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マツダくん達の過去

昔のことを話そうか ②エガワくん

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 俺の人生は13歳の秋に急変した。
 両親が離婚した。というか母と俺と弟が父と愛人に家から追い出された。

 俺は父の言いつけで、幼稚園からずっとお受験戦争を勝ち抜いて、中学も日本で屈指の偏差値を誇る男子校に在学していた。
 ずっと真面目に、勉強だけをして生きてきた。公立の学校なんてどうしていいのかわからなかった。それに急な貧乏生活と母の居ない時間。

 無一文で追い出されて、昼夜土日問わず、俺たちを食べさせていくために母は懸命に働いてくれた。
 母子手当など様々な援助を受けても生活だけでいっぱいいっぱいだった。だから俺はわがままを言えない、遊べない、だから穴が空くほど教科書とドリルとにらめっこをして勉強をした。

 転校先の中学でも、友達とはそこそこの付き合いで、愛想よくして、最初はみんなの輪に入れた。
 だけどテストで全教科満点なんて取ってしまったお陰で、そこそこ頭のいい奴らの嫉妬の対象となった。それが発展すると孤立した。

 そんな俺の高校の選択肢はあまりに少なかった。
 3年の時の担任に勧められた高校だと、成績を常に上位に保っていれば授業料が無料だと言われたので、俺はそこを受けるしかなかった。


 中3の初冬に、俺たち家族は公営団地に当選した。狭いアパートとはお別れ出来て、俺と弟もそれぞれ部屋を持てるようになった。
 その団地は学区が違っていたが、受験間近だったこともあり転校せずに特例で通うことになった。
 だから学校では相変わらず1人だった。だけど変わったんだ、この時から。


「お前、ここ住んでんの?」


 学校を出て学童にいた弟を迎えに行き、弟が遊びたいと言うので団地の前の公園で遊ばせていた時に、隣の中学の制服を着た男子に声をかけられた。

「そうだけど。」
「えー!でも中学違うじゃん!」
「中3だから今更転校とかねーだろフツー。」
「あー、この前引っ越してきた感じかー。」
「つーか何?うぜーんだけど。」
「だって暇なんだよ。あれ、お前の弟だろ?」

 さっきまで1人でブランコに乗っていた弟が、10歳くらいの男の子と一緒に遊んでいた。

「あれ、ウチの弟。今3年なんだけど、お前の弟、何年?」
「まだ1年だよ。」
「うへー、兄貴は怖ぇんだなー、弟あんなに可愛いのに。」
「うるせーよまじで。」
「な、な!高校どこ受けんの?」

 あまりにしつこく言われるので俺は答えることにした。

「四高だけど。」
「奇遇だな!俺も四高にしたんだよ!あと俺の幼馴染もほとんど四高だぜ。仲良くしような!」


 そうして差し出された手は、とても温かかった。初めて同じ年の奴と握手をした。


 俺は当然、余裕で合格した。ついでに言うと全教科満点だった。

 この時また頭によぎったのは、あの地獄のような孤独の日々。でも学校に通うためには仕方がないことだった。

 だけど、違った。


「おっまえすげーな!ちょー頭いいんじゃん!」


 どこからか俺の成績を聞きつけたアイツは俺に絡んできた。その目は異様にキラキラしてた。

「全教科満点とか神だろ!仏だろ!俺カテキョみーつけた!」

 そいつだけじゃなかった。後ろにぞろぞろと男女の軍団が現れて続々と俺に話しかけてくる。無遠慮に。

智裕トモヒロ!アンタやたらと絡んでんじゃないわよ。」
「マジで全教科満点とかいるんだ、すげーな。」
「補欠合格レベルのアンタとは無縁ね。」
「つーかトモは推薦入試じゃねーか。というかコネ?」
「コネとか言うなよ!立派なスポーツ推薦だ!」
「にーちゃん馬鹿だからふつーにテストしても受かんねーってとーちゃん言ってたぞー。」
「ばーかばーか!」
「お!チビッコ、よくわかってるじゃねーの。バーカバーカ!」
「バーカバーカ。」

 俺の弟まで奴に罵声を浴びせていた。こんなの聞いたら母が泣いてしまうだろう。
 小1の無邪気な悪口に涙目になったそいつは、俺にヤケクソでこう言った。


「お前名前なんてゆーんだよ!弟の教育くらいしっかりしやがれ!」


 俺は初めて友達を作った。それが松田智裕だった。







「あれが初めての友達ねー…。」

 担任の星野ほしの裕紀ヒロキは何かを記録するフリをしながら委員長の一起カズキの話を聞いていた。
 一起は苦々しい顔をしていて、テーブルの上で両手を握りしめていた。

「ぶっちゃけお前より弟の方が松田アイツの扱い分かってんじゃね?初対面でバーカ、って……くくくっ。」
「先生、俺結構真面目に話してんスけど…。」
「ごめ……ブブッ!いや、もう、トドメ…が…くくく……っ。」

 
 いつもは品行方正な一起が、松田が絡むと激情的になることを不思議に思った裕紀が一起の昔話を引き出した。だが、というか、やはり笑わずにはいられなかった。

「普通初めて会ったら名前訊くもんだけど……ブブッ!」
「俺、先生の笑いのツボがよくわからないですけど。」
「くくく……も、腹地味に、いてぇ……あと、宮西みやにしの顔……ブブッ!」
「今それで笑いますか?」

 裕紀は咳をしながら笑いを止めようと努めるが、逆効果で、いつも澄まし顔の宮西が殴られた顔まで思い出してしまった。教師としては最低だと言うように、一起は冷たい声を放つ。

「あー、すまんな……。」
「いえ。」
「ま、宮西のことだから親も出てこねーだろうし、宮西も言い方っつーのがあったからお互い厳重注意でドローにしとくわ、めんどくせーし。」
「せめて本音を隠してください。」
「ただな。」

 笑っていた裕紀が急に真剣な顔になり、一起の右手をそっと上から握る。

「っつ!」
「慣れねーことしてんじゃねーよ。」
「………はい。」
「お前、この前も松田の元カノだっけ?あれカチコミかけに行ったり、去年も無茶して野球部半殺しにしたりよぉ……お前が傷ついてどうすんだっつの。」
「………すいません。」

 裕紀は呆れたようなため息をすると、立ち上がり、棚から紙を出した。

「反省文、成績優秀者に免じて1枚にしといてやるよ。」
「はい。」

 一起はテーブルに置かれた原稿用紙を手に取り、椅子から立ち上がった。そして裕紀に向かって深々と頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。」

 そう言って指導室を出て行こうとするが、右腕を裕紀に掴まれる。

「手当て、してやるから。」
「………いいっすよ。」
「担任命令、内申点。」
「もうそれ脅迫ですよね。」
「うっせ。」

 裕紀は小さく笑う。言われるままに一起は再び椅子に座る。そして2人はテーブル越しではなく、直接向き合う。
 一起は右手を裕紀に差し出すと、擦り傷は消毒されて慣れたように包帯を巻かれる。

「上手いんですね。」
「これでもスポーツマンだったからな。」
「どうみても体育会系です。」
「お前、ほんと辛辣だなぁ。」

 一起は男性としても割と背も高く体格も小さいほうではないのだが、右手を包む裕紀の手は一回りくらい大きくて皮膚も堅かった。

「先生って、何を食べたらそんなにデカくなるんですか?」
「女かな。」
「訊いた俺がバカでした。」
「お前も十分デケェだろ。」
「まぁ……チビではないかなとは思いますけど。」
「しかもモテるしな。」
「モテても、興味持てないから意味ないですよね。」
「お前はホント真面目だな。1回くらい付き合ってみればいいじゃねーかよ。若月わかつきなんか尋問かけられたあともヤリまくってんぞ。」
「俺は好きな人以外とはそういうことをしません。」
「でも好きな人もいないってところだろ。」
「これからできるかもしれないじゃないですか。」
「ふーん。」

 裕紀はテープで包帯を留める。終わったと思った一起は「ありがとうございます。」と言って立ち上がった。だが、またもや腕を引っ張られて。

「…せんせ……。」


 目の前に裕紀の顔が迫っていて、気がついたら、唇が触れていた。2秒だった。


「じゃあ俺も立候補しようかな。お前の好きになる人に、さ。」


 一起はあまりの出来事に、全身も思考も硬直してしまった。

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