ」
「おい、死ぬなって言ってんだよ」
「……」
「……ってんじゃ」
「ふざけてんじゃねぇよ!!!」
みのりの怒りに呼応するように、エメラルドグリーンの輝きを放つドーラは紅蓮の炎へとその色を変えた。
その炎は首元を掴んだ手を通して、男の全身を覆った。
紅蓮の炎はみのりを怒りを体現しているかのように激しく燃え盛っている。
しかし、その炎の効果は対象を燃やし尽くすことではなかった。
炎に焼かれた箇所から、男の傷が癒えていく。
原型を留めていなかった顔面は人間の形を取り戻し、引き抜かれた髪が生え、潰された睾丸は再生を果たしていく。
「がっ……はっ……!」
苦しげな咳と共に、男は息を吹き返した。
「なん……だ……これ…………」
みのりに首元を掴まれているため言葉は絶え絶えだったが、男の止まったはずの心臓は動き出し、その眼球ははっきりと目の前のみのりの像を映し出していた。
男が認識したみのりの表情は、笑っていた。
「ありがてぇ……」
「この炎がなんなのかはわからねぇ。でも、これは間違いなく私の力だ」
「この力のおかげで……」
「お前をもっと苦しめることが出来る!」
ぐちゃっ!
「………ッッッッ!!!???」
みのりの膝蹴りが、再び男の睾丸を潰した。
突然の激痛に男は声を出すことが出来ない。
痛み以外の現実を、脳が理解できていない。
「まだだ!」
みのりの声を合図に、男の股間が紅蓮の炎に包まれた。すると、潰された睾丸が再生する。
「おらぁ!」
ぐちゅっ!
「あ゛がっ」
その衝撃に、男の喉が震える。意味を持つ前の言葉が口から漏れ出る。
再生したばかりの睾丸が再びミンチ肉と化したのだ。
「ふーー……」
みのりは息を吐き、首をまわす。
男の股間が発火し、睾丸が再生する。
もちろんその間も、みのりの手は男の首根っこを掴んで離さない。
「おらっ!」
ぐちゃっ!
「あ゛!」
「汚ねえ声出すな!」
怒りのままに、みのりは拳を振るった。男の鼻骨は粉砕された。
男の股間が再び紅蓮の炎に包まれる。
「108回ぐらい潰すか。めんどくせぇからお前が数えとけよ!」
ぐちゃっ!
「あ゛あ゛っ!」
男には絶望する時間すら与えられなかったが、108という数字に恐怖を感じていた。
その恐怖さえも、痛みにかき消されることになる。
大晦日の除夜の鐘の音のように、男の睾丸が潰れる音がその場にいる者の鼓膜を震わせた。
「おい、今何回だ?」
「…………」
みのりの問いかけに男は答えない。言葉を発する気力すら痛みに奪われてしまったのだ。
「何回だって聞いてんだよ!!!」
ぐちゃっ!
「お゛っ!」
みのりはゴミを捨てるように男を投げ捨てた。
「試してみるか」
地面に倒れて、ピクピクと痙攣を繰り返し、焦点の合ってない目で虚空を見つめる男にみのりは手のひらをかざした。
すると、男の全身が発火し、炎に包まれた。
「あ……」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
男は炎に焼かれる痛みに悶えている。
どうやらこの炎は治癒だけでなく、本来の火としての性質もあるらしい。
「いけそうだな」
みのりはゆっくりと地面でのたうちまわる男に近づき、頭を鷲掴みにした。
「脳だけは治癒の炎で保護してやる。存分に焼かれろ」
身を焦がす炎、皮膚が焼ける音、人肉が燃える匂いの中で、死刑宣告よりも残酷なみのりの声が、男の耳にしっかりと届いていた。
男は涙を流したが、その涙さえも炎に焼かれて蒸発した。
「しっかり焼けたな」
みのりの足元にあるのは黒焦げの焼死体。
どう見ても死体にしか見えないが、それはまだ生きていた。
脳を始めとする生存に必要な最低限の器官はみのりのドーラによって守られ、治癒の炎によって焼かれながら回復させられていたからだ。
みのりはしっかり焼けたと口にしたが、例えるならそれは外側が黒焦げになるまで焼いたが、内側には火が通っていない生焼け状態だった。
みのりは男の首を掴む。
「がっ……かは……!」
男は酸素を得ようと声を出すことで喉を開こうとする。
今の男にできるのはそれくらいだった。
みのりは首を絞める手を通じて男のドーラを奪った。
「死んで詫びろ、許さないけどな」
ゴキッ!
みのりは男の首をへし折った。
達成感は無かった。
みのり中の激情の炎はひとまず収まったものの、未だに燻っていた。
気配を感じて振り向くと、被害者の女の子が立っていた。
「もう大丈夫だよ」
かつてこんな風に話したことがあっただろうか。
自分でも驚くほどに穏やかな声だった。
「ありがとう……ございます……」
女の子からの感謝の言葉。
泣き腫らした瞳を見るとみのりは胸の奥がちくりと痛んだ。
この子の傷は消えない。
一生残り続ける。
理不尽に襲われた人に対して、他人のできることはあまりにも微力だ。
同情
気休めの言葉
そんなのじゃ傷は治せない。
誰にだって治せない。
だったら私は理不尽を殺そう。
みのりは答えを得た。
それが最適解だと心の底から思えた。
「どういたしまして」
みのりの言葉を受けて、マキは深々と頭を下げた。そして、倒れているアキヒロの元へ駆け寄って行った。
みのりは、理不尽に敗れて倒れている男も契約者だということは忘れていなかった。
(あそこに行って力を奪うのは……野暮だろうな)
マキの涙の理由がみのりに恐怖していたからだったということには気づかないままに、みのりは再び歩き出した。
自由気ままな夜の散歩道。
その歩みを止められる者は、誰もいなかった。
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