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第4章「見えるもの、見えないもの」

獣と人と

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 四六時中同じ人と一緒にいるのは初めてだった。
 クラスメートと顔を合わせるのはほとんど学校だけだったし、家族だって朝晩や休日のときだけである。赤の他人と朝昼晩、寝食をともにするのは不思議な感じがした。
 マンツーマンは緊張するけれど、良い点がある。一人が一人に接するということは、話の場で除け者がいないのである。ジュリスさんが話をする相手は私だけで、私は自動的に話の中に入れる。ジュリスさんは何を考えているのか分からないし――ジュリスさんに限らず、みんなそうだけれど――何を話したら良いのか分からないけれど、話の対象から外されて除け者になるよりは良かった。
 ジュリスさんは私と話をしていて、嫌な顔一つしなかった。

 ――俺は、ニャッカまで君を護衛するが、そこから先は君の力で進んでいかなければならない。旅で必要になるのは、己の元気な体と、あとは金だな。

 旅に出てから四日目、私はこの世界にもお金が存在することを知った。
 そういえば、トウェンさんからもらった袋の中に金貨が入っていた。ジュリスさんは、胴当てのポケットから金貨と、もう一枚違う色のコインを取り出して、私の両手にそれぞれ乗せた。

 ――まず、右手の金貨がベル、左手の銀貨がデリだ。

 二枚のコインには、それぞれ女性の横顔が描かれていた。どこかで見たことのある女性だと思っていたら、神魔羅殿で見た天井画の女神と同じだった。金貨には光の女神リューク、銀貨には闇の女神オーフェンで間違いない。

 ――ベルとデリ、この二つの単位の貨幣が世の中で使われている。一ベルにつき、おおよそ百デリに換算される。つまり、貨幣価値はベルの方が高い。

 この世界のお金は、金貨や銀貨だけで、お札がないのには驚いた。

 ――両貨幣は、イストギール王国発行だ。ベルは太古から使われ、何百年前からデリが出回り始めた。というのは、デリはもともと古に滅びた闇の帝国で使われていた貨幣で、帝国の生き残り達がデリの使用を強く押したんだ。旧王国オスギールはデリの使用を固く拒否したため、崩壊に到った。新王国イストギールは、ベルとデリの同時使用を認め、今に到る。

 デリの貨幣価値の低さは一部では非難され、でも安く商品が買えることでベルより普及していると賛成する者もいるそうだ。
 詳しい事情はよく分からないけれど、ベルを使うかデリを使うかで世界が割れているんだなと思った。

 ――君のいた国にも金はあるだろう?

 私は頷いた。

 ――大体、パン一個あたりの値段が一ベルに相当する。中には、デリで売っている店もある。商品が高いか安いかは、何軒か見比べて決めるんだ。ニャッカに着いたら、しばらく店を回ろうか。
 パンといっても、色々なサイズがあるだろうし……ジュリスさんは親切にも実際に店を回って私に物の値段を教えてくれるという。そんなにジュリスさんにお世話になって良いのだろうか。世話をかけるのは申し訳ない気がする。
 でも、一人で店を回るのは心細かった。物価を知らずに、店主に次々商品を買わせられたら。ニャッカ王国に近づくにつれて、はたして自分に買い物ができるのか不安になった。

 朝七時に起きて朝ご飯を食べ、七時半に学校に行く。十二時四十五分頃に給食を食べて、十三時五十五分から授業。十六時半に下校して、十九時に晩ご飯を食べ、勉強して、二十四時に寝る――という時間の感覚は、この世界に来てからとうになくなっていた。
 真昼は太陽が高く昇り、夕方は空が赤らんで日が沈み、星が出始める。私は目で見て、大体の時間を感じた。四日目、五日目と、辛うじて旅に出た日を覚えていられるのは、太陽の動きを見ているおかげだった。
 野宿にもだんだん慣れてきて、布団みたいに横にならなくても、すぐに眠れるようになった。一日歩きどおしで疲れるから眠気が襲ってくるのに違いないけれど、熟睡できるのは嬉しかった。
 三晩目から見張りを交替する回数が増え、ずっと夜中に起きていることはなくなった。寝過ごしそうになったり、交替の時間になると、ジュリスさんが声をかけてくれた。きっとジュリスさんの体内時計は、目覚まし時計に勝るくらい正確なんだと思う。
 こうやって、旅に出た日から五回ずつ朝昼晩を過ごし、六回目の昼がやってきた日、地平線を覆うようにして何かが見えた。
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