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第1章 前夜祭

前夜祭

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 バチバチっと、火の粉を散らして炎が盛んに燃え上がり、闇に包まれた空を煌々と照らしている。
 村の外れにある広場は椰子の木に囲まれ、木立から海が見える。森を挟んで隣村と共有するこの広場で、英雄の儀式が行われるのである。

「今回の儀式は誰が選ばれるんだろうねぇ」
「そりゃ、俺と魔法会のラザーだろう!」
「あんたねぇ、ここでは」

 ゴザに座り、酒が並々と注がれた杯を交わしながら話に花を咲かせる者もいれば、儀礼用の純白の衣装に身を包み、祝いの歌を高らかに歌いながら、焚き火の周りで輪になって踊る者もいる。
 子ども達も、大人に注意されてもそっちのけで、場内を駆けずり回っている。今宵は、大人も子どももお祭り騒ぎで、日頃の疲れを忘れて楽しんでいた。



 パンッ、パンッと、賑やかな広場に、占い師アスリーの手拍てばたきが響き渡る。
 大人は話を止め、杯を下に置いて居住まいを正した。その様子を見ていた子どもは、不安になって親の元に駆け寄った。

「お兄ちゃん、儀式が始まるね……何だかドキドキする」

 ミールは顔をケープに潜らせながら、ぼそっと呟いた。不安でいっぱいなんだと思う。

「そうだなぁ、ミールは前の儀式の時は小さかったからな」
「お兄ちゃんはどうだったの?」
「緊張したよ。五歳だったから、あんまり覚えていないけど。アスリー先生の語りは、すごく厳かだったなぁ」

 アスリーとミールを交互に見ながら、クランはひそひそ声で話した。
 細かな装飾を施したローブを纏い、焚き火の前に座っている白髪頭の老婆がアスリーだ。彼女は、魔法使いを育てる魔法会の先生でもある。

「神話は授業で習ったものと違うのかな?」

 緊張が大分ほぐれ、ミールは更に調子に乗って口を開く。クランはまずいと思いながらも、注意できないでいる。

「ねえ、お兄ちゃん!」

 村人達は静粛に儀式の始まりを待っている。大人はこの状況に気付かないのではなく、二人が自ら黙るのを待っている。英雄の試練の参加資格が与えられる十五歳は、大人の仲間入りを意味しているのだ。

「クラン、ミール! いつまで喋っている!!」

 雷鳴の如く背後で轟いた声は、二人を一瞬にして凍らせた。
 恐る恐る振り返ると、上半身裸の上背のある男が仁王立ちで二人を見下ろしている。

「ト、トール先生っ」

 短く刈り込んだ西瓜色の頭髪と、こんがり日に焼けた筋骨隆々の体は汗に濡れている。クランが属する武道会の師範トールの姿は、古い言い伝えに出てくる『英雄ニム』に似ている。
 彼は諭すようにクランに目配せすると、人をかき分けて、アスリーの隣の席に腰を下ろした。

 辺りは静まり返り、薪のはぜる音だけ聞こえる。
 クランはホッと胸を撫で下ろす。そういえば、儀式が始まる前に私語をすると、恐るべき魔物『ハシャトルガ』に取り憑かれると、大人達が言っていた。開始早々、大恥なんてかきたくないや。
 ふとミールを一瞥いちべつすると、妹は再び緊張しているようだった。ゴクリと唾を飲み込み、いやに背筋を伸ばしている。

「神エレメント、そしてこの地を護られる水の精霊フェリアに祝福あれ――」

 アスリーによる祝福のまじないとともに、英雄の儀式が始まった。ゆっくり目蓋を閉じ、組んだ膝の上に両手を乗せた。焚き火の炎が彼女の顔の輪郭をぼんやり映し出す。

「その昔、ここより海を隔てた遥か遠い北の国に『ハムル族』と呼ばれる民がおった。彼らは夏でも雪に覆われた高い山脈の麓に暮らしていた」

 この『ニムルの聖遷せいせん』は、村に古くから伝わっている物語で、村人なら誰でも知っている。僕達ニムル族にとって、重大な出来事なんだ。
 一語一語が頭の中に響き、紡がれてゆく。師が少しずつ織り上げる世界に吸い込まれてゆく。

「彼らは山頂に山羊を放牧し、ミルクからバターやチーズを作ったり、糸を紡いで衣服を仕立てた。自給自足の生活を営み、霊峰によって護られていた。ハムルは自然とともに生きる民だった――」

 出し抜けに、アスリーの穏やかな口調が変わった。師の様子を察してか、炎が一瞬勢いよく燃えた。それは、物語が不吉な方へと向かう兆しだった。

「平穏は長く続かなかった。霊峰よりさらに北に位置する『闇の帝国』の勢力がすぐそこまで迫っていたのじゃ。奴らはハムルを属国にしようと目論んでおった。
 辺境には、犠牲になる者が後を絶たなかった。死す者、さらわれる者、流れた血は帝国の心の臓へと捧げられる。動物、人智を超える力を奴らは持っていたのじゃ」

 老婆は拳を固く握りしめた。皺々の唇が微かに震えている。恐れと不安、心の奥底からこみ上げてくる感情と戦っているようだった。

「帝国の侵攻に我慢できなくなったハムルの国王ヴィシャガラスは、国を挙げて戦う決心をした。民は王に諸手を挙げて賛同した。
 しかし、異議を唱える者がおった。近衛の剣士ニムは、闇の勢力の手が届かない地に移住するのが最善だと進言した。
 だが、王はすぐさまニムの主張を切り捨てた。お前は国を見放すつもりか? 奴らに背を向けるつもりなのかと」

 村人はじっと耳を澄ませ、話に聞き入っている。まるで物語の中の登場人物になりきるかの如く、アスリーの声色は凄みを見せる。対して、隣に座っているトールは片膝を立てて、考え事をしていた。

「私は生き延びたいのです。たとえ国を離れようとも――異端者と烙印を押されたニムの考えに賛同する者もいた。かつて、ハムルの民は一万人ほどいたという。彼は賛同した千人を連れて国を出た。
 先導者は、ニムと親友の魔法使いのシャンだ。背後には、一山を越えるぐらいの大行列だったらしい。野越え山越え、彼らは新天地を求めて、大陸を南下した。寒暖の激しい気候に他族からの冷たい視線、流行病はやりやまいに見舞われ、いつしか仲間は半分近くまで減っていた。
 行き着いた大海原を前にして、この大陸に我らの居場所はないと悟ったニムは、船出を決心した」

 広場と海は少し離れているはずなのに、やけに近くでさざ波の音が聞こえる。寄せては引いていく、普段聞き慣れている音が不思議と物珍しく感じる。

「船旅は楽ではなかった。慣れない船での生活は、心身をますます疲弊させた。仲間は当初の三分の一に減っていた。
 苦難が続く中、一行は夜空に揺らめくカーテンを見た。七色に輝き、見る者を夢見心地にさせた。神秘的な光景に、一時いっとき旅の疲れを忘れたが、更なる難局が待っていることを誰が予想したか!?」

 鳥肌が立ってきた。冬ではないのに、夜気が冷たい。クランは、いきなり出そうになったくしゃみを必死に堪えた。古の言い伝えはいよいよ核心に迫ろうとしている。

「大きな嵐がやってきた。暗雲が垂れ込め、波が高く打ち寄せ、強風が吹き荒れる。先程の光景は幻だったのか。船は真っ二つに割れ、怪物と化した海に飲まれて、命を失う者は数知れない。
 一行は割れた舳先へさきにしがみつき、嵐が収まるのをじっと待った。生きたいと、誰もが願った。そんな彼らの思いが通じたのか、分厚い雲間から日の光が射し込んだ。海は青さを取り戻したのだ。
 コンパスの指す南に楽園があった。魚が群れになって泳ぎ、鮮やかな緑が生い茂る双子島。島に上がれば、たわわに実るバナナに椰子の実があり――そう、私達がいつも食べている物じゃ。
 祖国とは気候が違うものの長旅で鍛えられた者は多く、豊富な食料に惹かれて、ここで暮らしたいと皆の意見が一致した。この島の生態を知るために、明くる日から探検が始まった」

 ここから、最大の悲劇が始まる。そう予感せざるを得なかった。こうはそうも長くは続かない。古の言い伝えで、嵐よりも恐ろしいのはこの先だから。

「動物はたくさんいるのに、なぜこれほど豊かな島に人っ子一人いないのだろう?
 そう訝しむ前に、ここから立ち去れば良かった。だが、後悔先に立たず。既に、一行は島のあるじの標的になっていたのだ。
 恐るべき魔物ハシャトルガ。ひっそりと闇に紛れていた魔物は、大蛇の如き巨体を現し、次々と漂流者を襲い始めた。体をびっしりと覆う、真珠を思わせるきらびやかな鱗に見惚れる者は数知れず。魔物は彼らを小動物に変え、奴隷にしたのだ」

 ハシャトルガ、名前を耳にするだけでも恐ろしい。初めてこの話を聞いた晩、怖くて一人で外に用を足しに行けなかった。

「大地は震え、一行に戦慄が走る。絶望に打ちひしがれんとした時、ニムとシャンは、島を護る『水の精霊フェリア』の力を借りたのだった。動物に姿を変えられた仲間と、先人達を救うために。
 ほとばしる炎、荒れ狂う海、轟く雷鳴。戦いは七日七晩なぬかななばん続き、遂に二人はハシャトルガを封印した。島に平和が訪れたのだ」

 アスリーはゆっくりと立ち上がった。手に取った杖を燦然さんぜんと星々が輝く空へと高くかざした。

「名もなき島よ。今ここに、大き島をニム島、小さき島をシャン島と名付けよう。先住の民『ニンサ族』とハムル族はともに暮らそう。二つの民は一つに、ニムルとなる。
 この平和が永久とわに、封印が解かれぬように。英雄ニムとシャンを継承し、『武道会』と『魔法会』を創設しよう。そして、十年に一回、試練を受けよう。子々孫々と英雄を残すために。水の精霊フェリアのもとに――」

 アスリーの声が消え入るや否や、広場中に拍手が沸き起こった。喜びでほころび、感極まって涙を流す者もいる。
 この長い物語を調子を変えながら語るのは並大抵では難しく、アスリーに敬礼する者までいた。

「フェリアよ、今ここに試練を受ける者を、武道会と魔法会より選ばん。貴女が課された試練を乗り越えし時、彼らは英雄となるだろう」

 水を打ったかのように再び静まりかえった広場に、朗々と響き渡るアスリーの声。隣に座っているトールは、そっと立ち上がった。
 あぁ、これから名前が告げられるんだ。いったい試練を受けるのは誰か。

 思えば、五年前もそうだった。十歳になると、村ではどちらの会に所属するか組み分けが行われる。皆の前で一人ずつ名前を呼ばれ、剣あるいは杖を授かる儀式。こうやって固唾を呑んで待っていた覚えがある。自分の番が近付くにつれ、いてもたってもいられなくなる。
 誰もがクランと同じ心境だろう。もしかしたら自分が選ばれると、胸を躍らす者もいるに違いない。誰もが早く知りたいと切望していた。

「試練を受ける者、シャンに続く魔法会からは――」

 いよいよ、次の言葉との間隔が開き、一秒一秒がやけに長く感じる。緊迫した空気に押し潰されそうになる。

「ラザー・スーキン!」

 同時に、名前を呼ばれた者は、痛いくらいに村人の視線を浴びた。
 視線の先には、クランと同じ年頃の少年が見える。肩まで掛かる長い紫色の髪に、老婆を見据える切れ長の双眸そうぼう。色白のおもてには、薄笑いを浮かべていた。
 彼は村人を一瞥すると、「はい」と返事をして、立ち上がった。

「最年少だ」
「お、あれは隣村の少年じゃないか」
「魔法会では指折りの実力だとか」
「俺はラザーが選ばれると思っていたぞ」

 一転して、ざわめく。
 長身で眉目秀麗びもくしゅうれい、秀才。例えば、最短詠唱時間や属性別習得魔法数を更新したといった噂は、十数キロ離れたニンサ村――魔法会がある――から、毎日のようにニムル村に広がる。ラザー・スーキンは皆の憧れの的なのである。

「武道会から、英雄ニムを引き継ぐ者は――」

 アスリーに変わって、トールが発表する。
 ラザーが選ばれるということは、こちらも相応の優等生が選ばれるはず。ざわついた広場に、再び静けさが戻る。

「クラン・ブール!」

 耳を疑った。
 何かの間違いかと思った。たぶんさっきのお咎めの続きが始まるに違いない。

「クラン」

 咄嗟に、昼間にミールが口走った言葉を思い出した。

 ――もしお兄ちゃんが選ばれたら守ってください!

 あれは冗談とばかり思っていたのに、まさか現実になってしまうとは。どうしよう、父さん。
 頭の中に嵐が吹き荒れる。落ち着かなければと心に言い聞かせるも、心臓が早鐘のように鳴っている。

「クラン、立ちなさい」

 アスリーが呼びかけるものの、少年の耳には入っていなかった。四方からどよめきが聞こえる。「何でクランが選ばれたんだ?」「あいつよりも優秀なのがいるのにな」と、愚痴を言っているに違いない。

「お兄ちゃん、がんばって」

 ミールは兄の左手を優しく握った。
 この一言がなかったら、心の嵐が見せる幻惑から目覚めなかったかもしれない。妹の手は温かく、昂ぶる気持ちを芯から静めた。

(ミール)

 風が凪ぐように、心は落ち着きを取り戻す。心の大海原は、深海を映し出した。

「はいっ!」

 先程のどきまぎした様子はなかった。クランは威勢良く返事をすると、すっくと立ち上がった。

「かくして英雄ニムとシャンは決まった。これは神のご意思だ。皆よ、クランとラザーに健闘を祈ろう」

 そう言って歩み出たのは、族長のカーンだ。初老といえども、日に焼けて精悍な体つきで、ハスキーボイスが特徴的である。
 盛大な拍手が二人の少年を包み込こんだ。「頑張れ!」「最善を尽くせよ」と声援が聞こえる。

「明朝、エクスの刻七時に、試練の儀式を始める。武道会のクラン、魔法会のラザーよ。始まりと同時にシャン島に行き、英雄ニムがハシャトルガを封印した『英雄のつるぎ』を取ってくるのだ」

 もちろん剣は作り物だ。本物は今も尚、ハシャトルガを封印している。
 その時だった。カーンが話し終えるとすぐに、熾火おきびになりかけた焚き火が待っていたといわんばかりに燃え盛り、高々と昇った。黄色と紅の炎が二重の螺旋状に絡まり合い、昇天していく様はまさに芸術と言おう。
 その光景を目の当たりにして、人々は歓声を上げる。ミールもまた頬っぺたに手を当てて、わぁと声を漏らした。

 火の精霊エクスの祝福。一時、夜の闇を払い、紅蓮ぐれんの炎がほとばしる。
 確か十年前の前夜祭の時も、この火柱を見たのだった。あの時は怖かったけど、今は神聖に見える。
 炎は十分空を舞うと、ゆるやかに螺旋をほどきながら消えていった。前夜祭は終わりを告げ、再び夜のとばりが下りるのだった。
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