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宣言

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「ローズ・イスパハン。貴様のティルナシア・カーターに対する数々の嫌がらせは既に明白。そのような賤きものを我が皇家に迎え入れるわけにはいかぬッ!、よってここにアロー皇国皇子イヴァン・セネガル・アローとイスパハン子爵家令嬢ローズ・イスパハンの婚約を破棄する! そして新たに、この可憐なるカーター男爵家令嬢、ティルナシア・カーターとの婚約を此処に宣言する!」


 左翼からの庭園への闖入者たちの姿に、侍女たちの顔は一層青褪め、脂汗をかきながら駆け寄った近衛たちはあちらとこちらの顔を交互に眺めるのみ。

 今日を境に陽はどんどんと長くなる、そのまだ高く柔らかい日差しの下、彼の突然の大音声に暢気にパン屑をつついていた小鳥たちが一斉に飛び立った。

 音楽は遠くに聞こえ、人々のざわめきは残る。漣のように小さく。だがその小さな声も音楽も、彼女が扇を閉じた瞬間、止まった。

「…今、何を言ったのかしら?」

 ああ、なんということだろう。私は一瞬瞑目する。

 彼女の優しげな、慈愛に満ちた眼差しの、儚げに揺れる銀の髪の一房を白檀の香放つ扇子でくるりくるりともてあそび、形良い紅い唇にはうっすらと浮かべる愛らしい微笑の……そのすべてが怖ろしい。

 今、この瞬間の本当の怖ろしさを私と共有できるのは二人の少女のみだ。いや、この怖ろしさを知っている者は数多いるだろう。ただ此処は血風舞う戦場ではない。今、この場でこの畏怖を共有できるのはたったの…いるだけマシだ。きっと。多分。

 こくり、と私は息を飲み込んだ。ストレスに対するなだめ行動とでもなんとでも言ってくれてかまわない。


 この国の成人年齢は女も男も共に18だ。つまり、弱冠は18才、18にもなれば、マナーもルールも常識もすべて備わっていることが前提であるこの国。前提であるからこそ、新成人の女子が、皇家の名を冠したお茶会に参加できるのだ。女子が、だ。子女ではなく。女子。ご令嬢方々。

 しかも、本日招かれているのは公爵2家・侯爵6家・伯爵8家の令嬢のみ。これは身分によるマナーが爵位によって変化するための措置で、お互いのためだ。

 テーブルは皇のものは二人掛けの小さいもの。私たちのものは三人掛けのものだが、最初は一つのテーブルに一人のみ座っている。

 順にまずは皇のテーブルに赴き、次に高位のもののテーブルを訪ねる。

 満遍なく行われる『挨拶』のためで、だから基本的には皇を中心に公爵家、それより外に侯爵家、それより外に伯爵家、とテーブルは扇形に配置されている。

 勿論例外も存在する。私のように公爵家の娘でありながら、すでに子爵としての身分を賜っている者が含まれているので、公爵「令嬢」よりは身分が高いとされ、公爵家のテーブルよりも皇に近く配置される。

 私はローザリア公爵家長子ローズ・ロレーヌ・ローザリアでありながら、同時にローズ・イスパハン子爵なのだ。

 同様に、ロキソニア侯爵令嬢でもあるアイリス・サンダーソニア子爵、また辺境伯令嬢でもあるジャスミン・アリッサム子爵がともにある。

 私とともに今この本当の恐…畏怖を知る二人だが、私たち三人のそれぞれのテーブルが皇にもっとも近く配置されている。


 私たち三人は十五の年に戦地に赴いた。爵位はそのときに賜った。なんのことはない、爵位がなければ部隊を率いることが出来なかったからだ。

 論功行賞ではなく先に渡された爵位は、その力を示せという皇の意でもあった。

 ジャスミンはその類まれなる剣技ゆえに。
 アイリスは異才かつ賢者であるがゆえに。
 そして私は量ることができぬほどの魔力があるゆえに。

 私たちは他の子息令嬢たちが学園でおくる…護られる存在、子供としての最後の時間を獣の血煙漂う戦場で過ごした。

 私たちは荒れ果てた地、視界すべてを埋める荒野で、或いは凍てつく山で、また或いは無残に崩れた壁を背に、攻めくる魔物、魔族を屠り続け、戦果を上げ続けた。

 勝利し、転戦し、また勝利し…瞬く間に二年の月日が流れた。

 戦争は終結し、戻った内地は豊かであった。

 兵糧物資が潤沢であったので、また前線から下がっては復帰する兵士たちの顔色も良かったので、ついでにローテーションで現れる、能力ある高位貴族もまた、現れるたびに菓子やらなんやら贅沢品を土産と称して第一線に残る者たちに差し入れるので、何より、我々は一度たりとも前線を下げることなかったので、それなりに豊かであろうと思ってはいたが--まるで戦争などありもしなかったかのような豊かな内地の姿に呆然とした私たちは、籍のみがある学園にはもう行かなかった。

 否。行けなかった。

 行けるはずもない。学園で過ごしたのは十五の年のたかだか三月ほどで、同い年の子女らが内地で安穏と学生生活を送っている間、私たちは血に塗れる戦地で過ごしたのだから。

 戦線の激しさを知る高位貴族、その子女たちから在学期間が半年ばかり残る学園に戻らないことに対して心配している旨の手紙がいくつも届いたが、私たちはやはり学園には戻らなかった。城の中で皇にこきつか…皇に仕え、戦後処理の名の下で政治を学んでいたからだ。

 教育そのものは、戦地にいる頃から、皇直々に賜っている。思い出したくもない日々だ。主に、皇の教育のほうが。

 私たちの戦果は、皇から受けた教育のストレスからくる私たちの心の叫びと比例…いや、なんでもない。


 勿論、平民方は安穏たる学生生活など送らないし、兵士は私たちと同様に戦っていた。

 兵士の中には私たちと同じ年頃の者もいた。国境沿いの各領の民たちもだ。

 私たちの誇りは、二年目には前線に立つのは兵士たちのみになっていたことだし、私たちと同じ年頃のものの数も減らしたことだ。

 英霊になったからではない。私たちがいたから、彼らは戦地前線から後方に下がれたのだ。だから、それは誇りであって他に思うところはない。私たちは持つ者だったのだ。だから戦い抜き、生き抜いた。それだけだ。



 そして、この成人の儀をもって、我々三人の爵位はまた上がる。
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