男子高校生のマツダくんと主夫のツワブキさん

加地トモカズ

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青春イベント盛り合わせ(9月)

マツダくんたちの壁

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 土曜日、午後12時30分、神宮球場にウグイス嬢の声が響いた。

『本日の先発バッテリーをお知らせ致します。先攻、U-18日本代表チーム、ピッチャー・松田八良、背番号18、キャッチャー・後藤礼央、背番号21。』

 スクリーンには八良と後藤の顔写真やプロフィールが映し出される。甲子園と違い、プロ野球の試合に近い雰囲気だった。


 そして3塁側ダグアウトに智裕はおらず、ユニフォームにも袖を通していなかった。明日の先発投手の智裕だけ今日の試合は登録されていない。

 久しぶりにネクタイと夏服用のベストを校則通りに着こなして、U-18の記録係のスタッフたちの近くに座って観戦する。スマホの実況アプリにも今日の試合のページが設けられており、予告先発には「松田八良」の名前が記載されている。

(俺、ガチでやべーとこにいる気がしてきた…。)

 ユニフォームを着ていない智裕はいつものドヘタレだった。

 そしていよいよ出てきた両チームのバッテリー。観客席の目の前にあるブルペンで投球練習を始めた。3塁側スタンドに座る智裕の目の前には勿論、八良と後藤のバッテリーがいる。その横では中川、大東の主砲が素振りをして身体を慣らしていた。

 チラチラと視界に入るのは、昨夜とあった由比壮亮投手コーチ。恐らく由比にも智裕が見えたのだろう、智裕の方に優しく微笑まれた。


(……あれから、なんか『ごめんね。』って言われただけだし、フツーに家まで送って貰ったし、今朝も普通に挨拶したし、コーチも試合モードだったし…これは、なんだ?新たに与えられた試練なのか?こんなことくらいで揺らぐなって試練?…確かに俺、拓海さんと別れてた時期にすげぇ心が荒れてたし…もうあんなことならないようにしなきゃだし!と、とりあえずこの試合終わって今日帰ったらまず拓海さんの家に行かねぇと!そんでちゃんと拓海さんが好きって言って…言って……。)


「おい、もう試合始まるぞ。」

 聞き慣れた声がそばから聞こえた。智裕は気がついて声のする方を振り向くと、制服を着た相棒が不機嫌そうに佇んでいた。

「清田!お、お前今日部活は…。」
「早退。香山こうやまと野村に任せてる。」
「ああ、そう。」

 恭介は無遠慮に智裕の隣に腰を下ろした。

「で、お前らは明日来るって…野村から連絡あったんだけど。」
野球部みんなでは明日な。今日は俺だけ、悪いか。」
「別に……何かあったのかなぁって。」

(まぁ、どーせ畠のことなんだろうけど。)

 わざとらしく智裕が訊ねると、恭介は深いため息を吐いてグラウンドを見つめる。

「晃から昨夜ゆうべ、泣きながら電話きた。」
「……え、畠が泣い…っ⁉︎うっそだろ!」
「アイツしょっちゅう泣いてるぞ。」

 智裕は驚き、恭介は「いつものことだ。」と言うように呆れる。晃は強豪・馬橋学院の主将にもなった男で、捕手としている時は常に厳しく毅然として立っている。智裕もこの3日間、晃に引っ張られていた。
 そんな晃が泣くなど、智裕には想像も出来ないことだった。

「晃、国際大会って今回が初めてなんだろ?で、後藤礼央はU-15も経験してんだっけ?」
「あ、ああ…俺は組んだことないけど……いたよ。去年のU-18でも2年で正捕手だったはずだし。」
「昨日バッチバチに睨み合ったらしいじゃん。それが怖くなったんだとよ。」
「あー……あぁ?でも俺より畠のがすっげーガン飛ばしてたぞ!」
「へー。あの泣き虫恥ずかしがり屋のあっくんがねぇ。会ったら褒めてやんねぇと。」

 恭介の顔は嬉しそうにニヤニヤとした。そんな恭介を見ると、益々智裕は怪訝な表情を浮かべる。
 しかし恭介はさすが普段の相棒だった。智裕の異変を察知してる。

「で、お前はどうなんだよ。今日はベンチ外だけど、練習とかは?」
「朝少し調整程度でブルペン入った。」
「誰が受けたんだ?」
「……由比、コーチ。」

 恭介はすぐに智裕の異変の原因を確信した。由比壮亮を盲目的に尊敬している智裕が、その名をこんなにもローテンションで出したことはおかしいことだからだ。

「何があった。言ってみろ。」
「やだよ。」
「あ?別にテメェの為じゃねーよ。そのテンションを秋季大会まで引き摺られんのが迷惑なだけだ。」

 冷たい声で言い放たれて智裕の心は大きな刃物が刺さったように痛くなった。いつのまにか恭介にじっと少しだけ睨まれた智裕は己のプライバシーのなさを痛感した。


「由比、コーチに……なんか、好きって言われた……そんで昨日は、大竹に話聞いてもらったんだけどさ……全面的に俺が悪いとか、クソたらしとか散々言われてさ………俺は由比壮亮投手が大好きで、俺にはちゃんと大切な人がいるんだよ。」
「で、石蕗つわぶきに後ろめたくなってウジウジしてんだ。」
「そう、ツワブ……ってえええええええええええ⁉︎」


 智裕は今日一番の驚きで飛び上がった。周りの視線が一気に集まったので申し訳なさそうにペコペコしながら背中を丸めていそいそと着席する。

「おい!どういうことだ!な、なんでお前が知ってんだよ!」
「俺の情報網ナメんなよ。お前が入部してあんなに記者が集まり出した時にで身辺調査はしてたんだよ。」

 そう言って恭介はいじってたスマホの画面を智裕に見せた。それは入部前の智裕が拓海と公園のブランコの前にある柵に腰をかけて智裕が拓海の肩を抱いている、明らかに恋人ですというようなツーショットだった。

「……うそ……だろぉ………。」
「俺だけじゃなくて、監督も知ってるからな。」

 智裕は開いた口がもっと開いて塞がらなくなっている。

「ただお前に害が及ぶならと、俺も監督も石蕗に忠告はした。だけどお前が途端に調子狂わせやがったからどうしようかと思ってたら勝手に復縁してっし、絶好調だし、俺も監督もお前らの交際は黙認することにしたんだよ。感謝しろ。」
「ま、マジかよ……もう…ちょっと、え……えっと……俺、どうすりゃいいんだよ……。」

 大混乱で智裕は頭を抱えるしか出来ない。そしてぐるぐるとした思考の中で言葉を選ぶ。

「き、清田……俺、こんなんで、明日……なげ、投げん、だけどぉ……。」
「そうだなぁ。明日の相手の先発は、中条ちゅうじょう大学4年のエースで今年のドラフト上位指名候補の布田川ふたがわイサミだっけ?今日の相手の数倍強ぇぞ。」
「お前は鬼か……どうして追い詰めるようなことしか言わねーんだよぉ。」

 半べそをかくような声で訴えると、恭介から頭を痛いほど掴まれる。

「鬼で結構。だが、明日は経験値が圧倒的にあるお前に晃を引っ張ってもらわねーと負けは確実だ。」
「…………俺もそれはわかってんだよ。だけどこの気持ちとか、どうすりゃいいんだよ。」
「今日のうちに由比壮亮をしっかりフッて石蕗に土下座でもすりゃいいんじゃね?」
「お前は本当にさ、傷口に塩どころかハバネロを塗ってくるよな。」
「そりゃどーも。」

 恭介が呆れながら答えると、再び球場が騒がしくなった。


『只今より、U-18日本代表 対 大学日本代表の壮行試合1日目、両チームのスターティングラインアップを発表致します。バックスクリーンにご注目ください。』


 ウグイス嬢のアナウンスで甲子園と同様の歓声があがった。特にテレビで報じられているドラフト上位候補などの有名な選手が呼ばれると一層声は大きくなる。その中には勿論、智裕が超えなければならない八良も該当する。

 応援歌やファンファーレが鳴る中、智裕はすぐ近くにある3塁側ブルペンを見つめる。


 バンッ ズバンッ


 八良の速球と後藤の巧みなキャッチングで快音がよく聞こえる。耳にその音が届くたびに智裕の左腕は震えそうになる。そうして2人は一旦引き上げるようで、ちらりと智裕がいるスタンドを見上げてきた。ほんの一瞬の視線の交わりで、闘志、殺意が互いにぶつかる。智裕は拳を固く握る。


 そうして後攻の大学日本代表のピッチャーがマウンドに上がり、それぞれ守備につく。U-18日本代表の1番、3年の新治にいばるが左側のバッターボックスに一礼をして入ると、主審の人差し指がさされた。


***


 三者凡退で抑えられて、1回裏、八良がマウンドに上がる。壮行試合だが八良は完封するつもりなのか控えの投手が準備する気配はなかった。

「あー……甲子園の時より迫力あんなぁ……。」

 恭介の言う通りだった。選手としては小柄で華奢な八良がそのグラウンドで1番大きく見えた。八良と後藤の18mのラインは甲子園の時とは比べ物にならない覇気のようなものが漂う。

「あれは、八良先輩だけじゃ無理だよ……な。」

 たらりと汗を一筋流したら、八良の初球。定石通りのストレートではなく、更なる磨きがかかったスライダー。スクリーンには138km/hという計測結果が表示される。

「スライダーで140近ぇのかよ…マジでプロじゃん。そんであれを正確にキャッチできんのかよ…。」
「…………清田、俺とんでもねー人に喧嘩売ったのかも。」
「今更かよ。」

 ますます震えが止まらない。そして1人目がショートゴロでアウトになった。

「外角高めを2球…そして外角低め…外角を意識させて打たせて、アウトに…たった3球…これ高校生の配球かよ。」

(これ、晃と組んでる時より要領良くて徹底的な研究の上でバッター心理を突いてる……。)

 恭介はスマホアプリの速報と試合を見ながらただただ驚いている。そして少しだけ下を見るが、晃の姿は見えない。次に智裕を横目で見る。

(明日、もし晃が替えられて松田が後藤と組んだら、また松田このヘタレがずっと遠くなる。くっそ、俺もうかうかしてらんねーってことかよ。)

 恭介にも奥歯をギリっと噛んでしまうほどの悔しさと恐怖が込み上げてくる。

「晃……。」

 無意識に晃を案じる声を漏らしたらしく、智裕はそれを聞き逃さなかった。

「やっぱ、お前も畠好きなんじゃん。」
「…………あ?」
「完全に今の彼氏の顔だったし。」
「真剣に試合見ろクソヘタレ。」

 智裕の耳たぶを強く引っ張って智裕と一緒に視線をグラウンドに戻した。


***


 昨日の午後10時、恭介のスマホが断続的に振動した。画面には「畠 晃」の文字。通話だったので応答すると、スピーカーからすすり泣く声が聞こえる。

『キョ、スケぇ……うぅ……ぐすっ。』
「何?どうした、明日試合だろ。」
『うぅ…ごわ゛い゛よお゛ぉぉぉ…!』

 どうやら恭介の声を聞いて安心したらしく、電話の向こうの晃は子供のようにビービーと遠慮なく泣き出した。

「おい、お前もう消灯時間とかじゃねーのかよ。」
『あ、あど…いちじ、かん…やからぁ……キョースケぇ…うぅ、ゔぅー……っ。』
「何があった?ゆっくりでいいから話せ。」

 恭介が出来る限りに優しく諭すと、落ち着きを戻した晃は順々に話を始めた。

『あん、なぁ…明後日が、俺と松田やろ……?それが…俺は……やっぱ冷静にプレッシャーなって…それ、ハチローさ、ん…嫌いやぁって…めっちゃ睨まれてん…。』
「……いやそれだけ?」
『あんな、睨まれたん…初めてで……俺、ずっと、女房やったんに…つらいし、怖いし……松田も帰宅組でおらんし…俺、誰頼ったらええの?』

 晃の泣く理由を恭介は冷静にまとめると、人見知りの晃は八良や中川の仲介でなんとかチームに馴染んでいたが、その八良に敵意を向けられてしまい、それについて慰めてくれたり自分を理解してくれる唯一の相棒である智裕はいないので縋れる人がいないから、ということだった。

「晃……それが上に行くことじゃないのか?馬橋も一緒だろ、レギュラー争いとか厳しい中でお前は生き残って主将にまでなったんじゃないのか?」
『せや、けど……ハチローさん、は、ずっと味方で…いきなし、怖くなってもーて……俺どないしたら…ええの?』
「ハチロー、ハチロー、うるせぇよ。」

 恭介の急な怖い声に晃は怯えたようで震えた声で『ごめん』と何度も謝る。


「なぁ、お前は今誰に縋ってんだよ。」

(あ、やべぇ……これじゃ松田や赤松と同じだ。)

「今お前の泣き言聞いてやってんのは誰だよ。」

(松田八良が優先されて、すげーモヤモヤするしムカつく。)

『キョ…キョースケ…。』

(こんなクソみてぇな泣き声が、可愛いとか思っちまうなんて。)

「じゃあ、松田八良がどう思おうが、後藤礼央に嫌われようが関係ねぇよな。」

(あーあ、俺も他人のこと揶揄えねぇよ。)

『キョースケぇ……。』



(俺、とっくに晃が……。)


***


 カーンッ


 木製バットの快音が球場に響いた。その音で昨夜を回顧してた恭介はハッとした。気がつけば八良と後藤が三者凡退にし、2回表、6番の後藤が3ランホームランを放っていた。ライトスタンドに勢いよく白球が吸い込まれるように。ヒットで出塁してた中川と大東が先にホームベースを踏み、ホームランを放った後藤を2人が出迎える。


「後藤先輩…容赦ねぇ……あれ絶対狙って打ったやつだよ。」
「バッターボックスでも捕手キャッチャーであれ……。」
「は?」
「バッターボックスでも相手の配球を読んで、それを捕らえろ、って昔の名捕手の言葉だよ。」
「あー……そういや四高ウチでも4番お前だしな。そういうことか…。」

 恭介もあの快音から後藤に目を奪われてしまう。まさに恭介が求めていた理想像が具現化したようなプレーヤー。

「これ見せられて、頑張れ、なんて酷いよな、俺。」

 自嘲するしかなかった。


(晃…お前、今ベンチでどんな顔してる?泣いてないか?不安になってないか?)


 9番打者で相手チームが3アウトを取って攻守交代、球場からは多くの賞賛の拍手が後藤に送られる。その雰囲気というものは智裕の刺激になってしまった。

「俺、やれんのかよ……明日……。」

 マウンドに上がった八良はいつもの八良だった。援護を貰い余裕すらを出して、だがそれが八良の強みでもある。気持ちが伸び伸びとした投球は更にギアを上げる。

(楽しそうに、獲物を仕留めるように……あの人は、自分の球を信頼して自信に満ちあふれている。俺は、俺は……。)

 智裕はまた震え出した左手を見つめる。


 _智裕くんは、世界で一番、強くてかっこいいよ。


 こんな時に浮かぶのは拓海の顔。それに少し罪悪感もある。だけど嬉しかった。


(拓海さん……ありがとう……そんで、ごめんね……あともう少しだけ、頑張らせて。)


***


 八良は球数制限で6回1/3で降板し、試合は1-4でU-18日本代表の快勝で終了した。勝利投手と先制ホームランを打った女房とのバッテリーがプロさながらのお立ち台に立ってヒーローインタビューを受けた。

『松田投手、6回まで無失点、完璧なピッチングでしたが、ご自身では如何でしたか?』
『はい、一緒にバッテリー組んだ後藤くんが完璧なリードをしてくれたので僕はそれを信じて後藤くんの要求する場所に要求通りの球を投げただけです。』
『代名詞になってますパワーカーブも力強く、変化球にも球速と球威が増したようにも見えましたが、何か練習をされたんですか?』
『由比コーチのご指導がとても的確で自分の修正すべき点を直すことが出来た結果かもしれません。』
『明日は夏の甲子園で共にバッテリーを組んだ畠選手、そしてライバルでもあるサウスポーの松田投手、松田八良投手にとっては可愛い後輩2人が先発しますが何か言葉はありますか?』
『えー…明日の相手チームも強い人たちだらけなので今日の勢いをそのまま継いで、勝ってください、と言いたいです。』

 インタビューを終えて脱帽し一礼すると、女性ファンの声が多く八良に送られる。そして次に上がったのは後藤、その顔は安堵した仏様だった。

『投手陣を見事にリードし、更に2回には先制の3ランを放ちました後藤礼央選手です。ナイスリード、ナイスバッティングでした。』
『ありがとうございます!』
『夏の甲子園でもキャプテンとしてチームを準優勝に導き、そして今回の日本代表チームも扇の要として日本トップレベルの高校生選手たちを率いて今日こうして勝利を掴みました。今の率直なお気持ちは?』
『そうですね、甲子園は今日一緒に組んだ松田くんに一歩及ばずだったので、その悔しさを糧にして世界選手権に向けての練習をしてきました。今日初めてのこうした大きな試合で勝てたというのはとても報われたような気がします。』
『そしてあの先制ホームラン、相手はインコース低めのストレート、打った時の感触は如何でしたか?』
『はい、中川くんと大東くんがヒット打って出塁してくれたおかげでなんとなく相手の配球が読めた気がして、そしたら真芯に当たってくれたので…はい。』
『あのホームランが今日1番の歓声でした。球場のファンに一言お願いします。』
『応援していただきありがとうございます。皆さんの声が力になりました。明日も引き続き応援をお願いします!』


 そのままお立ち台で写真撮影に応じる2人の姿は、智裕の目に、晃の目に強烈に焼きついた。そして恭介の目にもそれは映っている。


「松田、明日お前もあそこに立てるといいな。」
「まぁ、な…。」
「お前は立てるだろうな…きっと。」

(じゃあ隣にいるのは…晃か?)


***


 智裕はスタンドを降りて選手がいるロッカーに戻った。

「あ、トモちーん!おっま、俺が必死で投げとるのに何優雅に観戦してんねん!」

 メディア対応を終えて戻り右腕をアイシングしていた八良が少し拗ねたように戻ってきた智裕に文句を言う。先ほどまでの覇気や昨日の険悪が嘘のようにいつも通りだった。それに智裕は少し面を食らった。

「俺は腕を休ませてるんですぅ、明日に備えてんですよ。」
「ほー、そない言うなら見せてもらおうやないかぁ。」

 ニヤニヤとからかうように智裕を見る八良に、智裕も笑った。

「明日フロントドア投げちゃおうかなぁー。」
「あ、そういうの反則やで!」
「いやいや、ツーシームだからいいんですよーんだ。」

 そんな小競り合いをしているといつのまにか智裕の後ろにいた人に智裕は小突かれた。

「そげー元気は明日に取っちょけや。」

 振り向くと、肩をアイシングする後藤が呆れたように笑っていた。

「後藤先輩、お疲れっす。というかあのホームランエグすぎですよ。」
「あははは。たまたま芯にバチコーン当たっただけやけん、シュンちゃんのソロん弾丸ライナーのがエゲつなかったやん。」
「そうですね…あれは凄すぎました。」

 7回で更に追加点をあげた中川のホームランを智裕は思い出して顔を青ざめた。そんな智裕の表情を笑いながら後藤は八良の隣に腰をかけた。

「何か面白い話しちょったやん、フロントドア投げるん?」
「らしいで。せやけど投げれても逸らしたらおしまいやろ。」
「そうやね、俺なら捕れる自信あるけど。」
馬橋ウチの正捕手さん、俺のバックドアにも未だに反応鈍いからなぁ。難しいと思うで。」
「ふーん……まっつんは由比コーチからお許しは出ちょると?」
「まぁ…切り札だからあまり見せないようにとは言われてますけど……。」

 智裕は「由比コーチ」という名前に少し過敏になった。後藤は少しだけ眉を動かしたが、すぐに仏のような笑顔を戻した。

「俺も明日も出る準備はしちょけって言わたけん、安心して投げないや。」
「は、はい。」
「但し、俺はビッシビシいくで♡」
「それは知ってます。」

 智裕は仏の笑顔に閻魔の凄みを感じて背筋を伸ばした。

「そういや八良先輩、俺帰る前に明日のことで畠と話したかったんですが…。」
「畠なら宮寺コーチとコーチ控え室に行ったで。今日も代打で出たけど見事に三振やったから少し説教もされてんのちゃう?他のコーチもおるし行ってみたら?」

(他のコーチってことは…由比コーチもいるんだよな……うん…で、でも、今は試合が終わったとしても選手としてだから!大丈夫!)

「じゃあちょっと行ってきます!」

 一抹の不安を抱えながら智裕はロッカーを出てコーチの控え室に向かった。


***


 コーチ控え室のドアは閉まっていた。重要な作戦会議などもやっているのかもしれないのでノックすら躊躇われる。

(どうしよ……メッセージ打てばいいかな?夜に電話……うーん。)

 そうやって迷って唸っていると、不意に肩を叩かれた。


「何してんねん、松田2号。」
「どひゃい⁉︎」

 肩を叩かれてビックリしすぎて尻餅をついた。そこにいたのはスキンヘッドの強面ヤ…ではなく、関本監督だった。

「おっまえ、ホンマに野球以外はヘボなんやな。これくらいでビビりすぎやろ。」
「か、監督!お、お疲れ様です!」
「おう…お前、ちょっと時間ええか?」
「え、っと……はい?」

 従う以外の選択肢はあるわけもなく、智裕は立ち上がるとそのまま関本監督のあとに続いて監督の控え室に入った。

「そこ座れ。」
「は、はい。」

 促されて長机の席にちょこんと縮こまって座ると対面に関本監督が「どこっらしょ」と言いながら腰をおろした。

「松田、どうや調子は?」
「え、えっと、いつも通りです。」
「今体重は?」
「あ、えっと、今朝量ったら75kgでした。」
「決起集会からだいぶ仕上げたみたいやな。」
「はい…あの部活の、チームメイトが体の作り方とかウェイトトレーニングとかの方法を調べてくれてすごく協力してくれました。」
「そうか……フォーム改善も2週間でやりおって、正直ここまでとは思わんかったぞ。」
「え?」

 関本監督は「ふぅ」と一息つくと、少し遠くを見るようにして話を続ける。

「お前、由比壮亮を慕っとんのやな。」
「え…っと、はい。俺が唯一憧れている選手で、した…けど。」
「由比は11年前に大卒でドラ3…3年目の26の時に沢下賞投手になった。そして2年後に最多勝、最優秀防御率、最高勝率の三冠投手で2度目の沢下賞、せやけど翌年の優勝争いの最中に怪我、そこからは生き残る為に抑えや中継ぎ、時にはワンポイントとして起用されることもあった。で、最盛期を感じされることもままならんまま引退や。あの顔やしすぐにタレントとして仕事が舞い込んでもぉたから一見順風満帆に見えるんやけどな。」

 智裕も知る由比の野球人としての歩み、改めて聞くと胸が痛み、プロの厳しさがよくわかる。

「俺は現役最後の年にルーキーの由比と対戦して、えらい投手が出てきたもんやなぁと感心して仲良ぉなったんや。客員解説者になって取材するよぉになってからもちょいちょい呑みに誘ったりして、由比の天国と地獄をどっちも見てきた。怪我をしてから調子落としてファンからの野次やメディアの叩き、『由比は終わった』と囁かれて流石の由比も参っとったわ。天才的な左腕のプライドもズッタズタや。せやけどある日、突然けろっと立ち直りおった。何があったんやろって聞き出したら、当時スピンズのジュニアチームでエースナンバー背負っとった子供のおかげや、って嬉しそうに話しとった。」

 そして関本監督は鋭い眼光で智裕を見る。

「その時のスピンズジュニアチームの背番号“1”は小学生ながら落差あるスプリットと動きの激しいカットボールを正確無比に投げるスリークォーターの技巧派左腕…まさに由比の生まれ変わりのような投手やった。俺も取材に行かせてもろぉてその投球は鮮明に覚えとるわ……松田智裕。」

「え……。」


 関本監督は「ふっ」と笑って立ち上がる。智裕も慌てて続き立ち上がった。

「明日はお前がチームを引っ張っていけよ、頼んだで。」

 智裕は左腕の震えが止まっていた。そしてその目の奥には、炎が揺らぎだした。


 そして智裕の頭の中に、昨夜背負った罪悪感などはすべてなくなった。関本監督はそれを確信するとほくそ笑む。


(これで明日、松田2号は大丈夫やろ。残りは、女房役やけど…だいぶ後藤にやられとるし…我慢は3イニングまでやな。)


 智裕と晃、それぞれに大きな壁が立ちはだかっていた。



***



 結局、晃と会えずじまいで智裕は関本監督に言われて記者たちを回避しつつ球場をあとにしようとした。

 ドンッ

 誰かと肩がぶつかった。そしてその拍子に相手は手に持っていた荷物を床にぶちまけてしまったようだ。

「あ!ごめんなさい!」

 智裕はすぐにしゃがんで拾う。

「いや、僕の方こそすんません……。」

 淡々とした関西訛りの声。智裕はプリントを集めてその人に渡した。

「はい。」
「あー、ありがとうございます……。」

 その人はスラリとした細い男性で、U-18のジャンバーを着て首からパスを提げている。どうやらスタッフの人らしい。

(うわっ!え、めっちゃ美人!……でも男、だよな?)  

 色素の薄い細くて柔らかそうな髪を耳にかける仕草がどうも色っぽいが、立ち上がると智裕より少し低いくらいの背丈だった。

「君は、明日先発の松田くんか。」

 少しだけ智裕を見上げるその目は、宮西といい勝負なくらい死んだ魚のようだった。だが小顔で色白で美人。

「は、はい……あの、スタッフの方、ですか?」

 強化練習から支えてくれる裏方さんとは殆ど接したり挨拶をしているつもりだったのに、こんな印象に残りそうな美人な男性は初めて見る顔だった。

「あー…僕はカシオペアの広報です。試合の時だけおる感じやから、まぁ取材の際は協力してください。」

 カシオペアとは今回智裕たちのチームのスポンサーになってる大手スポーツメーカーの名前だった。
 智裕はそれを知ると「よろしくお願いします。」と律儀に頭を下げた。

(なーんか…初めて会った気がしないんだよなぁ…?どっかで会ってんのかなぁ?)

「じゃ、また。」

 無気力な男性は会釈をして智裕が進む方向とは反対に歩き始めた。すると慌てた様子の裏方さんが男性に呼びかけた。


「あ!ツワブキ主任!早く来てくださいよー!」
「おー…すまんな。」


(ツワブキ?…拓海さんと同じ苗字かぁ……結構珍しい苗字なのにいるんだな、こんな身近に。)


「ツワブキさん、さっきの東の松田ですか?」
「ああ…そうみたいやな。今日ベンチ入りせぇへんかったん彼だけやし。」


 男性はなんとなく、智裕が去っていった方向を見据えた。

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