5 / 9
声にならない灰色文字
しおりを挟む
声にならない灰色文字
「危ねぇ……」
「せ、先輩、もしかして、生きてます?」
「悪かったな……生きてる。ってなんだよ!その変な質問は。見れば分かるだろ。小説ばかり書いて現実が分からなくなったのか」
口端を腕で拭いながら僕の目の前に腰を降ろした。一瞬、文字に見えたが、服に滲んだ様子からすると水だったのだろう。
僕が先輩の立場なら同じことを思う。本人でさえ頭がイカれたと思っているのだから。
ここで考えなくてはならないことに直面した。
先輩はなぜ、死ななかったのか……。
理由は一つしかない。僕の見間違いだ。しかし、絶対に文字だった。確証や証拠はない。でも絶対に文字だった。根拠のない自信はどこから湧いてくるのかも説明は出来ないのだが……。
ため息が出てしまう。そろそろ、一人で抱えるのはしんどくなってきた。
「康太が、急に大きな声を出すから咽せて死にそうだった」
「驚かせてごめんなさい」
「何で、『飲まないで!』なんて言ったんだよ。ただの水道水だろ」
「いや、その、うーん……」
「女々しいなぁ。男ならはっきり言えよ」
話すべきか迷う……。まぁ、今の時点で十分おかしい奴だと思われているのだから、話してしまおう。
「あの……信じてもらえないという前提で話しますね。実は蛇口から出たのは水ではなく、文字だったんです……」
人の目が点になったのを初めて見た。驚きすぎると思考が停止するらしい。
「康太は明日、出勤しなくていい。病院に行け」
思わず肩が下がってしまった。
「ですね……。そうなりますよね……」
「凡人はきっとそう言うだろう。でも、俺は違う。その話、詳しく聞かせてもらおうか」
積もった恐怖を雪崩のように一気に伝えた。爺さんのことから始まり、今現在の状況までを。
喉の渇きを覚え、缶チューハイに手を伸ばした。すると、先輩の目の色が変わった。
「飲むな!」
「え……もしかして先輩も……見えるんですか」
「いや、何にも見えん。缶の中は見えないだろ」
「そうじゃなくて、文字が見えるのか聞いたんです」
「見えるわけないだろ。ただ、その液体を飲んでも大丈夫なのか心配になったのさ」
「液体って……。確かに液体ですけど……」
眉間に皺を寄せ、変なことは言ってないと表情で訴えてくる。
「なぜ、俺は死ななかったのか……。この謎を解明しない限り、液体を体内に取り込みたくないな」
「真剣な話をしてるのに、ごめなんさい。……先輩の言葉選び随分と変わりましたね」
「小説家気取りの影響だな」
先輩の意地悪な表情のお陰で、緊迫した話に少し柔らかい空気が流れた。
「そうは言っても、このまま液体を取り込まないと脱水で死ぬ。この水道水なら大丈夫そうだけどな。俺が死ななかったんだから」
「もう、液体って表現やめましょうよ。恐怖が増幅します……」
渇きには勝てず、酎ハイを流し込んだ。
『恐怖が増幅する』自分で言った言葉がずっと頭から離れない。
……言葉で、恐怖が……。何か繋がるように感じるが分からない。
「康太、生きてるか」
「生きてますよ」
仕返しのつもりらしい。ニヤついた表情に小学生かよと突っ込みたくなった。
「そういえば、蛇口から出た水も文字に見えたんだよな」
「はい。灰色で『図』『学』『聞』『星』などが見えました」
レシートの裏に書き、二人で文字を眺めた。
「康太の話から推測すると、爺さんや、交通違反の奴、本人の行動が文字として現れていると思わないか?」
「あ!確かにそうかもしれないです。先輩の着眼点すごいですね!……僕、小説家に向いてないのかも。なんか落ち込みます」
「今その話はどうでもいい。そんなことより、康太が見えた文字に俺自身との関係性が分からない。『学』なんて特にな。何かを学ぶの嫌いだし」
「先輩は僕に対して、暴言を吐いた訳ではないから死ななかったんですかね」
「うーん……。腑に落ちないなぁ」
考えてる姿がロダンの様に見え、つい笑ってしまった。銅像の様に動かなくなったかと思ったが、突然『星』に何十も丸をつけている。
「汚いキーホルダー覚えてるか?」
「これですか?」
手のひらほどの大きさで、出す時にスウェットズボンのポケットに少し引っかかった。
「おい!何で持ってるんだよ!」
「自分でも分からないのですが、捨てられなかったんです」
「……『星』ってその事じゃないのか。だから言ったんだよ。気味の悪いもの拾うなって。確か、交通違反の現場に落ちてたんだよな」
「はい。その時も言いましたけど、見覚えがあるんです。でも思い出せなくて」
懐かしさを感じるが、思い出そうとすると呼吸が乱れる。棘のある言葉が浮かぶからだ。僕の脳は、いじめらていた時の記憶を鮮明に覚えている。その記憶を呼び戻さない様に、今でも物語の世界に飛び込んでいるのかもしれない。つまり、自己防衛の為に。
「そんなもの拾ってくるから呪われたのかもな。まぁとにかく、今の状況から何か分かりそうな事もないし、そろそろ寝るか」
「僕、泊まるんですか」
「そうだ。遅いし、泊まっていけ。これは先輩命令だ。……康太、笑ってるな」
肩が上下してバレてしまい、アメフト選手のような体格で怖がりな所にツボった。
「すいません。では、泊まらせていただきます」
何回寝返りをしたのだろう。全く眠れなかった。
出勤時間は八時半。会社まで徒歩で十分。現在の時刻は六時。
「先輩!アラーム鳴ってます!設定時間、早すぎませんか?後、一時間は余裕で寝てられます」
「おはよう。俺は、しっかりと朝食を食べる。ついて来い」
寝不足で食欲など皆無だ。
会社近くのファミレスに寄るのが、先輩のルーティーンらしい。大食いタレントも顔負けしそうな量が運ばれてきた。
「全部、食べるんですか」
「食べるから頼んだんだよ。いつも変なこと聞くよな」
「いやぁ、朝から信じられないです」
「俺からしたら、コーヒーしか頼まない事の方が、到底信じられない。小説家を目指してるなら、色んな角度から物事を見た方がいいと思うぞ」
「あ、はい。すみません」
能天気に見えるが時々、的確な発言をする。本人には言えないがそんなところも尊敬している。
食べっぷりに見惚れていると、陶器が割れたような音と同時に、謝罪の声が店内に響いた。
一瞬で空気が変わり、食事をしている人や、席を立とうとした人など、みんな静止画の様になった。
……でも、僕は見逃さなかった。
怒鳴り声をあげている男性のテーブルの上に、グラスを置いた少年の姿を……。
「危ねぇ……」
「せ、先輩、もしかして、生きてます?」
「悪かったな……生きてる。ってなんだよ!その変な質問は。見れば分かるだろ。小説ばかり書いて現実が分からなくなったのか」
口端を腕で拭いながら僕の目の前に腰を降ろした。一瞬、文字に見えたが、服に滲んだ様子からすると水だったのだろう。
僕が先輩の立場なら同じことを思う。本人でさえ頭がイカれたと思っているのだから。
ここで考えなくてはならないことに直面した。
先輩はなぜ、死ななかったのか……。
理由は一つしかない。僕の見間違いだ。しかし、絶対に文字だった。確証や証拠はない。でも絶対に文字だった。根拠のない自信はどこから湧いてくるのかも説明は出来ないのだが……。
ため息が出てしまう。そろそろ、一人で抱えるのはしんどくなってきた。
「康太が、急に大きな声を出すから咽せて死にそうだった」
「驚かせてごめんなさい」
「何で、『飲まないで!』なんて言ったんだよ。ただの水道水だろ」
「いや、その、うーん……」
「女々しいなぁ。男ならはっきり言えよ」
話すべきか迷う……。まぁ、今の時点で十分おかしい奴だと思われているのだから、話してしまおう。
「あの……信じてもらえないという前提で話しますね。実は蛇口から出たのは水ではなく、文字だったんです……」
人の目が点になったのを初めて見た。驚きすぎると思考が停止するらしい。
「康太は明日、出勤しなくていい。病院に行け」
思わず肩が下がってしまった。
「ですね……。そうなりますよね……」
「凡人はきっとそう言うだろう。でも、俺は違う。その話、詳しく聞かせてもらおうか」
積もった恐怖を雪崩のように一気に伝えた。爺さんのことから始まり、今現在の状況までを。
喉の渇きを覚え、缶チューハイに手を伸ばした。すると、先輩の目の色が変わった。
「飲むな!」
「え……もしかして先輩も……見えるんですか」
「いや、何にも見えん。缶の中は見えないだろ」
「そうじゃなくて、文字が見えるのか聞いたんです」
「見えるわけないだろ。ただ、その液体を飲んでも大丈夫なのか心配になったのさ」
「液体って……。確かに液体ですけど……」
眉間に皺を寄せ、変なことは言ってないと表情で訴えてくる。
「なぜ、俺は死ななかったのか……。この謎を解明しない限り、液体を体内に取り込みたくないな」
「真剣な話をしてるのに、ごめなんさい。……先輩の言葉選び随分と変わりましたね」
「小説家気取りの影響だな」
先輩の意地悪な表情のお陰で、緊迫した話に少し柔らかい空気が流れた。
「そうは言っても、このまま液体を取り込まないと脱水で死ぬ。この水道水なら大丈夫そうだけどな。俺が死ななかったんだから」
「もう、液体って表現やめましょうよ。恐怖が増幅します……」
渇きには勝てず、酎ハイを流し込んだ。
『恐怖が増幅する』自分で言った言葉がずっと頭から離れない。
……言葉で、恐怖が……。何か繋がるように感じるが分からない。
「康太、生きてるか」
「生きてますよ」
仕返しのつもりらしい。ニヤついた表情に小学生かよと突っ込みたくなった。
「そういえば、蛇口から出た水も文字に見えたんだよな」
「はい。灰色で『図』『学』『聞』『星』などが見えました」
レシートの裏に書き、二人で文字を眺めた。
「康太の話から推測すると、爺さんや、交通違反の奴、本人の行動が文字として現れていると思わないか?」
「あ!確かにそうかもしれないです。先輩の着眼点すごいですね!……僕、小説家に向いてないのかも。なんか落ち込みます」
「今その話はどうでもいい。そんなことより、康太が見えた文字に俺自身との関係性が分からない。『学』なんて特にな。何かを学ぶの嫌いだし」
「先輩は僕に対して、暴言を吐いた訳ではないから死ななかったんですかね」
「うーん……。腑に落ちないなぁ」
考えてる姿がロダンの様に見え、つい笑ってしまった。銅像の様に動かなくなったかと思ったが、突然『星』に何十も丸をつけている。
「汚いキーホルダー覚えてるか?」
「これですか?」
手のひらほどの大きさで、出す時にスウェットズボンのポケットに少し引っかかった。
「おい!何で持ってるんだよ!」
「自分でも分からないのですが、捨てられなかったんです」
「……『星』ってその事じゃないのか。だから言ったんだよ。気味の悪いもの拾うなって。確か、交通違反の現場に落ちてたんだよな」
「はい。その時も言いましたけど、見覚えがあるんです。でも思い出せなくて」
懐かしさを感じるが、思い出そうとすると呼吸が乱れる。棘のある言葉が浮かぶからだ。僕の脳は、いじめらていた時の記憶を鮮明に覚えている。その記憶を呼び戻さない様に、今でも物語の世界に飛び込んでいるのかもしれない。つまり、自己防衛の為に。
「そんなもの拾ってくるから呪われたのかもな。まぁとにかく、今の状況から何か分かりそうな事もないし、そろそろ寝るか」
「僕、泊まるんですか」
「そうだ。遅いし、泊まっていけ。これは先輩命令だ。……康太、笑ってるな」
肩が上下してバレてしまい、アメフト選手のような体格で怖がりな所にツボった。
「すいません。では、泊まらせていただきます」
何回寝返りをしたのだろう。全く眠れなかった。
出勤時間は八時半。会社まで徒歩で十分。現在の時刻は六時。
「先輩!アラーム鳴ってます!設定時間、早すぎませんか?後、一時間は余裕で寝てられます」
「おはよう。俺は、しっかりと朝食を食べる。ついて来い」
寝不足で食欲など皆無だ。
会社近くのファミレスに寄るのが、先輩のルーティーンらしい。大食いタレントも顔負けしそうな量が運ばれてきた。
「全部、食べるんですか」
「食べるから頼んだんだよ。いつも変なこと聞くよな」
「いやぁ、朝から信じられないです」
「俺からしたら、コーヒーしか頼まない事の方が、到底信じられない。小説家を目指してるなら、色んな角度から物事を見た方がいいと思うぞ」
「あ、はい。すみません」
能天気に見えるが時々、的確な発言をする。本人には言えないがそんなところも尊敬している。
食べっぷりに見惚れていると、陶器が割れたような音と同時に、謝罪の声が店内に響いた。
一瞬で空気が変わり、食事をしている人や、席を立とうとした人など、みんな静止画の様になった。
……でも、僕は見逃さなかった。
怒鳴り声をあげている男性のテーブルの上に、グラスを置いた少年の姿を……。
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる