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第一章

日ノ丸テレビ新人研修 ②

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「あ、やっと来たー! ふたりとも遅いよー」

 大盛の夕飯をトレイに乗せると、直人と瀬尾に声が掛かった。
 この声が聞こえると二人は斜め下を見る癖が付いている。

 二人の前に夕食のトレイを持って現れたのは、直人や瀬尾よりも三〇センチほど身長の低い小柄な女性だった。
 直人の身長が一七三センチ。瀬尾はもう少し高いので、彼女の身長は一五〇を超えているかいないかの微妙なラインだろう。

 勢戸莉香せいどりか――直人に射撃のアドバイスをくれた恩人である。

 毎日アドバイスを貰っているうちに自然と仲良くなり、瀬尾とも旧知の仲ということで、最近は三人一緒に食事をするのが日課になっている。

「おつかれさん勢戸」
「お疲れ様です、先輩」

 瀬尾が彼女をと呼ぶのは大学が同じだったことが関係しているらしい。卒業のタイミングこそ同じだが、勢戸が二年ほどアメリカ留学していたのが先輩呼びと敬語に繋がっているようだ。
 勢戸は先輩と呼ばれるたびに「ここじゃ同期なんだから先輩はやめてってばー」と目くじらを立てているのだが、一ヶ月経っても呼び方が変わらないところを見るに、瀬尾は呼び方を改めるつもりがないのだろう。妙なところで強情な奴だ。
 しかし直人には本人から強い希望もあって、彼女との会話はタメ口をデフォルトにしている。

 ちなみに勢戸は留学中にかなり実物の銃を触っていたらしく、その経験もあって射撃訓練では他の連中を寄せ付けないほど圧倒的なスコアでトップの成績を叩き出し続けている。

「ずいぶん遅かったけど、お風呂でなんかあったのー?」

 三人掛けができるテーブルを探し出し、夕飯のとんかつを一切れ口に放り込んだところで勢戸が少し心配そうに聞いてきた。シャンプーのフローラルな香りが漂ってくる。

「大したことじゃないさ。最近は研修に慣れた奴らが長風呂するようになったから、なかなか風呂が空かなかっただけ」

 女性を相手に「下ネタで盛り上がっていた」なんて言えるはずもなく、それっぽい理由をつけてお茶を濁す。
 こう言っておけば瀬尾も話を合わせてくれるはずだ。

「そうそう。でもちょっとだけ部署配属の話をしたよね」
「部署って、特別報道隊の話?」

 瀬尾だけでなく勢戸からもという単語が出てきたのは、彼女の志望する部署もまた特別報道隊だからだ。


 特別報道隊――通称『特報隊』は文字通り特別な部署だ。


 研修は男でも毎年脱落者が出るほど過酷で、女性には地獄以上の地獄である。
 だからこそ必死に食らいついてきた勢戸には指導員たちからも称賛の声が上がっているらしく、加えて射撃訓練の成績がバツグンということもあり、志望通りに配属されることが確実視されている。
 ……実に羨ましい限りだ。

「みんな揃って特別報道隊に配属されるといいんだけどねー」

 具沢山の味噌汁で喉を湿らせてから、勢戸が改めて言う。

「ははっ。三人とも同じ隊に配属されたら最高ですね」

 雑談のようなテンションで二人は言うが、正直その希望はに近い。
 毎年一二〇から一五〇人の新入社員を受け入れる日ノ丸テレビは、思いつく限り全てのメディアが一手に集まった総合デパートのような企業形態を持つ。それゆえになんの実績もない新入社員は希望通りの部署に配属されることのほうが稀なのだ。
 さすがに顔で勝負するアナウンサー志望者が映像編集に回されるような無茶な人事こそないが、ディレクター志望者が新聞印刷所に回されるくらいの人事は普通にあり得るのが実状だ。

 ましてや三人が志望するのは、アナウンス課と並んでとまで呼ばれるテレビ局の花形――『報道課・特別報道隊』。
 報道課・特別報道隊は例年三から四名しか補充されないのに対し、毎年一〇倍以上の志望が集中する大激戦部署である。
 さらに言えば特別報道隊は五人で一隊であり、尚且なおかつ現在四隊しか存在しない日ノ丸テレビの現状では、新人三人が同時に――しかも同じ隊に配属されるなど、少し考えれば絶対にことだった。


 しかし、それでも直人は「そうだな」と頷いた。


 研修期間は残り一週間。ここからは志望した部署に配属されるためのラストアピールの場となる。
 ここで良い成績を残せなければ、どこに配属されるかわかったものじゃない。こうして三人で飯を食うことさえ最後になるかもしれないのだ。

 ならば今くらい夢を語るのも悪くない――そう思った。
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