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戦う夏休み
夜道のエガワくん
しおりを挟む「お疲れ様です。お先失礼します。」
午後9時、一起は私服に着替え終わってレジにいる店長に挨拶をした。すると店長に呼び止められる。
「あ、江川くん、お盆だけどシフト入ってていいの?」
「え、別に構いませんよ。母と時間がかぶらなければ。」
「いや、おばあちゃんの家行ったりとかないのかなって。入ってもらえるのは有難いんだけど、高校生の夏休みなんだしさぁ。」
「うーん……でも予定何も無いんですよね。」
「そっか…ま、休みたい時は遠慮なく言ってね。どうせこの時間暇だし。」
「ありがとうございます。じゃ、お疲れ様でした。」
(フツーは休むんだろうな……けど本当に予定無いし…明日から3日くらい入れなかったし。どうしようかな。)
今日も生ぬるい風が吹く熱帯夜だった。一起が空を見上げながら歩いていると、ポケットに入れてたスマホが振動した。取り出して画面を見ると、“星野裕紀”の文字が表示されていた。
「もしもし?」
『バイト終わっただろ?』
「はい、終わりましたけど…。」
『一起、後ろ向いて。』
「はい?」
そう言われて後ろを向くと、背の高い男性のシルエットが見えた。一起は通話を終了すると、その人の元へ駆け寄った。
「何で先生がこんなところにいるんですか?」
「え?一起に会いにきたんだけど。」
さも当然のような口調で答えると、裕紀は一起を抱き寄せた。
「ちょ……ここ、外…っ!」
「別に誰もいねーじゃん。」
「誰か来たらどーす……んん…っ!」
反論で顔を上げれば、濃厚な口封じをされてしまった。「誰かに見られたら。」という不安と快楽が入り混じった刺激に一起は翻弄される。
解放されるとトロトロになった熱視線で裕紀を見上げた。
「ばかぁ……。」
「そんな目ぇしてたらその辺でヤッちまうぞ。」
「そんな目って何ですかぁ……俺もう帰んないといけないんですけど。」
一起がキッと睨むと裕紀は笑いながら拘束を解いた。お手上げのようなリアクションを取って、クスっと笑い用件を伝えた。
「明後日の甲子園の2日目第3試合、担任特権でチケット2枚貰ったんだよね。」
どうだ、と自慢げにポケットから取り出したチケットをヒラヒラと見せびらかした。それには“第XX回 夏の全国高校野球選手権 1回戦 2日目(第3試合) 外野自由席”と印字されている。
「あー、松田の試合ですか。なんかプレミアチケットになってるみたいですね。」
「明後日、新幹線とホテル予約したから、2人分。」
「………それ、誰が行くんですか?」
「俺とお前。」
「はぁ⁉︎」
「さっき一起のお母さんにもお許し貰ったから。」
「根回し早すぎでしょ!……ほんっと、強引過ぎですよー…。」
一起は大きな溜息を吐きながらその場にしゃがみ込んだ。裕紀は「くくく。」と愉快に笑う。そしてしゃがんで一起のツムジにキスをした。
「ま、行きたくなかったらいいんだけどね。」
「…………ズルいです。」
「大人の知恵と言いたまえ。で、行きたくないの?」
「………だって…。」
一起は顔を自分の膝に埋めながらこもった声で言葉を紡いだ。
「先生と……ずっと、一緒って……緊張、し、ます……。」
裕紀は残りの理性をフル動員して余裕のある素ぶりを見せた。
「ほら、立てよ。」
一起の腕を取り、立たせるとまた強く抱きしめた。一起は素直に裕紀の胸におさまった。
「俺はお前とずっと一緒に居たいんだけどなぁ。一起は?」
「………居たい、です。」
「よく出来ました。」
耳元で低く甘く囁かれると、それだけで一起はポワーンとした気分になってしまう。腰が砕けそうになるのを堪えるため、裕紀の背に手を回し、シャツをギュッと強く握った。
「あー、このまま連れて帰って朝まで抱きてぇな…。」
「無理です。死にます。それに母がいるので帰らせて下さい。」
「はいはい、わかりましたよ。」
腕の中から解放すると、俯きそうな一起の唇を軽く奪ってみせた裕紀。その裕紀の笑顔に胸を高鳴らせたことを悟られまいと、一起はギュッと目を瞑る。
「また連絡する。死ぬほど楽しみだな。」
また甘い声で囁かれて、一起は「ばーか。」としか言えなかった。
***
一起が家に帰ると、弟はぐっすりと眠っていて、食卓で母がパソコンに向かっていた。
「おかえりー、遅かったわね。」
「あー、ちょっとそこで知り合いに会ってさ。」
「ふーん。コーヒー飲む?」
「うん、ありがとう。」
一起は弟が寝ている部屋に入って鞄を置いた。弟は近所の友達と毎日外で遊んで肌は黒く灼けていた。子供らしい寝顔を見て一起は小さく笑って食卓に向かった。
「はい、どうぞ。」
一起が椅子に座ると母は一起のマグカップに淹れたコーヒーをテーブルに置いた。
「ありがとう。」
一口飲んで、小さくため息をこぼす。
「さっきね、星野先生がいらっしゃったのよ。明後日から1泊息子さんお借りしますって。」
「……あ、うん…関西行くって…。」
「松田くんの試合でしょ。お母さんも休みだから純希と一緒にテレビで見るわよ。職場も四高・松田フィーバーよ。」
「……そんなすごいの?」
「もーすごいわよ。松田くんは息子の友達なんですよーって言ったら高校野球ファンの上司が食い付いてくるし、松田くんについて熱く語られたし…本当はすっごい優しくて柔らかい性格の子なのにって心の中で笑っちゃったわ。」
「その人たちは、松田のことなんて言ってた?」
「んーと……復活した根性上がりのエース、だとか、本当に強い!だとか、天才だからいつかメジャーに行く!とかね。」
「本当はその正反対なんだけどね。」
母と一起は笑い合った。すると母がテレビのチャンネルを替えた。
「何か見るの?」
「“烈風 甲子園”。」
「なんかどハマりしてない?」
「ちょっとねー。あの神奈川の松田くんたちが負かしたところのピッチャーが本当カッコ良くて、お母さんときめいちゃった。」
アイドルに夢中になったかのような乙女のテンションになる母に一起は苦笑いをするしかなかった。
そして始まった“烈風 甲子園”、丁度「馬橋学院 対 第四高校」の特集が流れていた。
『東の松田、西の松田、両投手は様々な人に影響をもたらしていた。』
『神奈川県予選で圧倒的な打率と走塁を見せた、第四高校1年・赤松直倫もその1人だ。』
『決勝戦で当たった神奈川の名門・聖斎学園でエースナンバーを背負った赤松直能は直倫の兄だ。直倫も中学までは聖斎学園の中等部に所属し兄の背中を追いかけるのだろうと誰もが思っていた。』
『しかし、直倫は遠く離れた、しかも公立高校の第四高校に進学。理由はただ一つ、松田の存在だった。』
一起は目を丸くした。
「え……そんなん聞いたことないんだけど。」
「あら、この子知り合い?」
「まぁ、ちょっと……。」
一起の目に、今まで直倫が松田を慕っているような言動を見たことがなかった。むしろ勉強出来ない上にヘタレな松田を清田や野村と一緒に叱責しているような場面をちょいちょい見かけていた。しかも最初は何を勘違いしたのか、大竹を奪いに敵として現れたのだった。
「松田くんってすごいわねぇ。」
「そうかな?」
「だって、野球の試合だけで1人の人生動かしちゃったんでしょ?親元を離れて学校に通うなんてよっぽどの覚悟がないと無理よ。それを決断させた力があるってことね。」
「……そうだね……俺、そんなすごい奴の頭叩いたりしてたんだ。」
「一起も、松田くんに人生変えてもらったでしょ?」
「え?」
「学校、楽しくなったんじゃないの?」
母は優しく笑って一起に問いかけた。
「お母さん嬉しかったわ。松田くんたちがウチに来て一起が勉強教えてて……一起、家でも見せたことないくらい怖かったけどね。」
「あー…もう色々と面倒になって…純希恐がってたよね。」
「最近はなんだか違う感じで幸せそうだしね。好きな子でも出来た?」
「へ?」
(好きな子……子、じゃないだろ!あのガチムチ!)
母はニヤニヤしながら一起を見るので、一起は誤魔化すようにテレビを見ながらコーヒーを飲む。
「星野先生も言ってたわよ。江川くんは本当に松田くんを大切な友人だと思っていることがわかるので、ぜひ松田くんを間近で応援させてやりたい、って。」
「え……っと……。」
「本当、いい先生とお友達に恵まれたわね。」
「う……うん……。」
「先生にご迷惑かけちゃだめよ。気をつけていってらっしゃい。」
(先生に迷惑かけられてるの俺なんだけどなぁ……。)
しかし母が本当に幸せそうな顔をしているのを見て、一起は安堵した。
「行ってくるね。ありがとう、お母さん。」
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