34 / 52
月曜日
6.
しおりを挟む
和臣はナギサを探して街を歩いた。
まず足を向けたのは地元駅前の交差点だ。和臣のマンションとは駅舎を挟んで反対側にあるので事故以来初めて見たが、そこはつい3日前に大きな交通事故があったとは思えない風景だった。
通行人はいつもどおり急ぎ足で通り過ぎ、車の往来も激しい。よく見れば、一部ガードレールが撤去されているし、その下には複数の花束が手向けられている。それでも、事件の当事者以外にとってここは生活道路の一つにすぎず、事故の後始末が終われば大多数の生活には何の影響も及ぼさないことを、和臣は痛感させられた。
ナギサはいない。
事故現場の交差点にぼうっと立っている姿を想像して来たのに、その付近を歩き回ってもナギサの明るい金髪を見つけることはできなかった。
現場に戻るものだと思ったのに。
いや、それは犯人か。
バカな考えに、和臣は一人苦笑した。
歩き回って、一つ発見したことがある。人間は、あるいは自分だけかもしれないが、脚を動かしているときの方が頭が働くのだ。
「ありえない」を置いておこう。
そう決めたことで、思考が柔軟になった。喫煙室やデスクで考えていたときには、思考が堂々巡りだった。右に行こうとしても左に行こうとしても、「ありえない」にぶつかってしまう。
和臣は、「ありえない」をとりあえずよそに置いておいて、考えてみることにした。
自分が8歳のときに亡くなった祖父のことを思い出したからだ。
気難しい人で、可愛がられた覚えがなかった。初孫で内孫の自分が大事にされなかったはずはないと今ならわかるが、当時は盆と正月に会いに行くのも気が進まなかった。「ありがとう」ではなく「ありがとうございます」と言いなさいと叱られてから、プレゼントをもらっても素直に喜べなかった。
その祖父がある晩、小2の和臣の夢に出てきたのだ。冬休みに入る前の、寒い夜だった。夢の中で和臣は、できるようになった二重跳びを披露した。覚えたての九九を諳んじ、一輪車にも乗って見せた。祖父はただベンチに座って、目を細めて頷きながら見ていた。
もっといろいろなことを見せようと思ったのに、祖父はおもむろに立ち上がると、何も言わずに去っていった。和臣は呼び止めたけれど追いかけなかった。
祖父は振り向きもせずそのまま消えた。
翌朝目が覚めると両親はばたばたといつもより忙しなく、暖房で温められた部屋はかすかに樟脳のにおいがした。和臣は母親から、祖父が昨夜急逝したのだと知らされた。
世の中には、不思議なことがたくさんある。
科学で証明できないことが多すぎる。
死ぬときに夢に出てきた祖父のように、死んだ綾人が和臣に会いに来たっていいじゃないか。
ナギサは綾人なんだ。
いまや和臣はほぼ確信していた。
綾人が会いに来てくれたんだ。
あの身体はどうしたのだろうか。
たとえば、偶然事故現場に居合わせた他人の身体に、綾人の精神が入り込んだとしたらどうだろう。
肉体と精神が入れ替わる、漫画やドラマではよくある話だ。
困惑した綾人はとりあえず俺に会いに来る。いきなり綾人だと言っても信用されないだろうから、あえて全くの他人を装って……
違和感がある。
それならばきっと、綾人はその身体でいきなり俺に抱かれたりはしないだろう。
他人の身体を借りて。
その人にはその人の、培ってきた人生があるのに。一時的に借りているだけかもしれない男の身体で、俺に抱かれる?
そんなことを、綾人がするとは思えない。
それならばあれは綾人本人だと考えるほうが、よほど自然だ。
幽霊に触れるなんて、信じられないけれど。
まず足を向けたのは地元駅前の交差点だ。和臣のマンションとは駅舎を挟んで反対側にあるので事故以来初めて見たが、そこはつい3日前に大きな交通事故があったとは思えない風景だった。
通行人はいつもどおり急ぎ足で通り過ぎ、車の往来も激しい。よく見れば、一部ガードレールが撤去されているし、その下には複数の花束が手向けられている。それでも、事件の当事者以外にとってここは生活道路の一つにすぎず、事故の後始末が終われば大多数の生活には何の影響も及ぼさないことを、和臣は痛感させられた。
ナギサはいない。
事故現場の交差点にぼうっと立っている姿を想像して来たのに、その付近を歩き回ってもナギサの明るい金髪を見つけることはできなかった。
現場に戻るものだと思ったのに。
いや、それは犯人か。
バカな考えに、和臣は一人苦笑した。
歩き回って、一つ発見したことがある。人間は、あるいは自分だけかもしれないが、脚を動かしているときの方が頭が働くのだ。
「ありえない」を置いておこう。
そう決めたことで、思考が柔軟になった。喫煙室やデスクで考えていたときには、思考が堂々巡りだった。右に行こうとしても左に行こうとしても、「ありえない」にぶつかってしまう。
和臣は、「ありえない」をとりあえずよそに置いておいて、考えてみることにした。
自分が8歳のときに亡くなった祖父のことを思い出したからだ。
気難しい人で、可愛がられた覚えがなかった。初孫で内孫の自分が大事にされなかったはずはないと今ならわかるが、当時は盆と正月に会いに行くのも気が進まなかった。「ありがとう」ではなく「ありがとうございます」と言いなさいと叱られてから、プレゼントをもらっても素直に喜べなかった。
その祖父がある晩、小2の和臣の夢に出てきたのだ。冬休みに入る前の、寒い夜だった。夢の中で和臣は、できるようになった二重跳びを披露した。覚えたての九九を諳んじ、一輪車にも乗って見せた。祖父はただベンチに座って、目を細めて頷きながら見ていた。
もっといろいろなことを見せようと思ったのに、祖父はおもむろに立ち上がると、何も言わずに去っていった。和臣は呼び止めたけれど追いかけなかった。
祖父は振り向きもせずそのまま消えた。
翌朝目が覚めると両親はばたばたといつもより忙しなく、暖房で温められた部屋はかすかに樟脳のにおいがした。和臣は母親から、祖父が昨夜急逝したのだと知らされた。
世の中には、不思議なことがたくさんある。
科学で証明できないことが多すぎる。
死ぬときに夢に出てきた祖父のように、死んだ綾人が和臣に会いに来たっていいじゃないか。
ナギサは綾人なんだ。
いまや和臣はほぼ確信していた。
綾人が会いに来てくれたんだ。
あの身体はどうしたのだろうか。
たとえば、偶然事故現場に居合わせた他人の身体に、綾人の精神が入り込んだとしたらどうだろう。
肉体と精神が入れ替わる、漫画やドラマではよくある話だ。
困惑した綾人はとりあえず俺に会いに来る。いきなり綾人だと言っても信用されないだろうから、あえて全くの他人を装って……
違和感がある。
それならばきっと、綾人はその身体でいきなり俺に抱かれたりはしないだろう。
他人の身体を借りて。
その人にはその人の、培ってきた人生があるのに。一時的に借りているだけかもしれない男の身体で、俺に抱かれる?
そんなことを、綾人がするとは思えない。
それならばあれは綾人本人だと考えるほうが、よほど自然だ。
幽霊に触れるなんて、信じられないけれど。
1
あなたにおすすめの小説
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
冷血宰相の秘密は、ただひとりの少年だけが知っている
春夜夢
BL
「――誰にも言うな。これは、お前だけが知っていればいい」
王国最年少で宰相に就任した男、ゼフィルス=ル=レイグラン。
冷血無慈悲、感情を持たない政の化け物として恐れられる彼は、
なぜか、貧民街の少年リクを城へと引き取る。
誰に対しても一切の温情を見せないその男が、
唯一リクにだけは、優しく微笑む――
その裏に隠された、王政を揺るがす“とある秘密”とは。
孤児の少年が踏み入れたのは、
権謀術数渦巻く宰相の世界と、
その胸に秘められた「決して触れてはならない過去」。
これは、孤独なふたりが出会い、
やがて世界を変えていく、
静かで、甘くて、痛いほど愛しい恋の物語。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる