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第6章

迷惑ですか

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それから1週間。

創くんは、アルバイトで帰りが夜になる度、私を家まで送ってくれるようになった。

「じゃあ、また明後日っすね。お疲れ様です。」

いつものようにそう言って、あっさりと帰っていく彼。


「待って。」

私は、一瞬ためらいながら、その後ろ姿に慌てて声を出した。


「ん?」

「もう、送ってくれなくて大丈夫だよ?」

何度断っても、半ば強引に着いてきて、いつも家まで送ってくれていた創くん。今までは、そんな彼の優しさを無碍むげにはできず、甘えてきた。

でも、そろそろ言わなくてはいけない。

ここまでずっと迷惑をかけてしまったけれど、ただのバイト仲間で、その上、年下の男の子にここまでしてもらうなんて、申し訳なくて仕方ない。

「だってほら、つけられてる感じもしないし。それに、創くんにここまでしてもらう義理、私にはないもん。」

「いや、別に俺は、嫌々やってるわけじゃ――」

「いいの!本当に。大丈夫だから。」

彼の言葉を遮って、突き放すようにそう言った。困惑した表情を目の前にしながら、私は笑顔を取り繕う。


こうして彼の優しさを断る理由。

それは、ただ単に迷惑をかけられない、というだけではなかった。実はもうひとつ、大きな理由があった。


「胡桃のこと。気にしてるなら、別に俺らなんでもないですから。」

すると、私の心を見透かしたように、呆れた顔をしてそう言ってきた創くん。真意をつかれドキッとしながら、苦笑いを浮かべた。


あの日――アルバイトが終わったにも関わらず、創くんが私を迎えにきた日。

あれから、胡桃ちゃんの態度は大きく変わった。

今までは、当たりは強かったけれど、仕方なしに話はしてくれた。嫌われているとはいえ、挨拶はしてくれていた。

でも、あの日以来、話しかけると冷たくされ、お疲れ様の一言すらない。それが、無性に悲しく思えた。


私は、胡桃ちゃんの恋を邪魔したいわけじゃない。

もし嫌な思いをさせているのだとしたら、少しでもどうにかしたい。2人をくっつけようとしてるわけじゃないし、大きなお世話かもしれないけど、胡桃ちゃんの気持ちも少しは分かる気がするから。

私に今できることは、彼に近づきすぎないことだと思った。


「ごめんねー、本当に。あんなこと聞かされて、心配してくれって言ってるようなもんだったよね。」

全ては創くんの優しさだったから。嫌な思いをさせないように、迷惑そうに見えないように、そう言ってなるべく明るく振る舞って見せた。


「いや、そんなこと....。」

「たしかにね、胡桃ちゃんのこともある。だけど、どっちにしても私、彼氏でもない創くんにここまで迷惑かけられない。優しさに甘えちゃったけど、明日からは本当に、1人で平気だから。」

ハッキリと告げると、一気に気持ちが軽くなる。

「ありがとね。じゃあ、おやすみ。」

面食らったように立ち尽くす彼に、私は丁寧にペコっと頭を下げる。迷いながらも、その場から動こうとしない彼に背を向けて、マンションに向かって歩き出した。


「俺の気持ち、そんなに迷惑でしたか。」

しかし、その一言で足が止まった。

さっきまでの空気が、彼の言葉でガラリと変わる。


「あんな話されたから。仕方なくでここまでしてたって、本当に思ってますか。」

後ろから近づいてくる声。彼は凍りついたように立ち止まる私を追い越して、ゆっくりと前に立つ。

そんな彼から、気まずく目を逸らした。

その時、ちらりと絡んだ視線。目を見たら、その先に続く言葉がなんとなく分かってしまい、急に聞くのが怖くなった。

「創くん、あのね。」

「気づかないふり、しないでください。」

話を逸らそうとしたものの、私は呆気なく敗れる。

若さとは、怖い。見上げた彼から真っ直ぐ向けられた視線は、恐ろしく、何の迷いもない目をしていた。


「どうしたの、急に。怖い顔して。」

誤魔化すようにそう言うものの、私はどこかで気付いていた。気づかないように、見ないようにしてきただけで、心のどこかで気付いている自分がいた。

胡桃ちゃんのことを言い訳にして、離れようとした。

けれど、本当はこうして近づくのが怖かっただけなのかもしれない。このまま距離が近くなって、言葉にされるのを恐れていた。そうして、今の良い関係が崩れるのが怖かった。


「はーあ、そうやって誤魔化されると思った。」

私を想う、彼の気持ち。

反応に困っている私を見ると、ため息混じりに壁へ寄りかかり、スルスルと座り込む彼。

「今までも、何度かそんな空気出してたと思うんですけど、鈍感なんだか気付いてくれなくて。ここまでしたら、さすがに気付いてもらえるかなーと思って、強引にやってみたんすけど。普通に、気づかないふりするから。」

私は口籠もり、どう言ったらいいか分からなかった。


決定的なことは口にしていなくても、それはほとんど好きだと言われたようなもので。胸のあたりがムズムズした。

こんなに年下の子から想われたのは、人生初。戸惑いと少しの優越感が入り混じる。変な感情。

かっこよくて、優しくて、年下のわりに大人びている。どこか同じ年の子たちとは違う、独特な雰囲気を漂わせている子。

だけど、私にとって彼は、そういう対象ではなかった。


「あのさ、自分で言うのもなんだけど、私、27なの。なんなら年明けてちょっとしたら、28。アラサーまっしぐら!」

必死に言葉を選びながら、彼の前に座り込み、同じ目線になって言う。

「だから?」

しかし、動じない彼の真顔にうろたえて、顔をひきつらせた。


「いや、だからって言われても.....。」

「年なんて関係ないっすよ。」

「んー、なくはないと思うんだけど....。」


今は何と言ってもこうなるような気がして、ハハっと心ない笑いを浮かべる。


「はぁ....。」

すると、そんな私を見て、大きなため息をつく彼。私の顔をまじまじと見て、衝撃的なことを言った。


「ちなみに俺、前の彼女10個上。高校の時の先生。」

さらりと、爆弾発言。


「うっそ。」

「ほんと。」

口が開いたまま、閉じることを忘れていた。私への想いを匂わせたことを、忘れそうになる。

それくらいの衝撃を受けた。

「まあ、付き合ったのは大学入ってからなんで、変な想像しないでくださいね。」

「いや、それでも.....。」

10代の彼を射止めるなんて、どんな魔性の女だろう。頭の中で、勝手に妖艶な女性を作りあげ、力が抜けた。


「その、私が年の話持ち出しといて、こういうこと言うのあれだけど。」

私はそれでも気を取り直して、言葉を選びながら、改めて話を始める。

「私たちの年が離れてなかったとしても、やっぱり、そういうことは考えられないと思う。創くんは、良い友達。これからもそう。だから――」

「もう良いっすよ。」

目を泳がせながら、必死に話す私を見兼ねたように、急に立ち上がりそう言った彼。


「あっさり、オッケー貰えるなんて思ってなかったし。旦那(仮)もいるから、想定内です。来週のクリスマスの予定がなくなったくらいですかねー。」

「(仮)って。私、これでも本気で.....」

「ものの数分考えただけの答え、本気なんて認めませんよ?」

つられるように立ち上がると、途端に見つめられそう言われる。思わず、何も言えなくなった。


「じゃ、また明後日。」

「えっ、だから.....」

「とりあえず、好意とか抜きにして、俺が送るのやめた途端なんかあるとか寝覚め悪いんで。また送ります。」


嵐のような数分間。

頭を軽く下げ、去っていく後ろ姿を目で追いながら、呆気に取られる。私は目をパチクリとさせながら、なぜか速くなっていく心臓に、自然と手を当てていた。

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