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第6章 光と闇の地へ

光と闇の地へ

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 王国の船に乗ってから、誰とも話していない。
 誰が味方で敵なのか、誰を信用したらいいのか分からないからだ。英雄の儀式の日から、僕を取り巻く日常が変わり、何が何だか分からなくなった。村で一、二を争う魔法使いだったラザーは帝国とつながっていて、幽霊船では父さんと母さんに化けた死神が出てきた。おまけに、僕達を救ってくれたハヤブサ丸という戦士は、にべもなく海賊を裏切った。復讐を果たすために、敵の仲間になり、手を汚せるものなのか。
 もしあの時、剣を持っていたら、海賊に立ち向かっていただろうか。きっと戦うに違いないが、殺傷せずに相手を屈服できるとは限らない。だけど、ハヤブサ丸は目にも留まらぬ速さでやってのけた。ただただ息を呑んで戦況を窺うしかなかった。そういえば、村のみんなは無事だろうか。

「お兄ちゃん、外に行こうよ」

 ミールはいつだって積極的だ。
 僕が船室に閉じこもっているのを見かねて、外に誘おうとする。三日前から船内を探検している妹は、ほとんどの船員と顔見知りになっていた。部屋に戻ってくると、船内の様子を身振り手振りを交えて話し出す。
 今日は厨房で大鍋に入っているスープの味見をさせてもらっただとか、マストの上の見晴らしはこの上なく気持ちよかっただとか、話が尽きない。
 だけど、帆布に大きく描かれた三日月の紋章―騎士団の男が鎧に一様に刻印していた紋章だ――の話は気になった。三日月の下弦に刻印された十字は僕が持っている剣を象っているらしい。なぜフェリア様から授かった剣がオスギール王国のシンボルになっているのか。ニムはこの剣をフェリア様から授かったのではないのか。考えれば考えるほど、頭がこんがらがった。
 この三日のうちに、妹はお気に入りの場所を見つけた。船内の図書室には、村にはない本が山ほどあり、時間を忘れてしまうのだという。ひとしきり僕に話した後では、借りてきた本を夢中で読んでいる。
 しきりに服を引っ張ってくるけど、ベッドから立ち上がる気は毛頭なかった。僕が一向に動かないのに気づくと、今日も一人で廊下に飛び出していった。

 ミールが外に出て行くと、部屋は水を打ったように静かになった。
 そういえば、レスナ列島で見たチッチョリーナ族の少年はどうしているのだろう。まさか僕達の他に、海賊船に囚われている人がいるとは思わなかった。食事は食堂で摂っているけど、少年には一回も会っていない。おそらく部屋で済ませているに違いない。

「何だろう」

 ベッドから起き上がって、ふとテーブルを見ると、本が一冊あった。おそらくミールが図書室に返却し忘れた本だろう。
 手に取ると、表紙に『十二の精霊と世界』と書いてある。茶褐色の表紙は固く、指の背で叩くと、コンコンとやや軽い音がする。村には紐で綴じた本が多く、装丁が簡素だった。村では、背表紙のある本をあまり見かけなかった。

 ――「精霊」は、世界創世の頃より存在し、万物に宿る。もとは一つの精霊だったが、悪魔族の襲来により、十二に分かれた。魔族の支配下においては息を潜め、長らく存在を忘れられていたが、魔王ザイナスの滅亡により、地上に蘇ることとなった。
 早速表紙を開き、序文に目を通す。この部分は、授業で習った内容と変わりがない。確か、十二に分かれた直後の精霊は力が弱かったという。勇者イサヤが魔王ザイナスを討伐した後に、精霊の存在が再び注目されたのだそうだ。

 適当にページをめくり、指が止まった部分の項目を読んでみる。

 ――「鉄」の精霊・クロムは『悟りの地』を護る。霊峰の山頂に住まう仙人アガースと親交が深い。山頂への道は険しく――。
「アガースだって??」

 クランは思わず声を上げた。と同時に、隣の部屋で物音がした。
 大陸に着いたら、アガースという者を訪ねなさいと、アスリー先生が言っていた。先生の知り合いということは相当の師範に違いない。書物に名前が載っていても、おかしくない。
 『悟りの地』とはどこにあるのかと、巻末の索引を引くと、「火」の精霊エクスの項目と関連があった。クランは該当のページを開くと、食い入るように文字を見つめる。

 ――火の精霊エクスは、メルフ火山を護る。古より、鉱石が採掘されるメルフ火山は、鉄の精霊クロムとの関わりも大きい。尚、悟りの地はメルフ火山帯の一部である。
「そうか、メルフ火山に行けば、アガースに会えるんだ!」

 またもや隣の部屋で物音がした。
 隣人は僕が声を荒げたことに対して気を荒立てているのか。いてもたってもいられなくなり、クランは廊下に出た。
 扉を開くと、鼻の先に少年が一人立っていた。少年はラザーを彷彿させる紫色の髪と瞳で、肌は浅黒く、体つきは華奢だ。ミールと同じように髪を三つ編みに結っていて、背中に垂らしている。
 少年はクランが部屋から出てくるとは思わなかったようで、泣きっ面を浮かべると、すぐさま踵を返して廊下の向こうに駆けていってしまった。もしかして、彼が頭巾で顔を隠していたチッチョリーナ族の少年なのだろうか。食堂で見た乗組員が全てではないに違いないが、低めの背格好はあの日と同じだ。

「ちょっと待ってよ!」

 後を追いかけるが、少年は逃げ足が早い。クランも続けて階段を駆け上がり、甲板に出たが、少年の姿はどこにも見あたらなかった。
 代わりにハヤブサ丸がいる。船尾に体を預け、海面に長く尾を引く航跡を見つめている。服装は海賊船にいた時とは違い、袖のない常盤ときわ色の羽織と、かち色の袴を履いている。
 心地よい潮風が肌を撫でる。島か陸が近いのか、海鳥がゆるやかに旋回する姿がちらほら見える。

「少年よ――君は戦人にはなってはならぬ」

 どうやら男は背後にいるクランに向かって話しかけているようだ。

「僕は……戦士です」

 どこか今の自分の心境を読まれているような気がし、いたたまれなくなって口を開いた。自ずと、ハヤブサ丸がいる方に足が向いているのが分かった。

「僕は、人を一人殺したんです」
「君は、その時のことを覚えているか」
「一瞬だった。何も覚えていない……」

 ただ必死だった。もたもたしていたら、ミールは帝国の兵士の餌食になっていた。あの兵士のいやらしい猫なで声を想像するだけで、怖気立おぞけだつ。

るときは一瞬だ。相手がどんなに饒舌であろうと、勇壮であろうと、誰であろうとも、同じだ」

 ハヤブサ丸は、右手を太陽にかざし、しかと見つめながら続ける。

「肝心なのは、君が今後どう生きるかだ。殺めた事実は、ぬぐい去れない。君は自分のことを戦人と言った。戦人という二つ名に呑まれて人を殺め続けるか、もしくは慎み行動し、人の命を慈しむか」

 まるで自分に言い聞かせるかのような口振りだった。

「――決して忘れてはならぬ」

 レシのように感情を表に出す人もいれば、内に抱えて堪える人もいる。この人はずっと海賊船という限られた空間で自分の罪と向き合ってきたに違いない。

「お兄ちゃん!」

 いつ甲板に上ってきたのだろうか。扉の前にミールが立っている。クランが振り向くや否や、ミールはいきなり船首の側を指差した。

「向こうに大きな島が見えるよ!」

 海鳥の鳴き声に混ざって、鐘の音が聞こえてきた。どこから聞こえるのだろう。始めは小さく、徐々に耳をそばだてなくても、聞こえるようになった。

「あれが――」

 目の前に見えるのは、島ではない。海岸線が果てしなく続き、視界に収まりきらず、忙しなく辺りを見回してしまう。

「もうすぐヌースでござる。君達は大陸が初めてかね?」
「うん! 私達ね、今まで島に住んでたから、大陸を見るのは初めてなの」

 ミールは忙しなく胸を上下させながら、張り切っている。ハヤブサ丸の隣に並ぶと、まじまじと顔を覗き込む。

「ハヤブサ丸は初めて大陸を見た時に、どう感じたの……あ、ごめんなさい」

 いつから呼び捨てで呼ぶようになったのだろう。ミールは質問するや否や、口をつぐむ。ハヤブサ丸にとっての初めての渡航は、帝国への虜囚の旅だと気づいたからだ。
 だが、ハヤブサ丸は顔色を変えずに海岸線を見つめ、

「空と海は分かれているのだと感じたでござる。二つを分かつ大陸は、空と海に挟まれた島とは違うと」

 と、事もなげに答えた。
 そういえば、村にいた時はいつも海が目の前に見えていた。空は常に海と接していて、今にも溶け込んでくっついてしまうのではないかと思っていた。空の蒼穹は、海の深淵とどこか似ている。
 空と海を分かつ大陸――そこに住む人は、空や海をどのように見ているのだろう。陸地に行けば行くほど、海の存在は遠ざかるのかもしれない。
 内陸には、アスリー先生が言っていた仙人アガースがいる。そして、北の山脈を隔てた場所には、村を襲った帝国があるという。大陸に着けば、フェリア様から授かった剣の謎や、神に選ばれし者が何者なのかが分かる。
 先程よりいっそう澄んだ鐘の音が聞こえる。大陸はすぐそこだ。
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