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第5章 幽霊船
ウェストリーヴ号
しおりを挟む柔らかな光が体を包み込み、人々の賑やかな談笑がどっと押し寄せてくる。扉を開けて足を踏み入れた先には、先程の沈黙とは打って変わった光景が広がっていた。
「紳士淑女の皆様。ウェストリーヴ号にご乗船くださいまして、誠にありがとうございます。私は船長のレシと申します。北大陸シャーンのヌース港に至るまでの船旅をどうぞごゆっくりお楽しみください」
村の集会場のように広々としたホールには、クランとミールの他に複数の乗客がいた。天井には細長い透明の筒が密集して円を描きながらぶら下がり、船室を余す所なく照らしている。
照明の真下には、八の字の髭を貯えた小太りの男が立ち、乗客に挨拶をしている。船長らしきこの男は、乗客から盛大な拍手を受け、
「シャーンは、ヌースの朝市にエルガンヴァーナのワイン、そしてラ・カータの民族舞踊が見物です」
地名と名産を列挙し、更には昔話を話し始めた。
「その昔、聖都エルガンヴァーナはセントヘラスと呼ばれ、聖女ラキタが信仰されていました。ラキタは、光の女神リュークによって創造された『創世の民』の一人です。しかし、世界全土を支配した魔族の力に抗うことはできませんでした」
クランが行くぞと促しても、ミールは話に聞き入っている。
「幸いこの地域は気候に恵まれ、作物の実りは良かったのです。とりわけ葡萄の収穫が多く、人々はワインを作りました。ワインはその赤き色の故、光の女神リュークが創造した我ら人間の血の色として神聖視されました」
妹は珍しい話に目を輝かせている。
「ところが、神聖なワインは悪魔族の王であるザイナスの目に留まり、人間の血を玩味するという意味で嗜好されたのです」
何だ、ここに来てまで、歴史の勉強をしなくてはならないのか。
「魔王によってかつてのワインは穢されましたが、元来の神聖さが勝り、今も人々に愛されています。そういえば、街のどこかにかつての魔王が嗜好した最高級のワインが現存するそうですよ。どう、行きたくなったでしょう」
結局のところ、この船長は宣伝をしたかっただけだろう。
「シャーン大陸」
ここにいる人達は、いったいどこからやってきたのだろうか。この客船は僕達が目指すべき大陸に向かっている。
「お兄ちゃん、綺麗な椅子だね」
船室に配置されたいくつもの丸机と椅子には緻密な彫刻が施され、思わず目を凝らしたくなる出来だ。床に敷かれた絨毯には、幾何学的な模様があしらわれている。
「みんな、私達が着ている服とは違うね」
ミールの観察眼は、留まる所を知らない。少女の目に飛び込んでくるのは、外套を着た男性や、肌が透けて見える薄い生地のドレスを纏った女性ばかりだ。誰もニムル族の民族衣裳である、唐草模様の縁取りがされた衣を着ていない。
船室の奥に歩を進めるにつれて、二人は自分達が場違いな者だと感じてしまう。
乗客は用意されたワインを嗜んだり、管楽器の演奏に合わせて優雅にダンスを踊っている。口元を扇子で隠して上品に笑う女性や、黙々と読書に撤する者など、二人が知っている唯一の祭り・英雄の儀式の前夜祭とは雰囲気が異なっていた。
「ママ!」
ホールから廊下に出ようとした時だった。
ミールは突然叫ぶと、クランの制止を振り切って、ホールの一角に向かって走りだした。
机に乗せられた料理に黙々と手を付ける男性と女性。二人はゆったりとしたローブを纏い、首から胸元に掛かるケープを羽織っている。それはニムル族の民族衣裳とは異なり、水色と桃色の淡い色合いが印象的だった。
男性はクランと同じ西瓜色の短髪と無精髭に、女性はミールと同じ黄緑色の長髪である。
「父さん、母さん!!」
どうして両親がこの船に乗船しているのか分からない。しかし、二人はまさしく父ハルと母ベニーであった。
「……お兄ちゃん、この人がお墓の中に眠っているパパなの?」
「そうだよ、父さんだよ」
ミールは父さんの顔を覚えていないだろうな。死んだはずの父さんに、ここで会えるとは思っていなかった。
僕が幼かった時と変わらない。確か父さんが鼻の下に伸ばした髭に憧れた時期もあったっけ。ずっと会いたかったと言わんばかりに、クランは二人の顔を覗き込む。ミールもつられて、後ろから抱きつこうとした。
ところが、息子と娘の歓喜の声に気づかず、二人は互いに笑みを浮かべながらワイングラスを傾けている。
「父さん、どうして無視するんだ」
「二人だけずるいよ。私達も入れてよ!」
まるで二人には、クランとミールの姿が見えていないようだ。
「君、シャーンまではあとどのくらいで到着するのかね?」
別の机を陣取っている乗客が、クランの背後を通り過ぎた男に尋ねる。その男は丈の長い茶色のコートを纏い、黒髪を後ろで一つに結わえている。
「この先の海域は厄介だ。無事に乗り越えられたら、五日ぐらいでヌースに到着するな」
男は喋りながら左右に行ったり来たりとその乗客の傍を歩き、言い終えるとすぐ目の前で止まった。眼光は鋭く、威嚇するように両の眼を見開くと、
「だがもう一つ……海賊に襲われないことだな!!」
声を張り上げると同時に、船室の至る所の扉がけたたましく開かれた。バタバタと慌ただしい足音が押し寄せ、この場に居合わせた者とはまた異なった服装をした連中が流れ込んできた。
彼らは両足にわらじを履き、上半身に丈の短い布をゆったりと纏い、腹部を帯できつく固定している。襟の部分にあたる左右の布を、鎖骨の辺りで斜めに重ね合わせた見慣れない服装だった。
「海賊だっ!」
乗客の一人が燭台を構えながら叫ぶ。海賊と呼ばれた男達は、誰もが手に片刃の剣を持っている。
「お前、李本銀を知っているか?」
「だ、誰でしょうか……」
「国の名前だよ!!」
腰を抜かす乗客に、海賊は声を荒げて容赦なく斬り掛かる。海賊が構えた片刃の剣を前にしては、手も足も出ない。彼らは殺戮が生きがいのように剣を振り回し、絶え間なく鮮血を散らす。
「李本銀!?」
「ミール、知っているのか?」
「ニム島からずっと北東にある島国だよ。島民はあの海賊みたいな着物という服を着ているんだよ。他にお米という穀物を作って――」
ところがミールの解説を遮って、海賊の体の間から楕円形の刄が飛び出し、兄妹目がけて振り下ろされた。クランは間一髪ミールを庇い、床に俯せになった。
「何なんだ、一体」
姿は見えなかったが、海賊が持っている剣とは似ても似つかなかった。明らかに僕達をつないでいる縄を狙っていた。
フェリア様の言っていた死神が近くにいるのだろうか。奴らは、僕とミールを離れ離れにしようと企んでいる。
海賊は乗客を散々斬り捨てた後に金品を奪い、調子に乗って壁や床までも破壊し始める。金銀財宝、婦人が身につけている真珠のネックレスから金色に塗られた燭台まで、ありとあらゆる物が強奪された。
誰もこの海域に海賊が出没するとは思っていなかったのだろう。
「父さん、母さんっ!」
二人は既に息の根を止められた後か。海賊達は船内を蹂躙し、両親の姿は見当たらなかった。
突然始まった歓迎パーティーに、やにわに現れた両親。そして、奇襲をかけてきた海賊。どの出来事もてんでばらばらであり、夢を思わせるほどにつながっていない。死んだ父さんはともかく、生きている母さんが狭間に出てくるなんて、おかしい。
それに、僕達は海賊の目と鼻の先にいるのに全く相手にされていない。まるで誰も僕らの姿が見えていないようだ。ただ一つ、楕円形の刄の攻撃を除いては。
攻撃を仕掛けた奴は、海賊で誤魔化して、僕らを狙っているのか。見せたくないものを見せて、気持ちをもてあそんでいるのか。これは、死神の企てのうちの一つなのか。
考えれば考える程、分からなくなる。気づいた時にはクランは剣を投げ出し、叫んでいた。
「誰だ、誰がこれを見せているんだ!」
海賊の殺戮の嵐は止まらない。ミールは、クランの声に気づいて動きを止めた。
「あんたらは、僕を挑発させるつもりか? いったい何を見せているんだ? まるで誰かの記憶を外から見ているようだ」
――そのとおりだ。
「何!?」
――お前は死人の記憶を見ているだけだ。
頭の中に、はたと声が響き渡る。彼の叫びに姿なき者が答えたのだ。思わぬ返答に、クランはたじろぐ。
「いったい誰だ。姿を現せ!」
少年の喚声と同時に、殺戮の嵐はぷっつりと途絶えた。先程まで蛮行をふるっていた海賊は、忽然と姿を消した。ホールには、人っ子一人、壊された机や椅子すらない。
沈黙が船内を包み込み、奥に見える半壊の扉が風に揺られて軋む。扉の前には、ぼんやりと黒い人影が立っていた。
「待て!」
クランは人影を注視していた。甲板に自分達を引き上げてくれた影だと確信したのだ。当然妹に話し掛けられても、声は届いていない。
「痛いっ! お兄ちゃん!」
今度はクランが走りだし、ミールが巻き込まれる番となった。下層に続く廊下を走りぬけ、奥に消えようとする影を追い掛ける。
薄暗い廊下に真っ黒な影が調和し、奥行を無限に広げている。二人の足音だけが騒がしく、辺りにこだまする。
「え?」
バキバキバキと、湿気で腐った床板は二人の体重を支えられず、耳が張り裂けんばかりの甲高い音を立てて抜けた。
始めにミールが宙に放り出され、先を走っていたクランも縄に引っ張られる。重力に抗えず、穴の中へと落ちていった。
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