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戦う夏休み
激闘の日⑦
しおりを挟む折り返しの5回が終わり、テレビではダイジェスト映像が流れた。
『4回裏、2アウトで4番・中川からライト方向への特大ホームランを浴びた第四高校・松田。その後5番の金子の足にデッドボールで出塁を許し、一度伝令も出てきましたが続投。6番・津川、7番・畠にヒットを許し満塁のピンチになりましたが、8番・渡井を3球三振に仕留めました。』
『5回表、第四高校の攻撃は7番・白崎から。しかし馬橋のエース・松田の代名詞でもあるパワーカーブに翻弄され三者凡退。』
『5回裏、馬橋学院は9番・松田は空振り三振。続く1番・沼尻、そして2番は代打の小宮、変化球とツーシームで見事に三振。第四高校の松田、4回の失点を挽回する気迫ある見事な投球でした。』
『さぁ、ここまでの試合展開いかがでしょうか?』
『両校、投打が拮抗していて非常にエキサイティングな試合運びですね。』
『馬橋の快勝、なんていう前評価もありましたが、とんでもありませんね。』
『馬橋の松田投手、第四高校の松田投手、どちらも県予選決勝で完投していますからスタミナは十分に残っていると思うんですよ。技術も同じくらいですので、ここからは当人たちの気持ちの持ちようが勝負の鍵になるかもしれません。』
『さぁ、グラウンドが整えられて、マウンドには…馬橋学院、松田が続投です。上がるだけで再び大歓声が球場に響きます。第四高校、先頭打者は1番・赤松です。』
***
1度も打ち取れていない相手に、畠は思考を巡らせる。
(コイツ、ホンマに弱点ないんやな。ここは単打で済めばええやろ。外角低めに打ち取るで。)
畠はスライダーを要求してサインを出す。しかし八良は首を縦にも横にも動かさない。焦点も畠の構えるミットに合っていない。明らかに様子がおかしいが、すでに振りかぶっていた。
(は⁉︎はぁ⁉︎)
投げられた球は見たことのない、受けたことのない球だった。咄嗟に畠は取るが体勢が崩れて転ぶ。すぐに球審に「大丈夫か。」と声をかけられ、「大丈夫です。」と答え立ち上がり砂埃を払う。
(今の……ストレートから急に開くようにして……まさか、“バックドア”⁉︎アホか!)
球審に新しいボールを要求して、投げ渡しつつ八良の様子を伺う。反射的にボールをグローブに収めたが、畠と直倫の方を全く見ていない。
(ちょ、サインまだや!何でセットに入ってんねん!さっきの回で落ち着いた思っとたんに…!)
畠と同様に直倫も違和感を覚えた。怯んで震えそうな足を拳で叩き耐える。そしてバットを構えると、すぐに振りかぶられる。
ズドンッ
なんとか受け止めた畠のミットに鈍い音が鳴った。直倫は後ろのビジョンを見ると信じられない数字が出てきた。
「160……。」
スピードガンの計測で、八良が放った球は160km/hを記録する。それもしっかりとストライクゾーンに入っていた。
「…ったぁ……。」
返球しながら畠は顔をしかめた。重い球は彼の左手に大きなダメージを与えた。直倫はボックスを一歩出てバットを振り、深呼吸をして、もう一度マウンドを冷静に見つめる。
(もうアカンて……ハチローさん、もう…気持ちが、崩れてもぉてる……冷静やあらへん。見ろや!俺は外角低めのシュートを要求してんねん!俺の手を見ろや!ドアホ!チビ!糞エース!こっちを見ろや!)
振りかぶって投げた。
(低めのストレート!速いっ!)
カキンッ
直倫は合わせてきた。重い球を引っ張って、打つと全速力で駆けていく。
三遊間に打ち上げられた打球を、中川が全力で追いかける。
「うらぁ!」
ジャンプして、手を伸ばして、捕球すると何回も転がった。サードフライでアウトになる。
塁審の「アウト」の合図で馬橋のスタンドは湧いた。
直倫は徐々にスピードを落としながら駆け足でベンチに戻る。
***
「すんません、タイムで。」
畠は球審にそう告げるとマウンドの八良に駆け寄る。ミットで口元を隠すのも忘れるくらいに、畠の怒りは爆発した。
「何してんねんクソが!サインしてんねん!言うこときけやボケ!」
畠の異様な雰囲気に内野陣も気がついて急いで集まって畠を諌める。
「畠、落ち着けて。」
「落ち着くんはハチローさんの方や!赤松への投球、全部暴投なんじゃ!」
「あっくん、口、ミットで隠して…な?あっくんが冷静や無くなったらゲーム終わってまうて。」
2年の渡井が畠の肩を持って落ち着かせようとする。その言葉で畠は息を「はぁ、はぁ」と整える。
「やかましわ、畠。」
やっと口を開いた八良の目は、怒りと殺気に満ちていた。
「お前は、俺の投げる球を受けたらええねん。あのクソガキ仕留めたったんや、それでええやろ?」
畠の予想は見事に的中していた。2打席連続で出塁を許した、しかも経験が浅い1年に八良は脅威を感じていた。そして次の八良の獲物は。
(次は……松田くん、それか…主将の堀……。)
たらりと流れた汗を手の甲で拭うと、グッと表情を締めて、誰も目を合わせられない状態の八良の頬を手で固定し、至近距離で八良の目を見た畠は、訴える。
「これ以上は点をやらへん。それは俺かて同じや。こんなトコで終わらせへんぞ。せやから信じろ!わかったか!」
震える足を誤魔化して、怖くて流れそうな涙を必死に堪えて、八良から目を離さなかった。そして八良は更に睨みを返した。
「やったるわ。」
その様子を眺めていた廣澤監督はベンチの選手に声をかけた。
「次、出塁したら、金谷いくで。準備せぇ。」
***
『2番、ピチャー、松田くん。2番、ピッチャー、松田くん。背番号、1。』
観客席にいる一起と裕紀でさえ震え上がるような、まさに戦場のダイヤモンドの中へ、平静なまま歩いて入っていく智裕は、もういつもの智裕ではなくなっていた。
かっとばせー! まっつっだ!
かっとばせー! まっつっだ!
増田はベンチ裏に待機していた。提げているショルダーバッグには様々な応急処置の道具や飲料水が入ってズッシリとしていた。その中に入れていたメモ帳を必死に読んでいた。
そのメモを作ってくれたのは野村だった。
前日の最終ミーティング、最後まで残っていたのは増田と野村だった。
「俺はベンチから動くことが出来ない。看護師さんや医者もいるけど、増田さんもしっかりやってほしい。わからなくなったらこれを読んでね。」
「……怪我、だけじゃないんだ。」
「うん。1番怖いのは熱中症だし……あとは、過呼吸や心因的な嘔吐、かな。」
「過呼吸、嘔吐、なんて……。」
「今日の雰囲気見ても分かっただろうけど、選手へのプレッシャーは俺たちが想像出来ないくらいだよ。」
「そっか…。」
「特に投手陣はあのマウンドで孤独だ。いくら清田くんとのチームワークだとしても最後に投げるのは自分だから…もし打たれたら、もし反らせてしまったら、自分のせいでチームが負けたら、色んなプレッシャーを背負っている。だから心の不調が身体に影響することも考慮して冷静に動かなきゃダメだ。」
「……私、出来るかな…。」
「大丈夫、増田さんなら出来る。こんな短期間で仕事が出来ているんだから、俺が保証するよ。」
メモを渡す野村の手は優しく、力強かった。だけど少しだけ震えていた。
(野村くん……私なんかよりずっと不安なはずなのに……。)
ギュッとメモ帳を握った瞬間だった、グラウンドから異様な声が聞こえた。ベンチが騒がしくなった。
「葉山先輩!アイシングスプレー!」
「おう!」
「行ってきます!」
野村の焦った声が聞こえて、増田はベンチを入り口から覗いた。すぐ近くにいた3年の田山に声をかける。
「田山先輩、どうしたんですか?」
「あ、増田。松田が足にデッドボール食らった。」
「え⁉︎大丈夫なんですか?」
「レガースしてたから大丈夫だと思うけど、野村と葉山が応急処置に行ってる。何しろあの松田のシュートだからな…。」
田山が心配そうにグラウンドに目を向けるので増田もつられて同じ方向を見るとマウンドが目に入る。
内野、キャッチャーだけでなく、伝令、そして恰幅の良い男性がゆるりと歩いて、マスクを被った審判もやってきていた。
「馬橋はピッチャー交代するみたいだな。」
「……え。」
「様子がおかしかったんだよな見てて。多分精神的、というか気持ちが崩れちまったんだろうな。ま、リードしている今のうちに引っ込めないとバカスカ打たれるかもしれねーし……増田?」
増田は先ほどの森監督の言葉を思い出した。
_馬橋の松田が崩れたら、ウチの松田も崩れる。
「松田くん…。」
増田は口をキュッと噛んで、泣くのをこらえた。でも手足の微弱な震えは止められなかった。
***
内角低めのシュートを投げた八良。その白球は、智裕のスネに直撃した。
ここで投手は礼儀として脱帽しなければならない。先程、金子に当ててしまった智裕もそうした。だが八良は微動だにしなかった。
ただ、この世の終わりかのように智裕を見つめていた。
畠はすぐに立ち上がりキャッチャーマスクを取ると、まず智裕に謝る。
「松田くん、すまん!足、平気か?」
「いや…レガースしてっから……それより。」
智裕は八良の方を見ながら畠に告げる。
「八良先輩の様子がおかしい…早く行ってやって。」
「あのチビにはあとで謝らせるから!」
畠はもう一度謝るとマウンドに駆けながら怒鳴った。
「ハチロー!お前帽子取れやゴラァ!」
それを横目に智裕は1塁側コーチャーボックスに向かって歩いていたら、ベンチから野村と葉山が飛び出して智裕に駆け寄ってきた。
「松田!平気か?」
「はい、レガースのとこだったので。」
「松田くん、一応ソックスの上からアイシングするよ。レガース取って。」
野村がそう指示を出したが智裕は動かなかった。
「おい、松田、レガース!」
「……野村…葉山先輩……マウンド……は…。」
「どうなっていますか?」という質問は遮られた。答えたのは球場アナウンスだった。
『馬橋学院、選手の交代をお知らせ致します。
ピッチャー・松田くんに代わりまして、ピッチャー・金谷くん。』
(ハチローさんが……6回で……いなくなった……。)
野村はしゃがんで智裕の右足のレガースを外しアイシングスプレーを吹きかけながら、智裕の足に触れてコンディションを確認する。
「ダメだよ、松田くん。君は、君なんだから。」
そんな野村の声は、智裕の耳に届かなかった。
***
畠がマウンドに駆け寄ると、伝令、内野陣、部長の金子、そして監督と金谷がやってきた。
「ハチロー、交代や。よぉやったで。」
廣澤監督は優しく八良の腕を取るが、八良はそれを振り払う。
「イヤや!まだや!ココは絶対譲られへん!」
「ハチローさん!もうアンタは降りてくれ!どうにも制御出来んよぉになってる!頭冷やせやボケ!」
「イヤや!絶対に…9回まで俺が、俺がぁ!」
「ハチロー!お前ええ加減にせぇや!」
駄々をこねる八良に畠と中川が怒鳴るが八良は譲歩しなかった。
すると八良の後ろに立った金子が、そっと八良を抱きしめ、耳元で囁いた。
「ハチロー…俺らの目標は優勝やろ。思い出せや、4月の悔しさを。」
「……いや、や…。」
「何の為に血反吐が出るまで練習したん?右手に大量のマメを作ったん?痛い思いしたん?考えてみぃ。」
「……い、や……や…。」
「まだ1回戦や。こんなとこでお前の駄々っ子で負けでもしたら、コイツらがどう思うか考えてみぃ。」
「……い、や…やぁ……。」
「お前は“馬橋のエース”やろ?この“1”番は飾りか?あぁ?」
「う…あ……あぁ…ち、ちが……。」
金子は抱きしめた手を緩めて、八良の体を監督に渡した。監督は受け止めると、伝令と共に八良を支えながらベンチに戻っていく。
「ハチロー、今晩は出前の特上寿司やで。お前寿司好きやろ、帰って柔軟したら腹一杯食べや。」
「か、ん…と……はぁ…はぁ……す、ま…せ、うぇ……っ!」
「かまへん、お前はワシの自慢の松田八良や。胸張れ、な?」
「あああぁぁああぁああああ!」
八良の悲痛な叫びは、反対側の1塁にいた智裕にも届いていた。
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